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2018年02月17日12:18

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西郷隆盛「貧居こそが傑士を生む」

神渡良平「西郷隆盛人間学」(致知出版)より。

【原文】
一貫す唯々(いい)の諾(だく)
従来鉄石の肝(かん)
貧居(ひんきょ)傑士(けっし)を生じ
勲業は多難に顕わる
雪に耐えて梅花(ばいか)麗しく
霜を経て楓葉(ふうよう)丹(あか)し
もし能く天意を識らば
豈(あに)敢えて自ら安きを謀らんや.



【現代語訳】
いったん引き受けたならば、どこまでもただ一筋に貫き通すべきである。
これまで培ってきた鉄石の肝魂(きもたましい)は動かしてはならない。
豪傑は貧しい家に生れ、勲(いさお)し高い事業は多難を経てはじめて世に顕現する。
梅の花は雪に耐えて美しく咲き出すもので、楓(かえで)も霜を経て真っ赤に紅葉する。
もし、天意があるところがわかったら、どうして自分で自分の安楽を謀ることができようか。

「雪に耐えてこそ梅の花は香り高く咲き、
 真紅の楓は厳しい霜を経てこそ、いよいよ紅く照り映える」

西郷隆盛という人は真正の詩人である。ものの哀れを感じとることのできる繊細な魂を持っている。

この詩は妹コトの三男・市来政直が、明治5(1872)年、アメリカに留学したとき書いて渡したもので、西郷45歳の時の作品である。

西郷は「貧居こそが傑士を生じる」と言い切った。「甘え」は人間最大の障害だ。「甘え」を稚気(ちぎ)と呼び、これを去ることが人間修養だとしている。

しかしながら、わかっているけれども、なかなか自分に厳しくできないのが人間だ。そのために天はその人を逆境に置き、試練を与えて、足腰を鍛えようとする。期待するものが大であるほど、試練は大きい。

そのことを鋭く見抜いていた孟子は、天地を貫く真理をこう断言した。
「天の将(まさ)に大任をこの人に降さんとするや、必ず先づその心志を苦しめ、その筋骨を労せしめ、その体膚を餓えしめ、その身を空乏にし、行うことその為さんとするところに払乱(ふつらん)せしむ」

(天がある人に大任を授けようとするときは、まずその人の心身を苦しめ、窮乏の境遇に置き、何を行ってもうまくいかず、その人の為そうとしていることに逆行するような不如意をわざわざ与えて試練する)

運がないのでもない。実力がないのでもない。何やってもうまくいかない時期があるのだ。その時期をどういう気持ちで耐えるのか。ひたすら耐え忍び、言動を慎むことは、自分自身を磨き、他日に備えることなのである。それを孟子はこういう言葉で表現した。古来どれほど多くの有意の人がこの言葉に励まされ、自重してこの期間を突破したことだろう。

天地を貫く真理は厳然として存在する。その宇宙の仕組みを知った人は、不遇のときはじたばたせずにじっと待つ。するとやがて青天白日の時がやってくるのだ。

運勢を逃してしまうのは、開き直り、ふて腐れてしまったときだ。

自分を甘やかせ、奢侈に流れた生活をすると、自分は快適で楽しいかもしれないが、子や孫を駄目にしてしまう。児孫のことを考えたら、慎ましくあるべきだ。

天地自然は私たちに「梅花は雪に耐えてこそ麗しい」と教え、「楓も霜を経て丹(あか)く紅葉する」と諭している。

西郷はこの漢詩の最後をこう締めくくった。
「もしよく天意を識らば、豈(あに)敢えて自ら安きを謀らんや」

私がこの世の中に遣わされた理由を知ったならば、もはや安逸をむさぼることはできなくなる。甥に留学先で下手な知識ばかり増やすのではなく、もっと根本的な命題をつかめと励ましたのだ。

・・・・・以上。

ネットによれば、西郷の甥は当時、今の高校生ぐらいだったとあります。
昔は子供の時から『論語』を習い、精神を鍛えていたので、このような、難しい漢詩をも理解できたのでしょう。
それに比べ、今の子供たちは漢文にも親しまず、近現代史を学ぶこともせず、携帯のゲーム機や漫画の本に夢中になり、「日本人としてどうあるべきか」という志も考えることなく育っています。
今の子供たちは、はたして、魂を揺さぶるこの漢詩をどう読むことができるでしょうか。

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