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【松聲】風の吹き溜まり【風伝】コミュの「井桁崩し」を語ろう!

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みなさん、

甲野先生が「井桁崩しの原理」あるいは「平行四辺形の原理」が発見されたのは1992年の10月のことです。
それから15年。
今や(というかだいぶ前から)、甲野先生の技の説明には「井桁」の「井」の字も出てきません。
しかしそれは井桁崩しの原理がなくなったことを意味しません。
すべての動きにこの術理があることは確かです。

では「井桁崩し」って何だ、というとどうもはっきりしないようです。
このトピックで「井桁崩し」についてのひとつの考えを提示しますので、それをたたき台にゆっくりと語り合いましょう。
(正解を与えることが目的ではないので、みなさんの考えを自由に書いてください)

コメント(68)

キシタカさん

「二力の合成」も「多要素同時」も「三元同立」も、本質は同じですよ。
相手に接触するときに合成するか、相手の内部で合成するかという違いだけでしょう。
それぞれ実現することの困難さに違いがあって、その困難さのためにひとつの術理のように扱われますが、「二力の合成」のバリエーションだと思います。
そこに様々な体の質や感覚の質、動きの質が絡みあうので違うことのような印象になるのだと思いますね。

わかりやすくに言うと「多要素同時運行」の、「多要素」の質および量の変化、「同時」の精度の高まり、「運行」の質の深まりや方法の変化などが松聲館の技法の歴史であるわけです。

もちろんこれは、こういう切り口からも語ることができる、ということであって、全然別の切り口もあるわけですよね。
わたしの場合、自分の稽古に役立つように解釈しているだけかもしれません。
22 るぱんさんへの補足

というか、テッポウ以外ちゃんと応えていなかったので。

> 相手も 同様に(押された分だけ) 「井桁崩され」 の姿勢を経由して崩されていくわけですね?

「井桁崩され」(笑)。
そういう考え方です。


> ”捻らない動き” のイメージだったのですが・・

線(辺)の集合の四角形ではなく、点が集まって四角形を形作っていると考えてみてください。
それらが一斉に必要なだけ移動することで、平行四辺形に変形していきます。
一瞬で完成するマスゲームみたいな感じです。
見ていると丸で辺(線。棒)で構成された四角形が変形したように見えます。

捻らない動きというのは、そういう感じですね。

> 構造的な説明と、内観的な説明

おっとこれはきたろうさんか。
しかももうコメントがありますね。
きたろうさん

構造的な説明と、内観的な説明の問題は他人事じゃないです。
わたしも本当は「ベクトル」なって言わない方が良かったと思います。
「多要素同時運行」とか「ニ力の合成」とか松聲館の用語を使った方がいいんですよね。

[a]モデルも「たとえ」であることを忘れると、構造的な変形を求めてズレることで生じる効果がなくなってしまうこともあります。
>「多要素同時運行」の、「多要素」の質および量の変化、「同時」の精度の高まり、「運行」の質の深まりや方法の変化などが松聲館の技法の歴史
 あーやっぱり!

★両手持ち正面押しで井桁(井桁で両手持ち正面押し?){写真?}{写真?}

★正面の斬り{写真?}

 こんなイラスト満載の
【技アリの身体になる】風…じゃなくて中島章夫/田中聡共著:バジリコ株式会社
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 井桁前後の技法がメインになっているので、参考になる事請け合いです。

>「井桁崩され」
 先日昭島稽古場にいらしたときに聞きましたが、この表現は、気に入りました!
井桁理論・・・

4年ほど前、甲野先生にインタビューしようと企画してから、過去の著作を大量に読みふけって、ショウセイカンビデオを何本か見て、恵比寿稽古会(今思えば、消滅する前にいけてよかったなあ)に行って・・・

「さっぱりわからん!」と思っていたのが井桁でした。

たしかに、恵比寿稽古会に行くと、風仙さんが上の図で説明するようなことを説明し、それを実際にやってくれるのですが、僕は心のそこで「それ、力じゃん! 押してるだけじゃん!!」とか思っていたわけです(※風仙さんにやってもらったわけじゃないです。今でもそうですが、「教えたがり」の方々の技術は玉石混交だったということでしょう)

で、甲野先生の技を受けると、井桁というか何と言うか、もっと得体の知れないものでありました(笑)。


さて、今、このスレッドを32番まで読んでいて、どの説明も違和感なく受け入れられている自分に気がつきました。

別にたいして技ができるようになったわけでもないんですが、何というか、言葉遣いを含めた「空気に慣れた」という要素も大きいのかと思います。


え〜何だか前置きが長くなりましたが要するに、「井桁」は、あまりにも読みの多層性に開かれた理論で、それこそ身体構造的にも、内観的にも読めてしまうということがあり、「だからわからん」と「だからおもしろい」のいずれにも転ぼうと思えば転べる。(4年前の私は前者で、今は後者)

おそらく、そのことは、今、甲野先生が縷々述べられている理論でもそうだと思うんですね。だからといって、何でも好きにやったらいいんじゃないの? というわけにもいかない(まあ、ほんとはそれでもいいんだけど、それをいっちゃあおしまいなので)ので、こういうトピは非常にありがたいわけです、一稽古者として。



あまりにも意図と文意がとれないレスに我ながら唖然

>風仙様

一瞬で完成するマスゲーム

アレクサンダー・テクニック (古武術と仲悪いらしいですが 苦笑) という身体操作のメソッドで 「順序良く同時に動かす」 と習ったことがあります。

甲野先生が 「魚の群れが一斉に向きを変える」 と表現されてる動きですね??

質問をさせていただくことで井桁崩しの本質に迫れればと思いまして書き込みさせていただきますと・・

私(素人) の井桁崩しのイメージはトピ題の図aでした。

図aは 言うなれば段ボールの上面と底を取っ払った状態です。(ただし段ボールの場合は、外力で 「辺」 自体がたわんでしまうので そうならない素材と仮定)

大きな力を発揮して相手を押す場合、「角」 を動かすことで2辺が容易に動き、大きな力を発揮するイメージです。

どこか一辺が動くと、アメリカがくしゃみをすれば日本が風邪をひくように・・あるいは風が吹けば桶屋が儲かるように 他辺に動いた分だけそのズレが伝わり、動く感じです。

このモデルの場合は23右図のように立体ですと もっと有利です。


トピ説明文にもありますが、「井桁つぶし」 とも言えそうです。
(もしかしたら井桁崩しと 違うテクの話しになっていないか不安ですが)
なおさん

> 「それ、力じゃん! 押してるだけじゃん!!」とか思っていたわけです

初期の「正面の斬り」は小型トラックにぶつかったみたいでしたよ。
潰されるというより、後ろに飛ばされていましたね。
だから名称も「正面の斬り飛ばし」と言っていたと思います。
力の通り道の無駄を無くした、というか、いわゆる「正中面」を通して効率良く力を通していたのだと思います。
あの頃の技は受け取り方によっては「力じゃん」と思ったかもしれません。
ただ「柾目返し」がありましたからね。あれは力じゃどうにもならないので、「正面の斬り(飛ばし)」も井桁術理というものが働いているのだろう、と感じていたのだと思います。
もちろんなおさんが技を受けた頃は、甲野先生の「正面の斬り」も、いくつもバージョンアップを重ねていたわけで、「力じゃん」という感じはしなかったでしょうね。

そういう意味で、ここでみなさんが井桁について考えていることは、どれもそう間違っているというわけじゃないと思います。
最初はともかく「面を立てて体をねじらないといいらしい」というだけで、やっていたわけで、「要は互い違いにズラすこと」とかわかるのは、だいぶ後になってのことですから。
それプラス、感覚的なものが客観的な動作のように語られることもしばしばでしたから、混乱は必至ですよね。
いまのように、説明が支離滅裂の方がかえっていいんです(笑)。
るぱんさん

> アレクサンダー・テクニック (古武術と仲悪いらしいですが 苦笑)

それは大きな誤解です。
アレクの指導者のひとりが、甲野先生の指導を受けた人のアレクに関する文章にクレームを付けた、というだけです。
アレク指導者で甲野先生の動きに興味を持つ人も少なくないです。
(あと甲野先生は古武術ではありません)

> 甲野先生が 「魚の群れが一斉に向きを変える」 と表現されてる動き

そうです。細かく割れた部分が一斉に動く、ってことですね。

> 図aは
> 「角」 を動かすことで2辺が容易に動き、大きな力を発揮する

井桁術理において「支点をどう処理するか」は最大の課題です。
「井桁崩し」もその後の「四方輪」「体内波」も、支点を固定化しない方法の名称であるとも言えます。
この支点が「角」ですね。
最初の頃は「正面の斬り」も「柾目返し」も、固定された一カ所の「角」をたたむことで、一斉に形が変わり(平行四辺形)、結果的に前に出るという構造を持っていました。
ですから「角」を動かすのではなく、一カ所の「角」に接する二辺をたたむことで、結果的に「角」が動くと言うほうが、より近い感覚です。
(もちろん「角」の方を動かしていると言えないことはないですが、実際の技として「角」を動かす意識では成立しないでしょう。)

さて、これまでの説明は図aを元にしたものです。

34のるぱんさんのひし形の図で考えてみましょう。
るぱんさんが「角を動かす」と言っているのはこの図を元にした文章だと思います。

まず図aをこのひし形の図に置きかえることはできません。
具体的な技からの発想では、どうしても「井桁崩し=平行四辺形の原理」であって「ひし形の原理」にはなりません。
ここで言っているのは形状ではなく、角の位置です。
たしかに平行四辺形だって傾けて角を左右に置くことはできますが、技を元にすると、どうしても頭上の進行方向が「上辺」であり、正座の脛の床に接しているラインが「下辺」でなくてはならないのです。
そして角の移動は上辺と下辺が動く、あるいは下辺がその場にあって上辺がスライドしていくことで角が動いていく、という順序でなくては技になりません。
技においては、辺のズレによって角が動くから、接している人の体の「角」もたたまれて「井桁崩され」するのです。

> もしかしたら井桁崩しと 違うテクの話し

この図のように体を使う方法はあります。
この図の上の角が頭で、下の角が足元と考えます。
そして体が左右から急激に引っ張られて上下がつぶれるように動くというものです。
それは通称「提灯畳み」といって1999年の5月頃、言っていたものです。
これは「提灯畳み」にすることで、体の単に固めるのではなくアソビを取ったユルミのない状態にするものでした。

ただ、この図は、「膝の抜き」の説明としても使えますし、また「平蜘蛛返し」のうつぶせの相手を持ち上げていくときの両肘の動き(つまりは体の使い方)の説明としても使えます。

それはさておき、
甲野先生の術理の多くは、体術が元になっていて図で説明するとき「どこが接触面か」ということが大事になります。
もちろん本当の術理とするためには、そうした「具体」を捨てて「抽象」レベルまで高めなければならないのでしょうけども。
>風仙様

>この図は、「膝の抜き」の説明としても使えます

そ、そうなんですか? だとすると「膝の抜き」 の私の解釈が変わってしまうので(別の意味で)弱ってしまいました・・

「膝の抜き」は 「つっかえ」を外すことで全体重を相手に伝える(あずけてしまう)技術だと思ってました・・

私の書いた図は そういう動きの図ではなかったものですから・・

甲野先生の発言に「自分でもどこから動き出すのか分らない動き」というのがあったと記憶していますが、ある意味理想の動きだと思います。
何故なら武術的に相手に動きを悟られないという狭義の意味だけでなく 本当に大きな力(これも狭義の意味でなく)というのは合力を伴う場合が多いと思うので、自然とそういう 「自分でもよく分らない」感覚を伴うと思われるからです。(これは あくまで介護士としての見解ですが)
「二力の合成」どころか三力、四力と合成されれば、光で言えばハレーション現象を起こしてまさしく支点もぼやける気がいたします。
(すみません 素人意見で)

力を合成する利点は 相手がその力を受け止めにくいというのもあると思われます。
(合成された力なので、どの方向から来てるのか分りにくく、対処する方向も分りにくい)

私の34図は そういう図の一番簡単なモデルだったのです。

辺が「たわまない」素材であれば、上から押した力は普通は地面を押す力になりますが、ひし形が可変であるが故に 上からの力は地面を押さずに横に行くわけです。
「二力の合成」 「どこから力が来るかわからない」

ということでは この介護技術も、受けた相手は 「どこから力が来てるかわからない不思議な感覚」 「引きずられた・動かさた感じがしない」 と受けた人は言います。合成された力だからなのでしょう。
http://video.mixi.jp/view_video.pl?owner_id=1654325&video_id=873126

(普通は両腕を上(枕元)に向かって動かす技術なのです)
>「要は互い違いにズラすこと」とかわかるのは、だいぶ後になってのことですから。

素朴な疑問なのですが・・トピ題図bにおいて

左図 と 右図 では右図 (=ずれる薄紙の枚数が多い)が有利なのでしょうか? 

また 「数は多いが 紙の面積が小さい」 のと 「紙数は少ないが紙の面積が大きい」
どちらが有利なのでしょうか??


るぱんさん


「膝の抜き」で

>「つっかえ」を外すことで全体重を相手に伝える(あずけてしまう)技術

というのは、そういう風にも使えるという意味で、それでいいと思います。

ただ武術の場合の「膝の抜き」の効果は、自分の体重を宙に預けることにあります。
「仕事は宙でしろ」というのは甲野先生のことばです。膝の抜きで、足裏が地面から離れる一瞬を使うということです。

ひし形の図と「膝の抜き」については、変形するための上からのやじるしと関係があります。
技の場合は自分の頭を押さえて潰してくれる力はありません。
しかし重力はいつも上から下へかかっていますから、膝を急速に抜いて足裏が地面から浮くと、体は下へ落ちます。
膝を抜く動作を大きくして、空中でしゃがみ込む姿勢になるくらい膝を深く曲げるほど、足裏は地面から高く浮きますね。
その分、体自体の落下時間と距離は伸びます。

図で、思いきり膝を抜いて足裏を引き上げる「↑」方向と、そのこと自体で落下する「↓」方向の動きのために、体がひし形につぶれて、左右方向に動きが生じます。

相手の体に掌をただしっかり当てておきます。
掌で押そうとせずに、膝が上がるほど急速に膝を抜きます。
この動作は見ようによっては小さなジャンプをしているように見えるかもしれません。
しかし注意したいのは、腰の位置ははじめの位置から落ちることはあっても、上がることはないということです。
地面を蹴っているのではなく、足裏を尻に引き付けているのだと考えればわかると思います。
すると掌から相手を押す力が生まれて、相手が後退することがわかります。

別に相手が「後方に吹っ飛ぶ」必要はなく(笑)、自分は押すつもりがないのに、相手に押す力が加わればいいです。

けっきょく「膝の抜き」にしても「井桁崩し」にしても、タテとかヨコとか、上とか下とかのシンプルな動きで、別な方向の力を発生させる仕掛けだと言えるでしょう。

そしてるぱんさんのおっしゃる通り、それがいくつも組み合わされていることが、より効率的な動きを生み出すのだとわたしも考えています。
38の動画はいまは見ることができなので、コメントは後ほど。

で、

>39のるぱんさん

[a]図も[b]図も、術理の概念図なので、紙の大きさに関しては考慮されていません。

で具体的な技としては、「紙の大きさ」は体の部位によって違ってきます。
胴体を井桁にずらすのと、腕を井桁にずらすのでは腕の方が面積は少なくなります。

では太い腕と細い腕では、効果が違うのか、というとそうはいえないでしょう。
ここで重要なのは「動きの精度」であって、それは紙の枚数が多いことと、それらが滑らかにズレていくことだと言えます。

枚数が多くても「滑らかにズレる」ことができなければ、枚数が少なくても滑らかにズレる方が効果が高いといえます。
しかし技においては、滑らかにズラせないのに、枚数だけ多い(細かく割りが入る)ことはありません。
それだけの感覚が育ったからこそ、体が薄くスライスされた感覚も育つわけです。
そう考えると、「数は多いが 紙の面積が小さい」方が有利といえるでしょう。
38: るぱんさん

動画見ました。
「ニ力の合成」ではないですか!
こういう使い方ができるんですね。

これを見て感じたのは、「ニ力の合成」が「井桁崩し」とは限らないということ。
「井桁崩し」は「ニ力の合成」という術理の一例ということですね。
>風仙様

>動画見ました。
「ニ力の合成」ではないですか!

両手を枕元方向に動かすよりも 方向を分けた方が良い理由は 私にもよく分ってません。
何故なのでしょうね・・・
(キシタカ様にも ご自宅で検証していただきたい部分です)

井桁崩しの理解を深める為に 質問をお許しいただきたいのですが、
紙を重ねたイメージよりも、過去レスにてお書きになられた平行四辺形に小さな粒があって一瞬でマスゲームが完成するイメージの方が上位概念なのでしょうか?


又、井桁崩しの最中は体重は軽くなるのでしょうか?
るぱんさん

基本的には要素が多くなるほど、別の言い方では身体の割りが細かくなるほど技の質としては上位になります。
重ねた紙が薄くなるほど質が高くなりますし、粒になれば質的転換が起こっているので、上位概念となります。

体重は変わらないでしょうね。
主観的な重さということでは、思い場合と軽い場合が考えられます。

体が割れて動けるようになると、体重の偏りが少なくなるので、もし持ち上げてみたら重く感じると思います。

また反対に、同じく割れてくると、たとえば「正面の斬り」を行なっている人の膝の下に手を差し込んでおくと、あまり体重が乗ってこないので「軽く感じる」可能性はあります。
タテ (下) 方向へ押す場合も 井桁崩しは有り得るのでしょうか・・ (図)

あるいは井桁崩しを使って押すのでなく引き込んだり・・

(スミマセン 色々仕事に応用したいものでして・・)
もちろん上下もあります。
背中と胸を互い違いにズラします。

胸やおでこを抑えられた形から立ち上がる、とかは上下を使っています(左右も入れるんですけど)。
>風仙様

教えていただいて どうも有り難うございます。

我々介護の世界では 自分では動けない大きな人をいかに動かすか? というのが ひとつのテーマなのですが、

この動画は、自分で動けない座ってる人を手前に引き寄せる技術を説明したものです。
(実際は もう少し複雑に傾けますが)

<video src="853499:7411667f70100a6d7e22d1dcb203b35d">

↑これは井桁崩しとは違う解釈でしょうか?
るぱんさん

井桁崩しというのは、わたしが互い違いにズレることで、相手の身体もズレらされて崩れるのですが、これはわたしが相手を崩している、というより、ほんの少しだけズレて動く事で相手は「崩れ続けてしまう」という仕掛けがあるように思います。

そういう意味で、この動画で、対象が人だとしても、相手が崩れそれを追うことで動いているわけではありませんね。
やはり「わたし」が動かす工夫として、ズラしを使っているので、わたしからみると「井桁崩し」とは言えません。
(これは考え方によると思いますが)

動画は「小さく動かすこと」の連続で、対象を少しずつ動かす方法です。
そのため対象が物でも人でも、動かすことができます。
これは技においてもそうですが、多くの人は対象を大きく動かそうとして失敗するのです。
つまり「一辺に」動かそうとする。それには大きな力が必要となります。
動画の方法なら、「小さな力で少しだけ動いてもらう」の繰り返しですから、比較的に楽に動かせるわけです。
「井桁崩し」=「うねらない・ひねらない・溜めない」 であれば、逆説的に 技を掛けられた側が「井桁崩され」 を回避する手段は、自らの体を 「ひねったり・ねじったり」 することでしょうか?
技を掛けられた側が井桁崩され」を回避する手段は、
相手より「うねらない・ひねらない・ためない」
体にすることではないでしょうか?
「ひねったり・ねじったり」は井桁の餌食です、理屈の上では(笑)。

元々、「ひねったり・ねじったり」して攻撃すると、受けやすいようだ、というところから井桁崩しの研究は出発しました。
基本的には「ひねったり・ねじったり」するより「ねじらない・まわさない」体の使い方は高次のものだと考えられます。

ただ「ひねる・ねじる」も当然、質的転換したものがあるでyしょうから、必ずしも井桁の餌食とは限らないわけですね。

基本的な考えはたーさんがおっしゃるように、よりひねらない方が勝ちということでしょう。
>よりひねらない方が勝ち

そういうことだったのですか!!
私は 回避する側( 「受け」 というのですよね?) が捻ることで、相手の井桁崩しにつき合わないという解釈でした。のれんに腕押しみたいな・・


相手より捻らない → ”押されても頑丈であれ” みたいなニュアンスを感じてしまうのですが・・

いわゆる筋力で自分の体を捻らないように固めるみたいな・・


より捻らない=相手の動きのズレをモロにもらってしまう(相手がズレた分、自分も正確にズラされてしまう) だと思ってました・・
るぱんさん

その前にコメントしたように、ねじりの質にもよるんですが、一般的には井桁崩しに対して、ねじり系で耐えると自ら崩れてしまいます。
またねじり系で吸収しようとすると、そのまま斬り込まれてしまうでしょう。

捻らないのはある意味「頑丈」なんですが、ねじれている側に力が跳ね返ってくるのです。
また固めると歪みます。正中面を立てる(つまり歪ませない)ためには、細かく割れた部分が微調整されながら、「まっすぐ」を維持し続けなくてはなりません。
固めるのとは違います。

それに井桁崩しが、相手のズレをモロに受けてしまうなら、もともと術理としてなりたたないですよ。
術理の前提として、相手がズレまくっていることを前提としているのですから。
正六面体をイメージするとわかりやすいと思いました。
それも本のように何枚ものページで構成されて、しかもまとまっている。

一見、固めているように見えますが全くねじっておりません。
>風仙様

捻らない=固める ではないのですか・・

井桁崩しを互いに仕掛け合った場合、押し勝つのは 「筋力で勝る方」 や 「体重で勝る方」 ではなく 「より細かく体を割って使った方」 ということでしょうか?

体重とかは 「割る」 ことに比べれば、あまり大きな要素ではないということでしょうか?

>またねじり系で吸収しようとすると、そのまま斬り込まれてしまうでしょう。

「受け」 が体幹は捻らず片手だけを引っ込めれば 相手はバランスを崩すと思ったのです・・

>井桁崩しが、相手のズレをモロに受けてしまうなら、もともと術理としてなりたたないですよ。

「井桁崩し (取り)」 でなく 「井桁崩され (受け)」 が捻らない=モロにズレを受けると書いたのです。


もしかしたら意味が同じかもしれませんが、井桁崩しで「押し勝つ手段」 ではなく 相手の井桁崩しを回避 (つき合わない・無効化する)手段が知りたかったのです。
るぱんさん

> 「井桁崩し (取り)」 でなく 「井桁崩され (受け)」 が捻らない=モロにズレを受けると書いたのです。

ああ、すみません。間違えていました。
「相手の動きのズレをモロにもらってしまう」とありましたね。
ズレをねじれと取り違えていました。

井桁崩しを回避する手段ということですね。

> 体幹は捻らず片手だけを引っ込めれば

「正面の斬り」から展開する、相手の腕に自分の腕を接して斬り崩す技(「斬込入身」とか「斬落し」とか)は腕で相手を押す技ではありません。特に初動においては腕と胴体の位置関係は基本的には変わらないので、技を受ける人が触れた腕を引っ込めると相手の体ごと呼び込んでしまい、崩されてしまいます。
もちろんこれは技をかける人の技量によります。未熟だとどうしても受けの腕と触れる時に、自分の腕を前に出したくなってしまいます。
すると胴体より腕が早く出ますので、「押す」ことになり、それをはずされると自分が崩れるということになります。

井桁崩しに対抗するもっとも重要なことは、接触面を無視することです。
たとえば術者の腕を掴んでいる、あるいは腕と腕を接しているとき、接触した部分からの情報で対応しようとすると、技にかかってしまいます。
このとき接触面を「放っておいて」もっと中心で、たとえば背骨とか腰とか肚とかで受けると井桁の動きを止めることができるかもしれません。
ともかく接触面が反応しないと、ずいぶん変わってくると思います。

ただしこの場合でも、受ける人がねじって受けるとからだの癒着する部分が大きくなり、そこが崩されてしまう可能性が高いです。
一見胴体がねじられているように見えても、全体に柔らかく、相手の腕を包み込むような感じでかわす、ということはあると思います。たとえば太極拳の「推手」のようにです。
たーさんさん

> 正六面体をイメージする

つまりサイコロ状の分厚いメモ用紙みたなことですよね。
一見、固まったいるようでも、触ってみるとズレるので固まってないということならわかりますが、

「固めているように見えますが全くねじっておりません。」

という部分が、いまひとつ分かりにくいのですが。
イメージだけですが、正6面浮遊体という表現はいかがでしょうか?
きたろうさん

いかにもきたろうさんらしいコメントだと思いました(笑)
たぶん他の方々からも聞いてみたいことがあると思います。

さて、たしかに「力を抜く」「からだが割れる」「井桁になる」というのはあるかもしれません。
まあ、最後のは「井桁の精度が上がる」かもしれませんが。

おおまかにひと固まりのものからはじめるのと、力を抜いて柔らかくすることからはじめるのとありそうです。
ただどちらが効率がいいかはわかりません。
おそらくどちらも「井桁崩しの精度を上げていく稽古過程」なのだと思います。

どちらもその過程で、全然別の方向に進むことが考えられますね。
また、どちらもその過程で見られる特徴的な雰囲気、「ひと塊にまとまっている感じ」「クネクネしてバラバラな感じ」は、まさに上達過程であるために強調された動きなのではないでしょうか。

どちらも納まるところに納まると、何気ない普通の動きに見える気がするのですが。
たーさんさん

浮遊ですか。ついでに一枚々々のページの間もちょっと浮遊しているということでいいでしょうか。

一枚々々の正方形が、たまたま角をそろえた場所にあって、しかも一斉に動くために見た目はブロックが動いているように見える、と。

こういう状態だと、上下からねじっていって見た目はねじれていても、癒着のない井桁術理が成立しますね。

これもイメージにすぎませんけど、実際の動きでもそういう感覚は確かにあると思います。
>上下からねじっていって見た目はねじれていても、癒着のない井桁術理が成立しますね。

ああ、このイメージはおもしろいですねえ。。。

最近はやりの4スタンス理論に手を出しているのですが(笑)。あれは、形としてはねじった状態を基本に置くんですね。ただ、そのねじりでパワーを出すわけではなくて、むしろ形として体幹部をねじることによって、立位の維持にかける菌力消費を最小限にする、というコンセプトなようです。

ひとかたまりの構造体をイメージするとどうしても「ねじり」になりますが、薄いものが浮きながら重なっているような形であれば、4スタンスと井桁も親和性が出てくるかもしれませんねえ。

といいつつ、まだ4スタンスの本、読んでないんですが(笑)
なおさん

まあ、こういうのは理屈であって、実際に動こうとすると癒着するわけですが(笑)。
それでもこんなイメージが浮かぶだけでも、からだの感じは変わりますね。

今思い出したんですけど、このトピックの【図a】のような身体を外枠で考えるのを「フレーム構造」、スライスしたものの積層と考えるのを「ラミネート構造」と命名したことがありました。
いま考えると「輪郭に注目するか、内部感覚に注目するか」の差ですが、それぞれに利点があるのかもしれません。
(なおさんのコメントとは関係ないかな)
風仙さん

いや、関係あると思いますよ〜

僕のコメントの重点は、「何のためにねじるか」「どういう意識でねじるのか」によって、見た目同じ「ねじり」でも全然違うんじゃないかな、ということですが、

風仙さんの「フレーム構造」「ラミネート構造」の違いというのは、その問題意識の延長にあるともいえるんじゃないでしょうか。

いずれにしても、そう思ってやるのと、実際にどうなっているのかは別の話、ということでしょうね。
なおさん

「ラミネート構造」というか「積層構造」というか、薄い紙が積み重なった感じで動くために、「先端から動く」ということが言われるんじゃないかと思うんです。

たとえば、地面を蹴って移動しないためには、倒れるようにして、そこに足が送り込まれるようにするのだ、と甲野先生は言いますよね。
つまり積極的に転び続けるのだ、と。
このときの感覚は、頭のてっぺんが前に動きはじめて、それに引かれるようにその下、その下、その下、その下……と次々動いて行き、最後に足裏が移動する、とそんな感じになります。
そのはじまりとおわりの間が縮まると「一斉にザッと前方にずれる」といったものになります。
上手い人が動くと「一斉に」見えるけれど、あくまで動き出しは頭のてっぺんです。
本当を言うと、頭のてっぺんから動くために、指先がまず動いていると思いますけど、まあわかりやすく足裏の反対側で頭のてっぺんということにしておいてください。

もし実体として積層構造ならどこから動いても(足元から動いても)いいわけですが、実際の人間のからだは切れ目なく繋がっているわけですね。
つまり「積層みたいに」動くことが要求されるわけです。
そのためにあえて、普通の動きとは反対の順番で動くことを稽古するわけです。
これが「元から動くのではなく、先端から動く」ということの意味です。

で、足元から動く人の場合、逆の動きをされると一瞬(あるいはずっと)理解ができなくて動きが捉えられなくなります。
これはなおさんの専門である卓球のように、相手と接触することのない競技、球を介して触れ合う競技でも同じことが起こるのだと思います。
風仙さん

ふむふむ。。。いや、なるほどです。山中先生も、足動かしてからボールを打つんじゃなくて、ボールを打とうとするから、足が動くんです、っておっしゃっていましたね。

ウッチー@中野さん

甲野先生は「井桁の感覚」の進展を、技の進展としていたんじゃないでしょうか。
だから当然変わってくるわけですね。

最初は平行四辺形を意識して稽古できますが、そのうち「ズレる」という感覚に移行すると、やっている方も「井桁」であることを意識しなくなるでしょう。

あと、稽古の入口、手がかりですが、「ともかく体がまわってはいけない」、つまり捻らない、支点を作らない、ということを追究することでいいと思います。
そこからの展開が、甲野先生と別のものになってもそれでいいんじゃないですか。

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