ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

ルー・テーズ(プロレスの歴史)コミュのGスピリッツVOL.11 明日発売

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
また宣伝させて下さい。

GスピリッツVOL.11が明日3月31日(火)に発売になります。

内容は次の通りです。

【総力特集】
禁断の対抗戦
その時、何が起きた!?

[証言]
三沢光晴
『猪木ゲノム』との遭遇を振り返る
「ぶっちゃけ言えばさ、別に普段、顔を合わす相手でもないし、次はいつ会うかわかんねぇし、“やったもん勝ち!”みたいな(笑)」

坂口征二
新日本から見た全日本とUFO
「みんな“裏切り”とか好きなんだろ?予定調和じゃなくて、あの橋本vs小川みたいな試合がたまには必要なんじゃないのかな」

村上和成
当事者が語る集団リンチ事件の裏側
「あの日は試合前に控え室の鍵を閉めて、誰にノックされても完全に無視ですよ。佐山さんは拳にテーピングをしてるし、“これは何か起こるぞ”と…」

風間ルミ
ビジネスを超えた女の喧嘩とは?
「対抗戦が始まったキッカケは…全女にハメられたんです。だから試合では感情が先走るし、みんな喧嘩腰になっちゃうの」

大谷晋二郎
非プロレスだった新日本vsUインター
「新日本vsUインターって“プロレス”じゃなかったよね。噛み合わないのは当然だよ、演劇やってるわけじゃないから」

[検証――伝説のノーピープル対抗戦]
ジョー樋口と『ウェイト別日本選手権』

【スペシャル対談】
輪島大士×ザ・グレート・カブキ
辛くも楽しかったバンプ人生に乾杯

【特別企画】
ジャイアント馬場外伝
ショーヘイ・ババのアメリカ武者修行
第一部 時代背景〜主人と番頭の仁義なき戦い

ダニー・ホッジ回顧録
“20世紀のパンクラティスト”
ダイナマイト・ダン(アマレス時代)
フィスト・オア・ツイスト(ボクシン時代)
史上最強のジュニアヘビー(プロレス時代)

実録・国際プロレス
第1回 飯橋一敏リングアナ
「よく地方へ行くと草津さんが坂口征二さんに間違えられて怒ってたけど、それが現実だったんです」

【インタビュー】
潮崎豪
NOAHを創る男

【連載】
渋澤恵介の世界・ふしぎ再発見
第11回メキシコ前編
エル・トレオから貧民街まで本場のルチャを喰らい尽くす!

アリーバ・メヒコ
追憶――エル・ソリタリオ
黄金仮面の誕生と死
知られざる武勇伝
超貴重な遺品を本邦初公開

原悦生の格闘写真美術館
第11回『雪と氷の世界の女王』

私はダニー・ホッジについて書きました。
テーマをアマレス時代、ボクシング時代、プロレス時代に分け、
記録を詳細に追いかけながら、私見を加え、その強さの謎に迫ります。
ホッジに関しては、巷間流布される『伝説』がひとり歩きをしていて、
その存在がかなり曲解されている気がしますので、少しはそのイメージを
払拭できたらと考えております。

また私と共に、『UWFスネークピットキャラバン』の幹事を務めております
小泉悦次さんが『ジャイアント馬場外伝』という1本でGスピに初登場を
果たします。
こちらもご期待下さい。

このトピックにご感想など頂けましたら幸甚です。


コメント(25)

おおッ!
待望のGスピリッツ最新号が発売ですかぁ。
ダニー・ホッジさんの記事となれば購入して読まなくてはなりませんね。
テーズさんとの話も出てくるのかどうか興味シンシンです。
nasaさんだからこそ書けるダニー・ホッジ特集、感謝です!

また、小泉さんの記事が登場と言うのも凄い!!
まさに最強タッグですね!
発売が待ち遠しいです。
今回の記事について日記を書いてみました。
史上最強レスラー候補の筆頭、20世紀のパンクラティスト、ダニー・ホッジとはどんな人物なのか、なぜ総合格闘技(MMA)でも即、勝てると言われているのか。
そのダニー・ホッジが認める最も強いレスラーは?
ルー・テーズさんの話も出てきます。
ホッジ流の握力トレーニングについて・・・

「史上最強レスラーと最強タッグ」
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1127907020&owner_id=7805147
エムエンさん

有難うございます。
やはりエムエンさんにとっては、「ルー・テーズ」と「握力」がキーワードなんですね(笑)。

ホッジさんについては書ききれなかったエピソードがまだまだありますので、いずれどこかでご披露しようと思います。

それにしてもリアクションうすっ!
このコミュの常連さんたちは、もう読んでくれていないのかなあ...。
少し寂しいです。


今号もじっくりと拝見させていただいてます!ダニー・ホッジ氏の内容も素晴らしくて、ただただ感心していまいました。
このところバタバタしていたので、昨日ようやく読ませてもらいました。
今回もしっかりした内容で大変読み応えがありました!

ただ、これまでのゴッチ編なんかに比べるとややインパクトの弱さも感じました。
これはnasaさんの文章に問題があったということではなく、素材としてのダニー・ホッジさんとカール・ゴッチさんの差でしょうね。


・経歴・記録が比較的はっきりしていてホッジと、謎だらけのゴッチ。

・“キレやすい”性格であったことから、リング上でも何かしらトラブル・武勇伝があったであろうはずなのに、そういう話がほとんど伝えられていないホッジと、事件・武勇伝に事欠かないゴッチ。

・日本マットとの関わりがそれほど強かったわけではないので、その影響を受けた日本人レスラー・格闘家が少ないホッジと、直接的にも間接的にも多くの選手に大きな影響を与えたゴッチ。

・決して“自分が一番強い”といったようなことを言わなかったホッジと、我が強く他の選手に対する非難も多かったゴッチ。

こうした二人の違いが出ただけではないかと思います。
nasaさんのしっかりした調査と、その分析力・文章構成力については相変わらず素晴らしいの一語に尽きると思います。

あえて一つだけ注文をつけさせてもらうならば、ロビンソン先生によるギディオン・ギダとの比較の部分ですかね。
“スープレックスのみでシューターにカテゴライズすることのできる唯一の選手”というギダに対するロビンソン先生の高い評価を最初に記しておけば、よりホッジさんの強さがクローズアップされたのではないでしょうか?
今回の記事だけを読んだ人の中には「ロビンソンはギダをあまり評価していないんだな」という印象を持つ人もいるのではないか?という気がしたものですから。
nasaさん、たしかにリアクションが薄いですねぇ。
2万人以上参加している総合格闘技コミュでも数人しかレスポンスがありませんでしたし。
総合格闘技好きでもホッジさんの存在を知らない人ばかりなのでしょうか?
カール・ゴッチさんだったら多くの格闘技マニアが知っているのでしょうけれどね。

でも、日記を書いて一日ですが、すでに70人以上の方からアクセスをいただきましたよ。
日記形式はコミュよりも反応が見えやすい利点がありますからね。
ホッジさんの存在を知らなかった人も、nasaさんの書いた特集記事によってこれから隠れた最強レスラーの存在を知る事になるわけですから、まだガッカリなさらないでくださいねウインク
しかし、ゴッチさん、テーズさん、ロビンソンさん、ホッジさん達の現役時代をこうして知る事が出来て、今のプロレスラー達を見るとガッカリしてしまいますね(特に日本人レスラー)。本気になって奮起して欲しいものです。
「私はただのレスラ−だよ!」
 
名言です。 
ウ〜ン、マンダムさん、コメントありがとうございます!
コミュメンバーの中でいち早くコメントを出してくださったおかげで、正直ホッとしました。

戦前のプロフェッショナル・レスラーは高度なシュート用テクニックを持っていました。
彼らはプロフェッショナルレスラーであることに誇りをもっており、誰が相手でもなめられないように、試合では披露できないような危険な裏技を隠し持っていました。
それは現在の総合格闘技でも使ってはいけない程の危険な技術なので、次第にテレビマッチで披露できないような技術は不要とみなされ、伝承されなくなっていきました。
その高度な技術(フック)を伝承された最後の世代(フッカー)がテーズ、ゴッチ、ロビンソンであり、那嵯さんが史上最強の三大フッカーと称した訳です。

しかし、彼らの技術の全てが次の世代に伝承されたかと言うとはなはだ疑問です。
最強の正統プロフェッショナル・レスリングテクニックを学ぼうとするならば、プロレスラー達は今からでも高円寺のUWFスネークピットジャパンへ行くべきですね。
僕も高円寺で正統キャッチ・レスリングに触れて、目から鱗が落ちましたよ。
水森亜土・サンテルさん、ホッジさんの「私はただのレスラ−だよ!」という言葉は、ホッジさんの飾らない性格を現していますね。

しかし、ホッジさんの最大の魅力はレスリングを超えた部分にあると思うんです。
車の運転中、居眠りしてしまって橋に激突し、歯の全部と首の骨が折れる程のダメージを受けたら、普通そこでノックアウトで終わりですよ。
さすがにバキの漫画でもそこで試合終了ですね。
しかも車が川に落下(!!)
車内に閉じ込められたまま水中に沈んでゆくと言う極限状態になったのに、ホッジさんは折れている首を片手でおさえて(強力な握力で首を掴んで固定した?)、さらに車のフロントガラスのわずかな隙間からどうやったのか脱出を果たし(パワーで車を曲げた?ガラスを外した?)、さらに折れた首を片手で抑えながら岸まで自力で泳いで生還するのですから、これはまさにリアル刃牙の世界ですねあせあせ(飛び散る汗)ありえないです。
その極限状態から自力生還する超人的な能力、強靭な精神力には感服するしかありません。
だからこそ、そんな超人が飾らない言葉で自分を評するという、謙遜の態度に感動するんですよねぇ。
エムエンさん

ひとつお断りをしておきたいのは、「私はただのレスラーだよ」というのはあくまで「ホッジさんならきっとこう言うだろう」という私の想像です。
その点だけは誤解なきよう、お願い致します。
ゆにさん、はじめまして。m( _)m
コメントありがとうございます!

>このコミュニティは一流の論客の方ばかりなので、コメントするのにけっこう覚悟がいるのかも知れません。
>コメントこそないものの、コミュニティ参加者のかたで、Gスピリッツの愛読者はまだまだ多く存在すると思います。

このコメントを書いてくださるのも結構な勇気が必要だったでしょうね。
でも、僕も伝説となったリアルプロフェッショナル・レスラーの事を知りたい需要はあると思います。
Gスピリッツ11号で言えば、エル・ソリタリオ最強伝説なんて夢がありますもの。

いつか登場するであろう、那嵯さんによるダニー・ホッジ回顧録の続編を楽しみに待っていましょうね。
僕も楽しみにしています。
ウーン・マンダムさん

早速のコメント、有難うございます。

同じ号にジャイアント馬場の記事を書いた小泉悦次氏は私の盟友です。
こちらのほうも是非ご覧頂き、ご感想など頂けましたら有難いです。


Broncoさん

貴方のリアクションを待ってました(笑)。

まあ、そんなに多くの反応を期待していたわけではないんです。
今号の執筆の目的は、「切れやすい」だのなんだのといったイメージが大分一人歩きを
してしまっている感があるホッジさんのイメージを少しは払拭したい、というのが
一番ですから。
それだけの人ではないんだよ、というのがわかって頂ければそれでいいんです。
ああいう書き方をしたのは、ああ書けば少しは皆さんの反応があるかな、という
挑発です(笑)。

ギデオン・ギダの件は確かに説明不足でしょうね。
ただ前号までに書いてきたことまでなぞると、それだけで結構字数を使ってしまうんで、それは前号を読んで下さいね、という前提にしております。
もっとも基本的には、今回の3篇もそれぞれ独立した形で成立するようには
書いてあるつもりです。


水森亜土・サンテルさん

有難うございます。
上のコメントにも書きましたが、「私はただのレスラーだよ」というセリフは
私の創作ですが、ホッジさんは絶対そう言うだろうという確信は持って書きました。
これはトークショーに出席され、ホッジさんに触れられたサンテルさんなら、ご納得されることと存じます。


ゆにさん

初めまして、ですね。
ご購読下さり、有難うございます。
充分に、励まされました。
このコミュ、確かに論客揃いですが、敷居は決して高くないと思いますよ。
最近は活発な議論めいたこともなくなってきているんで、ゆにさん、ひとつ
爆弾でも投下して下さい(時節的に不謹慎か)。
>ゆにさん

はじめまして。

中には私のようにぬるい人もいますので大丈夫ですよ。(^〜^)
私の場合、本を仕入れるのスピードが遅いので、毎度ながらリアクションも遅いです。でも、一般的にはこれくらいの反射神経が普通じゃないのかな。ホットなファンがたまに遅くなると、どうしたんかな?という感じになるのかも。

「三大フッカー」の中では、今まで一番、情報公開が乏しいホッジさんだったので、私にはどれも充分面白いです。テーズさんゴッチさんの場合は、今までこう言われてたけど実際はどうか?という掘り下げの視点になってくるけど、ホッジさんの場合は、情報自体がほとんど手付かずで新鮮ですからね。
ただ、プロレスにレジェンドやカリスマ性のみを求めるタイプには、「等身大のホッジさん」はいかがなものか?ってのがあるのかもしれません。プロレスラーのキャラとしては、珍しいくらい実直で家族思いの人みたいですし。(でも、イギリスのウィガンの伝説的キャッチ・レスラーも、こういうタイプは多かったみたいですよね)

切れる時も、あらかじめ警告してからキレるようなところがあって、いきなりどんな突拍子もない喧嘩殺法をしかけてくるかわからないモーリス・バションのようなタイプとは違うんだな、ということがよくわかりました。
また、この実直な部分と切れた時の途方もなさのコントラストが、ホッジさんが怖れられた理由であり、魅力でもあるのだと思います。

それにしても、エムエンさんが書いたように、致命的な重症を追いつつ、川に沈んでいく車からの脱出劇など、どんなドラマでもありえないくらい伝説的ですし、
アンジェロ・サボルティとのボクシングマッチで、ホッジが劣勢になったとき乱入してサボルティをナイフで切りつけた観客が、幼い頃に家族を棄てて蒸発した父親だったとか、……ヒューマン・ドラマとして面白すぎますよね。(あんまりネタバレしちゃいけなかったかな?)
ただ、本業のプロレスに関しての派手な逸話が少ないという……、これがまあホッジさんらしいところなのでしょう。

でも、多くのオールドファンが言うように「アマレス主体の地味な技が多くて試合に派手さがなく、正直言えば退屈だった」と思ったことは、私は一度もありません。もの心つかない子供の頃から、私は普通のプロレスファンとは感覚が違ったのかな。
時折り見せるスイングの大きなニーリフトとか、コンパクトな袈裟斬りダブルチョップとか、さほど力んでるようには見えないのに、相手はふっ飛んだりして、充分、見ごたえがありましたよ。

あと握力の話ですが、新聞紙摑みのトレーニングは、フリッツ・フォン・エリックも推奨していたのを、昔の『ゴング』のインタヴューで読んだ記憶があります。エリックの場合はその他に、テニスの軟式ボールのような柔らかいものから初めて、しまいには野球の軟式ボールもパンクさせられるようになる、と言っていました。
全盛期のエリックの握力は、120kg以上で測定不能と言われてましたが、これはレスリング技術とは組み合わさらないレベルの握力ですね。(本能的な部分では、エリックは相手を組み伏せる身体コントロールに長けていたと思います。エリックのクローの威力が他選手と段違いだったのは、その「クロー+本能的ピンフォール能力」とセットだった故と見ます)
パフォーマンス志向のプロレス・ファンにとっては、握力のブランドは絶対的にエリックだったと思うのですが、このテーズ・コミュやGスピ系の本格派ファンにとっては、ホッジの威光はエリックさえかすませてしまう、というところに、深い感慨を覚えるのであります。

細かい部分ではまだ書きたいところもありますが、ひとまずこれくらいにしておきます。

ROSESさん

コメント有難うございます。
私は、貴方をぬるいなんて感じたことは一度もありませんよ(笑)。
日本のヒストリアンたちが決起してことを起こすとき(何をだ!)、
真っ先に声を掛けたい人物のひとりが貴方ですよ。

Dr.TOMさん

毎度お買い上げ有難うございます。
エリックの握力よりも、ホッジの握力に刮目してしまう。
テーズコミュの論客達は、そういう少し変わった視点を持つ連中の集まりでしょうね(笑)。
いえ、褒めてるんですよ、もちろん。
ホッジさんの父親の話はあそこまで拡げるつもりはなかったんですが、ほら、
曲解する人がいるでしょ、こういう話は。
ただ新聞記事が見つかり、ある意味いい話だなあとも思ったもので。
プロ入り後のホッジさんに関しては、確かに逸話は少ないですね。
相手レスラーが明らかにビビっていて、怒らさないように怒らさないように、
まるで腫れ物にでも触るように、試合をしている映像を見たことがあります。
これでは、逸話の作りようもありませんね。
バションと何試合か対戦している記録がありますけど、この対戦などは金をいくら
払ってでも見たかった試合のひとつですね。
皆さんがプロレスのことを書かれていますので、元ボクシング・マニアの私は、ボクシングのことを書きます。
本編に登場するフロイド・パターソンは、1952年のヘルシンキ五輪でミドル級ボクシングのゴールド・メダリストである。彼は1935年7月4日にノース・カリフォルニアのワコーで11人兄弟の末っ子として生まれ、後に一家でニューヨークのブルックリンに移住している。
ホセ・トーレス、マイク・タイソンも育てた名匠カス・ダマトと17歳の時に出会い、彼からボクシングを学んでいる。
ヘルシンキ五輪からの帰国後も、全米アマチュアでミドル級タイトルを、ニューヨークのゴールデン・グラブでミドル級タイトルを獲得し、その後プロ転向している。
他のボクサーよりもグラブを高く掲げ、顔を覆ったスタイルは、スポーツ記者が「ピーカブー・スタイル(覗き見スタイル。Peek A Booは赤ん坊をあやすときの“いないいないばあ”の意味がある)」と名付け、タイソンへも継承されている。
プロ転向後、当初はライト・ヘビー級で戦っていたパターソンではあったが、カス・ダマトは1954年の早い時期までにヘビー級で戦わせようと考え、それを実行に移す。当時は、時のヘビー級チャンピオンであったロッキー・マルシアノが49戦全勝のまま引退した頃でもあり、彼に続くヒーローが待望されてもいた。
当時、世界ランキングは存在せず、ボクシングの専門誌であった『RING』の制定するランキングが最も権威あるものであったが、彼はそのライト・ヘビー級1位にランクされていた。ヘビー級転向を宣言したパターソンを、『RING』はヘビー級5位にランキングした。彼はエリミネーション・バウトを順調に勝ち進んだ。1956年11月30日に決勝では当時のライト・ヘビー級世界チャンピオンであったアーチ・ムーアを破り、21歳10ヵ月の史上最年少でヘビー級の世界チャンピオンになるとともに、オリンピックのゴールド・メダリストで最初に世界ヘビー級チャンピオンの座を射止めたボクサーとなった。
1959年6月26日、防衛を続けるパターソンの前に現れたのは、スウェーデンのインゲマール・ヨハンソンであった。
当時のパターソンの防衛戦で対戦したボクサーは殆ど名前も実力もないボクサーたちばかりであった。なぜなら、ダマトがダークサイドと繋がりのあるボクサーたちとの対戦を徹底して忌避し続けたからである。
そんな中で、ヨハンソンは余りに強敵であった。彼は1958年9月14日にエディー・マッヘンを破って世界ヘビー級タイトル戦線に浮上するのだが、それ以前にも欧州チャンピオンのハイン・テン・ホフ、イタリア王者のフランコ・カビッチ、欧州・大英帝国・英連邦の3冠王者になるヘンリー・クーパーをすべてKOで破っているのだ。
パターソンは第3ラウンドに、ヨハンソンの“雷神のハンマー”で7度キャンバスに転がされた挙句、レフェリーのルビー・ゴールドスタインによって試合をストップされるという屈辱的な敗北を喫する。ヨハンソンはスウェーデン初の世界ヘビー級チャンピオンとなった。
このリターン・マッチは翌1960年6月20日にセット・アップされた。ただ、ボクシングの世界ヘビー級チャンピオンにはジンクスがあり、「ヘビー級は帰って来ない」と言われ続けていた。つまり、長いヘビー級の歴史で世界チャンピオンに返り咲いたボクサーは皆無であったのだ。
パターソンはヨハンソンを第5ラウンドにKOし、世界ヘビー級王座奪還に成功した。彼は長い歴史の中で、初めて帰還したヘビー級となった。
この後、2人のラバー・マッチ(1勝1敗後の3度目の対戦)が1961年3月13日に挙行されたが、このときはパターソンが第6ラウンドKO勝ちし、2人の対戦に決着をつけている。
(以下次項)
(前項よりの続き)
nasaさんが本編で書いている通り、パターソンはオリンピック・チャンピオンのピート・ラデマッハーのデビュー戦で相手を務めている。勿論、世界タイトル・マッチであった。
そして、パターソンの前に新たな刺客が現れた。後にカシアス・マーセラス・クレイのモハメッド・アリとも対戦するソニー・リストンがその男であった。
リストンは自称1932年3月8日生まれとなっているが、彼の母親の話によれば1928年1月生まれということになるらしい。彼は、農園で働くそれほど貧しい父親と母親の間に13人兄弟の12番目として生まれた。父親の支配から逃げるため、13歳のときに生まれ故郷のアーカンソーを捨て、ヒッチハイクでセントルイスで暮らす母親のもとへ移り住む。10代でガソリンスタンドの売り上げを奪い、少年院へ入るが、ここでボクシングと出会う。1952年にはゴールデン・グローブを初めとするアマチュア・タイトルを総なめにし、1953年にプロ転向を果たす。
リストンのキャリアを見ると1957年が空白になっていることに気付く。これは、彼が刑務所に収監されていたためであり、こうした彼の経歴から暗黒街との繋がりは早くから噂されているところであった。実際、彼は1970年12月30日の死亡とされているが、これもスラム街で薬物の過剰服用による変死体となって発見されているに過ぎないのだ。
世評の高まりもあり、ダマトとしてもリストンとの対戦を受諾せざるを得なかった。しかし、ここでも問題が発生した。当初地元ブルックリンの試合を計画していたのであるが、ニューヨーク州体育協会がリストンの経歴を審査した結果ライセンスの発行を許可せず、止むを得ずシカゴのコミスキー・パークで対戦となった。
リストンの拳回りは15インチもあり、後に身長7フィートのニコライ・ワルーエフが登場するまで最大の拳であったと言われている。
パターソンはこの巨大な熊の前に3分間ですら耐えることが出来ずに、第1ラウンドKO負けを喫する。
余談ながら、リストンはこの後、カシアス・クレイに2度KO負けを喫するのであるが、この2試合ともに曰くつきの対戦となった。第1戦のブックメーカーによる賭け率は8対1とリストンの圧倒的有利であったのだが、第6ラウンドに渾身のフックを放った際に肩を脱臼してリストンが先にギブ・アップ。さらに第2戦では2分足らずでクレイがリストンをワン・パンチKOするのであるが、観衆が何が起こったか判らないうちのKOとあって、クレイはこのときのフィニシュ・ブロウを「ファントム・パンチ(幻のパンチ)」と称した。
リストンに敗北した後もパターソンはボクシングを続けた。
リストンとのリターン・マッチでは再び第1ラウンドKO負けを喫し、2度目の王座返り咲きはならなかった。
この後、エディー・マッヘン、ジョージ・シュバロに勝利すると、世界ヘビー級タイトル挑戦がまたも実現した。時は1965年11月22日、相手はモハメッド・アリで、この頃全盛のアリにはさすがに敵わず、第12ラウンドTKO負けを喫している。
1966年にはイギリスへと遠征し、ヘンリー・クーパーをKOする。
この頃、徴兵忌避によりモハメッド・アリから剥奪した王座を争うエリミネーション・バウトが展開される。パターソンも8名の参加者の1人に加えられるが、1967年、ジェリー・クォーリーに12ラウンド判定で敗れた。それでも現役を続行するパターソンは、さらにジミー・エリスにも敗れる。
表舞台から消え去りかけたパターソンは、1972年に入りオスカー・ボナベナを破り、思いがけないチャンスに遭遇する。1972年9月20日、タイトル剥奪から復活を遂げようというモハメッド・アリへの挑戦の機会が与えられた。賭けられたタイトルは世界ヘビー級タイトルではなく、北米ヘビー級タイトルではあったが、この1戦に勝利すれば再びメインストリームへと戻ることが出来る。しかし、時間は非情にもパターソンを見放した。このときパターソンは既に37歳、世界の第一線で活躍するだけの力はもはや残されていなかった。パターソンは引退を決意した。
引退後、パターソンはニューヨーク州体育協会の会長も務め、後年暮らしたニューヨーク州ニューパルツの名士となった。ヨハンソンとは親友となり、毎年お互いを行き来するようになったばかりか、1982年と1983年のストックホルム・マラソンを一緒に走っている。
晩年はアルツハイマー病と前立腺がんに罹患し、2006年3月11日、自宅で71歳の生涯を終えている。

補足というほどのものではありませんが、皆さんのご参考までにと記述しました。これが元ボクシング・マニアの知り得るフロイド・パターソンの生涯であります。
お邪魔しました。
アンジーさん

フロイド・パターソンの詳細な足跡、有難うございます。
ページに余裕があったとしても、私の俄か知識ではそこまで書ききれませんでした。
アンジーさんならではですね。

生年から逆算すると、パターソンが金メダリストになったのは17歳ということに
なりますね。
さらにカス・ダマトと出会ったのも17歳、天賦の才があったのでしょうね。
本物の“シンデレラボーイ”です。
タイソンといい、ダマトというのはこういう天才を見出し、育成する才能に
秀でた人だったのかもしれません。

ロッキー・マルシアノが引退してからカシアス・クレイが登場する間の時代、
ボクシング界は新たなる“HERO”を生み出そうと、試行錯誤を繰り返していますね。
プロで積み上げた実績を持つ“既成”の強豪を差し置き、アマチュアから転向したばかりの
“新星”にチャンスを与えています。
ある意味パターソンはその成功例、ラーデマッヘル(ラデマッハーが正しいのでしょうか)が
失敗例なんでしょうね。
ダニー・ホッジは果たしてどちらの道を行ったのか。
VSパターソンは是非実現して欲しかったですね。
ホッジ勝利となれば、ヘビー級最後の『ホワイトヒーロー』となり、数年後の
クレイ登場も違ったものになっていたでしょう。

もっとも、彼がボクシングに見切りを付け、プロレスに転向したからこそ、
我々はその後の彼の伝説を知ることが出来たわけですが、ホッジさんなら
プロボクシングの世界でチャンプになったあとでも、あっさりプロレスに転向し、
『史上最強のジュニアヘビー』になっていたような気がするんです。
毎号じっくりと読ませてもらっています。
今回の「ダニー・ホッジ回想録」も興味深い内容でした。

ダニー・ホッジといえばアマレスでオリンピック出場、ボクシングではゴールデングローブ優勝、そしてプロレスでは史上最強のジュニア戦士、くらいの認識しかありませんでした。

「アマレスラー・ホッジ」
輝かしい戦績もさることながらアマレスとの出会い、「ダイナマイト・ダン」と呼ばれた無敵の時代、そして家族のためレスリングより就職を選択せざるをえなかったことなどはじめて知ることばかりでした。
中でも高校時代さしたるコーチも受けないで州の王者になるなんて本当に凄い才能だったんですね。

「ボクサー・ホッジ」
短いボクサー生活のようでしたが、ゴールデングローブ優勝をはじめここでも凄い戦績に驚かされました。
レスリング同様ボクシングもそのまま続けていたら、これまた凄い記録が残ったでしょうね。
そしてここでも家族のためオリンピックをあきらめプロへ転向、そしてフャイトマネーのトラブルからボクシングとの決別、家族を養うためファイトマネーが貰えなければ当然の選択だったのでしょうか・・・

「プロレスラー・ホッジ」
サボルディとのボクシングマッチでの事件は驚きでした!
まさかそんなっ、てことがあったんですね!
ヘビー級最強のテーズは納得ですが、ジュニア最強にマツダを上げましたが今は亡きマツダも最強の相手はホッジだったんでしょうか?
お互い認め合っていたのでしょうか?
そして交通事故の生々しい証言から、たいした後遺症が残らなかったのは奇跡的であり、また超人的な体力、精神力のなせるわざですね!

本文中の「見ていて強いのはわかるが、・・・正直に言えば退屈だった。」
私は何度も生、TV等で見ましたがまさに同じ印象です。
テーズ戦、マツダ戦、ドリー、スナイダーと組んでのインター・タッグ戦など見たのですがホッジに関する記憶は残念ながらほとんどありません。
テーズ戦3本目のトップロープ越しのボディプレスだけは鮮明に覚えていますが。

最後に毎回写真も楽しみです。写真から当時のことを勝手に想像しています。
昔は一枚の写真から自分なりに妄想を膨らませたものです。

次号はどんなテーマでどんな写真が載るか楽しみです。











ブルースさん

ご感想有難うございます。
熟読下さったのがよくわかり、感激しております。

ホッジさん、本当に優しい人でした。
ご好意で東京見物に同行させて頂きましたが、片時も奥様の手を離さず、
常に行動を共にされておりました。
奥様にとっては初めての日本、天ぷらも初めて食すとお聞きしました。
「家内を日本に連れて来られて凄く嬉しいよ」とは、ホッジさんの弁。
決して社交辞令ではなく、本気でそう思われていたことでしょう。
奥様を、世の中の他の誰よりも大切に思う気持ち。
ゴッチさんと何よりも増して共通する部分です。
私の娘にも、奥様ともども優しく接して下さいました。

写真はこのときの来日時に、販売用の四切写真を製作する手伝いをしましたので、
そのときに集めたものが役に立ちました。
こういう形で眠っている写真や文献などのコレクションに、陽の目をあててやりたい。
経済的な還元もちょっと含めて(笑)、一番嬉しいことです。

ログインすると、残り4件のコメントが見れるよ

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

ルー・テーズ(プロレスの歴史) 更新情報

ルー・テーズ(プロレスの歴史)のメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。