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【FREE TIBET】チベットコミュの◆ 最新ニュース/情報 総合トピック2 ◆

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こちらのトピックでは、次のようなものを投稿してください。

●チベットに関連するニュース記事(ニュースサイトの記事転載など)

●速報性がなくとも意義のある情報記事(ブログやコラム記事など)

●上記2つの投稿に対するコメント


前トピの書き込みが1000に達しましたのでPart 2です。
前トピ:http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=33451910&comm_id=7228

◇ニュースや情報に関してはリンクのみですと携帯から見ている方は読めませんし、時間経過でリンク切れになりますから基本的に全文掲載とリンク、著しく長文の場合は要点の抜粋とリンクでお願い致します。

コメント(1000)

asahi.com(朝日新聞社):天安門事件から20年 遺族は外出禁止、追悼抑え込む - 国際
http://www.asahi.com/international/update/0604/TKY200906040341.html

-qte-

2009年6月5日0時33分

 【北京=坂尻顕吾】天安門事件から20年を迎えた4日、中国当局は民主活動家や犠牲者遺族に外出禁止を命じ、追悼活動を抑え込んだ。遺族でつくる「天安門の母」発起人の一人、丁子霖さん(72)も外出を阻まれ、当時17歳だった高校生の息子を死亡現場で悼むことができなかった。

 丁さんは07年から、命日である6月3日深夜に現場で追悼式を挙げることが許されるようになった。だが、今年は姿を見せなかった。丁さんと親しい民主活動家(60)は「3日から公安当局の監視と圧力が厳しくなり、外にごみを出すことさえできない」と語った。

 丁さんの息子、蒋捷連さんは当時、連日のようにデモに参加。3日深夜、天安門広場の西約5キロで、戒厳部隊に撃たれて死亡した。29年の共産党員歴のあった丁さんは当初、「これは党内の一部がやったこと。過ちを認めるはず」。だが事件の見直しはなく、期待は裏切られた。

 90年代初めから独自の「殉難者名簿」づくりに乗り出す。勤務先の中国人民大学は夫の蒋培坤さん(75)とともに追われ、公安当局の監視下に置かれた。生活必需品は指定された商店で買うことを求められ、自由な外出も許されない。

 当局の姿勢はかたくなだ。中国外務省の秦剛副報道局長は4日の定例会見で「前世紀の80年代末に中国で発生した『政治風波』とそれに関連する問題は、すでに党と政府が明確な結論を出している」と語った。

-unqte-

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「天安門事件から20年、現地は厳戒」 News i - TBSの動画ニュースサイト
http://news.tbs.co.jp/20090604/newseye/tbs_newseye4150013.html

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 武力による民主化運動の鎮圧で多くの死傷者が出た、中国の天安門事件から4日で20年です。天安門広場では、厳戒態勢が敷かれました。

 天安門広場では4日、外国人に対してはパスポートの提示が求められたほか、広場での取材が許可されないなど厳戒態勢が敷かれました。中国政府が、神経をとがらせていることがうかがえます。

 武力による民主化運動の鎮圧で多くの死傷者が出た事件の評価について、中国政府は評価の変更が現政権の否定につながりかねないことから、現在も「反革命暴乱」との評価を変えていません。

 また、アメリカのCNNテレビが天安門事件について生放送を行っているときに画面が突然黒くなり、およそ8分間ニュースが見られなくなるという現象が起きました。

 CNN北京支局によりますと、問題は中国当局側にあるということです。同様の現象は、ほかの海外テレビ局のニュース番組でも起きています。(04日18:25)

0unqte-

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天安門事件「敏感な話題だ」−中国政府系の英字新聞 2009/06/05(金) 00:33:03 [サーチナ]
http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2009&d=0605&f=national_0605_002.shtml

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中国政府系の英字紙である「GLOBAL TIMES」は天安門事件から20年を迎えた6月4日付で「中国では引き続き敏感な問題だ」とする論評を掲載した。中国紙が同事件について言及するのは極めて異例。6月4日付で同紙が伝えた。

同論評を執筆したのは「Jiang Xueqing」という人物。同氏は天安門事件から20年にあわせてインタビュー取材を企画したが学者、官僚、ビジネスマンの多くから断られた。中には「なんでわざわざ20年前の話を聞くのだ。30年前のことだって良いだろう」とはぐらかされるような場面にも遭遇したという。

同氏は「中国では天安門事件は引き続き敏感な問題だ。これでは社会のメインストリーム層で20年前の6月4日に何が起こったかという議論が全く存在しないのとほぼ同じことだ」と指摘した。

さらに同氏は6月3日に天安門広場を訪れた際の様子について「国旗のピンをつけた私服の職員が何人もおり群集を監視していた」と説明。ジョギングをしていた住民は匿名を条件に「いつもより警察官が多いようだ」と語った。日の入りとともに天安門広場は閉鎖されたが国旗をおろす式典をみようとする人々の姿もあったという。写真は6月4日の同広場。中国新聞社は中華人民共和国成立60年を前に電球の点検が行われたとして配信した。(編集担当:麻田雄二)

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何も言わないよりマシ、、??
な訳ありません。

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NIKKEI NET(日経ネット):中国の人権状況「引き続き懸念」 官房長官、天安門事件20年で
http://www.nikkei.co.jp/news/seiji/20090605AT3S0401104062009.html

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 河村建夫官房長官は4日の記者会見で、中国で学生らの民主化運動を弾圧した天安門事件から20年を迎えたことに関連し「中国政府指導部は人権の促進にも一定の努力を払っているものの、引き続き懸念材料はあると認識している」と語った。(07:00)

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東京新聞:民主化再燃 警戒強く 中国 天安門事件20年:国際(TOKYO Web)
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=38822723&comm_id=7228

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2009年6月5日 朝刊

 【北京=平岩勇司】学生らの民主化運動を武力弾圧した一九八九年の天安門事件から二十年の四日、中国政府は各地の抗議・追悼活動を規制し、最も敏感な節目を乗り切った。だが、地方政府の腐敗や経済格差に対する民衆の不満は高まっており、当局は今も事件の再燃におびえている。

 八九年の学生運動を幅広い市民が支援した背景には、官僚の腐敗や経済格差の問題があった。その構図は現在、より悪化しており、地方の暴動、抗議行動は年間十万件近くに達している。

 昨年六月末、中国指導部に衝撃を与える事件が起きた。最貧困地域の貴州省甕安(おうあん)県で、殺人事件をめぐる警察の捜査に不満を持った民衆数万人が暴徒化し、政府庁舎や共産党の建物を放火した。

 中国筋によると、事件を聞いた胡錦濤国家主席は「警察の問題で、なぜ政府や党を襲うのか。全く理解できない」と驚き、調査を命じた。その結果、「不満を持つ民衆はどんな理由でも火が付く。乾いた薪(まき)にガソリンをまいた状態」との認識に至ったという。

 昨年十一月には重慶市でタクシー運転手の大規模ストライキが発生。計画には民主活動家が関与していた。関係者は「知識人が関与すれば民衆の暴徒化を防げる。当局にもプラスになる」と話すが、当局にとっては今も、知識人の指導と民衆の不満が直結することこそ、「八九年の再現」と恐れる事態だ。

 胡錦濤政権は昨年末から今年にかけ、「抗議行動への武器の使用は控える」「幹部は民衆の不満を常に聞く」との指示を矢継ぎ早に出した。今年十月一日の建国六十周年に向け、愛国主義教育も強化している。

 根本的解決には、三権分立や報道の自由こそが求められている。これを拒む共産党政権は、内部矛盾を抱えたまま、民衆の不満を吸収しようとしている。

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Bloomberg/海外サイト、解けぬ“戒厳令” 中国・天安門事件20年 情報統制続く - FujiSankei Business i./Bloomberg GLOBAL FINANCE
http://www.business-i.jp/news/bb-page/news/200906050021a.nwc

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2009/6/5

 4日朝、天安門広場が再び、人々に開放された。前日の夜は、1989年に起こった中国の民主化を支持する人々を弾圧した天安門事件の20周年を記念する活動を阻止するため、鉄製のフェンスが張り巡らされていた。

 ◆アクセスを遮断

 しかし、中国政府は依然として、中国から海外へのインターネットのアクセスを制限している。海外のウェブサイトが、中国に対する政治的な反対意見を表明するためのバーチャルな「広場」となっているためだ。

 米ハーバード大学バークマン・センター・フォー・インターネット&ソサエティーが管理しているプロジェクト「ハーディクト」の調査によれば、過去数週間に、米ソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)の「Twitter(ツイッター)」や米マイクロソフトの新検索エンジンサイト「Bing.com」を含む115のウェブサイトへのアクセスが遮断されている。同プロジェクトによれば、中国はこうした検閲を世界で最も行っている国だという。

 中国のメディアやインターネット産業の話題を中心に扱うブログサイト「ダンウェイ」の創設者ジェレミー・ゴールドコーン氏は「これほど大手のサイトが一斉に遮断されるというのは初めてのことだ。中国政府は、どんな混乱をも許したくないのだろう」と指摘。同氏は「今年は10月の建国60周年記念日まで、厳しい締め付けが続くだろう」との見通しを示した。

 ◆テレビ・新聞も検閲

 中国政府による検閲はインターネットだけにとどまらない。北京や上海では、米CNNの天安門事件関連のニュース映像が見られなくなった。香港のサウスチャイナ・モーニング・ポスト紙や英フィナンシャル・タイムズ紙などの新聞は、中国本土に輸送される段階で検閲を受け、天安門関連の記事は削除される。

 一方、中国共産党は国内のメディアすべてを管理し、中国に対して好意的でないと見なしたコンテンツ(情報の内容)を載せていたり、統治体制を批判したりするウェブサイトへのアクセスを遮断している。

 しかし、ウェブユーザーも負けてはいない。政府による監視の目をすり抜けるために暗号を駆使。たとえば、天安門事件は「5月35日」「VIIV(ローマ数字の表記法で6と4=6月4日)」といった具合だ。

 香港中文大学(CUHK)のスクール・オブ・ジャーナリズム&コミュニケーションのジャック・キウ准教授は「インターネットは、他のメディアと比べて管理が難しい」と指摘。「中国政府が100%ネット管理するのは不可能だ。利用者は規制の網をすり抜ける革新的な方法を見つけ出す」(Mark Lee)

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【外信コラム】北京春秋 未明の駅に武装警官 - MSN産経ニュース
http://sankei.jp.msn.com/world/china/090605/chn0906050311001-n1.htm

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2009.6.5 03:10

 最近、東北地方から汽車で北京に戻った中国人の友人の話だ。

 5月末のこと。満員の乗客を乗せた列車が午後1時過ぎ、遼寧省の錦州という駅に停車し、何の説明もないまま動かなくなった。乗客たちは何度も問い合わせたが、駅側は「上からの発車許可がおりない」の一点張り。「北朝鮮へ行く貨物列車の通過を待つための停車では」と推測する駅員もいたが、真偽は最後まで不明だった。

 約5時間後にようやく発車し、終点の北京駅に着くのは予定時刻の午後9時40分を大幅に遅れることが確実。このため乗客は車掌に猛抗議し、謝罪のみならず損害賠償すら求めて激高する者もいた。「北京に着いたら上司が対応します」と車掌は平謝りだった。

 翌日の午前3時ごろ、列車が北京駅に着くと、外を見た乗客は驚いた。プラットホームに数百人の武装警官が整然と立ち並び、到着を待っていたのだ。「乗客が暴れ、衝突が起こるかもしれない」という駅側の要請を受け駆けつけたとみられる。この光景に恐れをなした乗客たちは一瞬にしておとなしくなり、黙って駅を出たという。

 「よくあるトラブルなのに、こんなに大勢の武装警官を動員する必要があるのか」とは友人の感想だ。天安門事件20周年を迎えた共産党指導部は、社会の安定維持を優先し、些細(ささい)なことでも警察力を行使する。それでは民衆の不満は逆にたまる気もするが…。(矢板明夫)

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またまた何ですかなこの記事は…

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レコードチャイナ:<天安門20周年>中国政府は今や問題視していない―米大学教授
http://www.recordchina.co.jp/group/g32077.html

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モバイル版URL : http://rchina.jp/article/32077.html
2009 年6月3日、中国問題に詳しい米南カリフォルニア大学(USC)のスタンレー・ローゼン(Stanley Rosen)教授は89年の天安門事件に対する中国政府の姿勢について、「当時ほど問題視しなくなった」と指摘した。米華字ニュースサイト・多維新聞網が伝えた。

ローゼン教授は「事件の名誉回復は当分あり得ない」とした上で、20年前と比較して中国政府の態度は随分軟化したと指摘する。先月、事件で失脚した故趙紫陽(ジャオ・ズーヤン)元総書記の回顧録が出版されたが、政府の対応は予想以上に冷静だった。「経済発展の成功から来る自信」と同教授。豊かな生活を手にした国民から支持を取り付け、「過去の事件」と割り切る若い世代に当時のようなイデオロギーはない。国民の関心は役人の腐敗といった「それよりもっと腹が立つ事件」に寄せられている。もはやそこまでピリピリする必要はないということなのだろう。

中国政府は事件を通じて多くを学んだ。「当時の学生が盲目的に西洋を崇拝し、自国政府を批判したのは、政府が情報を一切封じ込めたせいだ」と同教授。事件後は国民が海外と接触する機会が大幅に増え、カラオケやバーなども解禁された。同教授は「情報統制はいまだに続いている」としながらも、「海外への門戸が開かれたことで中国人は己を知ることが出来た。それがかえって中国にとってプラスになった」と指摘した。(翻訳・編集/NN)
2009-06-05 08:50:46 配信

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天安門20年 民主化に不断の努力を(6月5日)−北海道新聞[社説]
http://www.hokkaido-np.co.jp/news/editorial/169536.html

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 学生たちの民主化要求を中国当局が武力で封殺した天安門事件から4日で20年を迎えた。

 北京の天安門周辺はきのう、厳重な警戒態勢が敷かれ、武装警察官が出動する物々しい雰囲気に包まれた。

 中国政府は事件を一部不満分子による「動乱」と位置づけ、いまなお真相を明らかにしていない。

 中国はこの間、驚異的な経済発展を遂げ、世界経済のけん引役として期待される大国に成長した。

 中国が国際社会から真に信頼される国家となるには、事件を風化させることなく、社会の民主化を推し進めなければならない。

 事件は1989年、改革派指導者だった胡耀邦・元中国共産党総書記の死去をきっかけに起きた。

 追悼する学生たちの行動が民主化要求のデモとなって全国各地に波及し、天安門広場では人民解放軍の発砲で流血の惨事となった。

 犠牲者は当局発表で319人。だが、正確な数字は分からない。

 事件後、中国は改革開放路線に大きくかじを切った。国内総生産(GDP)は20年間で約20倍に拡大し、2007年にはドイツを抜いて米国、日本に次いで世界3位となった。

 外交・軍事面でも、中国の存在感は増すばかりである。

 大国の道を歩む一方で、民主化はどれほど進展しただろうか。

 国内には3千人を超す人権活動家やジャーナリストたちが拘束されていると伝えられる。

 事件当時、学生らを支持したとして失脚した趙紫陽元総書記(05年死去)が軟禁中に録音した発言集が今年5月、当時の活動家らによって香港と米国で出版された。

 趙氏は事件当時、経済に偏り過ぎた政策を批判し、「中国の近代化には議会制民主主義の導入が欠かせない」として政治改革の必要性を強く訴えていた。

 国内では中国共産党幹部らによる汚職や腐敗が広がっている。

 経済発展の陰で、都市部と農村部の格差は拡大するばかりだ。一党支配のゆがみも見て取れる。

 中国指導部には、国内外の批判の声を真摯(しんし)に受け止め、矛盾を抱えた中国社会の変革に取り組んでもらいたい。

 これまで中国に対し民主化を強く要求してきた欧米諸国は、最近そのトーンを弱めつつある。

 経済危機に直面する中で、巨大な中国市場をにらんだ利益優先の思惑があるとすれば問題だろう。

 中国が発展し、より民主化された社会に移行すれば、その恩恵は中国自身と日本を含めた国際社会に及ぶ。そのことを忘れてはならない。

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中日新聞:「天安門」20年 北京厳戒 中国政府、事件に言及せず:国際(CHUNICHI Web)
http://www.chunichi.co.jp/article/world/news/CK2009060502000149.html

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2009年6月5日 朝刊

 【北京=平岩勇司】民主化運動が武力弾圧された天安門事件から20年を迎えた4日、中国政府は事件について一切言及せず、抗議行動を警戒し北京市内に厳戒態勢を敷いた。犠牲者の遺族や一部の知識人は今も事件の真相究明と再評価を求めているが、政府は民主化運動を「反革命暴乱」とする姿勢を変えていない。

 中国は急激な経済成長により国内総生産(GDP)世界3位に躍進したが、一方で、共産党独裁下での社会の安定を最重視。欧米諸国の多党制や三権分立を導入しない方針を貫き、1989年に学生らが求めた政治改革は停滞している。

 最近は金融危機に直面する欧米諸国が中国との経済関係を一層重視し、人権批判を控えていることも余裕を与えている。

 北京の警察当局は3日深夜、軍の発砲で死亡した学生の遺族の外出を制止。死亡現場での追悼を認めなかった。20年前に学生が集結した天安門広場には4日、観光客とほぼ同数の警官を配備。抗議の焼身自殺対策の消火器も配置した。

 4日の中国外務省定例会見では、天安門事件をめぐる外国人記者の質問に対し、報道官は「1980年代末の政治風波(騒ぎ)については既に明確な結論を出している」と回答。クリントン米国務長官が3日、事件による死者の名簿公表などを求めたことも「内政干渉だ」と一蹴(いっしゅう)した。

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天安門事件絡みの質疑応答はHPからカット―中国政府 2009/06/05(金) 10:06:01 [サーチナ]
http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2009&d=0605&f=politics_0605_002.shtml

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中国政府・外交部はホームページで紹介している定例記者会見の質疑応答で、2日の会見では「天安門事件(第二次)」に関連する部分を削除して掲載した。

中国政府は2000年ごろからインターネットなどを利用した「政務公開」を奨励しており、外交部(中国外務省)も、記者会見や外交部声明、報道官発言などを文章化してホームページに掲載している。しかし、党・政府が「極めてデリケート」と判断する問題については、削除して掲載する場合がある。

2日の記者会見では、1989年6月4日に発生したいわゆる「天安門事件」の死者数についての質問などが続出したが、秦副報道局長は「共産党と政府はすでに明確な結論を出している」、「あなたの質問に対しては、すでに完全に答えた」などと、直接の回答を避けつづけた。

外交部が記者会見紹介のHPから削除したテーマとしては、2002年に遼寧省瀋陽市の日本総領事館に北朝鮮から脱出した家族(脱北家族)が駆け込んだ事件や、2008年の「毒ギョーザ事件」などがある。

外交部はかつて、記者会見の質疑応答の様子を「実録」として掲載していたが、現在は「実録」の文字をはずし、日付と担当報道官の氏名に続けて「定例記者会見を実施」とする見出しで掲載。本文冒頭には「質疑応答は以下の通り」と記述している。

写真は2日の記者会見で、エールフランス機の墜落に関する中国政府の対応について回答する秦副報道局長。中国新聞社が配信。(編集担当:如月隼人)

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まあちょっと、最後のシメが「…本気で言ってます?」な感じではありますが…
(いや、実は皮肉だったりするかも知れませんし…)

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天安門事件「メディアから消滅」 中国の民主化は進むか:私見「クローズアップ現代」 :J-CAST テレビウォッチ
http://www.j-cast.com/tv/2009/06/05042622.html

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2009/6/5

<テレビウォッチ> 1989年6月4日、民主化を求めて天安門広場に集まった市民、学生に対して中国政府は軍を出動させて武力鎮圧し、319人の死者(政府発表)を出した ――その天安門事件から20年目の日、クローズアップ現代は、「事件は中国にどのような影響を与えたのか、民主化運動の行方はどうなるのか」を探る。

番組は李大同というジャーナリストを登場させる。事件当時、共産党青年団機関紙の記者だった彼は、言論の自由化を求めるメディア関係者 1000人の請願書を政府に提出した。20年前を振り返ってこう語る。「党が軍隊を投入し丸腰の大衆を虐殺することは、いかなる国、時代においても間違いであり、犯罪だ。政治は妥協の芸術であり、対立ではない。最終的に両者が利益を得られるようにすべきだが、1989年は共倒れし、両者とも負けた」。

■ネット利用し大デモ組織

事件後、彼は記者の職を奪われ、共産党青年団が運営する研究所の閑職に追われる。

「当局は天安門事件をすべてのメディアから消滅させ、中国の歴史上なかったことにしようとしている」(李大同)。

この点についてスタジオの加藤青延(NHK解説委員)は「改革開放30年の中であの事件が最大の汚点だったことを中国共産党も自覚している。ただ、当時の指導者の判断が正しかったという立場を崩せない。共産党支配の正当性を否定しかねないからだ。しかし、武力制圧の正当性を声高に主張するのも共産党のイメージを悪くするので避けたい。事件を封印したい、人々の記憶から消し去りたいのが本音」と説明する。

歴史の表面から忌わしい事件を消去するためのように、政府が推進したのが経済の改革開放だった。2000年以降、8%を超える経済成長率を達成することに成功した。

一方で、経済の急発展は、環境破壊、貧富の格差拡大などの問題も招く。権利意識に目覚めた市民は黙っていない。アモイ市政府が住宅街の近くに石油化学会社の誘致を計画したときは、インターネットを利用した市民が大デモを組織し、市の計画を頓挫させる。最近、各地で起きているこうした抗議運動が、地方当局に対するものである限り『ガス抜き』として許容するのが中央政府の姿勢だと、加藤は述べる。天安門事件から得た教訓といえるかもしれない。だが、中国政府が天安門事件とまともに向き合う気配は見えない。そんな日はくるのだろうか。李大同はこう言う。

「中国の民主化の歩みはまだまだ時間がかかる。30年、50年、あるいは100年かかるかもかもしれない。毎日、1歩1歩、積み重ねるしかない。中国では短時間で大きく社会を変化させることは不可能なのだ」

やはり中国である。一ジャーナリストの悠揚たる物腰、物言いが印象的だった。

アレマ

*NHKクローズアップ現代(2009年6月4日放送)
http://www.nhk.or.jp/gendai/kiroku2009/0906-1.html#thu

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『グローバル・タイムズ』、#961の中国政府系英字紙ですね。

とすれば、政府系の広報機関でも天安門事件に触れる所はあるという事になりますが、それぞれの記事の特に後半を見れば明らかな通り、必ず印象操作の為の一文を潜ませており、それが発表の目的であると考えるのが自然かと思います。

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天安門事件:9歳だった男性「学校休みで嬉しかった」 2009/06/05(金) 14:07:43 [サーチナ]
http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2009&d=0605&f=national_0605_024.shtml

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国際問題専門の英字紙「GLOBAL TIMES」は天安門事件から20年を迎えた6月4日付で「学校が休みとなり、宿題もなくなったので嬉しかった」と北京市内のIT企業に勤務する男性が9歳だった当時を振り返ったコメントを掲載した。

中国紙が同事件について言及するのは異例。同紙は天安門事件から20年にあわせてインタビューを企画したが学者、官僚、ビジネスマンの多くから断られた。その中でIT企業でプログラマーをしている男性は「Li Xiang」との実名で取材に答えた。この男性は「両親は真剣な表情で中央電視台(CCTV)のニュース番組をみていた」と回想。さらに「私は少ししかみなかったが兵士の遺体を鮮明に覚えている」と語った。(編集担当:麻田雄二)

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天安門事件「中国人は議論避ける」 経済建設に集中 2009/06/05(金) 11:24:55 [サーチナ]
http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2009&d=0605&f=national_0605_019.shtml

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国際問題専門の英字紙「GLOBAL TIMES」は天安門事件から20年を迎えた6月4日付で「大半の中国人は20年前のきょう何が起きたか議論することを避けて自らのエネルギーや熱意を経済建設に捧げてきた」と指摘した。

同社記者が米ニューヨークにある中国民主党の拠点を訪ねたが小さなビルに入居しており、中国系住民から「こうした団体はかなり存在するが影響力の欠如から資金難に陥っているものが多い」との話を聞いたという。さらに住民らは「事務所さえ構えていないところもある。中国が経済的に発展を遂げるとそうした団体は以前と比べて支持者を集めづらくなった」と語った。(編集担当:麻田雄二)

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その他の天安門事件関連ニュース・論説。

中国国内で天安門事件批判、気鋭の学者が暗喩の詩発表 2009/06/05(金) 12:05:35 [サーチナ]
http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2009&d=0605&f=politics_0605_005.shtml&pt=large

グローバル・アイ:天安門事件と冷戦終結 欧州の人々に多くの教訓=西川恵 - 毎日jp(毎日新聞)
http://mainichi.jp/select/world/news/20090606ddm004070161000c.html

北京は今年も「雨」だった / 西日本新聞
http://nishinippon.co.jp/nnp/world/reporterseye/beijing/20090606/20090606_0001.shtml
香港すごいです。

「再評価」というワーディング自体に疑問があるのは確かですけれどね。

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最多の15万人参加 香港で天安門追悼集会 - 47NEWS(よんななニュース)
http://www.47news.jp/CN/200906/CN2009060401000969.html

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 【香港4日共同】天安門事件から20年の4日、中国政府に対し事件の再評価を求め、犠牲者を追悼する恒例の集会が香港島中心部のビクトリア公園で開かれ、過去最多の15万人(主催者発表)が参加した。

 1990年から毎年、市民団体が主催する同集会の参加者数はここ数年、主催者発表で4万〜6万人と低迷していたが、節目の今年は市民の関心も高く、参加者が大幅に増えた。

 5月の立法会(議会)で事件への見解を求められた曽蔭権行政長官が、事件後の中国の発展を称賛するなど中国寄りの答弁をし、自分の答弁は「香港人を代表する」と述べたため、市民が反発。集会参加者が増える一因になった。

 初めて集会に参加したという香港在住の女子学生(19)は「(学生の運動を)武力で弾圧する中国政府は許せないし、それにノーと言えない香港の行政長官は情けない」と話した。

 集会では、事件で民主化運動を支持し失脚した中国共産党の故・趙紫陽元総書記の肉声の録音も流され、参加者らがろうそくを手に黙とうした。
2009/06/04 23:37 【共同通信】

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NIKKEI NET(日経ネット):天安門事件20年、香港の追悼集会に15万人 中国本土は厳戒続く
http://www.nikkei.co.jp/news/main/im20090604IMC64001_05062009.html

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 学生らの民主化運動を中国政府が武力で弾圧した天安門事件から20年を迎えた4日、香港で犠牲者を悼む大規模な追悼集会が開かれた。参加人数は約 15万人と過去最多を記録。節目の年に市民の関心が例年より高まったことをうかがわせた。一方、中国政府は「1980年代末の政治的騒ぎ」との見解を変えず、事件の舞台となった北京の天安門周辺は厳戒態勢が敷かれた。

 香港の集会は市民団体が毎年6月4日に開催、中国国内で唯一の大規模な追悼行事だ。事件後に米国に逃れた元学生指導者も参加し、中国政府に人権の改善と民主活動家の釈放を要求。市内中心部の公園に集った市民がろうそくに灯をともし、犠牲者の冥福を祈った。

 集会参加者はこの数年、5万人前後で落ち着いていたが、今年は若い世代が駆けつけ、会場となったビクトリア公園は立すいの余地もない状況となった。(01:36)

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東京新聞:追悼集会に15万人参加 香港:国際(TOKYO Web)
http://www.tokyo-np.co.jp/article/world/news/CK2009060502000073.html

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2009年6月5日 朝刊

 【上海=小坂井文彦】天安門事件から二十年の四日夜、香港のビクトリア公園で、軍による武力鎮圧で犠牲になった人々を追悼する集会が開かれた。

 毎年開催の集会はここ数年、四万〜六万人の参加にとどまっていた。二十年の節目の今年は、主催した市民団体「香港市民愛国民主運動支援連合会」の発表で、事件翌年の九〇年とほぼ同数の約十五万人が参加した。参加者はろうそくに火をともし、民主化要求の行動を続ける必要性を訴えた。また中国政府に事件真相の公表と、「暴乱」と位置付ける評価の見直しを求めた。

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中国:天安門事件20年 香港で追悼集会 ろうそく手に15万人が参加 - 毎日jp(毎日新聞)
http://mainichi.jp/select/world/news/20090605k0000m030146000c.html
http://mainichi.jp/select/world/news/20090605ddm007030108000c.html

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 【台北・大谷麻由美】香港のビクトリア公園で4日夜、天安門事件の犠牲者を追悼する恒例の集会が開かれた。事件から20年の節目とあって市民の関心は高く、主催の民主派団体によると、昨年の約4万8000人を大きく上回る過去最多の約15万人が参加した。集まった人々はろうそくを手に黙とうし、犠牲者の冥福を祈った。

毎日新聞 2009年6月5日 東京朝刊

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香港での集会に関するニュースの続きです。

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天安門事件から20年、香港で追悼集会 | 日テレNEWS24
http://www.ntv.co.jp/news/136999.html

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<6/5 8:32>

 中国の天安門事件から20年の節目を迎えたことを受け、香港で4日夜、犠牲者を追悼する大規模な集会が開かれた。主催者側によると、参加者は過去最高の15万人に上り、会場周辺はろうそくの明かりで埋め尽くされた。

 集会にはかつての学生運動のリーダーらも参加し、民主化を求める精神を受け継いでいくことを誓っていた。

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時事ドットコム:民主派集会に「15万人」参加=香港
http://www.jiji.com/jc/p?id=20090605092818-8096188

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中国の天安門事件からちょうど20年に当たる4日夜、香港で開かれた民主派の追悼集会。主催者の発表によると、参加者数は15万人と昨年の約3倍。1997年の香港返還以来、最大規模の集会となった 【時事通信社】

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天安門事件の再評価要求、香港で15万人集会 | Chosun Online | 朝鮮日報
http://www.chosunonline.com/news/20090605000025

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 中国で1989年に天安門事件が起きてから20周年を迎えた4日、日が暮れると、香港島のビクトリア公園にはろうそくを手にした市民が集まった。集会が始まった午後8時すぎ、詰め掛けた市民は「天安門事件を再評価せよ」「中国に民主主義を」などとスローガンを叫んだ。中国の領土で唯一、天安門事件を記念して20年間続いているろうそく集会だ。

 集会の司徒華・準備委員長が「今この瞬間、この場所には過去 20年で最大の15万人以上が集まった」と述べると、会場からは歓呼の声が上がった。続いて、当時学生デモの主役だった熊エンさん(41)が「天安門事件の再評価と中国の政治民主化を成し遂げよう」と叫ぶと、会場の数万本のろうそくが揺れた。

 しかし、北京の天安門広場では終日緊張感が漂うばかりで、事件の痕跡をうかがうことは難しかった。北京、上海など主要都市では天安門事件に関する報道が遮断されたままだった。CNNテレビが天安門事件に関する報道を行うたびに、テレビ画面が数十秒真っ暗になった。海外の新聞は天安門事件に関する記事が塗りつぶされたり、該当記事が切り取られた形で配達された。

 しかし、20年前の広場の主役たちは声を上げた。当時デモを主導した王丹さんはインターナショナル・ヘラルド・トリビューンへの寄稿で、「中国政府が天安門事件の価値を認め、被害者補償、海外亡命者の入国許可、政治犯釈放などの決断を下さなければ、悲劇の歴史を乗り越えることはできない」と主張した。

 クリントン米国務長官も3日の声明で、「中国は過去の暗い事件を公開的に調査し、死者や拘禁されたり行方不明になった人の名簿を公表すべきだ」と求めた。これに対し、中国外務省の秦剛副報道局長は4日の定例会見で、「米国の根拠なき主張は国際法と中米共同声明の合意に違反するものだ」と強く反発した。

香港=李恒洙(イ・ハンス)特派員

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香港在住の方からのレポートです。

あれから20年、香港ビクトリアパークにて | マネーキャスター小原隆子のマネー九龍 | Klugクルーク
http://www.gci-klug.jp/kowloon/2009/06/04/005651.php
天安門事件20年 “温度差”際だつ台湾と香港 - MSN産経ニュース
http://sankei.jp.msn.com/world/china/090604/chn0906042022014-n1.htm
http://sankei.jp.msn.com/world/china/090604/chn0906042022014-n2.htm

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2009.6.4 20:22

 【台北=山本勲】天安門事件20年を迎えた台湾と香港の“温度差”が際だっている。台湾では馬英九政権が中台の経済交流拡大を最優先して中国を刺激する言動を努めて控え、事件への市民の関心も風化しつつある。一方、香港では経済低迷や民主化の遅れなどへの不満も重なり、先月31日には約8000人の抗議デモが起きた。この違いは主権回復を終えた香港とこれから統一をめざす台湾に対する中国の政策、姿勢の違いを反映していそうだ。

 中米歴訪中の馬英九総統は4日、天安門事件20周年への所感を発表した。独立派からは「統一派」と称される馬総統だが、天安門事件についてはかねて参加学生を支援し、事件の再評価を求めるなど、一貫して厳しい姿勢を貫いてきた。

 しかし今回の所感では共産党政権へのあからさまな批判を一切控え、中国の「経済改革成功」や、「人権白書、国家人権行動計画発表」などの取り組みを肯定的に評価。中台間の「軍事・外交競争をやめ、法治や人権といった普遍的価値の競争にかえる」よう提案した。

 総統就任前とは様変わりの対応に独立派勢力からは「短期間の経済利益を求めて、民主や人権という最重要価値を犠牲にした」(蔡英文・民進党主席)、「反民主、反人権の本質を暴露した」(自由時報紙)などの批判が出ている。

 しかし天安門事件に対する台湾住民の関心は薄れつつある。台湾メディアはこのところ中国からの観光客や産業界の大型買い付け団到来を大々的に報道。中台交流を好感した株価急騰が住民の懐を潤し、馬政権支持率も半年前のどん底(20%台)から倍増の40〜50%台に回復している。

 一方、香港では逆に事件への関心が再び高まっている。31日の民主派市民団体主催の抗議デモの参加者は例年を上回った。事件で失脚した趙紫陽元総書記の回想録がこのほど香港で発売され、数万部規模の大ベストセラーとなっている。

 昨年半ばからの景気後退や民主化の遅れなどで市民の曽蔭権・行政長官への不満が高まっているところへ、同長官が事件の重大性を否定するような発言をしたことが火に油を注いだ。

 香港の今年1〜3月の域内総生産(GDP)成長率はマイナス7・8%と、台湾の同マイナス10・24%より落ち込みは低い。しかし今後は中台の三通(通商、通航、通信の直接化)実現で受けるダメージが懸念される。

 加えて中国が台湾統一工作を進めるために台湾へのさまざまな経済優遇策を講じる一方、すでに主権を回復した香港には政治的締め付けを強める傾向にある。このほど訪台した香港立法会の劉慧卿議員は「香港の言論の自由が大幅に後退している」と語り、台湾が「香港の二の舞いを演じないよう」警鐘を鳴らした。

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中国:天安門事件20年 台湾総統声明、武力鎮圧の批判はなし - 毎日jp(毎日新聞)
http://mainichi.jp/select/world/news/20090605ddm007030126000c.html

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 【台北・大谷麻由美】台湾の馬英九総統は4日、天安門事件から20年に合わせて声明を発表。中国政府に対し「歴史の傷跡には勇敢に向き合わなければならない」と述べる一方、総統就任以前に言及していた武力鎮圧批判はなくなり、昨年に続いて中国に配慮する内容となった。

毎日新聞 2009年6月5日 東京朝刊

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東京新聞:中国の人権取り組み一転評価 馬総統に批判集中:国際(TOKYO Web)
http://www.tokyo-np.co.jp/article/world/news/CK2009060602000076.html

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2009年6月6日 朝刊

 【台北=栗田秀之】台湾の馬英九総統が、中国の天安門事件二十年に当たって中国当局の取り組みを評価した談話に批判が集中している。

 五日付の台湾紙自由時報は、事件二十年に寄せた世界の主要人物のコメントを掲載。「公開での検証を」と注文をつけるクリントン米国務長官らの辛口の談話と並べて馬総統の談話を引用し、「恥ずかしくないのか」と痛烈に批判。蘋果日報も「中国をたたえている」と皮肉った。

 就任前の馬総統は、民主化運動への武力弾圧を厳しく糾弾してきた。同紙などによると、馬総統は台北市長だった二〇〇二年には「武器に頼って安定を維持する国は恥ずかしい」、総統選出馬表明後の〇七年には「中国の人権弾圧は全く緩まっていない」と発言。一貫して、事件の再評価が統一協議の大前提という立場だった。ところが就任後の昨年六月は一転して中国政府への批判を封印。今年に入ると、当局の姿勢を「人権問題に注意を払っている」と評価するまでに大きく変化した。

 それだけに、批判は野党からだけではなく、与党国民党の立法委員(国会議員)も「総統になっても態度を変えるべきではない」と声を上げるほど。馬政権寄りの中国時報にも「人権問題に心を砕く総統とは思えない」といった論評が掲載された。

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また漸くチベット関連ニュースです。
と思ったら中国政府の大嘘報道。恥を知れむかっ(怒り)

むかっ(怒り)むかっ(怒り)むかっ(怒り)むかっ(怒り)

習近平国家副主席 レソト外相と会談 - 中国国際放送局
http://japanese.cri.cn/881/2009/06/04/1s141428.htm

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2009-06-04 20:32:31 cri

 習近平国家副主席は4日北京で、レソトのケネス・ツェコア外相と会談しました。

 その中で、習副主席は「レソト王国が一つの中国の政策や台湾、チベットなどの問題で中国を支持し、四川大地震の被災地支援をしたことに感謝する」と述べました。

 これに対し、ツェコア外相は「インフラ整備、人材養成、教育、医療保健などの分野でわが国を支援してきたことに感謝する」と述べました。

(ジョウ&大澤)

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むかっ(怒り)むかっ(怒り)むかっ(怒り)むかっ(怒り)

チベット、環境保護対策で効果 - 中国国際放送局
http://japanese.cri.cn/881/2009/06/05/1s141476.htm

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2009-06-05 16:06:27 cri

 中国チベット自治区政府は5日午前、去年から実施されている環境保護対策に、効果が見られていると発表しました。

 それによりますと、去年、主な川や湖の水質が良好で、国の基準を満たしています。また、政府は2億3800万元(日本円でおよそ33億円)を拠出して、メタンガスや太陽光などクリーンエネルギーの開発を推進することにより、大気の質も良い状況を保っているということです。

 このほか、去年末までに、チベット自治区の森林被覆率は11.31%であり、湿地面積は全国で最も広い600万ヘクタール以上に達しています。(鵬・安藤)

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九博関連記事です。

イベント関連記事はこちら。
http://mixi.jp/view_event.pl?id=42268737&comm_id=7228

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チベット展入場10万人突破 九州国博 2人に記念品 / 西日本新聞
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/item/100564

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 九州国立博物館(太宰府市)で開催中の特別展「聖地チベット ポタラ宮と天空の至宝」(九州国立博物館、西日本新聞社など主催)の入場者が5日、10万人を突破した。

 10万人目は、大分市の会社員宮川真紀さん(39)と、友人の福岡市早良区の主婦神代美香子さん(42)。2人に三輪嘉六館長から記念品が贈られた。

 ともに仏像が好きという2人。「チベット文化の独特な雰囲気を楽しみたい」と宮川さん。神代さんは「じっくり仏像を見て、心を癒やしたい」と話した。

 同展には国家一級文物(国宝)36件を含む123件が展示され、そのほとんどは日本初公開。14日まで。

=2009/06/06付 西日本新聞朝刊=

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色彩 光浴び千変万化 錦の織物 来場者を魅了 龍村光峯さん作品展 九州国博 6、7日にトークも / 西日本新聞
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/item/100342

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 織物美術家の龍村光峯(たつむらこうほう)さん=京都市=の作品展「光の織物‐光峯の織物美術」(西日本新聞社後援)が、太宰府市の九州国立博物館1階ミュージアムホールで開かれている。きらびやかで、光によって千変万化する錦の織物約40点が来場者の目を楽しませている。入場無料。14日まで。

 宇宙に広がる星雲をイメージさせる「龍星雲錦(りゅうせいうんきん)」と題された作品は一見、黒と金、銀の3色しか使われていないように見えるが、光を当てると赤や緑、青、紫の絹糸が浮かび上がる。見る角度を変えると、それまで見えていた絵が消える作品も。

 同博物館で開催中の特別展「聖地チベット ポタラ宮と天空の至宝」にちなみ、絵や文字で仏を表現した最新作「錦織金剛界種子曼荼羅(にしきおりこんごうかいしゅじまんだら)」も展示されている。

 会場ではバッグや帯、ネクタイ、財布などの小物を販売。6、7日の午後2時からは龍村光峯さんのギャラリートーク(無料)がある。

=2009/06/05付 西日本新聞朝刊=

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雑談トピと迷いましたが、先日6月3日に発売されたビョークの『ヴォルタイック(DVD付)』のDVDディスク1の最終曲「ディクレア・インディペンデンス」で、客席で多数のチベット国旗が掲げられているのがばしばし映ってます。ちなみに2008年にパリの武道館のような会場でのライブ映像です。
>>978 Mmcさま

耳寄りな情報有難うございます!!
パリのお客さんもやってくれますね!!!

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そして法王もパリで。

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ダライ・ラマ、パリ到着 「名誉市民」授与へ - MSN産経ニュース
http://sankei.jp.msn.com/world/europe/090606/erp0906062152008-n1.htm

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2009.6.6 21:49

 【パリ=山口昌子】ノーベル平和賞受賞者でチベット仏教の最高指導者、ダライ・ラマ14世が6日、パリに到着した。パリ市のドラノエ市長から7日に「名誉市民」の称号を受ける。

 ダライ・ラマは記者団に対し、称号授与は「名誉」と答えた。ダライ・ラマはフランスに先立ちデンマーク、アイスランド、オランダを歴訪。中国政府は新たに称号授与を非難したほか、ダライ・ラマの訪問先の国を「2国間関係の悪化になる」と非難している。

 フランスと中国は、サルコジ大統領とダライ・ラマが昨年、ポーランドで会談したこともあり一時、関係が極度に悪化した。ダライ・ラマは6日に支援を受けている国民議会(下院)議員グループや仏在住の中国人と会うほか、滞在中に「旧友、政治家、企業人、知識人に会う」と述べている。

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時事ドットコム:ダライ・ラマ、パリ名誉市民に=中仏間で新たな緊張も
http://www.jiji.com/jc/c?g=int_30&k=2009060700103&j1

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 【パリ7日時事】パリのドラノエ市長(社会党)は7日、フランス訪問中のチベット仏教の最高指導者ダライ・ラマ14世(73)に「名誉市民」の称号を授与する。ダライ・ラマをチベット独立派の頭目と見なす中国の反発は必至で、両国間に新たな緊張が生じる可能性がある。
 パリでは昨年4月、チベット住民抑圧に抗議する活動家らによる北京五輪聖火リレーへの妨害が発生。この後、市議会はダライ・ラマを名誉市民にするとのドラノエ市長の提案を可決した。
 これに対して中国外務省は「中国内政への乱暴な干渉で、中仏関係を著しく傷つける」と「断固たる反対」を表明。今年5月にも「パリ市が称号授与を強行すれば、必ずや中国人民の反対に遭うだろう」と警告したばかりだった。(2009/06/07-14:47)

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ダライ・ラマがパリ名誉市民に 中国の反発必至 - 47NEWS(よんななニュース)
http://www.47news.jp/CN/200906/CN2009060701000349.html

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 【パリ7日共同】パリ市は7日、チベット仏教最高指導者ダライ・ラマ14世に名誉市民の称号を授与する。ダライ・ラマを分離独立分子とみなす中国政府が称号授与の見送りを求めており、中国側の反発は必至。

 天安門事件20年で国際的に中国の人権状況に関心が集まる中での授与は、中国政府を一層刺激しかねず、今年4月に修復が図られた中仏関係が再び悪化する可能性も出てきた。

 ダライ・ラマは6日にパリ入り。7日はパリ東部の催事場で演説会を実施。パリ市長との会談が予定されているが、フランス政府関係者との接触は日程に上っていない。

 フランスと中国の関係は昨年12月、サルコジ大統領がポーランド北部グダニスクでダライ・ラマと会談したことで決定的に悪化。今年4月のロンドン金融サミットの際に、サルコジ大統領と中国の胡錦濤国家主席が会談し、関係正常化へ動きだした経緯がある。
2009/06/07 17:06 【共同通信】

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ダライ・ラマにパリ名誉市民授与へ…中国刺激は確実 : 国際 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20090607-OYT1T00575.htm

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 【パリ=林路郎】パリ市のベルトラン・ドラノエ市長は7日、ノーベル平和賞受賞者でチベット仏教の最高指導者ダライ・ラマ14世を同市役所に迎え、ダライ・ラマに「名誉市民」の称号を授与する。

 ダライ・ラマを「平和の擁護者」と呼ぶドラノエ市長が、市議会多数派の支持を後ろ盾に昨年、授与を決めたが、中国政府を刺激するのは確実だ。

 中国外務省報道官は先に、「パリ市がこの称号を授与すれば、いま一度、中国人民の断固たる反対に直面するだろう」と警告していた。

 フランスの国政最大野党・社会党の重鎮でもあるドラノエ市長の決定には、サルコジ大統領派の市議会内野党の一部議員が反対を唱えたが、市長が押し切った。仏政府は、パリ市の決定について外交政策とは「無関係」とし、対中関係悪化の回避を図っている。

 6日パリに到着したダライ・ラマは記者団に、「名誉なこと」と述べ、「昨年3月以来、私は、非常に古い民族・伝統(を持つチベット)が死刑判決を受けたと感じている」と中国当局による弾圧を改めて非難した。
(2009年6月7日19時17分 読売新聞)

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NIKKEI NET(日経ネット):ダライ・ラマがパリ名誉市民に 中仏間の新たな火種か
http://www.nikkei.co.jp/news/kaigai/20090607AT2M0700C07062009.html

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 フランスを訪れているチベット仏教最高指導者ダライ・ラマ14世が7日、パリ市のドラノエ市長と会談し、同市の名誉市民の称号を贈られる。ドラノエ市長は仏野党社会党の有力者で、これまでもダライ・ラマを支持する発言を繰り返している。中国側の反発が予想され、両国間の新たな火種となる可能性もある。

 パリ市議会は昨年4月、ダライ・ラマに名誉市民称号を贈る議案を可決していた。聖火リレーのトラブルを契機に、中国では仏製品の不買運動が広がるなど両国の関係は悪化している。サルコジ大統領は昨年12月、ポーランドでダライ・ラマと会談し中国政府の抗議を受けた。ダライ・ラマは今回の訪仏では政府関係者との会談予定はない。(パリ=古谷茂久)(21:04)

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asahi.com(朝日新聞社):ダライ・ラマにパリ市名誉市民の称号 中国は反発 - 国際
http://www.asahi.com/international/update/0607/TKY200906070209.html

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2009年6月7日21時37分

 【パリ=飯竹恒一】チベット仏教最高指導者ダライ・ラマ14世が6日、フランスに到着した。パリ市から7日、名誉市民の称号を受ける。中国は反発しており、両国間の新たな火種になりそうだ。

 仏中間では、サルコジ仏大統領が昨年12月にダライ・ラマと会談したことで政府間の関係が冷え込んだ。今年4月、仏側が「いかなる形式のチベット独立も支持しない」などと確認する内容の声明で双方が折り合い、関係改善がはかられたばかりだ。

 ダライ・ラマは今回の仏到着時に「強硬路線の政策をとっている」と中国政府を批判しており、中国側を強く刺激しそうだ。

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また人民網か

むかっ(怒り)むかっ(怒り)むかっ(怒り)むかっ(怒り)

チベット仏教の活仏のスペイン人、「もう信仰は捨てた」と告白―仏メディア
http://sankei.jp.msn.com/culture/academic/090607/acd0906070250002-n1.htm

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モバイル版URL : http://rchina.jp/article/32134.html
2009年6月3日、AFP通信は、ダライ・ラマ14世に活仏として認定されたスペイン人、トーレス氏の記事を掲載した。24歳になったトーレス氏はすでにチベット仏教の信仰を捨てているという。5日、人民網が伝えた。

1986年、ダライ・ラマ14世は生後14か月のトーレス氏を活仏の転生として認めたという。その後は父母と別れ、活仏と認められた他の子どもたちと一緒にインドの寺院で生活してきた。

多くの信者たちはトーレス氏のことを仏としてあがめているが、しかしその生活は苦渋に満ちたものだったという。ルモンド紙のインタビューに、トーレス氏は「(インドの生活は)わたしに大きな影響を与えた。常に強い怒りを感じて自分をコントロールできなくなった。彼らはわたしを家族から引き離して中世のような世界に放り込んだんだ」と答えている。

実は8歳の時に、トーレス氏は苦しい生活について語ったテープを母親へと送ったことがある。母親はトーレス氏を寺院から連れ出してくれたが、その後自ら戻ることを決意した。信者たちに仏としてあがめられていたことがプレッシャーになったためだという。

18歳になってから寺院を離れたトーレス氏はカナダやスイスに留学した。現在はスペインで映画について勉強している。しかし自分の経歴を映画にする気はあるかとの質問には、「いいや。わたしの生活はあまりにも複雑すぎて映画にはできない。伝記の出版はあるだろうけど、それもわたしが死んでからのことになる。そうじゃないと人の名誉を傷つけることになるから」と話している。(翻訳・編集/KT)
2009-06-06 18:25:59 配信

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【土・日曜日に書く】ワシントン支局長・山本秀也 - MSN産経ニュース
http://www.asahi.com/international/update/0607/TKY200906070209.html

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2009.6.7 02:49

 ■天安門事件解明へ新アプローチを

 ◆20年後のもどかしさ

 世界を震撼(しんかん)させた1989年6月4日の天安門事件から、20年の歳月が流れた。事件は4日未明の天安門広場制圧で終わったわけではない。ちょうど20年前の7日には、国際条約で身辺の安全を保障された外交官の住居である北京・建国門外の外交官アパートが、戒厳部隊に銃撃されるなど、騒然とした事態はその後も続いていた。

 当時、駆け出しの記者だった私は、残念ながら北京の弾圧現場には立っていない。応援のため派遣された香港で、女子学生指導者だった柴玲氏が逃亡中に録音した放送メッセージを書き起こすといった断片的な情報集めから、事件にかかわり始めていた。

 それだけに、20年がたった現在も、事件の全容が究明されていないことがもどかしい。事件の全体像を客観的に把握するうえで基礎データとなる犠牲者の規模すら、「319人」という中国当局の公式見解があるだけで、信頼のおける数字となると、皆無である。

 中国当局が事件の再評価に踏み込む気配すら見せない中で、20年の歳月は、事件の風化を懸念させるに十分な時間だった。中国とどう向き合うにせよ、20年前にアジアで唯一の国連安全保障理事会常任理事国の首都で起きた史上まれな「血の弾圧」と、その暴挙を当局がなお是認しているという事実は、絶対に忘れてはなるまい。

 ◆ニクソン・メモの一石

 20年の事件記念日が過ぎてみると、事件の検証を試みるうえで、今年の収穫は予想以上だったのではないか。失脚した趙紫陽元総書記の口述記録を含む貴重な回顧録が香港で相次ぎ出版されたほか、当時対中制裁の中核となった米国で、政権関係者らの記録類が開示された。回顧録の出版などがニュースとして報じられたことは、事件の風化を多少なりとも食い止める役割を果たしたといえよう。

 私が目を通した範囲では、ニクソン元米大統領のメモに残されたトウ小平氏に関する分析が、興味深かった。

 中国流にいえば、米中関係の「井戸を掘った人」であるニクソン氏は、天安門事件後、暗礁に乗り上げていた米中関係打開の糸口を探るため、89年10月に北京を訪れ、軍の統帥権を握る最高実力者だったトウ小平氏らと会談している。ニクソン・メモは、その結果をまとめて、11月に当時のブッシュ大統領に送られた。

 ニクソン氏の結論は、「トウ小平は影響力を失いつつある」というものだった。分析の当否はさておき、まずメモを紹介しよう。

 「トウは肉体的にはなお壮健であるものの、感覚の鋭敏さを欠いたようだ。聴力の衰えが深刻であるうえ、分析能力が弱まっている。中国は、その体制が必要とする影響力ある指導者を失った。また、トウも自分自身を抑制することができなくなっている」

 ニクソン氏との会談当時、トウ氏は85歳だった。パーキンソン病を患ってはいたものの、死去は会談からさらに7年あまり先の97年2月である。92年には、経済改革の加速を号令する「南巡講話」で守旧派を押さえ込むなど、最高実力者の地位を終生維持している。

 その意味では、ニクソン氏の分析は「的はずれ」の面もあったのだが、同氏がトウ氏に異変を感じた理由は傾聴に値する。

 「米中関係を仕切り直すためには、相互努力が必要だと私は言った。(中略)彼は相互努力という私の提案を拒絶したうえ、自分の側からは何も中米関係を傷つけることはしていないと言い張った」

 米中関係を傷つけたのは米国の制裁だとする反論は、トウ小平氏が事件後に繰り返した持論である。だが、感情を抑えるのに難渋し、相手の話には何度も割り込む一方で、話しかけた内容が口から出てこないトウ氏の反応を目の当たりにして、ニクソン氏は「トウが政策決定に関与を続けることは不安定な状況を招く」と指摘していた。

(続く)
(続き)

 ◆終わらない真相究明

 老人特有の現象といってしまえばそれまでだが、「人治の国」とされた中国で、ニクソン氏の指摘する異変が、トウ氏の判断力の上に起きていたとするなら、弾圧に至る情勢判断が適切だったのかを含めて、結果は重大だろう。

 在米の中国歴史家、宋永毅氏は最近の論文で、毛沢東の心理や精神状態が、文化大革命の発動などに与えた影響を考察している。

 「毛沢東研究には、理性に軸を置く側面に加えて、その非理性的な側面からの考察が必要だ」という宋氏の指摘は、トウ小平研究にとっても有益であるかもしれない。

 天安門事件の全容解明は、個々の基礎データに加えて、政治決断や軍命令の伝達過程、さらには、トウ小平氏その人への掘り下げた分析にまで枝葉を広げている。そうした解明への取り組みが、事件の風化を妨げるという成果につながることを祈ってやまない。(やまもと ひでや)

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興味深い記事です。やはり、こういう方もいるのですね。

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asahi.com(朝日新聞社):解放軍やめ民主化運動―第5部〈天安門記〉 - 国際
http://www.asahi.com/international/update/0607/TKY200906070012.html
http://www.asahi.com/international/update/0607/TKY200906070012_01.html
http://www.asahi.com/international/update/0607/TKY200906070012_02.html
http://www.asahi.com/international/update/0607/TKY200906070012_03.html
http://www.asahi.com/international/update/0607/TKY200906070012_04.html
http://www.asahi.com/international/update/0607/TKY200906070012_05.html

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2009年6月7日8時8分

 5月下旬、埼玉県八潮市の住宅街。タクシー運転手の辺寧(ピエン・ニン)さん(47)は20時間余の勤務を終えて帰宅した。午前4時過ぎだ。小学3年生の一人娘の寝顔を見てから、パソコンに向かった。

 辺さんは中国人民解放軍の元中尉である。いまは日本で民主化活動を続ける。

 米国や欧州などから50通近い電子メールが届いていた。天安門事件20周年の集会の予定や活動家の消息、意見交換……。中国国内からも来た。

 父は解放軍少将、母は共産党機関誌の幹部。84年、北京の名門大学を卒業し、解放軍に入った。軍系企業の武器輸出部門に配属された。

 89年春に天安門広場で学生の民主化運動が高まる。ハンスト学生たちを見て、「国を愛し、命をかけてよくしたいと思う気持ちは同じだ」と共感した。仕事の合間に頻繁に広場を訪れた。会社でカンパを呼びかけて食料を仕入れ、約20人の同僚と一緒に、軍のトラックを無断で使い広場に運び込んだ。

 6月4日未明も広場にいた。「ドッドッドッド」。重い音が広場に響いた。軍用機関銃だとすぐ分かった。「逃げろ」。学生たちに叫び、走り出した。目の前の女子学生が突然倒れた。懐中電灯で照らすと、白い夏服が真っ赤に染まっていた。頭を撃ち抜かれ、即死だった。「頭が真っ白になって逃げ続けた」

 軍から自宅謹慎を命じられた。「信じていたものがすべてガラガラと崩れた」。日本に留学中のいとこに日本語学校の入学手続きを頼み、公安局にいた中学の同級生に旅券を出してもらった。

 秋に来日。日本語学校に通いつつ、中国の民主化をめざす組織で広報紙をつくった。だが、組織はしだいに細り、広報紙も96年にやめた。

 上海出身の妻との間に生まれた長女は無国籍だ。中国大使館に国籍取得の手続きに行くと、活動をやめるよう求められた。苦悩したが、目の前で死んだ女子学生が忘れられず、応じないままでいる。

 家族で日本国籍を取得することも考えたが、踏み切れない。「中国が変わる時は必ず来る。その時に中国人として祖国に帰り、あの日に広場で見たことを人々に話したい」

 事件当時、日本でも数千人のデモがあり、日本に残った留学生も多い。だが、いまや表だって民主化を語る人は少数派だ。

 昨年、大阪で、かつての民主化運動のメンバーらが集まった。「遺産」の使い方を決めるためだ。

 天安門事件当時、関西の中国人留学生らでつくった「中国民主化支援連合会」に留学生や日本の市民からカンパが寄せられた。だが、中国の民主化運動は弾圧され、資金の送り先を失った。利子も含めて700万円余りになる。

 昨年になって、元リーダーの大学教授が、資金を四川大地震の救援金に使おうと提案した。同じころ、天安門事件の犠牲者の遺族団体がウェブサイトで犠牲者のリストなどを公表し、この遺族団体に寄付する案も出された。「カンパしてくれた日本人のためにも、目的を変えることは許されない」。メンバーは遺族団体への送金を支持した。

 四川送金を呼びかけた教授はその後、中国の名門大学の幹部に迎えられた。一方、遺族団体への寄付を支持した大学講師の余項科(ユイ・シアン・コー)さん(46)は「20年前の思いを忘れずに持っている」と語る。民主化へのこだわりは今なお多くの在日華人の胸に漂う。

(続く)
(続き)

■問い直す

 天安門事件とは何だったのだろうか。

 事件を題材にした小説「時が滲(にじ)む朝」で、中国人初の芥川賞作家となった楊逸(ヤン・イー)さん(44)は思う。「事件後、中国は経済に重心を置いて、めざましい発展をとげた。中国には中国にあった服がある。まず民衆の生活であって、民主主義とは限らない」

 楊さんも20年前、天安門広場に行った。留学中の日本でアルバイトしてためたお金で航空券を買った。学生リーダーの指揮所が置かれた広場中央の人民英雄記念碑に、日本の学生証を見せて入れてもらった。記念碑に登り、広場を見下ろした。見渡す限り民主化を求める人、人、人。

 「何でも小声で話さなければならないような社会の抑圧が一気にとれた爽快(そうかい)感を、生まれて初めて感じました」

 高校生の妹にも見せようと、故郷の黒竜江省に迎えに行った。だが、数日後に戻ると、広場には人影がなくなっていた。失望した。「一体広場で見たものは何だったんだろう」

 19年後の昨年、「時が滲む朝」を書いた。「人生で最も衝撃を受けた事件と向き合いたい」と思った。だが、事件への評価は避けた。「正しいとか間違っているとか評価する必要はない。それぞれの人が自分なりの見方を持てばいいのでは」と語る。

 決めつけない考え方には楊さんの人生観も絡む。日本での留学、仕事、結婚、子育て、離婚。「本当に大変だった。人間も物事も複雑で、単純に言い切ることは出来ないことを知りました」

 大勢の在日華人が北京や日本で89年の民主化運動を経験したが、20年の間に天安門事件や民主化への見方は変わってきた。歳月は中国を大市場にした。政治から離れ、ビジネスに力を入れてきた在日華人にとって、今の中国はチャンスにあふれる。

 画像処理などが得意の情報技術(IT)企業、サイバネットテクノロジ社(東京)の張林峰(チャン・リンフォン)社長(41)は、その技術を来年開催する上海万博の出展者に売り込み中だ。

 張さんも天安門広場に通った。軍が北京の中心部に入らないよう、他の人々と説得した。だが、軍は1週間後に突入、広場を制圧した。失望の中で国を出ようと思った。

 92年に来日。日本企業で技術を磨いた。99年に友人とサイバ社をつくり、多くの大手企業と取引する。「どんな主義であれ、国民を幸福にできれば、いい政党だ」

(続く)
(続き)

■やせ細る民主化組織

 天安門事件当時、東京での民主化活動のリーダーだった楊中美(ヤン・チョンメイ)さん(63)は、その年に生まれた長女との会話の中に20年の流れを感じる。

 四つの大学の非常勤講師を掛け持ちする楊さんは98年、家族で日本国籍を取った。大学生になった長女は、政府の強い指導力で、経済力と国際社会での影響力を増す「母国」を頼もしげにみつめる。

 「中国は弱者切り捨てだけど、国として強くなりやすい体制ではないか。一定の犠牲はしかたないかな、と思うこともある」

 楊さんは家庭で民主化運動をあまり語らない。だが、長女の言葉には「支配階級の理屈だ。独裁主義は一歩間違うと、民衆に甚大な災害をもたらす」と語気を強めた。

 81年に来日し、立教大大学院で学んだ。天安門事件の翌月、日本で雑誌「民主中国」を創刊し、政権を批判した。

 だが、中国の改革派が力を失うと、国外の運動もしぼんだ。92年から中国が市場経済化を加速すると、各国の政府や企業がすり寄っていった。「少なくとも経済面では、中国の現実が我々の理想の先を行ってしまった」

 仲間内のきしみや家族の負担も大きくなり、93年に「研究者として中国を客観的に観察する」と、運動から身を引いた。先月、党幹部が購読する中国の雑誌に論文を寄稿した。「党内民主」への取り組みを評価しつつ、「指導部は民衆に民主選挙の具体構想を示せ」と訴えた。

 20年前の運動について「理想や理念は間違っていなかった」と語る。「ただ、できることをふさわしい速度でやっていくべきだ」

 京都女子大などで非常勤講師を務める在日華人の男性(45)も民主化運動は正しかったと信じている。北京師範大大学院生の時に天安門広場でテレビの取材に答え、研究所責任者から批判された。留学が決まっていたのに旅券が発行されず、用意されるはずの省庁のポストもなかった。5年遅れで来日。日本に残り、日本国籍も得た。だが、老後に中国に戻ることも考え、政治活動には距離を置いている。

 民主化組織はすっかりやせ細った。89年12月、亡命した中国人がパリでつくった「民主中国陣線」の日本支部が約300人で結成された。しかし、「仕事に差し支える」「家族に迷惑がかかる」などの理由で参加者は減り、今では約40人だ。実際に活動しているのは15人ほど。2年前には二つに分裂した。「時間だけ過ぎて成果が出なければ情熱は冷めていく。理想だけで組織をまとめるのは難しい」とメンバーの一人は話す。(山根祐作、林望、浅倉拓也)

■大国化の光と影 見つめる人々

 一党独裁の強い権力のもとで、効率よく、国家の大目標を次々と実現する中国。北京五輪、宇宙開発、資源確保……。世界第2位の経済大国の座も近い。

 日本に住む中国出身者たちは発展する祖国を喜び、共産党支配を支持、賛美する人も多い。日本社会での少数派という存在ゆえに、プライドを感じる面もある。

 だが、天安門事件を知る世代は少々複雑だ。この事件のために日本に残った人や日本に来た人がたくさんいる。民主化が進まないまま発展する祖国をどう受け止めればよいか、それぞれが自分に問いかけている。

 現実的に対応し、故郷との間を行き来したり、中国に仕事のチャンスを求めたりする人々。少数ながら民主化運動をする人もいれば、社会福祉や環境の改善に携わることなどで中国を地道に良くしていこうとする人もいる。

 言論、政治活動、報道、宗教などの自由や人権をめぐる問題がしばしば起きる。国民の自由を制限しながら、世界の政治や経済に発言力を高める中国とどうつきあうか。日本や欧米諸国など多くの国が直面している課題だ。天安門世代の在日華人の考え方や行動は、その答えをたぐり寄せる示唆に富む。

 第5部「天安門記」はそうした華人たちの姿と、中国の民主化に対する日本社会の受け止めを伝える。(編集委員・五十川倫義)

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民主化への底流:中国・天安門事件20年/下 本土との距離、狭まる香港 - 毎日jp(毎日新聞)
http://mainichi.jp/select/world/news/20090607ddm007030117000c.html

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 ◇人々に風化の焦り

 「左派」「共産党のスパイ」。香港大学学生会(自治会)の前会長、陳一諤さん(20)は、こんな言葉を投げかけられた。4月に香港大学で開かれた天安門事件に関する討論会がきっかけだった。

 「悲劇の責任は学生と政府の双方にあったのでは」。会長だった陳さんは、当時の学生リーダーが理性的に判断すれば武力鎮圧を避けられたのではという疑問を呈した。発言はその場で強い批判を浴びた。学生会副会長の成暁宜さん(20)も「政府に問題がなかったとも受け取れる発言。驚きと悲しさを覚えた」という。

 2人とも事件の再評価や民主化を中国政府に求める立場は同じだ。しかし陳さんの発言は独り歩きし、メディアも加わった激しい中傷にさらされた。陳さんは学内での投票の末、会長を罷免された。

 事件が起きた89年当時、英国植民地だった香港は中国の民主化運動の支援拠点だった。97年の返還を控え、中国の民主化は香港の住民にとって重大な関心事であり、事件前後には50万〜100万人のデモも行われた。

 返還後も、天安門事件が起きた6月4日に毎年、追悼集会が開かれるなど、事件を語ることが事実上タブーとなっている中国本土とは一線を画している。

 だが、経済を中心に香港と中国本土との一体化が進む中で、中国側に配慮しているとみられる動きも目立つ。海外に亡命した中国の民主活動家の入境を香港当局が拒否するケースは後を絶たない。中国史の教科書は文化大革命(66〜76年)で終わっており、「学校で事件について教わることはなかった」と成さんは明かす。香港浸会大学の調査によると、胡耀邦元共産党総書記の追悼が事件に至る民主化運動の発端と理解していたのは、中国本土からの留学生が35%だったのに対し、香港の大学生は28%に過ぎなかった。

 風化する事件。89年に生まれた陳さんの発言に対する反発は、事件を忘れさせようとする有形無形の圧力を感じる人々の焦りを反映しているかのようだ。陳さんは「歴史から教訓をくみ取る態度が大事だと思う。だけど、多くの人にとって事件はまだ歴史ではなく、民主化運動として続いているのだと分かった」と肩を落とした。

 一方、事件当時、北京で取材した香港の時事評論家、程翔さん(59)は「今でも住民の6割が『事件の再評価は必要』と考えている」と語り、香港での民主化運動に対して期待を捨てていない。

 中国本土との距離が20年前とは比べものにならないほど狭まった香港。事件とどう向き合うべきかという重い課題を突きつけられている。【香港で大谷麻由美】

毎日新聞 2009年6月7日 東京朝刊

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(社説)天安門事件20年 経済改革の次は民主化だ - 山陽新聞ニュース
http://www.sanyo.oni.co.jp/sanyonews/2009/06/07/2009060709232697008.html

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 1987年に来日した中国人作家・楊逸さんの芥川賞受賞作「時が滲む朝」は、来日2年後に起きた天安門事件をモチーフにした作品だ。事件から20年。その歳月は、一人の外国人が母語でない言語で文学賞の頂点に立つことができるほどの長さだともいえるだろう。

 中国はその間に、国際的な影響力を飛躍的に増した。改革・開放政策が軌道に乗り、年平均10%近い経済成長で国内総生産(GDP)は日本の75%に達して世界3位の経済大国になった。貿易総額も30年前に比べると100倍以上に伸びている。

 だが、学生らによる民主化運動を武力弾圧した天安門事件について、中国共産党は今も「政治風波(騒ぎ)」と位置づけて正当化し、民主化は置き去りにされたままだ。

 事件は89年6月4日に起きた。胡耀邦・元共産党総書記の死去がきっかけだった。民主化を求める学生らが集まった天安門広場に戦車などが突入し鎮圧した。当局は死者を319人としているが、正確な数は不明。学生らと妥協しようとした趙紫陽総書記は、事件後失脚した。

 20年の節目に当たり、中国当局は天安門広場近くで追悼を行おうとした遺族を軟禁し、広場に多数の警官を配置する厳戒態勢をとった。また民主化運動主要メンバーとして指名手配され、マカオから中国への出頭を試みていたウアルカイシ氏を強制退去処分とした。

 こうした対処の背景には、貧富の差の拡大や党・政府官僚の腐敗の深刻化により、政治参加の道を閉ざされている民衆の抗議活動が急激に高まることに、当局がいかに神経質になっているかがみてとれる。

 小説「時が滲む朝」には、天安門広場に「我愛中国」「我要民主」の文字が躍る場面があるが、事件を「愛国民主運動」と再評価すれば、それを機に国民の党への不満が一気に噴き出しかねない懸念もあるだろう。

 中国国内では、事件の風化が進んでいるという。しかし、世界は当時の衝撃を忘れてはいない。クリントン米国務長官は、今も拘束されている人々の解放を求めるなど、中国政府に対して人権擁護と民主化を迫る声明を出した。日本政府も河村建夫官房長官が人権への懸念に触れ、人権問題への対応改善に取り組むよう求めた。

 経済改革の成功で五輪を経験し、来年は万博を開催する中国は、民主的な政治改革を遂げてこそ、名実ともに「超大国」と呼ばれるにふさわしい。

(2009年6月7日)

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「天安門20年」で来日の活動家、中国当局が入国拒否 関空に送還−北海道新聞[国際]
http://www.hokkaido-np.co.jp/news/international/170089.html

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「天安門20年」で来日の活動家、中国当局が入国拒否 関空に送還 (06/08 08:04)

 天安門事件20年にあわせ来日し、7日午後に成田空港から帰国を試みた中国人の民主化活動家・馮正虎さん(54)=上海在住=が、上海で中国当局に入国を拒否され、同日、関西国際空港に送還された。

 馮さんによると、中国当局から「天安門事件20年が過ぎるまで出国してくれ」と要求され、4月1日に来日。日本滞在中は、中国の民主化の現状を紹介するほか、4日に東京で開かれた天安門事件20年の集会では、中国が政治改革を進めるよう求める発言を行った。

 馮さんは7日に成田発の中国国際航空機で上海に向かい、午後5時に浦東国際空港に到着したが、中国当局から空港内の事務室で所持品検査を受けた後、入国を拒否された。理由について職員は「上司の指示だ」と答えたという。その後、関西国際空港行きの航空券を無料で渡され、馮さんは午後9時半に関西国際空港に到着した。

 馮さんは北海道新聞の取材に「合法的に出国した中国国民が帰国できないのはおかしい。再入国を試みる」と日本の入国手続きを拒否し、関西国際空港内にとどまっている。

 大阪入管関西空港支局は「中国政府の対応の理由は把握していない。速やかに入国手続きを行ってほしい」としている。馮さんは今年2月、上海の路上で警察当局に拘束。人権団体アムネスティ・インターナショナルが公正な司法手続きを求める声明を発表し、3月中旬に釈放された経緯がある。

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過去の経緯くらい、みんな知ってます。
本当の意味で先を見通そうとしなければ、わざわざこういうコラムを書く意味は薄いのでは。

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G2時代の幕開け:米中関係は攻守逆転=田代尚機 2009/06/08(月) 09:02:01 [サーチナ]
http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2009&d=0608&f=column_0608_002.shtml

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レッド・センセーション on サーチナ 第48回−田代尚機

  6月1日、GMが破産法適用を申請した。そのこと自体、ほぼ事前の予想通りであり、サプライズはなかったはずだ。しかし、為替相場は悪材料には大きく反応する典型的なベア市場と化している。先週の日曜日を挟んでドルの実効レートを示すドル指数は急落した。

  GM破綻の前後にあたるといったタイミング、つまり、5月31日から6月2日にかけて、ガイトナー財務長官が訪中した。オバマ大統領の代理として、胡錦涛国家主席、温家宝首相、王岐山経済金融担当副首相などと面談した。“オバマ大統領は中国が為替操作していると信じている。”年初、就任直前のガイトナー氏は、このように発言し、中国から強い反発を受けている。そうした経緯があるので、今回の訪中ではどのような発言をするのか非常に興味があった。

  しかし、結果は拍子抜けであった。6月4日は天安門事件後20周年にあたる。人権問題は話題にしにくかっただろう。もっとも、人民元、貿易不均衡などについては、米国は中国に対して何か要求してもよかったはずだが、実際にはほとんど触れられず、会議で一番注目されたのは、米国による経済の現状報告や今後の財政赤字削減計画の説明などである。

  もはや、G7ではなく、G2の時代である。金融危機以来、米中二国間協議が世界で最も重要だといわれ始めている。しかし、それは、アメリカが衰退し、中国が勃興することによって、二大国時代になることを意味しているのではない。依然としてアメリカは、経済力でも軍事力でも、世界で飛び抜けた存在である。どのように評価しても、現在の中国では、アメリカに遠く及ばない。

  中国は、世界最大の外貨準備高を持ち、世界最大の米国債保有国である。もはやアメリカは中国の協力なしには、財政は立ち行かない。ドルの安定は保てない。そのことがG2時代といわれるゆえんである。

  アメリカの弱点を露呈してしまったガイトナー財務長官の訪中であるが、幸いにも中国が米国との協力関係を強化する姿勢をみせたことから、3日以降、ドル指数はリバウンドしている。

  それにしても、中国はしたたかである。WTO加盟を契機に輸出を急拡大させる一方、巧みな外交戦略で人民元を割安なままに据え置いてきた。大幅な貿易黒字を累積すると同時に、ほぼ同じだけの米国金融資産を手に入れた。

  さらにいえば、ブッシュ政権の政策失敗によるところも大きい。金融危機を招く元凶となった金融資本主義の暴走を許したことはもちろんであるが、貿易、財政といった双子の赤字を大きく拡大させてしまった。

  一国に対して、巨額な貿易黒字とその結果となる巨額なドル資産保有を許すことが最終的にどのようなリスクにつながるのかに対する配慮が足りなかった。日本は外貨準備高で第2位、米国債保有額でも第2位である。しかし、安全保障条約によってアメリカの核の下で繁栄する日本と中国とでは根本的な違いがある。米国は圧倒的な軍事力を持つとはいえ、中国は核を保有し、外交上米国から完全に独立した国家である。

  今後の世界経済の再構築は中国が大きな役割を果たすはずだ。中国抜きには世界は回らない。(執筆者:田代尚機 TS・チャイナ・リサーチ(株)代表取締役)

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cf. コメント#979-980

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NIKKEI NET(日経ネット):ダライ・ラマが名誉市民に、パリ市長が称号授与 中仏関係悪化も
http://www.nikkei.co.jp/news/kaigai/20090607AT2M0701607062009.html

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 パリ市は7日、フランスを訪れているチベット仏教最高指導者ダライ・ラマ14世に同市名誉市民の称号を贈った。ダライ・ラマをチベット独立派の中心とみなす中国政府は称号授与に反発しており、両国の関係がさらに悪化する可能性がある。

 仏中関係は昨年4月のパリでの北京五輪聖火リレー妨害を機に悪化し、中国では仏製品の不買運動などが広がった。中国政府は今回の称号授与について「中国人民が反対している」などと5月に警告していた。

 パリ市議会は昨年4月、ダライ・ラマに名誉市民称号を贈る議案を可決した。ドラノエ市長は今回の件についてはパリ市の判断であり、仏政府とは無関係としている。(パリ=古谷茂久)(01:01)

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時事ドットコム:ダライ・ラマ、パリ名誉市民に=中仏間で新たな緊張も
http://www.jiji.com/jc/c?g=int_30&k=2009060800014&j1

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 【パリ7日時事】パリのドラノエ市長(社会党)は7日、フランス訪問中のチベット仏教の最高指導者ダライ・ラマ14世(73)に「名誉市民」の称号を授与した。ダライ・ラマをチベット独立派の頭目と見なす中国の反発は必至で、両国間に新たな緊張が生じる可能性がある。
 パリでは昨年4月、チベット住民抑圧に抗議する活動家らによる北京五輪聖火リレーへの妨害が発生。この後、市議会はダライ・ラマを名誉市民にするとのドラノエ市長の提案を可決した。
 これに対して中国外務省は「中国内政への乱暴な干渉で、中仏関係を著しく傷つける」と「断固たる反対」を表明。今年5月にも「パリ市が称号授与を強行すれば、必ずや中国人民の反対に遭うだろう」と警告したばかりだった。(2009/06/08-01:10)

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「ダライ・ラマに「名誉市民」授与、パリ」 News i - TBSの動画ニュースサイト
http://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye4152309.html

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 中国政府が中止を求める中、チベット仏教の最高指導者、ダライ・ラマ14世は7日、訪問先のフランスでパリ市から「名誉市民」の称号を授与されました。

 ヨーロッパを訪問中のダライ・ラマ14世は7日、パリ市役所に招かれ、ドラノエ市長から「平和のための闘いに敬意を表する」としてパリの名誉市民の称号を手渡されました。

 パリでは去年4月、チベット住民の弾圧に抗議する活動家らが北京オリンピックの聖火リレーを妨害。中仏関係悪化の引き金になりましたが、パリ市はそのさなかに「ダライ・ラマとチベット住民を支援する」として、名誉市民の称号を贈ることを決めていました。

 今回も中国政府は「内政干渉だ」として授与の中止を求めており、反発は必至と見られています。

 なお、フランス政府の要人はダライ・ラマとの面会を今回予定しておらず、今回の称号と政府は無関係であることの強調に努めています。(08日04:14)

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ダライ・ラマ、パリの名誉市民に 中仏関係は再び悪化へ - MSN産経ニュース
http://sankei.jp.msn.com/world/europe/090608/erp0906080825000-n1.htm

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2009.6.8 08:23

 【パリ=山口昌子】ノーベル平和賞受賞者でチベット仏教最高指導者、ダライ・ラマ14世が7日夕(日本時間8日未明)、パリ市庁舎でドラノエ・パリ市長から「名誉市民」の称号を授与された。ダライ・ラマを分離独立分子とみなす中国政府は、称号授与が決まった昨春以来、取り消しを求めるとともに、ダライ・ラマが訪問した国と中国との「関係悪化」を改めて警告しており、中国とフランスの関係が再び悪化する可能性が出てきた。

 ドラノエ市長は「人権擁護の市として名誉市民の称号を授与できて非常に光栄だ」と述べた。これに対してダライ・ラマは「人権擁護のために闘うすべてのチベット人の名において、この栄誉を受け取りたい」とあいさつした。

 ダライ・ラマは6日にパリに到着し、チベットを支援する国民議会(下院)の超党派議員グループと会見。7日にはパリ市内の催事場で講演を行った。授与に先立ち同日午後、記者団に対し、昨年3月のチベット騒乱に関し、中国政府によってダライ・ラマの信頼失墜キャンペーンが「大々的に組織された」と述べ、中国政府を強く非難した。

 フランスと中国の関係は昨年12月、サルコジ大統領がポーランドでダライ・ラマと会談したことで悪化したが、今年4月のロンドン金融サミットの折に、サルコジ大統領と中国の胡錦濤国家主席が会談し、修復が行われた。

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パリ市、ダライ・ラマ14世に名誉市民号 中国の反発必至 写真5枚 国際ニュース : AFPBB News
http://www.afpbb.com/article/life-culture/religion/2609377/4241019

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【6月8日 AFP】パリ(Paris)市は7日、欧州歴訪中のチベット仏教最高指導者ダライ・ラマ(Dalai Lama)14世に名誉市民の称号を授与した。ダライ・ラマは、ベルトラン・ドラノエ(Bertrand Delanoe)パリ市長から名誉市民の称号を授与され、「人間の価値、平和、非暴力を擁護する人間として、この名誉を受けとる」と語った。

 今回のパリ訪問によって、フランスと中国の外交問題が再燃する可能性もある。前年12月のニコラ・サルコジ(Nicolas Sarkozy)大統領とダライ・ラマとの会談以降、中仏関係はこじれており、フランス政府は現在、修復に努めている。

 中国政府はダライ・ラマをチベット分離主義者として非難。ダライ・ラマとのいかなる公式会談も、内政干渉だとする立場をとっている。また、訪問先の欧州の各国政府に対し、外交的報復も警告していた。フランス政府は、名誉市民号の授与について、国家の問題ではなく、純粋に地方自治体の問題だとの見解を示しているが、中国政府の反発は必至だ。

 ダライ・ラマは今回の欧州歴訪について、政治的なものではないとの立場を示しているものの、チベット人以外の中国の反体制派と会談を行ったほか、中国に対しての批判を強めている。(c)AFP/Ingrid Bazinet

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【書評】『なぜダライ・ラマは重要なのか』ロバート・サーマン著、鷲尾翠訳 - MSN産経ニュース
http://sankei.jp.msn.com/culture/books/090607/bks0906070900006-n1.htm

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2009.6.7 08:58

 ■チベットの神話から現代まで

 米国人として初めて、チベット仏教の僧侶となった著者は、コロンビア大学教授として多くの書を執筆している。

 活動は学界にとどまらず、チベットの窮状と文化の維持を訴え、俳優、リチャード・ギアらとニューヨークでチベットハウスを設立、米誌『タイム』の「米国で最も影響力のある25人」のひとりにも選ばれた。

 どうしたら、長年の懸案が解決できるのか。どうしたら、チベットを祖国とする人々が帰郷し、チベット系住民がすべて再統合された自治区で暮らすことができるのだろう。中国の胡錦涛国家主席と、ダライ・ラマに対し、それぞれが踏むべき5つのステップに本書の多くを割いて、具体策を掲げた。

 例えば、経済面の考察は「複雑で繊細な生態系を植民地的に管理すると、倫理的に破綻(はたん)し環境を破壊する。他方、チベット人が自由を享受し、中国下流域と世界各地から投資や技術支援を継続的に受け、伝統に裏付けられた直感にしたがって環境を管理すれば、もっと持続可能で利益のあがる経済を創出できる」。その具体例として、「アジアのスイス」のようなグローバルな金融業から、薬草の収穫まで、11の産業基盤を挙げる。

 中国にとって経済的恩恵があるだけでなく、世界のどの国にとっても重要な環境の保護と維持が、新生チベットの中で描かれている。

 諸策の根底にある著者の信念は、「ダライ・ラマは中国が恐れるべき敵ではなく、彼らの親友になりうる存在である」ことだ。背景には、43年にわたるダライ・ラマとの交流がある。講演での言葉や、学者らしい細かな注釈により、チベット神話から現代の諸問題まで網羅した、持ち重りのする一冊となった。

 「弾圧の中に生きながらも、チベット人たちの心はつねに自由であり、祖国の高原と強く結びあい、自由に自国の神話や歴史に思いを馳(は)せている」

 チベットと、四方に位置する隣人、中国、インド、トルキスタン、モンゴルの苦悩を日本も分かち合いたい。(講談社・1995円)

 評・牛田久美(文化部)

-unqte-
※中国からの反発は必至とFNN【動画あり】


チベット仏教最高指導者のダライ・ラマ14世、パリ市名誉市民の称号を受ける
http://www.fnn-news.com/news/headlines/articles/CONN00156751.html

チベット仏教の最高指導者、ダライ・ラマ14世は7日、パリ市名誉市民の称号を受けた。中国からの反発は、必至とみられている。
7日、市庁舎で行われた授与式で、ダライ・ラマ14世は「人権のために闘う全チベット人民を代表し、この栄誉を受け取りたい」と述べた。
そのうえで、ダライ・ラマ14世は「中国の人々と会話する機会があり、大変親密に理解しあうことができた」と、中国政府に対話を呼びかけた。
フランスでは、2008年にチベット独立運動支持者が北京オリンピックの聖火リレーを妨害、また、12月にサルコジ大統領とダライ・ラマ14世が会談したことで、中国とフランスの関係は悪化しており、今回も中国からの反発は避けられないとみられる。
かにたまさま、有難うございます!!

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私が貼らせて頂いたTBSさんのリンクが切れてしまいました。
こちらは大丈夫そうです!

「ダライ・ラマに「名誉市民」授与、パリ」 News i - TBSの動画ニュースサイト
http://news.tbs.co.jp/20090608/newseye/tbs_newseye4152309.html

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その他の関連記事、取り急ぎ見出しとURLのみですが一覧で。

ダライ・ラマ14世「パリ名誉市民」中国の反発必至 2009/06/08(月) 11:08:15 [サーチナ]
http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2009&d=0608&f=politics_0608_003.shtml

パリ市がダライ・ラマ14世に名誉市民称号 | 日テレNEWS24
http://www.ntv.co.jp/news/137174.html

NIKKEI NET(日経ネット):ダライ・ラマがパリ名誉市民に 中仏間の新たな火種か
http://www.nikkei.co.jp/kaigai/eu/20090607D2M0700C07.html

パリがダライ・ラマに「名誉市民」授与、仏中関係の火種に | ワールド | Reuters
http://jp.reuters.com/article/worldNews/idJPJAPAN-38446120090608

NIKKEI NET(日経ネット):ダライ・ラマが名誉市民に、パリ市長が称号授与 中仏関係悪化も
http://www.nikkei.co.jp/kaigai/eu/20090607D2M0701607.html

ダライ・ラマ:パリ名誉市民に 中国は撤回求める - 毎日jp(毎日新聞)
http://mainichi.jp/select/world/europe/news/20090609k0000m030133000c.html

時事ドットコム:中国、パリ市に「強い不満」=ダライ・ラマへの名誉市民授与
http://www.jiji.com/jc/c?g=int_30&k=2009060800942

U.S. FrontLine:ダライ・ラマ名誉市民に パリ市、中仏関係影響も
http://www.usfl.com/Daily/News/09/06/0608_011.asp?id=70462

中国、ダライラマへのパリ名誉市民称号付与を「仏との関係妨害」と批判 - MSN産経ニュース
http://sankei.jp.msn.com/world/china/090609/chn0906090125001-n1.htm
誰が何て言ったって?

むかっ(怒り)むかっ(怒り)むかっ(怒り)むかっ(怒り)

ダライ・ラマへの「パリ名誉市民」授与に華僑ら反発 - 中国国際放送局
http://japanese.cri.cn/881/2009/06/08/1s141583.htm

-qte-

2009-06-08 19:04:30 cri

 フランス・パリのドラノエ市長が7日、ダライ・ラマに名誉市民の称号を授与したことに対し、現地の華僑や華人、中国人留学生らが反発しています。

 7日午後、中国の留学生たちはエッフェル塔付近に集まり、抗議活動を行いました。主催者側は、フランスの一部の政治家に対する不信感が一層強まったと述べました。

 パリ大学の中国問題専門家ピエール・ピカール氏はこの抗議を支持する意を表した上で、「ダライ・ラマは、フランスを訪問したほかの宗教関係者と違い、今回の訪問には政治的狙いがある。彼に名誉市民を授与するのは賢明なことではない」と批判しました。

 フランスのメディア関係者アブデラ・オウアハビ氏は「ダライ・ラマは完全に政治人物であり、彼はチベットを中国から分離するのを目指している」と指摘しました。(鵬・安藤)

-unqte-
"中国のへき地での電力設備を整備"という事は…?

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時事ドットコム:人権と中国民主化へ100万ドルの支援計画=米ジェンザバー〔BW〕
http://www.jiji.com/jc/c?g=int_30&k=2009060800108

-qte-

 【ビジネスワイヤ】学生の活動と教育を支援する米慈善団体ジェンザバー財団は、人権の擁護と中国の平和・民化の支援を目的として、100万ドル規模の支援を行うと発表した。1989年の天安門事件の元学生リーダー、柴玲(チャイ・リン)氏が、天安門事件被害者の救済、世界各国での人道的活動への支援、中国民主化の実現などを含む5カ年計画を発表した。同財団は、事件後に渡米した柴玲氏が創設したジェンザバー社からの財政的支援を得て設立され、これまで中国内の孤児に対する人道支援や、中国のへき地での電力設備を整備する活動への支援を行っている。
 【注】この記事はビジネスワイヤ提供。英語原文はwww.businesswire.comへ。(2009/06/08-09:42)

-unqte-
「6・4」と「2・28」 / 西日本新聞
http://nishinippon.co.jp/nnp/world/reporterseye/taipei/20090608/20090608_0001.shtml

-qte-

2009年06月08日 12:30
 中国や台湾で「6・4」と呼ばれる天安門事件の学生リーダーだったウアルカイシ氏と王丹氏に、台北で取材した。40代になった彼らの風ぼうの変化に20年の月日を感じたが、祖国民主化への思いは冷めておらず、悲壮感も漂っていた。

 台湾では日本統治が終わって間もない1947年、中国からやってきた国民党政権が、役人の横暴に抗議する民衆を武力弾圧、処刑した「2・28」事件が起きた。それから約40年間、一党独裁下で「2・28」を語ることはタブーだった。

 台湾映画「悲情城市」(侯孝賢監督)によって「2・28」に光が当てられたのは、天安門事件の起きた89年のことだ。いま、台湾には2・28記念館があり、2月28日は休日となっている。歴史は闇に葬られなかった。

 「6・4」を「反革命暴乱」と断定した中国当局の姿勢は今も変わらず、民主化運動は厳しい状況にある。だが、「6・4」が「2・28」と大きく異なるのは、映像を通じて世界の人々が目撃し、記憶していることだ。

 中国でも「6・4」を公に語れる日はきっと来る。元学生リーダーたちは、そう信じて、国際社会の関心に期待をかけている。

-unqte-
貴重なレポートの一つです。色々なことが読み取れますね。

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私が体験した「天安門事件」―北京1989.6.4(1) 2009/06/03(水) 20:32:00 [サーチナ]
http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2009&d=0603&f=column_0603_006.shtml

-qte-

■6月4日早朝の北京、くすぶるジープも

1989年6月4日、天安門事件は発生20周年を迎える。私は当時、留学生として北京市で生活していた。正確に言うと、5月末には大学の授業もなくなってしまい、「いても仕方ない」ということで地方に出かけた。

「どうも北京の様子がおかしい」との情報が伝わり、夜行列車に乗って北京駅についたのが6月4日早朝。街はひっくり返っていた。荷物をかかえていたが、タクシーなぞ1台もいない。バスも動いていないようだ。そこで、駅の近くで見かけた、行商人らしいじいさんに「自転車の後ろのリヤカーに乗せて運んでくれないか」と交渉した。

かなり割高についた。要するに、ボッタくられたわけだが、まあ仕方ない。じいさんにしろ、「命がけ」だったろう。当局が後で、外国人を荷台に乗せる「商売」をしたことを知ったら、どんな取調べを受けるか知れたものではない。こちらも納得したことであり、文句は言えない。

ちなみに、私がいた大学は、市中心部の西城区にあった。天安門広場まで、自転車で15分ほどの距離だ。北京駅からは、天安門広場の真南を通って行く。じいさんが引くリアカーは裏通りを縫うようにして走った。ひっくりかえされ火をつけられて、くすぶっているジープもあった。軍用車らしかった。

■デモ発生直後に動きみせた北朝鮮大使館

話は4月にもどる。15日の胡耀邦死去が伝えられた直後に、「追悼のため」とするデモが発生。次第に、民主化を求めて政権を批判する政治運動の「素顔」が明らかになっていった。北京在住の外国人も、事態の発展に緊張した。

大使館の中で、真っ先に動いたのは北朝鮮だった。デモ発生直後に自国留学生を「保護のため」と称して、大使館に収容した。それを見た日本人は「要するに、学生運動を見せたくないんだろう」と言った。

私の知る範囲ではもう1人、素早い動きを見せた留学生がいた。香港から来た女性だった。彼女は中国での留学生活を始めた当初から、洋服だんすの上にトランクを置いて、パスポートや現金など中国から脱出するのに必要な一切を入れていた。

最初、その話を聞いたときには「いくらなんでも大げさすぎる」と思った。しかし、彼女の話を聞いて、中国系住民が置かれた過酷な運命に戦慄した。もともと、彼女の一家はもともとインドネシア華僑だった。中華人民共和国は成立当初、海外の有力華僑に帰国を呼びかけた。新しい国づくりに力を貸して欲しいというわけだ。

彼女の父親も祖国の未来を信じ、帰国した。ところが政治情勢が変わり、帰国華僑の多くが出国できなくなってしまった。彼女の父親も、そのひとりだった。一家は約10年間、離散状態になった。彼女の父親は、中国大陸で学びたいという娘の願いは受け入れたが、「いつ、いかなるときでも逃げ出せるよう、必要なものはすべてトランクに入れておけ」と厳命したという。

彼女は、胡耀邦追悼デモが政治的な動きになりそうだと分かったとたん、香港に戻った。同室者によると「じゃ、私は帰るから」程度の感じで、10分もたたずに出て行ったという。

■「竹下を見習え」と主張する学生

市民は当初、学生の動きに比較的冷淡だった。「政治運動は学生の病気さ」とまでいう大衆食堂の主人もいた。市民が運動を「熱烈支持」しはじめたのは、日付ははっきりと覚えていないが、「学生の代表がハンストを始めた」との知らせが伝わってからだ。「メシを食わないそうだ。本気だ」と言う人が増えた。天安門広場に向かってデモする学生の列に、売り物のアイスキャンデーを振舞う商店もあった。

危険をそれほど感じなかった時期には、デモ隊にまじって様子を見る日本人もいた。私も2、3度、出かけた。気のきいた文句のプラカードを掲げる学生もいた。「可惜総理、不姓周」というのがあった。「惜しいことに、総理の名字は“周”でない」という意味だ。当時の首相は李鵬氏。人気がなかった。「周恩来総理だったら、こんな騒ぎになる前に学生の言い分も聞いて、事態を収拾できたはずだ」との皮肉だ。

別の日本人は「向竹下学習!(竹下に学べ)」というプラカードを見た。何のことか、持っていた学生に尋ねたという。相手は地方から出てきた学生らしく、こちらが日本人とは気づかなかった。「竹下というのは日本の前首相だ。悪いことをしたので辞職した。責任をとったというのは、すばらしいことだ。中国の指導者も見習うべきだ」と説明したそうだ。(編集担当:如月隼人)

-unqte-
私が体験した「天安門事件」―北京1989.6.4(2) 2009/06/04(木) 10:54:12 [サーチナ]
http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2009&d=0604&f=column_0604_001.shtml

-qte-

20年前の今日、私は北京にいた。日本で天安門事件、中国では六四暴乱などと呼ばれる事件の渦中だった。当時、直接見聞きしたことをご紹介する。簡単なメモや記憶に頼っている部分が多いので、多少は不正確かもしれないが、重大な間違いはないはずだ。写真は6月5日に、北京市内の民族飯店の近くで撮影。

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■デモ参加者には、疑問も感じた

5月になり規模をますます拡大していたデモの参加者には、疑問も感じた。小学生を引き連れた教師がいた。判断力に乏しい子供に、自分の政治上の見解を押し付けてよいのかと思った。救急車で大通りを疾走してアピールする人もいた。窓から身を乗り出して民主化を求める旗を振り回している。まるで暴走族だ。それはともかく、「“赤十字”は絶対中立ではなかったのか」と、いぶかしく思った。

ただ、それはデモ参加者の本質的問題点ではなく、むしろ「慣れていないのだなあ」との感じが強かった。もうひとつ、当時のデモ参加者には現在の「抗議運動」参加者と決定的な違いがあった。外国人の共感を心から求めていた点だ。「西側諸国で定着した民主主義を中国も導入せよ」の主張なのだから当然と言えば当然なのだが、学生らに話を聞くと、「全面的に西洋化せよ」とは少々違う意見の意見者が多かった。

私が聞いた範囲では「西側諸国のすべてがよいとは思わない。しかし、よい点が多くあるのだから、早急に導入すべきだ。少なくとも、現在の共産党の方針は決定的にだめだ」などの意見があった。

■ゴルバチョフ訪中を期に市民の見方が微妙に変化

同じ大学の中国人学生も、連日のようにデモに参加していた。特に応援はしなかった。意見を聞かれたが、「中国の未来は、中国人が決めることだと思う。特に日本人の立場は複雑だから、事実を自分の目で見て、機会があれば他の日本人に伝えることにとどめたい」と回答した。相手は「それが最大の支持だ」と言い、私に握手を求めてきた。まあ、応援らしい応援といえば、デモに参加する学生に水筒を貸したことぐらいだ。

庶民の学生に対する見方が微妙な変化をみせはじめたのは、5月15日のゴルバチョフ訪中だ。中ソ対立に終止符を打つ、きわめて重要な外交活動だった。当初は天安門広場で歓迎セレモニーを行なう予定だったが、もちろん不可能だ。式典は空港で行なわれた。庶民の間から「学生は中国の面子をつぶした」との声が聞かれるようになった。もっとも、沈静化を狙う当局の誘導だったのかもしれない。

私は5月末には北京をいったん離れたので、6月4日までの市内の様子はよく分からない。ただ、5月中旬の時点で、NHKの国際放送(ラジオ)は「食料品を買い溜めする人が増え、商店の棚からは品物がほとんど消えた」などと報じていたが、私の知るかぎり、そんなことはなかった。店の様子は普段どおりだった。

後で聞くと、外国人が多い建国門あたりのスーパーでは、商品がなくなる現象があったという。建国門周辺だけを取材していたのかもしれない。

(続く)

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