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平和主義 pacifism コミュの軍命令の集団自決はお金目当ての捏造だった...

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コミュ内全体

こんな記事見つけたので紹介しておきます
お金が目的で、軍命令を捏造したようですよ
命令書は軍が協力して作ったみたい...

敗戦時のドサクサでの事実は、もう一度検証することも必要ではないでしょうか?


「軍命令は創作」初証言 渡嘉敷島集団自決 元琉球政府の照屋昇雄さん
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/natnews/topics/16661/
−−引用開始−−
−−集団自決を軍命令とした経緯は
 「何とか援護金を取らせようと調査し、(厚生省の)援護課に社会局長もわれわれも『この島は貧困にあえいでいるから出してくれないか』と頼んだ。南方連絡事務所の人は泣きながらお願いしていた。でも厚生省が『だめだ。日本にはたくさん(自決した人が)いる』と突っぱねた。『軍隊の隊長の命令なら救うことはできるのか』と聞くと、厚生省も『いいですよ』と認めてくれた」
 −−赤松元大尉の反応は
 「厚生省の課長から『赤松さんが村を救うため、十字架を背負うと言ってくれた』と言われた。喜んだ(当時の)玉井喜八村長が赤松さんに会いに行ったら『隊長命令とする命令書を作ってくれ。そしたら判を押してサインする』と言ってくれたそうだ。赤松隊長は、重い十字架を背負ってくれた」
 「私が資料を読み、もう一人の担当が『住民に告ぐ』とする自決を命令した形にする文書を作った。『死して国のためにご奉公せよ』といったようなことを書いたと思う。しかし、金を取るためにこんなことをやったなんてことが出たら大変なことになってしまう。私、もう一人の担当者、さらに玉井村長とともに『この話は墓場まで持っていこう』と誓った」
−−引用終了−−

コメント(200)

韓国でも、強制はなかったと主張する教授がいるようです。興味深いですね


・ソウル大教授が「慰安婦強制動員、土地収奪はなかったと言明」 〜盲目的反日主義から脱せるのか〜http://ameblo.jp/lancer1/entry-10021177130.html
−−引用開始−−
安教授はこの日のインタビューで、慰安婦がいたことを否定する人はないとしながらも、「問題は強制動員だ。強制動員されたという一部の慰安婦経験者の証言はあるが、韓日とも客観的資料は一つもない」として、慰安婦動員の「自発性」を強調した。

 記録がないからといって強制性に対する評価を留保するのは間違いではないか、という司会者の質問に安教授は、「軍隊慰安婦や一般慰安婦の生活は悲惨きわまりない。私たちはそのことに目を閉ざしてはならない。韓国にも私娼窟という慰安婦が多数いるが、そうしたことを無くすためには、なぜそのような現象が発生するのかを研究せねばならない。無条件強制によってそうした現象が起きる、とは考えられない」などと、とんでもない返事をした。

 安教授は更に、慰安婦業者のうち半分は朝鮮人だったとして、「(当時)朝鮮人が何の権力で強制的に動員したというのか」と主張したりした。

 安教授はただ、軍が強制動員した可能性があると思って自分は韓国挺身隊問題対策協議会と共同で調査をしたと明らかにしたうえで、「3年活動してからやめた理由は、彼ら(挺身隊対策協)の目的が慰安婦の本質を把握して今日の悲惨な慰安婦現象を防止することではなく、日本とケンカすることだったからだ」と主張した。そんな調子の反日運動が今日の私たちにとって何の意味があるのか、という疑問から挺身隊対策協との活動をやめたということだった。
−−引用終了−−
以前中国に留学しておりまして、
南京大虐殺記念館や盧溝橋の抗日戦争記念館へ行ったりもしました。

当時、私の通っていた大学から、北京大学や清華大学等が近かったので、
それらの大学に通う中国人学生と交流をもっていたのですが、
少なくとも、中国の大学生は事件について否定的な人が多かったですね。
中でも海外への留学経験のある人に、否定的態度が目立ちました。

各々が世界各地へ留学した際に、
本国では目にする事の出来ない資料等から知識を得、
自分達なりに咀嚼した結果、
中国政府見解に対して否定的な結論に達したようです。

ただ、あれらの博物館に展示してある人骨については、大学生に限らずかなりの人が、文革及び大躍進で亡くなられた人の人骨だという認識だそうです。

否定的と言っても、虐殺云々が皆無という事ではありません。
ただ、中国政府の喧伝するものとは随分かけ離れているのではないか?
という事です。

あと、曖昧な証言のみで、信頼に足る資料が皆無だとも言っていましたね。

普段は見ているだけなのですが、南京事件にまで話が及んできたのでつい。

お目汚しでした。
 結局,いわゆる「従軍慰安婦」については,物証は存在しない,ということでよろしいのでしょうか?
従軍慰安婦問題についてはこちらのトピックでしたね
これって、お得意の「証言」なんだよね。

検証が進むといいですね。
続報です

教科書に記述されてきた、捏造の歴史を正していく必要があります

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070330-00000121-jij-soci
−−引用開始−−
日本軍「強制」は修正=沖縄戦の集団自決−高校教科書の検定結果・文科省

 文部科学省は30日、主に高校2年生以上が来春から使用する教科書の検定結果を発表した。日本史で、太平洋戦争末期の沖縄戦の際、日本軍による強制で住民が集団自決したとする記述すべてに検定意見が付き、各教科書会社は「日本軍により」という部分を削ったり、「自決した住民もいた」という表現などに修正したりした。理科や数学では、学習指導要領の範囲を超える「発展的内容」が倍増した。
 沖縄戦の集団自決を扱ったのは6社8点。うち5社7点に「実態について誤解するおそれのある表現」と意見が付き、「日本軍に集団自決を強制された人もいた」が「集団自決に追い込まれた人々もいた」(清水書院)などに改められた。
 2005年度(主に高校1年生対象)は申請段階から今回意見が付けられたような記述がなかったが、04年度は「日本軍に…『集団自決』を強制されたりした」と記述した中学の歴史教科書が合格している。
 文科省は「以前から(命令や強制はなかったとする)反対説との間で争いがあり、軍の命令があったと断定するのは不適切で、今回から意見を付けた」と説明している。 
−−引用終了−−
また新証言が出てきたようです

http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/natnews/124782/
−−引用開始−−
沖縄集団自決、隊長はいさめた 軍強制説否定する新証言

沖縄県座間味島で起きた集団自決をめぐり、同島の村長が日本軍の隊長に集団自決をいさめられ、自決のために集まった住民に解散を指示していたことが、当時の防衛隊員の証言で明らかになった。教科書などで誤り伝えられている「日本軍強制(命令)」説を否定する有力な証言といえそうだ。
 証言したのは、座間味村で民宿などを経営する宮平秀幸さん(78)。沖縄戦(昭和20年3〜6月)の当初、15歳の防衛隊員として、同島に駐屯した海上挺進隊第1戦隊長、梅沢裕少佐の伝令役を務めていた。
 宮平さんによると、同島に米軍が上陸する前日の昭和20年3月25日午後10時ごろ、野村正次郎村長、宮里盛秀助役ら村三役と国民学校長、役場職員、女子青年団の宮城初江さんが、梅沢少佐のいる本部壕を訪ねた。
 そこで、宮里助役らは「明日はいよいよ米軍が上陸する。鬼畜米英にけだもののように扱われるより、日本軍の手によって死んだ方がいい」「すでに、住民は自決するため、忠魂碑前に集まっている」などと梅沢少佐に頼み、自決用の弾薬や手榴(しゅりゅう)弾、毒薬などの提供を求めた。
 これに対し、梅沢少佐は「そんなものは渡せない。われわれの役目はあなた方を守ることだ。なぜ自決させなければならないのか。ただちに、集まった住民を解散させ、避難させよ」と命じた。
 村側はなお懇願し、30分くらい押し問答が続いたが、梅沢少佐が「おれの言うことが聞けないのか」と弾薬類の提供を強く拒否したため、村の幹部らはあきらめ、忠魂碑前に向かった。
 同日午後11時ごろ、忠魂碑前に集まった約80人の住民に対し、野村村長は「部隊長(梅沢少佐)に自決用の弾薬類をもらいにいったが、もらえなかった。みなさん、自決のために集まってもらったが、ここでは死ねないので、解散する」と話した。このため、住民たちはそれぞれの家族の壕に引き返したという。
 宮平さんは「私は、本部壕での村側と梅沢隊長のやりとりと、忠魂碑前での野村村長の指示をすぐ近くで聞いていた」と話す。
 その後、村長ら村三役や国民学校長らとその家族はそれぞれの壕で集団自決したが、宮平さんら多くの住民は自決を思いとどまり、翌26日に上陸してきた米軍に捕らえられるなどした。宮平さんは米軍の迫撃砲で左足を負傷し、自分の家族の壕に戻ったところを米軍に見つかったという。
 宮平さんはまた、梅沢少佐の元部下から生前に送られた手記を保存している。そこにも、村三役と国民学校長らが自決用の劇薬、手榴弾、ダイナマイトなどをもらいにきたが、与えるべき武器、弾薬類がなかったことが書かれている。
 宮平さんは戦後、これらの事実を話す機会がなかったが、「昨年、集団自決をめぐる教科書の記述が問題となり、真実を伝えておきたいと思った」と話している。
−−引用終了−−
>171
参考まで、捏造と断言した理由を教えてください
〉173

スルーするつもりでしたが、あまりに酷い言い方なので一言

他者の意見を否定する発言をするなら、あなたはその発言の根拠を説明するべきかと思います。

その私の発言の理由?

「そのくらい自分で考えてください」ととでも私が言ったら、あなたは満足ですか?

どうもあなたの発言は議論が目的というより、某議員さんのところの日記みたいに、ただその人の発言が気に食わないから絡んでるだけにしか見えません。
>173

まあ説明をしないのも、
あなたの自由ですから


しかし、もし、多くの人から賛同を得たいのであれば、
そういった姿勢ではダメでしょうね
いったい、このトピックは、どんな電波を垂れ流しにしてるんですか?

いいですか? 渡嘉敷島を含めた沖縄は、1945年に米軍が上陸して以後、終戦後まで米軍の占領下にあって、その後沖縄が日本に返還される1972年まで、ずっと米国領になってるんです。だから1972年の沖縄返還までに、沖縄に対して日本政府が補助金を交付することはあり得ないんです。1972年までは日本人が沖縄に行くにはパスポートが必要でした。もちろん、日本の高校野球大会に沖縄代表枠が設けられて、沖縄の高校の選手達が日本を訪問したり等の交流はありましたし、同じ日本語圏ですから人や物の行き来も多かったでしょうが、行政府が沖縄に対して援助金などを出すという話になるはずがありません、そんなことをしたらアメリカに対する内政干渉になります。もちろん1972年の沖縄返還時には旧日本軍など存在しておらず、命令書の偽造などできるはずありません。

最近の右翼も、随分偽証や証拠の捏造を増やして日本軍は悪くなかったと言い立てるのがお好きなようですね。南京事件は捏造だとか言う前に、自分も事件を捏造ばかりしていることを反省するべきです、日本人として恥ずかしい。
>177
>いいですか? 渡嘉敷島を含めた沖縄は、1945年に米軍が上陸して以後、終戦後まで米軍の占領下にあって、その後沖縄が日本に返還される1972年まで、ずっと米国領になってるんです。だから1972年の沖縄返還までに、沖縄に対して日本政府が補助金を交付することはあり得ないんです。

>最近の右翼も、随分偽証や証拠の捏造を増やして日本軍は悪くなかったと言い立てるのがお好きなようですね。南京事件は捏造だとか言う前に、自分も事件を捏造ばかりしていることを反省するべきです、日本人として恥ずかしい。


沖縄戦の集団自決をめぐっては、昭和25年に沖縄タイムス社から出版された『鉄の暴風』で、渡嘉敷島と座間味島で守備隊長が命じたと記述。
沖縄県史や多くの出版物に引用され、教科書にも記述されてきた。

しかし、作家の曽野綾子さんが渡嘉敷島を現地取材して48年に出版した『ある神話の背景』で軍命令説に疑問を投げかけたほか、座間味島の生存者の女性が「軍命令による自決なら遺族が遺族年金を受け取れると島の長老に説得され、偽証をした」と話したことを娘が平成13年に著書で明らかにしていた。
http://tururinrinn9614.seesaa.net/archives/200703-1.html

「沖縄タイムス平和ウェブ」
五三年から、沖縄でも支給が始まった援護法による遺族補償。
五三年当時、援護法による遺族年金は当初、配偶者が一万円(年額)、そのほかの遺族一人につき五千円(同)だった。
 その後、軍人軍属の恩給法が復活。その結果、沖縄への恩給・年金の支給額は五三年に四千八百万円だったものが、五四年は五億三千三百万円、五五年、九億七千八百万円と増加。一般人も「戦闘参加者」として適用が本格化した五九年には、初めて三十億円台にのった。

 当時、沖縄で使用されていたB円(米軍発行の円表示B型軍票)に換算すると、一万円は約三千九百三十四B円。五八年、沖縄一人当たりの所得は二万千八百八十七B円(琉球銀行発行「戦後沖縄経済史」)となっていることから、約17・9%に当たる。(抜粋)
<2005年3月10日 朝刊26面>
http://www.okinawatimes.co.jp/sengo60/kiji/dare20050310M_01.html
>作家の曽野綾子さんが渡嘉敷島を現地取材して48年に出版した『ある神話の背景』で軍命令説に疑問を投げかけた

曽野さんがどんな現地取材してるかは知りませんが、もしかして現地の沖縄の人に「軍から自決を命令されましたか?」とでも聞いたんでしょうか。
それなら現地の沖縄の人は、「そんな命令受けてないよ」と答えるでしょうね。だって、軍から自決を命令された人は、おそらく沖縄戦のさいちゅうに自決して死んでしまってますから、証言のしようがありませんし。
アンケート調査におけるサンプル母体の抽出の失敗という典型的なミスをしてますね。曽野さんに悪気は無かったとは思いますが、しかしながら調査としては杜撰と言わざるを得ないでしょう。

>座間味島の生存者の女性が「軍命令による自決なら遺族が遺族年金を受け取れると島の長老に説得され、偽証をした」と話したことを娘が平成13年に著書で明らかにしていた。

証言が全て正確なら、南京で30万人死んだことも事実になってしまいますね。そもそも年金を受け取れるほど死者から縁が近い遺族が(軍命令か否かに関わらず)集団自決をしたという事実自体がダウトですね。そんな遺族が身近にいたのなら、集団自決に参加した人は、その証言した遺族自体を集団自決に巻き込んだはずです。つまりその遺族の身近にいた死者は集団自決に参加したこと自体が虚構になります。
もちろん軍命令の集団自決以外の自決も沖縄には存在しましたし、それにまで軍命令が関わっているとは言えないでしょう。たとえば米兵の証言として、年配の男性を捕虜として保護した。その捕虜を保護した後、食糧を与えたら、その捕虜はご飯を食べながら泣き出した。聞けば、アメリカに捕まったら惨い目に遭わされるという話を聞いて、自分の娘を鎌で殺した後でアメリカに投降したのだという話があるそうです。これなどは、軍命令は関わっていないでしょう。とは言え、住民が米軍に投降しないよう、あらゆるデマを流して投降を阻止した日本軍に、国民保護の意識などあったのか?という点で大きな疑問を感じますが。

>五三年から、沖縄でも支給が始まった援護法による遺族補償

>照屋さんが赤松元大尉に頼んだのは昭和32年、
>沖縄での援護法の事務について「那覇日本政府南方連絡事務所長が行うと」
>正式に取り決めがあったのが昭和33年。

終戦は1945年、昭和20年。その終戦から12年以上が経過しているのに、いきなり軍命令書を偽造できるというのはかなり常識はずれな技術でしょう。軍命令書の書式すら残ってないでしょうし。
(これは違法ですが)、現在流通している紙幣をコピーしなさいと言えば、誰だって簡単にコピーできるでしょう。でも、今はほとんど絶滅寸前の2000円札のコピーを作ってと言われたら、コピーできる人はいないでしょう。10年以上経過して、援護金のために軍命令書をいきなり偽造できるというのは、思いつきの行き当たりばったりでおこなった行為にしては、一流の犯罪組織並の情報収集・偽造技術を持っていたことになりますね。あまりにも論理の筋に無理がありすぎです。
>軍から自決を命令された人は、おそらく沖縄戦のさいちゅうに自決して死んでしまってますから、証言のしようがありませんし。
>
じゃあ「軍に自決せよと命令された人」も自決しているから「軍が自決を命令した」などと証言ができるはずもなし。:-p
矛盾・支離滅裂ここに極まれり。

>軍命令書
>
自決命令書なんて偽造されてません。
手前勝手な妄想だけで先走らないように。
沖縄住民集団自決に関する論争は双方、終始「証言」のみで推移してます。
そして遺族補償等の支援も証言と状況に鑑み支給が為されています。

「軍」としての組織が命令したのか、といえばまるっきり証拠が無い。
避難住民の集団を引率していた一将兵が「もはやこれまで」と住民に説いたかどうかは別問題。
それに乗るかどうかは住民の自由意志。
(だからこそ「兵隊さんに自決を促された」という証言が残り得るわけだし)
すごい電波さんが来たなぁ……。

>米軍のある師団は必要としない捕虜をとらない事で有名でしたし、中国の日本人虐殺は広く報じられていたため、そのような態度をとっても別段おかしくないと言えます。

あのですね。沖縄戦において、沖縄現地住民約40万人のうち、死者10万人。裏を返して言えば、現地住民30万人は捕虜として米軍に収容されています。現地住民と言っても軍に協力する形で軍と一緒に行動していたり、艦砲射撃などの巻き添えで死んだ人も多数いますし、日本軍は最後は首里を捨てて沖縄県民が避難していた沿岸際まで後退して戦闘を継続し、そのために米陸軍の砲撃が現地住民・軍人が混在していた地域に飛んできて巻き添えになって死んだ人も多数いますので、その中にあって捕虜が30万人に留まったというのは、米軍なりに捕虜の待遇に努力したということでしょう。ちなみにこの時、日本軍が首里に留まらず民間人を盾にする形で敗走戦を展開したことについては人道的見地から大きく批判されていますし、「旧日本軍は民間人を守らなかった」と主張する人たちの論拠の一つとなっています。その一方で太田実などは民間人を巻き添えにすることなく戦闘を遂行して戦死し、最後の訣別伝では民間人に非常に配慮した内容となっていたこともあって、今でも非常に評価の高い人となっておりますが、沖縄戦全般の中にあっては太田少将の行動は残念ながら例外といわざるを得ないでしょう。まあ、陸軍側の牛島満などは、中飛行場奪回作戦など、作戦指揮に疑問符がつくことが多かったですが。フィリピン防衛線で、民間人が巻き添えになるマニラ市街戦を放棄して山中に立てこもり、ついに終戦まで戦闘を継続させた山下奉文と比べても、作戦指揮に疑問符が尽くところは多々ありますが。
とは言え、日本の民間人を見殺しにする作戦を展開した日本軍を高く評価し、日本の民間人捕虜30万人の生命維持に万全を期した米軍を貶めるような評価をつけること自体、不当な評価と言えるでしょう。誰があなたを食べさせてあげてるのですか、という問題ですね。

>なぜ、命令書を偽造する必要があるのですか?
「援護金のために軍命令書をいきなり偽造」なんて>>180で突然出てきていますよ。

いいえ。>1で出てきますよ。
>「軍」としての組織が命令したのか、といえばまるっきり証拠が無い。
避難住民の集団を引率していた一将兵が「もはやこれまで」と住民に説いたかどうかは別問題。
>それに乗るかどうかは住民の自由意志。
>(だからこそ「兵隊さんに自決を促された」という証言が残り得るわけだし)

まあ、このあたりがおそらく歴史的事実に近いんじゃないかとは思いますけどね。
少なくとも牛島だの長だの八原だのという名前が出てくるレベルでの命令ではないでしょう。このレベルの人たちが、良い意味でも悪い意味でも沖縄住民の存在を考慮の中に入れていた形跡は、ちょっと見当たりません。積極的に住民保護を施したわけでもないし、そもそも住民保護が軍の作戦行動に影響するという認識自体に欠けていて、自決を命令する場合には必要な、積極的に住民に自決を促せば軍の負担が軽くなるのではという認識にすら至っていない、悪い言い方をすれば民間人はいてもいなくても同じ空気のような存在、と考えていたような雰囲気がします。そう考えると、太田実が訣別電の中で、沖縄住民に関する状況を詳細に伝えようとしたのも、あるいはそういう陸軍側の空気を察して不満を感じていたからかもしれない、なんて説も導き出せそうですね。これはそれこそ、真相は闇の中という部類の話ですが。
それで、沖縄防衛戦は聖戦だったのか?という問題も出てきますし、学校教育の中で太平洋戦争は軍が日本国民を守る戦争だったのかということを教育する過程の中でどういう表現が適切なのか、という問題も出てくる過程の中で、学校教科書の中で端的に沖縄の集団自決と軍の関係をどう説明するか?という問題も出てきます。まあ、それは沖縄のみならず、サイパンのバンザイクリフとかにも共通する問題ですけど。少なくとも捕虜として投降するような教育をほとんどしておらず、輸送手段のほとんどない住民にマラリアが発生する未開地への大規模疎開を命じることで住民保護の責任を良しとする程度の住民保護意識で(今の感覚で言えば、「東京で地震が起きたら仕事場から自宅まで徒歩で帰ってね、行政は国民を保護しませんよ」というような感覚でしょう)、その中にあって住民保護意識の希薄な末端の兵隊から自決を強要された民間人が出たとして、それに軍中央の責任は無いのかという問題になりますよね。現場の役人がした問題であれば、大臣は頭を下げなくても良いのか、辞めなくて良いのかという問題でもありますし、「あたご」が起こした問題は「あたご」の問題で防衛大臣は我関せずで許してしまって良いのか、という問題にもなります。ちょっと、そのあたりでの論理的整合性という点で、納得できない部分も多々あるのは事実ですね。
>それに乗るかどうかは住民の自由意志。

それと、この部分ですよねぇ。
たとえばあなたが沖縄戦の当事者として、「捕虜になったら米軍にひどいことされるよ、男はなぶり殺しで女は慰み者だよ、今なら自決用の手りゅう弾あげるけどどうする?」と言われて、それでどう行動するか。
その上で実際には米軍は、捕虜30万人を保護して、食糧与えて、それどころか感染病予防のために殺虫剤までまいてくれて、生き延びた人はそういう厚遇を受けられて。
それで、あなたが当事者ならどういう行動をして、それで日本軍のことをどう思うかっていうことも考えた方が良いんじゃないですかねぇ。
いくらなんでもあなたの一節は、当事者に対する心情の推察があまりにも浅薄すぎると思います。
>積極的に住民保護を施したわけでもないし、そもそも住民保護が軍の作戦行動に影響するという認識自体に欠けていて、
>
軍は疎開を奨励していましたが、行政の混乱や対馬丸事件等々でなかなか進みませんでした。
(実際には対馬丸以降、疎開船の撃沈は無かったそうですが。)

それでいよいよ間に合わなくなって仕方なく連れて歩いたんです。

いや、現代の自称平和主義者が忌避するような強制疎開を軍が強権発動していれば、あれほど非戦闘員があたら犠牲になることはなかったかもしれない、なんとも悲しい歴史のifではあります。
>180
>曽野さんがどんな現地取材してるかは知りませんが、もしかして現地の沖縄の人に「軍から自決を命令されましたか?」とでも聞いたんでしょうか。
>曽野さんに悪気は無かったとは思いますが、しかしながら調査としては杜撰と言わざるを得ないでしょう。

スゴいね^^;;
現地取材もしないで軍命令の集団自決を書いてたジャーナリストは立派なのかね(苦笑
生き残った人間が居る可能性があるから現地取材に行ったんだろ?

>それなら現地の沖縄の人は、「そんな命令受けてないよ」と答えるでしょうね。だって、軍から自決を命令された人は、おそらく沖縄戦のさいちゅうに自決して死んでしまってますから、証言のしようがありませんし。
  ↑
勝手な思い込みで書いてますよね。これ詭弁と言います。

>証言が全て正確なら、南京で30万人死んだことも事実になってしまいますね。
  ↑
これもすばらしい詭弁です。証言には嘘も真実もあります。それらの証言を取捨しながら事実を書くのがジャーナリストの仕事です。証言が全て正確な事など有り得ないのに、それを前提にして集団自決と全く関係ない南京事件を引っ張り出す。

>これなどは、軍命令は関わっていないでしょう。とは言え、住民が米軍に投降しないよう、あらゆるデマを流して投降を阻止した日本軍に、国民保護の意識などあったのか?という点で大きな疑問を感じますが。
  ↑
論理が破綻してます^^;;
軍命令は関わっていない、と言いながら次の行では日本軍は投降を阻止するためにあらゆるデマを流したとおっしゃる。

>終戦は1945年、昭和20年。その終戦から12年以上が経過しているのに、いきなり軍命令書を偽造できるというのはかなり常識はずれな技術でしょう。
  ↑
詭弁家の特徴^^;
曽根さんの取材に文句を付けた人が流れを断ち切る様な言葉を出してくる「軍命令書」
話の筋を強引に変えるやり方はお見事♪w

昭和32年の沖縄はアメリカの占領下にありました。
  ↓
>177
>いいですか? 渡嘉敷島を含めた沖縄は、1945年に米軍が上陸して以後、終戦後まで米軍の占領下にあって、その後沖縄が日本に返還される1972年まで、ずっと米国領になってるんです。だから1972年の沖縄返還までに、沖縄に対して日本政府が補助金を交付することはあり得ないんです。
  ↑
見事に破綻してます^^;;

>183
>すごい電波さんが来たなぁ……。
  ↑
詭弁家がよくやるんだな^^;;
自分が間違っててもスルーして他人を電波扱いしてレッテルを貼る。
貼られるべきは自分なんだけど、先にレッテルを貼って誤魔化す^^;;

>184
>まあ、それは沖縄のみならず、サイパンのバンザイクリフとかにも共通する問題ですけど。
  ↑
硫黄島では住民を日本本土に返しましたけどご存じないのでしょうか?^^;;
>180
>曽野さんがどんな現地取材してるかは知りませんが、もしかして現地の沖縄の人に「軍から自決を命令されましたか?」とでも聞いたんでしょうか。
それなら現地の沖縄の人は、「そんな命令受けてないよ」と答えるでしょうね。

本を読もうね。いい加減な事ばっかり言うなよ、詭弁家さん^^*

沖縄戦・渡嘉敷島「集団自決」の真実―日本軍の住民自決命令はなかった! (ワックBUNKO) (単行本)
曽野 綾子 (著)
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4898315453/
内容(「MARC」データベースより)
第二次世界大戦末期に、沖縄の2つの島で起きた住民の集団自決。旧日本軍の命令による強制的なものだったというこれまでの「定説」を徹底批判。丹念な現地調査や取材をもとに、捏造された「惨劇の核心」を明らかにする。
>いや、現代の自称平和主義者が忌避するような強制疎開を軍が強権発動していれば、あれほど非戦闘員があたら犠牲になることはなかったかもしれない、なんとも悲しい歴史のifではあります。

いや、当時の日本軍にはそんなリソースありませんよ。兵員も不足しているし陣地も不十分、運送用のトラックなんて何それ?の世界。
なにしろ沖縄戦の時よりはよほど物資には恵まれていた開戦序盤ですら、バターン死の行進のような不始末を起こしてますし、またそういう不始末を起こさざるを得なかった貧弱なリソースしか無い状態ですしね。
ましてや、その時からさらに物資が逼迫していて余裕がない沖縄戦の時に、軍の強権発動による強制疎開は、やる意思があったかどうか以前に、仮にやろうとしてもそれを遂行できる能力は無かったでしょう。ただでさえ米軍上陸の3ヶ月前に第九師団が台湾に転出するということもあって、防衛作戦の変更による防御陣地構築におおわらわになっていたと思われますし。
ちょっと、日本軍の能力を過大評価しすぎなんじゃないかなぁ?って思います。
>硫黄島では住民を日本本土に返しましたけどご存じないのでしょうか?^^;;

それは知ってますけど、硫黄島に当時いたのは数百世帯くらいの人口ですよね。強制疎開になりましたけど、輸送船の確保は容易ですから。まあ、疎開用に輸送船を確保したっていうことではなくて、硫黄島に補給に向かう輸送船は硫黄島からの帰り道は空船になるから、どうせならそこに積み込もうってことだと思いますけど。
ただやはり、硫黄島の栗林とフィリピンの山下は住民保護に注意を払っているのに、沖縄の牛島はやはり住民保護に関する意識が希薄に過ぎる気はしますねぇ。

もっとも、それを言い出すとそもそも当時の日本軍・日本政府は国民を守る能力なんてありませんでしたから、さっさと無条件降伏すれば良いのにって話になってしまいますけど。
山下もマニラはさっさと放棄して山中に撤退してますし、マニラ防衛は地理的にも防衛しにくく戦術的に無策である上に住民をいたずらに巻き添えにするだけなのでマニラの早期放棄は正解なんですけど、実は軍中央からはマニラ死守命令が出ていて山下はそれを無視して撤退してますので、厳密に言えばこれは抗命罪になるんですよね。でも現実には中央の命令を無視する方が民間人の生命保護につながり、なおかつ戦術的にも妥当性はあった。このあたり、当時の軍中央の意思決定能力は完全に機能不全、要するに今で言う税金を無駄遣いするだけの役人に成り下がっていて(軍と言っても結局は公務員ですしね)、こんな公務員に日本国民の生命が託されていたんだなぁと思うと、実に不条理な気もします。
>189
>
いや、本土への疎開船はそれなりに運行されていたんですが、
「多くの住民がそれを使って疎開することを選択しなかった」だけです。
それと強制疎開に大したリソースは必要ではありません。
「○月×日までに本土へ疎開すること」と通達して、
従わなかったら「北部の避難場所へとっとと行きなさい、命令です」って言えばいいだけですから。
別に疎開って言ったって軍が運ぶわけじゃないですよ。
住民が自分で移動するのだし、本来それを引率するのは地元行政なんで。

それが為されていれば非戦闘員の犠牲はもっと少なかったでしょう。
南部で米軍を迎え撃つ軍とは離れて北部に避難しているだけでも大違いです。
なんとも詮無いお話です。

しかし、
切羽詰った自決の命令には住民は唯々諾々と従うし軍もその能力があると言いながら、
もっと余裕があった段階での疎開命令は遂行できないなんて矛盾だらけもいいとこですね。

>「○月×日までに本土へ疎開すること」と通達して、
>従わなかったら「北部の避難場所へとっとと行きなさい、命令です」って言えばいいだけですから。

ちょっと待ってください。
それは確かに沖縄と日本とを結ぶ船はありましたし、学童疎開船も出て数千人の児童は避難していますが、数十万人の沖縄県民を運べるだけの船なんてありません。
対馬丸は約1600人を乗船させていたそうですが、対馬丸は当時の日本としては大型の船なので1隻平均1500人を輸送するとしても、40万人を輸送するだけでのべ266隻の船が必要になります。対馬丸は約7000トンの船ですが、当時の日本が持っていてまともに稼動できる船はおそらく200万トンを切っていたでしょうし、軍需に徴用されている船や朝鮮・中国・台湾との輸送ルートも含めると、沖縄ルートに割り当てることができる船は2〜3万トンが限界ということは容易に推察されます。学童疎開船も、学童疎開のためだけに運航した船ではなく、沖縄への物資輸送の帰り道を利用した便であるでしょうし。
総トン数合計2万トンの船団で4000人を輸送すると概算しても100回以上往復する必要があり、往復に2週間かかるとすれば(航行だけでなく繋留しての荷物の積み下ろし・整備なども必要ですから)、それだけでまる4年かかってしまうことになります。日本の船舶事情も逼迫していますから、沖縄の疎開だけにそれ以上大量に船を割くわけにはいかない。
さらに船を運航するための燃料が足りない。仮に護衛なしで商船だけの単独航行を選ぶとしても、1隻平均1500人乗せるとして、のべ400隻が必要。常に燃料不足に悩まされた日本に、それだけの燃料の余剰はありません。戦艦大和が出撃する時ですら燃料が無いために、タンクの底までひっくり返して燃料を調達してるわけですから(大和が片道燃料で出撃したわけではないということは今では有名な話ですが、それでも大和は燃料満載にはなっていません。駆逐艦群は燃料タンクいっぱいまで燃料を積めたようですが)。
その上に、本土疎開には疎開住民を受け入れるための施設が必要です。建物もないところでホームレス同然に生活しろと言うなら話は別ですが(もっともそんなことをすれば、疎開者はそのまま犯罪者になってしまいますが)、受け入れ先を探した上でそこに収容しなければならない。結局ここまでくると、疎開者単独の努力では不可能になるわけです。なにしろ40万人を受け入れないといけないわけですからね。
これらのハードルを無視して「本土に疎開しろと言ったので軍として責任を果たした」と言うのでは、軍の国民保護の責任は戦ったり役務を負担することではなく広報のビラを配ればそれで良いということになってしまう。それでは国民が税金を負担する価値がない。

>別に疎開って言ったって軍が運ぶわけじゃないですよ。
民間人に、大量疎開を民間だけでおこなえる力はありません。民間人には輸送に必要な移動手段もないし、大八車を引いて徒歩で長距離を歩くしか方法は無いのです。それなのに軍がその民間人を助けないと言うのは、前にもレスしましたが、今の時代で言えば「関東で地震が起きたら、会社から自宅まで徒歩で歩いて帰ってください、行政は手助けしませんので」と言ってるに等しいこと。
国民は戦争ごっこをするために、軍のために税金を負担しているわけではないのです。国民保護を期待して、税金を負担しているわけです。そして国民保護は、敵と戦うだけでは不十分なのです。国民を安全な場所に移動するための役務負担も当然必要ですし、敵と戦って勝ったけど国民みんな死んでいたでは軍の価値はない。でも、当時の軍は、既にその国民を保護する能力がなかったのです。


>切羽詰った自決の命令には住民は唯々諾々と従うし軍もその能力があると言いながら、
>もっと余裕があった段階での疎開命令は遂行できないなんて矛盾だらけもいいとこですね。

唯々諾々と国民が従っているわけでもないし、軍には全沖縄住民にそれを強制する能力があったなんて言ってません。軍の一部の部隊が沖縄住民に自決を促し、その住民の中にその指示に従った住民もいるのではないか、と言っているのです。少なくとも軍の関与がなければ、沖縄住民が手りゅう弾で自決なんてできるわけありません、まさか民間に手りゅう弾が出回っているわけでもあるまいし。
だから沖縄戦での自決に軍の関与があったし、何故そのようなことになったのかと言えば、当時の日本軍は国民を保護する能力が無かったと言っているのです。
>192
>
疎開船は178隻出してまして、政府の沖縄県民疎開計画は老人・婦女子を中心とする非戦闘員約10万人ですから、1隻あたり1000人弱程度輸送して間に合う程度にはフネを出しています。

>民間人に、大量疎開を民間だけでおこなえる力はありません。
>
だから「地元行政が引率する」と言ってるじゃないですか。
政府・軍は沖縄県知事へ非戦闘員疎開の指示を出していましたが、
知事の行動が迷走した等々のため円滑に進まなかったのです。
現にフネは計画を満たす分運行されたのですから、行政による引率がしっかりしていれば老人・婦女子をあたら犠牲にすることは避けられたのではないかと。

軍に批判的な割になんでもかんでも軍がやれ、というのはちょっとどうかと思いますよ。
行政機構の各部署にはそれぞれ役割分担があるのですから。

>だから沖縄戦での自決に軍の関与があったし、何故そのようなことになったのかと言えば、当時の日本軍は国民を保護する能力が無かったと言っているのです。
>
軍は「住民を連れて米軍相手に戦闘なんてできないから住民はとりあえず逃げとけ」って再三再四言ってたんですが、
結局多くの住民が逃げずに留まり、仕方が無いので一緒に行動するしかなく、
結果として多くの非戦闘員を巻き込む羽目になってしまったことに対して、
「当時の日本軍は国民を保護する能力が無かった」っていうのはお門違いではないかと。
国家戦略的に見て『米軍中心の連合国と相対して』「国民を保護する能力が無かった」といえばその通りなんですが。

「軍の関与」にしたって、どのレベルでの関与なのかを明確にしないままに言い募っているだけでしょう。
一将兵の個人判断?小隊?中隊?大隊?連隊?師団?方面軍?大本営?
ていうか、そもそも「命令」が問題だった筈でしょう?
話がすりかわってますよ。
疎開船178隻? 総トン数は?
昭和20年8月で、日本の残存商船は 1217隻、134万トンになってます。(このうち運行可能なのは100万トン以下)。なお、商船とは言っても実際には軍用に徴用されている物も多数ありますので、純粋に民需で使える商船はこの数よりさらに減少します。
石炭輸送の重責を担っていた青函連絡船は、12隻〜13隻で運用されていますね。
たかだか沖縄の疎開のために178隻もまわす余裕など無いはずですが、ソースを提示して頂けますか。

>そもそも「命令」が問題だった筈でしょう?
命令は、末端の部隊から民間人への命令の問題ですが。
178隻というのは、もしかして延べ輸送船数のことですか?
延べ178隻で10万人を輸送するというのであれば、計算としては妥当なところです(実際にそれだけ運送できたかは別として)。
たとえば5隻で運用すれば、延べ178隻にするなら35往復すれば達成できる数字です。ただ、1往復に2週間かかるとすれば、やはり1年半要する輸送計画になりますね。しかもそれで疎開できる沖縄住人は10万人、全体の4分の1ほど。その10万人を輸送する計画というのももともと達成不可能な数字です(それだけの人数を運ぶ時間も燃料もありません)が、その達成不可能な命令を軍が出して民間が達成できなかったから民間が悪い、軍は悪くないとおっしゃるのでしょうか?
あと、10万人の輸送計画とは言っても、前述した通り受け入れ先の問題も解決しなければなりませんが、10万人を引き受けるなどというのは簡単にできる問題ではありません。引き受け先の確保もできないのに10万人避難させろと言っても、できるものではないでしょう。
これは要するに、「あなたが今の家に不満があるなら家を出れば良い、引き受け先とか考えなくて良いんだから、さっさと家を出たら? 家を出ないのに不満ばかり言うのは、あなたが悪いからですよね?」というのと同レベルの話じゃないかと思いますが。

とは言え、私もちょっとこのトピックに留まり続けるのも疲れてきましたので、このあたりで退散させていただくことにします。
>195

わたしは最初wikipediaで見た178隻という数字を出しましたが、
財団法人対馬丸記念会の睥廟勝会長の仰るところでは、
「延べ187隻の疎開船(約8万人)」だそうです。

| 対馬丸記念館 |
http://www.tsushimamaru.or.jp/jp/kinenkan/kinenkan1.html

で、昭和19年7月から昭和20年3月までの9ヶ月ほどでこの数字(約8万人)を達成していて、
しかも対馬丸事件等々が祟って乗船率は低迷していたらしいので、
(1000人は乗れるフネに500人程度とか)
乗船率がもう少し上がれば10万人本土疎開計画は荒唐無稽でも何でもない、というのがわかります。

で、こういった事を踏まえて、「それだけの人数を運ぶ時間も燃料もありません」の根拠はなんですか?
当時の船舶運行に関する詳報であるとか燃料流通に関する統計とか眺めてみてから言ってるんですかね?
>190
>強制疎開になりましたけど、輸送船の確保は容易ですから。まあ、疎開用に輸送船を確保したっていうことではなくて、硫黄島に補給に向かう輸送船は硫黄島からの帰り道は空船になるから、どうせならそこに積み込もうってことだと思いますけど。

だから沖縄にも兵員を送り込んだんだから帰りの船に避難民を乗せる事は可能でしょ^^;;

>このあたり、当時の軍中央の意思決定能力は完全に機能不全、

意思決定は本来政治家がやる仕事^^;;

>要するに今で言う税金を無駄遣いするだけの役人に成り下がっていて

無駄遣いの基準がはっきりしないんですが^^;;

>こんな公務員に日本国民の生命が託されていたんだなぁと思うと、実に不条理な気もします。

軍命令の話は何処にいったんでしょうか?^^;;
>そもそも「命令」が問題だった筈でしょう。 話がすりかわってますよ。

>軍命令の話は何処にいったんでしょうか?

「心の天使」と名乗りながらも
実体は「究極の詭弁師」ってことですかね。。。

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