運転免許証ゴールデン化のため警察署へ。
写真撮影もあるのだろうが、俺はカッコよい髪型なので安心だ。
赤い服を着て行かねばな
加賀市の場合は「大聖寺警察署」へ行くコトとなる。
俺は警察署での更新は初めてなので勝手がわからぬわい。
案内ハガキには平日ならば ほぼ一日中受付をしているように書かれている。
受付でハガキを見せますとすぐに視力検査が始まった。
順番待ちなど無いのね
「上!」とか「右!」とか言ってひと通りこなして次は遠近感のテスト。
俺はコレがとっても苦手だ。
三本の黒棒、真ん中の黒棒だけが前後に動く。
三本揃ったトキにボタンを押すのだが、動いてるコトがすでに判らない
3回連続で的中させねば大型トラックなどの運転資格を失うおそれがある。
焦るとアタマがパニックになってより訳がわからなくなる
冷静に・・・・・・落ち着いて・・・・「もう動いてますか?」と、訊いてみた。
「始まってますよ。」っとやさしく告げられた。
もうイチかバチかだな!っと覚悟を決めたトキ、俺はかすかなモーター音に気付いた。
真ん中の黒棒を動かすための かすかなモーター音の切り替わりと目からの情報。
俺はそれらを脳で処理し左右の人差し指に信号を送った。
左右の人差し指の筋肉は脳からの信号を受信し黒棒マシーンの緑色スウィッチをアタックした!
俺は見事3連続で的中させ、必要の無いトラック免許を死守した。
次回は返上すべきかもね・・・・・・・。見えないのだもの
そしてお決まりの安全協会へのお誘い。
警察署でも誘うのね・・・・・。
「
絶対にイヤだ!!一円たりとも安協などにカネは払わぬわーッ!!」
っと、拒否してもよいのだが俺は毎回1000円払ってるよ。
ドコのクズジジイの飲み代になるのかは知らねーけど恵んでやるよ。
そのかわり俺が地面に撒いた酒を四つんばいになって啜ってるってコトは自覚しておけよ!
這い蹲れ!!
その酒が旨いか!?ジジイ!!
5年更新でも1000円だったら「何か違うよね?」って言ってやろうと言葉を準備していたのだが、
「5年なので1500円になりますね。」だってよ。微妙
肩透かし。
写真撮影は1分で終了
「ビデオルームへどうぞ!」っと案内される。
狭い部屋のソファーにオッちゃんオバちゃん5人くらい。
みんな双子座なのかな?
視線は
20型くらいのテレビデオに。
俺もソファーにファサッ!っと座りビデオ鑑賞と洒落込む。
なかなかオモシロい。
スカパーで専用チャンネルがあればイイのに。
とても解りやすいし子供たちの教育や登下校の交通安全にも役立つと思うがね。
20分もしないうちに終わってしまった。
こんなにあっさりとスピーディーに終了するのね。
コレまで内灘免許センターでは半日潰していたが、アレはなんだったのだろう・・・・?
ICチップ付きゴールデン免許証は1ヶ月後の引渡しだ。
帰ろう。
安全運転で帰ろう。
----タイガーアッパーカット----
山本太郎、出演予定のドラマ降板に 反原発発言が原因か ツイッターで大反響
(シネマトゥデイ - 05月26日 17:30)
原発問題に関する発言を問題視され、決まっていたドラマを降板させられたことを自身のツイッターで告白した山本太郎に、心配の声が寄せられている。
25日夜、山本は自身のツイッターに、「今日、マネージャーからmailがあった。『7月8月に予定されていたドラマですが、原発発言が問題になっており、なくなりました。』だって。マネージャーには申し訳ない事をした。僕をブッキングする為に追い続けた企画だったろうに。ごめんね」とツイート。山本は23日に、福島から来た子を持つ親たち100人を含む多くの人たちと共に文部科学省前に集結し、文科省が定めた学校の校舎・校庭等の利用判断における暫定的な目安「放射線量年間20ミリシーベルト」の撤回を訴えたばかり。わずか2日後のことだった。
山本はこれまでも脱原発のデモに参加したり、福島の子どもたちを疎開させるために立ち上げられたプロジェクト「オペレーションコドモタチ」を通して、通常の1ミリシーベルトの20倍となる基準値に異を唱え、「チェルノブイリでは、年間5ミリシーベルトで住民は強制退去。なのに福島の子どもたちは、文部科学省によると20ミリシーベルトでも大丈夫らしいです。殺人行為です。避難させれば、賠償などとんでもないお金がかかる。だから、国は見殺しにしようとしている。それが答えです」という7分以上にわたるメッセージを伝えていた。
23日、われわれの取材に応えた山本は、「電力会社はメディアの最大のスポンサーですし、さまざまな事情はあります」と言っていたが、言葉どおりの現実が彼を待ち構えていた。たったひとりで立ち上がり、デモにも堂々と参加を続けてきた山本に、ネット上では、「やっぱり干されてしまった!」「ひどすぎる!」「これが現実かよ……」と、同情の声が次々に上がっている。心配するフォロワーたちに向け、山本は「抗議するからTV局、プロデューサー教えて、などなど励まし有難う! 外されたドラマでも、現場には迷惑掛けられないから言えない。一俳優の終わりの始まりなんて大した事じゃない。そんな事より皆さんの正義感溢れるエネルギー、20mSV撤回、子供達の疎開、脱原発へ! 皆で日本の崩壊食い止めよう!」と、今後も変わらず、声を上げ続けていく覚悟を伝えている。(編集部:森田真帆)
<福島第1原発>東電「中断なかった」 所長判断で海水注入
(毎日新聞 - 05月26日 21:32)
東京電力福島第1原発事故で1号機への海水注入が55分間中断していたとされる問題で、東電は26日、実際には中断せず注入を継続していたと発表した。同原発の吉田昌郎所長が東電本店と合意した中断の決定を見送り、注入継続が原子炉を冷却し事態の悪化防止になると判断したためという。しかし、海水注入を停止したと記載した東電の初期データや、政府・東京電力統合対策室の説明が一転否定されたことになる。情報の信ぴょう性が疑われるほか、情報把握ができていない政府の姿勢も問われそうだ。
24日から25日にかけて、同原発で吉田所長から事情を聴いて判明した。東電は、報告の遅れた吉田所長の処分を検討する。
東電によると、東日本大震災で緊急停止した福島第1原発の1号機では、3月12日午後2時53分に原子炉圧力容器への淡水の注水が停止したため、海水注入の準備を始めた。同7時4分ごろ、海水の注入を開始。同25分ごろ、官邸に派遣された武黒一郎元副社長から東電本店や発電所に状況判断として「官邸では海水注入について首相の了解が得られていない」と連絡があり、本店と同原発を結んだテレビ会議で注入停止を合意した。だが、吉田所長は「事故の進展防止には原子炉への注水継続が何よりも重要」と判断。本店に知らせず、海水注入を続けたという。
この問題を巡っては、統合対策室が5月21日、東電が3月12日午後7時4分に海水注入を始め、同25分にいったん停止したと発表していた。班目(まだらめ)春樹・内閣府原子力安全委員長から「再臨界の危険性がある」との意見が出たためと説明した。しかしその後、統合対策室は「原子力安全委員長の発言は『(再臨界の)可能性はゼロではない』だった」と訂正している。また、東電は同日午後8時20分に海水注入再開とした。
今回、事実関係の確認に時間がかかったことについて、武藤栄・東電副社長は5月26日の会見で「海水注入に向けて努力していたが、官邸の中の(首相の了解が得られていないという)空気が伝えられたので中断を決めた。IAEA(国際原子力機関)の調査団が来ており、事実関係を明らかにするため、聞き取り調査し、所長から報告があった」と釈明した。所長の説明について、松本純一原子力・立地本部長代理は「本人の記憶の中にある」と応じ、裏付けがないことを認めた。
統合対策室事務局長の細野豪志・首相補佐官は「所長として(注水が停止した1号機の)困難を乗り越えるため(海水の注入継続という)決断をしたのはやむを得ないことだった。ただ、結果として、発表内容に訂正が入ったのは、正確に国民に情報を伝えられなかった点で大変残念だ」と話した。経済産業省原子力安全・保安院は注水が再開されたと記録されていることについて、「遺憾だ」と述べた。【河内敏康、岡田英、比嘉洋】
◆福島第1原発1号機への海水注入中断を巡る経緯◆
5月2日=海江田万里経産相が参院予算委員会で発言。「私どもの資料では、3月12日午後7時4分に試験の注入を開始した。午後7時25分に停止したので、20分間くらい試験をやった。午後8時5分に原子炉等規制法に基づいて、原子炉の健全性を確保することを命令し、午後8時20分に注入を開始した」
16日=東京電力が地震直後のデータを公表。「午後7時4分海水注入開始。午後7時25分停止。午後8時20分に注水開始」と記載。
21日=政府・東電統合対策室の会見で細野首相補佐官が「東電の海水注入開始・停止は官邸に報告されず、東電の独自判断で中断」と発表。「班目原子力安全委員長が『再臨界の危険性がある』と意見」と記載した紙を配布。
22日=班目委員長が「再臨界を言うはずがない」と反発。後に「再臨界の可能性はゼロではない」と訂正することで福山哲郎官房副長官と合意。
25日=東電は注入開始の約4時間前(午後3時20分ごろ)、注入計画を原子力安全・保安院にファクスで連絡、口頭でも伝えたと発表。
26日=東電が「原発所長の判断で実際には停止は行われず、注水継続が判明」と発表。
<福島第1原発>東電説明ちぐはぐ 海水注入問題
(毎日新聞 - 05月27日 08:52)
東京電力福島第1原発事故で、1号機への海水注入は中断されていなかった。事故原因究明に重要な情報が、事故から2カ月以上たって公表されたのは、国際原子力機関(IAEA)による調査直前だった。これまでの東電や政府が発表したデータの信頼性にも疑問符が付く。つじつまの合わない説明も多く、近く発足する「事故調査・検証委員会」での徹底した解明が求められている。
◇初期データ「中断」一転覆る
「現場が錯綜(さくそう)する中で、事実が違っていたことは申し訳ない。コミュニケーションの悪さがあった」。26日、東電本店で会見した武藤栄副社長は謝罪した。
二転三転した情報の混乱は、なぜ起きたのか。海水注入継続の事実は、24〜25日に東電本店が実施した吉田昌郎・福島第1原発所長らへの聞き取りから明らかになったという。
東電によると、3月12日午後7時4分ごろから原子炉を冷やすための海水注入が始まったが、午後7時25分ごろに本店と現場とのテレビ会議で、「首相の了解が得られていない」との情報について協議。注水停止で合意したが当時、吉田所長は反論しなかった。ところが、吉田所長は注水をやめていなかった。その理由を「冷却が最優先でどうしても受け入れられなかった」と話しているという。
東電が過酷事故のため事前に策定していた安全対策(アクシデントマネジメント)では海水注入は発電所長の権限で実施できる。だが実際は、「海水注入は首相が判断する感じがあり、その判断がない中で注入できないという空気を(官邸にいた東電関係者が)伝えてきた」(松本純一原子力・立地本部長代理)という。首相の意向に配慮するあいまいな経緯で、原子炉冷却の鍵となる作業の判断がなされていたことになる。
注水中断は今月20日の東電の会見で明らかになった。その経緯をめぐって、連日国会で取り上げられ、政府や東電、原子力安全委員会が追及を受けた。27日にはIAEA調査団が同原発を視察する。世界の原発の安全対策が問われる中での調査は、主要8カ国首脳会議(G8サミット)や6月のIAEA閣僚会議にも影響する。
東電が20日に会見で最初に中断を公表してから聞き取りに乗り出したのは24日。現場からも本店への報告がなかったとみられ、対応が遅れた上に「中断」という事実が覆った背景には、こうした国内外の外圧が影響した可能性がある。吉田所長も聞き取りに「新聞や国会で話題になっているのでもう1回よく考えた。IAEAのインタビューも受ける。正しい事実に基づいて評価されるべきだと考えた」と答えたという。
一方で、東電は16日に公表した同原発の地震発生時の初期データ報告書で、海水注入の中断を記載している。「社内のメモや緊急対策本部の聞き取りでとりまとめた。吉田所長からは聞いていなかった」と説明した。現場との意思疎通が不十分だったことをうかがわせるが、中断から55分後の3月12日午後8時20分に注水が再開されたと公表してきたことについては、「発電所から出てきた報告」と説明する。東電は「この1件以外、報告しているものと違うものはないと聞いている」と強調するものの、他の公表内容への不信を生んだ。
二ノ方寿・東京工業大教授(原子炉工学)は「注水を継続した吉田所長の判断は正しかった。だが、現場とのコミュニケーションがうまくいっていないことは心もとなく、心配になる」と話す。【足立旬子、永山悦子】
◇政府困惑 批判強める野党
海水注入を継続していたとの東電の発表に、政府内では26日、困惑が広がった。枝野幸男官房長官は記者会見で「事実関係を正確に把握して報告、伝達していただかないと我々も対応に苦慮するし、国民が疑問、不審に思う」と不快感を示した。
枝野氏によると東電から訂正の報告があったのは発表直前の午後3時前。東電が訂正するに至った原因について「しっかりした情報共有や意思疎通がないまま発表されたことが原因だろう」と語った。
ただ、東電が重大事実を訂正したのは、政府発表の信頼性を揺るがす事態だ。政府は東電の報告を基に国会答弁などをしており結果的に誤ったことになる。2日の参院予算委員会では海江田万里経済産業相が「午後7時4分に試験注入を開始し、20分で停止した。重ねて(菅直人)首相から本格的な注水をやれ(と指示した)」と答弁した。注入中断は同日から独り歩きしており、誤った情報を見抜けなかった官邸や経産省の責任が問われる可能性もある。
政府筋は「政府が促していた海水注入や(原子炉の圧力を下げる)ベントを東電はなかなかやらなかったが、それが東電の意思だったのか、(物理的に)できなかったのかすら分からない」と不信感をあらわにした。
一方、自民党など野党は「隠蔽(いんぺい)体質があるのではないかという疑惑が広がっている」(谷垣禎一総裁)と批判を強めている。
自民党は19日の時点で「首相が海水注入を中断させた」という情報をつかんでいた。20日にTBSがこの問題を報じると、安倍晋三元首相は「私も複数の人から聞いている。首相として万死に値するミス」と批判した。
これに対し、首相は23日の衆院東日本大震災復興特別委員会で谷垣氏の質問に中断の指示を否定。「注入継続」は首相の主張を補強する形となり、民主党の安住淳国対委員長は「野党第1党の党首がメディアに検証もしないで乗っかり首相を攻め立てた。一言おわびがあっていいのではないか」と逆襲した。
しかし、訂正が繰り返される政府・東電の混乱ぶりは、野党に再び付け入るスキを与えることにも。自民党幹部は「こっちは政府の資料をもとに追及してきた。独自のネタもある」と語り、27日にも野党で対応を協議する考えを示した。【中田卓二、影山哲也】
東京電力福島第1原発1号機への海水注入問題は、現場の所長が継続していたことが26日、判明した。事故収束にあたる2700人の作業員を束ねる吉田昌郎所長(56)とはどんな人物なのか、東電幹部らの証言から探った。
◇「親分肌」本店に過去反論も…注水判断した吉田所長
大阪府出身。菅直人首相と同じ東京工大で原子核工学を専攻。1979年に東京電力入社。昨年、所長に就任し、第1原発での勤務は4回目となった。
身長180センチで学生時代はボート部に所属し、社内の評価は「豪快」「親分肌」。免震重要棟の廊下で眠る作業員に「もう帰れ」と声をかける一方、収束に向けた工程表を持ち出して作業を急がせる本店に「作業員の被ばく量をどう考えるのか」と反論することも。
「発電所のことは自分が一番知っているという自負があるのだろう。それが時には頑固に見える」と元同僚。
情報の混乱が、新たな物議を醸しているが、東電のある幹部は「大変なご迷惑を掛けていることに違いはないが、事故が今の状況で済んでいるのは吉田の存在も大きい」とかばった。
<福島第1原発>「家畜の安楽死」難航 無断放牧など混乱も
(毎日新聞 - 05月27日 12:13)
東京電力福島第1原発から半径20キロ圏内の警戒区域に残る家畜について、政府が福島県に安楽死の実施を指示してから26日で2週間が過ぎた。放射線量の高い地域での実施は簡単ではなく、計画策定や人手の確保は難航。牧場主が区域内に立ち入って家畜に餌やりを続けているのに、何者かが無断で放牧するケースが発生するなど混乱も起きている。被災者や動物たちが振り回される中、動物の命を守ろうという動きも出始めた。【袴田貴行】
県によると、警戒区域内には少なくとも牛1300頭、豚200頭が残る。県は市町村を通じ、所有者から同意を得て安楽死を進める考えだが、住民はばらばらに避難し、所在の把握が難しい。放牧された家畜の場合、柵を作って囲い込み、所有者を確認して作業する必要があり、「想像もつかない膨大な手間と時間がかかる」(県畜産課)という。
混乱も起きている。区域内で酪農を営む男性は3日に1回、警察の検問を避け山道を通って牧場に入り、餌やりを続ける。しかし、先月29日に牧場に着くと、「餌を与えないのか」「命は殺していいものと子どもに教えるのか」などのビラ約60枚が張られていた。
今月17日には、牛舎の戸をこじ開けられ、約130頭の牛のほとんどが外に出されていた。水をやろうとしたのか、水道から無理にホースを引っ張った跡があり、蛇口が壊され給水できなくなっていた。水を飲もうとしたのか、ぬかるみにはまって動けなくなった牛も26頭おり、助け出せないという。
屋根付きの牛舎から出さず、梱包(こんぽう)された干し草を与えていたのに、外に出た牛は屋外の青草を食べている。牛舎に戻したいが、時間も人手もない。男性は「状況が好転した時に牛の汚染濃度が低ければ、将来へのかすかな希望もあったのに。牛は大量の放射性物質を体内に取り込んでしまっただろう」と悔しがる。近隣の畜産農家3軒も同様の被害に遭ったという。
こうした中、獣医師ら有志が、所有者が安楽死を拒んだ動物を集め研究目的で飼育する「ファームアニマル・サンクチュアリ構想(仮称)」の準備を進めている。そうした動物を集めた農場を作り、放射性物質の影響を研究する計画だ。家畜の命を救い、原発事故収束後は観光目的で活用することもにらむ。
菅直人首相は16日、推進役の一人の高邑(たかむら)勉衆院議員(民主)に検討を指示。鹿野道彦農相は同日の衆院予算委で、学術的な意義など公益性が認められ、食用にしないなど一定の条件を満たせば家畜の生存を検討すると答弁した。
二本松市の農業生産法人「エム牧場」の村田淳社長(56)も、浪江町の警戒区域内にある農場へ餌やりに通う。約330頭いる牛の安楽死に同意するつもりはない。構想について「学術的にも貴重だし、原発事故を後世に語り継ぐためにも実現してほしい。牛も土地も建物も全部提供しても構わないが、殺処分された牛たちが農場に埋められる光景だけは見たくない」と話している。
東電、事故直後の放射線データ一部未公表
(読売新聞 - 05月27日 18:05)
細野首相補佐官は27日夕の統合対策室の合同記者会見で、東京電力が福島第一原子力発電所の事故直後の放射線測定データを、一部公開していなかったことを明らかにした。
東電から同日、報告を受けたという。
細野補佐官は「事故後2か月半になる今になって出てくるのはタイミングが遅い。なぜそうなったのか。ほかにも未公表のデータがないのか再確認を求めた」と述べ、東電に対して、28日に説明するよう要請したという。
東電によると、事故直後の3月11日―15日の5日間に測定した一部データなどが未公表だったという。
<福島第1原発>東電社長、地震当日は夫人同伴で奈良観光
(毎日新聞 - 05月28日 02:43)
東日本大震災が発生した3月11日前後の清水正孝・東京電力社長の行動が27日、毎日新聞の取材で明らかになった。東電が説明していた「関西財界人との会合のための出張」とは異なり、奈良・平城宮跡や東大寺の修二会(しゅにえ)(お水取り)見物が主で、平日に夫人、秘書同伴という観光目的の色彩が極めて強く、業務に相当するような公式行事はなかった。東電は清水社長の夫人同伴の関西出張を認めておらず、東電側の隠蔽(いんぺい)体質が改めて浮き彫りになった形だ。
毎日新聞の取材に対し東電は「清水社長の日程は、相手のいることなので公表できない。否定も肯定もしない」と答えるだけで、詳細を明らかにしていない。
関係者や奈良県によると、清水社長ら3人は3月10日午後、2泊の予定で奈良市のホテルにチェックイン。11日に、夫人同伴で東大寺(奈良市)のお水取り観賞が予定されていた。
清水社長は11日午後、電気事業連合会会長として平城宮跡を「視察」。見学中の午後2時46分に大震災が発生し、視察を切り上げ、同日夜の宿泊とお水取りの観賞を取りやめた。電事連は、平城宮跡をメーン会場に開かれた平城遷都1300年祭に協賛していた。
関西財界人との会合について、関電首脳は「清水社長に会っていない」と否定し、他の主要関西企業トップも清水社長との懇談を否定している。清水社長の平城宮跡視察についても、東電広報部は「公表できない」としか答えていない。
大震災後、清水社長は奈良から愛知県に移動したとされるが、奈良からいったんタクシーで神戸空港(神戸市)に向かったとの情報もある。その後、航空自衛隊小牧基地から輸送機で東京都千代田区の本店に戻ろうとしたが、輸送機が途中で引き返したため帰京できず、翌12日午前に民間ヘリで東京に戻った。
震災発生時、勝俣恒久会長も中国出張で東京を不在にしていた。
この間、東京電力福島第1原発は冷却装置が機能せずに炉心溶融(メルトダウン)が進み、チェルノブイリと並ぶ最悪の原発事故に発展した。
原発イヤイヤ
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