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備後の歴史を歩くコミュの多祁伊奈太伎佐耶布都神社

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式内社 備後国安那郡「多祁伊奈太伎佐耶布都神社」

 福山市山野町上原谷に鎮座する式内社「多祁伊奈太伎佐耶布都神社」(たけのいなたきさやふつ)、地元では「岩屋権現」とか「岩穴宮」と呼ばれている。加茂町を通って山野町へ入り上流へと車を走らす。竜頭の滝を過ぎ、さらに奥へ進む。「岩屋権現」は上原谷の集落に密かにあった。ちょうど馬乗山の西側の谷だ。広島県天然記念物に指定されている驚異ともいえる幅33m、高さ30m、奥行き35m以上という巨大な石灰岩の塊の下部が洞窟になっていて、天井からは鍾乳石がたれている。その穴の中に写真のお社がある。さらに奥へと洞窟が続いているがとても入っていく勇気はない。洞窟の奥からは山水が流れ出ている。山深いこの場所で1,000年も前にどのような「まつりごと」が行われていたのか。時間が一瞬止まってしまったような空間だ。

 由緒であるが、いつものように参考資料をめくってみるといずれも不詳となっている。祭神もこの長たらしく難しい社名についても何一つ証明できるものはない。しかし、式内社に比定するに当たっては何か根拠が必要で、明治元年、同時の関係者は頑張って調査したようだ。そして出た答えは、出雲刀剣鍛冶の稲田氏が砂鉄を求めて山陽側に進出してきた。比婆郡からさらに山を越え小田川流域にまでやってきた。そしてこの山野の地で良質の砂鉄が採取できたのかも知れない。伎佐耶布都は剣の名とされている。日本武尊が熊襲討伐の帰りに立ち寄り悪神をこの洞窟に閉じこめやっつけたとされる伝説もある。また、新市には吉備穴国に立ち寄ったことを裏付けるように日本武尊神社もある。

 由緒書きによる祭神は、備中下道国造、兄彦命と大穴牟遅命(大国主命)となっているが、稲田氏の剣を祀った神社であれば「スサノオ」や「クシイナダヒメ」も考えられる。また左のお社は赤濱宮といい「建伊那陀宿禰」(たけいなだのすくね)が祀ってある。この式内社もいつの頃か訳がわからなくなっていた。


写真

左:洞窟内の本殿
中:式内社石柱、石鳥居


地図

http://link.maps.goo.ne.jp/map.php?MAP=E133.21.20.093N34.39.22.945&ZM=10

コメント(2)

森本繁が書かれた「備後の歴史散歩(上)」の多祁伊奈太伎佐耶布都神社の項には祭神として「スサノオ」と「クシイナダヒメ」と紹介されている。

 スサノオはアマテラスの弟。精神薄弱児のような奇行により天上界を追放される。さすらい人となったスサノオは出雲に現れ八岐大蛇を退治し、生け贄となっていたクシイナダヒメを助け、そして結ばれて出雲の繁栄に尽力した。八岐大蛇を退治したその体内から一本の太刀が出てきた。これを「天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)」と名付けアマテラスに献上した。これは三種の神器として伊勢にあったが、ヤマトタケルが東征時に手渡され「草薙の剣」と名を変えた。ヤマトタケルの形見として熱田神宮に在るとされている。

スサノオとイナダヒメと剣は同体なのだ。
こんな立派な鳥居
見落とすだなんて・・・

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