ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

素敵な「やまとことば」コミュの☆私の好きな一句・一首 応募用トピック

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
・募集期間 5月7日から5月22日まで
・俳句のみ、短歌のみでも結構です。
・今回は、勉強のためですので、俳人・歌人(明治以降)の作品とさせて頂きます。

基本フォームは次の通りです。 (以下をコピペして使ってください。ただし、3、4、5などは空欄でも結構です。)
1 俳句・短歌
2 作者
3 俳句・短歌の大意
4 自分が好きなポイントなど。紹介者のコメント。
5 その他(句集・歌集名、その他の作品で皆さんにお伝えしたいその他の作品など)

 何ぶん、初めての企画ですので、先が読めませんが、皆さんのご応募をお待ちしています。いろいろな方の作品を勉強してみたいと思います。

☆もちろん、紹介者へのコメントもお待ちしております。☆

コメント(24)

それでは、皆さんの叩き台にしてください。

<俳句>
1 音楽漂う岸侵しゆく蛇の飢

2 赤尾兜子 (1925〜1981年 大阪の俳人です)

3 4、に含めて書きます。

4 作者の心象風景を句にしたもののようです。季語は「蛇」で、夏。「蛇」とは「川のうねり」を象徴しているようです。「少年のころ、さびしさを感じるとひとり河口のあたりを散歩した。その川岸に音楽は流れていなかった。しかし、私の頭のなかは音楽にも似たリズムが堰を切ったように迅速に回転していた。」(以上、「大阪の俳人達5」から抜粋、要約)という作者の後日談があります。年代から考えて、太平洋戦争中に青春を過ごした作者が、肉体的にも精神的にも「飢え」ていたことは想像できます。「蛇」という言葉は「川」を象徴すると共に「作者自身」をも象徴しているのでしょう。「食物」を「安らぎ」を「愛」を「人生の目的」を探しあぐねて河岸を歩く少年。その少年が、夏の日差しの下、川のせせらぎを聞き、そのせせらぎが旋律と変化し、乾いた砂が水を吸い込むように、作者の心の深淵に刻み込まれたのでしょう。それと同時に、その風景が網膜に張り付いたのだろうと思います。

5  その他の句を挙げておきます
 心中にひらく雪景また鬼景
 空鬱々さくらは白く走るかな
 数々のものに離れて額の花
 轢死者の直前葡萄透きとおる
 虚室のかなた白尽くし飛ぶ冬鷗

<短歌>
1 海にきて夢違(ゆめちがへ)観音かなしけれとほきうなさかに帆柱は立ち 

2 前 登志夫

3 以前、こちらのコミュに採りあげましたが、「海坂(境)[うなさか]」とは、古代の人が舟が水平線の彼方に不意に見えなくなるのは、海に傾斜があって他界に至ると考えたからという神話に基づいた言葉で、海神の国と人の国との境界、水平線のことです。
 水平線を見たときに、かすかに見える帆柱。そこに作者は、「夢違(ゆめちがへ・ゆめちがい)観音」を見たと詠んでいます。「夢違観音」とは、悪夢を良い夢に変えてくれる観音様のことです。作者が見た悪夢とは、何だったのでしょうか。遠いうなさかを見つめていると、何もかもが浄化されてくるような気がしてきます。確かに、作者はそこに夢違観音を見たのでしょう。

4 前登志夫氏は、詩から短歌へと表現方法を変えた歌人です。吉野という深い歴史を持つ地に根付いた歌風で、私の大好きな歌人です。随筆もよく書かれていますので、歌にこめられた前氏の思いを勉強することもできます(ただし、一般の書店では手に入りにくいので、ネットか図書館で借りる方が、手っ取り早いです)。

5 かなしみは明るさゆゑにきたりけり一本の樹の翳らひにけり
  けものみちひそかに折れる山の上(へ)にそこよりゆけぬ場所を知りたり
  さくら咲くその花影の水に研ぐ夢やはらかし朝(あした)の斧は

「前登志夫歌集」 短歌研究社文庫 2,000円 がお勧めです。
横槍ですみません、あまり短歌俳句を深く考えた事が無いので書き込み出来る事がないのですが、

けものみちひそかに折れる山の上(へ)にそこよりゆけぬ場所を知りたり

これは沁みました、この句を知る事が出来て良かったです、ありがとうございました。


僕が最近心に留まった(程度で恐縮ですが)一句を挙げさせて頂きます。

     知らざりき仏と共におきふして
      あけくらしける我が身なりとは

                     藤原光俊朝臣
アンカズさん、ありがとうございます。

 私は不勉強で藤原光俊を知りませんでした。ネットで調べてみると、定家に師事して、後に出家したのですね。だとすれば、出家後の歌と考えて宜しいのでしょうか。仏道に専念できた喜びというか、安堵感のようなものを結句から感じます。
 どことなく西行の歌のようでもありますね。
 C.Cat さん、ありがとうございます。実は、このような情報を頂きたかったのです(もちろん、有名どころも歓迎ですよ)。

・おなじ死ぬとしてもこの傷に死んではならぬといふ傷がある

 この歌はしみじみいいなぁと思いました。気になって、私もネットで調べてみました。すると、有名な方のようですね。

・やいちくんと巡るぢごくのたのしさはこの世のたのしさに似てゐます

 離婚経験があるようで、このような歌もありました。どことなく鬼子母神を思い浮かばせるような、心に刃を持ちながら、現世で強く生きていくことを決意した女性の姿が頭に浮かびました。結句の「似てゐます」という柔らかい口調の終り方が、逆にゾクッとします。
〈短歌〉

1この坂を君の死後照らすはつなつの光の中に汗ふきて立つ

2高野公彦(昭和16年〜愛媛県出身 歌誌『コスモス』所属)
「汽水の光」より

3あなたが命をおとしたこの坂を照らす、初夏の眩しい光の中、残された私は汗を拭きただ立ちつくす
と、私は解釈しました。。

4作品の背景を、歌の解釈や評価に取り入れてよいか是非もありましょうが、敢えてご紹介します。
昭和45年5月7日、歌人小野茂樹が交通事故で亡くなりました。深夜乗車したタクシーが、立体道路分離帯に衝突したのです。34歳でした。
同年代の歌人として親交のあった高野は、病院に駆けつけましたが、手遅れでした。小野の死は高野にとってあまりにも突然で悲しい出来事でした。

この歌の後半の「光の中に」の美しい描写と共に、生命を感じさせる「汗ふきて」があることで、小野の「死」と残された者の喪失感が表されています。親しい人を喪った人が感じる孤独は、本人だけのものと思わずにはいられません。

5関連の歌も含め、列挙します。
・生きるとは生き残ること 炉の裡にむくろ焼く火のとどろく聞けば
・みどりごは泣きつつ目ざむひえびえと北半球にあさがほひらき
・ふかぶかとあげひばり容れ淡青の空は暗きまで光の器

6「高野公彦歌集」不識文庫\1,500 自選集でお勧めです。

追記:小野茂樹の歌もどうぞ。
・あの夏の数かぎりなきそしてまたたつた一つの表情をせよ
・わが肩に頬を埋めしひとあれば春は木々濃き峠のごとし
 ひでさん、ありがとうございます。
 なんか、いい感じになってきました。みなさんの紹介してくださる作品がとても勉強になります。

 ひでさんのおっしゃるとおり、「汗ふきて」がとても効いていますよね。
 高野公彦の歌は読んだことがあるのですが、もう一度じっくり読んでみたくなりました。
1 牡丹花は咲き定まりて静かなり花の占めたる位置のたしかさ

2 木下利玄 
3 大輪の牡丹が、咲ききってそこで留まり、定まった。極みまでいってしまうと、静かで、確かな位置を占めるように安定感がある、と注釈されておりました。
4 この歌は、心騒ぎ、不安になると思い起こします。

「咲き定まりて静かなり」。華やぎや、高揚の中にあっても、尚、静かであること、むしろその中に静けさがある故に凛として美しい心根のようなものを感じます。更に
「花の占めたる位置のたしかさ」に続くと
得ようと思っても得られない、人間の不確かさに気付かされ、自然の確かさ・力強さを思い、人間の中にある自然を見出したくなります。


5 今回、この歌の作者を初めて知った有様ですのですが、一応、関連歌を調べましたので、あげておきます。
・花びらの匂ひ映りあひくれなゐの牡丹の奥のかがよひの濃さ
・花になり紅澄める鉢の牡丹しんとしており時ゆくままに

また、こんな牡丹の歌も見つけました。
・日ににほふ牡丹を露のはなるるに速度を光は一撃したり
                (星野二郎・・・)
 サーさん、ありがとうございます。
 
 牡丹の花に相応しい格の高い歌ですね。物を見据える眼力を養いたいと思っているのですが、この歌などは、とても勉強になります。
 サーさんの歌評も素晴らしいです。自分を軸に自然を見ていたのですが、自然を軸に自然を見ると「自然の確かさ・力強さ」に気付くことができるのかもしれませんね。
1 われの世にあるべき幸のこと/"\(ゴト)く君とあひける一時につく

2 釈迢空(折口信夫)
  
3 明治44年に、42年に没した「君」との事を思い出して詠まれた歌。
  ただし、「君」と折口の関係は明治32年〜39年までであったと推測される。
   (※/"\は、繰返し+濁音の代替表記で、括弧内の読みは本来ありません)

4 最初にお断りしなければならないのですが、短歌に馴染みの無い私は、今回の企画に合わせて慌てて作品を探すことになってしまいました。図書館や書店で歌集をめみても、短歌のら列に圧倒されて作品を鑑賞する姿勢に辿り着けません。解説付の本を読んでも、他人の講釈を聞いている傍観者の様で作品の中に入る事ができません。
結局、「釈迢空ノート(富岡多恵子著)」の、本人の註や年譜や他の資料による著者の推論を含めた全体の中で、ようやく作品の中に入っていけた様な気がしました。
全体が釈迢空の謎解きになっている様な中での鑑賞でしたので、この歌の意味をここで書くのは非常に難しいのですが、富岡氏の説では、この「君」こそが本来の釈迢空その人であり、「君」の死をもって折口が釈迢空を名乗ることになったとあります。
折口は弟子との関係をカミングアウトしていますが、この時の「君」との関係は生涯隠されたとされます。後年の関係は師弟間の「聖く・純粋」な関係だと言えるのに対し、年長者の「君」に対する青年の恋は、自身が不浄とした女性性を示すものだったからではないか、というのが富岡氏の解釈です。しかしながら、だからこそこの一時こそが幸せだったのかもしれません。
「君」との別れから30年後に書かれた「死者の書」は、その追ひ書き「山越し阿弥陀像の画因」で、「夢の中の自分の身が、いつか、中将姫の上になってゐたのであった。」とあります。しかも、「古い故人の為の罪障消滅の営み」と。折口が自身の女性性を小説という形で示すことで「君」を供養したのでしょうか。
富岡氏の解釈や推理が正しいのかどうか、私には全く判断不能なのですが、自分にとっては歌の中に入って行く導ではありました。

5  釈迢空の他の作品を私がここでご紹介するのは、余りにおこがましいのでやめます。(苦笑)
「釈迢空ノート」の最終章に当たる「短歌の宿命」では、釈迢空と小野十三郎との短歌・詩への対立した論を中心に展開しているのですが、近代から現代(または文語から口語)へ移行する頃の詩論・歌論が書かれていて、本当に興味深く読みました。わずか40ページ程なので、釈迢空に興味の無い方はこの部分だけでも面白いかもしれません。
連蔵投稿すみません。
「私の好きな一句・一首」ということからは少しズレてしまうので、改めてこちらに書かせていただきます。
上の「釈迢空ノート」を初めて読んだのが7年前。今までに何度も挫折したのですが(苦笑)、今回は、まるで推理小説を読むがのごとく、とても面白く読めてしまいました。最近の挫折は昨年の4月、まさにこのコミュに入る少し前です。3月に映画の「死者の書」(川本喜八郎の人形アニメーション)を観て、「死者の書」の本をどうにか読みました。これも過去に挫折していたのですが今回は読めたので、「釈迢空ノート」も大丈夫だろうと思っていたら、ダメだったのです。

考えてみると、挫折の原因は短歌でした。もともと、折口信夫に興味があって(能→民俗学経由)この本を手にした為に、短歌が羅列されてしまうと、読んでいても頭に入らず(面白くなく)、我慢しながら読み進めても、結局は放置してしまうのです。
が、今回は全く違いました。短歌を味わうという意味が、注釈や解説の助けを借りてではありますが、少しわかった気がしたのです。
これも、昨年の6月からこちらのコミュに参加させて頂くことで、拙いながら短歌や俳句を投稿させて頂いたり、他の方々の投稿作品を拝読でき、さらにはどう鑑賞されたのかを知ることができたからこそ、と思っています。
自分ではこの一年近くの事を、何がどう変わったという意識も無く過ごしていたのですが、今回の企画であらためてその変化に気づくことができました。

という事で、こちらのコミュに入るきっかけにもなった「死者の書」に関係すると思われる(?)歌を記念に挙げさせて頂きました。(ちなみに、近くにちょっとだけ住んでいたことを、今回はじめて知りました。笑)
これからも少しずつですが、「やまとことば」に親しんでいきたいと思っています。
C.Catさん、いい俳句ですね。

・ごみ虫のころと掃かるる秋彼岸

何気ないようで、可笑しみがあって、しかも、哀愁も感じます。「秋彼岸」という季語から、お墓参りのシーンを想像したのですが、別にそうでなくても良さそうですね。小春日和の澄んだ空が目に浮かびます。

・打水に朝顔はふとゆがみたる

この句もとてもよく勉強になります。観察することの大切さを改めて感じます。

・神経を軽く病みてはちんちろりん

この句の意味はよく分りませんでした。「ちんちろりん」とは擬音語なのでしょうか、それとも、サイコロ賭博のことでしょうか。それによって、解釈が変わりそうですね。もし、句の背景が分れば、教えてください。
 hoo-m** さん、ありがとうございます。
 折口信夫の「死者の書」は、私にとっても大切な本です。万葉集の研究家というだけでは、決して表現し得ない耽美的でおどろおどろしい世界が構築されています。
 しかし、実は釈迢空の歌の良さが、まだ十分理解しきれていないのが残念です。「倭をぐな」など何回か読んだのですが、まだまだ、私の理解力、許容力がそこまで達していないようです。

われの世にあるべき幸のこと/"\(ゴト)く君とあひける一時につく

 この歌は「正述心諸(ただにおもいをのぶ)」なのでしょうか。彼の膨大な研究・知識から紡ぎだされた言葉なのだと考えると言葉の重さを感じます。ただ、その向こうにあるものまで感じ取ることができませんでした。まだまだ、勉強が足りないですね。

 それから、私も古典が本当に面白く感じられるようになったのは、和歌が好きになってからでした。お能が面白いと感じられたのも、和歌を少しは知っていたからだと思います。何にしても、見識を広げていくことは素晴らしいですね。
kenさん、コメントありがとうございました。
一つ、書き忘れていたことがあります。

私も釈迢空の歌はわかりません。(笑)
この歌は釈迢空を名乗るとされる年に詠まれまれたそうですが、
自選歌集からはもれています。
釈迢空釈は自選歌集をつくる際に、
過去の歌に対して読点や空白を入れ
さらに改変も行なっています。
普通に文字が連なるこの歌は
「前・釈迢空」もしくは「学者になる前の折口信夫」による、と
言える様です。

折口信夫は小学生で日常的に短歌を詠み、
富岡氏はそれを「遊芸としての短歌」としています。
遊芸としての短歌に対し、
学者・批評家としての葛藤が
芸術家・歌人としての短歌を生んだと思われますが、
私にもまだまだ歌人、釈迢空を理解することは難しく、
結局、釈迢空が後に切り捨てた短歌(遊芸としての短歌?)を
選ばせて頂きました。
 かよっぺさん、ありがとうございます。

雪となる蒼き夕ぐれひとりゐてをちかたびとにもの申すわれ

 私は雪国に暮らしたことがないので、想像するしかないのですが、「今夜は雪になるだろうな。」と思わせるような夕暮れの景色があるのでしょうね。「をちかたびとにもの申すわれ」このような詠い方は、人間としての年輪によって醸し出されるものなのでしょう。いろんな人との出会いや離別、死別があって、最後には人間は所詮一人きりなんだと思う時があります。しかし、その孤独に向き合って、自然に、しなやかに、強く生きる女性の姿が目に浮かびます。
 かよっぺさんがこの歌に惹かれた気持ちが、なんとなく分るような気がします。
みなさん、たくさんの応募、ありがとうございました。

 それぞれの俳句や短歌にみなさまのいろいろな気持ちが込められていて、読ませて頂いて勉強になるだけでなく、詩歌というものが、人にいかに大きな影響を与えるものであるかということを再認識しました。
 今回の企画は、なにかと大変な作業を皆様に押し付けてしまったようですが、とても勉強になりました。

 こちらの企画は、これで終了させて頂きますが、もし、皆さんに知ってもらいたい俳句や短歌がありましたら、この後に引続きご記入頂いても結構です。
このトピックは恒久的なものと考えていいでしょうか?

数学者の故岡潔先生の本を読んでいて、すごく良い歌があったので紹介させてください。

    灰まいて白梅うるむ垣根かな 凡兆
 アンカズさん、このトピはこのまま残しておきたいと思います。コミュの主目的とは異なりますが、勉強になりますからね。
 
 アンカズさんに採り上げて頂いた句は、岡潔氏のお庭の様子なのでしょうか。「うるむ」という語から、氏の植物に対する細やかな愛情が窺えます。 
 ネットで「岡潔」氏のことを調べてみると、現代の数学の礎を築いた方だということでした。アンカズさんは、いろんなことに関心をお持ちなのですね。

ログインすると、残り7件のコメントが見れるよ

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

素敵な「やまとことば」 更新情報

素敵な「やまとことば」のメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。

人気コミュニティランキング