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ペテルソン世代のF1を語るコミュのChris Amon

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1960年代から70年代前半にかけて活躍しましたが、F1での優勝はありません。常に不調なチームを渡り歩いていたドライバーとして有名です。でもスポーツカーレースではルマン、デイトナ24時間レースやモンツァ1000Kmで優勝していますから、才能は高かったと思います。

http://en.wikipedia.org/wiki/Chris_Amon

コメント(19)

クリス・エーモン、又又懐かしい名前ですね。
確かに優勝経験はないけれど、ものすごく安定していて万年2位だったような印象があります。
ドライバーとしての能力は高かったけれど、きっとF1で連勝するドライバーになるために必要な何か、最後の一皮が剥けないままだったのでしょう。
当時のGPシーンを代表するドライバーの一人である事は、間違い有りません。
クリス・エイモン これまた懐かしいご贔屓です。
3リッターF-1初期のフェラーリNo.1ドライバー。
滅法速いけれど、勝てないドライバー。
運に見放された男。
だからこそ、贔屓したくなる。
個人的に、エイモンといえば、最初に脳裏に浮かぶレースは
Ferarri 330 P-4で、1−2−3フィニッシュしたデイトナ
24時間。6*年だったけ?前年ルマンで、FORD GT-40 MkII、
MkIVに1−2−3フィニイシュされた仇を討ったレース。
エイモンのスパイダーP-4(まだP-3だったかな?)は、
カーナンバー23 白抜きのベースにはみ出すくらい大きな
字体で、蛍光オレンジで黒字23を縁取りしてあったなあ。
> ドライバーとしての能力は高かったけれど、きっとF1で連勝するドライバーになるために必要な何か、最後の一皮が剥けないままだったのでしょう。

その「何か」とはセコンド・ドライバーだと思います。確か,彼がフェラーリに乗っていた頃,フェラーリはセコンド・ドライバー不在でしたよね。

F1はティームプレイがあるから,彼は孤軍奮闘の限界に泣かされていたんだと思います。

ティームのフェラーリは一ティームでスポーツカーとF1の療法をサポートする困難さにぶつかっていたようだし……

スクデリア・フェラーリの体制がラウダの時代くらい整っていたら,きっとエイモンはチャンピオンになっていただろうと確信しています。
数ダラ様

1967年のBandiniの死後,C.AmonはFerrariのエースドライバーになりましたが若いエースに嫉妬したチームメートからじゃまをされたなんてこともありましたね。海外のフォーラムでも人気があるドライバーでよく記事が載っています。
エイモンがそんな目に遭っていたとは知りませんでした。
エイモンに限らず、当時のフェラーリの体質でしたね。
1964年フェラーリで世界チャンプになったジョン・サーティーズもチームにいびられつづけたようですし、フェラーリはイタリア人以外のドライバーを乗せたがるくせに一方ではいびるという社風?を持っていました。
もちろんシューマッハ時代の遥か、遥か前、昔のことです。
>エイモンがそんな目に遭っていたとは知りませんでした。
>ではいびるという社風?を持っていました。

そういう話は よく当時出ていましたね。
サーティースがルマン24hの直前にチームを飛び出したのも
その証しだとか…。
サーティースは,確かに当時,頭角を現し始めていたロレンツォ・バンディーニに力を入れるあまり阻害されていたという話は聞いています。

でも,サーティースの場合は多分にサーティース自身わがままな性格があったようだし,なによりサーティースがフェラーリのエースでいながら,裏でローラに協力していた事が気に入られなかったと聞いてますが……
エンツォと様々な確執があったとか…そんな情報が当時あったような気がします。

イタリヤ人ドライバ、特に頭角を顕してきたロレンツオ・バンデーニをあからさまに贔屓して、新しいクルマやエンジンを2ndドライバであるバンディーニに 回すのが当たり前になっていたりとか。

ところで話題はちょっとそれますが、バンディーニがモナコの
シケインで燃えた写真を当時「平凡パンチ」で見ましたが、
黒焦げて、だらーーんと片手を垂らした姿には 凄いショックを
うけました。
いや〜懐かしいと言っていいのか、あの世代ですよね。
私も「平凡パンチ」見ました。
高校で友達と怖い物見たさで恐る恐るページを開いて、「ワッ」とか言い合いながら見ていました。
私もこの写真、記憶にあります。ショッキングな写真だったとの記憶があります。
ところで、話題はかわりますが、「サーキットの狼」という漫画があり、風吹裕矢のライバルの早瀬左近がモナコF3レースで事故をおこしてしまうシーンがありましたが、このシーンは、この事故のことを知っていたのでしょうか。
池沢さとし(漫画家)さんは、風戸裕の大ファンだったと何かで読みましたので、きっと知っていたとは思うのですが。
別件で写真を探していて見つけました。1968年のオランダGPのワンショットです。この年は不運が重なって成績は芳しくなかったですが、いい走りをみせた年だと思います。
「Auto Cource」の年鑑では、その年のベスト10ドライバーを選んでいますが、なんと4位に選ばれてます。そしてそのキャッチが「Unluckiest Driver」だったと記憶しています。
Chris Amonは1966年Fuji-SWで開催されされたIndy Car Raceにやって来ましたが。本家のIndy500には出場することはありませんでした。唯一,1967年に出場するはずでしたがタイムがあがらないChrisの走りをParneli Jonesがオーバルコースの走りができていないと評したということです。結局彼はレースに出場しませんでした。

http://img338.imageshack.us/my.php?image=scan0032my3.jpg
http://img338.imageshack.us/my.php?image=scan0030nt6.jpg
みなさん、はじめまして。自分は今現在のチームオーナーとしての立場で話させて頂きます。やはり最後は人間ですから、ドライバーが積極的に話しかけてくる、問題を提起してくる方にチームは向いてしまします。ラウダあたり、チームがまとまった様に見えますが、ドライバーがまとめたのでは無いか?と思います。速いドライバーに限って『自分の事しか考えていない』ケースが目立ちます。歴代のチャンピオンを見ると速いのは当たり前としてインテリジェンスな感じの人が多い様に思えます。そう言う意味でエイモンにせよ、サーティースにせよ、体制の中にある素材を活かし切れなかった気がします。最初からいてほしくないドライバーならチームに呼ばないですからね。
ちょっと古いですが、「F1 RACING」で歴代ドライバー100傑が紹介されています。Ronnieの項にもコメントいれてますのでそちらも見てください。
Amon選手、なんとDurney選手を上回る46位にランクインしています。
Durneyから「F1で運のないドライーバー」という称号を引き継いだAmonですが、本家より評価さらたとは、うれしい限り。
でも彼の才能はすばらしかったんで、その意味ではベスト50ではなくベスト30以内に入ってほしかった!(ちょっと望みが高すぎるかも!)
今月号のMotorsport誌にCharis Amonの特集があります。ゆっくり読んでみたのですが最近どうも英語が頭の中に入ってきません。

どうしたものか?
涙
lotus49ford さん 情報ありがとうございます。
帰社時に、本屋さんに立ち寄ってみます。まだまだ人気あるようですね。

では4分間の映像で、たっぷり?Chris Amonの活躍ぶりを堪能して下さい。
波輪伊庵留海孤 さん
1966年のルマンや1967年のF1シーンなど懐かしいシーン満載ですね。
何回も見直しちゃいました。

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