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春秋戦國コミュの樂毅論

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周の赧王の代、小国燕の昭王はかつて燕を亡国寸前にまで追いやった斉に対し復讐の機を窺っていた。しかし小国燕が大国斉に勝機を見出すには単独での攻略は不可能であり、燕の将軍樂毅は連合を結し斉へ当たることを進言、次々と各国を引き入れていった。

そして燕の昭王の二十八年(前284年)、ついに昭王は斉討伐の狼煙を上げる。樂毅は燕・趙・韓・魏・楚の五国連合軍の上将軍としての権を与えられ斉へと進行、濟西(濟河以西、現在の黄河以西の地区を指す。主戦場は現山東省陽信県付近)で斉軍に大勝した。その後、連合諸国が国許へ引き上げた後も燕は斉の攻略を続け、首都臨淄を含む七十余城を次々と陥落した。しかし即墨と莒だけは最後まで落とすことはなかった。

田単の堅固な守りを前に『落とせなかった』のか?

民の信を得るため『落とさなかった』のか?

皆さんの樂毅論をお聞かせください。

コメント(23)

なるほど、確かに抵抗の強い町を我攻めで落としたところで、こちらの損失も大きいですから、納得できますね。

一方で楽毅が斉に侵攻して昭王が死ぬまでの6年間進駐軍司令官としてどのような施策を統治で行ったのか興味がありますね。いくら後任の将軍が劣るとはいえ楽毅がいなくなるや田単はすぐさま城を全部取り返せたわけですから、

いずれにせよ連合軍という寄せ集めの軍を弛緩なく統率するのは並みの人間では出来ませんね。それだけ楽毅の人望が、あったということでしょうか。

でも、楽毅を左遷した昭王の後の恵王との確執とは何だったんでしょうか?
樂毅論ですか、そんな書物ありましたねー誰が著者だったんでしょう?

KZIさんの意見と同じ考えで、他に書く事が無いです。
とにかく、「士気の高い城に無理やり攻め込まない」のが良将の証だと思います。

ちょっと角度を変えて、斉攻めではなく将軍の交代を告げられての行動に付いて意見します。
大雑把に3つの選択肢があったと思います。

1.亡命
2.斉で独立
3.帰国

私は1が上策、2が中策、3が下策だと考えます。

1は、既に自分の力を世に示し、忠臣、英雄でかつ処世術にも長けている事になります。このタイプはほんとレアですからね。

2は、想像すると面白そうなのです。独立して斉王になるのは昭王の意志を汲む事になるかも知れませんが、それで樂毅が燕と戦っては本末転倒です。

3は、書かなくてもいいよね・・・約します(笑)
「民を思うのも大いに結構だが、あの時はちんたらせずにゴリ押しで二城を攻略すればよかったんだ。弱肉強食の世の中なんだから誰も文句なんか言わなかったはずだ。」は確かにあの時代では正論でしょうね。

信玄は城攻めでは硬軟を使い分けていたようですね。こちらの城では皆殺し、違う城では全員助命という具合でこれから攻める城に揺さぶりをかけたとか、、

「猟犬も猟が終われば煮て食われる」の喩えどおり、功臣が終わりを全うすることの難しさは白起や商オウの最後で良く分かりますね。話はぜんぜん違いますが史記などに良く出てくるあの時代の決まり文句?「唇滅びれば歯寒し」でしたっけ、けっこう笑える喩えですね(想像するとチト不気味)。

樂毅ほどの人望があっても恵王との確執は修復できなかったのか、そういえば「説難」「難」を著した韓非子も最後は始皇帝に殺されましたね。
はじめまして。
いきなりこちらから失礼します。
私は宮城谷さんの小説しか読んでないので、
その世界から抜けられていないのですが、
力づくでやって斉王に亡命されたりしたら、
諸国に燕を攻める理由を与えてしまうから、
とか思っていたのですが。
斉を完全に征服していたら、
その先は(政治的に)どうしていたのかなー
というのも興味津々です。

恵王は精神的に未熟な人が権力を握ることの
非生産的さをよく示していると思います。

それにしても、樂毅の下(下の下の下の下ぐらいでも)で
働いてみたいです。
樂毅自身が亡国の憂き目に遭ってその辛さを良く知っていたから、敢えて無理矢理落とさなかった、と言うのが僕が宮城谷さんの「樂毅」からの答えだったんですが、んー、やっぱちょっと甘過ぎますかね、いくら樂毅でも。

田単の堅固な守りを前に『落とせなかった』のか?
民の信を得るため『落とさなかった』のか?
これは小説ではちゃんとした回答をされてないですし、宮城谷さんが読者に投げ掛けている問なのかもしれませんね。
樂毅のように、自分で考えろ、って。
僕は燕側からはずれて他国側からも見ます

もし樂毅が斉を制覇したなら燕は、燕・斉の領土を得た大国になるわけなんですが、そもそも燕自体の兵力は単体で斉を落とす力はなかったとおもわれます。そんな状態で統一したなら領土を守るどころか逆に燕の存続まで危うくなりかねません。
どんな名将でも民の信頼無しでは力は発揮しません。樂毅が攻められなかった理由のひとつとしては有りかなと・・・

逆に他国と言うと、制覇した燕に連合(燕が斉に対したように)して領土を削る事が予想されます。大義名分もありますしね  燕の兵力を分散してこれを撃つ。十を以って一を撃つ(孫子)とはこの事です。

 これで判る様に燕は斉を獲ると燕自体が危ぶまれ、他国に力をつけさせるお手伝いさんになると予想されます
私は、落とすことが可能であったのに落とさなかったと思います

春秋戦国時代の城は日本の城とは異なり、一つの氏族で構成されている生産能力を持った都市です
従って、都市を占領してもできる限り無傷で生産能力を有した状態で確保しないと意味がない
都市を恒久的に確保するためには、占領後に住民(氏族)の協力を得る必要がある
協力得る為には無理攻めや敵国の君主を殺すことで反感を煽ることなど論外である

宰相の息子として生まれ、王佐の才を叩き込まれ、臨淄に遊学して故事を学んだ樂毅は、人を植えることこそ最も大切であると理解していたのではないでしょうか

実際に、占領したものの住民の反抗に手を焼き結局占領地を手放すとになったという話は多々あったようです
楽毅の手紙にはだいぶ心打たれました。
・功績を嫉む側近との確執
・本国の防衛のための兵力
・占領地の守備兵
・兵站の確保(占領地での挑発は反発を招く)
・各占領地の占領維持の困難

以上があると思います。
まぁ本当のところ斉という大国の大部分を手中にした樂毅に君主が危機感を抱く前に、燕の勇猛さを諸外国にみせつけ、斉への復讐を果たしただけで十分とし、斉を滅ぼして亡国の民の恨みを一身に受けることと天秤に乗せて比べてみれば、彼の行動がおのずと明らかになりますね。

もし彼にそれ相応の覇気があるのなら、自分の国を打ち立てるということをしても良かったのかもしれませんが、あの時代にそんなことなんて考え付くはずもないし…。

周を包囲し、王を脅迫し、諸侯にふさわしい爵位と、建国の勅許を与えてもらい、堂々と自分の国を打ち立てる。なんてことになったらおもしろいのにな
あえて落とさなかったと思います。
と同時に相手の田単にも高く評価します。戦国時代を代表する名将同士がにらみ合っては勝負もつかないでしょう。
 すごくはずしますが、古代ローマとカルタゴの名将、スキピオとハンニバルの関係を樂毅と田単に見てしまいます。ハンニバルも火牛の計でローマ軍を欺いた逸話が残っているからかもしれませんが。
占領した都市の治安維持、防御、運営にどれだけの兵員と人材が必要なのか。
都市の規模によってその必要数が変わってきますが、斉は商業や塩業によって栄え、リンシを始めとする大都市が存在し、征服軍が人心を安定させるためには多数の兵と時間が必要なのは確かであり、そうなれば兵は民であり、自領の運営がおろそかになれば本末転倒。兵士たちの郷愁もあり、まさにガッキはアレクサンドロスのような状況にあったのかもしれません。
私は敢えて落とさなかったと思います。種々の事情で落とさずに居たのではなく、積極的に落とさなかった。判り難いですね、落としてしまうと「斉」の処理は直ぐ終わってしまいます。或いは、帰国命令は直ぐに出される可能性もありました。「長期に亘り進駐しておく為」ではないですか?全て落とせば、そこで侵攻作戦そのものは、終わってしまいます。つまり時間を稼ぐ為だと私は思います。田単が或いは、樂毅と示し合せていたなんて・・・。如何でしょうか?
自分も、あえて攻めなかったのだと思います。
地形などもあるかもしれませんが、逃げ道の無い敵に手をだすな。
田単という人材も居ましたし、攻めれば向かった兵の1/3を要しても攻め落とせないと言う状況もありますし。
敵に逃げ道を与えよ、と言いますし。
無理に押せば、必死になりますし、あえて、犠牲を減らす方法で落とした方がその後の統治や、人心にもいい影響を与えると思います。
次に人心を得るには時間が掛かります。
時間は多い方が良いですし。
統治するにあたって、怨みごとは少ない方が良いです。
良い人材を殺せば怨みをかいます。
劉備の方が曹操より慕われた様に。
そんな事を思いました。
素人的な発想で申し訳ないんですが〜、ちょっと気になったことがあります〜。
孟嘗君の影響力ってのはなかったのかな〜っと。
確か、魏・趙・燕・韓・楚の連合軍で樂毅が斉に攻め込んだ時って、王からの猜疑に孟嘗君は斉から逃げ魏の宰相になってたんですよね〜。とすると後押ししてる感じなんですかね?
孟嘗君がバックについてるってことで斉国内の親孟嘗君派みたいな人達が協力するみたいなことを勝手に想像しちゃいました〜。んでも、孟嘗君は斉の人だから、痛めつけるくらいならいいけど、滅亡近くまで斉を追い詰める楽毅の快進撃にあわてて、「うぉ〜、ちょっと待ったらんかい〜!!やりすぎじゃ〜!!」と逆に阻止・妨害する立場に回る・・みたいな考えはやっぱり無理がありますかね〜。
 孟嘗君ですか、盲点でしたね。ただでさえ、戦国時代は同時期に英雄が生まれ、同じ時代を生きたので、違う他所の有力者の存在も気にしなければならぬのに。

 小説だけでなく、孟嘗君についてもう一度読み直したいですね。
 
やっぱり、一考の余地あるんですかね〜?
孟嘗君って斉が巻き返した後、斉に迎えられたってあったんで、そんなもんなんかな〜と不思議に思ってたんですよ〜。
田単がどういう人なのかはよく知らないんですけど、孟嘗君が帰ってきたら普通嫌だろな〜と思うんですけど、二人の間に協力関係があれば不思議でもなんでもないですしね〜。と勝手に想像・・

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