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岡田茂会長(東映名誉会長)

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詳細 2020年3月2日 07:38更新

不良性感度映画、東映三角マークを象徴する優れたプロデューサーであり、映画タイトル付けの天才である映画プロデューサー岡田茂さんのコミュニティです。

略歴(Wikipediaより)

岡田 茂(おかだ しげる、1924年3月2日 - )は昭和後期・平成期(1950年代-)の映画プロデューサー、実業家。元東映・東急レクリエーション社長、東映会長、同名誉会長、同相談役を経て2006年7月から再び東映名誉会長。松竹の城戸四郎、東宝の森岩雄が一線を退いてからは「日本映画界のドン」であり、戦後の日本の娯楽産業を創った一人である。広島県賀茂郡西条町(現・東広島市西条)出身。

元三越社長で、ワンマン経営で有名だった岡田茂とは同姓同名だが全くの別人。

中学の頃から身長が180センチ近くあり、遊びと喧嘩に明け暮れた番長だった。一族は酒問屋など事業を手広く行い映画館も持っていた。旧制広島一中(現・広島国泰寺高校)では柔道に熱中。卒業後は旧制広島高校(現・広島大学)に進学。この頃たくさんの本を読む。早く読む能力が身に付き、のちシナリオを読むのに役立ち、自ら「売り物」と言う仕事の速さにも役立った。1944年東京帝国大学経済学部に入学するも待ち構えていたのは学徒出陣。特別幹部候補生として岩沼陸軍航空隊(現在の仙台空港内)で戦闘機の整備の任務に就いた。当地はグラマンに爆撃され古川町(現在の大崎市)に疎開。1945年8月15日、終戦を告げる天皇陛下の玉音放送を小学校の校庭で直立不動で聞く。日本が負けた悔しさと命を落とした多くの学友の無念さを思い生まれて初めて涙した。

終戦後復学。東大では猛者を率いて大学の左傾化を阻止した。卒業後、多くの同期生とは異なる道、「活動屋」の世界に飛び込む決意を固める。決め手となったのは、東横映画(現・東映)の社長で広島一中の先輩だった黒川渉三の「鶏口となるも、牛後となるなかれ、だよ。岡田君」という一言であった。その言葉に違わず当時の映画業界は豪放磊落な人間が集う場だったという。当時の東横映画は従業員が100人程の新参者で、その存在も知る人は少なく、リスクの大きい映画会社に銀行は融資を渋り、黒川社長は街の金融業者から資金を調達。そのため毎日社長室の前には、取立ての業者が列をなしていた。現場も独特の雰囲気があり、監督や作家などの文化人と一緒に、普通にヤクザやチンピラも混じっているような世界だった。

雑用係からキャリアをスタートさせたが、まわりは岡田を大学出の文学青年ぐらいにしか思ってなかったようで、よく言いがかりを付けられたが、売られた喧嘩は絶対に買った。当時、製作のトップにいたマキノ光雄に師事。1948年、進行主任に昇格。以前から温めていた企画、戦死した学友達の話を後世に残さなければならない、と戦没学生の遺稿集「はるかなる山河」の映画化を決意。東大全学連の急先鋒・氏家齋一郎(のち日本テレビ社長)がクレームを付けたり、会社の看板スターで役員でもあった片岡千恵蔵、月形龍之介とも「会社が潰れかかっているのに、この企画では客は来ない」と猛反対されたりした。当時は大物役者がノーと言えば映画は作れない時代だった。絶対にこの映画は当たると大見得えを切り、マキノの助け舟もあって1950年、映画は完成。タイトルを「日本戦歿学生の手記 きけ、わだつみの声」に変更し公開。珠玉の反戦映画、と評価を得て大ヒット。しかし当時まだ配給網を持っていなかった東横映画には、あまりお金が入ってこなかった。

1949年、借金の膨らんだ東横映画は東京映画配給、大泉映画と合併し東映として新しくスタート。社長には東急専務で経理のプロ・大川博が就任しコストダウンを推進。同年入社4年目、27歳で京都撮影所製作課長に抜擢される。撮影所製作課長は撮影現場の総指揮者である。更に大川社長に呼ばれ「今後、製作の予算は私と君で決める」と高く評価され、自分の上にまだ多くの上司がいるのにも関わらず、予算の全権を握り制作費から役者の出演料まで決める実質東映のゼネラルマネージャーのような存在となった。1954年から他社に先駆け大川の断行で二本立て興行を開始。現場は多忙を極めこの年世界一の103本の映画を製作。その甲斐あって東映の専門館が増え会社は大きく飛躍した。当時の少年誌に掲載された人気の冒険活劇を題材に中村錦之助、大友柳太郎主演の「笛吹童子」シリーズ、東千代之介主演の「里見八犬伝」シリーズなどをヒットさせ“時代劇の東映”の地位を確固たるものとした。また当時、山口組の田岡一雄組長がマネージメントをしていた美空ひばりをマキノとともに引き抜き、ひばり&錦之助のコンビで大いに売り出した。1956年には年間配給収入でトップとなった。この年には本格的な動画(アニメーション)の製作に乗り出すため、日動映画を買収し東映動画(現・東映アニメーション)を設立。さらに他社に先駆け、日本短波放送、旺文社などと東京教育テレビ(現・テレビ朝日)を設立、テレビ放送事業にも乗り出した。この頃東映は系列40社、従業員7000人の企業グループとなっていた。

1960年、拡大路線を推進する大川が第二東映を設立、大量生産は限度を越え現場の不満、鬱憤は爆発寸前で勢いに翳りが出始めた。翌1961年、第二東映は吸収。この年京都撮影所長。山城新伍主演でTV制作した「白馬童子」が人気を得ると、将来のTVの普及を予想しTV制作を増やす。1962年取締役東京撮影所長に就任すると低迷していた東映現代劇をアクション路線で復活させる。佐伯清などのベテラン監督を切り深作欣二、佐藤純彌、渡辺祐介、瀬川昌治、降旗康男や新東宝から引き抜いた石井輝男ら若い才能を抜擢した。その後、東映を『時代劇』路線から俊藤浩滋と組んで「人生劇場 飛車角」を初めとする『任侠映画』路線に転換させる。日活など他社も追随した。この頃藤純子主演の「緋牡丹博徒」など、タイトルの大半は岡田が考えたもので「大奥○秘物語」の○の中に秘を書くマークは今は一般的に使われるがこれも岡田が考えたものである。「人生劇場 飛車角」で鶴田浩二を「網走番外地」で高倉健を「不良番長シリーズ」で梅宮辰夫を売り出す。筋金入りの清純派、佐久間良子の裸のシーンを売り物に田坂具隆監督で「五番町夕霧楼」を大ヒットさせた。

1964年、大川の命で時代劇の衰退した京都撮影所長に再び戻る。揉めに揉めたものの大リストラを断行し2100人いた人員を一気に900人に減らした。この年テレビ用時代劇の制作を行う東映京都テレビプロダクションを設立。大川橋蔵の「銭形平次」や「水戸黄門」を生んだ。当時他の映画会社はテレビを揶揄し、おかげで東映のシェアは50%超を占め現在も40%台を確保し大きな柱となっている。東映はこの年、東急グループを離脱した。京都でも任侠路線に転換し北島三郎の「兄弟仁義」、藤純子の「緋牡丹博徒」などを大ヒットさせた。俊藤プロデューサーの娘・藤純子を映画界入りさせたのも岡田である。1966年常務、1968年映画本部長、1971年、大川の逝去により社長に就任すると不採算の東映フライヤーズと、大川の息子・毅が経営し全国32あった東映ボウリングセンターの大半を売り合理化をさらに推進した。

一方では多角化を推進しTVの普及で苦しむ他者を尻目に、TVに吸い込まれないお客を取り込み〔不良性感度〕映画を標榜。菅原文太の「仁義なき戦い」を初めとする『実録路線』や『エロ・グロ映画』を他社に先駆け量産した。抜擢した天尾完次プロデューサーが、石井輝男や鈴木則文とのコンビで初めて“ポルノ”と言う言葉を作り、石井の“異常性愛路線”のスタートとなった三原葉子、谷なおみらの「徳川女系図」、池玲子、杉本美樹、大信田礼子らの「女番長・ずべ公番長シリーズ」、梶芽衣子、多岐川裕美、夏樹陽子らの「女囚さそりシリーズ」などのエロ映画・ピンク映画を量産した。タランティーノの影響からか、これらは近年プログラムピクチャーと称され、海外で続々DVD化されており再評価(初評価)が進む。1970年前後には他社の二倍近い興行収入を上げた。これらが飽きられると「トラック野郎シリーズ」や角川映画と組んで「人間の証明」、「セーラー服と機関銃」、「魔界転生」、「麻雀放浪記」など、フランスで大ヒットした「新幹線大爆破」、カンヌ国際映画祭でグランプリを獲った「楢山節考」など、フジテレビを退社した五社英雄を起用し「鬼龍院花子の生涯」、「極道の妻たち」シリーズなどの名作、「バトル・ロワイアル」などの問題作を生んだ。また苦戦していた系列の東映動画に中学時代から進学も就職も一緒だった親友の今田智憲を社長に据え巻き返しを図り「マジンガーZ」、「銀河鉄道999」、「ドラゴンボール」など優れた作品を生み日本アニメの海外進出の大きな推進役となった。またここからは、宮崎駿、高畑勲など優れた才能を生んだ。

TV制作では「暴れん坊将軍」・「遠山の金さん」などの時代劇、「さすらい刑事旅情編」に始まる刑事シリーズ、初の2時間ドラマ「土曜ワイド劇場」や「仮面ライダー」、「人造人間キカイダー」などの特撮変身ヒーローもの、「秘密戦隊ゴレンジャー」などのスーパー戦隊シリーズ、「宇宙刑事ギャバン」から始まるメタルヒーローシリーズなどを生み出した。仮面ライダーから始まった版権ビジネスは、現在キャラクター商品の名称で一般的によく知られ、今も大きな収益源となっている。また安い制作費で映画を作るため東映ビデオの前進である東映セントラルフィルム(現・セントラルアーツ)を設立。ここからはカラオケビデオや『Vシネマ』、松田優作の「遊戯シリーズ」、「ドラマ探偵物語」、「あぶない刑事シリーズ」、「泥の河」、「竜二」、「ビーバップハイスクール」などを生んだ。東映製作では「柳生一族の陰謀」、「二百三高地」などの大作を生んだ。1975年には日本でのテーマパークのはしりとも言うべき『東映太秦映画村』をオープンした。戦後の日本の娯楽産業を創った一人である。

親分肌で豪放な性格で知られ「仁義なき戦い」の広島弁は岡田の社内での罵詈雑言を脚本の笠原和夫が参考にした、という逸話を持つ。また付き合いの広さでも知られ、映画・芸能界のみならず多く経済界と交流を持った。早稲田大学出身で縁の無い小渕恵三の後援会が無いと知ると、可哀そうだと早大出身者に呼びかけて作った。また岡田を慕う人達が多く岡田一家と呼ばれたりした。日本映画製作者連盟会長、映画産業団体連合会会長、テレビ朝日会長、(株)東急レクリエーション代表取締役会長など多くの要職に就く。最近は各地の映画祭などで、このような東映映画史を面白おかしく講演して好評である。長男は「赤頭巾ちゃん気をつけて」や「実録三億円事件・時効成立」の名演などで知られる元俳優で現東映社長の岡田裕介。生命倫理学者、高木美也子は娘。  

2006年7月、三代目社長だった高岩淡が取締役相談役に退き、岡田茂82歳で名誉会長として再登板。結果、社長・岡田裕介と岡田家のワンツー体制となっている。

作品歴

1950.06.15 日本戦歿学生の手記 きけ、わだつみの声  東横  ... 製作担当
1951.11.02 八ツ墓村  東映京都  ... 企画
1956.01.15 赤穂浪士 天の巻 地の巻  東映京都  ... 企画
1962.11.02 ギャング対Gメン  東映東京  ... 企画
1963.01.15 暗黒街の顔役 十一人のギャング  東映東京  ... 企画
1963.02.23 ギャング対Gメン 集団金庫破り  東映東京  ... 企画
1963.03.16 人生劇場 飛車角  東映東京  ... 企画
1963.05.25 人生劇場 続飛車角  東映東京  ... 企画
1963.06.22 親分を倒せ  東映東京  ... 企画
1963.07.13 暗黒街最大の決闘  東映東京  ... 企画
1963.08.07 暴力団  東映東京  ... 企画
1964.01.01 東京ギャング対香港ギャング  東映東京  ... 企画
1964.01.09 地獄命令  東映東京  ... 企画
1964.03.01 人生劇場 新・飛車角  東映東京  ... 企画
1964.03.12 二匹の牝犬  東映東京  ... 企画
1964.07.11 博徒  東映京都  ... 企画
1964.10.21 監獄博徒  東映京都  ... 企画
1964.12.12 幕末残酷物語  東映京都  ... 企画
1964.12.24 博徒対テキ屋  東映京都  ... 企画
1965.01.03 徳川家康  東映京都  ... 企画
1965.04.10 冷飯とおさんとちゃん  東映京都  ... 企画
1965.09.04 宮本武蔵 巌流島の決斗  東映京都  ... 企画
1965.12.18 隠密侍危機一発  東映京都  ... 企画
1966.01.26 小判鮫 お役者仁義  東映京都  ... 企画
1966.04.13 のれん一代 女侠  東映京都  ... 企画
1966.06.12 悪童  東映京都  ... 企画
1966.06.12 骨までしゃぶる  東映京都  ... 企画
1966.12.13 冒険大活劇 黄金の盗賊  東映京都  ... 企画
1966.12.21 怪竜大決戦  東映京都  ... 企画
1967.06.03 あゝ同期の桜  東映京都  ... 企画
1967.06.17 日本暗黒史 血の抗争  東映京都  ... 企画
1967.07.30 大奥(秘)物語  東映京都  ... 企画
1967.10.10 銭形平次  東映京都  ... 企画
1967.11.01 続大奥(秘)物語  東映京都  ... 企画
1967.12.16 十一人の侍  東映京都  ... 企画
1968.01.03 人間魚雷 あゝ回天特別攻撃隊  東映京都  ... 企画
1968.01.14 日本暗黒史 情無用  東映京都  ... 企画
1968.02.22 尼寺(秘)物語  東映京都  ... 企画
1968.05.01 徳川女系図  東映京都  ... 企画
1968.05.21 産業スパイ  東映京都  ... 企画
1968.06.28 温泉あんま芸者  東映京都  ... 企画
1968.07.12 怪猫呪いの沼  東映京都  ... 企画
1968.09.28 徳川女刑罰史  東映京都  ... 企画
1968.10.12 妖艶毒婦伝 般若のお百  東映京都  ... 企画
1968.11.16 大奥絵巻  東映京都  ... 企画
1969.01.09 残酷異常虐待物語 元禄女系図  東映京都  ... 企画
1969.01.18 にっぽん’69 セックス猟奇地帯  東映京都  ... 企画
1969.02.21 異常性愛記録 ハレンチ  東映京都  ... 企画
1969.05.02 徳川いれずみ師 責め地獄  東映京都  ... 企画
1969.05.24 おんな侠客卍  東映京都  ... 企画
1969.06.27 やくざ刑罰史 私刑  東映京都  ... 企画
1969.06.27 温泉ポン引女中  東映京都  ... 企画
1969.08.27 明治大正昭和 猟奇女犯罪史  東映京都  ... 企画
1969.10.31 江戸川乱歩全集 恐怖奇形人間  東映京都  ... 企画
1970.01.31 殺し屋人別帳  東映京都  ... 企画
1970.04.10 監獄人別帳  東映京都  ... 企画
1970.06.13 三匹の牝蜂  東映京都  ... 企画
1970.08.14 温泉こんにゃく芸者  東映京都  ... 企画
1970.10.17 喜劇 ギャンブル必勝法  東映京都  ... 企画
1970.11.21 (秘)女子大寮  東映京都  ... 企画
1971.01.12 驚異のドキュメント 日本浴場物語  東映京都  ... 企画
1971.04.16 すいばれ一家 男になりたい  東映京都  ... 企画
1971.07.03 温泉みみず芸者  東映京都  ... 企画
1971.08.26 喜劇 トルコ風呂 王将戦  東映京都  ... 企画
1971.10.14 セックスドキュメント 性倒錯の世界  東映京都  ... 企画
1971.10.27 女番長ブルース 牝蜂の逆襲  東映京都  ... 企画
1972.03.04 関東緋桜一家  東映京都
1974.09.14 あゝ決戦航空隊  東映京都
1977.01.22 やくざ戦争 日本の首領  東映京都
1978.12.23 燃える秋  東宝映画=三越  ... 企画
1980.04.05 甦れ魔女  東映=モスフィルム=ソヴンフィルム合作公...
1990.08.03 オーロラの下で  東映=テレビ朝日=モスフィルムスタジオ=...  ... 総指揮
1991.01.26 動天  トーメン

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2006年10月21日

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カテゴリ
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