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2014年10月02日22:55

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経済談義シリーズ第二回:序論その2

すっかり間が空いてしまいましたが、経済談義シリーズ第2回。超悲観派の僕がその論拠を解説していきます。


前回の記事では、議論の前提を二つ説明しました。
・楽観派、悲観派といっても単純にひとくくりにしない
・「国」と「政府」を分けて考える

今回は、議論の前提をさらにひとつ、次回にもうひとつ説明します。
なかなか本題に入りませんがのんびり進みます。


今回のポイントは、「願望と現実を区別する」ということです。つまり、あることが望ましいかどうかということと、それが現実的に可能かどうかということは別の話だということです。
冷静に考えれば当たり前の話ですが、しっかり意識していないとこれが意外に難しいのです。

極端な例は戦争です。どこかの国が戦争を始めようというときに、戦争に負けるより勝つほうがいいに決まっています。負けてもよい戦争なんかありません。
そういうとき、政治家は必ずこういいます。「この戦争には勝たなければならない、だから勝てるのだ。異論を唱えるやつは非国民である」

「勝たなければならない」ことと「勝てる」ことの間には大きなギャップがあるのですが、そこは意識的にすっ飛ばします。そのほうが聴衆の支持を得やすいからです。
実際、こういう論調が幅を利かせていたことが日本でもかつてありました。 それがどういう結末になったかは皆さんご存知の通りです。


「日本が衰退するのと、成長するのとどちらがいいですか?  成長するほうがいいですよね、では成長する方法を考えましょう」
楽観派の人は、話し出しにおいてこういう論法をよく持ち出します。一般の関心を引くにはとても効果的なやり方です。成長がいいか衰退がいいかときかれて衰退を選ぶ人はまずいませんから。
しかしそういうときこそ、希望的観測と現実の区別をしっかり意識しなければなりません。

たとえば、日本を成長させてみせると主張する人が挙げる具体策のひとつとして、「公共投資」があります。
公共投資で需要を作り出してお金を回してやれば、景気がよくなって、税収も増えて財政黒字になるという、いわゆる「ケインズ理論」です。

これに対して、疑い深いひとからは当然批判がでます。いままでの公共投資は、過大な需要見通しに基づいて採算の取れない事業をやって、お金をどぶに捨てるようなものが多かった、このさき公共事業を続けても、支出ばかり増えて税収はそれほど増えないのではないかと。
そういう疑問にケインズ論者はこう答えます。
「無駄な公共投資をやるのではなくて、必要な公共投資、望ましい公共投資をやるわけですから大丈夫です。望ましい投資をして日本を成長させましょう」

そうです。ここで注意が必要です。
ある公共投資が「どれだけ必要か」、「どれだけ望ましいか」ということと、「それで財政黒字に貢献するかどうか」、つまり投資として採算が取れるものかどうかは別問題だということを思い起こして、冷静に検証する必要があるということです。


戦争のたとえは不穏当といわれるかもしれませんが、財政が再建できるかどうかは、ある意味、日本という国の命運をかけた戦いになるかもしれないと思っています。そして、その趨勢は実はすでに決まってしまっているのではと心配しています。
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