8日東京夕刊。小椋佳の自伝的連載コラム。彼の母親は銀座で料理店を2軒営んでいたが。1950年頃、朝鮮戦争で鉄が高く売れるので、(店の?)若いやつを使ってマンホールのフタをそこら中から盗ませ、まとめて業者に売り払っていた。→ がばいばあちゃんだ
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「第172回志らく一門会」。開場前、持っていったパンをかじる。開口一番・らく人さん(前座) 「牛ほめ」 まくらで「見習いがまた2人、入った。他にも入りそうな人がいる」と言っていた。この一門、めったやたらと弟子が多すぎ。良いことなんだけどさ
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