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2005年12月09日23:59

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三浦半島の旧日本軍戦車

 海岸の放置戦車・・・何だか不思議な感じがしますが、戦後埋められていたのが海の侵食で出てきたらしいです。噂を聞いて見に行ったのが約1年前。首都圏で、しかも旧日本軍の戦闘車両が人知れず現存していたという、時の流れの歪みにはまり込んだような話でしたが、先日行政の手によって解体されたとか!!
 所詮サビサビのインゴットだったから、保存とまで言わなくても、わざわざ税金使って潰さなくても放っておいても良かったのではないかいな。
 
 三浦半島で人知れず・・・というぐらいですから、やっぱり大変行きにくい海岸で、釣人以外はまず来ないような場所でした。撮影のために3人がかりでだいぶ掘り出しましたが、これで目立ってしまったか・・・とも思いましたが、だいぶネット上で噂になっていたので、遅かれ早かれ知れ渡る事にはなったでしょうが。夏の頃、新聞記事になって多くの人が知ることとなった訳ですが、これを書いた記者もまさか処分されるとは思ってなかったのではないでしょうか。産業遺跡に対する文化意識の低さ(というか、皆無)を感じます。

 本体はガスでバラバラにされましたが、個人でやっている那須の戦争博物館が引き取ったという話も聞いたので、せめてそこが救いでしょうか。バラバラの戦車をどうするかって・・・? 溶接で繋いでしまうのです。別に走らせる訳ではありませんから、これで良いのです。(実際にはバラバラのままの展示らしいと後で知る事に)

 写真で見ての通り、砲塔の前が切られているので、これを紹介した新聞、雑誌などは必ず前半分が切り取られ・・・となってましたが、実は後ろ半分のエンジン周辺が切り取られたものでした。残っていたクラッチペダルやシャフトの向きが前半分が無い理屈だと、どうも変だし砲塔の取り付け位置・・・本来なら少し左寄りに付いてる筈がこの車両の見た目が右寄りって、おかしい?・・・と思ってたら、砲塔が後ろを向いた状態で埋まってた訳です。確かに砲塔って、どの方向にも向ける訳で砲塔が後ろ向きで横転してたとなると疑問点が全て解決?してしまいました。

 旧日本軍の車両ってほとんど現存してないので、いろんな意味でも貴重だったんですが・・・残念

PS・・・行政の手による解体ではなく那須戦争博物館によるトラック積載重量の都合で解体してしまった事を後日知る。那須の方ではバラバラのままの展示と聞く。
また、車両は旧日本軍九七式戦車。 後日加筆。


後日現地にて
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