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2010年04月08日00:58

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ユーティリティ・プレイヤー

 なにが気にかかっているのか、実は自分ではよくわからないものです。今回、こうなってから初めてカープのどの選手よりも木村拓也選手のことを考える機会が多かったことに気がつきました。

原監督「残念」訃報に大粒の涙
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=1167959&media_id=2

 91年にドラフト外で日本ハムファイターズに捕手として入団。あまり期待された選手ではなかったと思います。後にユーティリティ・プレイヤーとして大成しましたが、それは本人の弁にあるように、レギュラーの座を獲得するため自分を作り変え続けた結果としてそうなったのであって、別に最初から目指したわけではありませんでした。

 野球はどちらかといえば静的なスポーツです。ピッチャーの投球ごとにプレイが細分化されリセットしてくり返されます。たとえばサッカーのように、選手が動き続け局面に応じてさまざまな役割を果たすような展開にはなりません。そして、静的な競技におけるユーティリティ・プレイヤーはほぼ器用貧乏と同義です。セカンドはずっとセカンドですから、どう考えたところで専任のプレイヤーを育成して任せるのが利口というものです。

 しかしながら、ひとつだけユーティリティ・プレイヤーを必要としている球団がありました。第二期原巨人は若手を育成しようとしていましたが、そのためには数年の猶予が必要でした。あれだけ大騒ぎして獲得した清原と江藤は他球団に去りましたが、相変わらず選手補強には積極的で、そのあおりをくって守備位置の割り当てには柔軟性を欠き、オーダーの組みにくいチームになっていました。

 シーズン途中にトレードで巨人へ移りましたが、この時点では代打要員だったみたいです。しかし、翌年からは二塁でスタメン出場の機会が増え、他に外野・一塁・三塁、そして1イニングながら捕手も担当しました。
 こうした履歴は彼がオーダーを組んだ結果として穴のあいたポジションを逐一埋めていったことを示しています。それは個人の成績として結果の出るものではありませんが、チームへの貢献という意味では、たとえば決勝点を導くものであって、それに準じるといっても過言ではありません。

 表向き強力な巨人にあって、その活躍は実は手薄だった搦め手を担当し、よく敵をよせつけなかったことに比されるものです。監督にとってはエースピッチャー、ホームランバッターより頼もしい存在ではなかったでしょうか。
 若手の成長を見届け、ある意味では彼らにポジションを奪われる形で、現役を退きました。しかし、34歳で移籍してきて4年後に遅滞なく後進に引き継いだのだと考えれば、存分にその任を全うしたといえます。

 最も長く在籍した球団は広島です。野球選手して最も脂がのった時期を過ごしたのも広島であり、個人成績のキャリア・ハイもやはりそのころです。しかし、ユーティリティ・プレイヤーとしての存在を遺憾なく発揮したのは巨人においてであり、その時代の活躍の方が私には鮮やかに映ります。
 それは、当時の巨人の特殊な状況に依存するものであり、今後しばらくはこういうタイプの選手が出てこないことを予感させますが、それゆえにチームと選手の間にこれほど幸福な関係がありうるのかということについて、驚きをおぼえざるをえません。

 現役時代、磐石のレギュラーだったことはなかったはずです。つねに当落線上にあって、そこでもがき、のたうちまわった野球人生だったと思います。その軌跡そのものが最後に在籍した球団にあって大輪の花を咲かせました。ようやくコーチという身分の安定を得て、その越し方からどのような指導をする楽しみにしていましたが、意外にもそこからは足早に去っていってしまいました。あまりにも急すぎて、とりあえず月並みなフレーズしか思いつきません。
 ご冥福をお祈りします。

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