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クリスチャンへの疑問質問!コミュの高潔な異教徒について

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高潔な異教徒とは、キリスト教神学における概念の一つで、伝道されることなく、結果的に生前にキリストを認識する機会がなかった異教徒が、高潔な生活を送っていたために、忌まわしく考えられるのは好ましくないとされた問題である。これはユダヤ教のゲリム・トシャビムやイスラム教のハニーフのようなものである。現代のカトリック教会ではカール・ラーナーの神学で無名のキリスト者と呼ばれている。
聖書では、使徒パウロが「異教徒は(ユダヤ・キリスト教の神の)律法を持っていなくても、心(良心)に律法が刻まれていることがあり、イエスは心にあるものによって人を裁く(ローマの信徒への手紙 2:12-16)」と教えている。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E6%BD%94%E3%81%AA%E7%95%B0%E6%95%99%E5%BE%92

コメント(99)

>>[53]

ものすごい誤読です!

救われている人が、真面目に教会に行っていて、教会にしか救いはないと信じてて、ある日(おそらく天国で)教会に行ってもいない人を神さまが救われたと知ったからといって文句言うなよ、って話ですよ。

[53] に関してして言えば、友だちがノンクリのまま死んでしまって救われていないとあんなに泣いたのに、天国に行ってみたらその友だちに会っちゃって、どゆこと? という話です。

もちろん、そういう可能性を否定しないっていうだけで、まぁ、そんなもんはないと思っていた方が、信仰生活も伝道も熱心にできると思いますよ。
>>[60]

しかし、別にノンクリが救われるとは限るまい?
敬虔な異教徒の親友と、結局神の国で会えなかった時も、文句を言うべきではないのかな?
>>[57]

あれって、「そんな事訊いてきてた農民が一番熱心な信徒になってくれた」というオチの話なんだが、
大抵の変なアンチクリスチャンはスルーするんですなあ…

>>[54]

異教徒のまま死んだムハンマドの叔父であり、幼少のころに父母を亡くしたムハンマドの育ての親でもあるアブー=ターリブについて、ムハンマドは

"アッバース・ビン・アブドル・ムッタリブによると彼はこういった

 「アッラーのみ使い様、あなたを保護し守ってくれたアブー・ターリブが有利になるよう、あなたは何かなさいましたか」
これに対しみ使いは「はい、それゆえ彼は地獄の最も浅い処にいます。
もし私がそう取計らわなければ、彼は地獄の最も深い底にいることになったでしょう」といわれた。 ”

と言ったとハディースにはありますね。

改宗しなかった禅僧からの、宣教師への質問は形而上学的過ぎて日本の保守は採り上げないw
そんな知能がありませんからなw
>>[61]

なぜそこで文句を言わなくちゃいけないのか、必然性が理解できません。
答えは黙っていなさい、、

口答えはダメ、指応え手応え、、
は、?

知らなかったことになってる、というのは、おかしい、として、、

他に救いはないとして、ならなんであなたはやらなかったんかい、、
という、
公務員の不作為?
サボりすぎ?

なめてんのか?
という

>>[65]

友情や共感、あるいは親しみの情を、
神に否定された形になりますからな。

友人が理解できないなら、ノンクリの配偶者が救われなかった場合を想定してください。
>>[52]

具体的には、今のところ、わたしの信仰生活にとってはどっちでもいい、ということです。

子どもの頃、天国に行ったら聖書の登場人物みんなに会えるんだと思っていて、いろいろインタビューを考えていたんです。
カインに「アベルを殺した動機は何ですか?」とか。
そしたら、「アベルには会えるけど、カインには会えないんじゃない?」って言われて、えええええー!?と。
それからしばらく、この人には会えるのかしら? この人には会えないのかしら? というのは、けっこう真面目にわたしの信仰生活にとって重大な問題だったんですけど、[50] で引用した聖句に出会って、そんなことで思い煩ってなくていいんだと、解放されたわけです。

もちろん、この問題がその人の信仰生活にとってとても重要な問題なら、いっしょに祈って,その人が考えをまとめることの手助けをしたいと思います。

え? まさか!?
イリア・エレオスさん にとって、そういう問題なんですか?
それなら、たいへん失礼いたしました。
どうしよう。[65]とか、すごく冷たい回答になってますね。ごめんなさい。

わー、やっぱりmixiの回答は朝に限定します。
失礼しました。
>>[68]

まあ、受洗後に一時期付き合ってた娘がノンクリでしたからな。
性格の良い娘だったし、もし神の国で会えないならそりゃ寂しいですな。

>>[67]


「ナルニア国物語」シリーズを書いたC.S.ルイスはこんなことを書いていますね。


“ 現代に生きる私たちも、神様を全く無視している訳ではない。

私たちも、神様の言葉に、耳を傾けることもあるし、神様を信じることもある。

しかし、問題なのは、その耳の傾け方、その信じ方である。現代人は、まるで、神様を、被告席に立たせているかのように、取り扱っている。

神様を被告席に立たせておいて、その神様に、様々な質問をして、答えさせている。

これはどういうことなんですか? なぜこうなのですか? あなたは、神として、一体何をしているのですか? このような、色々な疑問を、神様にぶつけて、それに答えさせている。

そして、その答えに、自分が納得している限りにおいて、神様を信じている。

しかし、それは、信仰ではない。なぜなら、信仰とは、神様を被告席に立たせて、自分が裁判官の席に座って、神様に答えさせることではないからである。

そうではなくて、信仰とは、自分が被告席に立って、神様を裁判官として、神様の問い掛けに、答えていくことである。 ”

>>[70]

なかなかそんな敬虔にはなれませんな。
世界は不条理と理不尽と不幸で満ち過ぎてる。
>>[71]

>世界は不条理と理不尽と不幸で満ち過ぎてる。

53:6われわれはみな羊のように迷って、おのおの自分の道に向かって行った。

ダメだと言っているのに、勝手に好きなように行って今みたいにどうにもならなくなったのお前たちの自業自得だろって言われそうですな〜

洗礼を受けたキリスト教徒は、みんな必ず天国に行くのですか ?
>>[73]
洗礼を受けてもその後に罪を犯せば地獄に落ちます。
>>[69]
サタンに寝取られてしまうのか。
可哀そうにw
>>[72]

まあ、確かにヤハウェはそう言いそうですな。
>>[75]

辛い話さ。
あなたには無縁の話だろうけどw
>>[73]

いや、ルター派は聖霊の喪失可能性というのが肯定されていましてな。
受洗しても聖霊を自力で追い出すような大罪を犯せば永遠の滅びに至る。

他は各教派に依る。
>>[77]
過去は振り返らない主義なんでねw
ただし、ルター派は同時に聖霊の再獲得可能性も否定しない。

それじゃ自由意志を肯定してる事になるのでは、と?
いや、「信じる事で救われ、行いによって滅ぶ」という聖書の教理に従った結果。
>>[79]

そう?
僕はあれから別の娘とも付き合ったり、他の娘を好きになったりしたが、
未だにそのノンクリ娘を忘れられないなあ。
>>[76]

ジョナサン・エドワーズの説教「怒れる神の御手の中にある罪人」の世界観ですね
https://ja.wikisource.org/wiki/%E6%80%92%E3%82%8C%E3%82%8B%E7%A5%9E%E3%81%AE%E5%BE%A1%E6%89%8B%E3%81%AE%E4%B8%AD%E3%81%AB%E3%81%82%E3%82%8B%E7%BD%AA%E4%BA%BA

“・・・

神の怒りは、氾濫しそうになっている川のようです。その水かさがまして川が長時間せきとめられれば、その時間が長いほど、水の勢いは激しくなります。今まであなたの悪に対する裁きはまだとどめられていましたが、あなたはさらに罪に罪を重ねたので、神の怒りはましています。水かさはさらにましています。この水をおさえているのは神の御心にほかなりません。神がこれをおさえている御手をはなされた時、神の怒りの洪水があなたを直撃します。あなたにいくら力があって、仮に地獄の悪魔より強力な力を有していたとしても、これに耐えることなどできません。

神の怒りの矢が弦につけられ、弓は引かれ、裁きの矢があなたの心臓を的として狙っています。この矢があなたの血に酔わないようにしているのは、何の義務もないのに、それをとどめている怒れる神の御心だけです。罪に死んだ状態から、聖霊によって新しく生まれていない人は、すべて、怒れる神の御手の中にあります。よい生活を送って、宗教的な心をもって、家庭、自室、教会で宗教的な儀式を行なっても、いま永遠の地獄に落ちていないのは、それが神の御心だからです。

これが事実であると思えなくても、それを認めるしかなくなります。そのような状態で死んだ人たちが経験したことです。そのような人たちは、彼らが思ってもいないときに滅んでしまいました。平安だ、平安だ、と言っていた時に滅んでしまったのです。彼らが安全のためにとった行動は無駄でした。

蜘蛛や気持ち悪い虫を人間は嫌います。地獄の上にあなたを吊り下げておられる神も、あなたを嫌い、怒っておられます。神の怒りはあなたに向かって燃えています。神にとってあなたは地獄の火になげこまれるだけの存在なのです。聖なる神の目はあなたの悪を見るに耐えません。あなたは毒蛇のように忌まわしい存在です。反逆者が王を怒らせるよりも激しく、あなたは神を怒らせてしまいました。それでも、神の御手はあなたをまだ地獄に落としていません。あなたが昨日地獄に落ちずに、朝起きる事ができたのも、また、朝起きてからまだ地獄に落ちていないのも、神の御手です。教会に来ても神を怒らせている罪深いあなたが、今まだ地獄に落ちていない理由はそれだけです。

罪深い人よ!あなたが直面している恐ろしい危険について考えなさい。神の怒りの火の炉の上に、あなたは神の御手で吊り下げられています。神のはげしい怒りはすでに滅んだ人たちに対するのと同じように、あなたにも向かっています。あなたは細い糸で吊り下げられているようなもので、神の怒りの炎によって、その糸は切れそうです。しかし、あなたは仲保者を知ろうとせず、神の怒りからのがれるすべをもたず、あなたが赦され、神様に評価されるために必要な行ないはなにもありませんでした。

・・・”

>>[83]

ピューリタンどもの提示する ヤハウェはこんな感じでしょうね
>>[81]
そうやって思い出をおかずにして毎晩シコってるんだなw
わからんでもないぞその気持ちはw
>>[86]

自慰の対象にはしてないが、
今でも脳裏に面影が映る時がある。

>>[87]
真面目に返すなよ。
ノリが悪いなw
>>[74]

なるほど。だから、カトリックには告解があるのですね。
>>[78]

教派によっても認識が異なるのですか。
日曜学校を開いていた教会の信者は「私は洗礼を受けたから天国に行ける」と言っていました。

聖霊が出て行ったら困りますな。
>>[90]

う〜ん、ウェスレリアンは恵みの拒否、
カルヴィンストは聖徒の堅忍の教理があるし、
カトリックは受洗は救済とイコールじゃないから、
それこそ、神学的には受洗ニアイコール救済と言えるのはルター派ぐらいなんだが…
>>[91]

ホーリネスの教会でしたなあ。
私がまだ子どもだったから、シンプルに答えてくれたのかも。
>>[92]

ホーリーネスなんか、さらに「聖霊のバプテスマ」の考えがあるし…
>>[71]

ここにつけます。

>世界は不条理と理不尽と不幸で満ち過ぎてる。

それは、全部、人間が堕落したせいだと、わたしは理解しています。
そんな世界の中から、わたしを救ってくださるのが、イエス・キリストです。
そんな世界の中から、わたしを救ってくださるのがイエス・キリストだという事実を、わたしに理解できるように記されているのが聖書です。
聖書によれば、イエス・キリストの体である教会に、わたしは属しています。教会の、またわたしの、使命は、
「そんな世界の中から、あなたを救ってくださるのが、イエス・キリストです」と伝えることです。
「あなた」が救われているかどうか、わたしは気にしなくていいです。
わたしが「あなた」と出会って、救いについて伝える機会を与えられたという一点をもって、「あなた」が救われていると信じることができるほど、わたしはおめでたい人生は送ってきていません。
(ひょっとしたら、そこがまだわたしの不信仰なところで、もっと信仰が深くなったら別のことを言い出すかも知れません)
とにかく、わたしの使命は、イエス・キリストは罪人を救うために世に来られたということを「あなた」に伝えることです。
「あなた」がわたしの言うことを信じなくて、神さまを信じなくて、イエスさまを「あなた」の人生から閉め出したとしても、神さまが「あなた」を愛しておられることは変らない。
神さまが愛する者をどのように扱われるかについて、わたしたちが聖書から教えられることは、それもまた「罪ある目には」不条理と理不尽と不幸で満ちているように写るでしょう。
でもそれも、わたしに罪があるんだから仕方が無いです。
仕方が無いからって黙り込む必要もありません。
これまでの発言で,何回も「文句言わない」と書きましたが、実は、祈りの中でいくらでも文句を言っていいんです。
詩編なんて神さまに対する文句ばかりです。
どんなにたくさん神さまに文句をいっても、わたしの祈りを導いてくださる聖霊なる神さまが、最後にはその文句を神さまへの讃美に変えてくださる。
だから、わたしは、文句言わない状態にまで導かれる。
とはいえ、ずっと救われるように祈り続けている「あなた」が家族である場合、それは本当に忍耐と献身を必要とするでしょう。
その忍耐と献身が、自分の力ではなく神さまから与えられると信じるとき、神さまからの平安が与えられることを、わたしは見聞きして知っています。
その平安は、筋道の通った,道理に叶う、幸福に満ちた平安です。
>>[90]

>教派によっても認識が異なるのですか。

逆だと思います。
どう認識するかについて意見が分かれるから、いくつもの教派に分かれたんですよ。

>「私は洗礼を受けたから天国に行ける」

この信仰告白はとても大切だと思いますよ。
大丈夫、わたしは洗礼を受けている
この確信は正しいです。
ただし、これも、後に続く言葉や行動で正しいとは言えなくなる場合がありますね。
>>[96]

ていねいなご教示、ありがとうございます。

あ、そうか、認識が異なるから別の教派になったのですか。
順番が逆でした。

洗礼を受けても、「洗礼を受けたから、何を言っても何をしても私は天国行き決定 !」という通行手形ではない。だれが天国行きなのかは神さまが決めるので断定はできないけれど、通行手形をもらった気分で安心するのではなく、洗礼を受ける前のへりくだった気持ちを忘れないようにしよう。そういうことですね。心します。
>>[90]

信じて洗礼を受けると天国行きの列車の乗車券が貰える。

乗車券を使って改札を入るも入らないも自由。

列車に乗ることも出来、そして人生の長い信仰者としての旅路につくことも出来る。旅の途中でいろんな困難に合うかもしれません。

そして、途中下車する自由も与えられています。また自由降車以外にも乗車資格(信仰)を失ったら降ろされもします。

しかし、その時は乗車券が取り上げられることは無く、乗車資格を取り戻したらまた乗ることも出来ます。

こんな感じでしょうか。



>>[98]

なるほど。わかりやすいご説明、ありがとうございます。
卑近な例ですが、結婚に似ているかもしれません。

結婚を「ゴールイン」だと言う人もいますが、むしろ結婚生活のスタートを切った状態。一緒に生活する中で、困難があれば立ち向かうなり諦めるなり選択肢がある。相手に対する愛情がなくなったらまた別の道を探すかもしれない。けれども、結婚生活を続けていれば、愛情を取り戻して幸せな人生に戻る可能性もある。

SGT さんの列車の例でもこの結婚の例でも、どのみち、この世での命には終わりがありますから、そこに向かって謙虚に忠実に進むことにします。

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