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【オリバト+】コミュの【Successor of Blue Sphere】

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文:神威 咲

※神威さん以外の書き込みはご遠慮ください。

コメント(59)

「うん、実はこれなんだけど」
こっくりと頷いて、ヨシュアは胸元で揺れている物体を首から外して、マリアへと差し出す。
受け取ったかと思うと、マリアはおもむろにそれを引っ繰り返したり引っ張ったりしてみるが、全く何の反応もない。
首を傾げながら、目の前でニコニコと微笑んでいる黒髪の少年に疑問をぶつける。
「……なんなの、これ?」
石とも金属ともおぼつかない物質で作られた平べったい棒状のそれは、およそマリアには見当もつかない代物だった。
一体、これにどんな用途があるのか、そして何故こんな物を祖父は自分に渡そうとしたのか?
その解答を導き出す事が出来ず、問題を与えた本人へと問いかけたのだが。
返ってきたのは、全くもって予想の範疇を超えた解答だった。

「それはね、『鍵』なんだ……この『地球』を護るために必要な、『鍵』」
先程まで浮かべていた笑顔は消え去り、その瞳には真剣そのものの光が宿っている。
そして、穏やかながらも力強い口調は、嘘をついているとは到底思えない響きを湛えていた。
……しかし、いきなりそんな事を言われて「はい、そうですか」と納得する人間がそうそう居る筈がない。
もちろん、マリアも納得するはずのない人間の1人で。
「えっと……何を言ってるのか解らないわ。 何かの冗談? 初めて聞いたんだけど……」
「冗談なんかじゃない。 これは、本当の事なんだ」
マリアの瞳をジッと見つめ、聞き分けのない子供に言い聞かせるように言葉を紡ぎ出すヨシュア。
「僕も、これをキミのお祖父さんから預かった時には信じられなかった……でも、真実なんだ。 これは、この『地球』を護る為に必要な『鍵』。 この地球に人類が誕生してからずっと……マリア、キミの血筋に代々受け継がれてきた物なんだよ」
ヨシュアの世迷言を黙って聞きながら、マリアはすっかり冷え切ったカップとソーサーを手に取り、カップに口をつける。
「そんなに昔から、受け継がれてきたって言うの? 私の家系だけに……信じられるわけないじゃない、そんなの。 ファンタジーやメルヘンじゃあるまいし」
紅茶を喉の奥へと流し込み、左手に持ったソーサーにカップを置く。
「だいたい、そんなに大切なものなら、どうしてお祖父様が私に直接これを渡してくれなかったの?」
「もちろん理由はあるよ……ダグラス氏が僕に『鍵』を預けた理由も、そこにあるんだ」
怪訝そうな表情でヨシュアを見つめていたマリアだったが、その理由とやらが気になってしまい思わず訊ねてみる。
「……一体、どういうこと? 理由があるですって?」
こくん、と頷いて言葉を続けるヨシュア。
そしてその言葉を耳にしたマリアは、とてつもない衝撃を受ける事となる。
「その理由と言うのは……ガブリエル・ハートネット、キミの叔父である彼がその『鍵』を狙っていたからさ。 そして、それを手に入れる為にガブリエルは実の兄である、キミのお父さんを事故に見せかけて殺害したんだ」

あまりに衝撃的な事を言われて、マリアの思考は一瞬停止した。
それに気付きながらも、ヨシュアは構わずに更に話を続ける。
「……それ以前からガブリエルの様子がおかしいことを薄々感じていたダグラス氏は、密かに僕に『鍵』を預けたのさ」
冷えたカップを口元へ運び、冷え切ったローズティーを口に含む。
香りは未だ健在ながらも、やはり味は温かい時よりも落ちている。
勿体無い事をしたな、と思いつつヨシュアはカップをソーサーに戻した。
「これは、全部ダグラス氏から伝えられた事だよ。 全て真実なんだ。 僕は嘘をつかない……神に誓ってもいい」
さっきから俯いたまま肩を震わせているマリアを、慈しむような眼差しで見つめるヨシュア。
長くてキラキラしているプラチナブロンドのおかげでその表情は窺い知れないが、今の話でショックを受けているはずだ……そう思ったヨシュアは、マリアの肩へと手を伸ばした。
同時に、顔を伏せていたマリアがボソリと何事かを呟く。
「……ないじゃない」
伸ばしかけた手を細くてしなやかな、柔らかい指でガシッと掴まれたヨシュアは驚いてマリアに視線を向ける。

マリアへと向けられたヨシュアの視線の先にあったのは、静かな怒りをそのブルーの瞳に湛えた美しい少女が浮かべている、心臓も凍り付いてしまうのではないかと思われるほどに冷ややかな微笑だった。
「叔父様が、お父様を殺した……? そんなこと、あるはずがないじゃない」
触れればぷるん、と弾けそうな形のいい唇から飛び出してきた言葉に、隠しきれない怒気をはらんでいるのをヨシュアはひしひしと感じた。
応接間の気温が急激に下がったかのように感じるのは気のせいだろうか?
蛇に睨まれた蛙の如く、冷や汗を垂らしながらヨシュアは(生きた心地がしないって言うのは、こういう感じなんだな……)と思った。
「落ち着いてよ、マリア。 僕は決して嘘をついたりしない。 これは本当の事なんだ……たとえキミが彼のことをどれほど信頼していたとしても、ガブリエルがお父さんを殺したと言う事は事実なんだ」
「嘘よッ! そんなの、嘘に決まってる!」
語気を荒げて、マリアは叫んだ。
ガタッと音が立つほどの勢いでソファから立ち上がるとテーブルに手をついて身を乗り出し、ヨシュアを睨みつける。
そんなマリアを見て、哀しそうな表情を浮かべるヨシュア。
「どうしても、信じてはくれないんだね」
「当然だわ。 何処から来たのか解らない、本当にお祖父様の友人なのかどうかも疑わしい人の言う事とこの世でたった一人になった肉親、どっちを信じられるかって言ったら当然」
早口で捲くし立てたかと思うと、マリアはバン!とテーブルを掌で叩いた。
「私なら、叔父様を信じる……貴方の事、ちょっとでも信用してあげようと思った私がバカだったわ。 あんなに優しい人が、人を殺したりするはずない! ましてや実の兄であるお父様を!」
その美しい双眸で、真っ直ぐに睨みつけてくるマリアの視線を受け止めつつ、ヨシュアは溜め息混じりに口を開いた。
「キミがガブリエルをどれだけ信用しているのか、よく解ったよ。 ……だけどね」
胸元で存在を主張している『鍵』が付いたチェーンを外しつつ、ヨシュアは言葉を続ける。
「きっとすぐに、僕の言っている事が正しかったってことに気付くよ。 その時、キミは危険な状況に立たされる事になるだろうけど……僕が、必ずキミを助けに行くから」
首から外したチェーンと共に、『鍵』をマリアへと差し出す。 それをマリアは無言で受け取る。
「それが、僕とキミのお祖父さんとの約束。 僕の役目だから。 だからマリア、どんなことがあってもきっと諦めないで僕を待ってて欲しい。 今はたとえ僕の事を信じてくれなくても、僕はキミを信じているから」
そう言って、ヨシュアは廊下で見せたのと同じ微笑みを浮かべた。
けれど、今のマリアはその微笑みに釣られて笑顔になるような状態ではない。
「……言いたい事は、それだけ?」
受け取った『鍵』をギュッと握り締め、マリアは冷たく言い放つ。
「用が済んだのなら、帰って。 そして、もう2度と私の前に現れないで!」
その言葉と共に、マリアの頬を一筋の涙が伝い、そして零れ落ちた。
それを目にしたヨシュアは、既に背を向けているマリアへ「それじゃ、また」と投げかけてから応接室を後にした。
部屋から出て行く気配を背中越しに感じつつ、マリアは祖父が自分に渡そうとしていたと言う『鍵』をただジッと見つめていた。


**********


キャリーを引いて夜道を歩くヨシュアは、深い溜め息をついた。
それと同時に、穿いているジーンズのポケットから携帯電話の呼び出し音が聞こえてくる。
慌ててポケットから携帯電話を取り出し、通話ボタンを押して電話に出るヨシュア。
「もしもし、僕だけど」
耳に当てた受話部からヨシュアの耳に飛び込んできたのは、陽気な印象を与える若い男の声。
『よぉ、無事着いたみたいだな。 で、どうだった?』
「案の定、すんなりとは信じてくれなかったよ。 彼女、『叔父様』にぞっこんみたいだからねぇ……まぁいきなりあんなこと言ったら普通は怒るだろうしね」
電話越しでは伝わらないのにもかかわらず、肩を竦めてみせるヨシュア。
『そりゃそうだ。 で、この後はどうすんだ?』
「うん。 とりあえず、ガブリエルが動くのを待つよ。 “第一段階”はクリアーしたからね……」
言いながら、羽織っているジャケットの胸ポケットから棒状の物体が付いたチェーンを取り出し、首に掛ける――それは、つい今しがたマリアに手渡した筈の『鍵』と全く同じ素材で出来ているように思えた。
首に掛けたそれを指で玩びつつ、ヨシュアはニヤリと笑みを浮かべる。
「『鍵』がマリアの手に渡ったと知れば、絶対にガブリエルは動く。 “第二段階”はそれからだよ、《ショット》」
『そっか。 じゃあ、今日のところは引き上げるんだな?』
ショットと呼ばれた電話の相手からの問いに、ヨシュアは頷く。
『いや、お前今そこで頷いただろ。 返事しろよ返事』
「あ、ゴメン。 うん、これからココナッツ・グローブに向かうよ」
『待て! お前はヘタに動いたら何処に行くかわかんねぇんだから、住所が判る場所で待ってろ! つーかそこの住所を教えろ!』
「う……わ、解ったよ。 えっとね、ここの住所は……っと」
ソフトキャリーの中から手紙を取り出し、現在地の住所を確認するヨシュア。
そんな事をしてる間に、既に手紙に書かれていたマリアの家の場所からは随分と離れた所まで移動してしまっているという事にヨシュアが気付いたのは30分後、指定された住所にショットが彼を迎えに来た時だった。
**********


 暗い部屋の中で、ベッドに仰向けに突っ伏したままマリアは震えていた。
それは怒りのせいなのか、それとも涙のせいだろうか。
感情が昂ぶると涙が出てきてしまうのは悪い癖だ。 だから彼女はいつも冷静になるまで泣き続けことにしている。
心の慟哭の結晶が枕を濡らし、その冷たさが今度は頬から体温を奪っていく。
ヨシュアが屋敷を後にしてから、嗚咽している自分を見たマーガレットが何があったのかを訊ねてきたが、心配性の乳母を冷たくあしらってそれきり自室に閉じこもりっぱなしのマリアはそれを後悔していた。
(私って、どうしていつもこうなのかしら……明日、ばあやにちゃんと謝らないと)
グスッと鼻を啜り、枕から頬を引き離して、マリアは枕元にある目覚まし時計へと視線を向けた。


 そう言えば、あの朝のまま放置して処分するのを忘れてたわね……と思いつつ、私は何が不満だったのか判らないけれど時を刻むことを辞めてしまった目覚まし時計だったものから携帯電話へと視線を移し、手にとって現在時刻を確認した。
「2時18分……いつの間にか、そんな時間なのね」
よいしょ、と身体を起こした私は、欠伸を噛み殺しつつそのままベッドの上に座り込んだ。
あのヨシュア・トゥリーと名乗った男の子が叔父様の事をスッゴく失礼に言うもんだからついカッとなって追い返してしまってから、もう3時間も経っていたなんて。
いつもだったら1時間も経たないでおさまるはずなんだけど……やっぱり、こんなに時間がかかったのは叔父様を悪く言われたせい?
だって、あの優しい叔父様がお父様を殺しただなんて……そんなはず、ないわよ……そんなこと言われたら、怒って当然よね?
 
 だいたい、最初からおかしいと思ったのよ。 『ヨシュア・トゥリー』ですって? あからさまに偽名じゃない。
『ヨシュア・トゥリー』って言えば、確かアメリカ南西部の砂漠辺りに生えるユッカの樹の別名だし。
……まぁ、もしかしたらそれが本名って可能性も無いことは無いと思うけど。
でも、ヨシュアのそれは間違いなく偽名だと、どういうわけか今の私には不思議と確信があった。
根拠なんてものは皆無なんだけどね。
「今度会ったら、絶対に訊き出してやるんだから……」って、そう言えば私『もう2度と私の前に現れないで!』って言っちゃったんだっけ。
怒りの勢いに任せた為に口をついて出た言葉とは言え、さすがに『2度と現れないで』ってのは言い過ぎたかしら……。
「……本当に、もう来なかったりして。 ……って、何言ってるのかしら。 私ってば」
ふぅ……と溜め息をついて、私はカーテンの隙間からちらりと覗く月灯りへと視線を移した。
 
 ふわふわと柔らかい兎の形をしたスリッパを履いて、窓の方へと向かう。
まるでその先への侵入を拒んでるかのように外の景色を包み隠しているカーテンを開くと、煌々と地上を照らし続けている黄金色の月の姿が視界に飛び込んできた。
柔らかで優しい輝きを放っている月の周りをうっすらと被っている、夜の闇でくすんだ青になった雲のヴェールが、幻想的な雰囲気を醸し出すのに一役買っているのがはっきりと判る。
「綺麗、だわ……」
ついさっきまでムシャクシャして泣いていたのも忘れて、私はただその御伽噺に出てきそうな光景を黙って眺め続けた。

 ジッと月を見ていたところで、何故だか不意に瞳を閉じたい衝動に駆られた私は、それに身を任せてみることにした。
すると、ほんの数時間前に数回見せられただけにもかかわらず、しっかりと網膜に焼き付いてしまっているヨシュアの微笑みが、突然まぶたの裏に浮かび上がってきたではないですか!
慌てて瞳を開いた私は、瞼の裏だけでなく脳内にまで侵入してきた彼の笑顔を振り払おうとして、ブンブンと頭を振った。
「どうして、彼の顔が浮かんでくるのよ……しっかりしなさい、マリア」
ぺちぺちと頬を掌で叩き、シェイクされたせいでだいぶ弱ったヨシュアにトドメを刺した私は、自慢のプラチナブロンドをかきあげてから、ふぅ……と大きく息を吐いた。

 叔父様の事、悪く言われて凄く腹が立ったのに。
 2度と、顔も見たくないとまで言ってしまったのに。
 なのに、どうして彼の顔が浮かんできてしまうのだろう……何故?
ほんの少し、ちくりと痛む胸を押さえた私は、知らず知らずのうちに握り締めていたカーテンを更に強く握り、夜空に浮かんだまま地上を見下ろしている幽玄な月を再び見上げた。
 マリアはそれからしばらくした後に再びベッドへ戻り横になったが、なかなか寝付けずにいた。
普段であれば、ベッドに横になってその澄んだブルーの瞳を閉じればどんな心境にあろうとも5分も経たずに眠れるというのに。
実際、父が事故で亡くなった時も、祖父が亡くなった時でさえ、哀しみに暮れつつも横になれば全てを忘却の彼方へと置き去りにして、深い深い眠りにつくことが出来ていたのだ。 にもかかわらず、今宵は一向に眠れない。
瞳を閉じる度に、ある顔が浮かび上がってきてしまうせいだ。
いったい、眠れないのは誰のせい? ――ヨシュア・トゥリー。 アイツのせいよ。 私の心の安息だけでなく、安眠まで妨害するなんて。 覚えときなさい? 絶対許さないんだから。
そんな事を考えつつ、ギュッと枕をその薄い胸に引き寄せて、強く強く抱き締めた。 それはもう、もしも枕が喋る事が出来たとしたならば『し……死ぬ』と言い出さんばかりの勢いで。
結局、マリアはシーツの海にその身をダイブさせてから寝返りを256回、溜め息を94回ついた直後に、ようやく眠りにつくことが出来た。
……その時、既に時刻は午前4時を回っていた。

 翌日。 今日こそは学校へ行こうと思って目を覚ましたのところまでは良かったのだが、遅い時間まで起きていたせいか、それとも柔らかいベッドがもたらす包容感によって安らぎを得たせいなのか、マリアは物心ついた頃から指折り数えるほどしかしたことのない、2度寝をしてしまった。
気がついた時には既に午前11時になっており、携帯電話で時間を確認してから霞がかかった意識がハッキリしていくにつれて、もはや学校へ行く気は彼女の中からすっかり消え失せていた。
いつもの朝ならば、いい加減起きてこない困った眠り姫をその呪いから解き放つ為に、白馬の王子様……ではなく乳母のマーガレットが起床を促しに来るのだが、今日はどうやら部屋の中に入ってくるどころかドアをノックする事すらしていないようだった。
恐らく、まだ登校する気分にはなっていないだろう……と余計な気を遣ったに違いない。 マーガレットの性格を考慮すれば、その可能性が最も高いことが幼い頃からの経験を振り返ると容易に想像できる。
 クスッと微笑んでから、まだ視界がぼやけている瞳を手の甲で擦りつつ欠伸をしたマリアは両手を頭上に掲げて大きく伸びをした。
そしてベッドから起き上がると乱れたシーツを軽く整え、そのままゆったりとした足取りでバスルームへと向かった。
いつもと同じように一糸纏わぬその肢体は、眩しい太陽の陽射しを浴びて弾けるように輝いて見える。 その様子はまさに神が生み出した芸術品……この世のどんな素晴らしい芸術家ですらも作り出す事の出来ない至高の美……そう言っても過言ではないほどに美しかった。
 
 バスルームに入ったマリアはバスタブにお湯を溜め始め、そして鏡を覗き込んだ。
昨夜、目を覚ました時よりは随分と顔色もマシになった。 ひとしきり鏡の中の自分と睨めっこしていたマリアは、「よし」と頷いてから蛇口を捻ってお湯を止める。
半身が浸かるくらいまでお湯を張ったバスタブに、ワゴンに載せてあるバスケットから山盛りになった薔薇の花弁を一掴み分だけ取り出してお湯の上に浮かべる。
元々、薔薇の香りで溢れかえっていたバスルーム内を、立ち上る湯気と共に拡がる薔薇の香りが室内を満たしていく。
いつものように、まだ熱い湯を冷ます為に軽くシャワーを浴びた後、ちょうどいい湯加減になったバスタブへとすらりと引き締まった美脚を滑り込ませ、続いて腰まで浸かってから、最後に半身までを沈めるマリア。
「ふぅ……やっぱりお風呂はいいわね。落ち着くわ……」
のんびりと半身浴を楽しもうと瞳を閉じる。 と同時に、ベッドの横に置いてあった携帯電話がけたたましく鳴り響いた。

「あら、この着信音は……叔父様!?」
聴こえてきたのはモーツァルトの『交響曲 第41番《ジュピター》第1楽章』。 この着信音はガブリエルの番号に設定してある。
マリアは身体も拭かずに慌ててバスルームを飛び出し寝室へと向かうと、ベッドの横にあるキャビネットの上で呼び声を上げる携帯電話を引っ掴んで通話ボタンを押した。
「もしもし、マリアです。 おはようございます、叔父様」
『やぁ、マリア。 おはよう……今、大丈夫かな?』
電話越しの為か、ガブリエルの声はややくぐもって聞こえたが、マリアは別段気にも留めなかった。
「えぇ、大丈夫です。 今日も学校はお休みしましたから……ちょっと、気分が優れなかったもので。 それで、何か御用がありました?」
『あぁ。 昨夜、彼……ヨシュアくん、だったかな? あの後、彼とどんな事を話したのか気になったものでね』
ヨシュアの名を耳にしたマリアはほんの少しだけ眉をしかめたが、声だけは平静を保つように努める。
「えっと……お祖父様から預かっていたと言う何かの『鍵』とやらを受け取りました。 それと……」
思わず、言葉が途切れてしまう。
当然だ。 叔父様が父の命を奪ったと聞かされました……などと当の本人に話すわけにはいくまい。 たとえ、それが少年の戯言だったとしても。

 顔は見えずとも言葉を途切れさせた姪の様子を不思議に思ったらしく、ガブリエルが何事かと訊ねてくる。
『マリア? ……どうした? 他に何かあったのか?』
ハッとして、頭を振る。 ヨシュアと言う名前が出てきた瞬間、また彼の顔を思い出してしまい、そしてそれがまたなかなか消えてくれないのだ。
黒髪の少年の事はひとまず置いといて、とりあえず会話を続けなくては……困り果てた表情をしながら、マリアはヨシュアの話を適当に誤魔化す事にした。
「あ、いえ……特には。 その後は他愛もない話をして、時間が時間だったので昨夜はお引取りいただきました。 それだけです」
『……本当に、他には何も言っていなかった? その『鍵』の事とか』
突然、『鍵』の事を訊ねられて返答に困るマリア。 これもまた、話したところであんなお伽話のような話を信じてもらえるはずが無い。
「『鍵』、ですか……えっと、今度また来た時に詳しく話してくれると言ってました 」
『そうか、解ったよ。 ところでマリア、昨日の話、考えてくれたかな?』
「え!? えぇと……」
今度は、昨夜の叔父の言った言葉を思い出してドキッとするマリア。
 
 一緒に暮らすだなんて、そんな簡単には答えを出せない。
何せ、自分だけの問題ではない。 マーガレットを始めとする使用人達の生活にも関わってくるのだ。 この件について意見を訊かねばならないだろう。
「すみません、もう少し考えさせていただけませんか? マーガレット達にも相談しなければいけませんし」
『いや、マーガレット達にはこちらから話をしておこう。 急な話だが、今夜、会えないだろうか?』
「こ、今夜ですか!? べ、別に用事も無いので構いませんが……」
『じゃあ、今夜19時頃に迎えに行くよ。 それまでにちゃんとお目かししておいてくれるかな、我が麗しのプリンセス?』
「……解りました。 では、お待ちしてますわ、叔父様」
『あぁ。 突然すまなかったね。 それじゃ、また後で』
そう言って、ガブリエルは電話を切った。
ツー、ツーと通話終了音が鳴っているにも拘らず、マリアは携帯電話を耳に当てたまま考え込んでいた。

 何か、変な感じがする。
ガブリエルとの電話の中で、言葉では説明できない奇妙な違和感を覚えたマリアだったが、それが一体なんなのか、今はまだ知る由も無かった。
**********


 現在時刻、18時53分。
予定の19時よりもほんの少し早かったけれど叔父様が迎えに来た為、私はいま、叔父様自らがハンドルを握るフェラーリの助手席に座っている。
普段はすることのない――せいぜい誕生パーティとかの時でもない限りはしない――メイクをして、いつもよりもちょっとだけ大胆なカクテルドレスに身を包んでいるせいか、どうも変に緊張してしまっているらしい。
叔父様が迎えに来てくれた時から顔が紅潮しているようで、頬が熱っぽい。 どうしてこのドレスを選んでしまったのかしら? 今更ながら、ちょっとだけ後悔。
胸元の深いVラインを隠す為に、大きめのピンクのリボンを結んで、ついでに蒼い薔薇のコサージュをくっ付けて誤魔化してある。
まぁ、別に隠さなくてもどうせ谷間なんて出来ないし? 誰も見ないだろうけど? 女の子だもの、やっぱり気になるじゃない。
それに普段穿いている制服のスカートよりもドレスの丈が短すぎて、ギザギザのハンカチーフ・ヘムラインの裾がレースになっているこのドレスだと太ももが透け透けになって困っちゃう。
恥ずかしいのはもちろん、スースーしすぎてて風邪ひいちゃいそうだわ。

「そのドレス、よく似合っている。 こうして見ると、やはりマリアは義姉さんに似ているね」
そう言って、叔父様はにっこりと微笑んでみせた。 いつもならばお祖母様に似ていると言われるその素敵な笑顔が、今日はお祖父様とお父様の顔が重なって見える。
「ありがとうございます。 あんまりこういうドレスを着る機会が無いので、ちょっと恥ずかしいですわ」
「そうかい? でも、これからはいろんなパーティとかに出る事が多くなるだろうから、今のうちに慣れておいたほうがいい」
え?と訊き返す間も無く、叔父様は続ける。
「それに、マリアくらいの年頃の女の子だとそれくらいの露出は普通なんじゃないかな? やはり、父と兄の影響かな? 2人とも結構お堅いタイプだったしね」
確かに、私くらいの女の子ならこれくらいは当たり前かもだけど……じゃなくて。 さっきの『今のうちに慣れておいたほうがいい』のくだりを詳しく聴かせて欲しいのだけれど。
「おっと、もうすぐ到着するよ。 ほら、あのホテルだ……ビーチがよく見えるロイヤルスイートに泊まっているんだ。 きっと気に入るだろう」
 その言葉に驚いた私は、思わず叔父様の顔をまじまじと見つめた。
「え、えっと、叔父様? ところで今日は一体どういう用件で……?」
そういえば、どういう理由で今夜会いたいと言ったのかを訊きそびれてたのを思い出して私は疑問をぶつけてみる。
何より先刻からの叔父様の口ぶりを聞いてると、どうも一つの事柄を前提としているとしか思えない。
「もちろん、決まっているじゃあないか、マリア。 今夜から、キミは私と一緒に暮らす事になるのだからね」
あぁやっぱり。 きっとそういうんじゃないかしら?って思ったのよ……って。
「……えぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇッ!?」
素っ頓狂な声を上げた私の顔を不思議そうに見つめながら、叔父様はいつもよりも若干低めでくぐもった声で私に言った。
「驚いたかい? でも、安心していい。 マーガレットや使用人達にはちゃんと伝えてあるし、ちゃんと次の職も用意してある。 何も問題は無いよ……何一つ、心配する事は無い。 大丈夫だよ。 全て、“予定通り”だ」
口元に、いつもの穏やかな印象からは想像もつかないほど引き攣ったようにも見える冷笑を張りつけて、叔父様はアールデコ様式の華麗な外観を持ったホテルの正面玄関へと真っ赤な高級スポーツカーを乗り付け、私に囁きかける。
「……さぁ、着いたよ。“お姫様”」
 私は、思わずゴクリと喉を鳴らしてしまう。
何故だろう。 目の前にいるのは、この世でたった一人の肉親だと言うのに。 今、この世界中で最も信頼している人なのに。
どうして、こんなにも私の心の中で不安が渦巻いているのだろう。
今夜、私の全てを形作ってきた世界がガラガラと音を立てて崩れていくのではないだろうか――そんなヴィジョンが、この小さな胸の中で膨らみ始めていた。

 無意識のうちに、私は『鍵』を握り締めていた。
あの黒い髪に黒い瞳を持った男の子、ヨシュア・トゥリーから受け取った、例の『鍵』を。 こうすることで、少しだけ不安が取り除かれるような気がしたから。
こうすることで、ヨシュアが傍で見守って居てくれているような、そんな気がしたから。
……なんて、虫が良過ぎるわよね。 そんなはずない。 そんなはず、ない……そう自分に言い聞かせながら、私は叔父様に手を引かれてホテルへと足を踏み入れた。


――現在時刻、19時11分。
「19時11分、か。 予定よりも早く着いたな」
 左手に嵌めた腕時計に視線を落としながら、叔父様が呟いた。
何の予定なのかを訊くのはさすがに躊躇われたので、私はとりあえず口を閉ざしたまま、叔父様に手を引かれてその後をついて歩いている。
チェックインの手続きをせずにロビーを通過してきたけど、ここのオーナーらしき人がわざわざ出てきてこっちに向かって会釈してきたところをみるに、叔父様はこのホテルは顔パスって事よね。 私はあんまりこういうホテルを利用する機会がないものだから、それを見てちょっとだけ(こういうのもいいかも……)なんて思ってしまった。
それにしても、やっぱりフェラーリって速いのね。 家を出てから20分くらいで到着しちゃった。 普通にこのホテルまで車で移動しようとしたら、少なくともあと20分はかかるんじゃないかしら?
あぁ、私も運転してみたいわ……残念な事に免許持ってないけど。
 いや、そうじゃなくって。
さっき一瞬だけ覗かせた歪んだ笑みは既にその口元から消えてはいたけれど、漂ってくる雰囲気はいつもの叔父様のそれとは違ってて……そう、まるで誰か別人が乗り移っているかのように感じられる。
そんな私の胸中など知る由もない叔父様は、スタスタと廊下を歩いている。 その足取りは軽く、その後姿からは何故だか今にも唄いだしそうな程に上機嫌だという事が窺える。 こんなに機嫌よさそうに見えるって言うのに、どうして私は不安を感じてるの……?
 ふと、再び首から下げている『鍵』をギュッと握り締めている自分に気がつく。
「お祖父様……」ぽつり、と呟く。 たぶん、叔父様の耳には届いていないくらいの小さな呟き。 だけど、たったその一言で、何故だか不安が少し取り払われたような気がしてきた。
大丈夫。 きっと大丈夫……別人のような空気を纏った叔父様も、きっと疲れているからに違いないわ。 うん、絶対に大丈夫よ、マリア。
そんな事を考えているうちに、ロビーをまっすぐ突き進んできた突き当たりにエレベーターが見えてきた。
「マリア。エレベーターに乗れば、あっという間に最上階だ。 もうすぐ部屋に着くよ」
 そう言って、ただ黙って私の手を引いたまま前を歩いていた叔父様が私のほうをちらりと振り返り微笑んだ。
その微笑みは先刻の引き攣ったようなものではなかったけれど、まるで薄笑いを浮かべた仮面を被っているようで。
 不意に、昨夜ヨシュアが言っていたあの言葉が私の頭の奥から響いてきた。
『ガブリエルは、実の兄であるキミのお父さんを事故に見せかけて殺害した』……その言葉が、ついさっき発せられたもののように耳の奥で反響し続けていた。
たぶん、今の私の顔は蒼ざめているんだと思う。
何故なら、叔父様が心配そうに私の顔を覗き込んでいたから。
「どうした?マリア。 気分が優れないのかい? 部屋に着いたらルームサービスに何か薬を持ってきてもらおう」
「いえ、心配要りません。 大丈夫です……」
いつもと同じ感じの心配そうな口調で話しかけてくる叔父様と視線を合わせることが出来ず、私はそのまま手を引かれてエレベーターに乗り込んだ。


**********


 現在時刻、19時00分。

「やれやれ……思ったより早かったね」
辺り一面、見渡す限り真っ白な空間の中で、ヨシュアは自身を取り囲む仰々しい通信機材とケーブルで繋がったヘッドフォンを耳に当てたまま呟く。
周囲の機材には《SPW》というロゴが入っており、それが高価な代物だと言う事がひと目で判断できる。
ヨシュアは眼前にある24インチのモニターをジッと見つめている。 モニターにはビーチ付近の地図が表示されており、その地図上にある一つの赤い点が一定間隔で点滅していた。
点の現在位置を確認しているヨシュアの耳に、ヘッドフォンから会話が聴こえてくる。
『すまないね、少し早かったかな?』
『いえ、私こそ支度が出来ていなくてすみません……もう準備できますので』
ヘッドフォンから聴こえてきたのは、マリアとガブリエルの会話。
そう。 ヨシュアは“盗聴”を行っていた。
こういうのは趣味じゃないんだけどなぁ……と思いつつも、ヘッドフォンに耳を傾けながら現在位置の確認を続けるヨシュア。
『おい、どうするヨシュア? このまま現場に向かうか?』
何処からともなく、ショットの声が聴こえてくる。 声だけで、姿は何処にも見えない。
「うん。 頼むよ、ショット」ヨシュアはヘッドフォンを外すと虚空に向かって頷く。
 そして、首からぶら下がっている棒状の物体――『鍵』を指で玩びながら静かに独りごちた。
「……マリアを手中に収めたつもりかもしれないけど、思い通りにはさせないよ、ガブリエル」
**********


 現在時刻、19時44分。

 ロイヤルスイートルームに設置された豪華なソファに腰掛けて、丁度いい温度で淹れられたダージリンティーを飲んでいても、全くさっぱりこれっぽっちも気分が落ち着かないのは、きっと部屋の入り口の前で仲良く並んでいる黒いスーツを着てサングラスをかけた男達が、まるで岩の如く微動だにせず私に視線を向けているからに違いない。 うん、きっとそうに違いない。
ティーカップをソーサーに戻しながら、私は溜め息をついた。 熱い紅茶を喉の奥に流し込んだから、吐息がまだ温かい。 それはともかく、本当に落ち着かなくて困る。

 どうして、あんな連中を部屋に入れたのかしら……理由を訊いてみたかったけれど肝心の叔父様は誰かと電話中らしく、部屋の外に出ている。
……つまり、この部屋の中に居るのは私と入り口で突っ立っている黒スーツ2人だけ、ってこと。
ね? 居心地悪いでしょ。 だって、監視が付いているようなものだもの。
それに、部屋の中だけじゃない。 エレベーターからこの部屋まで続く廊下に、何人も同じ格好をした連中が『休め』の姿勢で突っ立ってるのを見た時の衝撃と言ったら、もう! ビックリを通り越して呆れちゃうところよね。
一体何者なのかしら、この黒スーツ達。 叔父様のボディガード……とかだったり? ただでさえさっきからなんか漠然とした不安を抱えているって言うのにこんな連中まで居たんじゃ、ホントに不安で仕方ないわよ……神様、早く叔父様を部屋に戻してください!

 私の祈りが通じたのか、黒スーツ達の背後にある入り口の扉が開いて、叔父様が部屋へと戻ってきてくれた。 そして黒スーツ達に「外で待機していてくれ」と言って部屋から追い出してくれた。 良かった。 これでほんの少しだけ落ち着けるわ。 祈ってみるものね……ありがとう、神様。
「やぁ、済まない……仕事の電話だったよ。 ずっと気にしていた件があったんだけどね、大したトラブルにはならなかったみたいで良かったよ」
そう言いながら、戻ってきた叔父様は私の向いにあるもう一つのソファにゆったりと腰掛けた。 そして、2つのソファに挟まれる形で置かれているテーブルの上に用意してあった、もう一つのティーカップを掴んで口元に運ぶ。 叔父様の携帯電話が鳴って部屋を出てからもう10分くらいは経ってるから、紅茶はだいぶ温くなっているはず。 猫舌の叔父様にはちょうどいいくらいかしら?
カップとソーサーをテーブルに戻しながら、叔父様は目を細めて私を見つめてきた。
「それにしてもマリア、本当に義姉さんに似てきたな……瞳の色を除けば、まさに生き写しというヤツだ」
ふふっ、と笑みを零す叔父様。 その笑顔は先刻見せた冷ややかな笑みとは違い、いつもの素敵な笑顔だった。 きっと、さっきの仕事の話がずっと気にかかっていたせいで疲れてたからに違いない……うん、そうに違いないわ。 心の中でそう自分に言い聞かせつつ、私はティーカップの取っ手を掴んで口元まで運びカップを傾けた。
 けれども、同時にまだ例の何とも言えない不安も感じていた。 にこやかに微笑む叔父様の瞳の奥に潜む、何か得体の知れないものがまだ感じられたから。
一体、この不安の原因はなに……? ねぇ、ヨシュア……貴方には判るのかしら。 貴方なら、この不安を取り除いてくれるのかしら? 危険な状況でも私を助けると言い放った、黒くて綺麗な髪をした、澄んでいてつい引き込まれてしまいそうになる黒い瞳を持つ、私の『運命』。

 そうして私がまたヨシュアの事を考えながら『鍵』を握っているのを見て、叔父様は私の胸元へと視線を落とした。
「ところでマリア。 ヨシュア君から受け取ったと言っていた『鍵』と言うのは……もしかして、それのことかな?」
そう言って、叔父様は私の胸元でゆらゆらと揺れている棒状の物体を指し示した。
「えぇ、そうですわ。 これが、ヨシュアがお祖父様から預かっていたと言う『鍵』です」
 『鍵』を目にしたその瞬間。
叔父様の瞳に怪しい光が灯ったのを、私は見逃さなかった。
同時に、叔父様は口を開いた。 その形の良い唇から零れてくる言葉には、いつもの穏やかな感じとは違う鋭い響きが篭っている。
「そうか……『鍵』と言うものだから、てっきり普通に鍵の形をしているのだとばかり思っていたんだが」
「え?」
訊き返した私を無視して、叔父様は言葉を繋ぐ。
「フン……まさか、そんな何の変哲も無いような代物だったとはな……」
クックックッ……と、普段なら決して漏らす事の無いような、そんな下卑た笑い声を発しながら、叔父様はゆっくりとソファーから立ち上がった。
 
 ぞくり。 
 
 その瞬間、今まで感じたこと無い程の悪寒が爪先から頭のてっぺんまで駆け昇るのを感じた。
「思い出したぞ。 まだ5歳とかそのくらいの頃だったか……それと同じ物を、親父が大事そうに首からぶら下げていたのを見た記憶がある。 お袋からプレゼントされた思い出の品なんだろうな、とかそんな程度にしか思ってなかったが……まさかあれが『鍵』だったとはな。 いやはや、まったく驚いた」
そう言って、叔父様は声を上げて笑った。
 ひきつけを起こしたみたいにうわずった笑い声と共に、ついさっきまで優しい笑みを浮かべていた端正な顔が歪んでいく……目の前に居る叔父様が、まるで別人になったかのような錯覚を受けるほどに。
「叔父様……」
その豹変振りを目の当たりにした私は、思わず絶句した。
心臓が、鼓動をどんどん速めていく。 それに伴って呼吸も次第に荒くなる。 遠雷のような耳鳴りが、ぐわんぐわんと耳の奥から響いてくる。 おまけに、全身から冷や汗が噴き出してきているのがはっきりと判る。
 いつもなら柔和な笑みを湛えているはずの口元をいびつに歪ませたまま、叔父様は私の肩にポン、と手を置いた。 いつの間に後ろに回りこんだのかしら? ちょっとマヌケっぽいけど、一瞬そんな考えが脳裏を横切った。
「どうしたんだい? さっきから顔が真っ青だ。 怯えてるのかい? マリア。 俺は、お前にとってこの世にたった一人の肉親だぞ? そんなに怖がらないでおくれ……叔父さん傷いちゃうなァァァ〜ン?」
「! 痛ッ……」
肩に置かれた手にほんの少し力が込められた。 乙女の柔肌に食い込んだ爪の痛みに、思わず顔が歪む。
「おっと、すまない。 うっかり力を入れすぎてしまったようだ……ねぇ、かわいいマ〜リィィィアァァァァァッ!?」
生温かい息が、耳に吹きかけられる。 叔父様は私の隣に座りこみ、顔を思いっきり接近させてきていた。
いつもなら、そのブルーの瞳に見つめられるだけで、火傷しそうになるくらい顔が紅くなってしまうんだけど。
 今は、震えが止まらない。 声を出そうとしても、言葉が喉の奥に張り付いて出てこない。
 あんなに尊敬していたのに。 あんなに憧れていたのに。
 
 今は――今は、そう。


 怖くて、たまらない。


 怯えている私の表情がお気に召したのか、叔父様は満足気な笑みを浮かべたまま話しかけてくる。
「『鍵』を渡すんだ、マリア……おとなしく渡せば、何もしないよ。 言う事を聞いてくれれば、大切にしてあげよう。 何不自由ない暮らしをさせてやろう。 さぁ、そいつを早く俺に寄越せ!」
ぎしっ。 肩に置かれた、と言うよりも掴んでいる手に力が入る。 思いっきり食い込んだ指のせいで、肩の骨が悲鳴を上げた。
「くぅッ……!」
痛みに顔をしかめると、叔父様の歪みを含んだ微笑が更に歪んだ。
「ンッン〜……いい声だァ〜。 もっと聞かせてくれるのかい? 素直に『鍵』を渡してくれれば、それでいいんだよ。 正直、可愛い姪の悲鳴はあまり聞きたくないんだ……良心が痛むから、ねぇ?」
その言葉と共に、肩の痛みがより強烈になる。 苦痛に苛まれながらも、私はヨシュアが言っていた言葉を思い出していた。

『ガブリエル・ハートネット、キミの叔父である彼がその『鍵』を狙っていたからさ。 そして、それを手に入れる為にガブリエルは実の兄である、キミのお父さんを事故に見せかけて殺害したんだ』
 信じられなかった。 叔父様が、お父様を殺しただなんて……そんな事、ある筈がない。 そう思ってた。
だけど今、目の前で悪意ある笑みを浮かべたまま、肩を掴んでいないほうの手で私の頬に触れている叔父様を眼にしていると……ヨシュア・トゥリー。 戯言だと思っていた彼の言葉が、真実である事を認めざるをえない。
 私はようやく口を開いて、喉の奥から声を搾り出した。
「……、なのね?」
「なに?」叔父様は、カラカラに乾いた喉から飛び出してきた掠れた声を聴き取ることが出来なかったらしく聞き返してきた。
だから、私はもう一度、今度はハッキリと、聞き取りやすいように言ってみせる。
「……叔父様が、この『鍵』を手に入れる為に、お父様を事故に見せかけて殺害したって言うのは……本当なのね?」
 それを聞いた叔父様は一瞬だけ驚いた表情を見せたけど、すぐに心の底から愉快な気分だなんて言い出しそうな表情に変わり、そしてまた哄笑を上げ始めた。
「ブワァーッハッハハハハハハハハァーーーッ!! ……そうか、あの小僧から聴いたんだな……」
「えぇ……彼が教えてくれました。 そして、それをお祖父様が教えてくれたという事も」
さっきまでは、まともに眼を合わせることすら出来なかったけれど……今なら、叔父様の狂気に満ちたその眼差しをなんとか見据える事が出来る。
私の変化に気付いたのか、叔父様は僅かに目を細めた。 そして肩を掴んでいた手を離し、私を諭すかのようにやや抑えた口調で話しかけてくる。
けれど、その瞳に宿る深く暗い闇は未だそこで揺蕩っているままだ。
「フン、ならば話が早い……兄貴と同じ目に遭いたくなければ、おとなしく『鍵』を渡せ。 そうすれば、さっきも言ったとおり危害は加えない。 どんな望みだって叶えてやる」
チャリ、とチェーンが音を立てる。 叔父様が『鍵』に触れたせいだ。
 叔父様は何故、こんなものを欲しがるの? まさか、これが本当に『地球を護る為』の物だって言うの……?
それをまるっきり信じることはまだ出来ない。 だけど、この『鍵』はお祖父様が私に渡す為にヨシュアへ託した物。 それだけは、真実だと……信じたい。

 だって、言ってたから……『僕は嘘をつかない』って。
 ヨシュア。 貴方が言った通り、私は貴方を信じるわ。 疑ってしまってゴメンなさい。 あんな酷いこと言って、今更許してとは言わないわ。 だけど、今は……お願い。 今、ほんの少しだけでいい……怖くて震えがまだ止まらない、こんなちっぽけな私に『勇気』を与えて。
『鍵』を両手で包み込んで、祈るようにそのまま握りしめる。 そのまま、チェーンを掴んでいる叔父様の手を払いのけて、暗く澱んだブルーの双眸を正面から見つめ返した。
「……イヤよ。 絶対に、『鍵』を渡したりはしない」
ほぅ……と溜め息混じりに呟いてから、叔父様は怒涛の勢いで私に迫るや否や激昂した。
「何故だ? それの本当の価値など、お前には解るまい……『鍵』を持つのは、この俺こそが相応しいんだッ! 渡せッ! 『鍵』を俺に渡せッ!!」
怒りの形相で睨みつけてくる叔父様。 だけど、もう怖くなんか無い。 ただ『鍵』を握りしめてお祖父様の顔、そして彼――ヨシュアの顔を思い浮かべているだけで、心の底から勇気が湧いてくる。
「渡さない! 叔父様ッ! 貴方にだけは絶対! 渡したりしないわッ!!」
「そうか。 聞き分けの無いアバズレめ! よっぽど痛い目に遭いたいらしいなッ!!」
バシィッ! 耳に飛び込んできた破裂音。 そして、後からじわじわと襲い掛かってくる、頬の痛み。 そこでようやく気付く……頬を引っ叩かれたんだ、って。
「どうだ、痛いか? もっと痛くしてやるッ!!」
言うが早いか、私の頬をその大きな掌で何度も叩いてくる叔父様。 叩くだけではなく、胸倉を掴んできたかと思うと今度はグーで思いっきり頬を殴られた。
口の中が切れたみたいで、口中いっぱいに錆臭い血の味が拡がった。 それでも、私は『鍵』を離したりはしない。 だってこれは私とお祖父様、そしてヨシュアを繋いでくれる……絆だから。
 ドズンという鈍い音と共に、腹部を強い痛みが襲った。 思わず、肺の中の息を全部吐き出してしまう。 呼吸が出来ない。 苦しい。 でも、負けたりしない。 絶対に。
「クソッ、早くそれをよこせッ! この腐れビッチがぁッ!」
どれだけ痛めつけようとも、私に『鍵』を手放すつもりが無いという事に気付いたらしい叔父様は、私の細い首を左手で力いっぱい絞めはじめた。
ついでに右手をオートクチュールのスーツの懐に差し入れて、その内ポケットからよくシネマとかで見かけるタイプの拳銃(ベレッタM92F に違いない。 たぶん)を取り出すと、私のこめかみに突きつけてきた。
カチリ。 安全装置を外す音が、激昂したうえに散々私を痛めつける為に身体を動かしたせいで荒くなっている呼吸の合間に聞こえてきた。
「さぁ、最後の選択だ。 『鍵』を俺に渡してハッピーな生活を手に入れるか、それともこのまま首を絞められた挙句に頭に見通し良好な穴を開けて欲しいか。 さぁ、選べよマリア……我が最愛の姪。 麗しの姫君」
叔父様の指は、トリガーにしっかりと掛かっている。 指を1cmも弾けば、銃口から射出された弾丸が私の脳天をブチ抜いて穴を開けてくれるだろう。 もしかしたら、穴が開くどころか頭半分と脳味噌が砕かれ飛び散って、あとで掃除する人が大変で気の毒に思えるくらい粉々の肉片になっちゃうかもしれない。
ただ、残念ながら私は穴を開けられるのも肉片になるのもゴメンだ。
「うぅ……けほッ!」答えようとしたけれど、そう言えば首を絞められたままだった。 喉が圧迫されて巧く声が出ないどころか、呼吸すらままならない。
「あぁ、すまない。 このままだと声が出なくて答えられないんだな……悪かったよ」
そう言って叔父様は私の首から手を離した。 ようやく首絞めから解放された私は、思いっきり咳き込んだ。 そして呼吸を整えようと息を吸ったり吐いたりしようとしたところで、今度は自慢のプラチナブロンドを鷲掴みにされた。 もちろん、拳銃はこめかみに当てられたままで。
「さぁ、これで答えられるだろ? ほら、どっちを選ぶんだ、マリア……ハッピー? それとも、死?」
ニヤニヤといやらしい笑みを見せ付けるように、叔父様は顔を近づけてきた。 それにしても、あの端正な顔がここまで変貌してしまうのか……そう思わせるほどに、彼の顔は邪悪に歪んでいた。 本当に、別人みたい……。
「どうした? 早く答えてくれ。 あんまりノンビリしていると、指が疲れで痙攣して、勝手にトリガーを弾いてしまうじゃないか……それじゃ面白くないだろう?」
「……サイコね」
あまりの異常っぷりに、率直な感想が口をついて出てしまった。 でも、叔父様は別に気にするそぶりも見せずにニヤニヤ笑いを続けている。
「ほぉら……は・や・く答えてくれよぉぅ……いい加減にしないとマジにブチ切れるぞッ!! 答えろ、この雌豚がァッ!!」

「イヤよ」
たった一言、簡潔に答える。
そのあまりのあっけなさに、叔父様も一体何が起きたのか解らないといった表情で私を見ている。
「私は、絶対に『鍵』を渡さない。 これは、大切な物だから。 貴方になんか、絶対に渡さないわ……叔父様!」
ビシィッ!と指を突きつけて、私は叫んだ。 ……でも、やってからほんのちょっとだけ後悔した。
 そう言えば私、拳銃突きつけられてたのよね。
「ふぅ……驚いたなぁ、マリア……昔は泣き虫のおチビさんだったってのに。 すっかり気が強くなってしまったんだねぇ」
ククッ、と含み笑いをしつつ叔父様が囁く。
「いやいや、恐れ入ったよ……まさか拒否してくるとは思っていなかった。 泣いて謝って、惨めったらしく憐れな命乞いをして、俺の庇護を受ける気になるもんだとばっかり思っていたのになァ……まぁ、仕方ないな」
グイッと髪を引っ張られる。 あぁ、いよいよ撃たれるのかしら……と思いきや、叔父様はおもむろにテレビのリモコンを手に取ったかと思うとその電源を入れた。
 テレビに映し出されたのは、この時間だとニュースが放送されているチャンネル。
そして、今まさに流れてるのはニュースみたいだった。 何処かで火事が起きて、家は全焼、家人も全員が焼死体で発見され……とかそんな話をレポーターが悲鳴に近い声でカメラに向ってレポートしている。
「フフン。 マリア……お前が悪いんだぞ? あんまり長引かせるもんだから、すっかり全焼してしまったじゃあないか。 ここまでやるつもりは無かったのに……もっと早ければ、助かったかもしれないのになぁ。『可哀想なマーガレット』」
「ッ!?」
叔父様が発したその名前が耳に飛び込んできた瞬間、私はテレビを凝視した。
そこに映し出されていたのは……間違いなく、マーガレットや他の使用人達がまだ居たはずの、私の家。 消火活動は終わっているみたいだけど、完全に焼失してしまっている。
「いや、彼女――マーガレットはどういうわけか俺が兄貴を殺した事を知っていたみたいでね。 その事を知っている者が生きていると、後々厄介な事になりかねない……だから死んでもらう事にしたんだ」
銃を私のこめかみから離し、叔父様はおどけてみせた。
「しかし残念だ……彼女ほど優秀な女性は少ないと言うのに。 勿体無い事をしたと思ってるよ。 それもこれも全て、マリア……お前がその『鍵』を素直に渡してくれないからだッ!」
「よくも……よくもマーガレット達を! 叔父様、貴方は悪魔よッ! 絶対に許せないッ!!」
感情が昂ぶってしまい、つい声を荒げてしまう。 でも、我慢なんて出来るはずが無かった。

 幼い頃にお母様を亡くした私にとって、マーガレットはお母様の代わりだった。
優しくて、時に厳しくて、でもしょっちゅう問題を起こしたりはしていたけれど、とっても大好きだった。 お母様と言うよりは、お祖母様って感じの年齢だったけれど、私にとっては間違いなく『お母様』だった。
それなのに……それなのに、今、無碍にその命は奪われた。 自分の秘密を知っているから……ただそれだけの理由で。 叔父様の手で、殺されてしまった。
 ぽろぽろと、涙が頬を伝い、零れ落ちていく。 その様子を見て、叔父様はまた例のニヤニヤ笑いを浮かべていた。
許せない。 こんな酷い人だったなんて……ずっと、今日まで叔父様に対して抱いていた感情の全てを否定された気がして、怒りが沸々と湧き上がってきた。
「そんな怖い顔をしないでおくれよ。 哀しむ事は無い……すぐに、あとを追わせてやるからな」
スッ、と拳銃を突き出し、片手で構える叔父様。 睨みつけるものの、全く動じる様子は無い。 むしろ、私の泣いたり怒ったりする顔を見るのが楽しくてしょうがないって感じでこっちを見ている。
「さて、と。 長々と話し過ぎたなァ〜。 実はこれから友人と食事をする約束をしてるんだ……だから、もう終わりにしよう。 さようなら、マリア」
言い終えると同時に、叔父様は一気にトリガーを引いた。 同時に、銃弾の射出音も聞こえた。

 あぁ、もう終わりなのね。 まだ17年しか生きていないって言うのに。 まさか肉親の手に掛かって死ぬだなんて、思っても見なかった。
 ごめんなさい、お祖父様。 ごめんなさい、お父様。 ごめんなさい、お母様。 そしてごめんなさい……マーガレット。 もうすぐ、そちらに行きます……
 天国で待っている家族を想いながら、『鍵』を両手で強く握りしめる。 家族の事を想っている筈なのに、ヨシュアの顔が浮かんでくるのはどうしてなんだろう。
「ヨシュア……ゴメンね。 さよなら……」
 その名を声に出して呟く。 そうだ、そう言えば私がピンチになったら駆けつけて護るみたいなことを言ってたはずなのにアイツ全然現れないじゃない! どーいうことなのよッ!
心の中で悪態をつきながら、私はギュッと目を閉じた。
ガキィィィィィンッ!!


 甲高い、金属同士がぶつかり合う音が、高級感溢れるロイヤルスウィートルームに響き渡る。
「何ィッ!? き、貴様……一体どうやってこの部屋にッ!? 部屋の外は“ファミリー”が完璧にガードしていたはずッ!!」
叔父様の声に焦りの色が見える。 何? 何が起きてるの? 一体、誰が来たっていうの?
私は恐る恐る、固く瞑っていた両眼をゆっくりと開いた。
すると、そこには――

「さぁ? 僕がどうやってここに来たかなんて、そんなのはどうでもいいでしょう? とりあえず、マリアは返してもらうよ……ガブリエル・ハートネット!」

 信じられなかった。 本当に、どうやってこの部屋へと入ってきたのか。 助かった、という感情よりも私の中ではビックリの優先順位が高かったらしく、私は一瞬だけポカンとマヌケに口を開くという醜態を見せてしまった……まぁ、この状況だし、2人とも観てなかっただろうけど。
 叔父様の方を向いているせいで目の前の人物の顔は確認できなかったが、その声を耳にしただけでそれが一体誰なのか、ハッキリと解った。 そんなに長い時間会話したわけでもない、たった1回、会った事しかないってのに。
「遅れてゴメンよ、マリア。 それより、僕を信じて待っていてくれたんだね……嬉しいよ」
そう言いながら、突然目の前に現れた人物は私のほうへと振り返った。

 サラサラとなびく、黒い髪。
 宝石のようにキラキラと輝いて見える、黒い瞳。
 スラッとしたシルエットながら、しっかりと鍛えられている事が判る、しなやかで細身の身体。
 涼しげで柔和な笑みを浮かべた顔は美しく整っていて、まるで芸術品のようで。
 その全てを備えた人物を、私は1人しか知らない。

 振り返り、太陽のように輝いて見える微笑みを浮かべたその少年の名を、悪態を混ぜて呼んだ。
「もう……遅いじゃない! 馬鹿……ヨシュアの馬鹿ッ!」
「ゴメン。 でも、もう大丈夫だよ。 今からは、僕がキミを護るから。 だから、もうなにも心配しなくていいよ」
にっこりと微笑むヨシュア。 そうやって笑わないでよ……さっきまでマーガレットの死を聴かされた事に因る哀しみが全身を支配していたって言うのに、今度は嬉しくて……涙が出ちゃうから。
あと照れくさくて困るから、ホントにやめて……ほら、顔が熱くなってきちゃったじゃないの。
「チィッ! まぁいい……こうなったら、2人まとめて死んでもらおうかァァァ〜ッ!?」
 ヒステリックに叫んで、叔父様は指をパチン!と鳴らした。 すると、部屋の入り口が勢いよく開けられて黒服の集団が一気に雪崩れ込んできた。 その雪崩込む様は、まるで今から30年ほど前に大ヒットした映画シリーズを髣髴とさせる。
 黒服達は皆一様に拳銃を所持しており、それを一斉に私とヨシュアに向けて構え始めた。 20人はいるだろう黒服達が、いたいけな美少女とそのお供に銃口を向けるようなシチュエーションって、滅多にお目にかかれないわよね……ってそんな事考えてる場合じゃないわ。
私が脳内で1人突っ込みをしている間に、ヨシュアは素早く私を庇うように前に出ている。

 ……そう言えば、ヨシュアはさっきどうやって叔父様の拳銃から放たれた弾丸を止めたのかしら?
金属がぶつかる音はしたけれど……そんな類の物は持ってなかった筈だし……。
いやいや、そんな事考えてる場合じゃないわ! このままだと、2人とも蜂の巣にされちゃう!
 不安を感じて、私を庇うように前に立ってくれているヨシュアに視線を送る。 でも、私の不安をよそに彼は涼しい顔で黒服達を見据えている。
何でそんなに余裕なのかは解らないけれど……うん、私は貴方を信じるわ、ヨシュア。 今まさに発射されようとしている無数の弾丸を何とかする方法があるって、私は信じてるから。

 そして、とうとう叔父様が黒服達に短く指示を出した。
「よし……殺せ」
 ガブリエルの発した5文字の言葉を耳にした瞬間、マリアはその蒼く揺れる両眼をギュッと瞑ってしまった。
『ヨシュアを信じる』とは言ったものの、マリアはちょっと人より才能があって美しいだけのいたいけな普通の少女だ。 そんな少女がこんな異常な状況に慣れているはずも無い。 恐怖のあまりにその眼を閉じたところで、いったい誰に彼女を攻める権利があると言うのだろうか。
もしも攻める者が居るとしたら、そいつはきっと相当なサディストか……若しくは、やっぱり相当なサディストに違いない。
 それはさておき、うら若い少年と少女へとそのメタリックな光沢を持つ黒くて物騒な代物――つまるところ、拳銃というやつだ――を向けているにも拘らず、黒服の男達は何の躊躇も無く一斉に指をかけていたトリガーを引き絞った。
撃ち出された無数の弾丸は、けたたましい叫び声をあげながらヨシュアとマリアの肉を貫き、血を噴き出させ、死に至らしめる……はずだった。

 しかし。

(……あれ? なんともない……どうなってるの?)

 固く目を瞑っていたマリアは、火薬が炸裂し弾丸が射出される音を確かに耳にした。 にも拘らず、何秒経っても鉛玉が飛んでこないのは一体どういうことなのだろうか?
(もしかして、ヨシュアが庇ってくれ……た?)
そう考えたマリアは、自身を護るように弾丸の射線上に立ちはだかっていた少年の安否を確認する為、瞑っていた両目を恐る恐る開いた。
「……え?」
ゆっくりと開かれたその瞳に飛び込んできた光景に、マリアは思わずその眼をぱちくりさせた。
 彼女の視界に飛び込んできたのは、黒服達の方に向けて右腕を突き出したまま悠然と立ち尽くしている、黒髪の少年の姿。
背中越しなのでその表情を窺い知ることは出来ない。 けれど、その細身ながらも弱々しさを全く感じさせない背中を見て、マリアはホッ、と安堵の溜め息を漏らした。
 それと同時に、銃弾を放ったはずの黒服達の中から悲鳴に近い叫び声が上がる。
「ばッ……バカなッ!?」
「コイツ、バケモノか!?」
「incredible……!」
 どうやら、黒服達はかなり狼狽している様子だ。 それも当然だろう……なにせ、20近い銃口が狙いを定めて放った弾丸が命中しなかったどころか、流れ弾が壁や家具に着弾する音すらしなかったのだ。
悲鳴をあげた男達の声は明らかに震えており、信じられない光景を目の当たりにしたことで驚愕し、そして恐怖しているのがはっきりと見てとれる。
 命令を下した当の本人であるガブリエルも、予想だにしなかった眼前の光景に目を見開き、そして右腕を突き出した状態でただ立っているだけの黒髪の少年を憤怒の形相で睨みつけ、そして忌々しげに呟いた。、
「まさか……小僧ッ! 貴様、?まさか?ッ!!」
「……ベレッタM92Fで使用されているのは、9x19mmパラベラム弾。 銃口初速は確か……365m/s、だったかな? 」
 静かに、落ち着き払った様子でヨシュアが口を開く。
「普通の人間なら、これだけの数の弾丸を避けるなんてハッキリ言って不可能だ……でも、僕にはそれが出来る。 貴方なら、僕の言ってる意味が判っている筈だ……そうでしょう? ガブリエル・ハートネット」
怒気を孕んだ視線を叩きつけられていながらもそれを平然と受け流しつつ、ヨシュアは軽く握られている、前方に突き出していた右手をゆっくりと開いた。 そしてロイヤルスウィートルームのリビングに相応しい高級そうな絨毯へと、右手の中に握られていた物をパラパラと落下させた。
ヨシュアの手から零れ落ちた物は金属が擦れ合う耳障りな音を立てて、ふかふかした柔らかい絨毯に包み込まれるように着地した。

「……弾丸?」
 絨毯が優しく受け止めた?それ?を見て、マリアは首を傾げながら呟いた。
なぜ疑問系なのかと言うと……その弾丸と思しき物は、全てぺちゃんこになっていて、まるで踏み潰された天道虫のようになっていたからだ。
「うん、弾丸だよ。 まぁ、ちょっと形は変わっちゃってるけどね」マリアの呟きを耳にしたヨシュアは、振り向いて彼女の疑問に答え、そしてにっこりと微笑んだ。
「僕の記憶が間違っていなければ、全員5ないし6回発砲していた……撃ってる最中にジャムっちゃった人もいたから、弾丸は全部で118発あるはず。 ウソだと思うなら数えてもらってもいいよ?」
「1、2、3……」
ヨシュアの言葉を聴いて、マリアは悠長にもぺちゃんこになった哀れな弾丸を数え始めた。 その行為をあっさりと許してしまうほどに、この部屋は混乱に包まれていた。
「……117、118。 ホントに118発あるわ……」
 潰れた弾丸を数え始めてから十数秒。 マリアは弾丸の数を数え終わり、それが確かにヨシュアの言った数とピッタリ一致している事に驚きの声を上げた。
「ねぇヨシュア。 貴方いったい……『どうやって飛んでくる弾丸を潰したの』?」
 とても元々は殺傷能力を秘めた物体だったとは思えないほどにブッ潰れてしまっている弾丸の成れの果てを指先で摘みながら、マリアはさっきから頭の中にあった素朴な疑問をヨシュアにぶつけてみる。
 マリアの質問に対して、ヨシュアは苦笑を浮かべつつ「あとで、ゆっくり説明するから……ごめん」と曖昧な答えを返しただけだった。
その返答に不満を覚えたものの、(まずは、この現状をどうにかするのが先決よね……)とマリアは改めて思った。
 何故なら、今度は黒服達が四方八方から2人を囲み、よってたかって蜂の巣にしようと目論んでいるのを目の当たりにしていたからだ。
「さっきは驚いてしまったが……何のことは無い。 親父がわざわざ貴様のようなガキに『鍵』を預けたんだ……その可能性を考慮するのは当然だったんだよなァァァ〜……」
眉間にこれでもかと言うくらい皺を寄せて、ガブリエルはヨシュアを睨みつける。 その様子は、まるでその視線だけで人を殺せるのではないか……と思えるほどだ。

 しかし、対するヨシュアはそれを気にする様子も見せずにマリアのほうへと向き直ると、彼女の顔へと手を伸ばしそしてその頬を撫でたではないか。
「ふ、ふぁっ!?」
 ヨシュアの予想外の行動に、奇妙な声を上げて激しくうろたえるマリア。
目の前で、サラサラしていて思わず撫でたくなるような黒髪が揺れている……そう考えただけで、彼女の頬は熟れた林檎のように紅潮してしまうというのに。
 それだけならまだしも、超至近距離――それこそ目と鼻の先と呼ぶのに相応しい位置に、白くてすべすべしてそうな肌の綺麗な顔があるのだ。 純情かつ可憐な乙女に、正直この刺激は強すぎる。
 自分が今、どんな表情をしているのかということにすら気付けないほどに、マリアの思考はショートしかけていた。 何せ、こんな至近距離で異性の顔を見るのは、親族以外では初めての経験なのだ。
 しかも、その顔が少しずつ近づいてきているのだからたまらない。 黒玉と見紛うほどに柔らかな光沢のある瞳が、ジッと自分を見つめてきている事に気付いたマリアは、思わず視線を逸らしてしまう。 構わず、ヨシュアはそのまま顔をマリアの耳元へと近づけ、そしてマリアの細い身体をそっと抱き寄せた。
「やっ、ちょっ、ヨシュアッ!? こんな時に何を……「キミは、僕が護る。 お祖父さんとの約束だけじゃなく……僕は心から、キミを護りたい。 傍に居たいと思っている」
慌てて引き離そうとするマリアを遮って、まるで愛の告白のような言葉を耳元で囁くヨシュア。 吹きかかる吐息が耳をくすぐるのを感じ、マリアはヨシュアの腕の中で少しだけ身を捩じらせた。
「ヨシュア……」
 ますます紅くなった顔で、ヨシュアの横顔を見つめるマリア。 その視線に気付いたヨシュアは耳元から顔を引き離すと、全てを包み込むような優しさに満ちた微笑みを浮かべ、腕の中で恥ずかしそうにもじもじとしている少女に囁きかけた。
「さぁ、逃げよう。 マリア」
「……えっ?」
周囲は完全に囲まれている。 この状況で、何をいきなり突拍子も無い事を言い出すのか、この男は……一瞬だけそう思ったものの、マリアは再びヨシュアの言葉を思い出し、そして微笑み、頷いた。

 この状況で、一体どういうつもりだ?
ガブリエルは、傍から見れば何処からどう見ても恋人同士が抱き合っているようにしか見えない2人の様子に苛立ちを感じていた。
クソッ! この俺を無視しやがって……絶対に『鍵』は俺の物にしなければならないのだ! マリアのような小娘ごときが持っていていいような物ではないのだッ!
膨れ上がる怒り。 もしも、怒りが色を伴って身体の周囲に浮かび上がりそれを視認できるとしたら、きっと今のガブリエルはドス黒い怒りに包まれている事だろう。
 黒服の1人に向って、顎をくいっと動かし合図を出す。 合図を出された黒服が拳銃を構える。 すると周囲の黒服も一斉に銃を構え始めた。
「ヨシュア……『スタンド使い』だかなんだか知らんが、お前のようなガキにコケにされたままでは気が済まんのだよ……だから、絶対にブッ殺してやるぞッ!! 撃てッ!!」
ジャキッ!とガブリエルは銃を構え、トリガーに指をかけた……その瞬間!

「【セイヴ・ザ・クィーン(女王を護り給え)】ッ!!」
 マリアを抱いたまま、ヨシュアが叫んだ! 
 そして、ヨシュアはそのまま高級感溢れる柔らかい絨毯の上に片膝をついた。 もちろん、抱き寄せられているマリアもヨシュアと同様にしゃがみ込む。
 はたして彼がこれから何をどうやってこの状況を打開するつもりなのか、それは皆目見当もつかない。 けれどもマリアはただ黙って、自分を優しく抱き寄せてくれている少年に、これからその身を任せる事を決心していた。
(だって……私はヨシュアを信じているもの。 彼のすることなら、きっと大丈夫……大丈夫だって、信じてる)
マリアは胸元で揺れている『鍵』をギュッと握り締めた。 そしてまるでそれが合図にでもなったかのように、ガブリエルと黒服達はトリガーを一気に弾いた!
 
 ガブリエルらがトリガーを弾くのとほぼ同時に、ヨシュアは「……やれやれだね」と溜め息混じりに呟いた。
 次の瞬間、一切、何の前触れも無く、耳をつんざく銃声が轟くよりも早く『ヨシュアとマリアを取り囲むように、床から分厚い壁が生えてきた』のだ!
『壁』は直後に飛来してきた弾丸を全て跳ね返し、ヨシュアとマリアの2人を凶弾の魔の手から見事に護り抜いた。
「んなァ、なんだとォッ!?」
 もはや理解の範疇を超えたその光景を目撃した黒服達は、みな一様に呆けたような表情で『壁』を見つめている。
 ガブリエルは、この有り得ざる超常の現象の原因について、ほんの僅かだが理解していた。 それ故に、ガブリエルが受けた衝撃はまさしく青天の霹靂と言えるほどに強烈だった。
「これが……これが『スタンド』の力なのか……ッ!!」
ふと、全身がブルブルと震えていることに気付くガブリエル。
これは現実離れした超常の能力に対する恐怖によるものなのだろうか?
それとも、これから自分が手にするであろう力を目の当たりにしたことから湧き上がる、歓喜によるものなのだろうか?
 答えはもちろん――後者だ。
「ククククク……素晴らしいッ! 素晴らしいぞ、『スタンド』ッ!! なるほど確かに凄まじいッ! こんな力が俺のものになるのかと思うと、喜びのあまり失禁してしまいそうだ! フハハハハハハハハハァーッ!!」
歓喜に打ち震えるガブリエルは、狂気に満ちた高笑いをあげながら、無駄と知っているにも拘らず発砲し続けていた。


(黒服達はとりあえず呆然と立ち尽くしている、って感じか……ガブリエルはあんな調子だし、今がチャンスだね)
 よし、と呟いてから、ヨシュアは胸元に顔をうずめて『鍵』を握り締めているマリアの頭を撫でて囁きかけた。
「マリア。 実はその『鍵』はフェイクなんだ」
「……はい?」思いもよらぬ言葉を耳にしたマリアは、ヨシュアの胸から顔を離して聞き返した。
「えっと……つまり、偽物でも『鍵』と思しき物を渡しておけば、必ずガブリエルが食いついてくるって踏んだんだ。 案の定、ガブリエルは食いついてくれて、キミの前で本性を現した……」
「ふぅん……私をエサにした、って事なのね……?」ほんの少し、マリアの声のトーンが低くなる。
急に背筋が冷えるような感覚に襲われたヨシュアは、謝罪の言葉を述べようと口を開いた……が、それを遮るようにマリアは白魚のような指をヨシュアの唇に当てた。
 フフッ、と微笑を浮かべてマリアは『鍵』のフェイクを外してヨシュアに差し出す。
「冗談よ、別に怒ってないわ。 元々は私がヨシュアを信じてあげなかったから、こうするしかなかったんでしょ? 気にしないで」
「マリア……良かった。 また先日みたいに怒り出したらどうしようかと思っちゃったよ」ホッと安堵の溜め息をつくヨシュア。
「ちょっと、私だってさすがにこんな時に怒らないわよ! それに、理由は判ってるんだもの。 で? この後はどうするの?」
しっかりと鍛えられているのだろう、見た目よりも逞しいヨシュアの腕に抱かれたまま、マリアは周囲にそびえる『壁』を見回した。
「うん。 とりあえずここを脱出したら、僕の仲間が待っている場所へ向う。 そして、キミを?ある場所?へ連れて行く」
「?ある場所??」
「その辺はまた後で詳しく話すよ。 じゃ、行こうか」
 そう言って、ヨシュアはマリアを一旦その腕から解放し、今度は所謂“お姫様抱っこ”の要領でマリアを抱きかかえた。
「きゃっ」とマリアは小さく悲鳴をあげた。 あっという間に顔が赤面していくその様子を見て、クスッと微笑むヨシュア。 もう……とほっぺを膨らませてはいるものの、マリアも満更でもない様子。
「さてと。 じゃあ、行くよ……【セイヴ・ザ・クィーン】」
 ヨシュアがそう呟いた瞬間、マリアは急激な落下感を覚えた。
 どうやら、ロイヤルスウィートルームの床に穴が開いたらしい。
 足元に開いた穴は信じられないことにスロープのようになっていて、マリアはヨシュアに抱きかかえられたまま滑り落ちていった。
「いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーーっ!?」
「あははははははははははは! 楽しいね、マリア♪」
絶叫を上げながら、滑り落ちていくマリア。 それに対して、ヨシュアはまるで子供のようにはしゃいでいる。
 結局、その後どこからホテルの外へと脱出したのかマリアは全く覚えていなかった。
 ただ1つ確かな事は……黒服の男達と叔父の凶弾から、まんまと逃げおおせるのに成功した、と言う事だけだ。



**********



 出現した時と同様、瞬時に消えた『壁』の向こうに2人が居なくなっている事を知ったガブリエルは苛立ちを隠そうともせず、黒服の男達のリーダーらしき人物へと容赦なく鉛玉をブチ込んだ。
ガブリエルの突然の凶行によってリーダーを無惨に殺害された黒服達は、怒りを露にしてはいるものの、何故か思いとどまった様子を見せていた。
「クククッ。 そうだよなァ、俺を殺しちゃあいけないモンなァ……そうやって言われてるもんなぁ、?アイツ?から」
この男をに危害を加える事を許されていないらしい黒服達は、全身を蜂の巣にされたリーダーの下へと駆け寄っていく。
 それを見たガブリエルはフン、と嘲るように鼻で笑うと、マリアとヨシュアが居たであろう位置へと移動する。 そして、絨毯の上に転がっている、マリアが置いていった『鍵』のフェイクに気付いたガブリエルは、それを拾い上げた。
「これは……ククッ、置いて行けば命を助けてもらえるとでも思ったのか? ……最初から逃がすつもりなど無いと言うのに、なァ……だが、あの小僧、ヨシュア・トゥリーはちと厄介だな」
 ガブリエルは下卑た笑みを浮かべ、『鍵』をグッと握り締めた……それが偽物であるとも気付かずに。
「……こんなちっぽけな『鍵』で、地球を我が物とすることが出来ると言うのだからな……初めて聴いた時は俄かには信じがたかったが、とうとうやってきたのだッ! 『鍵』がッ! この我が手にッ!」
芝居がかった口調に大袈裟な身振り手振りを交え、恍惚とした表情で『鍵』を見つめているガブリエル。 先程までの狂気を瞳に湛えていた人物と同一人物とは思えぬほど、その顔は清々しく爽やかに見える。

 と、その時。 スーツの胸ポケットから、ベートーヴェンの『ピアノ・ソナタ 第14番《月光》第1楽章』が鳴り響いた。
鼻唄を唄いながらポケットに手を突っ込んで携帯電話を取り出し、通話ボタンを押す。 この着信メロディはある番号専用にしてある為、誰が電話をかけてきたのか一目瞭然だった。
「やぁ、俺だ。 ちょうどいいタイミングだな。 今、お前に連絡しようと思っていたところだよ……『デルピエロ』」
その名を口にしたと同時に、リーダーの遺体の処理をしていた黒服達の間に緊張が走る。 どうやら彼らにとって、この『デルピエロ』と言う人物は何やら特別な存在らしい。
『ほぉ〜ぅ。 と言うことは、失敗したな? ガブリエル。 それにしては、これ以上ないくらいご機嫌って感じの声だが……』
「あ〜ぁ、最ッ高ーーーゥにゴキゲンだ! 2人は逃したが、『鍵』を手に入れることが出来たんだからなッ!!」
『マジかよ? じゃあ大成功じゃあねぇーの! それが手に入ったってんなら、もう2人を追う必要はないんじゃないのか?』
携帯から聴こえてくる『デルピエロ』の声に、見えてもいないのに頭をふるガブリエル。
「いいや……そうはいかん。 『鍵』は全部で『7つ』ある……その内1つは此処にあるとして、残り6つを使って俺の邪魔をしてくる可能性がある。 その可能性がゼロで無い限り、安心して夜も寝れんよ……しかも、あのヨシュアという小僧。 ヤツはお前と同じ『スタンド使い』だ」
 電話越しながら、その言葉を聴いた瞬間、『デルピエロ』の纏う空気が変化したのをガブリエルは感じ取った。
『そうか、小僧のほうはスタンド使いか……そりゃ厄介だろうなァ。 解ったよ、親友のためにこの俺サマが一肌脱いでやるぜ! ……ところで』
「ん? なんだ?」
頼もしい事を言った直後、口調が変化したことを奇妙に感じたガブリエルは訊きかえした。
きっかり5秒の間を置いてから、『デルピエロ』はさっきとは口調をコロッと変えて喋りだした。
『いやぁさ〜、2人の写真見せてもらってただろ? それでよ、マリアちゃんなんだけど……実は俺さ、一目惚れしちゃったんだよ。 マリアちゃんに』
「……はぁ〜?」
 『デルピエロ』が発した言葉に、ガブリエルも思わずマヌケな声を上げてしまう。
「何を言ってるんだ、お前は……」
『俺は真剣だ』
 確かに、電話越しに聴こえてくる声からは、いつものおちゃらけたような響きは微塵も感じられない。
 どうやら本当らしいな……全く、コイツはいつも俺を悩ませる。 ガブリエルは心の中で毒づいた。
「……それで?」大方の予想はついているが、念の為、ガブリエルは訊ねてみた。
『マリアちゃん、殺さないで俺が貰ってもいいかな? 大丈夫、ちゃんと俺が“調教”して2度と『鍵』を狙ったりする気をおこさないようにしておくからさぁ〜。 なっ、いいだろ?』

 またか……これがコイツの悪い癖だ、と内心で舌打ちするガブリエル。
この男の女癖の悪さが原因で、何度トラブルに巻き込まれたことか……100から後は数えるのを止めたほどだ。 ガブリエルは『デルピエロ』の事を数少ない友人の1人として認めてはいるものの、この悪い癖だけはどうにも気に入らない。
 だが、今はそんな好き嫌いを言っている悠長な時間はない。 背に腹は変えられん、か……この状況で頼れるのは彼しかいないのだ。
 そう自分を無理矢理納得させたガブリエルは、溜め息をついてから電話越しで変な方向にテンションがあがりっぱなしになっている男に言い放った。
「解った、解った。 お前の好きにしろ」
『ヴァ・べーネ(OK)! そうこなくっちゃあな! よしよし、全て万事一切このマルチェッリーノ・デル・ピエロ様にお任せあれ! 『鍵』は必ずお届けに上がるぜ』
 返答を聴いた『デルピエロ』の声のトーンは、より一層興奮気味で早口になっており、その鬱陶しさはガブリエルの不快感を何倍にも膨れ上がらせたが、そんな事は全くお構いなしと言った風に彼はべらべらと喋り続けた。
 本当に、この気持ち悪いほどの女に対する執着心さえなければ最高に頼れるヤツなんだがな……と胸中で呟きつつ、ガブリエルは「あぁ、期待している」と短く言って強制的に電話を切った。
 そして、部屋の入り口付近で様子を窺ってきている黒服達へと向き直ると、苛立ちを隠そうともせずこれ見よがしに絨毯に向って唾を吐いた。
「ふん……お前達の気苦労を考えると、胸が痛むよ。 アイツがいずれ“ファミリー”のボスを継ぐのかと思うと……な」
 チン、と小気味良い音を立てて、ガブリエルがジッポーライターの蓋を開ける。 そして胸ポケットから煙草を取り出すとフリントストーンを回転させて着火し、咥えた煙草に火をつけた。



**********



「ねぇ、ヨシュア……」
 頬を真っ赤に染めたマリアは、ヨシュアに声をかけた。 しかし、返事は無い。
「ちょっと、ヨシュア! ヨシュアってば! もう、いい加減に降ろして! 自分で走れるからっ」
 さっきのように誰にも見られていない状況に於いてならまだしも、こんな人目につきそうな路上で“お姫様抱っこ”をされているのはさすがに恥ずかしくてたまらないらしい。 マリアはヨシュアの腕の中で激しくジタバタと手足を動かして、半ば強引に脱出しようと試みる。
 腕の中で借りてきた猫のようにおとなしかったはずのお姫様が突然暴れだしてしまっては、さすがのヨシュアも降ろさざるをえない。
 困ったな、とでも言いたげな表情を浮かべて、ヨシュアはマリアを縛り付けていた両腕という名の鎖から解放した。
「フフッ……そんなに照れなくてもいいんだよ?」
「て、照れてるわけないでしょ! ただ……そ、そう! ちょっと走りたい気分なの!」
「はいはい、解ってるよ……さ、マリア、もうすぐ合流地点だ」
「もぅ……で、その仲間って人は信用できるの? もしかして、叔父様の息がかかってたりしてないわよね?」
 ちょっとだけ不安になったらしく、マリアはヨシュアの隣を駆けながら訊ねた。
「大丈夫だよ。 以前から何度も交流はあるし、それに……ッ!?」
 突然、ヨシュアがマリアに向って飛びかかった。 とても貴重な芸術的価値のあるアンティークを抱きかかえるかのように、彼はマリアの頭を胸元に引き寄せ、そしてそのままアスファルトの上を転がった。
 悲鳴をあげる暇もなく転がる羽目になったマリアは、ワケが解らないままつい無意識のうちにヨシュアに抱きついていたことに気がついて、再び暴れだそうとした。
 しかし、それを静止するかのごとく、夜の闇を引き裂くように銃声が轟いた。 そして、ついさっきまでマリア達が走っていた地点に鉛の雨が降り注いだ。
「ッ!!」
 思わず悲鳴をあげそうになったが、それを何とか飲み込むとマリアはヨシュアの胸から頭を離して無理矢理に顔を巡らせた。
 現在居る辺りには薄暗い街灯が点々と設置してあるだけなので、はっきりとは視認できなかったが……どうやら鉛玉のシャワーを浴びせようとした何者かは、マリア達の方に向って歩みを進めてきているようだった。

「ヨシュア」
 名前を呼ぶ。 ただそれだけだったが、マリアが何を言いたいのか、ヨシュアにはちゃんと理解できた。
「いや……違うよ。“仲間”じゃあない。 早いなぁ……まさか追手に先回りされるなんて思ってもみなかったよ」
 そう言って、マリアを腕に抱いたままヨシュアは起き上がった。
「少し、離れてて。 相手がどんな事してくるか、まだ判らないからね……」
 こくん、と頷いたマリアは、おとなしく近くにあったポストの陰に身を隠す。

「マリア」
 今度はヨシュアがマリアへと声をかける。
 何事か、と思ってポストの陰からチラリと顔を覗かせたマリアに向って、何か金属めいた光沢を放つ物が飛来してきた。
驚きながらもそれを巧くキャッチしたマリアは、その手に収まった物へと視線を落とした。
「これって……もしかして、これが本物の『鍵』!?」
 その小さな掌にあったのは、つい先刻ロイヤルスウィートルームを脱出する時に捨ててきた物とそっくり同じ光沢、質感、そして重量をもった『鍵』そのものだった。
「そうだよ。 いいかい、マリア。 それをしっかり握って持っていて。 決して手放さないようにするんだ……追っ手はすぐに倒すから、それまでそこで待っててね」
 近づいてくる追手から視線を外すことなく、ヨシュアは優しく幼子に言い聞かせる時のような声でマリアに言った。
「……解った。 気をつけてね、ヨシュア。 無理しちゃイヤよ?」
 彼は『追っ手はすぐに倒す』と言った。 それはつまり、これから追っ手と闘うと言う事だ。 相手が何者で、銃以外にどんな武器を持っているのか、何人いるかも判らない以上、危険極まりない事は明白だ。
 しかし、マリアは何故だか確信していた……きっと、大丈夫だと。 ヨシュアなら必ず追っ手を倒して、無事に彼の“仲間”と合流できると。
「うん。 そこを動いちゃダメだよ……絶対にね」
 そう言って頷くと、ヨシュアはゆっくりと迫りくる追っ手に向って歩き出した。
 
「さてと。 どうやら相手は1人らしいね……」
 周囲を見回して他に人影が無い事を確認してから、ヨシュアは呟いた。
 ゆっくりと近づいてくる相手の手には、先程の銃声の出所に間違いないだろう、UZIが握られている。
まずは相手がどう出るかを見よう……と考えるヨシュアに、前方から近づいてきていた追っ手が突然声をかけてきた。
「お前さんが『ヨシュア・トゥリー』だな? 写真で視たのよりも、実物のほうがずっと“カワイイ”顔してるじゃないの……思わずドキッとしちまうくらいにイケてるぜ、なぁ?」
 やたらと陽気な感じで話しかけてくる追っ手に対し、無言で返すヨシュア。 いつでも動けるように踵を浮かし、姿勢を低くして身構える。
「おいおい、何か言えよ……俺、無視されるのって大ッ嫌いなんだけどな〜」
 さっきと同じ陽気な口調で、おどけたように肩をすくめる追っ手。 UZIは右手に持ったままだ。
「さて、まずは話し合いと行こうぜ。 俺だって、無駄に殺しはしたくないんだ。 俺たちゃケダモノじゃあない、理性ある人間だ。 話せば解る、だろ?」
 薄ぼんやりと自らの足元を照らし出す街灯の光により、ヨシュアは追っ手の容姿を鮮明にとまではいかないが確認する事が出来た。
 
 パッと見た限りでは20代半ばから30代前半といった感じの、飄々としていて軽薄そうな笑みを口元に浮かべた優男。
 くすんだ金髪は一応手入れはしてあるものの無造作にセットされており、淡いブラウンの瞳には歪んだ濁りが見え隠れしている。 軽そうな外見と裏腹にその昏い光を灯す瞳からは、どうやらかなりの修羅場を潜り抜けてきたのが見てとれた。
 仕立ての良さそうな純白のスーツの下にはネイビーブルーのYシャツを身に着けており、首には趣味の悪い柄のついた黄色いネクタイを結んでいる。
 そんな一見すると単なる趣味の悪い優男、しかし見る者が見れば只者ではないと言う事が一目で判るような男は、口調はそのままに芝居がかった大仰な仕草で、ヨシュアに向って一礼した。
「どーも、Mr.トゥリー。 俺の名は『マルチェッリーノ・デル・ピエロ』……気軽に『デルピエロ』って呼んでくれ」
 そう言ってニカッ、と歯を見せて微笑む男――デルピエロを物陰から覗いていたマリアは「何なの、アイツ……」と無意識のうちに呟いていた。
 そんなマリアの呟きが聞こえたのだろうか? デルピエロはマリアが隠れている物陰へと、これ以上ないだろうと思われるほどに爽やかな微笑みを投げかけた。
 同時に、まるで何かの匂いを嗅いでるかのような仕草をしているデルピエロを見て、マリアは思わずブルブルッとその身を震わせた。
「うわっ……ホントに何なの?アイツ……間違いなく危険人物だわ」
 完全に引いているマリアの様子に気付くはずも無いデルピエロは、ヨシュアを無視してマリアの方へと近づいていこうとしている。
「んッン〜……マリアちゃん、やっぱり其処に隠れているんだね? キャワイイお顔、俺に見せて欲しいんだけどなぁ〜」
「そこまでだよ。 これ以上、マリアには近づかせはしない……闘う気が無いというのなら、ここから退いて下さい」
 無視されたのが癇に障ったのだろうか、ちょっと憤慨しているっぽくみえるヨシュアはマリアの隠れた物陰へと歩を進めようとしているデルピエロの進路を塞ぐようにスッ、と立ちはだかった。

「おっとぉ、ヨシュアくぅん。 俺の恋路を邪魔しないでもらえるかなァ?」
 立ちはだかる黒髪の少年に向って、チッチッと指を左右に振ってみせるデルピエロ。
「……恋……路?」
 今、目の前にいる、追っ手として現れた筈の男が発した耳を疑ってしまうような言葉に、ヨシュアは思わず訊き返してしまった。
 呆けたような、なんとも言えない微妙な表情を浮かべたヨシュアに向って、デルピエロは上機嫌で答える。
「そう……恋だ……こんな気持ちになったのは、28年間生きてきた中で、もしかしたら初めてかもしれない。 俺は今まで、数多くの女を愛してきた……だが、身体は満たされても、心が満たされた事など、只の一度もなかった」
 すっかり自分自身の言葉に酔いしれている様子のデルピエロは、大袈裟な身振りを交えて言葉を続ける。
「だが! 今! 俺の心にはッ! 激しく燃え盛る恋の炎が宿っているッ! 今までに感じたことのない、この胸のトキメキ……疼いて疼いて仕方がない、渦巻く灼熱の炎の火種になったのはマリアちゃん、きみだッ!! 不肖、このマルチェッリーノ・デル・ピエロ、写真の中で微笑むきみを初めて見たその時に、一目惚れしてしまいました! 即ち俺、フォーリン・ラヴッ!!」 
 呆気にとられるヨシュアなど既に眼中に無いと言わんばかりに、一人エキサイトしているデルピエロ。

 眼前の光景を目の当たりにしているヨシュアは、しばらく呆然したままその様子を眺めていた。 が、すぐに気を取り直してデルピエロに向って右腕を突き出した。
「そんな世迷言をいつまでも聴いていられるほど、僕達はヒマじゃないんだ……話し合いをする時間も惜しいくらいに、ね」
 そう言いながら、ススス……とまるで拳法の構えのような動きをとり始めたヨシュア。 そして、デルピエロに向って突き出していた右手の掌を上に向けたかと思うと、人差し指から小指までの四本の指をクイックイッと動かしてデルピエロを挑発した。
「安心していいよ……僕も無駄に人を殺したくはない。 だから、速やかに……再起不能にしてあげるよ」
 キラリと、その黒い瞳が鋭い光を放つ。 同時に、周囲の空気が微妙に変化した事を、さっきまでヨシュアと同様に呆然としていたマリアは敏感に感じ取っていた。
(空気が変わった……何て言うのかしら、全身に微弱な電流が走ったような、鋭い針でツンツンつつかれているような、そんな奇妙な空気を肌で感じる……この感じ……ヨシュアから……?)
 ハッキリとは判らないが、その何とも形容し難い正体不明の奇妙な感覚を、マリアはヨシュアから感じ取っていた。 もしかしたら、これが“気”とか“オーラ”ってヤツ?などと思考を巡らせては見るものの、その答えが出る事は無い。

 ……答えが出ないのは、当然だった。
 何故なら、今のマリアには、この奇妙な感覚を生み出している原因をその目で認識することなど出来なかったのだから。
 肌をピリピリと刺すような異様な雰囲気を全身の皮膚で感じとりつつ、マリアはズモモモモ……とそびえ立つポストの陰から対峙する2人の様子をチラチラと窺っていた。
(それにしても、あのデルピエロとかいう悪趣味が輪をかけて悪趣味な服に身を包んでるような変態……私に一目惚れ、ですって? ただでさえ大変な状況なのに、こんな時に勘弁して欲しいわ)
 本当は趣味が悪いのは変な柄のネクタイだけでスーツとシャツは高級そうな仕立ての良い物を身に着けている筈なのだが、もはやマリアにとってはデルピエロの存在そのものが“悪趣味”極まりないものになっているようだった。

(まぁ? 私くらいの美少女だったら、一目惚れしたって仕方が無いとは思うけど? 好みじゃないのよね、そもそもが)
 うんうん、と心の中の自らの呟きに相槌を打つ。 自分の事を“美少女”と自信たっぷりに表現できてしまうところが、マリアらしいと言えばらしいのだが。
 目を閉じて、頭の中だけに存在する複数の自分自身とおもむろに好みのタイプだとかそんな議題をブチ上げて脳内会議を始めようとしたその時。
 いよいよ睨み合いを続けていた2人の間に動きがあったことに彼女がようやく気付いたのは、激しい激突音が薄暗い夜の路地に響き渡ってからだった。

 マリアが一人、脳内で盛り上がっている間。 ヨシュアとデルピエロは漂う緊迫感の中、ほんの短い間ではあったが会話をしていた。
 自らの眼前に立ちふさがる、漆黒色をした艶があってサラサラと風になびく髪と宝石のような煌きを放つ黒い瞳を持った白い肌の美しい少年の“傍らに立つもの”に向って剣呑な視線を送りつつも、先程までと変わりない口調で話すデルピエロ。
「おーおー、何だよ、殺る気マンマンなんじゃねーか……せっかくこの『カヴァッリーノ・ファミリー』の次期ボス、デル・ピエロ様が話し合いで解決したい、って言ったのによ」
 またもや大袈裟な動きで肩を竦めて見せるデルピエロ。 その挙動すべてを見逃さないように、ヨシュアはジッと目の前に立つ軽薄な悪趣味人間を見つめている。
「……一応、訊いておきましょうか。 もしも話し合いで解決するつもりだったなら、一体どんな条件を出してきたんです?」
 好奇心から、ヨシュアは訊ねてみた。 もちろん、決して視線は外さずに。
 その質問を待ってました、と言わんばかりに、ついさっきまで面倒くさそうな表情でヨシュアと対峙していたデルピエロは相好を崩した。
「あ、やっぱ気になる? 気になるよな? じゃあしょうがねぇ〜なぁ〜、教えてしんぜよう! 3つの選択肢から、ドレか1つを選んでもらおうと思ってたのだよ」
 フフン、と鼻を鳴らして言うデルピエロ。 なんとなく、その気取ったような仕草を見て、ついイラッとしてしまうヨシュアだったが、気を取り直して質問を続ける。
「3つの選択肢……で、その内容は?」
 うむ、とデルピエロは頷き、ビシィッ!と人差し指を立てた状態の右手を目の前の少年に向けて突き出した。
「選択肢・その壱ッ! みんな仲良く話し合った結果、マリアちゃんを俺に引き渡してヨシュア君は自由にどっか好きなとこ行っていい。 そして俺はマリアちゃんとゴールイン」
「……はぁ」
 何をかいわんやとするヨシュアだったが、形の良い薄い桃色の唇から言葉を紡ぎ出す前にデルピエロが言葉を続ける。
「選択肢・その弐! マリアちゃんは俺がいただき、そしてYOUは此処でDEAD!」
「へぇ……そりゃ楽しそうだ」
 もはや呆れ返ってるといった表情を浮かべて、溜め息をつきながら肩を竦めるヨシュア。 もちろん、そんなヨシュアはお構いなしに、悪趣味が服を着て歩いている男は最後の選択肢を口にした。
「そして最後の選択肢・その参ッ! ……テメェーをバラしてマリアちゃんを拉致っちまうぜ! ヒャッハーッ!!」
 心底楽しそうな高笑いを上げるデルピエロに対して冷ややかな視線を送るヨシュアは、既に相槌を打つのすら面倒になったらしく黙って聴いていた。
「……とまぁ、なるべく平和的な選択肢を用意していたのだ。 この中から選ぶなら、ヨシュア、どれを選ぶ?」
「……そりゃあ決まってるじゃないですか、僕はどの選択肢も……「但し、選択肢・その壱は選べないとする」選ぶつもりは……って、一番平和的な解決方法が選べないんじゃないか! ……やはり、最初から話し合いだけで終わらせるつもりはなかったと言うことですね?」
「あ〜ン? 当たり前じゃねーの。 俺サマってば、一応“追っ手”なんだしさぁ〜。 マリアちゃんはともかく、お前には死んでもらうつもりだったよ、最初から」
 先程までの飄々とした雰囲気から一転、デルピエロの気配が変化した事をヨシュアは肌で感じ取った。
 キッ!と鋭く睨みつける。 その視線を余裕の表情で受け流したデルピエロの傍らに、屈強な男のシルエットを持った、やけに両の手だけが大きい――まるでピザ職人がくるくると回して、薄く大きく広げたピザ生地のようだ。 薄くは無いが――人の形をした何か得体の知れないものが佇んでいた。
「コイツが俺のスタンド……名前は【アヴェンジド・セヴンフォールド】だ。 両手が大きいって思うだろ? 俺もそう思う。 なんでこんな格好してるんだろうな? どうせならもっとスマートな感じが良かったぜ……ほら、例えばお前のその『スタンド』……そんなのが良かったのになァ」
 自身のスタンドを横目に、デルピエロはヨシュアの隣で佇んでいる『スタンド』を指差した。
 
 そのシルエットはヨシュアと丸っきりの瓜二つで、背の高さや身体のサイズはもちろん、細身ながらほどよく鍛えられている筋肉の付き方までもが恐らく同一であろうことが伺える。
 しかし瓜二つとは言っても服装やなんかは全く違っており、その細い首には真紅に染め上げられた、足首まで届かんばかりに長いマフラーが巻かれていた。
 上半身はタンクトップで覆われ、肩から肘までが露出していて、肘よりも少し上の部分から手首にかけてアームウォーマーを填めている。 手首から指先までは手袋が包み込んでおり、ゆったりとしながらも指先の作業には支障がなさそうなフィット感がある。
 腰の部分にスカートのような薄い布状のものが巻かれており、下半身はハーフパンツが覆っている。 そして膝から足首にかけて、こちらもレッグウォーマーが装着されている。 ついでに丈夫そうなハーフブーツが、足首から踵・爪先までをしっかりと保護している。
 おまけに、身体のあちこちにシルバーのアクセサリーめいた金属質の物で装飾がなされており、そして一見すると普通のように見えるその肌の質感は柔らかい人間のそれではなく、何処か機械じみた光沢のある、にもかかわらず生命の温かみを感じ取る事の出来る、なんとも奇妙なものだった。

「クールだよなァ、お前さんのスタンドは。 ……えーっと、なんつー名前だっけ? “コール・ミー・クイーン”だっけか? サスガにそりゃ違ったか!」
 ギャハハハハ、と下品な笑い声をあげるデルピエロに、冷静に返すヨシュア。 その声には心なしか怒りが込められているようだった。
「僕のスタンドは【セイヴ・ザ・クィーン】。 ちゃんと覚えておいてもらいますよ……」
「そうそう、【セイヴ・ザ・クィーン】な……まぁ、すぐに忘れちまわぁ。 なんつったって、お前さんはここで死ぬんだから……なァッ!!」
 言い終わるが早いか、デルピエロはヨシュアとの間合いを一気に詰めるべく疾走した。 同時に、ヨシュアも素早い身のこなしで回り込むようにデルピエロの側面へ向って駆け出す。 左側面へと移動を開始したヨシュアを自らの射程に捉えるべく、上半身だけを捻ったデルピエロの顔面を、やや小振りだけれどもすこぶる硬い拳が襲撃した!

 バキィッ!という音を立てて、デルピエロの左頬にめり込んだのは……ヨシュアのスタンド【セイヴ・ザ・クィーン】の拳。
「ぐうゥゥッ!?」
 中途半端な体勢で顔面を殴られたせいでバランスを崩したデルピエロは、夏とはいえ夜になればそれなりに冷たくなっているアスファルトにキスをする格好になった。 うつ伏せに転がったデルピエロは、ぐぐ……と呻きながらノロノロと起き上がった。
 ヨシュアも追い討ちをかけることなく、デルピエロが立ち上がるのを黙って待っていた。 ヨシュアからすれば相手のスタンド能力が判らない以上、容易に近づくのは危険だと判断しての選択だったが、地面に転がされたほうからすればそれは余裕ぶっているようにしか見えなかった。
 ペッ、と血の混じった唾を路上に吐き捨てる。 そして頬を擦りながら、デルピエロはクックッと笑みを漏らした。
「あー、痛ェ。 やっぱフツーにブン殴られるのは痛ぇなァー。 だから闘うのって好きじゃねぇんだよ……やっぱ、たっぷり玩んでから一方的に嬲り殺すのが、一番楽しいぜ……そう思わねぇ? 思わねぇか、テメェみたいな糞餓鬼は」
「……どうやら趣味が悪いのはネクタイだけじゃないみたいだね。 そういうの……僕の一番嫌いなタイプだよ」 
 デルピエロの悪態を涼しい顔で受け流すヨシュア。 だが、その内心では静かな炎が燃え上がっていた。
 ヨシュアは、『悪』が大嫌いだ。
 弱者を嬲り、強者こそが絶対不変の支配者であるという驕り高ぶった思想は、最も唾棄すべきものだと考えている。
 幼い頃より紳士としての教育を施され、そして『常に正しくあれ』という今は亡き父親の訓えを、彼はこれまで生きてきた18年間、ただの一度たりとも忘れた事は無かった。
 それ故に幼少の頃から、たとえ年上の、しかも体格も腕力も上の相手であろうとも、そいつが確実な『悪』であると判断した時には敢然と立ち向かったものだ――勿論、ボロボロにされることのほうが多かったのだが。
 厳格な、日頃から紳士としての心構えや姿勢を忘れるべからず、と教えるような父親ならば喧嘩などもってのほかだと言うかもしれないが、彼の父親はむしろヨシュアがボロボロになって帰ってくるたびに、自分の息子を誇りに思ったものだった。
 喧嘩の相手がどんな事をして、どんな風に闘ったのかを、事細かに訊いてきて、それを詳しく伝えてやった時の父の満足気な微笑みはヨシュアの網膜に焼き付いており、眼を閉じれば今でも鮮明に思い出すことが出来る。
 頭を撫でてくれた誰よりも優しく大きな手、そして「もっと強くなれ……『悪』から大切な人を護れるように」と言う父の力強い言葉が、現在のヨシュアの全てを形作っているといっても過言ではない。
 父の訓えは、黄金のように輝く『正義』の心は、しっかりとヨシュアの心に刻み込まれているのだ。

 だからこそ、眼前の下卑た笑みを口元に張り付かせた非道極まりない悪趣味男に対して、憤りを感じずにはいられなかった。
「だから……僕は貴方をこれからブチのめします。 ポッソ(いいですか)?」
 ヨシュアの問いかけに、デルピエロはニイッ、と唇を歪めてみせる。
「あぁ、構わんぜ。 もっとも、テメーにそれが出来るかって話だ……これからブチのめされるのは、そっちなんだからなあッ!!」
 雄叫びと共に、【アヴェンジド・セヴンフォールド】が動き出した。 巨大なその両手を振り回しながら、ヨシュアと【セイヴ・ザ・クィーン】へと突進していく。 その距離、僅かに2m。 ギリギリ、射程範囲内だ。
 しかし、それよりも速くヨシュアとそのスタンドが仕掛けた!
「遅い! 【セイヴ・ザ・クィーン】ッ!!」
 気合いを込めてスタンドの名前を呼ぶ。 それに応えるかの如く、ヨシュアとよく似た外見を持ったスタンドは真紅のマフラーをなびかせながらデルピエロのスタンドに向って渾身の右ストレートを繰り出した!
 【セイヴ・ザ・クィーン】の拳が、【アヴェンジド・セヴンフォールド】のボディを抉る……正にその時、ヨシュアはこれから殴られると言うのにも関わらず、奇妙な事に当のデルピエロがほくそ笑んでいるのに気がついた。

 ドゴォッ!
 【セイヴ・ザ・クィーン】の鋭い一撃が、【アヴェンジド・セヴンフォールド】に命中した。
 しかし、次の瞬間。

 ドガガガガガガガァッ!! 

 ヨシュアは、自分が繰り出した攻撃と全く同じスピードで繰り出された『7発の拳』を叩き込まれて、後方に吹ッ飛んでいた。
「な……に……ッ!?」
 何が起きたのか全然理解できぬうちに、ヨシュアは吹っ飛ばされた先にあった民家を囲っている硬いコンクリートの壁に叩きつけられていた。
(今のは……あのスタンドの能力……? でも、攻撃してきたような動きは見られなかった……そしてさっきデルピエロが見せた奇妙な笑み……その意味、は……)
 壁に叩きつけられた格好のまま思考をめぐらせているヨシュアの傍に、いつの間にかデルピエロが立っている。 その身体には、傷ひとつ付いてはいなかった。
 変わりに、その純白のスーツ(今は多少汚れてしまってはいるが)に『大きな手形』が付いているのがハッキリと見てとれた。
「クッククク……まんまとかかりやがったな? もう気付いてるだろうが、これが俺のスタンド能力だ。 この手形が付いてる時に攻撃を喰らったら、その攻撃をきっちり『7倍返し』にする」
 7倍にして返された攻撃、そして壁に叩きつけられたダメージで動く事の出来ないのだろう、へたり込んだままのヨシュアの髪をデルピエロはガシッと掴んで、顔を上げさせた。 整ったその顔を見つめるデルピエロはサディスティックな笑みを零す。
「なんで7倍かっつーとな、“7”は俺のラッキーナンバーなんだよ。 “ラッキーセヴン”ってヤツさ。 知ってるだろ?」

「嘘……ちょっと、なんでヨシュアがやられてるのよ!」
 ヨシュアが壁に激突した音で現実に引き戻されたマリアは、殴る蹴るの猛攻を受けて力なく地面に横たわっているヨシュアのボロボロになった姿を見て悲鳴に近い叫びを上げた。
 ヒッヒヒィ、と不気味に笑いながら、デルピエロはヨシュアの頭を踏みにじった。
「……ケッ、バカな餓鬼だぜ。 まんまと俺の能力にかかっちまって、カワイソーに。 でもまぁ、安心しな。 まだ殺さないでおいてやるよ……なんつったって、まだ利用価値はあるからな」
 ヨシュアの頭から足を離して、その傍にしゃがみ込むデルピエロ。 ポンポン、と頭を掌で叩くと、今度はマリアが隠れているポストのほうへ向って声を投げかけた。
「おーい、マリアちゃーん? きみのナイトくんはボロゾーキンみたいになっちゃったよォォォ〜? 俺、このまま殺しちゃうかもしれないなぁ〜」
 そう言うと、デルピエロは【アヴェンジド・セヴンフォールド】の大きな手でヨシュアの首を掴ませた。
 
 マリアにはスタンドが見えなかったが、このままだとヨシュアに生命の危険が迫るであろう事は明らかだ。
(ヨシュア……何かの冗談なのよね? やられたフリしてそいつを騙してるのよね? ねぇ、嘘って言って……ほら、早く起き上がって、そんなヤツ倒しちゃってよ……)
 ギュッ、と『鍵』を握り締めながらマリアは祈る。 しかし、ヨシュアが起き上がるはずもなく、デルピエロの呼びかけだけがただ聞こえてくるのみ。
(どうすればいいの、お祖父様……今すぐ飛び出してヨシュアを助けてあげたいって思ってるのに、怖くて身体が動かないの……ヨシュア、私どうすればいいの?)
 眼をギュッと瞑りながら、なんとか震えを抑えようとするものの、震えが一向に止まらない。 『鍵』を握り締めた手に、更に力が入る。


 ず ぶ り。


 何かが柔らかいものに突き刺さるような鈍い音が、マリアの内側から彼女の耳に響き渡った。
「……えっ?」
 一体、何が起こったのか判らないマリアは、不意に襲い掛かってきた鋭い痛みに顔を歪めて身体をくの字に折った。
「痛ぅッ……! な、んなの……!?」
 ジクジクと響く痛みを感じる場所――『鍵』を握っていたほうの手をゆっくりと開いた。
 
 手を開くと……尖った部分など無い筈の『鍵』が、信じられない事にマリアの掌に深々と突き刺さっていた。
「こ、れって……なんで、『鍵』が刺さってるの、よ……ッ!」
 痛みを堪えながら、『鍵』を抜こうと試みるマリア。
 だが、肉を抉り骨に食い込まんばかりの勢いでずぶずぶと掌に――既に掌では収まらず、手首のほうへと潜り込み始めている『鍵』は、そのままマリアの体内へと完全に侵入してしまった!
「嘘ッ!? イヤッ! 何なのよこれ……ッ!?」
 恐怖と痛みにより、パニックに陥るマリア。 体内に侵入した『鍵』がズルズルと肉を突き破り身体の内側を移動しているのがハッキリと判る……だが、既に痛みは感じられなかった。 もしかすると、恐怖のあまり感覚が麻痺しているのかも……などと、妙に冷静にマリアは考えていた。
 
 どれくらいの時間が経ったのか? 体感では何時間も経っているような感覚があるが、恐らく実際は10秒も経っていないのだろう……既に『鍵』が体内で動いている感触も消え失せていたがそれに気付くことのないまま、マリアは倒れ伏しているヨシュアとその傍にしゃがみ込んでいるデルピエロの方へと眼を向けた。
 そこには先程と同様に、何事かを言いながら自分を呼ぶデルピエロの姿と、ピクリとも動かないヨシュア。 そして……

「……何なの、アレは……人間、なの?」
 マリアの眼には、ほんの十数秒ほど前には確かに存在しなかった筈の、まるで冗談のように『両手が大きな人型の何か』が、デルピエロに寄り添うようにしゃがみ込んだ姿勢のまま、ヨシュアの首をすぐにでも潰せるように掴んでいるのがハッキリと視えていた。
 突然、姿を現した(少なくともマリアにはそう見えた)異形の存在を、マリアは唖然とした様子で見つめていた。 一体、あれは何者なのだろうか? デルピエロの仲間? それにしては、姿を現すのが唐突過ぎる。 最初から一緒に居たのかもしれないが、デルピエロがその姿を最初に見せた時、確かに彼は一人だった。 その時点で不自然な気がする。 そもそも、あれは人間なのだろうか? あんな大きな手をした人間がいるだなんて、普通じゃ考えられない。 そう。 例えるならば、まるでチープなコミックかアニメに出てきそうなヒーロー、もしくは悪党のような……どちらかというと悪党寄りかも。 この状況下で、そんな奇妙な印象を与える存在が突然姿を見せる……今更こう言うのもなんだが、どう考えたって普通じゃあない。 掌に突き刺さり、そして体内へと侵入してきていた筈の『鍵』がその手の中に再び収まっていることに気付かぬまま、マリアはヨシュアの細い首に手を掛けている異形を見つめていた。

「……リアちゃーん。 マリアちゃァァァ〜ん? 聞こえてるんだろ、返事くらいして欲しいなァ〜……」
 ねっとりと耳にこびり付いてしまいそうな、心の内側から嬲られている気分になる厭らしい響きを含んだ声でデルピエロが呼んでいることに、マリアはようやく気がついた。 忽然と姿を現した異形の存在もそうなのだが、今、この状況下に於いて一番厄介なのは間違いなく、あの絶対悪趣味優男だろう。 アイツが指示するだけで、異形の存在は即座に実行に移るだろう。 それだけは、絶対に避けなければならない。 ヨシュアの首が、あの大きな手に因ってあらぬ方向へと曲げられてしまうなんて事、死んでも視たくない。
「ンン〜、クックックック……ほォ〜らほら、早く出ておいで? 俺、本当にこのまま殺っちゃうけど、いいのかなァァァ〜ン?」
 先刻よりも一層ねちっこい喋り方をするようになったデルピエロは、マリアの隠れているポストに向かってゆっくりと歩を進め始めた。 後に続くように、異形もヨシュアを引き摺りながら歩き出す。

 相変わらず、ヨシュアはピクリとも動く気配がない。 気絶しているだけならまだいい。 もしも、既に息絶えているのだとしたら……考えたくもないが、その可能性がないとも完全には言い切れない。 だけど、絶対に生きている、ただ意識を失っているだけだと信じたい……そう、信じるのならば、する事はただ一つ。
(そうよ……今、ヨシュアの生命を護れるのは私しか居ないんだもの。 助けなくちゃ……でも、どうやって?)
 思考を巡らせようとするが、コツン、コツンッと足音を立てながら近づいてくるデルピエロにどうしても意識が向いてしまい、思うように考えが纏まらない。 額がしっとりと汗で濡れてきているのを感じて、マリアは無意識のうちに『鍵』を握っている右手の甲で汗を拭った。
(……あれ?)
 その時、ようやくマリアは自分の手の中に『鍵』が収まっていることに気がついた。
 ついさっきまで、確かに身体の中で蠢いていた感覚があった……いつの間にか消えていたけれど。 もしかして、さっきの痛み、動いていると感じたの全部、幻覚だった? それにしては、あまりにもリアルすぎた……やっぱり現実なの? でも、だとしたらどうして今、『鍵』が手の中に……?

「……マァ〜リィアちゃん、見ィィィ〜つけた。 ようやく、生で顔を拝めたよ……やっぱり写真よりもずっと美人だ。 グッときちゃうねぇ〜」
 いつの間にか自分に影がかかっている事に気付いたマリアがふと顔を上げると、そこには既にすぐ近くまで移動してきていた、ポストに片肘を付いたままニヤニヤと下品な笑みを見せるデルピエロの姿があった。
「最高だ……きみはまさしく、この世界に生まれ落ちた美の化身。 麗しの女神……俺ときみがこうして出逢ったのは、まさしく運命! そう、これこそが“運命の出逢い”というヤツに違いない! きみもそう思うだろう? 勿論そう思うよね? マリアちゃん」

 もしもこの世に神様というものが本当に存在するのなら、この男に生命を授けたのは神様最大の過ちに違いない……強烈な悪寒に背筋を襲われて全身を震えさせたマリアは、完全に自分の世界に浸っているデルピエロに冷ややかな視線を向けた。
「運命の出逢いって、もっと素敵なものだと思ってた」
 ゆっくりと立ち上がりながら、マリアはそう呟いた。
「フッ……いやだなぁマリアちゃん。 素敵だなんて……俺様、照れちゃうぜ」
 マリアの呟きを耳にして、頬を赤らめてモジモジし始めるデルピエロ。 それを何か汚いものでも目にするかのように見ていたマリアは「うわぁ……」と嫌そうな声を漏らした。
「いや、別に肯定してないし! って言うか勝手に意味を取り違えないでくれる!?」
「またまた〜、ホントはそう思ってるくせに」
「だ・か・らっ! そんなこと思ってないし! そもそも私は貴方みたいなタイプが嫌いなのッ! 解った!?」
「キライ、キライも好き好き大好き……ってね♪」
「あぁー! んもぉー!」
 一向に人の話を聞こうとしないデルピエロに業を煮やしたマリアは、星々の光が瞬く夜空を仰いだかと思うと、月まで届かせようとしているのかと思えるほどに大きな声で叫んだ。
「ンッンー、フフフ……全力で叫ぶマリアちゃんもバッチリ可愛いぜチクショーッ!」
 ビッ!と親指を立てて手を突き出すデルピエロ。 もはや諦め尽くしたような微妙な表情でそれを見つめるマリア。 いつもの透き通るような、それでいて鮮やかに揺れるブルーの瞳は陰を潜め、どこか疲れを感じさせる翳りがその視線に宿っていた。
 それには全く気付いていない様子で「ちょ、そんなに見つめられたら俺様マジでヤバいんですけどッ! 穴開きまくりぃーッ! 可愛すぎるよマリアちゃんっ! ティ・アーモッ(愛してる)!!」などと身悶えしつつ歓喜の声をあげるデルピエロ。

「もう、いい……お願いだから話しかけないで……そんな事よりヨシュアを離しなさい! そこのデカイのっ!!」
 話しかけても恐らく一歩も前進することのない、それどころかますます泥沼に嵌ってしまうのが目に見えているデルピエロを無視することに決めたマリアは、姿を現してから全く言葉を発することなく、ヨシュアの白くて細い首をその巨大な手で握ったまま、ただ黙ってデルピエロに付き従うように傍に立つ異形に向かってビシィッ!と指を突きつけた。
(うぅ……いよいよこの空気に我慢できなくなって声かけたのはいいけれど……これからどうしよう!?)
 表向きは冷静を装っているものの、内心ではかなり冷や汗をかいているマリア。 それどころか、身体の震えを隠すのだけでも精一杯だ。 だが、なんとかしてヨシュアを助けなければ……その為には、この異形をまず何とかしないと。 そんな事を考えていると、不意に自分を見つめる強烈な視線を感じたマリアは、嫌々ながらその視線の先にいるデルピエロへと顔を向けた。
 
 デルピエロは心底驚いた、と言いた気な表情を浮かべたまま、マリアを見つめていた。 数秒ほど、そのままあんぐりと口を開けて目を見開いていたデルピエロだったがすぐに気を取り直したらしく、再び先程までと同様に微笑みを口元に張りつかせる。
「ガブリエルからはマリアちゃん、きみが『スタンド使い』だったなんて聞いてないんだけどな……だが、これは間違いなく“運命”ッ! 天が俺達を巡り合わせ、そして祝福してくれているんだよ!」
 自己陶酔ここに極まれり、と言っても差し支えないくらいに自分のセリフに酔いしれているらしく恍惚としているデルピエロは、スッとマリアに向かって両手を広げながら1歩踏み出した。
「やっ、来ないでよっ!」
 その思わず怖気だってしまいそうになるほどに気色の悪い変態野郎と距離を取ろうと、逆にマリアは1歩下がろうとする。 が、デルピエロにガシッ、と右腕を掴まれたかと思うとそのまま腰に手を回されて思いっきり抱き寄せられてしまった。
「ってちょっとッ! 離しなさいよッ! この変態好色悪趣味男ッ!」
「さぁ、“運命”を受け入れるんだ、マリアちゃん……今宵、俺達は結ばれるんだ……」
 マリアの悪態も耳に入っていない様子のデルピエロは、そのままマリアの顎に手を添えてグイッと自分のほうを向かせる。 マリアはそれに抗う為に顔を背けようとするのだが、思ったよりも強いデルピエロの力にそれを阻止されてしまう。
「そんなに恥ずかしがること無いじゃあないか……本当に恥ずかしがり屋さんだなぁ、マリアちゃんは」
「ちっがぁーうッ! って言ってるでしょうがッ! ちょっと、ホントにダメ! いやぁぁぁぁぁ〜ッ!!」
 顔を真っ赤にして必死に抵抗を続けながら絶叫するマリアに熱い視線を注ぐデルピエロ。 ジタバタと手足を動かして脱出しようとするマリアを意に介さず、そのままマリアの唇を奪うべく、遂にその顔を近づけていき……
 徐々に近づいてくる、デルピエロの唇。 間近で見ると割と肉厚で艶があり、男にしては綺麗で意外とセクシーな事が判る。が、そんな事には全く興味が無いとばかりにマリアはギュッ、と堅く目を瞑ってなんとか顔を逸らそうと努力を続ける。 だが、その美しい顔はデルピエロの手に因って完全に抑えつけられており、右にも左にも動かす事が出来ない。
(いやっ……! こんなド変態に唇を奪われるなんて……絶対にお断りよッ!)
 目を閉じているため周囲の様子を視認する事は出来ないのだが、デルピエロの唇から洩れてくる生温い吐息が紅色に染まる頬へと吹きかけられているのを感じてしまうおかげで、最高に最悪最低な変態の顔がどこまで自分に接近しているのかハッキリと判ってしまうのは、マリアには辛過ぎた。
(初めてのキスは、本当に好きになった人とするんだって決めてたのに……ヨシュア、貴方のせいなんだからね! 絶対、死んでも責任とってもらうから! だから……お願い、助けて……誰か――!!)
 心の中で必死に強く、力の限り叫ぶ。 その声として発せられることの無い声が、誰かの耳に届くことは絶対に無い――無い。 はずだった。

『……のなら』

(えっ?)
 何処からともなく聞こえてきた声に驚くマリア。 誰かが近くに居るのか、と思い静かに目を開くが視界内に存在するのは、瞳を閉じてアヒルのように唇を突き出しながら大接近しつつあるデルピエロと、その背後でグッタリとしているヨシュアを引っ掴んだまま、棒立ちになっている両手の大きな異形だけだ。
(もう、ダメ……あまりのショックで幻聴が聴こえちゃったみたいね……本当に、最低で最悪……)
 ガッシリとその細い顎を掴まれている為に動かすことの出来ない顔の代わりに、心の中で項垂れる。 もはや、為す術は無いのだろうか……絶望に支配されそうになっている折れかけたその心に、もう光が灯る事は無い様に思えた。

 だが――

『……アナタが、望むのなら。 マリア……』

 再び聞こえた、しかも今度はかなり鮮明に――いや、聞こえたという表現は間違っているかもしれない。 何故ならその声は……確かに、マリアの内側から、心の奥底から響き渡ってきたのだから。

「なに……何なのよ一体……ッ!?」
 思わず声を上げてしまうマリア。 口と同時に開いた瞳には、急に悲鳴を上げた彼女を驚きの表情で見つめている、僅か数cm先まで迫ってきていたアヒル唇のデルピエロの顔が真っ先に飛び込んできた。 ほんの少し、顔を前に突き出されただけで唇が触れてしまいそうな距離にあるその顔を見た瞬間、マリアは再度絶叫した。
「い……っやぁぁぁぁぁッ!?」

 全身全霊を振り絞って、喉から飛び出した絶叫。 それがまるで眠り姫の呪いを解いたキスであるかのように、彼女の精神の奥底で深い眠りについていた“何か”の、堅く閉ざされていた瞼を開かせ始めたのだった。

「う……おっ……! こりゃ凄い声だ……オペラ歌手になれるんじゃないの、マリアちゃん」
 その恐ろしいボリュームの叫びを目と鼻の先で聞いてしまったデルピエロの耳には、キィィィィィ……ンと甲高い耳鳴りが響き続けていた。
 
 だからこの時、自分の着ている、元は純白だった少し埃を被って薄汚れてしまっている高級なスーツが?ボウッ?と音を立てたかと思うと、まるで『ライターで火を点けられたかのように燃え上がり始めた』事に、デルピエロはまだ気付くことが出来なかったのだ。
 ゆっくりと、そして少しずつその威力を増しながらスーツを焼いていく『炎』。 裾が燃え尽きた頃には、さすがのデルピエロもその熱気に気がついたようで、ようやく慌てふためく様子を見せている。
「……ぅんなぁッ!? ぬぁんじゃこりゃぁァァーーーッ!!」
 ヒィィィー、と滑稽な悲鳴を上げて、デルピエロは掴んでいたマリアの顎から手を離し、半ばパニック状態になりながらも『炎』を消そうと懸命にスーツをバタバタと手で叩き出した。 しかし、その『炎』の勢いは弱まるどころか、逆にどんどん大きくなっているように見受けられた。
「クソッ、なんで消えねぇんだッ! 仕方ねぇ、【アヴェンジド・セヴンフォールド】ッ!! この『炎』を消してくれッ!」
 その言葉に素早く反応した巨大な両手を持つ異形の存在は、ほんの少し力を加えただけで握りつぶす事が出来ていたであろうヨシュアの首から手を離し、彼をポイッと投げ捨てたかと思うとデルピエロへと一目散に駆け寄って行き、その大きな掌を用いて不可思議極まりない、奇妙な消えない『炎』の消火を試み始めた。

 小説家が書き損じてしまい苛立ちのあまりクシャクシャに丸めた原稿を、クズ籠に向かって放り投げるかのごとく宙に放り出されたヨシュアの身体は、綺麗な放物線を描いた後、ドサッと音を立ててアスファルトの上に落下した。
(ヨシュアを放した! 何がなんだかよく判らないけど、確実に今がチャンスだって事だけは解るわっ!)
 デルピエロのスーツから突如として上がった『炎』に驚きを隠せなかったものの、この瞬間を逃すわけにはいかないと考えたマリアはヨシュアの元へと駆け寄るべく、既に首から上以外の全身に『炎』が拡がってしまっているデルピエロの左側へと回りこむように駆け出した。
 が、しかし。
「おっとォォォ〜、逃がさないよマリアちゃぁぁぁ〜〜〜んンンンッ!?」
 必死に『炎』の消火活動に勤しみながらも、デルピエロは自分の脇をすり抜けようとした美の化身ことマリアの左腕を、鮮やかな輝きを煌々と放つオレンジ色の『炎』に覆われた腕でガシッと掴んだ。 その腕は完全に『炎』に包み込まれているものの、一体どうした事だろうか、何故かマリアの左腕に燃え上がる『炎』が飛び移る事は無かった。
「ちょっ、放しなさいよッ! あんたの相手をしてる暇なんてないんだから! このヘンタイッ!」
「おいおい、ヒドイよマリアちゃ〜ん……こんなにアツくてイタいのはさァ〜……多分、って言うか間違いなく、きみの『スタンド』のせいなんだからさぁ〜……」
 『炎』で全身を焼かれているのを意にも介していないかのように、ニイィ、と笑みを浮かべるデルピエロを見たマリアは、ゾクッと背筋に悪寒が走るのを感じてその身を震わせた。 こんな状態でそんな楽しそうな笑顔を作れるなんて。 コイツ、正真正銘、ホンモノの大変態だわ、とマリアは改めて感じていた。
 
 そんなことよりもどういうわけか、既に皮膚は焦げてボロボロになっている手で、肌が剥き出しの腕を掴まれているにも拘らず燃え移って来ない不思議な、そのくせ神々しいまでに美しくて澱みの無い純粋な『炎』をスーツに点けたのが自分であると指摘されたマリアは、デルピエロの言っていることをさっぱり理解出来なかった。 ……理解をするつもりなど無かった筈なのだが、確かにその『炎』を点けたのは自分なのだと絶対の確信を得ていた。
 それは脳で弾き出された結論から導き出されたものではなく、言うなれば“本能で感じ取った”と表現するのが最も正鵠を射ているに違いない。
 変態が吐き出した妄言を肯定することになってしまうのは癪に障るけれど、確かに自分もそう感じてしまったのは否定できない。 心底悔しげに眉を顰めて唇を引き結んだマリアは、その澄んだブルーの眼差し(今は揺らめく『炎』に照らされてオレンジになっているが)で見事に彼女の中の変態ランキング・第一位の栄冠に輝いたデルピエロをジロッと睨みつけた。
「そんなの、知った事じゃないわ……って言うより、自業自得でしょ? ヨシュアをあんなボロボロにして、挙句の果てに私の唇を奪おうとしたんだから。 むしろそうなって然るべき、じゃない? まぁ、変態にはお似合いの姿だけど……ねっ!!」
 言い終わると同時に、いよいよ頭頂部まで完全にオレンジの瞬きに包み込まれてしまった変態キングの頬めがけて、平手を繰り出したマリア。
 だが――
 バシバシバシバシバシバシバシィィィッ!!

「っ……きゃあぁぁぁッ!」
 確かにデルピエロの頬を捉えたはずのマリアの平手。 だが、その一発は『7倍』になって彼女自身へと舞い戻ってきた。
 平手とは言え、全力を込めた上に身体の捻りを加え、更に手首のスナップを効かせて繰り出した渾身の一発だった。 どうやらその威力はなかなかに強烈だったらしく、掴まれていた腕でさえも強制的に解放されてしまうほどに大きな衝撃を受けたマリアは、後方へとフッ飛んだ。
 ドサッ、と地面に尻餅をつきながら、マリアは燃え盛る『炎』の下、ちょうどデルピエロの腹の辺りに『大きな手形』が貼りついている事にようやく気がついた。
(いたたたた……そっか。 多分、ヨシュアもこうやってやられたのね……それにしてもあの『大きな手形』。 いったい、何なのかしら……気になるわ)
 痛む頬を擦りながら思考するマリア。 鏡を見る暇などないのでどうなっているのか彼女には判らなかったが、彼女の頬はこの時、まるで熟れた林檎の様に真っ赤になって、いつもの1.5倍はあろうかというくらいに腫れ上がっていた。
「それも気になるけど……よくも! 乙女の柔肌に傷を付けたわね! 許さないんだからっ!」
 尻餅をついた態勢のまま、マリアは相変わらず燃え続けているデルピエロに向かってビシッ!と指を突きつけた。

「あぁ、ゴメンゴメン……スタンド能力を解除するのを忘れていたねェ……でも、今のはマリアちゃん、きみが悪いんだよ? まったく、手癖の悪いイケない子猫ちゃんだ」
 『炎』に焼かれ続けているのを気にするそぶりも見せず、フフフ……と余裕の笑みを浮かべるデルピエロ。
「……だが、それがいい! 実にイイ! 屈服のさせ甲斐があるってもんだ! 燃えるッ! 燃えてきたッ! 滾ってきたぞォォォォォッ!!」
 全身火達磨になっているにも拘らず、ウザったいテンションは更にうなぎのぼりに上昇していく。 その燃え上がる興奮が、絶頂に達したかと思われた次の瞬間。

 ドガガァッ!

 不意に、【アヴェンジド・セヴンフォールド】が近くに設置されている地上式消火栓めがけて、その巨大な拳を振り下ろした!
「きゃっ!」
 異形がとった思いがけない行動に虚を突かれ、思わず悲鳴を上げてしまうマリア。 当然の反応だ。 むしろ、いきなりそんな行動をとられて驚かないほうがどうかしてる。
 普通の人間には到底不可能な行動でも、スタンドの尋常ではないパワーを持ってすれば容易いこと――消火栓を破壊して、周囲に大量の水をシャワーのように降らせることなど、造作もないことだ。
 破壊された消火栓から天へ向かって駆け昇らんとする水の柱は、しかし重力という鎖から抜け出す事が出来ずに地上へと送還され、まるで雨のように姿を変えて降り注いでいる。 その中で、デルピエロは高らかに、腹の底から声を出して笑っていた。 少しずつ、非常に少しずつではあるが、その全身を覆っていた『炎』は勢いを弱めつつあり、このままだと数十秒もしないうちに完全に消化されてしまうだろう。 気が触れてしまったのかと思えるくらいに笑うデルピエロを横目に、マリアはヨシュアに駆け寄るべく立ち上がった。

「んっン〜ンン? 何ぉ処へ行こうっていうんだァい? 愛しのマリアちゅわわわぁァァ〜ン? に、が、さ、な、い、ぜ!」
 マリアの様子に気付いたデルピエロが、霧のように周囲を覆い尽くす水の中を歩いてくる。 つい先程まで全身を包んでいた筈の『炎』は、既に消火がほとんど完了してしまっているようだった。 だが、身体のあちこちが酷く焼け爛れて黒く焦げついてしまっているのを見るからに、どうやら『炎』に因って受けたダメージは相当に深刻に違いない。 あの状態なら、ああやって歩を進めるだけでもかなりの痛みを伴っているはず。 追いつかれるよりも早く、ヨシュアの元へ辿りつける……そう確信したマリアは、ヨシュアの倒れている方へと一気に駆け出そうとした。
 と、その時。
 
 ヌゥッ、と霧の向こうから伸びてきた巨大な手に、マリアのか弱くて華奢な腕は力いっぱい握り締められてしまった。
「くぅっ!」
 堪らず悲鳴を洩らしてしまう。 その美しい顔が、苦痛に歪む。
 マリアの腕を掴んでいる【アヴェンジド・セヴンフォールド】の背後から、最早スーツとしての役目を果たす事も出来なくなった黒焦げの布切れを身体に張り付かせた、眼光鋭い男――マルチェッリーノ・デル・ピエロが、全身を苛んでいるであろう痛みをまったく意に介する様子も見せることなく、哀れなまでにボロボロになったその姿を現した。
「逃がさない、って言っただろォ? 俺様、マジでアッチぃし、イタかったんだぜ……? なぁ、マリアちゃん……こんな風にしてくれた責任、ちゃァ〜んととってくれるんだよねェェェェェ〜!?」
「責任、なんてっ……だから、自業自得だって言ってるでしょ……ッ!?」
 なんとか振り解こうとするものの、所詮普通の少女並の筋力しかない彼女の力では、ガッチリと掴まれた腕はビクともしない。 懸命にもがいているマリアのそんな様子を見て、デルピエロはニヤァァァ、と唇の端を吊り上げてイヤらしい笑みを見せた。
「自業自得? あぁ、そうかもねぇ……でも、火ィ点けたのはきみなんだから、やっぱり責任とってもらわないと。 と言うわけでェッ!」
 両腕を封じられているマリアの胸元に向かって、指をウネウネ動かしながら手を伸ばすデルピエロ。 その手つきを見てこれから自分が何をされるかを悟ったマリアの顔から、サァーッと音がしそうな勢いで血の気が一気に引いていく。 慌ててその手を振り払おうとするが、両手は塞がれている。 こうなったらと、拘束されていない自由な脚でデルピエロに蹴りをお見舞いしようと振り上げたが……大きく開いたドレスの胸元に今にも掛けられようとしていたデルピエロの手に因って、蹴りはあっさりと受け止められてしまった。
「おっとォ〜。 こぉ〜んなにスベスベしてて、フワフワ柔らかくて、今すぐ天にも昇っちまいそうな程の触り心地なのに。 まったく……悪い脚だねェ〜」
 自分を蹴ろうとした脚を舐めまわすかのようにネットリと眺めるデルピエロ。 しなやかですらっとした白く透き通るように美しい脚に頬を摺り寄せ、本当に今すぐにでも天に昇って行ってしまうのではないかと思えるほどに恍惚とした表情を浮かべている。 おまけに鼻を近づけたかと思うと、くんくんと足首からふくらはぎにかけてじっくりと匂いを嗅ぎ始めた。 その様子を見ていたマリアの背筋を再び悪寒が走る。
「いやぁぁぁぁッ! ちょっと、やめなさいってば! 気持ち悪いのよぉぉぉッ!! ヘンタイ! 色魔! ×××っ!」
 とてもその麗しい唇から飛び出したとは思えないような罵詈雑言を撒き散らし、首をブンブン振り回して精一杯の抵抗を試みるマリアだったが、デルピエロも【アヴェンジド・セヴンフォールド】も全く動じる気配はない。 それどころか、懸命に抵抗するマリアをデルピエロは実に変態じみた満面の笑みを浮かべたまま見つめている。
「い……イイ! イイよマリアちゃん……もう辛抱たまらんッ!! これより直ちにいただきますッ!」
 興奮が絶頂に達したのか、上ずった声で高らかにそう宣言すると、デルピエロはマリアの胸元へと手を伸ばし……そして、胸元で揺れていたピンクのリボンをブチブチィッ!と引き千切った。

「――ッ!!」
 千切られたリボンが、夜風に乗ってヒラヒラと飛んでいく。 同時に、リボンに着けられていた蒼い薔薇のコサージュも勢いよく宙を舞った。
「んぅ〜クック……綺麗な肌だねェ〜、やっぱりマリアちゃん、きみは最高だよ。 完璧に惚れた! 究極に惚れたッ! だから、今すぐ俺のものにしてあげようッ!! さぁ、力を抜いて……1つになろう! マリアちゃぁぁァーーーんッ!!」
 胸元を隠していたリボンが無くなった事で露わになった胸元が、幻想的な仄蒼い月光に照らし出され闇の中に浮かび上がる。 隠したくても隠せない……そんな恥辱に耐えていたマリアだったが、唐突にデルピエロの伸ばしてきた手がむんず、とそのまだ膨らみかけの白く柔らかな蕾を掴んだ時、彼女はとうとう耐え切れなくなって絶叫した。
「い……いやぁぁぁぁぁーーーーーッ!!!」
 顔を真っ赤にして叫ぶマリア。 ニヤニヤとゲス丸出しな笑みを浮かべるデルピエロはソフトに、しかし纏わりつくように、年齢のワリに小振りなマリアの胸を揉みしだいた。
 腕はスタンドに拘束され、片脚をデルピエロに因って脇に抱えられている状態では、彼女に抗う術はもはや残されてはいない。 先刻の『炎』がもう一度点かないか……と期待してギュッと眼を閉じたものの、それは徒労に終わった。 ゆっくり、そして丁寧に愛撫してくる手の感触だけがハッキリと伝わってくることに、マリアは押し寄せる深い絶望と共に身体の芯が熱く火照ってきているのを感じ、頬を紅色に染めて熱っぽい吐息を洩らした。
 艶っぽい溜め息を洩らしたマリアの恥辱に歪む顔を見て、デルピエロの加虐心は更に燃え上がり、テンションもそれに伴ってヒートアップしていく。
「フ……フフフヒヘヘヘヘヘッ! やぁ〜わらけぇ〜なァ〜ッ! ちょぉ〜っと俺様の手には小さいサイズだけど、それがまた悪い事してるって気分になって実にベネ(良し)! ウハハハ…… 『ボグシャァッ』 ハァーーーッ!?」
 ジュルリと舌なめずりをしてから、いよいよその乳房を月明りの下に曝しだそうとドレスに手を掛けた――と、その時。
 突然、死角から繰り出された拳を避ける事も出来ず、モロに横っ面をブン殴られたデルピエロは、銃口から射出された弾丸のように勢いよくフッ飛ばされていく。
「ブッゲェェェーーーーーーーッ!?」
 ギュルルルとドリルのように回転しながら数mほどフッ飛んだデルピエロは、道路脇に設置されているダストボックスへと思いっきりダイビングをかました。

「きゃっ!?」
 デルピエロが射程距離外へと吹き飛ばされた事で、彼のスタンド【アヴェンジド・セヴンフォールド】も姿を消す。 それによって束縛が解かれ自由になったマリアは、突然解放された事でその場に両手と両膝をついてへたり込んだ。 まだ身体が火照っているせいで頬は紅色に染まってはいるが、貞操の危機からようやく解放された事から安堵の溜め息が唇から零れる。 そしてふと、横からデルピエロを殴りつけたのは一体誰だったのかという事に思考を向け、拳が飛び込んできたほうへと顔を巡らせた。
 
 マリアが視線を向けた先には、信じられないことにあれだけやられたにもかかわらずピンピンしている、出会った時とまったく同じ涼しげで優しそうな印象を与える微笑みを浮かべた、黒髪と黒い瞳がとても印象に残る美しい少年の姿があった。
「嘘……」
 驚きのあまり、呟きが漏れる。 ついさっきまでぐったりとしていて身動き一つ取ることのなかった、ボロ雑巾のように滅茶苦茶に痛めつけられていた筈だったのに。
 今、目の前に立つ少年は、その肌に傷の一つもないどころか身に着けている服さえも新品同様に綺麗な状態で、人を安心させてくれる微笑みを浮かべている。
 少年は、自身の傍らに並び立つ者――『スタンド』を従えたまま、しっかりとした足取りでマリアのほうへと歩み寄り、そして地面にへたり込んでしまっている彼女の前で跪くとその頬に手を差し伸べて優しく撫でてあげた。
「嘘なんかじゃないさ……僕はほら、ご覧の通り、大丈夫だよ」
 そう言いながら、少年――ヨシュア・トゥリーは、信じられないといった表情で自分を見上げてくる麗しの姫君の頭を優しくその両腕で包み込み、それから胸元へと引き寄せて抱きかかえた。

 緊張の糸がプツッと切れてしまったのか、されるがままにヨシュアの胸元に顔を埋めるマリア。 瞳を閉じて、その身体に触れることでその体温を感じ、確かに彼が無事だった事を確認して改めて安堵の溜め息を漏らす。 そして自分を包み込んでくれている、細いくせに逞しさを感じさせる二本の腕の中で、気持ちを落ち着けるためにゆっくりと深呼吸をする。 ヨシュアのつけているコロンの芳香が鼻腔をくすぐってくるのを、マリアは心地良く感じていた。
 ほんの少し落ち着いた様子を見せるマリアの頭を、まるで夜中に悪い夢を見て泣きじゃくっている子供をあやして寝かしつける母親のように優しく撫でながら、ヨシュアは心の底から申し訳なさそうに眉をひそめると、マリアの耳元に顔を寄せて囁きかけた。
「それよりも。 ゴメンね、マリア。 こんな酷い目に遭うまで助けに入らなくて……でも、必要な事だったんだ。 これからキミを待ち受ける、過酷な運命に立ち向かう為には」
 完全にリラックスしてしまっていたマリアは、一瞬その言葉の意味を汲み取る事が出来ずに、ヨシュアの胸の中で閉じていた瞳を開くと心地良かった胸から顔を僅かに離してから彼の顔を見上げ、小鳥のように首を傾げた。 が、すぐに脳の回線がリンクを回復すると同時に思考をフル回転させ始める。 そしてようやく耳元で囁やかれた言葉の意味を理解したマリアは、半眼になってヨシュアをジロリ、と睨みつけた。
「……それってつまり、ホントはずっと起きてたけど、黙って寝たフリしてたってこと?」
 ようやく訪れた束の間の安らぎの時間を、それを運んできた張本人に因ってブチ壊しにされたことが相当腹に据えかねているのだろう。 静かだが、あからさまにそれと判る風に怒りが声に籠められていた。
「え? あ……まぁ、かいつまんで言えばそういう事、になるかな。 ……やっぱり、かなり怒ってる、よね……」
 声だけではなく、その視線にも微かな怒りの色が見え隠れしている事に気付いたヨシュアは苦笑を浮かべつつ、月に照らされてブルーに煌くマリアの瞳を見つめ返した。
「そりゃもちろん、怒ってるに決まってるじゃない! スッゴく心配したのよ? おまけにもう少しで処……あ、えっと……」
 言いかけてから、途中で自分が何を告白しようとしているのか気付いたマリアは再び頬を紅く染めてしまうが、それを誤魔化すかのようにコホン!と咳払いをして改めて言い直す。
「と、とにかく! もうちょっとで、あの超ド級変態マスターにヒドイことされるところだったんだから……もっと早く助けてくれれば良かったのに」
「……ごめん、マリア。 でも、これは本当に」
「もういいわ。 確かに怒ってはいるけれど、今はそんな事で言い争ってる場合じゃない……でしょ?」
 怒りのおかげか、ようやくいつもの調子が戻ってきたマリアはヨシュアから身体を少し離すと、目と鼻の先にある整った顔の中心で存在を主張している形の良い鼻を右手の人差し指でツン、と突いた。 突然の行動に驚きの表情を見せるヨシュアに、マリアは仕方ないわね、といった感じで肩を竦めてから悪戯っぽく微笑んだ。
「マリア……むぐっ」
 尚も謝ろうとするヨシュアの唇を、指で摘んで黙らせる。
「あーもー、しつこい。 もういいって言ってるでしょ?……それより、どうして無事だったの? あんなに手酷くやられて、服もボロボロになってた筈なのに……」
「それは後で説明するよ。 それよりも、今は……」
 唇を摘んでいた指を解かせてようやく口を開いたヨシュアは、デルピエロが突っ込んでいったダストボックスを見つめながら指で指し示した。 その視線を辿って、マリアもそちらの方向へと振り返った。

 すると、そこには全身ひどい火傷を負ってボロボロになっているものの、しっかりと二本の脚で立っているデルピエロの姿があった。
「何あれ……アイツ、ヘンタイってだけじゃなくて、ゴキブリ並にしぶといのね……ちょっとヘヴィすぎるわね」
 唖然としつつも、デルピエロの驚異的な生命力思わず感心するマリア。
「うん、そうだね。 だから、今度は僕の番だ……少しだけ、待っててくれるかな? マリア……すぐにやっつけてくるから」
 そう言うと、ヨシュアはマリアの頬へと唐突にキスをした。
「なっ……! ちょっ、ヨシュア……!!」
 思わぬ不意打ちに、マリアは顔から火が出るんじゃないかと思えるほどに赤面してしまう。 恥ずかしさを隠すために食って掛かろうとするが、キスをしてきた相手はスッと立ち上がったかと思うと、フラフラと自分達のいる方へ近づいてくる不死身の変態に向かってスタスタと歩き始めていた。
 少しずつ遠ざかっていく、思ったよりも広い背中を心配そうに見つめるマリア。 その視線に気付いたのか、ヨシュアは一瞬だけ立ち止まって彼女の方を振り返り、微笑んで見せたかと思うと、再びデルピエロに向かって進みだした。
 その後ろには、腰まで届くほどに長い真紅のマフラーを風になびかせながら、【セイヴ・ザ・クィーン】が付き従っている。 それを見たマリアは、これまで信じたことなどただの一度もなかった“神様”へと祈りを捧げた。
(大丈夫……ヨシュアは絶対に負けない。 今度こそ、アイツをやっつけてくれるわ……お願い、神様……彼を、ヨシュアを護って――!)


(おかしい。 なんであのクソガキはピンピンしてやがるんだ? 俺様はヒデェ格好になっちまったっていうのによォ……野郎さえいなけりゃ、マリアちゃんはとっくに俺の物なハズだったのに……許さねぇ!)
 心の中でブツブツと文句を言いながら、デルピエロは自信満々といった感じの足取りで近づいてくる黒髪の少年を、怒りの形相で睨みつけていた。
 その怒りを意に介したそぶりも見せずに、1歩1歩、ゆっくりとデルピエロへと向かっていくヨシュア。
「クックク……ヨシュア・トゥリィィィーーーッ!! テメェー、1回やられたってのにまた俺様に向かってくるたァいい度胸だぜ! 今度は、キッチリと息の根を止めてやる……覚悟しやがれッ!」
 高らかにそう宣言するデルピエロ。 すでにその隣には、巨大な両手を持つ【アヴェンジド・セヴンフォールド】が姿を見せており、臨戦態勢を整えている。
「そうですね……但し、覚悟を決めるのは貴方のほうですよ、マルチェッリーノ・デル・ピエロ。 今度は、僕も本気でいきましょう。 マリアの純潔を汚そうとしたこと……死んでも許すわけにはいきません」
 囁くようにそう宣言すると、ヨシュアはピタリと足を止めた。
 ヨシュアが放った言葉に、デルピエロの眉がピクリと動く。
「“今度は、僕も本気でいきましょう”……だァ〜? あんまり大口叩いてると、また痛い目に遭うぜ小僧ォォォ〜。 さっきみたいになァ!」 
「さぁ? どうでしょうね……試してみますか?」
 デルピエロの挑発を軽く受け流しつつ、ヨシュアはニヤリ、と口角を吊り上げた。 いつもの爽やかな笑顔と違うその表情は、正直あまり似合っていなかったが、デルピエロを苛立たせるのには効果覿面だったようだ。 今まででも十分、怒りに歪んでいたデルピエロの形相は更に歪み、とてもあの軽薄そうな印象を与える優男と同一人物とは思えぬほどに変貌して見える。
 ……もっとも、黒コゲになってしまっている時点で、既に顔の判別がやや難しくはなっていたのだが。
「餓鬼が……言いやがるぜ! いぃ〜だろう! このマルチェッリーノ・デル・ピエロ様がッ! お前を徹底的に叩きのめし! 格の違いってヤツと、マリアちゃんへの想いを見せ付けてやるぜッ!」
 余計な事を交えながら忌々しげにそう言い放つと、デルピエロは自分からおよそ7mほど手前でストップしたまま近づいてこない黒髪の少年のほうへ、ゆっくりと移動し始めた。 もちろんその隣には彼のスタンド【アヴェンジド・セヴンフォールド】がおり、巨大な両手をゆらゆらと揺らしながら、のしのしと音がしそうな感じで同じ様に歩を進めていた。
「いや、見せなくてもいいし。 って言うか勝手に想わないでお願いだからッ!」
 デルピエロの言葉に、思わずツッコミを入れてしまうマリア。 だが、どうやら彼の耳にはその魂の叫びは届いていないようだった。
「さっきのスピードを見る限りじゃあ、お前さんにクリソツなそのスタンドと俺の【アヴェンジド・セヴンフォールド】のスピードは大体同じくらい……いや、こっちのほうが若干遅い、か?」
 辛うじて小物入れとしての体裁を保っている、スラックスの両サイドに備え付けられたポケットに手を突っ込み、首を斜め45度くらいに傾げた見下ろし気味の格好のまま、水で濡れた地面をペチャペチャと踏み鳴らしながらデルピエロはヨシュアに向かって歩いていく。
「けどなァ〜、テメェーが俺に攻撃してくるのより、スタンドに俺を触らせて『手形』をつけるほうが早い……そうだろ? 違うか?」
 ピチャン、と泥水が跳ねる音が、降り注ぎ続けるシャワーの立てる涼やかな流れの音を遮るように響いた。 そして、それに合わせるかのようにヨシュアから4mばかり離れた位置で、デルピエロは足を止めた。 あと2歩。 たった2歩、足を前に出すだけでヨシュアを射程に捉えることが出来る距離だ。

(確かに……あの手がデカいヤツよりも、ヨシュアにそっくりな子……えっと、『スタンド』……だったかしら? ヨシュアの『スタンド』のほうが、スピードは速いかもしれない)
 デルピエロの言葉を、マリアは反芻していた。 確かに、ヨシュアの【セイヴ・ザ・クィーン】は素早い。 しかし、デルピエロの言うとおりスピードがほとんど変わらないのならば、1歩踏み出して拳を繰り出すよりも、スタンドに自分を触らせるほうが早いのでは……? だとしたら、ヨシュアは、また――! 無意識のうちに『鍵』を握りしめていたマリアは、心配そうな表情でヨシュアへ目を向けた。
「そう……かもしれませんね。 ただそれは所詮、憶測でしかありませんよ」
 フッ、と微笑みを浮かべ、デルピエロに向かって肩を竦めて見せるヨシュア。
「ほぉ〜う……まだ言いやがるか。 ホント、口だけは達者な野郎だぜ。 この俺様が、そんな挑発に乗ると思ってんのか?」
 口ではそう言いつつも、デルピエロのこめかみの辺りに青筋を立っているのをしっかりと目撃して、バッチリ引っ掛かってるんじゃない……と心の中で発現するマリア。 心の声ならば、あの超絶変態黒コゲ男にも聴こえないだろう、と1人頷いている。
「ホレホレ、かかってきな! 西部劇のガンマン風に言うなら……『抜きな! どっちが素早いか試してみようぜ』というやつだぜッ!」
 両手の甲をヨシュアに向け、クイクイッと手招きするデルピエロ。
 明らかな安い挑発返しだったが、敢えてそれに乗ったのか、ヨシュアは左足を1歩前に踏み出した。 同時に、【セイヴ・ザ・クィーン】もフワリ……と真紅のマフラーを揺らす。 デルピエロまでの距離は、これで約3m。 ギリギリではあるが、【セイヴ・ザ・クィーン】の射程内だ。
「……往くよ、【セイヴ・ザ・クィーン】ッ!!」
 高らかな叫びを上げたかと思うと、ヨシュアはデルピエロに向かって疾走した。
 同時に、金属のような光沢がある肌を持つ、彼に良く似た姿のスタンドは移動しながら上半身を捻り、右の拳を繰り出すべく攻撃のモーションをとっている。 ヨシュアは駆けながら、怒りで顔を真っ赤にしている……とは言っても、全身黒コゲなせいでイマイチ顔色が判別しづらい元・優男だけを、その視界に捉えていた。 自分と相対する男を見つめるその黒い瞳には、これから敵と激突するであろうにもかかわらず、晴れ渡る青空のように澄みきった、爽やかな光が宿っていた。
「(バカがッ! 自分の攻撃喰らって、くたばりやがれぇッ!!)【アヴェンジド・セヴンフォールド】ッ!! 俺の身体に『手形』を付けろォーーーッ!」
 心の中でほくそ笑みつつ、デルピエロは自分の身体に触れるよう、スタンドに指示を出した。 それに従い、巨大な手を持つ異形のスタンドも動き出した! 
 デルピエロの言うとおり、【セイヴ・ザ・クィーン】が拳を繰り出すよりも早く本体に触れるべく、【アヴェンジド・セヴンフォールド】の巨掌が伸ばされていく。

 自らの攻撃を跳ね返されたヨシュアが、今度こそ完全に叩きのめされるという凄惨な光景が、彼を見守るマリアの脳裏を過ぎった。
「ダメよ、ヨシュアッ! 間に合わない――!!」
 このままだと起こってしまうであろう惨劇を回避すべく、マリアが叫ぶ。 腹の底から絞り出した叫びだったが、まるでその耳に届いていないかのように、ヨシュアは一向に足を止める様子を見せない。 再び静止を呼びかけようとするが、そんな暇もなくヨシュアとデルピエロの距離は僅か1mほどにまで接近していた。
 姿勢を低くして、デルピエロのほうへと地面を滑るように移動するヨシュア。 その横顔を、マリアは一瞬だけだがその瞳に捉える事が出来た。 横顔のみ、しかもほんの一瞬しか見えなかったが黒髪の少年は確かに、口元に笑みを浮かべていた。 それが何を意味しているのか、マリアには解らなかった。 何故、この状況でそんな微笑みを見せる余裕があるのだろう。 圧倒的に、敗北が近づいてきているというのに!
 マリアの心配をよそに、ようやく足を止めた【セイヴ・ザ・クィーン】は縮んでいたバネが元に戻るような勢いで、一気にその腕をデルピエロに向けて放った。
「ハハハッ! 遅ェんだよぉォーーーッ!」
 迫り来る拳を、嘲るような笑みを浮かべつつ見つめるデルピエロの身体に、【アヴェンジド・セヴンフォールド】の左手が触れた……そう思われた瞬間!
「ゴウッ!」
 相変わらず消火栓から空へと駆け上り、そして地上に落下し続けている冷水のシャワーの音を切り裂くように、鋭く、凛々しい声が【セイヴ・ザ・クィーン】の口から発せられる!
 そして――

 バ キ ィ ッ !!


 鈍い打撃音が、周囲に響き渡った。
 今まさに、本体に触れるか否か……というところだった【アヴェンジド・セヴンフォールド】の左手を、【セイヴ・ザ・クィーン】の拳が弾き飛ばした音だ!
(バ……バカな……は、早……い!?)
 信じられない。 間違いなく、自分のスタンドのほうが先に動いていた……なのに、何故だ!? ビリビリと痺れる左手を押さえながら、デルピエロは目を見開き、ヨシュアを睨みつける。
 そんなデルピエロに向かって、ヨシュアはにっこりと微笑んでみせた。
「それが、本気のスピード?……言い忘れてたけれど、さっきの一発はほんの小手調べだったんですよ。 そこのところを勘違いしてるみたいなんで、一応教えておいてあげますね」
 穏やかな口調が、怒りに震える心に更に油を注ぐ。 それが、デルピエロの冷静さを失わせるヨシュアの計算であることを、マリアは理解した。
(挑発する事で冷静さを失わせて、判断力も奪う……最初にワザとやられてみせたのも、全て計算の内だった、って事なのね)
 なるほど、と頷きながらも、だからって、私がピンチになるまでやられたフリしてなくてもいいのに……と、改めて憤慨するマリア。 だが、デルピエロの能力が判明していなかった以上、本当にやられていてもおかしくなかったはず。 やはり、そこにはヨシュアのスタンドの、未だ隠された能力が関わっているようだ。 だが、その事に考えを巡らせている場合じゃない。 それに関しては、あとでじっくりと本人を問い詰めればいい。 今はこの闘いから、目を放すわけにはいかない……彼の――ヨシュアの勝利を見届ける為に。 マリアは、祈るように握りしめている手に、更に力を込めた。

「く……ッ、このクソガキがぁーーーッ!!」
 込み上げる怒りを抑え切れずに、デルピエロは爆雷のような叫びを上げた。 【アヴェンジド・セヴンフォールド】も、その怒りに呼応して右腕を振り上げたかと思うと、今度は痺れていない左腕を本体に向けて振り下ろした!
「……やれやれだね」
 静かに、溜め息と共に言葉を吐き出す。 それに併せて、【セイヴ・ザ・クィーン】も拳を繰り出す!


 ボ グ ウ ッ !!


 【アヴェンジド・セヴンフォールド】が『手形』を付けるよりも早く、再び【セイヴ・ザ・クィーン】の拳が、本体であるデルピエロの左腕を襲った!
「ぐおォォォッ! ……貴様ァァァ……、よォくゥもォォ〜〜〜ッ!!」
 肘から先が、あらぬ方向を向いてしまっている左腕を押さえながら、デルピエロが悶絶する。 怒りに歪んでいた顔が、今度は苦痛に歪む。 だが、それでも彼の戦意が失われることはない。
「チィクショォォォォォ……俺の腕がァ〜、折れちまってるじゃあねぇかぁぁぁーーーッ! ブチ壊せッ!【アヴェンジド・セヴン……」
 怒りに打ち震えるデルピエロは、ようやく痺れがとれた右腕をヨシュアに向けた。 もはや能力を使うのを諦めたのか、それとも完全に頭に血が昇ってしまった為に、そこまで思考が回らなくなったのか。 デルピエロは【アヴェンジド・セヴンフォールド】にヨシュアを殴らせるべく、拳を繰り出させた。
 だが、その拳がヨシュアに届くよりも早く、【セイヴ・ザ・クィーン】の見た目よりも断然硬い拳が、デルピエロの顔面にメキィッとめり込んだ。
「ウ……ゲッ……!」
 まともに顔面を強打され、よろり、とよろめくデルピエロ。 意識が飛びそうになるのをなんとか堪えながら、なおも眼前に居るはずの黒髪の少年に攻撃を加えるために、腕を前方に突き出そうとする。
 しかし、ヨシュアはそれを許さない。 決着をつけるべく、トドメと言わんばかりの怒涛のラッシュを叩き込む!
「ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴウッ!!」


ドゴドゴドゴドゴドゴドゴドゴドゴドゴドゴドゴドゴドゴドゴォッ!


「グッ、ガバッ……!!」
 顔面だけでなく、全身に拳が叩き込まれる。 一度スピードに乗ってしまった突きの連打を、もはや誰にも止めることは出来ない。 いつの間にか、傍らに立っていたはずの【アヴェンジド・セヴンフォールド】も姿を消していた。 さすがのデルピエロでも、全身の骨がバキバキに砕かれてしまえば、意識を失うのも当然だろう。 だが、既に意識がないのが判っているにもかかわらず、ヨシュアは攻撃の手を休めることなく、デルピエロへとラッシュを叩き込み続けた!
「ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ…………ゴウッ!!」
 最後の一発を繰り出すと共に、ヨシュアはブッ飛んでいくデルピエロをビシィッ!と指で指し示したかと思うと、キメの台詞を口にした。
「God be with ye.!!」
 

 ドオォ ̄ ̄ ̄Z___ンッ!!


 意識を失ったまま、デルピエロはまたもや道路脇に設置されているダストボックスへと、綺麗な放物線を描いて頭から突っ込んでいった。
 それを見届けたヨシュアは、フッ……と溜め息にも似た笑みを零しながら前髪を掻き上げた。
「エクセレント……決まったね」
「ヨシュア!」
 うんうん、と満足そうに頷いているヨシュアに向かって、泣き出しそうになるのを懸命に堪えながら、マリアは駆け出した。 背後から近づいてくる足音に気付いたヨシュアが振り返るよりも、何か言葉を発するよりも早く、意外と広い彼の背中に飛びついたかと思うと、その華奢な両腕を腰にまわして思いっきり抱きしめた。
「もうっ! こんなにあっさり倒せるなら、さっさとやって欲しかったんですけど!」
 文句を垂れつつも、抱きついた体勢のままヨシュアの背に顔を埋める。 その確かな温もりを感じたマリアは、なんだか急に安堵したせいで、感情の堰が決壊してしまったのか、込み上げてくる熱いものを止める事が出来ずに、綺麗なブルーの目に涙を溜めていた。
「フフ、ゴメンよマリア。 でも、宣言どおり、ちゃんとやっつけたでしょ? ……だから、そんな泣きそうな顔はしないでおくれ、マリア」
 クスッと微笑んだヨシュアは、世界にたった一輪だけ咲き誇る美しい薔薇を愛でるように、背中ですんすんと鼻を鳴らしている少女の頭を撫でてやる。 背中に密着している人間の頭を撫でるのは思ったよりも難しかったらしく、ちょっとだけやりづらそうに見えたが、キラキラと輝く柔らかなプラチナブロンドを優しく撫でてやるその様子は、何処からどう見ても愛し合う恋人同士のように見える。

「う……な、泣きそうになんてなってないわよ! そ、そう! 目にゴミが入っただけなんだから……ウソじゃないわよ!?」
 ズバリ図星をつかれたマリアは、ヨシュアの背中から勢いよく顔を離したかと思うと、彼の胴に回していた両腕を戻し、目に溜めていた涙を素早く手で拭い取った。
「ふぅん、そうなの? じゃあ、そのゴミを取ってあげないと、ね……♪」
 そう言って、くるりと全身を振り返らせたかと思うと、ヨシュアはマリアの顎に手を添えてクイッと僅かに上を向かせ、まだ若干潤んでいる瞳を覗き込むべく顔を近づけた。 いきなり急接近してきた、静まり返った湖面のように澄んだ黒い瞳に驚くと共に、フワリ……と翻ったジャケットから微かに漂ってくるコロンの香りに鼻腔をくすぐられ、思わず頬を紅く染めてしまう。 なんて心地の良い香りなのかしら……などと呆けたような事を考えている間に、さっきまで顎を掴んでいた、細くて、しなやかで、そのくせ力強い指は、うっすらと紅色になっている頬をなぞったかと思いきや、滑るようにそのまま唇へと移動していた。 唇を玩んでいる指よりも、形の良い少し薄めの唇が少しずつ迫ってきている事にようやく気付いたマリアは、驚きのあまり、しゃっくりのような悲鳴を上げた。
「ひゃっ!? ちょ、ちょっ……とぉッ! 何するのよっ!!」
 バチンッ!と乾いた音が、静寂に包まれていた夜の帳を引き裂くように、周囲に響き渡った。 同時にヨシュアが呻きながら、顔を抑えてその場にしゃがみ込んだ。
「痛たたた……まだ何もしてないのに……」
「“まだ”って何よ、“まだ”って!」
 押さえている指の隙間から、紅葉の形に赤くなった頬が見え隠れしているのを確認したマリアは、痛そうに頬を擦っているヨシュアを見下ろすと、ふんっ!と鼻を鳴らしてから口をとんがらかせた。
「その言い方だと、なんかするつもりだったみたいに聞こえるんですけど?」
「言葉のあやってヤツだよ。 ……それよりマリア。 そろそろ、ここを移動しよう。 また追っ手が来たら面倒だし、それに……」
 まだ痛そうに頬を擦りながら、立ち上がって周囲を見回すヨシュア。 流石に悲鳴が何度も聞こえたり、破壊された消火栓から勢いよく飛び出し続けている噴水が放置されていたりすれば、近所の住民達が騒ぎ出しすのは当然と言えば当然だ。 確かにこのままでは、じきに警察やら野次馬やらがぞろぞろとやって来て、面倒な事になるのは目に見えている。 ヨシュアが言わんとしている事を即座に理解したマリアは、こっくりと頷いてみせる。
「……そうね。 さっさと貴方の仲間が待ってるっていう合流地点に向かいましょ」
「うん。 それじゃ、こっちだよ……そうだ、また抱っこしてあげようか?」
 悪戯っぽく笑うヨシュアの言葉に、先刻の事を思い出したマリアは再び顔を真っ赤にしながらも首を左右に振り、力いっぱい否定した。
「い、いらないわよッ! 自分で走れるもの!」
「そんなに照れなくてもいいのに、ねぇ?」
「だから照れてないし! って今、誰に訊いたの?……じゃなくって! そんな冗談言ってる場合じゃないでしょ! ほら、早く行くわよっ!」
 あまりに照れくさくていたたまれなくなったマリアが、慌てて走り出そうとした、その時。
「おいおい……いつまでイチャイチャしてんだよ?」
 突然、デルピエロが飛び込んだダストボックスの側にある路地裏から、男の声が2人に投げかけられた。

「誰ッ!?」
 声のほうへと向き直り、咄嗟に身構えるマリア。 もう新手が来たの!?……と心の中で舌打ちしつつ、動揺を表に出さないように唇を引き結び、声のした路地裏をキッと睨みつけた。
 一方、マリアの隣と並び立つヨシュアも一瞬だけ緊張の表情を見せたものの、すぐにそれを綻ばせてそちらの方へ向かって歩き出した。
「ちょっと、ヨシュア!?」
 まったく無防備な状態で近づいていくヨシュアを見て、驚きの声を上げるマリア。 引き止めようと手を伸ばしたところで、ヨシュアが振り返る。 そして、声がした方をおもむろに親指で指し示すと、マリアに向かってにっこりと微笑んでみせた。
「大丈夫、さっき言ってた仲間だよ。……『ショット』、わざわざ迎えに来てくれたのかい? 嬉しいね」
「アホか。 『パティ』が見てこいってうるさくってな……あんまり遅いもんだから、心配してたぜ? 」
 そう言いながら、路地裏の陰から姿を現したのは、栗色のクセっ毛が特徴的な、スラッとした長身のこれまた軽そうな印象を受ける青年だった。 身に着けているジャケットはお世辞にもセンスがいいものとは言えず、どうやらデザインよりも機能を重視しているらしい事が窺える。
「そう……あとで謝っておかないとね。 さてと、それじゃ行こうか。 車両は何処に?」
「ん、この路地を抜けた先にある。 パティがちゃんと見張ってるからな、追っ手が来ても大丈夫だぜ」
 親指を立ててウィンクしてみせるショットを見て、全然違うタイプであるにもかかわらず、ついデルピエロを思い浮かべてしまうマリアであった。 そのちょっと引き気味の視線を感じたショットは、ん?と首を傾げた。 そしてその視線の意味を自分なりに解釈し、なるほど……と頷いてマリアに近づくと、おもむろに右手を差し出した。
「そういや、自己紹介がまだだったな。 俺はショット。 『ショット・スキル』だ。 一応、フリーで運び屋をやってる。 よろしく、お嬢様」
「あ、えと……よろしく、ショット。 私はマリア・ハートネット……自己紹介する必要、あるかしら?」
 視線の意味を勘違いした青年に、いきなり自己紹介された上に握手まで求められ、ほんの少し戸惑いを見せたものの、マリアはにっこりと微笑んで握手に応えようとして……ショットがレザーの手袋を填めたままな事に気付き、ちょっとだけ顔をしかめた。 今度はその意味にちゃんと気付いたショットは、慌てて手袋を外してから改めて握手を求める。
「おっと、こりゃ失礼。 改めて、よろしくな。 ……あぁ、そうそう。 きみの事はヨシュアから、それと渡された資料に目は通してあるから、大体は知ってる」
「資料……?」
 手袋を脱いだショットと握手したマリアは、彼の“資料”という言葉に首を傾げた。 資料……一体、何の資料なのかしら? そうやって考えていると、それを察したらしいヨシュアがコホン、と咳払いを一つしてショットに声をかけた。
「ショット、そろそろ行こう。 パティをこのまま待たせているのは可哀想だしね。……それと、マリア」
「ふぇ?」
 突然名前を呼ばれて、ちょっと間の抜けたような返事をしてしまったマリアの目を、ヨシュアは真剣な眼差しで見つめる。
「あとで、ゆっくり説明する事があるから……色々と」
「う、うん……そうね。 訊きたい事もあるし……スタンドの事とか、この『鍵』の事とか……それと、資料の事も」
 こくん、と頷いて、マリアはヨシュアの瞳をまっすぐ見つめ返した。 それに対し、ヨシュアは微笑みで応える。

「あー……『そろそろ行こう』って言っておきながら、なーに見詰め合ってんだよ2人して。 ほら、行くぞ……話なら、“道中”でいくらでも出来るだろ」
 傍目から見ていると、やはりカップルにしか見えない2人の様子に痺れを切らしたショットは、ヨシュアの後頭部をペシッと叩いたかと思うと、すたすたと1人で路地裏へと姿を消した。
「痛たた……なんだか、今日は叩かれたりしてばっかりだなぁ。 さ、行くよ、マリア」
「あ、ちょっと待って。 ……今更だけどあの変態、大丈夫かしら……あのまま死なれると、いくらあんなヤツとはいえ、流石に心が痛むわ」
 ちょっとだけ振り返り、ダストボックスに頭から突き刺さっているデルピエロへと視線を移すマリア。 あの火傷の状態、そしてヨシュアにボコボコにされたダメージのままでは、今からアンビュランスがやって来たとしても手遅れになる可能性が高いだろう。
 あれだけ酷い事をされながらも、デルピエロを心配した様子を見せるマリアの肩に手を置いて、大丈夫、とヨシュアは言った。
「最後の一発を入れた時に、【セイヴ・ザ・クィーン】の能力で『火傷していた皮膚を、新しい皮膚に作り替えておいた』からね」
「皮膚を……作り替えた……?」
 コミックなどならば、今のマリアの頭の上には疑問符が浮かんでいる事だろう。 ヨシュアの言葉を反芻するように呟きつつ、右肘を支えるように左手を添え、右人差し指を立てた状態の手を頬に当てるというシンキング・ポーズをとる。
「うん。 元々は『触れたり殴ったりした物に別の性質を与える』って能力なんだけどね……それを応用して、『触れた物質を違う物質に作り替える』事も出来るんだ。 例えば、指が切断されてしまったとしても、近くに生えてる草を指に作り替えて、元通りにくっつける……なんてことも出来るんだ」
「へぇ……便利なのね」
「まぁね。 でも、切断された指の痛みは普通に残るけど、ね」
 苦笑しつつ、肩を竦めて見せるヨシュア。 それを聞いたマリアは頷きながら、じゃあ、あの変態も暫くは、全身を焦がされる痛みに悶え苦しむのね……いい気味だわ、と心の中で密かに含み笑いを浮かべていた。

 そんな事は露知らず、まぁそういうわけだから、と前置きしてから「デルピエロの事は心配しなくてもいいよ。 さ、ショット達が待ってる。 行こう、マリア」と言って、ヨシュアはスッと手を差し出した。
 差し出されたその手を握り返し、「そうね」と頷くマリア。 そして、ショットが待っているであろう場所に向かって歩き出したところで、再びモヤモヤと湧いてきた疑問を、思わずヨシュアにぶつけてしまう。
「そういえば、さっき“道中”って言ってたけど……何処か遠くに行くの?」
 マリアの問いに、歩きながらヨシュアが肩越しに答える。 本来ならば歩幅がかなり違うのだが、マリアの歩幅に合わせてヨシュアが歩いている為、
「あぁ、そういえば、これから何処に向かうのかまだ言ってなかったね。……これから僕達は、ダラスに向かうんだよ。 『ある人』に、キミを連れてくるように頼まれていたんだ……そして、そこには2つ目の『鍵』が保管されている」
「ダラス?……えっと、それって確か……」
 ヨシュアに手を引かれたまま、頭の中にある世界地図を広げてダラスの場所を探し始めるマリア。 そして、その位置を特定したのとほぼ同時に……いや、若干早く、ヨシュアが答えを示した。
「そう、テキサス州にある、あのダラスだよ。 そこに――キミも知ってるよね? 『スピードワゴン財団』。 その本部があるんだけど……マリア、キミを連れてくるように頼んだのは、そこの総帥なんだ」
「……えぇぇぇぇぇーーーっ!?」
 驚きの声を上げるマリア。 その声は、一足早く路地裏を抜けて、車両を停めておいた場所に到着していたショットの耳にもしっかりと届いていた。



TO BE CONTINUED ⇒
Chapter.2
「美人に生まれて、ちょっと損した気分」



 ざあざあと、うるさいくらいに耳の奥で響く雑音に混じって、誰かが自分を呼んでいる声を聞いたような気がしたデルピエロは、持ち上げるのも億劫なくらいに重たく閉ざされている瞼をこじ開けた。
「……あっ、兄貴兄貴! 目ぇ開きましたよ!」
「見れば判る……御無事で何よりです、若」
 霞んで歪む狭い視界の向こう側に、よく見知った顔が2つ並んでいる。

 片方は、思わずそのケツを蹴り飛ばしたいような気分にさせる、見ているこっちが情けなくなってくるほど眉を八の字に歪ませた、やや地黒の若い男。 日系の3世らしく、東洋人っぽい顔つきをしている。
 もう1人は、ピシッとした仕立ての良い黒のスーツを着込んだ身なりの良い、痩せぎすだが決して貧弱な印象は受けない、異様なまでに鋭い眼光をした、灰色がかったブロンドをオールバックにしている男。 こちらは生粋の白人のようだ。
 どちらも、イタリアから渡ってくる時に付いてきた、デルピエロの側近だった。
「チッ……テメェら、見てたんなら助けにきやがれってんだ……クソッ」
 どーでもいいけど、なんでコイツら上下逆さまになってんだ?って俺が逆さまになってンのか、畜生。 とデルピエロが悪態をついている間に、2人の男はダストボックスに頭からダイビングした状態のままになっている、デルピエロの腕を掴んで引き摺り上げる努力をしていた。
「いや、俺は助けに入ろうとしたんですけど、兄貴が……」
 口を開きかけた若い男をその鋭い視線で制して、オールバックの男がその薄い唇から言葉を紡ぎ出す。
「若が仰ったんじゃあないですか。『テメェらは黙って見てな。 俺様だけでジューブンだからよ』って」
「確かに言ったけどよ……だからってお前ェ、サスガにあんだけボコられてたら助けようって思わねーか? あぁ!?」
 未だ逆さまのままなせいか、睨みを利かせたにもかかわらず、今ひとつ迫力が足りない。 それどころか、オールバックの男はププッと笑いを零している始末だ。
「この野郎……あとで覚えとけよ、『ジーク』」
 チッと舌打ちしてから、ともかくさっさと出してくれ、と憮然とした口調で言い放つ。
「生憎ですが私、過去を引き摺らないようにしております故。 恐らくすぐに忘れてしまうかと」
 軽く首を振りつつ、ふぅ……と溜め息をつく『ジーク』と呼ばれたオールバックの男に向かって、デルピエロがすかさず反応する。
「おぉいッ! さっきは俺が言ったこと覚えてたじゃねぇーかッ!? っつーかそんなの初めて聞いたぞ! あと早く引っ張り出しやがれ!」
「はいはい。 解りましたから少しは黙っててください、若。 カヴァッリーノ・ファミリーの2代目ともあろうお方が、犬みたいにキャンキャン吼えて……みっともないですよ」
「ンだとォ、コラァ!! もっぺん言ってみろッ!」
 延々と続くのではないかと思われるやりとりを見て、地黒の男は2人ともいい加減にしてくださいよ、と溜め息混じりに声を洩らす。
「兄貴……ほら、いい加減ズラからないと、そろそろ野次馬が集まってきてますよ! もうじき、サツもくるに違いありませんって!」
 確かに、一体何事が起きたのかと付近の住民がぞろぞろと集まってきているのが、周囲のざわつきが大きくなっていることで判る。
「あぁ、どうやらそのようだな。 まったく、手のかかる2代目ですね……おい『ボノ』。 ところで今、何時になった?」
 ちらりと視線を若い男――『ボノ・イシマツ』へと向けるジーク。 そして兄貴分の言葉を耳にして、左手で右の袖口を僅かにずらすと、その手首に巻かれている安物の腕時計へと視線を落とした。
「えっと……20時10分ッス」
 そう答えたボノは、時計から自身の両手へと視線を移してから、あ、と呟いた。
 同時に、ゴスン!と硬いものに何かがぶつかる音、次いで痛ェッ!という呻き声がダストボックスの中から聞こえてきた。
「おやおや。 若、申し訳ありません……ボノのヤツがついうっかり両手を離してしまったせいで、若の体重を1人では支えられなかった私は思わず手を離してしまいましたよはっはっは」
 明らかに申し訳ないとは思って無さそうな、平板な口調で言うジーク。 それとは対象的に大丈夫ッスか、若?と心配そうな声を上げるボノ。
「もういい……もういいからよぉ。 そろそろ、ちゃんと引っ張り上げていただけませんか……ねぇぇぇ〜!?」
 再び穴の底へと逆戻りしたデルピエロは、込み上げてくる怒りと全身を苛む苦痛を懸命に堪えつつ、ドスを利かせた叫び声を上げた。


【マルチェッリーノ・デル・ピエロ/アヴェンジド・セヴン・フォールド――全治2週間】

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