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2017年03月10日22:22

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マイ・ピュア・レディ〜昭和歌謡曲96昭和52年前半〜フレッシュ3人組

〜春まだ浅い東武伊勢崎線沿線で〜

年ごとの歌謡曲を紹介するテーマ。
それも年間トップ売り上げ曲や、レコード大賞、最優秀新人賞と
いった有名な曲以外の想い出の曲を語りたい。

今回は昭和52年、もう40年前か!?
後に、第一回WBCで日本を優勝に導いた王貞治監督が
756号の世界ホームラン新記録を打ち立てた年だな(9月3日)。
位置情報■侍ジャパン、3連勝!打撃好調・小林が2ラン、中田は2戦連発
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=212&from=diary&id=4472169


この年はジュリーがレコード大賞を取り(ちなみにその年のレコ大受賞の
視聴率は史上最高)、ピンクレディーが『カルメン'77』なんていう曲も
出して一大旋風を起こした年。

私自身は、大学に入学し、埼玉県の草加市に下宿して、
余裕をもって歌謡曲に親しんだ。
そのせいもあるのか、この年は名曲が多い。
とても一回では紹介できないので、今回は前半6月までにリリースされた曲

なぜか2〜3月にリリースされた曲に思い入れがある曲が集中している。
リリースは早かったのは1月1日
るんるん「津軽海峡・冬景色」石川さゆり作詞:阿久悠、作曲:三木たかし。


昭和48年デビュー、「花の中三トリオ」と同期で、彼女らよりも
一学年石川の方が上にも関わらず、後塵を拝していたが、
このヒットで並び立った。

るんるん「あずさ2号」狩人作詞:竜真知子、作曲:都倉俊一 3月25日

兄弟デュオ。歌は上手かった。
次の秋の歌、「コスモス街道」もヒットしたけれど、
その後、大ヒットに恵まれなかった。

雨「雨やどり」さだ まさし作詞:作曲:歌唱
3月10日、ソロ・デビュー2枚目のシングル

さだまさしは、それまではグレープとして「精霊流し」とか「無縁坂」と
言った暗い歌だったが、このコミカルな歌でイメージチェンジ。

なぜか、この歌は、春先、足立区梅島の喫茶店で
聞いたのが印象に残っている。
やはり、外は雨雨が降っていて、私は誰かをそこで待っていた。
残念ながら野郎だったが(^^:

乙女座「マイ・ピュア・レディ」尾崎 亜美、作詞:作曲:歌唱、2月5日

これは資生堂 クリスタルデュウ CMとして採用され、
彼女が歌っている映像は記憶にない。
逆に映像にあるのは、小林麻美(中央画像)。
昭和47年、アイドルブーム期に「初恋のメロディー」でデビュー。
スレンダーな肢体と物憂げなムードで、ファンを掴んだが、
その後、体調を崩して休業→復帰するもレコードは
売れない状態だったが、このCMで5年ぶりに見た。

というか、正直言って、このCMに出ていた女性が、
あの小林麻美だと知ったのは後年のこと。
ちょっと顔がふっくらしていたし、小林麻美という存在を忘れていた。

で、曲を手掛けた尾崎亜美、昭和32年3月19日 生まれ、
ギリギリで私と同じ学年。度々書いているが、
この昭和31年4月〜32年3月生まれは、各分野で前後の学年に比べ、
明らかに不作ふらふら
相撲で言えば、若島津は大関になったが、実績と知名度で
昭和30年生まれの横綱・千代の富士、大関・朝汐には及ばない。

その中でも、亜美ちゃんは、有名女性シンガーソングライターだが
やはり、ユーミンや中島みゆきに比べれば落ちるよね

この翌年の春、やはり資生堂のCMソングにもなった
「春の予感‐I've been mellow‐」をシンシアに提供。

ムード「硝子坂」高田 みづえ
作詞:島武実 作曲:宇崎竜童 2月25日発売


ちょっとキツイ感じ(=しっかりとした)で、アイドル性は薄かったが、
歌唱力はあり、この年のレコード大賞新人賞5人の内に入った。
その後、大関、若島津と結婚して女将さんになったのは驚いた。

るんるん庄野 真代がユーミンの「中央フリーウェイ」でスマッシュヒット。(4月10日

小雨雨の物語イルカ3月25日作詞・作曲:伊勢正三

この曲、先にさだまさしの「雨やどり」と「雨」で被るイメージがあった。

晴れ一転して明るい春の歌は『Hi-Hi-Hi』あおい輝彦
youtubeにないなぁ。本人は30歳にもなって
「ハイ、ハイ、ハイ」とか恥ずかしかったと後年言っていた。

るんるん「お元気ですか」 清水由貴子(左画像)、
作詞:阿久悠 / 作曲:三木たかし3月1日

スター誕生出身者で、かなり期待されたそうだが、地味だったなぁ
この年のレコード大賞新人賞5人の中から外れる
(その新人賞5人とは、
最優秀の清水 健太郎、狩人、榊原郁恵、高田みづえ、太川陽介)

同期の榊原郁恵、高田みづえとは仲が良く「フレッシュ3人組」
とも称されたそうだ。
フォト

この後、ヤクルトのCMやバラエティ番組「週刊欽曜日」で
プチブレイクしたけれど残念なことになったなぁ。

かたや、郁恵はいまだにテレビに出ている。
太川陽介もその後低迷したが、
旅番組で再ブレイク。みづえは相撲部屋の女将さん。

手(パー)で、シンシアだが、
彼女、昭和46年6月のデビュー曲「17才」から50年4月の「想い出通り」まで、
ずっと作詞: 有馬三恵子、作曲: 筒美京平だったが、
そのラインを卒業、次の作詞: 中里綴、作曲: 田山雅充の
「人恋しくて」がレコード大賞歌唱賞を受賞、その後2年間、
作詞にユーミンや落合 恵子を起用したり、作詞: 松本隆、
作曲: ジャニス・イアンという曲もあったが、パッとしなかった。

そこで、再び有馬&筒美に戻して、「ゆれる午後」、3月1日

この曲新越谷の駅の中の喫茶店でモーニング食いながら聞いた記憶がある。

今、この駅周辺は、新越谷ヴァリエとかあって、ずいぶんにぎやかだが、
昭和52年の晩秋頃は駅前に何もなくて、夕暮れ時は本当に荒涼としていた。

で、、「ゆれる午後」爛れた同棲生活の歌だ。歌い出しから
「真似してのんだタバコにむせて」とか。
「ねえ、どこでどうして、どうなったのよ〜」って
ずいぶん粘着だな!どうして、どうなったって
その理由はこっちが聞きたいよ!
まぁ彼女もこの年、23歳、もう大人の女性に変身を考えていたんだろうね。

昭和46年デビューの「三人娘」の内、小柳ルミ子は
この年「星の砂」のヒットがあった。
問題は、一時絶大な人気を誇った天地真理。1月から入院、
その後2年半休業、復帰しても、かつての輝きはなかったな。


前述したように、小林麻美はモデルとして復活したが、
同期の麻丘 めぐみ、浅田 美代子は引退。

日の出の勢いのピンクレディと入れ替わるように
キャンディーズも翌年引退宣言
時代は変わりつつあった。

では!昭和52年後半は秋にでも。

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