教師をしていると、実にさまざまな国や地域にルーツをもつ生徒と出会う。韓国、朝鮮、中国、日系ブラジル、ペルー……少し思い返しただけでも、これだけの名前が浮かぶ。社会科の授業では、国や歴史、文化、国際関係など、扱うテーマは多岐にわたる。だから
南京で泊まったホテルの近くに、大きな公園があった。陸上トラックをぐるりと囲むように散歩道があり、その外側に運動器具がずらりと並んでいる。日本のジムにあるような器具だが、もちろん電動ではない。むしろ小学校のグラウンドにある鉄棒や平均台の延長の
あれは一体何やったんやろうか、と思うほど、アビの食欲が回復した。起きている時は、ときに1時間おきに「エサが欲しい」と鳴く。パウチは2袋では足りず、固形も足すようになった。昨日は、久しぶりに大きなウンチをした。抱き上げると腹の骨がはっきりわかる
しょうもない話である。義姉がアビのお見舞いに来てくれた。旅行の時など、何かと世話になっている。猫は犬ほど好き嫌いがはっきりしない。興味がある時は少し近寄って様子をうかがうが、たいていはこちらが近づくと逃げる。いつも配達してくれる本屋には、大
一昨日の午後からアビに少し食欲が戻った。1週間ほど少量の水しか飲んでいなかったのでトイレも1日に一回ほんの少しだった。今日のお昼にトイレに行ったアビが終わったと鳴いているので始末に行くとウンチがあった。これで回復するかどうかはわからないが、
マジックや手品の種明かしは、昔から苦手だ。というより、見ないようにしている。ただ「すごいなあ」と感動するだけで十分で、「実はこうなっていて……」と説明されると、途端に興味が冷めてしまう。だからそういう場面に出くわすと、テレビでもYouTubeでも
高校時代、合唱部の部員は100人ほどいたが、そのうち男声は20人ほどだった。合宿の余興として男声合唱を披露したり、男声だけで合宿をしたこともある。そのときに練習したのが、清水脩の《巻末の歌六首》だった。高村光太郎『智恵子抄』の巻末に置かれた六首
餅、焼きそば、鍋。我が家の正月の食卓は、それだけである。老夫婦二人暮らしだから、特別に「これが食べたい」という欲もない。おせちは、買ったことも作ったこともあるが、ここ数年はもう口にしていない。いつもと変わらない、あるいはそれ以上に簡素な食事
OEK合唱団のオーディションに申し込みをし、自由曲としてブラームスの《教会墓地にて(Auf dem Kirchhofe)》を同封した。独唱で、当日はピアニスト立ち合い。おそらく合唱団の練習ピアニストだろうが、面識はない。事前の合わせはなく、一発勝負である。もっ
ソファーの横で寝ているアビを見ていると、「しずかに かしこく 老いるということは」という一節が、ふと浮かんできた。多田武彦《尾崎喜八の詩から》の第3曲「春愁」である。テノールのソロが静かに歌い出し、やがて合唱がそれを受け取る。感情を語りすぎず
31日、夕食に蕎麦を食べたあと、バイクを漕ぎながら歌った。体を動かし、息を回し、声を出す。年の終わりとしては悪くない始まりだ。2時間ほどしてから、娘に頼まれていた紅白歌合戦の録画を確認する。テレビ横に取り付けた小さな手製アンテナでは視聴する分