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三原順コミュの最終回のはなし

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「はみだしっ子」と出会ったのは小学校2年のときです。
それから20年近くたちますが、
私はまだあの、ラストシーンの意味が理解出来ません。
あれは、どういう意味なんでしょうか?

コメント(158)

グレアムは自分を法で裁いてほしかったのだと思います。でも殺したのはマックスだし死体を運んだのはアンジーだしことが公になればアルフィやシドニーにも迷惑がかかる。もし法でさばかれ罪を償えば罪人はその後は自由になれる分けだし、それ以上罪悪感に悩む必要はなくなる法の上ではね。でもグレアムにはそれができない。だからアルフィーが死んでことを公にしてもしなくてもどっちでもよくなったときトリスタンのみんなに「前のやつは立った一発の玉で簡単に死んでしまったのにね。」といえたわけなんじゃないかな。
グレアムはフェル・ブラウンから
「死んでください」って言われると信じ込んでたんですよね。
何故なら、グレアムだったらあの三人に危害を加えられたら、必ず相手を殺すから。
しかし被害者はチンケなチンピラで、被害者遺族は思いの外冷静で常識的で(いや普通そうだ。)、グレアムを赦してしまった。
この辺のグレアムの驚きと脱力感と荒れ方が、読んでて辛いです。


1999年で世界が滅びると思っていたから生きてこれたのに、どっこい世界はまだまだ続くじゃないか。そんな感じでしょうか。






だからこそ最後のグレアムの告白は、再び生きるための宣言と前向きに捕えてしまいます。

生きててくれ。
トピ上がったので、ついカキコ。

私の中では四人は永遠に歳を取りません。なぜなら作者も故人で、伝説になってしまったから。

ビリーの森・ジョディの樹が別のラストの構想があった様に、ひょっとしたらラストもひとつの意味合いでは無いのかも?

いまだ「はみだし者」感覚を日常でもひきづりながら、それだけではいけない、前に進まなくてはと思う自分。やはり青春のバイブルであった三原作品は永遠に心に灯ってます。
グレアムは、現時点の自分が人を殺したと(虚偽であれ)告白しても断罪されないという恣意的な不公正さ、を確かめるためにジャックに告白したんだという印象です。
リッチーの裁判の過程で最終的に確信して、自分でカタをつけようとしたけれどそれもさせてもらえなくて自閉して、最後はジャックに判断を預ける形をとるんだけれど、形式や動機はどうであれジャックもフランクファーターと同じように恣意的で公正でない判断しか出来ないのを承知の上でだったのではないかと思えます。

それが世の中というものだと上手に割り切れるのが大人だとすると、グレアムは大人ではないという事になります。グレアムは、幻想を幻想だと半ば気づいた上で尚且つそれを拠り所にして生きていこうとしているサーニンに一番シンパシーを抱いていて、それを回復前に手をとってもらって眠ることで表現しているように思います。
古いスレに 書きこんでしまいますが
今日たまたま見かけた ぺーじで

『コミックスの最終回はグレアムが「僕が殺した」と告白した所で終わってたと思います。
雑誌の最終回はどのようなものだったのでしょうか?』

と書いてらっしゃる方がいらしたのですが

わたしは雑誌のラストとコミックスのラストが同じだと思っていたのですが
雑誌には コミックス以後に書かれたページが存在していたのでしょうか?

私も 連載をリアルで読んでいて 「花とゆめ」も読んでいたのですが
あらためてこう聞かれてしまうと

え? え? え? 同じじゃなかったっけ?

と 気になり始めてしまいました

よろしかったら 答えを教えて下さい
このたび、初めて『はみだしっ子』を知り、コミックスを全巻持っているという近所の友達からお借りして、
ついに読み終わりました〜
\(^o^)/オモシロカッタ〜

今日までこのトピックは、表題は見えても開かずにいました。
ついにお邪魔しました〜

グレアムは責任感が強いんだな〜
サーニンはほんと優しいね。
アンジーもグレアムが大好きだったんだね。
マックスはいっつも可愛いね。
>>[130]

古いコメントのレスですみません。私もつれていってはリアルタイムで読んでましたが、コミックスでの書き直しはなかったように記憶しております。
他の文献みてもそれらしい記述はありませんし、その方は、ラストは本当は違っていたらしいと言う噂を勘違いされたのではないかと思います。
元々、三原先生は、アンジーがグレアムに向かって銃を構えるシーンで終わらせるつもりだったらしいですし。
>>[132]

レスありがとうございます
 
疑問が解決して すっきりしました 
ありがとうございました



>>[001]

グレアムってほんと心配だよね。
すっごく美しい心と、緻密な知性と、素敵な外見を持っているのだから、雪山での悲しい事件がマックスの手でなされていなかったら、
絶対みんなと一緒に幸せになってゆくと思う。
でもグレアムには、マックスの心を曇らせるなんてできない。マックスを笑顔にするって誓ってる。
それのためなら自分の精神がバランスを失うことや、生の意味を見失うことさえ受け入れて、決して引き返そうとか、こんなに自分が割りに合わないことを引き受ける必要なんかないやとは考えない。
なぜなら3人の幸せと笑顔こそグレアムの最も深い安らぎであり喜びだから。

かつてバラバラに行き場を失っていた同士が幼くして出会い、
この社会の中で生き延び、放浪し、一緒に泣いたり笑ったり怒ったりしてきた経験は、
グレアムの心に無二のものであり、宝物だったのだ。

プレゼントぴかぴか(新しい)
グレアムの話からは少し外れますが、「つれて行って」の最期の方で、サーニンが「おいで!!クークー」と言っている場面と、一番最初の「われらはみだしっ子」でサーニンが「メリークリスマス!!」という場面が対応しているなあと思っています。

「われらはみだしっ子」では恋人を待っていたサーニン(と他3人)が、「つれて行って」では恋人を迎える話になっていて、まるでかつての自分たちに向かって「おいで」と言っているかのようにも、わたしには見えるのです。

心を閉ざしたグレアムが、サーニンの広げた両手に戻ってくるような気がしなくもない、そうであって欲しいというのがわたしの希望です。
>>[135]

ああ、そういえば第一話の「われらはみだしっ子」(今、ぼくの手元にない)で4人は自分たちを幸せへとつれて行ってくれる人のことを「恋人」って表現してましたね!
ちょっと大人びた表現だなあって思いながらその時は読んでいたけど、
サーニンはほんと、クークーを今まであるとも思ってなかった幸せな世界に絶対つれて行ってくれる(いや、つれて行ったんだ!)「恋人」だったね。

サーニンとクークーの物語は、本当に素晴らしいものだし、
それを壊れないように壊れないようにって祈るように見守っていたのがグレアムでもありましたね。
>>[136]

グレアムは他の3人が幸せになるにはグレアム自身が幸せでなければならない、という単純なことが、なんで分からないんだ???と、あまりの歯痒さに地団駄を踏みたくなりますが(既に「階段の向こうには」でアンジーから口が酸っぱくなるほど言われたのに)、そこがグレアムのグレアムたる処でもあり、私は個人的に、彼のそんな部分を他人とは思えないです。

彼の、結局は独りよがりの責任感で他の3人を守ろうとするのがそもそも無理であったということを、作者の三原順は決してバカにせず(「あんまり奴のことをバカだバカだ言わないで。オレまで悲しくなる」というアンジーの台詞にも表れていると思います)、グレアムなりの切実さに最後まで寄り添っていたので、ああいうラストシーンになったのだと思うのです。
誰かが、どこかの掲示板に(今いくら探してもわからない・・・書いた人すみません)、

「最後のアンジーの原始人のコマは、『4人きりだった時代が過去のものになった』ということ」と書いてあったこと、このトピの「またアンジーは絵を描きながら、帰ってくる人をまた待てるようになった」と考え合わせると、
グレアムは3人の待ってる家に帰って来る、と思われます。

「はみだしっ子」が4人とも「はみだしっ子」でなくなったので、この話はお終いになった、という解釈が私にはぴったり来ます。
>>[139] 私も、グレアムも家が出来て、自分のなりたい夢にも気づいて、四人それぞれ落ち着くことができた、と思います。
両親ができて良かったです。
>>[139]

アンジーが絵を描きながら帰りを待てるようになった。それは眼から鱗が100枚くらい(笑)落ちた気がします。
笑って、五時にはかえってくるとって。そうですよね。
そしてグレアムは、ジャックに向き合って。
四人が本当に恋人と出会ったってことなんですね。
そう考えるとすごく幸せな気持ちになれます(*^^*)
『はみだしっ子』を愛した人たちが、どうかあの人も、あの人も・・・自分なりの幸せを見つけられますように。

>>[140]

どうか「4人が幸せになってほしい」、という希望をもたせる終わり方は、素晴らしいと思います。三原先生は私たち読者に、幸せについて、ずーっと考える幸せを与えてくれたのではないかと。
>>[141]

私も、このトピの12番目、TINKさんの「アンジーがまた絵を描いて帰って来る人を待てるようになった」という解釈を読んだ時には、眼から鱗が100枚以上落ちました。
「あの小さいコマは、そういう意味だったのか!」って。
そして、心の奥が、癒された気分になりました。
TINKさんに感謝です。

はみだしっ子読者、恐るべし!!!
>>[145]

ありがとうございます。
アンジーの絵のくだりは、自分の中ではみだしっ子史上最高の発見だったので賛同していただけてとても嬉しいです。

最終回から30年以上経つのに こんなにもたくさんの人に愛され続ける三原作品 恐るべし(*^^*)!!
>>[147]

本当に、史上最高の発見ですよ!素晴らしい謎解き!!
終盤はアンジーがあまりに可哀想なので、あのコマの解釈でとてもほっとしたのです。

ちゃんと三原先生は、アンジーにも幸せを与えてくれていたんですね。
>>[147]

今、改めて件のシーンを、というか少し前の牧師の事故の辺りから落ち着いて読み返してみたのですが、多分、大人になった今だからそう思えるのかもですが、ひとつひとつが腑に落ちたような気がします。
シドニーの言葉とグレアムの中にある抵抗。サーニンとの会話で得たもの。アンジーが理解したであろうこと。
うまく言葉に組み立てようとするのは難しいけれど、最後に約束の五時になったのは、全員が生きて夢や愛をもった証なのかもですね。
トリスタンで他人のいるところでグレアムが雪山事件を話したのは、証人が欲しかったのかな。ジャックにに逃げてもらわないためい。
奥が深い……ページ数として決して多くはないのに、その分エキスが濃縮されているみたいです。
>>[151]

久しく読んでないので 私ももう一度落ち着いて彼らに向き合ってみたくなりました。
時間を作ってじっくり読んでみますね("⌒∇⌒")
ジュン様々コミュが盛り上がってるこのタイミングにたまたま実家に帰省しました。
文庫版は自宅にあるのですが、久しぶりに子どもの頃買い揃えたコミックでじっくり読めると思っていたら

漫画本すべて処分されてました。

めっちゃ悲しい…
>>[153]

そ、それは悲しい!!泣き顔
まあでも今は、ネットでも読めるし、古本もあるので、どんまい。

私は文庫版を買い直した時に、何故20歳くらいで捨ててしまったのだろうと後悔しました。

でもきっとその時は、将来の夢に満ち溢れていて、自分の可能性も信じていて、
「はみだしっ子」が必要ない時期だったのかな〜なんて思いました。

大人の考えで読み返すには当時はまだ早すぎて、
今また読む時期に来たのだ、と思っています。

コミックスは全13巻、文庫本は全6巻。
サイズが小さくて読みにくいのと、
「雪山のエピソードは何巻だっけ」と思い出す時、ちょっとだけ面倒です。
>>[154]

そう!そこなんです。老眼には文庫版はキビシーイ(。>д<)

はみだしっ子に触れる時期…
その感じ解る気がします。
そして、今読み返したら自分はどう感じるのだろうかとワクワクしてきました。
>>[155]

まだ間に合うかも?復活祭の時期にヤフオクで良くコミックスが出品されていましたよ。私も歯抜けてしまっていたのを不良品込みで安かったのを落として揃え直しました。その不良品の巻は持っていたので。
そして現在、自室の本棚に文庫、愛蔵版、花ゆめコミックス版、語録が一角を占めています(*^^*)
ラストのところ。
何もかも投げ出した(もう死ぬことさえ諦めた)はずのグレアムが、「フランクファーターは嫌だ!」と叫んだところで、自分でも気づかなかった「生への執着」を表明してしまい、

ずーっと自分は死にたいと思っていたけど、本当は(本当の自分でいられるなら)生きていたいという気持ちがあった、と気づく場面は印象的です。

その後、少しずつ、自分の意思を口にし始め、サーニンに「傍にいて欲しい」と頼り、「出かける」「帰って来る」と言って・・・
最後の秘密を告白する。

うん、ちゃんと回復してきていると思います。

きっと、その後は多少の演技をしながらも、
本当の自分をうまく混ぜながら生きていく。
それは誰でもしていることだから、問題ないのではないかなー。

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