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2010年02月12日17:36

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鰭崎英朋展

弥生美術館で開催中の『鰭崎英朋展』に行って来ました。
1週間くらい精神的に安定せず引きこもっていたので、1週間ぶりに外に出たら、疲れすぎて、次の日寝込んだって言う・・・(-_-;)。

でも、行って良かったです。英朋さん、生誕130周年記念だそうですよ。(明治13年生まれらしい)

鰭崎英朋。おそらく、皆様が1番良くご存知なのは、泉鏡花の作品の挿絵ですよね。鏡花の美しい文章に添えられた美しく妖艶な挿絵。
一時は、鏑木清方と並び称される挿絵画家だったのに、清方の名は、後世でも有名だが、英朋の名は、時代と共に忘れられました。
それは何故か?

理由は単純で、英朋は、日本画家にならず、挿絵画家を選択したからです。日本画を習っていたのだから、勿論、ちゃんと日本画も描けるんだよ。でも、彼が選んだのは挿絵画家としての道。挿絵は大衆文化。大衆文化は時と共に忘れ去られるのが常です。それが宿命。ブームにはなるんだケドね。

でも、何故だろう。私は、その「忘れ去られる」という部分にぐっと魅かれるのです。そして「誰かが覚えていなければ忘れられてしまうのならば、せめて私は覚えていよう」と思うのです。

因みに。英朋さんの師匠は、右田年英。右田さんは、私が転げまわるほど大好きな浮世絵師月岡芳年のお弟子さん。つまり、鰭崎英朋さんは、月岡芳年の孫弟子と言うコトになります。
この辺りも、運命感じちゃうなぁ〜私(笑)。

鰭崎英朋さんは、決して幸せな生まれではなかったようです。生まれた時にすでに父は行方不明。母は16歳。当時、子供連れで再婚するコトは難しかった為、英朋さんは母(ラクさんと言うらしい)の父母・・つまり、母方の祖父母に育てられたそうです。
因みに。この鰭崎という珍しい苗字は、祖母の姓らしい。
晩年、英朋さんは「挿絵画家で有名になれば、鰭崎という珍しい苗字に気が付いて、父が名乗り出てくれて会えるんじゃないかと思ったケド、ついに会えなかったなぁ〜・・・」と言っていたそうな・・・。

源頼朝にご馳走をふるまって、頼朝の喉に魚の骨が刺さり「鰭が刺さった」で鰭崎になった・・と言う苗字の由来があるそうなのだが、それ、「うっかりミス」が苗字になったってコトだよね(^_^;)。

子供の頃から絵が上手く、祖父母の面倒を良く見て働いてた英朋さんは、11歳くらいで大店へ奉公が決まります。で、何と16歳で番頭にまで上りつめます。優秀だったんでしょうね。で、そんなある日。大店のお客さんが、英朋さんの絵を見て「画家になりたいの?」と訊いたところ「はい。なりたいです。」と答え、「じゃあ」と言うコトで、この方の知人である、日本画家(コレが右田さんだな)を紹介してもらい、ここから画家生活がスタートするそうな。
そのままお店に勤めてても、結構な地位まで行けたろうに(暖簾分けしてもらって、お店の主人になれたかも)、やっぱり画家が良かったんだなぁ。

英朋さんは、幽霊が大好き。幽霊画も沢山描いてます。
この辺り、妖かしの美女を得意とする、芳年の門下の血かな?とも思うんだケド(笑)。

『蚊帳の前の幽霊』。全生庵所蔵。円朝の幽霊画コレクションが納めてあるところね。
蚊帳の中にいる白く美しい美女幽霊。行灯の明かりも淡くて綺麗です。

『幽霊』。襖の隙間を伺おうとしているのか、うつろな表情の幽霊。絵としてはこっちの方が怖いかも。

英朋さんは、その後、春陽堂の編集局へ入ります。
『道行』。お芝居のワンシーンを描いたモノらしい。美少年と二枚目役者の道行きで、なかなかに色っぽいです。

で、私の今回の特にお気に入り〜。
タイトルは不明らしいのだが、浅葱の着物の美女。俯いた表情がとても色っぽくて良いのです。桜の花びらがヒラヒラ舞っているので、春の絵なのかな〜。

英朋さんは、美人画を描く人だけあって、審美眼が高かったらしく、美女についてのコメントも残していました。本当に、美人に拘りがあったのね。目は二重とか、色々書いてあった。

親友の伊藤英泰との2ショット写真があったのだが、2人同じ柄の着物(今で言うペアルックな)を着ていて、ちょっと萌えた。こういうのは可愛い♪

前述通り、当時、英朋さんは、清方さんと人気を二分する挿絵画家だったので、2人の合作もありました。『松の内』。2人の半玉さん(半人前の芸者さん)の絵なのだが、清方さんの美女は可愛らしい感じで、英朋さんの方は、やっぱり妖艶な感じがした。釣り目の半玉さんが、英朋さん作。

あと、清方との合作双六や、『当世をんな双六』なんてのもあった。
モデル、女優、女医さん、店員、土方、娼婦・・などなど、当時の女性の職業をモチーフにした双六。上がりが『奥様』になっていた。「あぁ。この頃は、女性の1番の幸せは結婚するコトだったんだなぁ〜」と改めて思う。
あと、普通〜に、娼婦って、女性の仕事なのね。何も特別じゃないんだなとも思った。
因みに。この双六。コマが置いてあって、出来るようになってるので、行かれる方はやってみてください。なかなか上がれません!!

で、この後、英朋さんは、講談雑誌の挿絵などを手がけるようになります。

『紅葉狩』が美しい。男性を睨む美女(コレ。お能の紅葉狩が元かな?)。薄墨のバックも緊迫感を高めて良い感じ。

『更科姫』。少し恨みがましそうな顔をした朱の着物のお姫様。この号で廃刊だったらしいので、その恨みかしら?(オイ)『演芸画法』という雑誌の表紙絵でした。

『横櫛お富』。娯楽世界って言う雑誌から。紺色の着物に流し目のなかなかに色っぽい美女。歌舞伎のお富さん・・なんだろうな。きっと。

で、ここからが有名な、泉鏡花の挿絵コーナーです。
『続風流線』。デッサンも展示してあったケド。デッサンの方が力強い感じがした。出来上がりは、流水の線も美しいアールデコっぽい美しい絵。

他にも、『婦系図』の挿絵とか、鏡花の仕事は多かったようです。
因みに。仲も良かったみたい。鏡花さんの方が、8歳くらい年上なんだケド、幽霊好きとか、美女に拘りがとか、共通点があったんだろうね。

ここで、版画の制作進行の説明があった。『差し上げ』って言うの、初めて知った。何でも、江戸期は、職人さんがちゃんとしていたので、キチンと絵師の思う通りの絵の具を使ってくれたのだが、この頃になると、職人さんが、ちょっといいかげんになってしまうらしく、思った通りの絵の具を使ってくれないので、彩色した絵(見本)を見て、摺り師さんが、色を入れてったそうな。
で、『差し上げ』ってのが、その見本の、彩色した絵のコトだってサ。
こっちの方が肉筆っぽくて、価値ありそうだよね。

で、今回1番の吃驚どころ。
英朋さん、菊地寛の『真珠婦人』の挿絵描いてるぅ〜!!
現代でも1大ブームを起こした、あの『真珠婦人』ですよ。たわしコロッケですよ!!

校正紙もあったケド、コレも細かい。墨線細くとか、色ハッキリととか、目の下のクマとるとか、もう、微に入り細に入り指示してる。拘ったんだろうなぁ〜。印刷所泣かせだ(^_^;)。(因みに。この時代、印刷技術が格段に進歩します)

英朋さんは、女性が読書する姿が好きだったらしく、読書する女性の姿も沢山ありました。タイトル不明なのですが、行灯の光の元、本を読む娘さんの絵が気に入りました。ぽってりした唇が可愛らしいです。

で、ここで空前の『生さぬなか』ブームが起きます。て、『生さぬなか』って何だ?ってな話なんですが、柳川春葉の家庭小説です。
もう大ヒットだったらしく、登場人物の履いてたモデルの下駄だの、煎餅だの、真砂子(登場人物)がやってた髪型だの、もう、何かスゲエ。
日本人のこの、ミーハー感覚は、今も昔も変わりません!!
『冬ソナ』ブームみたいなモンだよなぁ〜。

で、当然、お芝居にもなって、このお芝居のワンシーンを描いた屏風絵がありました。ツンとした女性と、苦労人ぽい女性の2ショット。思わず「おおう!昼ドラ!」と言ってしまう私。

『浮沈』という柳川さんの小説の絵も良かったです。窓越しの美女に横たわる青年という構図。

この後、英朋さんは、相撲の取り組み挿絵を描いていきます。相撲の絵が沢山ありました。
あと、面白かったのが『家庭のお伽噺』と言う本。お伽噺の挿絵らしく、洋風のモノがあり(シンデレラっぽいお姫様とか)ちょっと意外だった。
お姫様と毘沙門天みたいな絵も良かったケド、コレ、どんなお伽噺なのだろう???

で、参考資料として、右田年英の『紅葉狩』と、何と、月岡芳年の絵も2枚来ておりました。平将門があったよ。

妖艶美女を描き続けた英朋さん。88歳で亡くなっています。長生きだったようですね。
デッサン命だったらしく、デッサン帳の展示もしてありました。

挿絵画家は時代と張り付きます。だからこそ、消えていく運命にもあります。
でも、こうやって、残しておいて下さると、やっぱり有難いなぁ〜と思います。

で、竹久夢二美術館の方は、ロマン世界を展開してるので「お姉さま」な世界が好きな人は是非どうぞ。面白広告も見られます。
あ、あと常設の華宵の絵。美少年の生足が堪りまへん。グヘヘヘヘ〜。

お土産は、英朋さんの美女ポストカード4枚と、華宵の新作ポストカード1枚。あと、半額になってたポストカードを1枚買いました。あぁ・・又、ポストカード増やしちゃった・・・。
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