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哲学 Φιλοσοφιαコミュのアリストテレスetc

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周知のように「アリストテレスは、言うまでもなく古代ギリシア一流の哲学者である。アリストテレス
は紀元前384年ごろに---ソクラテスが死んでから15年後に---カルキィデ半島の北東隅、マケドニ
アに隣接した一小都市スタゲイロスに医を業とする家に、医師ニコマスの子として産まれた」。

「紀元前367年、17-18歳にして、「ギリシアの学校」とペリクレスの謳ったアテナイに上り、そこでプラ
トン主催の学園、アカデメイアに入門した。」その後、マケドニア王の家の家庭教師を経て「教え子
アレクサンドロスが王に即位(紀元前336年)した翌年の紀元前335年、49歳頃、アテナイに戻り、
自身の指示によりアテナイ郊外に学園「リュケイオン」を開設した」(「形而上学下」、出訳、後書冒
頭)「アリストテレスの著作は元々550巻ほどあったともされるが、そのうち現存しているのは約3分
の1である」。アレクサンドリアの図書館にはすべてがあったとされるが焼失し、オリジナルはない。
(「」内wiki)。私はその中でも主に「形而上学」を扱います。

読み方は一応、ここでは中世のキリスト教の解釈をなれべく排して本来の読み方をしたいと思い
ます。ハイデッガーの就職論文など、新しい読み方もできればと思います。
昔、同じ教室の友人から教わった奇抜な解釈もガイドラインがゆるすかぎり・・。
書き込みは連休の時が中心になると思います。

原典は下記のものを使います。
http://www.perseus.tufts.edu/hopper/text?doc=Perseus:text:1999.01.0047:book=2:section=1348a
邦訳はどこでも買える「形而上学上下」(出訳、岩波文庫)にしておきます。

講読

良い辞書を使い(実は簡易逆引きもある大学書林の古川先生の「ギリシャ語辞典」(^^);)
代名詞の格をよく見て訳すと、きちんと順番に並んでいるので難易度はイリアスなどより
は読みやすい気がします(聖書のパウロのは、口述筆記らしく、内容は易しいのに?主語
がどこか??、多分、「形而上学」は後で清書したものだからかもしれない)
忘れた単語も含めて、聖書であまり目にしない単語の訳を付けましたが、中世の
ようにキリスト教教理に合わせて神学的に訳さないように気を付けてます。正直言って
私はリセの卒業者よりは多少まともな程度です。

[980α] [21] (ベックという人の番号付け 「形而上学」は980〜)
πάντες ἄνθρωποι τοῦ εἰδέναι ὀρέγονται .
パンテス アンスローポイ ツー エイデナイ オレゴンタイ
εἰδέναι oida の不定形 知っている
ὀρέγονται oρεɤω 追及する

すべての人(々)は知を追及する本性を知っている。

σημεῖον δ᾽ ἡ τῶν αἰσθήσεων ἀγάπησις: καὶ γὰρ χωρὶς τῆς χρείας ἀγαπῶνται δι᾽ αὑτάς,
καὶ τῶν ἄλλων ἡ διὰ τῶν ὀμμάτων.

σημεῖον 中性 証明、証拠  αἰσθήσεων aiσησεiς 女性 対格 感覚 χωρὶς without
χρείας 効用 用途 Ἄλλων 〜以外の ὀμμάτω 見たところ

その証拠が感覚を愛することである。(というのは)つまり、感覚を愛することは役立たな
くても、それ以外にすでに見たことを通して感覚自体愛されることだからである。

οὐ γὰρ μόνον ἵνα πράττωμεν ἀλλὰ καὶ μηθὲν [25] μέλλοντες πράττειν τὸ ὁρᾶν αἱρούμεθα
ἀντὶ πάντων ὡς εἰπεῖν τῶν ἄλλων.
ou ɤaρ その通り πράττωμεν πραттω 通過する、通り抜ける
μηθὲν 全く〜ない  μέλλοντες 〜に違いない 来るべき
ὁρᾶν 見ること αἱρούμεθα 手にする、選ぶ ἄλλων(前に冠詞があるので)残りすべて

その通り、その中でこのうえなく愛されるは目を通してのものである。単に目を通り
抜けるものでなく、通り抜けなくても見ること(視覚)は残りすべてのことに勝って選
ばれるに違いない。


αἴτιον δ᾽ ὅτι μάλιστα ποιεῖ γνωρίζειν ἡμᾶς αὕτη τῶν αἰσθήσεων καὶ πολλὰς δηλοῖ διαφοράς.
αἴτιον 原因、根拠 μάλιστα なりよりまず  γνωρίζειν 認識するἡμᾶς 我々を 
αἰσθήσεων 感覚  δηλοῖ 明らかである διαφοράςいろいろなπολλὰς 強く 長く

それは見ることが、他の感覚よりも何より良く色々なことを我々に明確に認識させるから
である。
μὲν οὖν αἴσθησιν ἔχοντα γίγνεται τὰ ζῷα, ἐκφύσει δὲ ταύτης τοῖς μὲν αὐτῶν οὐκ ἐγγίγνεται
μνήμη, τοῖς δ᾽ ἐγγίγνεται.
φύσει性質、外見   αἴσθησιν 意識、感覚  ζῷα生活 生存 生成 μνήμη 記憶
ἐγγίγνεται保証する、保持する

そして、この理由は、すべての感覚というものは、我々の認識している記憶の多くの違い
を明確に(生成)すると考えられるからである。


出訳は良訳だと思います。完訳した先人の苦労が多少わかります。

ここの段落の最後の2文を出先生はつなげて訳しているのですが、
出訳「その理由はみることが、他のいずれの感覚よりも最もよく我々に物事を認知させ、その種々の
差別層をあきらにしてくれるからである。」(同書、21ページ)。
差別層?? 生成とかかなりの単語がどこかに・・。

コメント(9)

すべての人(々)は知を追及する本性を知っている。 その証拠が感覚を愛することである。(というのは)つまり、感覚を愛することは役立たな
くても、それ以外にすでに見たことを通して感覚自体愛されることだからである。 その通り、その中でこのうえなく愛されるは目を通してのものである。
単に目を通り抜けるものでなく、通り抜けなくても見ること(視覚)は残りすべてのことに勝って選 ばれるに違いない。
それは見ることが、他の感覚よりも何より良く色々なことを我々に明確に認識させるからである。


アリストテレスは人は誰でも知を愛してやまない。
その証拠が誰でも感覚知覚が好きだから。
その中でも一番好きなのが視覚、目を刺激したり和ませることだという。目に焼き付かなくても視覚はそれ以外の感覚より刺激的で認知力が高い。
医者ニコマスの息子らしい考えだと思う(通説通り、親父が早死にしていたら習ったのでなく、遺伝かもしれないが)。

現代認知科学では以下ですが。
≪知覚(ちかく, 英:Perception)とは、動物が外界からの刺激を感じ取り、意味づけすることである。 視覚、聴覚、嗅覚、味覚、体性感覚、平衡感覚などの感覚情報をもとに、「熱い」「重い」「固い」などという自覚的な体験として再構成する処理であると言える。・・知覚をもとにして、さらに「これは犬である」などと解釈する処理などが認知である。wiki≫脳は最初から認識している訳でないく、感覚、感性から理解する。まあ、あっている。

ま、友人のピエールは、セーヌ川で美形のビキニの女性は良く記憶に残るがそれは見ることがもっとも強い感覚知覚で、知を愛していることだと言った。目に焼き付かないタイプでもまずまず、覚えている。
(ところで、ビキニでなくてもセーヌ川にいる水着の女は皆さん風俗とか(^^;。間違えてもそのタイブはオッケーとか教えてくれました。)。
タイプというのは下記のカテゴリー?
http://yume551.com/foreignfilm/1000.html
訂正
>ベックという人の番号付け→ベッカーでした。何分にも原典購読は何十年か前のことで、記憶が次回からは良く見直します。
Alexandriaの図書館にはみんなあったというのも、昔の教室での小話です。
下記のサイトは多分、大丈夫と思います。
ペルセウスのは新ベッカー版ですね。
http://barbara.fc2web.com/bib/tx.html
昔の教室で用いられたのは主にラテン語ので、哲学
が専門の方はラテン版が哲学書の引用に近いかもし
れないです。 先生が「ミナサン、ダメあるね。私
の頃はギリシア、ギリシア」と言ってました。
ラテン語とフランス語は近いので教室のみんなは
誤魔化してました。それが・。

アバウトでいうと、ギリシア語→アラビア語→ラテン語の気もします。新ギリシア語版は断片から編集??
詳しい方がいたらお願いします。
削除する
>>[1]

>すべての人(々)は知を追及する本性を知っている。 その証拠が感覚を愛することである。


心というのは知をつかもうとするものだ。それゆえ感受したものにすぐ飛び付く。


>(というのは)つまり、感覚を愛することは役立たな くても、それ以外にすでに見たことを通して感覚自体愛されることだからである。


たとえ新たな知をもたらさないとしても、既知のものの上にさらに感覚は追い求められる。


>その通り、その中でこのうえなく愛されるは目を通してのものである。 単に目を通り抜けるものでなく、通り抜けなくても見ること(視覚)は残りすべてのことに勝って選 ばれるに違いない。 それは見ることが、他の感覚よりも何より良く色々なことを我々に明確に認識させるからである。


あらゆる感覚の中で視覚こそ心にとって最重要に意識される。もちろん眼は決して対象を文字通り捕獲するわけではない。それでも他の感覚機能に比べて、たくさんの知をもたらすものだと考えられている。
アリストテレスの五感論は、中世まで影響を残しましたな。

「アリストテレスが『形而上学』第5巻において『諸々のカテゴリーは、或るものは〈何であるか〉を示し、或るものは〈どのようであるか〉を示し、或るものは〈どれだけであるか〉を示し、或るものは〈他のものに対してどうであるか〉を示し・・・』と述べている時、彼はより明確にカテゴリーの性質を語っているのだ。」
(オッカム『大論理学』より)

アリストテレスは世界に生起する事象を分類するのに10個のカテゴリーを提示したが、オッカムはこの10個のカテゴリーに対応する事物が存在するのだという考えをしりぞけた。

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