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英語★できる人&勉強してる人コミュの和訳問題は排除すべきか?

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今月号の『英語青年』(研究者出版の英語雑誌)では「大学入試問題を批評する」という特集が組まれていましたが、その中で寄稿者の一人が京大・阪大の入試問題に見られるような本格英文和訳問題を取り上げて、『和訳能力は将来役にたたない。そのような問題を出して恥ずかしくないのか』と痛烈に批判していました。

私はこの寄稿者の意見も一理あると考えますが、それでも、大学が和訳問題を出題することにはそれ相応の意義があると思います。みなさんはどうお考えでしょうか。ご意見をお聞かせいただけたらと思います。

コメント(27)

和訳能力が将来役に立たないなら、役に立つ能力ってなんでしょう??
通訳者と翻訳者って話し言葉のプロと書き言葉のプロがいるんだから
もし英語の書き言葉は使えないと言っているとしたら
お笑いっすね。
こういうときになぜ原著者の名前を伏せるのですか?
雑誌に載ってるんだから別に出したっていいと思います。関西大学の静哲人教授です。
英語青年2006年4月号です。まだ書店には並んでいると思うので,この議論に参加される方はぜひ原文に当たっていただきたいと思います。

その文章の趣旨は,和訳は時間がかかりすぎる上に直読直解を阻害する,しかも大学入試で課しているからにはふだんからそれに対応した教育をせざるを得なくなるから害が大きいということですね。
これに代わるものとして,英語の論文を読んで英語で要約させるといったタイプのテストが,本当に将来役に立つようなものとして提案されています。

「英和辞典は捨てよ,英英辞典を使え」という主張をされる方はよく見ますが,そういう人にとっては共感しやすい意見だと思います。個人的には英和辞典を避ける必要は全然ないと考えますが,和訳問題に弊害が大きいのは事実であり,十分に傾聴に値する提案だと思います。

まあ世の中の趨勢として英語教育に求められるものは時間あたりの運用能力を大きくする方向に向かってきていると思うので,和訳問題は早晩すたれると思いますけど。
すいません。別に意図的に名を伏せたわけではないんです。zokkonさんのおっしゃるとおり、できればみなさんも原文にあたって頂ければと思います。

しかし、和訳問題が直読直解を阻害する、という点には少し疑問が残ります。それは最初から和訳だけに焦点をおいて練習するからであって、直読直解の訓練をしてきた人であっても、相応のレベルに到達していれば、入試問題の和訳ができないというのはおかしいと思います。
非常に興味深いテーマです。
原文を読んでから、コメントさせて頂きたいと思います。
原文を読んでは無いのですが…
そもそも、英文の内容を理解しても、それを他人に説明できなかったら、意味は半減すると思います。我々は日本人ですから、英語を読んで日本語で説明する能力も、英語を運用する上で極めて重要だと思います。大学院でも会社でも、難しい英文を分かりやすく日本語で説明する能力って必要不可欠です。
ちなみに、入試での和訳問題って、単純に英語が分かるだけでなく、それを一度日本語に置き換えて説明させる事で、受験生の思考能力を試している側面もあるのかな、と個人的には考えています。入試作成者に話を聞いたことがないので、実際のところは分かりませんが。
英語をどういう目的で使うかにもよるんでしょうかね・・・。わたしは、英語を情報として処理する能力の速さからいうと日本語を経由して(いったん訳して)英語を話したり聞いたりするのは、無駄な時間かかるし、英文や単語の日本風にねじまげ意味をうまく理解できない気がしてずっと避けてたので、著者の意見も理解しやすいんですが、てつろーさんの意見興味深かったです。
 私も和訳については賛成です。英文を理解しているのかどうかは母国語である日本語でなくては評価はできませんから。。ただ「英語脳をつくる」ことに和訳が役にたたないというのは微妙なところだと思います。なぜなら英語と日本語は文法と言葉の順序が逆になってしまうからです。和訳せよ、と言われれば意味を理解した上できれいな日本語に書き換えなくてはならなくなります。そこで文のニュアンスが伝わらないことも素人ならあることですよね?私は通訳の講座を受けたことがありましたが、そのときには文をくぎり頭から訳すというサイトトランズレーションというものを習いました。英語脳をつくりかつ日本語で評価するという意味では、これが効果的なのではないでしょうか?多少おかしくなったり、まわりくどくなることもありますが、英語を母国語とする人達と同じ順序で理解できますし、その雰囲気もぐんと伝わるものになります。
 私も原文を読んではいないのですが、その大学によって何を期待しているかですよね?英語を英語としてとらえているかを知りたいのか、英語を日本語に置き換える能力を知りたいのか。。私は日本語とか英語に限らず、どの言語においても外国語を学ぶのであればこの両方ともが必要なスキルになると思っています。知識も経験もあまりないのに外国語を外国語であらわす?それって世界狭くなりませんか?
あのー,静先生が出した代案として「英語の論文を読んで英語で要約させるといったタイプのテストが,本当に将来役に立つようなものとして提案されています」と3でぼくが簡単に紹介してるんですが,それはお読みいただいてるんでしょうか。
議論に参加するのであれば,そこまでの流れは最低限押さえておいてほしいのですが。

静先生はテスト理論の第一人者ですから,代案なしに書きっぱなしの批判をしてるなんてことはあり得ないです。それに関西大学の入試自体が代案になっているということを件の記事でも書かれています(阪大・京大の問題に対してではなくて,私立の記号式主体の問題に関してですが)。

まあとにかくもとの文章を読んでいただきたいと思います。
私も実際京大を受験しました。その上で和訳の勉強をしました。京都大学の和訳というのは、英語力+国語力を見ています。これは、英語だけができても仕方がない、国語力のない人間は京大には必要ない、という姿勢の表れだと解釈しておりました。私自身、京大対策をする上で、英語力(特に単語力)は格段に上昇しましたし、国語力も上昇しました。私の思うに、私学の記号だらけの問題の方が無意味であると思います。あれはもはや英語の試験ではありません。私は慶応も受験しましたが、本当につまらない試験でした。文法問題など、本当に無意味です。センター試験など、英語力と全く関係ありません。私は、和訳・英訳の京大方式が最高の試験であると思っています。
>Brandonさん 僕も落ちましたがw 今年から医学部はかなりハイレベルな(専門用語多い)Listeningが導入されました。また、前から総合人間学部の後期にはあるようですね。
みなさん、非常に興味深いコメントをありがとうございます。上でも申しました通り、記事の細かい内容についてはできれば『英語青年』の原文を読んで頂きたいのですが、zokkonさんもおっしゃられているように、静教授は決して批判に終始して建設的でない議論を展開しているわけではなく、代案として英文を読んで英語で要約させる問題方式を提案しています。また、マーク式のテストも使い方次第では本当の英語力を試すことができるとし、関西大学以外では慶應SFCなどの問題をよきモデルとして挙げています。

静教授は実際に、昨年度の阪大の下線部和訳問題の英文を例にとり、もしその英文を英語で要約させる問題が出題されたとしたらどのような解答になるかまで丁寧に提示しています。しかし、そこに提示された解答例は3種ですが、何を基準にそれを正解としているのか、また、どこまでが正解となるのか、あるいは原文の表現はどこまで使っていいのか、といったポイントに関しては全く触れられてません。東大の試験は、伝統的に英文を日本語で要約させる問題を出題していますが、採点基準が不明瞭であることへの不満をよく耳にします。同様の問題が静教授の提案する英文要約に関しても当然生じてくると思われます。

勿論、和訳問題についても同じことが言えます。しかし、とりあえず定められた箇所の意味を日本語で表現すればよい和訳は、解答者や採点者の主観が入るとは言え、大幅な追加や省略は生じ難い。特別な指定もないのに、追加や省略があった場合は、減点対象と見なすことができる。一方で最初から省略を前提にしている要約問題は、どこを省略し、どこを残すか、どこを読み込むか、の基準に関して和訳よりもはるかに微妙な判定を迫られることとなります。言い換えれば、要約問題ほど、採点基準・査定基準がミソとなる問題形式も少ないわけです。その肝心の部分を省略して「これからはこういうのが役に立つ」と言われても、テスト理論の第一人者の論としては説得力に欠けると言わざるを得ません。

次に、慶応SFCの問題を良問としている点についてですが、確かに慶應SFCの問題は素直な問題であるとは思います。アマルティア・センのような思想家の文章が出題されたこともあり、難度も低いとは言えないでしょう。けれども、あの試験で8〜9割を切らないという受験生が京大型の問題となるとボロボロ(例えば5割)になるという例を私はいくつも知っています。一方で京大型の模試などでコンスタントに7割以上の得点をとってくるものは、よほどの失敗でもしない限り、慶應SFCの問題を制限時間を大幅に残して解き終わり、しかも、8〜9割の得点を出すのが普通です。この差は何なのでしょうか。

先ほども言ったとおり、慶應SFCの問題の英文のレベルは決して低くありません。時には京大で出題されてもおかしくないほどのものも出ます。しかし、SFCで8割の得点をとることは京大で8割の得点をとることよりもはるかに容易であるように思われるのです。

それは京大が英語力とは関係ない国語力や何やらを問うて、そこで差がついているからだ、という反論がありえたとしましょう。しかし、京大型の試験で高得点を出すものは、SFC型の試験でも高得点を出すのです。とすれば、国語力を問おうが問うまいが、とにかく英語力としても、京大の試験ができるならそれなりに実力がついていると見てよい、ということにならないでしょうか。

いずれにしても、静教授の論を参考にすれば、これからは英語を英語で要約する能力が役に立つ、ということですが、特別な環境で育った帰国子女などを除けば私達の一番得意な言語は日本語です。その日本語で説明できない、表現できないことを、英語で要約することなどできるはずがないというのが私の考えです。

それに、万が一、阪大やあるいは京大までもが静教授の提案するような方式に従って、英文要約問題を出題したとしても、現在の和訳・英訳の問題で高得点をとっている者はやはり上位にくるのではないかと思われます(もちろん、ここは採点基準の問題があるのでで一概には言えませんが)。何がかわるかと言えば、英語はできる(らしい)けれど日本語ができないために和訳ができない(と言っている)受験生が上位に食い込んでくるということだけでしょう。静教授の言うような論で得をするのは、英語のできる人ではなく、日本語のできない人だけなのです。

日本のフラグシップ大学が、たとえどのような科目であれ、日本語のできない人にとって有利に働くような試験方式に乗り換えるとすれば、そちらのほうが余程憂慮すべき事態ではないでしょうか。
その通りです。やはりレポートなどでも日本語能力が問われます。ただでさえ、学力が下がっているこの時勢に、英語だけできれば・・・というのはよくないでしょう。実際、本当に日本語ができない、話していることの内容がつかめないような人達も多いです。日本人なのに関わらず。日本人なのですから、日本語ができて当然であり、上位大学を受験する者ならば高度な日本語能力を身に付けていて当然でしょう。英語ができればよい、幼少期から海外に送ればよい、と言う考えも、いずれ重大な結果を及ぼす日が来ると私は考えます。

また、ちなみに、京大は日本でおそらく最も難しいと思われるかなり長文の英作文(和文英訳)を出してきます。受験生は非常に高度な英語力を要求されます。この辺りでも、やはり高度な英語力と高度な国語力の双方を大学側は要求しているのであると考えます。
英語を学ぶための教育にするなら、和訳は確実に排除したほうがいいと思います。

日本人の英語力は郡を抜いて、低いです。

それは日本の英語教育の質の低さにそのまま直結すると思うのですが。

言語たるものしゃべれる事が一番と思います
会話のことを言い出すと議論が拡散すると思うので、ここは
「英文の読解を要求する入試問題の出力形式として、どういう形が適当か」
という論点に絞りませんか?
16のご意見にはミスリーディングな部分があると思います。

まず、採点基準についてですが、あの記事の中で触れてなかったのは、単にそうした技術的な細部まで踏み込む必要を感じなかっただけだと思います。書き始めると長くなりますし、解答例を見れば読者には採点基準が推測できるだろうという判断かもしれません。

東大の要約問題について、「採点基準が不明瞭であることへの不満をよく耳にします」というのは、だれがどういう状況で言っていることなのでしょうか。国語でも要約問題というのは出題されていますが、それに対しても同じですか?
「追加」や「省略」といった言葉遣いから見ると、要点を表す文を抜き出して和訳する手法を想定しているように見えますが、要約問題を出題する側としてはおそらく、もっと多様な解答を予測しているはずだと思います。

次に、件の記事では、京大・阪大型とSFCタイプを直接比較してはいない点にご注意ください。SFCはあくまでも客観式の良問という位置付けです。
「客観式でも記述式以上に英語力を精密に測定できる」というくだりもありましたが、このあたりは静先生の主張の中に矛盾があると思います。客観式対策ばかりやっていると本当の実力がつかないということが経験的に確認されているわけですから。やはり客観式を採用せざるを得ない私立大学の先生ならではの矛盾という気がします。
現実には記述式問題の方が学習者への波及効果という面ではすぐれているということをストレートに認めるわけにはいかなかったのだろうな、と思いました。
『追加』『省略』という言葉づかいはややミスリーディングでしたね。『どこが重要か』『どこが筆者の主張か』などに関する判断と考えていただきたい。

採点基準についての言及がなかったことについて、確かにスペースの問題があったことは事実でしょう。しかし、仮にあの解答例を見て採点基準を推測できるだろうと静教授が判断したのだとすれば、ずいぶん不親切かつ無責任なような気がします。採点基準の問題は見方によっては『技術的な細部』と言えるかもしれませんが、和訳問題を有害であると批判し、それにかわる問題形式として提示している以上、英文要約問題の有益性を徹底的に証明する義務があると思います。単なる新書的な批評なら言語学者でなくてもできると思います。そこに研究的裏づけを与えてこそ、静教授のような言語教育理論の専門家が入試問題を批評することの意味があるのではないでしょうか。


東大の要約問題について批判している人の中で最も有名なのは故伊藤和夫氏だと思われます。氏は駿台叢書『英語要旨問題演習』の冒頭で、東大の要約問題に言及して次のように言われています。少々長いですが引用します。

『しかし、(東大の要約問題がはじまってから)30年に近い時間が経過した現在反省してみるとき、このタイプの問題がついに試験問題の主流とならず、その出題は一部少数の学校にかぎられてしまっているのはなぜだろうか。筆者はその理由が答案に対する採点または評価の困難にあると考える。問題文の構成がよほど類型的であるか厳密でないかぎり、こういう問題は何を正解とし、何を公平かつ客観的な減点の基準とするかを定めることが非常に難しい。答案に記載すべき事項を定めても、それのバリエーションをどこまで許すか、直接にふれていなくても他の部分からの類推可能性をどの程度まで認めるか、さらに記載すべき事項が複数であるとき、その順序をどのように評価の対象とするか等等、採点にあたっては悩みはつきないのである。おそらく現実には、「答案を読みさえすれば、理解の程度をA、B、Cの3ランクに判定することくらい、自分なら簡単にできる」というような、自己の採点能力に対する過信が、入学試験の閉鎖性と密室性に守られて存続しているのではないだろうか。』

自身東大型の模擬試験を十数年以上にわたって作り続け、その採点をしてきた伊藤先生の意見だけに、重みがあると思います。

最後に、記述式と客観式の問題についてですが、静教授が最後のまとめでアメリカのSATなども参考にすべきだ、と主張しているところからみても、彼は『本当に』客観式問題のほうが精密に能力を測定できると信じ込んでいるのではないでしょうか。いずれにしても、少なくともSFCよりも京大型の問題のほうがごまかしがきかないように私には思われますし、そのことは経験によってもある程度裏付けられています。その京大型の問題について『学習を妨害するような問題を出して恥ずかしくないのか』というほどの辛辣な批判を一方では投げかけておきながら、それよりも明らかにテクニック主義を誘発させやすい(と思われる)SFCの問題を同じ記事の中で礼賛するというのは、根本的矛盾ではないでしょうか。
海外在住のため、該当の記事は読んでいないのですが、
京大・阪大の通常の入試での英語の試験というのは純粋な英語力でなく、
日本語+英語のバイリンガル能力を測定するものであって当然と
考えます。

ですから英文を理解してきちんとした日本語に訳す
試験に問題があるとは思えません。

寄稿を読んでないのでどういう文脈で
「和訳能力は役に立たない」とまで断言されているのか不明ですが、
実際に英語をセカンドランゲージとして使って
生活+ビジネスをしている立場の人間からいわせてもらえば、
バイリンガル能力軽視(=和訳能力軽視はその一部)
はただの世間知らずです。

長大な和訳問題で見落とされる能力がある、
というのなら和訳問題の分量を減らして
静先生が言うような英文読解+英文要約の問題を出せばいい。

ただ、大学入試の場合 現状の採点体制のままだと
受験生が書いた英文を
ネイティブでない日本人が採点することになる可能性が高い。
そうなると導入に踏み切るのに大学側は二の足を踏むでしょうね。
たかだか4ページの雑誌記事で英文要約問題の優位性を徹底的に論証するのは無理でしょう。主張そのものは静教授が前から言い続けていることですが、どの論点についてもそんなに突っ込んだ書き方はしてませんよね。

ところで要約問題の短所として、採点の困難ぐらいしか読み取れなかったんですが、前にも書きましたが国語の試験などはそういう困難をどうやって克服しているのでしょうか。採点基準として、押さえておくべきポイントを列挙して、それプラス構成力を見たりして加点法で採点するのが常道だろうと推測しますが、恣意的/不公平な結果にはならないんじゃないかなあ。

東大要約問題タイプが普及しなかったのは、むしろ受験指導者がそういう試験に慣れてないとか、頑迷な阪大・京大がそういうタイプの出題も可能なのに和訳問題に固執したからじゃないんですかね。
上の投稿は最終段落で筆が滑りました。すみません。

考えてみたら、受験生の立場を考慮しなければ阪大・京大タイプの試験が幅を利かせていたほうが自分としても好都合なので、このへんで書き込むのはやめときます。
皆さまたいへん失礼しました

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