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上田合戦コミュの☆上田合戦全般−雑談・質問用

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上田合戦の全般に関する雑談用トピです。
「1次」「2次」に特定できない事柄についても、こちらでお願いします。

コメント(5)

 うたかた様

 本能寺の変後の信濃の勢力情勢は非常に混沌としていて難しいのですが、最初から真田昌幸は徳川に反旗を翻していたわけではなく、この頃は徳川方に誼を通じていて、佐久芦田城主依田信蕃とともに徳川家康に恭順しておりました。この二人武田信玄から「わが両目のごとき勇士」と称えられています。

 
 上田の真田昌幸、佐久の依田信蕃が徳川に靡いたことにより、小県郡・佐久郡の諸豪族は徳川方につき始め、東信濃は徳川の勢力範囲へと向かおうとしていました。このころ徳川・上杉・北条は甲斐・信濃の諸豪族に対して、所領安堵の空手形を乱発しており、家康が昌幸に差し出した書状にも「元箕輪城主長野業正が所有していた上野の大部分と諏訪郡一体を安堵する。」などと書かれたものが送られてきています。

 このころ真田昌幸は砥石城に本拠地を置いていて、上州沼田までを領地としていました。真田家譜代の家臣で沼田城代であった矢沢頼綱(綱頼)が関東から攻め上がる北条氏邦の軍を徹底抗戦で退け、逆に阿曽の要害を落としました。北条軍にはかなりのダメージを与えたものと思われます。

 その北条軍も佐久地方にも進出してきていて、勢力を伸ばそうとしていました。東御の辺りに勢力を張る祢津氏を懐柔し、自分の味方に取り込んだりもしています。松井田城主で小諸城に常駐していた大道寺政繁もこれに絡んでいました。(大道寺は小田原攻めの際真田に打ち負かされます。そして小田原征伐の開戦責任を問われ切腹させられました。)

 翌年には一時上杉景勝が千曲川沿いに信濃を南下し、小諸城を占領する事態にも至っています。このことも小県・佐久地方の北条方に近い諸豪族たちに大きな動揺を与えました。中でも佐久の反徳川派の諸豪族と小県依田窪地方の諸豪族が結集して、徳川についている真田家に抵抗してくる恐れが出てきました。このとき佐久の岩尾行吉と丸子三左衛門が結びつきが強くなっているという情報が昌幸の元に入り、「不穏の芽を摘み取り小県一帯をわが領地とする。」という名目で丸子城を攻め、これを落としました。ここに丸子三左衛門は真田家の支配下となったのです。その後も室賀氏や小泉氏などを抑え、昌幸は徳川方の武将として小県郡の支配を着々と進めていきました。

 そんな最中東信濃徳川方のもう一人の武将、依田信蕃は北条方に誼を通じていた相木能登守と岩尾行吉との戦(岩尾城攻防戦)の際胸を鉄砲の弾丸で撃ちぬかれ、戦死してしまいました。その後家康自らが甲府へ進出して来て、いったん佐久の情勢は治まりを見せます。


 しかし、問題が生じるのはこの後です。せっかく昌幸が家康につき、信濃の急先鋒として働いたにもかかわらず、北条氏邦の意をくみ取ったと思える家康が沼田を北条に与えるという決断を下しましたし、小県一帯の知行安堵、諏訪郡を領地として与えるという約束も反古にされてしまい、本当の空手形に終わってしまいます。このことが引き金となって神川合戦(第一次上田合戦)へと繋がっていきます。

 これまでの間にも山城砥石城から平城上田城へ、着々と昌幸は準備を進めてきました。川という自然の要害を巧みに利用した堅固な要塞上田城、城下町上田はこのときすでに整っていたのです。
このページの中の「上田城縄張図」をご覧になると如何に上田城が水利を用いた自然による要塞であったかが分かります。「大きい天守よりも、自然を利用した堅固な要塞」という昌幸の意思が伝わってきそうです。南に千曲川、北と西に矢出沢川、東に神川という河川も巧みに用いた堅固なる要塞でした。

http://www5f.biglobe.ne.jp/~shingen/joukannagano/ueda/ueda.html
かわちゃんさん、ありがとうございます。
第一次に至る複線がよく分かりました。

本能寺の変直後は、真田など小勢力にとって本当に大変だった時期だと思います。
今で言うライブドアの傘下に入っていたグループ企業のような、状況ですよね。
信長=ホリエモンかどうかは分かりませんが、草刈り場になったことは共通していると思います。

第一次の後、昌幸は秀吉の傘下に入った家康のグループに入っていますが、それも秀吉あってこそだったことは、関ヶ原合戦に伴う第二次で明らかになるわけです。

昌幸が秀吉寄りで、信繁が秀吉直臣の時期があったこともあり、信幸は家康に出仕してから、秀吉とはある程度距離を持って、徳川寄りとして行動していたのではないかと私は思います。
この間の上田真田まつりにちなんで朝日新聞で池波正太郎著作「真田太平記」に登場する、真田幸村とお江の人間模様とその後の信之と真田一族をベースにしたまちおこしの特集が掲載されていました。ここにご紹介しておきます。

朝日新聞ホームページ
「愛の物語〜真田幸村とお江」
http://www.asahi.com/travel/traveler/TKY200605130209.html
かわちゃん>
記事のご紹介ありがとうございます。
フィクションと現実のギャップを紹介しつつ、真田氏と忍者の面白さが分かりやすく解説されていて興味深く読ませていただきました。

こういったものはトピを立てていただいて大丈夫ですよ。(^^;
設置済のトピはコミュのトップから直リンクを設置していますので、個別の話題を集中的に取り上げる場合はご自由にトピを立てていただいて大丈夫ですよ。

これはコミュのトップで書かなければいけない事ですね。
すみませんでした。

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