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カール・マルクスコミュの権力を取らずに世界を変える

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確かに、マルクス物象化論を素直に受け取れば、政治的権力奪取は「物事をスムーズに行うための道具」だと思います。

そういうわけで、我々は物凄い間違いを犯していたのかも知れません。なんてことを考えさせられる『権力を取らずに世界を変える』(ジョン・ホロウェイ著)のトピを作っておきます。

なお、出版社は日本「共産」党の査問を暴露したばっかりに赤旗から広告停止を食らった同時代社です。

翻訳者は素描・1960年代の著者の一人であるである大窪一志さんと 小生は知らないですが共産趣味界隈で時々名前を見かける四茂野修さんです。

コメント(16)

一人一人が人間性を磨きブッダになれば、権力を取らずに世界を変えることができるかもしれませんね
マルクス思想と仏教の一番の共通項と言えば「関係性」ということになるんでしょうかね。個人の「人間性」ではなく、「関係性」で。

この本では「私」ではなく「私たち」という訴え、そして客観性ではなく主観性の大事さを説いています。
小生の最近の関心は民主主義批判で、南冥さんの仰る「総と個」という概念の照応こそが、民主主義をして全体主義に道を開くのではないかとか考えています。むしろ、民主主義=全体主義という証明をしたいくらいのものがあります。(スガ秀美さんあたりに笑われるかな?)

そして、この本は、総と個という枠組み自体を疑うように誘導しているように思えます。私#たち#は個であってはならないし、ましてや「総」ではありえません、と。

しかし、問題は「総」として浮かび上がるんですよね。環境問題とか。

マルクス主義批判ということでは、第七章がマルクス主義の歴史と問題点をまとめてくれています。

南溟道人@風俗の神様:
関係性も
村社会に陥る危険もあると思います。

た、、、確かに。だが、もう、そこから出発するしかないのかなあ、とか思っています。(ここもムラと言えばムラ)

社会、権力、国家、、、我らの前の残骸に呆然とするばかり。でも、変なこと書きますが、ってか、関係ないこと書きますが、民主党が政権とって、何か壊れて穴が開いたような気分を感じているんですよね。
>民主党が政権とって、何か壊れて穴が開いたような気分を感じているんですよね。

それはさんざん自民党政権を倒すことを心のよりどころ、人生の核心に置いて来たのに、

あっさり本当に一般国民の選挙を通じてそれが達成されてしまったことを、まだ十分に自分の人生の重さ、長き戦い、苦しみなどとの間で折り合いが付けられずにいる、
ということでしょうか?
「暴力革命を通じて国家権力を獲得し理想社会を実現する」という一つの信念は、広範な社会主義革命の実験において、結局は個人の自由やそれがもたらす幸せを抑圧したり粛清することになるという悲しい結果を僕たちに見せつけることになったのではないでしょうか?

「暴力こそ効果がある」という思想に立って、「自己の信念を貫徹するためなら暴力の使用は絶対的に許される」と考えるならばそれはホッブズの言う〈万人の万人に対する戦争状態〉への逆戻りに他ならないのではないでしょうか?
「政治権力の掌握こそが自分の理想を実現する唯一絶対の方法である」
という根強い考えがある。
この考えは、政治権力があたかも私たちの世界を色づけする一番優位で効果的な道具であるという前提に支配されたものだ。
そんなことはない!
私たちは決して政治権力に色づけされた世界という牢獄の囚人であるわけではない。
どのような政治権力がどのような政治を行おうと、
私たちひとりひとりがこの身をひたしている世界というものは、
一番に本人の心によってこそ色づけされたものなのだ!
>>[012]
マルクス主義で語られてきた暴力革命とは、少なくとも表向きの理念としては、文字通りの暴力による革命を意味するのではなく、議会での多数派の掌握を経た議会制民主主義による権力移行ではなく、民衆の直接行動による権力の移行形態を指しています。

その場合に、国家権力による暴力的な弾圧が想定されるため、権力移行のプロセスが暴力的な形態を帯びることになるのを見込んで暴力革命と呼び慣わされているわけです。

それが歴史的に必然的なプロセスであると事前に見なす必要はないですが、実際の歴史認識として暴力的なプロセスが不可避であるというのが、一般的なマルクス主義の歴史観になっています。

そこは時代状況に応じた見直しが必要だと思うのですが、とりあえず暴力革命という概念規定の基本は、以上のような考え方であることは踏まえておく必要があります。
>>[013]
マルクスは何よりも社会革命にウエイトを置いていましたが、レーニンの時代になって政治革命のウエイトがかなり強調されるようになりました。
レーニンの著書「何をなすべきか」では、すでに党組織建設を最優先にした権力奪取の理念が、マルクス主義の本来的なテーマとされています。

少なくとも日本では、マルクス派の中からも、そうしたレーニンの党組織論から見直していく作業が、だいぶ遅れて着手されたという経緯があります。

たとえば、代表的なところでは、いいだもも氏の論考などです。
そもそも権力を取らずに世界を変える、というのは限りなく困難な道だと思います。

「権力を取る」というのを議会制民主主義を経た権力移行をも含めれば、ますます非現実的に思えますが、マルクス主義的な暴力革命に限定しても、果たして本当に可能かどうかは、歴史の審判を待たざるを得ないように思えます。

もちろん、世界を変える=資本主義の廃絶という前提での話です。

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