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おさげクラブコミュの日本の「おさげ」の歴史

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 そもそも髪を束ね、それを下に垂らすという考えは全世界の古代社会において同時多発的に起こったのではなかろうか。そのあたりは「どこが最初か?」は判らない。実を言うと最近、長野県の縄文時代の遺跡から「髪を二つに分け、三つ編みにした土偶」が発掘されているのである。

参考
http://www.lcv.ne.jp/~johmon/syutudo.html

 古墳時代の埴輪には「みずら」と呼ばれる、髪を左右に分け、輪を作るような髪形が見られるが、これは男子の髪型であったようだ。

 平安時代の垂髪には一つに分けるもの、三つに分けるものの他に二つに分けるものも存在しました。垂髪は安土桃山時代あたりまで続きましたが、江戸時代に入ると髷が主流になってくる。

 日本の「おさげ」の復活は明治時代になってからである。明治18年、渡辺鼎氏の提唱により「婦人束髪会」が設立、「まがれいと」(三つ編みに結って折り返す)や「イギリス結び」が考え出された。これらは和服にも合うこともあってある程度普及したが、鹿鳴館時代の終わりと共にすたれてしまう。

 その後、「おさげ」は女学生の髪型として復活することになる。大正時代、それまでの着物と袴だった時代からセーラー服を取り入れるようになっていく過程において、和装と洋装の両方に合う髪型として三つ編みが支持されるようになる。まだ断髪(おかっぱ)に抵抗のあった人もいるようだが、昭和の初め頃には「おさげ」と「おかっぱ」は半々ぐらいになっていたようである。

 女学生の髪型としての「おさげ」が廃れたのは、やはり校則を緩めた事とも関係するようだ。しかし、現在ではファッションとしてそれを認める人もいるようである。


 固い文章になっちゃいました(笑)。

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