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備後の歴史を歩くコミュの爾比都売神社 式内社

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爾比都売神社(にびつめ) 庄原市西城町西城に鎮座する。

式内社である。延喜式神名帳には備後国奴可(ぬか)郡一座爾比都売神社とある。しかし、この式内社は「芸藩通志」に「今その所在を失ふ」と記されているように江戸時代にはすでに所在不明となっていた。久代村高野権現山は「にひつ山」とも称され、この山に鎮座していたのではと推察している。往古の名神を西城町厳島神社内に再勧請し復活させ、また独自の社殿造営を幕府に請い再興させている。爾比都売という神は赤土、朱砂の守護神である。朱砂は辰砂とも称される硫化水銀で、古来は「丹(に)」と呼ばれていた。何に使われていたかというと不死の妙薬とされ珍重された。今に思うと毒なのであるが・・・。実際に権現山の高野町側6合目辺りは赤坂と称され、赤色の土壌が顕著に表れるという。朱砂の生産が絶えるとともにこの神も忘れ去られたのであろう。ちなみに再興されたのは、大正12年に編纂された広島県史社寺志は文化年中(1804−1818)としている。社伝では文化14年(1817)に厳島神社に勧請。文政7年(1824)に藩から創建の許可が出ているとする。現存する棟札には「安政五年戊午三月二十日奉新建郡総社壹宇」とある。安政5年は1858年で、これが現在地に再勧請され社殿造営年と考えられる。明治6年に郷社に列格、明治40年3月19日には勅使、幣帛供進使が出向かれ国や皇室から神饌幣帛料が供進された幣帛供進神社に指定されている。

参考:広島県神社誌、式内社調査報告、式内社の研究

拝殿は桁行四間、梁間三間、妻入の入母屋造で正面には一間の軒唐破風向拝を持つ。向拝の虹梁上には見事な彫刻を飾る。木鼻は象鼻を飾り、連三斗が軒を支え、身舎とは海老虹梁で繋ぐ。本殿は神明造で正規の棟持柱、鞭懸も備わる。大棟上には6本の鰹木が置かれ、千木は妻の破風板が屋根上に延長された正規のものである。今建つ本殿は昭和11年に再建されたものだ。


写真
左:石鳥居の扁額 爾比都売神社と木山神社が併記されている。
中:拝殿
右:式内社の石柱

地図
この付近

http://link.maps.goo.ne.jp/map.php?MAP=E133.7.12.437N34.55.46.049&ZM=9

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爾比都売神社

写真
左:拝殿の向拝
中:狛犬
右:拝殿
爾比都売神社

写真
左:神明造の本殿
中:本殿
右:本殿 遠景
爾比都売神社

写真
左:拝殿 背面
中:拝殿 側面
右:拝殿 正面

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