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こむろのおっちゃん。

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詳細 2024年1月22日 00:02更新

スピードウェイからTMネットワーク・TMNを経て、九十年代後半に音楽プロデューサーとして日本の音楽シーンをダンスミュージックで席巻させた小室哲哉ことTK。

飽きられたのかネタのストックが切れたのか走る気力が萎えたのか、近年は活動も地味ですが・・・

そんなTKを再考するとともに、TKにエールを送るコミュです。

V2、渡辺美里、中山美穂、中森明菜、松田聖子、観月ありさ、宮沢りえ、内田有紀、篠原涼子、TRF、安室奈美絵、華原朋美、hitomi、トーコ、dos、キス・デスティネーション、大賀埜々、円谷優子、未来玲可、H-Jungle、甲斐よしひろ、鈴木あみ、GABALL・・・

なんだか全員、ギャグみたいですけど・・・

あと、globeねwwww

カラオケ文化の日本で荒稼ぎして、香港でビジネス失敗して、吉田麻美と離婚して愛娘琴梨ちゃんの慰謝料を払い続けるために、ついにショボい詐欺まで働き、容疑者として逮捕された、TK。

KEIKOとの結婚生活も暗雲が差してきたびみょーなTK。。。

ついに、KEIKOの介護に疲れたから引退しますと芸能界から脱走してしまいました。

でも、KEIKOとは離婚調停中。さげまんKEIKOととっとと別れて、新恋人であり、絶賛同棲中の看護婦と四度目の結婚を企てているしたたかなTK。

老いてますます盛んなおっちゃん。

現時点では最後となる愛弟子浅倉大介とのユニットPandoraはほぼ浅倉大介に丸投げして、自分はスーパーバイザーとしてひょっこりいただけだったり。

音楽家としての賞味期限は息絶え絶えですが、KEIKOとの離婚が無事に済めば、またひょっこりと音楽業界に舞い戻ってきて、ライブとか配信なんてやるかもしれないですね。

全てはKEIKOとの離婚次第。ホント、ダメオヤジ。

マークパンサー(本名・坂井龍一)のほうはカミさんこそ薬物で逮捕されたものの、2人の娘に囲まれて健康食品ビジネスもぼちぼちで、したたかにやってるとゆーオチ。

いまやすっかりDJ姿も板についた、いんちき外人マークパンサー。globeの灯火をひとりで守るマーク。もはや、globeはマークの単独ユニットといっても過言はない。

そして、マークだけが残されたという小室ファミリーの限界集落みたいなglobeは軌道を外れて太陽系から飛び出してしまったかのよう。3人がステージに舞い戻って来ることはあるのだろうか?

カムバック、TK!

そんなTKをプッシュしていきましょうww


■オフィシャルサイト■
https://avex.jp/tk/

■GABALL■
http://www.youtube.com/watch?v=jiqjCAc0CFM&mode=related&search=komuro


□TKウィキ□
昭和61年に渡辺美里に作曲家として提供した「My Revolution」で日本レコード大賞作曲賞を受賞。小室自身の音楽ユニット「TM NETWORK」も、62年の「Get Wild」がヒットし一躍人気バンドになった。作曲家として多くの歌手に曲を提供する一方、自身も平成元年に歌手として「RUNNING TO HORIZON」でデビュー、オリコンシングルチャート1位に入った。

平成6年にTMN終了前後から、篠原涼子、trf、hitomi、dos、globe、華原朋美、安室奈美恵、tohko、鈴木あみなど、多くの音楽をプロデュースし、数々のミリオンセラーやヒット曲を世に出した。当時、「小室ファミリー」「小室サウンド」などと呼ばれ、社会現象になった。

◆おっちゃんの引退会見◆
報道により、KEIKOやファンのみなさまにご心配おかけしたこと、相手の方にご迷惑をおかけしたことをお詫びすると同時に、僕なりのこの騒動のけじめとして、引退を決意しました。

話を2009年までさかのぼらせていただきます。僕は事件で有罪判決(懲役執行3年、猶予5年)を受けました。そして2011年10月、妻の突然の病気(くも膜下出血)。予期せぬことではありました。因果関係もお医者さまにもわからないんですけど……。

幸いKEIKOに身体的な後遺症はなかったのですが、脳の方にちょっと障害が残りました。少し、欲がなくなってしまったりとか、僕から見て、女性から女の子という、すごくやさしい性格になったのかなと初期はそう思いました。(中略)

今年で7年目になるんですが、初期の頃、何とか無理やりレコーディングスタジオに連れて行き、KEIKOの心境を僕が歌詞にした歌を何とか録音したことがあります。未発表曲になっておりますけど。それ以降は「もういいよね」ということで、ほぼ歌うことということはなくなりました。それが現状です。

これも恥ずかしい話なんですが、今は彼女は小学4年生くらいの漢字のドリルとかが楽しいみたいです。すべてがそういうレベルでは全くないですけど……。(中略)

2年ほど前、1カ月ほど仕事が忙しかったということがあり、僕はなぜかわからないですけども、C型肝炎になりました。結局2人でいると、お互い闘病みたいな形になってしまい、当たり前ですが、KEIKOは普通の家庭の奥さんではないので、僕の看病、見舞い、言葉をかける、という行為はなかなか難しい状況で、1人で闘病をしていました。(中略)

おかげさまでC型肝炎が陰性になりまして、仕事に復帰した2016年くらいから、病気の副作用もありまして、突発性難聴に近いものに僕がなりまして、現在も左の耳がほぼ聴こえないです。

今もキーンという音が鳴りっぱなしで、ストレスだろう、ということしかわからないみたいです。診断書によると、ストレスによる摂食障害、それから睡眠障害みたいなことで、8月に入院を1人でしました。(中略)

その中で、報道されたA子さんは早朝、病院の昼休みであったりとか、時には深夜イベント終了後であったり、ホテルとかに往診に来てくれることが度々、増えてきました。(中略)

それから、非常にお恥ずかしい話なんですけれども、僕が男性としての女性を呼び込みたいというような欲求というものとはちょっとかけ離れていまして……。(中略)

罪を償うとともに、自分の身体的な限界であるとか、この音楽界、エンターテイメント界に僕の才能がほんとうに必要なのか。もはやここまでだな。音楽の新しさみたいなものを作れるものがあるのかな、という自問自答を続けてきました。(週刊文春に)報道していただき、僕は音楽の道を退くことが私の罪滅ぼしであると思いました。(中略)

ほんとは芸能人になりたかったんじゃなくて、音楽をやりたくて始めた。自分もヒット曲をつくる人間なんだと思ってやっていたのではなく、好きな音楽をやれたらいいなと思ってやっていたのですが、90年代の自分でもまったく想像もつかない(CDの販売)枚数であったり、売り上げであったりとか、そういうことによっての過信、慢心があった。

それから20年以上が経っているので、枯渇している能力、自分でも飽きてきている、みなさんも飽きてきているのに、認識の甘さがありました。

(週刊文春の)取材を受けてまだ5日しかたっていません。今後の生き方は少し時間をいただいて、KEIKOとのことを含めて考えていきたいと思います。勝手な苦渋の決断ではあります。今回のお騒がせした中での僕なりの償いはこれが精一杯です。

これからどれほど生活水準とかそういうことが下がったりとかははかり知れません。まったく、わからないですが、ただ、こういった場所でみなさんから注目していただけるようなことはもしかして、これが最後かなと思っています。実直に受け入れようと思っています。TMネットワークから始まって35年になりますが、ほんとうにみなさんありがとうございます。心から感謝しています。(中略)

――精神的な支えということもあったんですか?

かなりありました。ほんとにお恥ずかしい話ですが、5年、6年前から普通の男性としての能力というのがなくて、精神的なものの支えが必要だったと思います。(中略)

――音楽生活を振り返って?

93年、94年から2000年くらいがブームだったと思うんですけれども。それが、一番基準になりまして、それを超えることはできないですし、それを下回ると期待に応えられないという感覚ですね。あの時代の曲は素晴らしいねと言ってくださる方が一番多いので。そのレベルというのは時代の流れもありますが、あれを基準にしてしまう。そこから上じゃないと。枚数ではないんですが、それとの比較というんですかね。何かこの時代、何をもってミリオンセラーというのか、数字が定まってないので、それを模索するというのは難しいんですけど。

――A子さんには愛情に近いものなんですか。

どうなのかな。作詩でも愛という言葉を使うことが多いんですけれども、あまりに広すぎて、例えばですけど、KEIKOも最初の時には恋愛感情ではなかった。globeという、ボーカリストとしての愛情だったし、結婚してから恋愛感情というものは当然あったと思いますし、病気になってからはそういった愛情ではなくて、無償の愛という言い方なのかわかりませんけど、何がどうあれ、いとおしいというような愛情であったりとか。ひとりの人でもそれだけ変わるので、この短い時間で表現するのは難しい。(中略)

僕たった一人の人間の言動などぜんぜん、日本であったり、社会が動くとはまったく思ってませんが、先ほども言いましたように、高齢化社会に向けて、介護の大変さであったりとか、それから社会のこの時代のストレスであったりだとか、少しずつですけれど、この 10 年でふれてきているのかなと思っているので、こういったことを発信することで、この日本を何かいい方向に、少しでもみなさんが幸せになる方向に動いてくれたらいいなと、心から思っております。微力ですが、少し何か、響けばいいなと思っております。ありがとうございます。

https://dot.asahi.com/amp/wa/2018011900092.html

◆おっちゃんのコメント◆
「この度は本当にご迷惑をおかけしました。被害者の方には、あらためて深くおわびいたします。これから家族と共にできる限り早く償いをし、しばらくは表舞台には出られませんが、一日でも早く音楽活動をやらせていただきたいと存じます。ファンの方々に待っていただければ最高に幸せです」

「私、小室哲哉はまもなく50歳になります。40歳になるころ、100万人コンサートにキーボードプレーヤーとして参加しました。10年後に皆様に迷惑をかけ、大きな罪を犯すことになるとは思ってもみませんでしたが、そのころから、1人の音楽家というレールから、車輪が狂ったようにもう1本のレールをたどっていました。それは計画性のない、不まじめなレールでした。リフレインされている、暴走しかすべのない列車。客席は空席だらけになり、皆様にブレーキをかけていただいて、虚構の列車はやっと止まりました。
もう1本のレールはあまりにも遠くに行ってしまい、今、私は拘置所で生活しています。社会への甘えや思い上がりがありました。被害者の方の希望、夢をお返ししなければならないと思います。私は自分の楽曲の中で『チャンス』というフレーズを何度も使ってきましたが、その重みを理解しました。チャンスを与えてもらえないでしょうか。音楽を作らせてもらえないでしょうか。必ず新しい音楽をお見せすることを誓います。11月20日 小室哲哉」

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