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チェコ不動の魂「P・ネドベド」

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詳細 2018年4月26日 23:14更新

パベル・ネドベド
Pavel Nedved


国籍 チェコ
生年月日 1972/8/30
出身地 ヘップ
ポジション MF(OH,LSH,DH)
身長 177cm
体重 70kg
愛称 ロボット、デュラセル


所属クラブ
1991〜92 : デュクラ・プラハ ( チェコ )
1992〜96 : スパルタ・プラハ ( チェコ )
1996〜01 : ラツィオ ( イタリア )
2001〜 : ユベントス ( イタリア )

■個人タイトル
2003年

欧州年間最優秀選手 ( バロンドール ) 
世界年間最優秀選手 ( ワールドサッカー誌 選出)

チェコのフットボール史上最高選手とうたわれている。
脅威のスタミナで中盤のすべてを支配する欧州最高峰のMF。
そのプレースタイルは優雅とさえ言い難いが、ロボットとも表される正確でパワフルかつスピーディーな動きは実に効果的。ネドベドとマッチアップするプレーヤーは、なんのトリックも使われず力でねじ伏せられてしまうのだから、もはやしようがない。
元々は左サイドの攻撃的な選手として売り出したが、不屈の精神を象徴するとも言われる驚異的なスタミナを武器に、攻守全ての場面に姿を見せるため、2列目なら右でも真ん中でもこなせる。

パベル・ネドベドは1972年8月30日、当時のチェコスロバキアはヘップにプロサッカー選手の息子として生を受けた。
その父の影響もありパベルはほどなくしてサッカーへとのめり込んでゆくこととなる。
1991年には兵役を終えデュクラ・プラハへと入団。
デビューシーズンから素晴らしい活躍を披露し、翌シーズンにはチェコ随一の名門スパルタ・プラハへと引き抜かれ国内最高の名手へと成長を遂げてゆく。
そして迎えた1996年欧州選手権。ネドベドを始めとする優秀な若手選手が数多く集まったチェコ代表は並み居る強豪を下し、なんと決勝戦にまで進出。
決勝ではドイツ代表FWオリバー・ビアホフの2ゴールの前に敗れ去り準優勝に終わったが、大会終了後の海外移籍への試金石とした。
 1996年オフに数多くあったであろうオファーの中からラツィオを選択。イタリアの地で躍進を遂げる。
移籍初年度よりレギュラーポジションを手中に収めると、1999/00シーズンにはクラブにとって念願だったスクデット獲得、更にはコパ・イタリア杯も制し2冠を達成。ラツィオの黄金期を支える。
2001年にはチームの財政難もありユベントスへと移籍したが、ネドベドはジネディーヌ・ジダンの抜けた穴をまったく感じさせない働きを見せチームを更なる高みへと牽引。特に2002/03シーズンの活躍は驚異的と言う他なく、怪我人を多く抱えたチーム状態ながらほぼすべての試合で90分間を戦い抜き、勝負どころでは数多くの貴重なゴールをマーク。2シーズン連続でスクデット獲得を果たした。しかし同シーズンのUEFAチャンピオンズリーグでは決勝進出の原動力となりながらも累積警告で決勝戦には出場できず。ユベントスはミランの前にPK戦で敗れ去るという残念な結果に終わった。
「彼が出場していれば結果は違ったものになっただろう」と数多くの人々が発したが、勝負事において「たられば」は禁句。しかしながら考えずにはいられないのもまた心情というものだ。それがパベル・ネドベドという偉大な存在であれば尚更である。

サッカー選手を目指す前は、国内で最も人気のスポーツであるアイスホッケー選手になるのが夢だった。サッカーを選んだ理由は、ホッケーに比べて用具代が安いから。
無類の努力家として知られる。本人によると、少年時代、家から60マイル(およそ96km)離れたサッカースクールに通っていたという。にも関わらず当時練習時間は毎日12時間を費やしていた。さらに趣味と聞かれると「練習」と言うくらいの練習の虫。
彼自身、好きな選手はポール・スコールズだそうです。

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