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【オリバト+】コミュの【20】

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文:チャゲブー

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コメント(8)

2006年9月20日 現在


一瞬の…風とも、波ともつかぬ衝撃が僕の身体を通り過ぎて行く。
身体は、僕自身の気持ちを無視して倒れこんだ。
目の前の光は小さく収束していって、身体からは力と熱が抜けていくのが解る。

???「おい!アンちゃん!おいッッ!…い!……!!………!」

大丈夫、大して痛くない。
僕は『彼』にそう言うが、僕自身にはそう言っている自分の声が聞こえない。
彼は僕の身体を揺さぶっているらしく、ゆっくりと揺られているその感覚が、
まどろみへ落ちそうな僕の意識を辛うじて繋ぎとめていた。

僕「お願い…です。……これを、『矢』を、…お願いです…。」
もう僕には、何を、誰に託そうとしているのかも解らなかった。
ただ『それ』は、必ず守らなければならなかった。それだけを僕は知っていた。

???「……!!…!――――――!」

ちゃんと頼めただろうか?(何を?)……僕は今どうなっているのだろうか?
もう誰の声も聞こえない。見えず、感じない。

ホンの少しだけ寂しくなって、僕は目を閉じた。
温かい水が、伝って落ちた。




XXXX年X月XX日 未明




眩しい…。
眠って…。
…もう……。


女「気が付いた…?」

……?


僕「……ここは?」
気が付くと、僕は部屋に居た。真っ白く塗られた個室だ。
身体は、清潔そうなシーツの敷かれているベッドに横たわっている。
ベッドから少しの間を置いて、女性が椅子に腰掛けていた。


僕「!!……此処は、何処!?」
女性の顔を見るや、僕は咄嗟にベッドから身を起こす。
ベッドがギシリと軋む。


女「コーヒーをお飲みになるかしら?…ブラック?其れともミルクを?」
女性は僕の挙動に動じる事無く言う。

僕「いや…あ、水を……。」

女「水…ね…。どうぞ。」

女はそう言うと、僕の左手に目を遣る。

僕「……。」
僕の左手には、水が適度に注がれたコップが握られていた。

女「何か欲しい物があれば言って頂戴。用意しよう。」


はて?最初から僕はコップを持っていたのか?
…いや、それよりも…。

僕「どうも……。あの、此処は?貴方は?」

そう問うた僕の顔は酷く呆けたものであったと思う。
未だ僕の意識は曇り、あいまいな輪郭に、点となって泳いでいた。

女「私は君専属の医者の様なものよ。今まで君の意識の回復に努めていた。
場所は……いや、場所というのとは少しアレかな。病院の個室と思って貰えれば良い。」

そのすっきりと通る声に、頭は少しずつ順応していく様で、
彼女が喋り終わる頃には幾分意識も固定されてきた。

……意識的に、左手に握られたコップを口元へ運ぶ。
口内へ流し込んだ水が五臓六腑に染み渡る。身体がびくりと歓喜した。

僕「それで、ぼくは何故この病院へ?そもそも僕は……。」

女「そもそも、僕は?」


僕「そもそも僕は……誰ですか?」


女は微笑みながら、僕の瞳を見つめる。

僕は大事な何かを、忘れてしまっているらしかった。
女「思い出せないのね?」

何故かその言葉は、心の奥を抉った。

僕「……はい。」

何故こんなにも身体が震え、胸が虚しく苦しいのか。
思い出さない事で、何かから逃げ出せてしまえる気がしたのだ。
理由が解らないのに、
僕は、自分が酷く情けない男なのだと悟った。

女「そう。」

予想していたのだろうか、眉一つ動かさず、表情も変えない。
ただ少しだけ、寂しそうに瞼を伏せた。

女「…貴方の記憶を取り戻す事も、私の務めの内よ。例え貴方が望まなくても。」

彼女はそう言うと、ベッドに腰掛けている僕の横に座る。
僕の眼を覗き込み、その手で僕の頬に触れた。
彼女の瞳とは違い、その手はとても冷たかった。
…僕と彼女の空間が、重なっている。


僕「何…?」

女「これから、君の記憶を私に見せてもらう。拒否はできない。」

でも…と、彼女は続ける。

女「後悔は絶対にさせないわ。」

彼女の眼は、何かを確信している様だった。少しだけ瞳が揺れている。
僕は彼女の瞳を遮れなかった。

何も言い返せなかった。僕は無言のままで……。
何故か涙が零れて…一度だけ、頷いた。


僕の無言の答えを受け、彼女は解き放つ。

「―Room of angel―」

彼女の言葉に呼応するように、白塗りの部屋がその形を変える。
部屋はビキビキと音を立てながら歪曲し、白塗りだった壁は怖気の走る錆色へと変わる。

途端――

「ううう、頭、頭が!!痛い!!!あああッッ!!」
強い頭痛が僕を襲う、耳鳴りがして、景色が小さく、また大きくなる!!

……
………。

……気付くと、白塗りの部屋は錆と鉄骨が剥き出しになった廃墟になっていた。
先ほどは無かった筈のテレビが備え付けられている。
古い型の小さなテレビだ。
そしてテレビには、一人の男が映りこんでいた。


【Room of angel/廃墟の一室を作る。その中では『彼女』だけが自由であるが、現実には影響しない。】


――――2006年9月20日

まだまだ外は暑い。
だというのに、
人々はこぞって外に繰り出し、夏という季節特有の開放感を味わっている様に見える。

その中にあって、僕は唯一人、
大きめのボストンバックを抱え、しきりに時計に眼を遣っていた。

崎川「このままじゃ捕まるな。」

僕は雑踏の中、一人ごちる。
逃げ出してから二日が過ぎた。ゆっくり寝ていない。食事も同様だ。ろくに食べていない。
「逃げる」という行為はどうしてこうもつかれるのだろう?
仕事で寝られなかった事は多々あるが、此処まで疲れはしなかった。
その仕事も、今は退職金がでるかどうかも怪しい。

「出ないよな。あんな事の後じゃあな。」

頭は妙に冷めていた。
いや、無駄に熱くなってエネルギーを消費しないよう、
脳が働きかけているのかもしれなかった。
―精神医療総合研究所。
僕、『崎田 徹』はある研究所に勤めている。
いや、今となっては、勤めて『いた』と言う方が正しいだろうか。

『精神医療』、それが僕の『居た』研究所が掲げていたテーマだった。
精神医療と一口に言っても、その派生系は多岐に及ぶ。
星の数だけ様々な研究が行われていて、僕の居た研究チームもその中の一つだった。
ただ他の研究とひとつだけ違ったのは、
人類にとって全く『未知の物質』を、その臨床に応用していたという一点だろう。
そして近年、チームの研究は、ある一つの成果を出した。
それが……『スタンド』だった。

―――

「スタンド?」
僕は頭を捻る。
僕と彼女は部屋(もうそう呼べる物ではないかもしれない)に備え付けられたテレビを見ている。
画面には男が一人映っているだけだ。……男が言う『スタンド』について、彼女は続ける。

女「スタンド、生きる物に宿る精神、魂が顕在化したものよ。」

僕「さっき君が叫んだ言葉……。」

女「スタンドの名前よ。今私達の居る『個室』そのものが私のスタンド、Room of angelだ。
無論、このテレビもね。」

僕「テレビに映っているあの男は…?」

女「急がないで。……続きを見ましょう。」

―――

崎田「まだ来ないか…。あんまり遅いと…!」


僕は苛立っていた。
やっと見つけた公衆電話からタクシー会社へ連絡をしたが、なかなかタクシーは現れない。
タクシーに乗り、空港まで飛ばして行こうという考えだったが。
しかしこうしている間にも奴等は迫っているかも知れない。
腕時計を見る度、迫る脅威に対しての遅れが気になって落ち着かない。

昨年は余り鳴かなかった蝉が、
今年はその分を取り返すように繁殖し、命限りの叫び声をあげているのも、
僕には一層腹立たしかった。


「何分たった?」
また腕時計を見ようと俯いた時、黒い車がゆっくりと視界の端に入る。

車はゆっくりと僕の目の前で止まった。
間を置かず、後部座席のドアが開いてゆく。


鈴木「お客さん、すみません。遅れまして。」

崎田「…ふんっ」

僕が乗り込むと、運転手は頭を下げ、会釈と謝罪をする。
時間にしたら1〜2分の遅れである。普段なら大した遅れではないが、

崎田「遅いぜ、おっさん!何していた!?」

今の僕にとっては致命傷になり兼ねない遅れだ。

鈴木「すみません。道の途中で事故があったみたいで、足止めを食らってしまいまして。」

崎田「事故?…どこら辺だい?」

鈴木「結構近くですよ。何台か玉突きで。なんでしょうねぇ。」

崎田「近くで…事故。」

鈴木「で、仙台空港で宜しかったですか?」

崎田「ああ、そうだ。出来るだけ飛ばしてくれ!」

鈴木「わかりました。先の二の舞いにならない様、安全運転で飛ばしましょう。」

崎田「あ?…ああ、頼む。(このおっさん、大丈夫か?)」
僕は心の中で呟いた。



タクシーは走る。
僕が立往生していた雑多な繁華街を越え、
繁華街と共生する、天高く聳えるビル街を抜け、
ビル街に気圧され、追いやられてゆく畦道を通り、
そう云った諸々の事情は全て観て見ぬ振りの高速道へと入った。


「あぁー、そうなんですかー。学者さんだったんですかー。」

「ええ、まぁ…。」

「そりゃあ苦労なさったんでしょうなぁー!」

「……。」


………。


タクシーに揺られて20分程が経った。
最初は毅然と謙虚に徹していたタクシー運転手が、
数分の沈黙に耐え兼ねると、僕の細かい事等をいちいち聞きたがった。

運転手は、
長い旅路―仙台空港へ向かう道すがら―のつまみとして僕の素性を聞きたがる訳だが、
この運転手の与り知らぬ、僕自身の『私の事情』が有る事も手伝ってか、
聞かれる事のそれぞれに対して、僕の反応は終始歯切れの悪いものだった。

であるから、僕と運転手の間に会話が弾む筈も無く、
車内の空気は酷く退屈なモノとなっていった。


「苦労と云えば、アタシもよく言うんですよ。
あ、アタシ息子が一人居るんですがね。
これがてんで頼りにならん息子でして、全く、お客さんを見習い…」

「Zzzz…」

「ぁ…なんだ、寝ちゃったのか…」

「Z…z…」

「何だか怪しい客だなぁ。」


とはいえ、ここ二日間と違い、
走る密室の中で、それもごく普通に暮らす一般人と二人きりという状況は、
今にも身を切りそうな緊張の糸で雁字搦めとなっていた僕にとっては、
よほど手に得がたい幸福であった。

『退屈』という名の静寂は、
僕の意識下の隅に追い遣られていた睡眠欲を、いとも簡単に誘い出したのだった。


そして、

何時の間に眠っていた僕が、
再び目を開けた時、

身を横たえていたのは、
研究員の為に作られた休憩室のベッドだった。

そこは紛れも無く、
二日前、ある事件に因って炎に飲み込まれて消えた、
僕の『元』職場の、その一室であった。
「うおっあああああ?!!」

ドサッ
    ドサンッ

眼を開けるや、僕は休憩室に備え付けられた2段ベッドから転がり落ちる。
ゴスンと、鈍い音が後頭部に響いた。

「う、痛ッ…」

ジンジンと酷く痛む後頭部を摩りつつ、僕は直ぐさま立ち上がり、部屋を見渡し、

…?

……?!

………!!?

「…な…ぁ?」


驚愕する。


なぜなら、
強く打ち付けた後頭部の、その酷く現実的な痛みとは裏腹に、
今この場に置かれている僕の状況は極めて、非現実的な物であったからだ。


僕は、いつの間にか研究所に居た。
厳密には、
研究所内に設けられた、
仕事の合間に家に帰れぬ(或いはその家を持たぬ)者達の為に用意された、
休憩室に居た。


然しながら、
二日前に僕はこの研究所から逃げ出して来たのであり、
そしてその過程に於いて、つい今し方タクシーに乗り込んだ筈であった。
…それにも関わらず僕は研究所のベッドで眼を覚まし、そして今の状況に困惑している。


(研究所に…戻ったのか…!?)


それは絶対に有り得ない事である。
今僕が立っているこの忌まわしい研究所は、今は跡形も無く消え去ったのだから。



まるで現実とかけ離れた状況ゆえに、
僕には、一瞬の内には物事の判別が着かなかった。

暫し右往左往する僕であったが、


「ドアから…煙が…それにサイレンまで。」


サイレンが鳴り、
ドアから煙が入り始めるのを見て、
やっと感覚として、自身の置かれている状況を理解し始める。

落ち着いてみれば、成程。
この光景には確かに覚えがあった。

それもその筈である。

二日前に消えた研究所。
そこから逃げ出す僕のその日の行動を、僕はそのまま追体験していたのだ。

加えて、
僕自身の身体の自由は最早利かず、
考えとは全くちぐはぐに
―然し、今以て僕が生きている事実を鑑みれば、この緊急時に於ける行動措置としては適当であったのだろう―
行動をしてしまっている事実を以って、
この状況が、
僕自身が体験した現実を模倣した、
『夢』の世界での『出来事』であるという事は明白であった。


「ま、まずいぞ…!煙が部屋に充満するッ!!」


やはり2日前と全く同じように、
ドアの隙間からは煙が這い出で、警報機が鳴り、辺りは不自然な震動に包まれ始めた。
―――


この建物は地下20F、上50階を数える高層ビルである。
それ故に耐震設備は万全であるし、
ちょっとやそっとの地震では倒壊する事など有り得ない。
―もっとも、
地下施設を構えた建物であるという時点で、
そういった保障の全てを信じるのは馬鹿げているけども―。

それをさて置き、
この時僕―これを夢と認識している僕である―の脳裏に浮かんだのは、
この状況の原因が、
地震災害の様な超自然的な所業ではなく、
至って人為的な―それも偶然の重なりによって生じる人災とは別の―、
故意の手によって起こされた『破壊』によるものではないのかという事だった。

僕がこの考えに行き着いたのには理由がある。
そしてその『理由』の為に、
この建物のある種の物々しさは全く以って健全であったし、
同じく『理由』の為には必要不可欠なものでもあるのだ。

この『理由』については、後ほど詳しく触れる事になる。


―――


当時の僕は相当に焦っていたようで、
この緊急時に必要としないような、乾パンやら水やらを、
やはり備え付けの備品から一通り持ち出し、私物のリュックにしきりに詰めていた。

そして、そうしている間にも、
揺れは、次第に激しくなってゆく。
休憩室に置かれた雑多な私物(僕以外の他の研究員の物)の、
その悉くは地面へ落ちて震え出し、
ロッカーやデスクトップパソコンは、悲鳴にも似た音を立ててそこ彼処で倒れだす。

天井に吊り上げられた蛍光灯は酷く揺れて、
今にも僕の頭上目掛けて襲い掛からんとしている様子である。
2段ベッドに備え付けられたその四本の脚ですら、
定位置に身を落ち着けずにガタガタと踊っていた。


そのなかで、
僕の身体は、全くそのまま2日前の行動をなぞってゆく。
慌てながらも口元に布を充て、
煙を吸い込まぬよう、膝を曲げて姿勢を低くし、
片手でペンライト(職務上持ち合わせていた物)のスイッチを入れて、
ドアの前まで移動した。



だが、
2日前の僕がとるそれらの行動に対し、
今となっては心の中で抵抗している僕が居るのも、また事実である。
なぜなら僕はこの『現実の模倣である夢』の終着点を知っていて、
尚且つ、
それはこの後の僕を酷く苛むものであったからだ。


心の中に居る僕は、つい先ほどの様に、
酷い勢いで後頭部をぶつけられる瞬間を逐次狙っていなければ気が済まなかった。
頭を打てば、この悪夢から逃れられる。
眼を覚ます事が出来ると、そう思えたから。

それほどまでに、
2日前の出来事に対し、そして今見ているこの悪夢に対して、
僕は今以て無力であった。
僕が逡巡にかまけている隙に、
身体(当時の僕)は早速ドアノブに手を掛け、
それが未だ熱をもっていない事を確認すると、ノブを回しドアを開ける。

「ウッ!」

途端、
全身の毛を焼かんばかりの熱風が僕を吹きつけた。
煙は天井を撫でて通るが、熱によって回る空気の渦は、その限りではない。
空気の渦は、その回転に炎を巻き込みながら吹き荒れていた。

「ハッ…ハァッ…クソッッ!」
しゃがんで居なければ危うく身を焼かれていたかも知れない…。
そう考えると、
急に胸が苦しくなり、眼からは涙が零れ出した。


しきりに涙と嗚咽を零しながら部屋を出て、
流れ込んでくる煙を手で掻き分けながら左右の廊下を見回すと、
既に幾人かの同僚たちが、怪我や火傷を負ったまま逃げ惑っていた。
同僚であった者達の、その構成物の破片が散らばっていたりもした。

建物の中には、



―肉の焼ける臭い。
―血の臭い。
―備品の焦げる臭い。
―あらゆる者の内容物の臭い。

悲鳴。



それらがどれも一緒くたに、綯い交ぜになりながら歌い、踊っている。

僕という若輩の人生に於いて、
知り得る筈の無かった『恐怖』が、本当の所はどれ程近い距離にあったのか。
それを僕は、この時身を以って知ったのだ。

「う、こ…こんな事なら…っ!」

身体の震えが止まらなかった。
怖く、恐ろしくて。


ドォッオーーーーーッン


「うわああああああッッ!!」

僕が身を縮めて怯えていると、
突然に爆発音が響いた。

僕は思わず悲鳴をあげる。

続き、爆発から数瞬の間を置いて、
ドォンッと、瓦礫が倒れ、崩れる音が鳴る。


「うっぐああああッッ!!痛いィッ!!」


爆発音、そして瓦礫の音に続いて、
威勢のある悲鳴が、煙によって視界を遮られた廊下の奥から響いた。
それら一連の音、そして悲鳴は、その響きからしてそう遠くないようだった。

「今の声……まだ生きてるかも知れない…!」

その悲鳴に、僕は妙な胸騒ぎを覚えた。
まるで、僕を呼んでいるような。
僕に向かって叫んでいるような…。




「ハァ…ハァ…」

そしてふと気付くと、僕は音の方角へ走っていた。


僕の中の胸騒ぎを別として、そうせずには居られなかったのだ。
兎に角胸騒ぎの理由は解らなかったが、僕はこれを逡巡しなかった。


真っ直ぐに続く廊下を渡る最中にも、
このビルに渦巻く惨状は見て取れた。
然し、僕にはその悉くに眼を凝らす事は出来なかった。
一度凝視してしまえば、
その途端に僕は膝を折って、天を仰ぎ兼ねなかったからだ。

だがその惨状の中には、
余りに特異でおぞましいものであったが為に、
図らずもついに眼に入ってしまう『怪異』が幾つかあった。

それは例えば、
天井に貼りついて潰れている死体であったり―
―一体どの様な災害にあえば、
死体が天井に向かって押し付けられた様に貼りついたりするものだろうか?―
或いは、
その半身がくっきり綺麗に、
まるで巨大な鋏で裂かれ、切り取られたかの様に喪失している死体であったりした。
(その他にも特殊なモノはあったかも知れないが、僕が知り得たのはこれらのみである。)

…今僕が通っているこの廊下が、
凡そ人智の及ばぬ、巨大で、そして残忍極まりない恐怖の影が通った跡である事は、
どうやら間違いない様だった。

そして同時に、
この得体の知れぬ影と先の悲鳴が、何の関わり合いも持たぬものだとは、
どうしても思えなかったのだ。


或いはいつ何時に襲ってくるかも解らぬ影の存在を、
僕は頭の隅に追いやって走り続けた。


「はっ、はっ…もう、少し…!」

廊下は思うよりも長く、
加えて渦巻く煙によって視界が遮られる為に、前を見通す事が全く出来なかった。

だが、
今はもう聴こえぬ悲鳴が、先ほどの僕が居た場所まで届いた事を考えると、
それこそ今この時にも彼が五体満足に移動していない限りは、
そろそろ悲鳴が聴かれた場所に近しい筈である。


僕は走るのを終え、
左手の壁に手を付き、一歩一歩確かめる様に歩を進めた。
悲鳴が聴こえなくなった事を推して、
もう彼が―或いは彼女が―生きていないかも知れない事に関しても、
後悔しないよう覚悟を決めた。

そして暫くすると、

グミッ

と、柔らかい物が靴のつま先に触れた気配がした。


「あ!っおい…?誰か居ないのか…!?」

足元に身体が当たったのか?
恐る恐るしゃがみ込み、足元を見ると、
研究員の一人が瓦礫に埋もれかけていた。

「!……!?」

右手に持ったペンライトの光を研究員の顔に当てる。
男性だ。痙攣し、泡を噴いているが生きている!

次にライトの光を、顔からを首筋へと這わせて行く。

そして胴体の中ほどまで行ったところで、


「あ…あ……」





絶句した。

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