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暗殺・リトビネンコ事件

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詳細 2012年5月16日 02:48更新

サイト
http://litvinenko-case.com/

彼は、なぜ死ななければならなかったのか?リトビネンコ暗殺から1年…。

2006年11月23日、ひとりの男がロンドンで放射性物質ポロニウム210を飲まされ、暗殺された。彼の名は、アレクサンドル≪サーシャ≫・リトビネンコ。イギリスに亡命中の元FSB(ロシア連邦保安庁)中佐である。彼は、チェチェン戦争の裏側にある、FSBとプーチン政権の腐敗を告発していた。ソ連邦崩壊後の希望と挫折。理想は打ち砕かれ、ロシアには数多くの犠牲者とともに血なまぐさい現実が横たわっている…。
生前のリトビネンコへのインタビュー、チェチェン戦争の戦争犯罪を告発していたジャーナリスト、アンナ・ポリトコフスカヤや、プーチン大統領と決裂し、リトビネンコを支援した政商ベレゾフスキーをはじめとする関係者の証言、膨大なニュース映像、そして、死後、遺された彼の家族の姿…リトビネンコと親交のあったアンドレイ・ネクラーソフ監督によるこのドキュメンタリーは、カンヌ国際映画祭において急遽上映され、論争を巻き起こした。リトビネンコは正義を、真実を信じた。彼は、なぜ死ななければならなかったのか?
現在、イギリス捜査当局は、ロシアに対して、アンドレイ・ロゴボイ容疑者の引き渡しを求めているが、ロシア政府はそれを拒否している。事件はいまだ未解決であり、真実は明らかにされていない。
まもなくリトビネンコ暗殺から1年が経過しようとしている。

チェチェン戦争の悲惨に鎮魂歌は流れる…。
チェチェン共和国は、ロシア連邦南部の共和国である。1991年11月に独立を宣言。エリツィン大統領は離脱を拒絶し、連邦軍を投入。第1次チェチェン戦争が勃発した。96年に休戦するが、ウラジーミル・プーチンが大統領に就任した99年、モスクワでアパート爆破事件が続発。ロシア政府は、これをチェチェン人の犯行として、「テロリスト掃討:のため、再びチェチェンに侵攻した。30万人もの死者を出し、泥沼化したこの戦争は現在も続いている。『暗殺・リトビネンコ事件』は、この戦争の背後に潜む“ロシアの闇”とその犠牲になった人々、幼い子どもたち、兵士たち。そして、大切な人を失った家族の悲しみ。気丈に振舞うリトビネンコの妻マリーナの目からもまた、一筋の涙がこぼれた…。

映画監督の目の前で、“友人”は死んだ。

アンドレイ・ネクラーソフ監督は、チェチェン戦争の悲惨を取材し、イギリスに亡命していたリトビネンコをインタビューしていた。彼の暗殺事件は、そのインタビュー直後に起きてしまった…。「この映画の製作は私自身のための浄化であり、私の目の前で悲惨な死を遂げた友人を失ったショックに立ち向かうための努力なのです」と監督は語る。ネクラーソフ監督は、その死までリトビネンコの病床に寄り添い、この作品を完成させた。ネクラーソフ監督は、アンドレイ・タルコフスキー監督『サクリファイス』の助手を務め、リトビネンコの著書“Blowing up Russia”をもとに長篇劇映画“Disbelief(不信)”を監督。その作品は、世界から高い評価を受けてきた。『暗殺・リトビネンコ事件』は、ネクラーソフ監督による“友人”リトビネンコへの、そして戦争と政治の間で失われた数多くの死者たちへの“レクイエム”ともいうべきドキュメンタリー作品なのである

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カテゴリ
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