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2014年12月02日22:16

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【解説】MGメトロ6R4

今日は特にネタがないので、MGメトロ6R4の解説を…。

ベースとなったのは1980年に誕生したオースチン・メトロです。

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オリジナルのミニから998ccと1275ccの4気筒OHVエンジンと4速マニュアルミッション、サスペンションが受け継がれました。

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MGメトロは1982年にMGブランド用のモデルとして発売され、MG版にはターボモデルも用意されました。

MGメトロ6R4は当時オースチンローバーのチーム監督だったジョン・ダベンポートの意向により誕生したグループBカーです。

会社の経営が芳しくない中で、TR7ラリーカーによる活動を終えた80年末に、どうにかして実績のあるラリー活動を継続するための方向性を模索するため、ウイリアムズとの提携に活路を見出そうとします。

ダベンポートはマシンの開発をウィリアムズ・グランプリエンジニアリングに依頼し、それまでラリーカーを手掛けた事のなかったパトリック・ヘッドが初めてデザインしたラリーカーでもあります。

開発が始まった81年当時、パトリック・ヘッドの構想では、V6エンジンをフロントに搭載しトランスアクスル方式を採用したFRのラリーカーとして開発される予定でした。

そのエンジンも自社製ではなく、後にローバー800に搭載されることとなるホンダ製のV6を採用したいという希望もあったようです。

ところがその81年にグループ4カーとしてラリーにデビューしたアウディ・クワトロの活躍によって、ヘッドは方針転換を提案。

エンジンをリヤミドシップに搭載し、4輪を駆動するという実際のマシンの形へと方向転換されました。

エンジンについては、当時のホンダ製V6エンジンが競技向きではなかったこともあり、最終的にはオースチン・ローバー・モータースポーツで自社開発することになります。

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MGメトロ6R4 初期プロトタイプ

6気筒、ラリー、4WDの頭文字をとって、メトロ6R4と名付けられたニューマシン。

83年2月にデビューした最初のプロトタイプは、お馴染みのエアロパーツも無く簡素な外観で、エンジンは既存のローバーV8から2気筒分を切り落としただけのOHVに過ぎず、排気量2500ccから250psを発生するにとどまりました。

タイヤサイズも軽量化に重点を置いていたため、他のワークスマシンよりも2インチ小さい13インチを採用、排気量2500ccのクラスにギリギリ収まるように設計されています。

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84年からイギリス国内のラリーで開発が始まるものの、それは困難の連続でした。
ディファレンシャルの開発では、スティーブ・ソーパーに時速50km/hでの定常円旋回を延々と続けさせて、各デフがどう働くかを研究、センターデフのビスカスカップリングを通常の5倍近く硬いセッティングとすることが、挙動を安定させるための答えとして導き出されました。

実戦においての前後駆動配分は37:63が基本で、ターマックでは25:75という極端なリヤ寄りのセッティング、ワークスチームではマルコム・ウィルソンが45:55を好んで使用しました。

そしてこのマシンの致命的な問題はエンジンでした。
『V62V』と呼ばれる最初に搭載されたOHVエンジンは、とりあえず走らせるだけの間に合わせであり、テストではパワー不足が指摘されました。

これを受けて登場したのが、フォードDFVを起源とする3リッターの『V64V』エンジンでした。
これによりパワーは優に100ps以上向上しましたが、4バルブDOHCヘッドの採用により重心が高くなり、元々ギリギリの剛性しかなかったメトロのボディには補強も必要となり、車両重量は増加することになってしまいました。

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しかもその後、ミシュランが13インチタイヤの開発を止めてしまったため、結局は他のワークスマシン同様15インチタイヤにせざるをえなくなり、ボディサイズアップに加えてホイールベースも変更され、更に車両重量は増加してしまいます。

重心の高さはハンドリングにも悪影響を及ぼし、突然オーバーステアになるという特性を顕著に示しました。
これに対処するために、あのエアロパーツが開発されました。

84年8月、ウイリアムズのとあるエンジニアが倉庫から78年のF1マシン『FW06』のリヤウイングを2枚持ちだしてきて、車体の前後に1枚ずつ装着。

これによってメトロ6R4のダウンフォースは劇的に向上し、時速100マイル時に1200ポンド(約544kg)も増えたといい、早速このウイングを改良してマシンへ取り付けることにしました。

ダベンポートは、アウディやプジョーがエボリューション2に採用しようとしていた新しいウイングにホモロゲーションが下りなかったことを考慮し、彼はオースチンローバーを説得してホモロゲーションに必要な200台全てをスポイラー付で製造させることにしました。

200台生産の内20台がワークススペックの『インターナショナル』で、残りの180台はスペックの抑えられた『クラブマン』として生産されました。

85年のRACでデビューしたメトロは、トニー・ポンドのドライブにより3位という成績を残しましたが、イギリス国内でのみ開発が行われていたメトロはそのコース特性にセッティングが偏ってしまい、他のイベントでは散々な成績となってしまいます。

あまりにも非力なNAエンジンにはエキゾーストパイプの設計に致命的な欠陥があったためパワーカーブには大きな谷があり、それが判ったのはグループB廃止後、オースチンローバーのコンペティション部門が新しいエンジンベンチを導入してからのことでした。

迎えた86年シーズン、エンジンは信頼性が低くカムベルトのトラブルが多発し、モンテカルロラリーではステアリングブッシュの強度不足でステアリング自体がロックしてしまうというトラブルで撤退、サスペンションはアクロポリスでのテストで剛性不足が浮き彫りになり全体的な補強が必要であり、結果的には1100kg近い車重となってしまったことも、戦闘力の低下を招いていました。

86年シーズン終盤には信頼性の問題はほとんど無くなっていましたが、もはや戦闘力は期待出来ませんでした。

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86年限りでカテゴリー廃止となり、行き場を失いかけたメトロでしたが、ダベンポートがRAC(王立自動車クラブ)に掛け合い、300psに制限することを条件にイギリス国内のラリーへの出場を認めさせることに成功、売れ残った在庫車は4分の1近い1万ポンドのプライスで販売されました。
(実際には300psオーバーだった)

以降イギリス国内では息の長い活躍が続き、2000年代に入っても現役で走り続ける名車となりました。

あと1年早く熟成されていれば、もう少し違った活躍は出来たかも知れませんが、長きに渡り愛されることになったメトロ6R4は幸せ者かも知れませんね。

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英国ラリー選手権では、故コリン・マクレーの父、ジミー・マクレーがロスマンズカラーのメトロ6R4を駆って活躍しました。

またコリン自身もプライベートでメトロ6R4を駆ってローカルイベントに参戦していました。

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フランス選手権ではディディエ・オリオールがドライブし、チャンピオンを獲得しています。

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現在でもヒストリックイベントを中心にその姿を見せています。

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MSJ2012にて

☆MGメトロ6R4 インターナショナル 車両諸元
全長:3657mm
全幅:1836mm
全高:1650mm
ホイールベース:2391mm
トレッド(F/R):1510/1550mm
車両重量:1040kg

エンジン型式:V64V
エンジン形式:水冷V型6気筒DOHC24バルブ
搭載方式:ミドシップ/縦置き
ボア×ストローク:92×75mm
総排気量:2991cc
圧縮比:12.0
燃料供給装置:ルーカス製インジェクション
最高出力:380ps/8500rpmまたは410ps/9000rpm
最大トルク370Nm/6500rpm
(クラブマンは250ps仕様)

ギヤボックス:5速ドグクラッチMT
ディファレンシャル:トリプルメカニカル

サスペンション:4輪マクファーソンストラット
ダンパー:ビルシュタイン倒立式

ブレーキ:前後308.4mm径ベンチレーテッドディスク

タイヤ:ミシュラン
ホイールサイズ:TRX390または15インチ

☆2020年9月1日 加筆修正しました。


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