1980年代後半、所謂「UFOキャッチャー」がブームになると、当時、一般週刊誌のライターのアルバイトをしていたわたしは、アーケードゲーム機のメーカーを取材して、簡単に景品をゲット出来る方法という記事を書いた。程なくして、近所の商店街に初めてクレーン
春からずっと替えていなかったトップ画像をクリスマスっぽくしてみた。画像のモチーフはリーメントの「ムーミン Light Bulb テラリウム」。 http://www.re-ment.co.jp/product/r20365微かに揺らめくライトに照らされた感じが気に入って、4種類とも購入して
■私リカちゃん、出生届に登場よ 東京・葛飾区が連携(朝日新聞デジタル - 12月10日 12:01)http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=4897390これちょっと欲しい気はするけれど葛飾区役所は遠いなと思っていたが、都営地下鉄に乗っていた
先週、病院の帰りに、"Barbie Collection LIMITED SHOP" in 新宿マルイ本館(10/26〜11/14)に寄ってみた。"Barbie Collection"と言ってもドールではなくライセンスグッズの販売。いや〜、バービーグッズも決して嫌いではないんだが、この歳まで延々とコレクタ
2人分の仮装を作る際にわたしなりに苦労したのは、既製品をいかに簡単に手直ししてゴージャス感を出すかという点だ。もちろん、普段は雑巾一枚縫わないわたしなので、なるべく裁縫ではなく工作っぽいやり方で。先ずわたしの白雪姫の衣装はAmazonで6000円也で
さすがにハロウィン話は激しく時期外れになったが、わたし的には結構トピックだったので敢えてディズニーハロウィンの仮装話の続き。86歳母が最高齢コスプレーヤーを目指して女王様になったのは、わたしが白雪姫の仮装を準備していたから。では、なぜ白雪姫な
バビコンでコスプレのおもしろさに目覚めたわたしは、今年のハロウィンはついにフル仮装することにした。と言っても、渋谷でオールする歳でもないので、無難にディズニーリゾートでハロウィンを満喫してきた。遊園地ならトシ甲斐もなく羽目を外しても許される
先月が誕生月だった たいら母はめでたく86歳を迎えることが出来た。 「考えてみれば親族の柵から解放されて初めての誕生日ね
」と清々しく微笑んでいたが、わたしの心中はそんなに穏やかではなかった。理由の一つは最近ちょくちょくつぶやきで愚痴ってい
元隣のばあさんの下の娘の代理人とやらに最終連絡下さいと言って半月余。このままグズグズ長びかせるのが嫌で母が電話して客観的な進捗状況を聞いたら、「1週間待て」と言われ、なんで客観的な進捗状況話すのに1週間かかるのかと突っ込んだら、いきなり「こん
8月第1週に持病の真珠腫性中耳炎の手術を受けた。今回は4回目の手術だったが、初めて味覚の神経を切断したための味覚障害と言う後遺症に苦しむことになった。厳密に言うと、3回目の時も一時的に物の味が酸っぱく感じたが、今回はその時とは違ってばっさり
つぶやきや日記にちょくちょく愚痴っているが、今年に入ってからわたしは妙なトラブルにばかり見舞われている。ホテルで落とし物をしてすぐフロントに尋ねたら既に他の方に渡され、返して頂くのに一悶着あったのでクレームを付けようとしたら、ホテルの職員の
右耳の真珠腫性中耳炎の手術で頭蓋骨削ってもうすぐ2週間。傷が完全にくっつくまで硬いものを食べないようにしなければならないので、愛用している○×スーパーの宅配サービスで「ほうれん草の白和え」を頼んだら、間違って「ほうれん草の胡麻和え」が届いた。す
パーティーはシンガーソングライター・さくらかおりの歌で始まった。リカちゃんファンの方でお祝いソングを歌っていたらしいのだが、残念ながら聴力に難があり手術を控えているわたしには歌詞が聞き取れなかった
歌が終わると司会のお姉さんが登壇し、本
取り急ぎ、シアター内に入って席取りをすませ、目印に強力ボンドの入った袋を置いてから、展示を見て写真を撮ろうと再びロビーに出る。先ず、最初に目に入ったのがドールを立たせて撮影できるコーナー。50周年記念のハート型オブジェと歴代の外箱型ボックスが
リカちゃん50周年パーティーは東京・大阪の2カ所で開催され、大阪が先行開催だったため、そちらに参戦したお友だちから事前に色々とアドバイスを頂いていた。 ・東京は参加する人が多そうなので早く受付した方が良い ・ロビーの写真ボックスでは一人参加だ
リカちゃん50周年パーティー 25年前の約束実現「長い間ありがとう!」http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=54&from=diary&id=467236425年前にパーティー券付きのドールを購入して登録葉書を出し、住所も電話番号も姓も全くかわっていないのにもかかわ
たいら母は余分なことは一切喋らない人なので、わたしはこの年までずっと一緒の家で暮らしていても、母と雑談をしたことがほとんどない。五月蠅く喋られるよりは楽なのではと言われることもあるが、あまり喋らなすぎて最近ではドライマウス気味になって困って
中国大陸に行ったきりだった祖父が帰ってくると、家族の食卓は一変した。今までは別々に食事をとっていた薫兄さんも同じテーブルに着くことになったのだ。長方形のテーブルの一端の上座の側に祖父が座り、その両隣には長男の薫兄さんと跡取り娘の温子が座るは
誘拐事件の顛末は小学校低学年の時に、登下校時は安全に気をつけるようにと言う話のついでに母から聞いた。それまで、祖母や伯母たちに家柄自慢をさんざん聞かされても、なんかピンとこなかったわたしだが、この話には素直に感心してしまった。父親の仕事関係
潔子が母親である祖母に放置されていたのは事実だが、温子や須磨子も現代のように母親と毎日触れあって生活していたわけではない。華族出身の姑が認知症になって食事も離れで侍女に介護されて食べるようになると、祖母は母屋でごく普通に家族と食卓を囲むこと
初めて潔子が部屋に遊びに来た時、薫兄さんは大いに慌てて、 「潔子ちゃん、この部屋に来るとお母さんに怒られるよ」と暗に子ども部屋に戻るよう促したが、 「別に何もしてなくてもお母さん怒るし、 母屋のお部屋にいると温ちゃんと須磨ちゃんにいじわるされ
暴力表現あり注意 (と言っても子どもの姉妹喧嘩レベル)
お祭り事件以来、2代目お梅ちゃんの監視が厳しいのも嫌だったが、もっとも潔子が困ったのは須磨子の暴力がエスカレートしてきたことだ。暴力と言っても、子どもの姉妹喧嘩の範囲なのでもと
暴力表現あり注意
たいら母 潔子は生まれた時から祖母に放置されていたが、当初は決して嫌われていたわけではなかったと思う。でもある時から、祖母の心に潔子に対する嫌悪感が芽生え始めた。たぶん前述のお祭りの次の日のことだ。就業規則を破っ
継子である長男を先妻の実家の跡取りにして、自分たちの家は長女に継がせて婿をとろうという祖父の提案を受けいれた祖母は、以後、長女を跡取り娘として恥ずかしくないよう厳しく教育する。第一子の男の子が疫痢で亡くなったのだって長女が生まれて忙しかった
親の決めた結婚相手を放り出して家を出た娘が隣町の「若殿様」を射止めた、と知った祖母の両親はほっと胸をなで下ろし娘の不行跡を許した。おかげで、祖父と再婚した祖母は大手を振って東京で新婚生活を始められた。軍隊で異例の出世を遂げていた祖父はかなりの
母方の祖母は祖父の生まれた地方都市に隣接する町の出身だった。曾祖父は酒造販売をメインとした豪商で、その自治体の高額納税者番付1位を誇る大富豪だったが重大な悩みがあった。結婚して何年経っても子どもに恵まれなかったのだ。しかし、家業を継がせるた
母方の祖父は東北のとある地方都市の出城の城主の子孫だった。本家は華族で歴史の教科書に載っているような人だったが、良い意味で載っているわけではないのであまり自慢にはならない。院生時代に一度、教授がこの本家がらみの事件に言及しようとして、「ほら
旅行から既に1ヶ月以上経ってしまったけれど、自身の備忘録を兼ねてまた続きを書いておく。17年ぶりと言うことで自身の心身の老化を含め以前とは違う点も多々あったが、1番の違いはスマホの普及だろう。17年前にハワイに家族旅行に行った時は、自身の持って
先週の土曜、サンコー様にお誘いいただいて、お友だちと連れだって春の開苑中の生田緑地ばら苑に行ってきた。http://www.ikuta-rose.jp/花を眺めるのは好きでも、そちら方面の知識のないわたしは、バラに詳しいサンコー様のガイド付きで、満開のバラを堪能出
今週末は母の日。と言うことで、玄関に飾るカーネーションの鉢植えを買ってきたが、これを飾る前に先ず今まで飾っていたディスプレイを片付けないと。 3月1日に飾ったミニ雛道具の数々を
昨年秋の九州旅行の際に太宰府のかさの家で一目惚れして購入し