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備後の歴史を歩くコミュの知波夜比古神社(三良坂)

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知波夜比古神社(ちはやひこ) 【式内社 論社】三次市三良坂町に鎮座する。

こちらの知波夜比古神社も式内社を自称している。祭神は乳速日命(ちはやひのみこと)とし、先代旧事本紀ではホノニニギの天孫降臨にお伴した32神のうちの1人である。その乳速日命は神器を納めた箱を持って当地に下向され、その鎮座地を御箱山と伝う。万治2年(1659)火災に遭い社殿は焼失。小社を建てて祀っていたが天明6年(1786)伊藤左馬之助重基が再興し、三谷郡三十八か村の総社となった。しかし、大正12年編纂の県史社寺志によると、「正徳(1711−1716)、享保(1716−1736)のころ神職伊藤某社殿再興の志ありしも果たさすして死す。天明年中伊藤重基、有志と謀り再興を企て官幣帛及び宗源宣旨を得たるも重基死して再興の事成らず」そして、「明治23年(1890)今の社殿を再建」とある。広島県神社誌では、「本殿は天明6年に再建」とあるが、明治以前に建立された社寺建築物をくまなく調査しリストにまとめた「広島県の近世社寺建築」へは記載がないので、明治23年説が正しいのかも知れない。

本殿は、桁行三間、梁間三間の妻入り入母屋造である。前方一間分は吹き放ちの外陣となるが、現在は板で囲われている。身舎柱は円柱、外陣は角柱を使う。長押を打ち頭貫で固定し、その上に台輪を置き平三斗が丸桁を支える。柱間には蟇股を置き、木鼻や拳鼻には絵様を飾る。軒は二軒で平行重垂木である。自然石を積んだ上に本殿は建つ。四方を廻る高欄付きの縁を支える柱は古い。身舎を支える柱の基礎部分はコンクリートで盛り直され補強されている。


写真
左:式内社の石柱
中:石鳥居
右:扁額

地図


http://link.maps.goo.ne.jp/map.php?MAP=E132.57.40.762N34.45.53.689&ZM=9

もう一つの知波夜比古神社【式内社】三次市高杉町
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=32781414&comm_id=1818324

コメント(9)

知波夜比古神社

写真
左:参道
中:まだ続く・・・。
右:やっと石段
知波夜比古神社

写真
左:狛犬
中:同じく
右:拝殿に掲げられた扁額
知波夜比古神社

写真
左:もう一対の狛犬
中:同じ
右:本殿
知波夜比古神社

写真
左:本殿 側面
中:本殿 背面
右:高欄廻り縁
知波夜比古神社

写真
左:自然石を積んだ礎盤
右:文永乙丑二年と掘られた灯籠 文永2年は1265年・・・
本当だろうか?
 
下の台座だけ、年代が違うのかな〜?

しかし、
文永2年で、こんなに彫りが残っているとは考えにくいけどなー

「3」の狛ちゃんがかわいい〜〜〜
踏ん張り型?
台座は新しく見えます。
建立年は何れも不明。
参考までに石灯籠を撮って帰ったけど、あれは???
(?_?)

「6」の
上の3行は、石灯籠の話題なんですが……冷や汗

こま犬はそんなに古くないと思いますが…
でもかわいい〜〜〜
・・・


いずれにしても文永2年はないよね。
狛犬も台座だけが新しくなってました。



A☆KIさん、狛犬の目利きは鋭いからな・・・。
いつも感心してます!

>そんなに古くない

はい。私もそう思います・・・。



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