ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

存在と時間 ハイデッガー ハイデガー コミュのあしたの日記 あなたの日記 Das Tagebuch von morgen, Ihr Tagebuch 

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
 

これは小さな、
遠い世界からのプレゼントで、私たちの
      音
     科学
    画像
   音楽
  考え
 感じ方を表したものです。
 
私たちはあなたたちの中にいるのかもしれません。
 
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9C%E3%82%A4%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%81%AE%E3%82%B4%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%87%E3%83%B3%E3%83%AC%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%83%89
 




マイミクじゃない人の日記も読んでみませんか。
 
あるいはどれか、あなたの日記をここで、私たちに読ませてくれませんか。
 
日記はわりとマメに書いてる人が多いのに、たくさん参加者がいてもコメントが少ないコミュニティ、よく見かけます。
とても内向的な日本人気質な印象も ..。
 
いろんな人の日記を読みふけってて感じるのは、
何気ない日常のスケッチにも、人の心を打つ、ハッとさせられるいい話の多いこと多いこと。
 
日記には深みと個人性、
トピックには広がりと共通性、
それぞれに魅力があります。
どちらにも偏らず、もっとSNSを便利に利用できたらと、公開性のより高い日記の使い方として、
このトピックを提案します。
 

学校・会社・団体・サークル・ゼミ・地域・同年代・音楽・スポーツ・ゲーム・映画・本・マンガ・アート・テレビ番組・芸能人・有名人・お笑い・PC・インターネット・グルメ・お酒・旅行・動物・ペット・車・バイク・ファッション・占い・趣味・ビジネス・経済・学問・研究・アダルト・などなど .. あらゆる物事はつながり、
そして誰もが様々に係わりあってる、
リアルにそう感じませんか?
 





http://m.youtube.com/watch?v=yfrvY8zAL4A
 
http://mixi.jp/view_community.pl?id=2465365
 

コメント(39)

 
(1/4頁)
 
 
(『【署名の依頼】 ケニアが大変です』 〔2008/01/08 01:21〕
http://www.petitiononline.com/kenya08/petition-sign.html
ケニア全土で大統領選の結果をめぐって深刻な暴動が起きています。
国内避難民は25万人にも上るとのことで、もはや 「暴動」 では片づけられない状態です。
私個人も友人がたくさん住んでいるのですが、今のところ連絡がとれていません。
ケニアでは家庭の収入の3分の1がワイロに使われるほど汚職がひどいです。
例えば、交通事故が起きても加害者がワイロを警官に渡せば、被害者の訴えは消されてしまう、なんてことが日常茶飯事なのです。
政権を誰が握るかによって生活、つまり人々の生死が大きく左右されます。
実際に私の知人ピーター_オロワ氏も2年前に政治的な理由から暗殺されました。
シエラレオネ、ルワンダ、スーダンの大虐殺も政治の腐敗が激化の要因です。
そしてこれらの国々で起きたことは暴動から紛争へとステップを踏んできました。
ケニアがそれらの国の二の舞を演じないとは限りません。
一刻も早い解決が必要です。
ほんとにほんとに、深刻です。
署名は今わたしたちがとれる唯一かつ最大の手段です。
署名は多ければ多いほど、その意味を増します。
みなさんのアクションが必要です。
もしよかったらみなさんの日記にもコピー & メーリング_リストなどで転送して多くの署名を呼びかけてください!!
すぐ下が署名のやり方、そのずっと下が関連記事です。
乱文をお許しください。
〔かすみん〕)
 
 
■ 署名の方法について ■
 
(1) 以下の日本語訳 (および必要ならば英語訳) をお読み下さい。
 
(2) 署名に賛同したいと思われる方は、以下のウェブ_サイトにアクセスしてください。
Petitiononline.Com
“CALL FOR URGENT RESOLUTION OF KENYA ELECTORAL CRISIS”
http://www.petitiononline.com/kenya08/petition.html
 
(3) このウェブ_サイトの以下のURLから署名できます。
http://www.petitiononline.com/kenya08/petition-sign.html
 
(4) 現在の署名数および署名者を確認するためには、以下のURLを見てください。
http://www.petitiononline.com/mod_perl/signed.cgi?kenya08
 
(5) ワード版もありますので必要な方はご連絡下さい。
(info@ajf.gr.jpまで)
 
 
■ 日本語訳 『ケニアの選挙に関わる危機への緊急の解決を呼びかける』 ■
 
※ 英語原文は、日本語訳の後についています。
『ケニアの選挙に関わる危機への緊急の解決を呼びかける
(ケニア国家統一党およびオレンジ民主運動の指導者への書簡)』
(翻訳 ; 〔特活〕 アフリカ日本協議会 稲場雅紀)
 
私たちは、オレンジ民主運動 (Orange Democratic Movement) と国家統一党 (Party of National Unity) の指導者たちに対して、ただちに、ケニアで現在 生じている、選挙に関わる危機への解決策を模索し、その指導力を通じて、国家の平和と調和を再建するよう呼びかけるものです。
私たちは、高い投票率によって多くの人々に印象を残したこの選挙に続いて生じた、事態の悪化に懸念を表明します。
私たちは、ケニアの人々の尊厳と勇気を称賛するとともに、ここ数日間の不要な暴力によって命を失った人々とその家族、また、傷ついた多くの人々に対して、哀悼の意を表します。
ケニアの人々にとって、今は、忍耐し、尊厳を守り、大多数の人々にとって最も利益のある解決策を探すことが必要な時なのです。
私たちは、この国において、生命を奪い、資産を破壊し、全体的な騒乱状況をもたらす原因となったこの混乱について、痛苦に受け止めます。
選挙の結果が論争となったことにより、ケニアのみでなく、アフリカ全体において、民主主義と平和に向けた展望が傷つけられました。
ケニアの歴史上、最も激しく闘われたこの選挙の結果について、暗雲がたれ込めていることを、私たちは悲嘆の思いで受け止めています。
私たちは、自由で公正な結果を得るためにも、緊急の課題として平和が取り戻されることが必要だと信じています。
私たちは、今は挑発的な行動をする時ではないこと、相争う同士を交渉の席に着かせるために指導力を発揮するべき時であることを信じます。
この危機は、未だ対立する当事者たちが、調停と和解の仕組みを活用することによって解決することが出来ます。
危機の平和的解決を立案することこそ緊急の課題であることに気づくべきなのです。
もし必要なら、アフリカ連合 (African Union) や、その他選挙監視を行った組織などの第三者の調停を活用することも可能です。
私たちは、相争う指導者たちに対して、民主主義の精神にしたがって行動すること、透明性のある方法によって、ここ数日の騒乱によって生じた傷をいやすことを追求することを要請します。
 
 
(2/4頁)
 
 
私たちは、多くの人々が、今回の選挙において不正義が生じたと考えていること、また、それについて裏切られたという感情を持っていることを認識しています。
私たちは、こうした人々に対して、適切な説明と釈明責任を要求すること、また、市民としての責任に関する自覚に沿って行動することにより、選挙の行程に参画していくことを求めます。
私たちは、国家統一党およびオレンジ民主運動の指導者たちに対して、国家の利益のために、現在の危機を解決し、和解を模索していくことを呼びかけます。
私たちは、調停と和解の仕組みを緊急に設置し、どこにも勝者はなく、ただ敗者のみが存在する現在の状況により生じたすべての不満や苦悩に声を与えることを求めます。
また、現在までに行われている仲裁の行程を歓迎します。
私たちは、治安部隊および他の全ての勢力によって生じている暴力を直ちに停止することを求めます。
私たちは、治安部隊が平和と秩序を維持する役割を有していることを認識しますが、一方で、ここ数日において、治安部隊が非武装の市民に対して行っている、過剰でなおかつ非中立的な暴力の行使を非難します。
私たちは、選挙の行程全体およびその結果について、競合する政党の間での認識の違いを解決するための、独立した透明性のある検証を要求します。
選挙の結果と、報告されたすべての違反行為、とくに、最終結果の集計作業にかかわる各種の不整合について、検証の対象にする必要があります。
私たちは、信用に足る独立した司法調査委員会を即座に設立することを呼びかけます。
これはすでに選挙監理委員によっても呼びかけられています。
私たちは、国際社会に対して、提案されているこれらの検証行程の結果を忍耐強く待つことを呼びかけます。
ムワイ_キバキ政権 (Mwai Kibaki Government) もしくはライラ_オディンガ政権 (Raila Odinga Government) の下で生きていかなければならないのは、他ならぬケニア国民です。
国際社会は、これらの選挙が 「自由で公正であった」 と宣言する前に、独立した検証行程による提言を踏まえる必要があります。
私たちは、平和で民主的なケニアを求める人々、とくにアフリカ連合の人々に対して、この危機について、対話と和解による早急な解決をもたらしうる主導権を支援することを求めます。
私たちは、報道機関に対して課されている報道規制に対して、深い懸念を表明します。
こうした報道規制は、すでに一触即発の状況にあるケニアにおいて、疑念と憶測を拡大する効果しか生みません。
表現の自由は、ケニアの人々によってここ数年勝ち取られてきた最も偉大な民主主義の成果であり、私たちはこれを後退させることは出来ません。
私たちは、報道規制を直ちに撤回し、ケニアの人々が、今何が生じているかを即座に知ることが出来るようにする事を求めます。
私たちは、ケニアの報道機関が、この危機に関する情報を流し続けていることについて、これを賞賛します。
危機の時期にあっては、憶測ではなく事実に基づいた民主主義の確立にとって、自由で独立した報道機関の存在が不可欠です。
私たちは、この危機に当たって、国際的な各種の報道機関が、ケニアの報道機関を支援すること、自由で独立した報道の権利を促進し続けることを求めます。
私たちは、平和を愛する全ての人々が、ケニアが通常の状態に戻り、人々が恐怖と不安を抱えることなく生き続けていけるように、私たちとともに、この危機の早急な解決を求めていくことを呼びかけます。
 
(署名)
本書簡の起草は、いずれも在英のケニア人作家 ・ 詩人 ・ 市民活動家である
ワングイ_ワ=ゴロ (Wangui wa Goro)、
フィロゼ_マンジ (Firoze Manji)、
ムコマ_ワ=グギ (Mukoma wa Ngugi)、
ロナルド_エリー_ワンダ (Ronald Elly Wanda)、
キング_オモガ (King Omoga)、
セニャ_シイェンディ (Cenya Ciyendi) によってなされ、フィロゼ_マンジによって執筆された。
 
■ 英語原文 『CALL FOR URGENT RESOLUTION OF KENYA ELECTORAL CRISIS』
■ “CALL FOR URGENT RESOLUTION OF KENYA ELECTORAL CRISIS”http://www.petitiononline.com/kenya08/petition.html
To: Leaders of PNU and ODM CALL FOR URGENT RESOLUTION OF KENYA ELECTORAL CRISIS
 
We the undersigned call on the ODM and PNU leaders to urgently seek aresolution to the current electoral crisis in the country and restorepeace and harmony in the country through leadership.
We the undersigned call on the ODM and PNU leaders to urgently seek aresolution to the current electoral crisis in the country and restorepeace and harmony in the country through leadership.
 
 
(3/4頁)
 
 
We express our concern at the deteriorating situation in Kenya followingwhat has been widely acknowledged as an impressive election turn-out.
We commend the Kenyan people for their dignity and courage but also expressour condolences to the families of those who have lost their lives and to the many who have been injured in the course of needless violence over the last few days.
This is a time for Kenyans to be patient, dignified and to look for solutions that are in the best interest of the majority.
We regret the chaos which has caused loss of life, destruction of property and general unrest in the country.
The contested outcome hasmarred the prospects of democracy and peace not only in Kenya but also in Africa.
The cloud which hangs over the conclusion of one of the mostfiercely-fought elections in Kenya's history is regrettable.
We believethat peace should be regained as a matter of urgency so that a free andfair outcome can be reached.
We believe that this is not the time for provocative actions, but a time for demonstrating leadership through bringing the contending partners tothe table.
This crisis can be resolved by the players in disagreementusing conciliation and arbitration mechanisms as a matter of urgency to plan a peaceful resolution of the crisis.
If necessary, this could be done with the involvement of others such as the African Union andothers, such as those who acted as election observers.
We urge thecontending leaders to act within the spirit of democracy and seek toheal the wounds that have been opened by recent events and to do so intransparent ways.
We are aware of the betrayal that many may feel in what they consider tobe an electoral injustice.
We ask them to engage in the process byseeking explanation and accountability and to be guided by their own sense of civic responsibility.
We call on the PNU and ODM leaders to seek conciliation and resolutionof the current crisis for the sake of the country.
We call for mechanisms for mediation and conciliation to be put in place urgently to give voice to all grievances that have arisen from the present situation in which there can be no winners, only losers.
We welcome the mediation processes that have been initiated.
We call for an immediate ending of violence by the security forces and all other parties.
Whilst we recognize that the security forces have arole to play in maintaining peace and order, we condemn the disproportionate and excessive use of force by the security forces against unarmed civilians that has been manifest over the last few days.
We call for an independent transparent review of the whole electoral process and its outcomes so as to resolve any differences between contesting parties.
This should include reviewing the results of theelection and all reported irregularities, especially those related to the disparities in the tallying of the final results.
We call for a swift formation of an independent and credible Judicial Commission of Enquiry by endorsing the call by the Electoral Commissioners who have called for one.
We urge the international community to be patient pending the outcome of such a proposed review process.
As it is Kenyans who have to live with the consequences of a Mwai Kibaki or Raila Odinga government, theinternational community can only follow the recommendations of anindependent review before declaring the elections free and fair.
We call on those who wish to see a peaceful democratic Kenya, especiallyin the African Union, to support initiatives that can bring this crisis to a swift conclusion by facilitating dialogue and reconciliation.
We are deeply concerned by the gagging of the media, especially as this has only fueled suspicion and encouraged speculation in an already highly volatile situation.
 
 
(4/4頁)
 
 
Freedom of expression has been one of our greatest democratic prizes won by Kenyans during the last few years and we cannot afford to go backwards.
We call for animmediate and unconditional lifting of the reporting banso as to ensure that Kenyans are able to keep abreast of what is happening.
We commend the Kenyan press for the work they have done to keep information flowing.
It is precisely in the time of crisis that afree and independent media is essential to ensure a democracy that isbased on information not speculation.
We urge the international media community to support the Kenyan pressduring this time and continue promoting the right for a free and independent press especially during such a period.
We call on all peace loving people to join us in calling for a swiftconclusion to the crisis so that Kenya can return to normality and people can continue their lives without fear and anxiety.
Sincerely, (Signature) The Call for Urgent Resolution of Kenya Electoral Crisis Petition toLeaders of PNU and ODM was created by Wangui wa Goro, Firoze Manji, Mukoma wa Ngugi, Ronald Elly Wanda, King Omoga, Cenya Ciyendi and written by Firoze Manji (firoze@fahamu.org).
This petition is hostedhere at www.PetitionOnline.com as a public service.
There is no endorsement of this petition, express or implied, by Artifice, Inc. or our sponsors.
For technical support please use our simple Petition Helpform.
 
 
【2008 01/07 AFP】
 
大統領選の結果をめぐる混乱から全土で暴動が発生しているケニアについて、国連機関など国際援助団体は6日、「人道的危機が迫っている」 と警告を発した。
全土で治安が悪化し、支援物資が枯渇する中、現地に支援組織を派遣している複数の援助団体は、数十万人に上るとされる国内避難民への援助を試みている。
危機的状態が最も懸念されるのは同国西部だという。
 
■ 清潔な水の不足から、疫病の懸念
 
医療慈善団体メルリン (Merlin) のケニア責任者、Wubeshet Woldermariam氏は 「特に (西部の街) キスム (Kisumu) 周辺で、食糧と清潔な飲料水が危険な度合いで枯渇しつつある。
不衛生な水を飲まざるをえないために下痢や伝染病、脱水症状を起こしかねない。
数日内に平和が回復されなければ、疫病の大発生や深刻な脱水症の脅威が極めて現実的となる」 と訴えた。
 
■ 国内避難民25万人
 
12月27日の大統領選後に広がった暴動での死者は、AFPの集計で少なくとも361人に上っている。
国連 (UN) は、ケニア人25万人が避難を余儀なくされたと推計しており、うち10万人は西部リフトバレー (Rift Valley) で緊急支援を必要としているという。
国連難民高等弁務官事務所 (UNHCR) は援助を約束した。
学校や病院、教会などに設置された仮設避難所は非常に混雑しており、その大半は援助組織自身の安全確保のためいまだ支援が行き届いていないことから、現地入りしている援助活動家たちは疾患の大流行を恐れている。
ケニア赤十字社 (Red Cross Society) によると、首都ナイロビ (Nairobi) でも物資の供給が困難な状況だという。
ナイロビのスラム街では、略奪や放火により住民たちが財産を失っている。
 
■ 難民も5000人以上、ウガンダ、タンザニアへ
 
一方、世界食糧計画 (WFP) は港湾都市モンバサ (Mombasa) で援助用の食糧を積んだトラックが、治安悪化や自警団による道路封鎖の影響で、目的地に到着できていないと報告した。
援助トラックが、高速道路を走行中に襲撃されないよう、ケニア政府は同国軍にトラックの護衛を命じた。
また、国連児童基金 (ユニセフ、UNICEF) によると、危険地域にある多くの病院ではさまざまな負傷者などに対処するため医薬品の供給を必要としている。
さらに、国連緊急援助調整官室 (Office for the Coordination of Humanitarian Affairs、OCHA) は、ケニア人約5000人が隣国ウガンダに逃げ込んだと推計。
タンザニアにも難民が流入しているもようだがその数は確認できていない。
難民たちは学校や教会、親戚の家などに滞在しているという。
赤十字国際委員会 (International Committee of the Red Cross、ICRC) は4日、ケニアを未曾有の危機から救うため1300万ドル (約14億1200万円) の国際援助を要請した。
(c) AFP / Bogonko Bosire
 
(http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=22239459 書きこみ012 〜 015)
 
 
 北朝鮮問題、絶対王政的な独裁について。
 
 日本としてはもう白か黒かしかないのでは。
しかし現在の自公政権は中国やアメリカを見すえた外交的利害と、ささやかな (?) 一部世論に左右されてしか扱ってない気がします。
(死刑制度などと同じく。)
 
 中でも、今や中国の出方をどの関係国も見守っているんでしょう。
そして中国自身は、北朝鮮をすでに1枚の切り札としてしか見なしてないんじゃないかと思います。
 
 ですから日本としては、拉致被害世論をなだめつつ外交動向を見守る姿勢でしょうから、残念ながら現状での被害者全員としての生還はないでしょう。
しかし、人権屋の僕としては横田さんに拉致問題担当相に就かせてあげたいところ。
効果の有無に関係なく、経済制裁から進めるべきです。
 
 現実的には、北朝鮮問題の進展は、何らかあの国自身の瓦解によってもたらされると考えてます。
 
 
『 <北朝鮮拉致> 「めぐみ」 の学校上映継続など政府が確認』
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=380263&media_id=2
 
 政府の拉致問題対策本部は10日の関係省庁対策会議で、ドキュメンタリー映画 『めぐみ 〜 引き裂かれた家族の30年』 の中学 ・ 高校での上映会や、外国メディアの日本特派員を対象にした視察事業を08年度も続けることを確認した。
全国各地の非営利組織 (NPO) と協力した広報活動も検討する。
(毎日新聞 2008/01/10 20:45)
 
 
(cf.http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=15317914 comment=048)
 
 
『[国際] 適者生存の掟を受けつぐアフリカ』
 
 
 
 
アンゴラの山へ
 
夏に降る雨が
 
流れる川にかわる
 
okavango delta
 
砂漠をうるおす
 
水がやってくるとき
 
よみがえる草のかおり
 
空を映す鏡のような
 
輝く水
 
 
歌う風が
 
パピルスをゆらし
 
沼地を行くシタトンガ
 
幼い母の背に抱かれ
 
眠る子供たちは聞いている 
 
水の歌を
 
 
めざめる豊かな AFRICA
 
今 失うもののない
 
静かな心の AFRICA
 
美しき黒い瞳
 
 
鳥は太陽の
 
恵みをついばむ
 
それは Sweet golden fruit
 
流れにゆられて行こう
 
カヌーで渡って行こう
 
終わりのない land of water
 
終わりのない sea of land
 
 
 
  雲が湧きたつ
 
  乾いた地平に
 
  光る稲妻
 
  雨がやって来た
 
 
  大地に吠える
 
  夜明けのたてがみ
 
  サバンナの星
 
  めざめる Simba Kubwa
 
 
  水場に集まる
 
  乾いた足音
 
  何かが近づく気配に
 
  遠い記憶を呼びさませ
 
 
  大地を蹴って
 
  力 尽きるまで
 
  走れよ走れ
 
  hatari hatari sana
 
 
  陽炎のなかに
 
  命がゆれてる
 
  名もなく生まれて
 
  野生のおきてを今
 
  受け継ぐ者
 
 
  遥かへ
 
  遥かへ
 
  流れて行こう
 
 
  すべてのものから
 
  姿を隠して
 
  コピエの向こうに
 
  冷たい月がのぼり
 
  忍びよる影
 
 
  夜のしじまに
 
  裸の Simba Kubwa
 
  息を潜める
 
  アカシアの下で
 
 
  hatari hatari sana
 
 
(simba ; lion
 simba kubwa ; dominant lion
 hatari ; dangerous
 hatari sana ; very dangerous
 
 
 
 360万年前、初期人類がタンザニアのラエトリ平原の、雨に濡れた火山灰へ残した足跡。
人類が2足歩行を始めた日。
この遠い祖先 「アウストラロピテクス」 が、猿と人類を繋ぐミッシング_リンク (失われた環) だと推論されています。
その最も有名なのが 「ルーシー」 と呼ばれる、318万年前の 「アウストラロピテクス_アファレンシス」 です。
エチオピアのハダールで発見され、初期人類の完全な化石としては、最古のものとされ、多くの学者はこの 「ルーシー」 を “人類の母” とみなしているそうです。
ヒトは何処から来て、何処へ向かうのでしょう。
そして私たち自身は、今もその道の途上にいるのです。
(T.O.)
 
 
cf1.http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=22239459 ; comment = 012 - 015
 
cf2.http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=16142021
 
cf3.http://mixi.jp/view_item.pl?id=892131
 
 
 
『 <アフリカ開発会議> マータイさんを招待 5月に横浜で開催』
 
 政府は、5月末に横浜市で開く 「第4回アフリカ開発会議」 (TICAD4) にノーベル平和賞受賞者で前ケニア副環境相、ワンガリ_マータイさんを招待することを決めた。
マータイさんのほかにも世界の著名人を集め、親善大使には女優の鶴田真由さんを起用する方針だ。
著名人の招待で関心度を高める考え。
 
(2008/01/14 19:43
毎日新聞 http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=382558&media_id=2)
 
 
 
 
凍てつくような
 
風がきみの名を吠える
 
 
霧の荒れ地に独り
 
瞬く炎
 
胸にして
 
 
 
ずぶ濡れで
 
何もない空を睨む
 
 
そばにいた奇跡の
 
青い鳥が飛びさった
 
 
哀しくても ここにいて
 
活きてゆけるのさ
 
きみが望んで 決めたこと
 
ぼくも望んで 明日を待つよ
 
 
 
も1度 友を
 
見つけられたとしても
 
我慢ができるかな
 
青い鳥は どこにもいない
 
 
 
 
凍てつくような 風がきみの
 
名を吠える
 
 
孤独な深い霧に
 
飲みこまれた夜
 
 
雨を浴びながら
 
星のない空を睨む
 
 
 
運命を知ってる 青い鳥
 
なぜ飛びさった
 
どこにいるのさ 今
 
もうっ黙ってないで 何か
 
応えて
 
 
 
 
I'm Lost in the night
the icy wind is howlin out your name
and desolation lingers like a fog
the fire is growing dimmer in the wind
I'm out in the rain
the moon has gone behind the cloud again
and I can't stand to live another day
Cause my Bluebird went away
And I'm locked in this room with my sorrow
no escape, no way to get away
And my only connection with tomorrow
is hoping that You might decidenot to stay away
I'm out on a limb
If I could only find sweet love again
to live my life this way is too much to bare
Can't find my Bluebird anywhere anywhere oh...
I'm Lost in the night
the icy wind is howlin out your name
and desolation lingers like a fog
the fire is growing dimmer with the wind
I'm out in the rain
the moon has gone behind the cloud again
I can't stand to live another day
Bluebird why did you, go away, tell me
Bluebird why did you go away
Little Bluebird why did you, go away, tell me
Bluebird why did you go away
 
 
 
 
(お暇なとき、お気に入りの作品を以下へ紹介ください?
マイミク追加もお気軽に。
 
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=14503467)
 
<なぜ自殺はダメなのか>。 (Q)
 
「もうこれ以上 分解できない、原型のような」 課題に近いと思います。
 
<なぜ人を殺してはいけないか>。
<なぜ死刑になるのか>。
(cf1.http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=14877895 comment=084,132-134)
 
<なぜ人命は尊いのか>。
(cf2.http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=15088969 comment=233)
 
 このような疑問も、同様といえるでしょう。
これら命題に観られるのは、タブー (禁忌) です。
「社会的な刷り込みを排除して」 しまうと、ヒトの判断基準 / 行動基準は可不可、可能か不可能かになるでしょう。
食べれるか食べれないか / 信じれるか信じれないか / 殺せるか殺せないか ...。
となれば、自殺 <できる> から自殺という選択肢もありうるわけです。
これは浅い段階ではありながら、1つの回答になります。 (A1)
 
 ところが、仮に善悪など社会的な刷りこみ (マインド_コントロール / 洗脳) から外されてもヒトは尚、何らかの様々な基準に隷属気味です。
状況 / 仕組み / 思考 / 言葉 / 損得 / 恐怖 / 快不快 / 生理 / 遺伝 ...。
 
 僕は宗教の信仰を持ってませんけれど、キリスト教で原罪と呼ぶヒトの課題、に近い感覚を個人的に抱いてます。
(どの生物も遺伝や本能から受けつがれた情報と、それを実用して学習する経験を、生きぬく力に換えてゆきます。
が、) ヒトは極端に発達した文明のお陰で、後天的な学習経験をより多く必要とされ、しかも簡単に自然淘汰されない機構 (搾取) の下にいます。
 
 まさに、ヒトはヒトに生まれるんではなく、ヒトになるのだという気がします。
その道程は、まるで旅のように、不規則に課題が立ちはだかり、単純に年齢や精神疾患有無では、その到達を比較できません。
<自立> するという意味は、努力 / 忍耐 / 根性 / 克己ばかりじゃなく、回避 / 妥協 / 達観 / 冷遇などにも秘訣があるのだと思います。
精神疾患に類する状態には何らかの具体的な問題 (病因) がある場合が多いはずです。
そして彼らは、たぶん生真面目 / 几帳面で、回避 / 妥協 / 達観 / 冷遇などを不得意とするんじゃないでしょうか。
だとしたら、自殺は袋小路での判断なのかもしれません。
しかし、そこはもともと回避 / 妥協 / 達観 / 冷遇という選択肢を自ら(?) 捨てた迷路だったのではないでしょうか。
 
 例えば、人間関係が最大の苦だとしたら、失望や減収や不便が引きかえにあろうとその人間関係を解消し、いくつか他の代替を試しながら最良の選択を繰りかえす。
最大の苦を外すとは、たぶん最大の喜び(の可能性) を捨てる判断で、勇気は要ります。
ただ、こうしたいわば定住民的でない移動民的な気楽さ / 身軽さは重要です。
人生とか世界とは、天候と同じように、穏やかな時間もあれば嵐もあります。
どちらのために生きてきたか、どちらを感じるために生きてゆきたいのか。 (A2)
先述の可不可 (信じれるか / 信じれないか) の判断基準次第ではあります。
 
 個人的には、涙が多くを示唆してる気がします。
悲しむときには嬉しかった記憶が甦ります。
嬉し涙では、悲しんだ記憶が。
悔し涙では、ひたむきだった記憶。
不思議にも、対極のような記憶が呼びさまされます。
これは、たぶんヒトを支配する様々な基準たちの(両義性というか) 対極それぞれは、実はどちらも必要であって、正負 (+−) の直径を拡げながら螺旋階段を登りつづける、その意義を表わしてるんじゃないかと考えてます。 (A3)
 
(大きな課題は、精神疾患や自殺を回避 / もしくは克服できないような場合、つまり具体的外因 〔生活苦 / 病苦など〕 が見うけれたり / 本人に強い有能を見いだせないときの、関係者や / 行政からの具体的な支援だと。)
 
 
 
『 <鉄道自殺> 中3女子、自宅に遺書メモ残し ; 愛知・豊川』
 
> 18日午後3時ごろ、愛知県豊川市のJR飯田線で、近くに住む中学3年生の女子生徒(14) が、普通電車にはねられ、死亡した。
> 少女は自宅に遺書めいたメモを残していたといい、愛知県警豊川署が自殺とみて調べている。
> メモには 「今までありがとうございました」 などと書かれていた。
> 少女はこの日、学校を休んでいた。
(『毎日新聞』 2008/01/18 21:03
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=386454&media_id=2)
 
 
『[政治] 民度 エリート 政治家 活力 希望』
(2008/01/22 07:20)
 
 
 エリートとは <日本社会に影響力のある日本人上位0.1%> くらいの意味じゃないでしょうか。
だとしたら公人 (最高級公務員ほか) に止どまらず、企業人や / あるいは一部の文化人も入るかもしれません。
 
 首相が私人として靖国神社に参拝するということは不可能とは、個人的には考えません。
非常事態を除けば、首相にも職務時間外や休暇という区分があるはずですし、信教の自由もあるだろうからです。
(少し複雑ですが、僕個人としてはA級戦犯を含めて慰霊してよいと考えますが、首相の在任者が靖国神社を参拝するのはやはり相応しくないと考えます。
靖国参拝そのものが具体的に必須ではないはずなのに、一部の犠牲者と縁者の不快をあおる行為だからです。
快不快は印象など軽薄に起こりもしますが、やはり戦争の慰霊については障りなく行なわれたい。
ただ、相応しくなくとも禁じられてはいませんから、この問題の論点は、首相の理想像についてではなく、代議員制の欠点を除くために重要な課題への直接民主制的な投票について、だと考えます。
つまり靖国神社へ参拝する首相を民意が選出するか / しないか、です。
cf1.http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=15015864
cf2.http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=14877895)
 
 
 現在の日本に活力がない理由としてエリートが比較されたとしたら ...高齢化よりはエリートの課題だとは思います。
それと確かに民度低下。
個人的には、経済戦争の劣勢 / あるいは内需自国提供の低迷があるかと思います。
つまり、高齢化 < エリート < 民度低下 < 内需自国提供低迷かと。
 
 いつまでも世界の最重要単位が <国家> なのには異議ありですが、現状をふまえるなら、民意が根本にあり、そのためにもこうして、ネットなどを用いて話し / 読み、民度を高めないことには何も進まないどころか、後退する一方だと案じます。
 
 
 民度を低下させている責任はエリートにも若干あるかとは思いますけど、皇族を除けば彼らとて民衆出身です。
かといって、大衆自身に責任があるというのも少し違うと思います。
責任論で観るとエリートや現役社会人をどうしても問いつめざるをえません。
責任よりも原因を観たてて、対策を練ったほうがよいと考えます。
例えば安保運動や大学紛争 盛んな1960年代よりも現在の民度 (というか政治への関心) が低くなったとするなら、世界対戦の記憶や / 経済成長の現実感から来る活性の差だと感じます。
原因がこれだとしたなら、薄い現実感のなかながら思考を深めるほかないのでしょう。
以前は民度が高く、よって充実した社会だったかといえば、これは違います。
(以前と以後を比較しても、課題として観えてくるのは、やはり資本主義の不備にあるように思えます。
共産主義化すれば解決、なわけはありませんけど、アダム_スミスが発見した仕組みとカール_マルクスが発明した仕組みとを複合して、それぞれの長短を削った仕組みへ軌道修正すべきかと考えます。)
 
 活力の源泉である <希望> をどこに観いだすか。
現実的には、課題学習による民度の自己向上だと考えます。
そして逆説的には、悪化そのものに観いだされるんじゃないでしょうか?
戦後の民衆のように希望がない時点ではそれを渇望して活力をえ、高度成長が終わって世代交代して生死や飢えを知らず現実感の薄い時点では活力が失われる。
希望と活力はシーソーの関係にあるのかもしれません。
そうしたトロッコの動力で、螺旋状の線路を上昇するのが歴史なのかもしれません。
 
 
 
『 <公務員改革> 「政官接触禁止」 を削除 ; 最終報告書で方針』
 
> 「公務員制度の総合的な改革に関する懇談会」 は21日、これまで打ち出していた 「政治家と国家公務員の原則接触禁止」 を、福田首相に月内に提出する報告書から削除する方針を決めた。
> 22日に最終調整し、大筋で合意する見通し。
> 自民党内で批判が相次いだうえ、「表現が誤解を与える」 と修正を求める意見が出ていた。
(『毎日新聞』 2008/01/22 02:43
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=388467&media_id=2)
 
 
(cf.http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=19777568 comment=017,019)

 
『[国内] ネット議論が民度を占う』
 
 
 死刑制度のようなコミュニティでは、一般にオフ会などが開かれません。
(cf.http://mixi.jp/view_event.pl?id=9178753)
 
 なのになぜ、開きたいのか。
実りある有意義な議論の必要性を広めたいからです。
異論から批判され、弱点に気づき、補強する。
即時的には勝敗を分けて損得を与えますが、議論とは長期的に敵に塩を贈る行為です。
ではなぜ人々は議論するのでしょう?
 
 目的は大別して2通りあると考えられます。
目的Aは、異論への不快を晴らすためで、当事者個人による (自由な) 快不快という基準に従われています。
目的Aにとって言葉や論理は道具に過ぎず、真剣な情熱ゆえの正義かのような幻想から暴言あるいは暴論を生み、自他どちらかが無視に至るまで書きこまれます。
目的Bは、私見を強化または精査するためで、当事者個人による (不自由な) 正不正という基準に従われています。
目的Bにとって鋭い批判は学べる機会として歓迎され、敗北に気づいた点は認めても、勝利に気づいた点を特に明らかにはする必要もないはずです。
(ただ多くの場合、目的AとBは1個人の中に混在します。)
 
 インターネットでの会話だけで成りたっている人間関係には、実生活上の無利害や / 実際に対面した経験のない非現実感から、つい横柄になり、目的Aが強まる傾向にあるようです。
そして悪貨が良貨を駆逐するように、目的Bはむしろ敬遠されてしまいます。
しかし、コミュニティ参加者も日ごろ死刑制度や1つことばかりを考えているわけではなく、政局を案じ、娯楽に興じ、生活を見つめています。
死刑存廃で対立しても趣味が一致したり / 存廃で一致しても政見で対立したり、いろいろでしょう。
 
 もし、異論者と面識をもったり / マイミクシィを交わしたと仮定するなら、どうなるでしょう。
きっと個人の尊重や / 人格への配慮がなされ、議論はやりづらくなるはずです。
もし異論の立場から同じ課題を考えたことのない人だとしたら、気づかなった自らの暴言や暴論に驚くかもしれません。
(cf.http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=24459558)
 
 一方、議論そのものは選ばれた言葉による丁寧な論理が基調となるでしょう。
(もちろん、実際に出会うまでの時間を大幅に省いての、充実した意見交換をもたらしもします。)
 
 状況を変革しようとする場合、いつも一長一短があります。
この仮定以前、つまり現状と比較してみましょう。
死刑は (凶悪な) 暴力に対する制度であり、犯罪は存廃両派ともに共通する課題です。
しかしながら、何年ものコミュニティ運営期間、いかに目的Aに基づく言葉の暴力が持てはやされてきたか、書きこみ記録は物語っていないでしょうか。
(cf.http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=3897099)
 
 目的Aの説明でふれた通り、言葉も論理も道具に過ぎないと考えています。
よって物理的法則などを除いた、抽象的な事柄には真理は少なく、ほぼないという事実をむしろ明らかにしている、そう思います。
(国家には国家を、個人には個人を、地球には地球を中心とした論理を正確に組みたてると、それぞれに整然とした世界観を創れます。
ところが、何を中心として置くか / または置かないかの根拠を、好き嫌いなど心象で定めては台無しで、やはり論理を用いたほうがより普遍的な正しさを追いかける姿勢といえます。
正しさとは実は幻想 〔想定〕 ですが、ときには未知の結論を導いたり / ときには自身を従わせもします。)
 
 政治についてのネット議論で、実効性ありやなしやを問題にすれば、複数の意見から有効性を比較したら解答や支持を決めやすい。
ただ、さらに議論が深まると総合 (他課題との連関) や詳細 (多岐に渡り有効かの精査) や継続 (将来性) なども議題に上りだすと、一時的局所的正当性だけでは判断しづらくなる、ともいえます。
 
 そこを細かく話しあえる機会を大きく増やしたのがヤフーや2ちゃんねるやミクシィなど、ネットを介したこうした書きこみ頁 (なはず) であって、これ自体は個人や社会にとって歓迎さるべき事態。
ところが、もともと議論に疎い傾向にある日本人気質が、ここ10 〜 20年で急に開かれたネット環境に適応しきれてなく、で感情論や精神論が先行してるのが現状かと感じます。
 
 で、ネットでの話しあいを参加者自身で充実させていく手法って、どうなんでしょうね。
この社会はいまだ、達した総意とはいえない課題に満ちています。
皆さんが日記とかでやりとりするとき、気をつけてることとか、ありますか?
 
 
(『死刑制度』 コミュニティ
『まさかの死刑コミュ・オフ会  Σ(゜□゜ reloaded 』 トピック冒頭文より抜粋 ・ 加筆.
http://mixi.jp/view_event.pl?id=24611155)
 
 
>>誰か知り合いでRHマイナスB型の人知りませんか?
>>私の知人の3歳の子が急性リンパ性白血病になってしまって、昭和医大に入院してるそうです!
>>RHマイナスB型の血液不足にて手術受けれない状態で、誰かRHマイナスB型の方がいませんか!?
>>是非協力お願いします!
>>1人の幼い子の命がかかって、とても危険な状態だそうです!
>>最寄りの献血センターで献血できるよなので、是非是非協力お願いします!
>>わからないことあればいつでも連絡ください!
>>よろしくおねがいします!
 
 
 
> インターネットで調べました。
> チェーン_メールと言ういだすらです。
> 昭和医大からも関係ないと声明が出てます。
> 今ものすごーく広まっているいたずらですって。
> 昭和医大にもたくさん電話がかかってきて、「大迷惑してるんだって」 とのことでした。
 
 
 
 許せない。
 
 
 
『 <昭和大病院> チェーン_メール出回り問い合わせ相次ぐ』
 
> 病気の子供のために献血を呼びかけるチェーン_メールが出回り、入院先とされる昭和大学病院 (東京都品川区) に問い合わせの電話やメールが相次いでいる。
> 22日午前までで350件に上った。
> 病院はホームページに 「呼び掛けはしていない」 と、緊急の通知を掲載した。
(『毎日新聞』 2008/2/22 20:22
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=414394&media_id=2)
 
 
 水曜、19時にNHKで 『地球ドラマティック』 という、海外のTV局が制作した科学番組がやってます。
この水曜は、生物の目・鼻・耳が内容でした。
 
 あるフクロウは、耳の大きさが左右で違うせいで、左右だけでなく上下なども正確にとらえるそう。
(? でも人間もできますよね。
ていうか、どうして2つしかないのに前後や上下が知覚できるんでしょうね。)
 
 犬の嗅覚は人間よりもずっと優れてて、空港での麻薬探知だけでなく ・ 癌細胞の有無 ・ 相手の感情などまでわかるそう。
 
 蝿など昆虫は、複眼をもつことで視界としてはモザイク状、紫外線だか何かを視界に重ねることで同種族や植物を見定めれる代わりに色覚はあまり正確でないよう。
複眼は、単純で小さな目が多数にまとまった構造。
この構造による最大の特長は、いわゆる動態視力、視界の動きを <速く> 感知できます。
 
 例えば、人が歩いてたら穴に落ちて、穴から水が吹きあがって人も出てきた、という物語。
a.4コマ漫画。
b.パラパラ漫画。 (本の隅に落書き)
c.アニメーション
d.実写フィルム
このabcdの違いは、コマ (内容) の数。
数が多いほど、より速く事態を知覚できます。
 
 ハエを叩こうとして、逃げられるのは、こうした原理。
ハエには、dの実写フィルムもbのパラパラ漫画に見えてるみたいです。
 
 ヒトは、ヒトが感じとれている世界が最も正確で、基本的だと信じてたり、疑いすらできなかったりします。
例えばハエが視ている <時間> は、明らかに私たち自身よりも密度が高いわけですよね。
それは私たちが呼んでいる、いわゆる客観が、実はすでに余分をかなり含んでいて肥大していることを意味します。
そして客観などを自覚する知性を尊び、人間を優れた存在として歴史的にも尊重してきました。
もちろん、この繁栄の事実をも根拠にして。
 
 果たしてそれは正確なんだろうか?
その番組を観てて、ふと思いました。
僕自身にもかなり固定観念や既成概念 / 思考停止といった過信がたくさんあるみたいです。
 
 
 
 
 泣けるのが1番うれしい。
 
 
 
cf.http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=15790264 comment=059
 
『小林薫に独占インタビュー! 死刑囚を受け止める役 「命の重さについて考えてほしい」』
(2008/6/6 12:40 http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=510049&media_id=14)
 
 映画 『休暇』 で “人の命をひきかえにした幸せはありえるのか” という重いテーマに真正面から挑んだ主演の小林薫に、自身が演じた死刑囚の体を受け止める 「支え役」 役について話を聞いた。
「最近シュールに笑いに逃げたり、恋愛映画だったり身近なテーマを題材にした映画が多いなかで、久しぶりに本格的に真っ向勝負の映画だと思った。
しかも1973年生まれの若い門井肇監督があえてこういう映画を作ろうとすることに強く惹きつけられた」 と出演を決めた理由を語った小林。
小林が演じる刑務官・平井は、長年の拘置所勤めを経て喜怒哀楽を表に出さず、余計なことは一切話さないことが体に染み付いてしまった男。
「実際の刑務官は個人的な感情を押し殺して公の刑務官として生きていると思う。
だからもし僕がヘンに感情移入した演技をすると安っぽくなる。
それに平井個人の感情は心の奥にしまっておく方が、彼の葛藤が観客に伝わるかと」 と語り、登場人物が寡黙であるほど、逆にわたしたちの心に雄弁に何かを訴えかけてくるのだと教えてくれた。
圧巻なのは死刑が執行される場面。
カメラは落ちてくる死刑囚を全身で受け止める平井の顔を執拗にとらえて離さない。
小林は 「子どもが投げたボールが胸に当たっただけで、平井が嘔吐するという場面がありますよね。
あれは死刑囚の体のけいれんを受け止めた感覚が、ボールが当たっただけでよみがえってきてしまったわけです。
そのくらい平井の感情には重く沈殿しているものがある。
でも、実際に執行のときにものすごい衝撃を受けているような演技をするのもどうかなというところもあり、その演技のサジ加減は非常に難しいところでもあった」 と振り返った。
このシーンは数カットに割っているがどれも1回のテイクで撮影したそうだ。
「自分に身近な題材を扱った作品を観て楽しむのもいいけれど、こういう命の重さについて考える作品もぜひ観てほしい」 と小林。
本作は、死刑囚を演じる西島秀俊のほか大杉漣、柏原収史ら多くの出演者とスタッフが作品のテーマに共感して集結。
撮影は小池和洋プロデューサーの故郷山梨県で行なわれ、地元の人々と一緒に作り上げた作品だという。
このような作り手の思いをぜひ多くの人に感じてほしい。
映画 『休暇』 は6月7日より有楽町スバル座、お台場シネマメディアージュほかにて、全国公開。
(http://www.eigakyuka.com)
 
 
 
 あんな職務があるとは知らなかった。
いや、本当なんだろうか。
凶悪犯罪 (拡大自殺)、それに自殺をなくす努力、は刑事政策たけでなく。
例えば隣人に気を配る、あるいはネットでの会話を丁寧に受けること1つも、含まれるかもしれない。
 
 
 
『<連続幼女誘拐殺人> 宮崎死刑囚に死刑執行』
(2008/6/17 10:21)
 
 法務省は17日、1988〜89年に東京と埼玉で起きた連続幼女誘拐殺人事件の宮崎勤死刑囚(45)の死刑を執行した。
80年代末の日本社会に衝撃を与えた同事件から丸20年。
宮崎死刑囚は捜査や公判で不可解な供述を繰り返し、詳しい動機や背景を語らないまま、06年2月の判決確定から2年4カ月で死刑が執行された。
 
(『毎日新聞』 http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=520276&media_id=2)
 
 
 
 
1番 大切なのは人の命だよ
 
どうして?
 
だって、パパもママも人だし、命があるだろ
 
ポチも?
 
パパとポチ、どっちが好き?
 
ママ
 
ママもお前と同じ、ヒトっていう生き物だからさ
ポチも大切だけど、きっとポチだってポチのママを1番 大切なんじゃないかな
人の体、髪の毛や皮や血にはヒトの印が中に入ってて、すごい望遠鏡で覗くと見えるんだよ、犬には犬の印が見える
人を殺すことは、人にとって1番 悪いことなんだ
 
どうして?
 
だって、ママが殺されたら悲しいだろ?
それにもし、パパが誰かを殺したら、パパとお別れしなくちゃなんない
 
どうして?
 
お巡りさんがパパを捕まえて、連れてっちゃうから
 
連れてかれてどうなるの?
 
パパがもし、ひどい殺し方で何人も殺しちゃってたとしたら、死ぬまで閉じこめられる
 
殺しちゃえばいいのに
 
! どうして?
 
だって、悪い奴はやっつけないと、やっつけられないならやっちゃえって真似する奴が出てくるし、それに閉じこめとくなんてお金がもったいないじゃん
 
そうだね
悪いことを真似しちゃダメだし、お金がもったいないのもダメだよね
 
うん
 
ところでさ、1番 ダメなのは何だったっけ
 
人を殺すこと
 
人ってどんな生き物だったろう?
 
人はヒトの印がついた生き物
 
悪いことをするとどうなる?
 
真似する奴が出てくる
...そっか
 
だから閉じこめておくんだ
お金はかかるけどね、国じゅうの大人が毎年、缶ジュース1本を我慢するくらい
それにね、死ぬまで閉じこめられてるってことは、死なされるの同じくらい苦しいんだよ、試せやしないけど
いつか想いうかべてごらん、やっつけられるのと同じくらい、さみしいから
 
こないだお仕置、閉じこめられて怖かった
怖かったし、それに悪いことしたときのこと、ずっと忘れられなかった
 
そうだね、人を殺すのは1番 悪いこと
 
うん
 
でもね、仕方ないときもあるんだ
 
嘘?
 
本当
 
どんなとき?
 
そう例えばさ、誰かからすぐに殺されそうなとき、どうする?
 
逃げる
 
すぐだから逃げれない、なら?
 
うーん ...叩く
 
もしも思いっきり叩いて、それで殺しちゃったときとかは、それは仕方ないんだ
だって、すぐに殺されそうだったんだからね
でも、これはパパの考えたことで、ママはパパと違うこと考えてるかもしれないけど
 
ふーん ...え、じゃあやっぱり、さっきの閉じこめられたパパも、殺されちゃってよくない?
人を殺したんでしょ
 
すぐに殺されそうなとき、しか、人を叩いちゃダメだし、死なせて仕方ないってことにはならないんだ
どうしてかわかるかい?
 
...!
わかった
 
 
 
 
 
 
 
1番 大切なのは人の命
 
どうして?
 
だって、ママもパパも人だし、命があるでしょう?
 
ポチも?
 
ポチとママと、どっちが好き?
 
ママ
 
ママと同じ、ヒトっていう生き物だからだよ
人の体、髪の毛や皮や血にはヒトの印が中に入ってて、すごい望遠鏡で覗くと見える、犬には犬の印が見える
ポチも大切だけど、きっとポチもポチのママを1番大切なんじゃないかな
ということは人がする1番 悪いことは、人を殺すってこと
 
どうして?
 
だって、ママが殺されたら悲しいでしょう?
それにもし、パパが誰かを殺したら、パパとお別れしなくちゃなんない
 
どうして?
 
お巡りさんがパパを捕まえて、連れてっちゃうから
 
連れてかれてどうなるの?
 
パパがもし、ひどい殺し方でたくさん殺しちゃってたとしたら、死刑になる
 
しけいって?
 
一番 大きな罰
死なされる罰
 
殺されるの?
 
まあそうね
でも、これはママの考えたことで、パパはママと違うことを考えてるかもしれないけれど
 
どうして殺していいの?
 
だから
人を殺したから
それに、死なさないとまた殺すかもしれないでしょう?
 
 
 
 
 
 
 
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=14877895
 
『ランチ_タイム_ジプシー』
 
 
 ランチ_タイムは無用、合間に放りこんじゃいやいいって慣習だったのに。
近ごろ1時間半くらい空くハメになりました、ちょくちょく。
出先なので、エアコンで冷やした車内で眠る ...というのも環境によくないと思い、どこか公園の木陰を見つけ、横になってみました。
 
 あ ...暑い。
こりゃダメ。
他にいいとこないかな?
ありました。
図書館。
 
 その市立図書館は、建って10年くらいかなという、小さいながら快適な設計でした。
各書棚の両脇に椅子がすえられてて、窓際は3方がソファかデスク。
ソファのデザインが数種あるとこなど心憎い。
閲覧用のホールも2ヶ所、いい図書館。
 
 休もうと来たつもりでも、つい蔵書に目が向いてしまい。
僕は積ん読書家で、未読本をたくさん所有してるから、借りるような立場じゃない。
でも、あれこれ好奇心が湧いてきてしまう。
コンピュータ検索を利用すると、開架と閉架とがあり、奥から取ってきてもらえる本もかなりあるみたい。
個人的に死刑制度へ興味があって、法律や刑法関連の棚へ。
うわー40冊くらい、もっとかな、ありました。
たくさん置くものだと驚きました。
 
 哲学の間へ。
ここはたくさん、棚いくつもに渡ってます、こんなに要るかしかし。
クリステヴァやソーカル、それにサルトルらが何冊も並び、思わず手が伸びて空席を探してしまう。
図解ものの哲学参考書も何冊とあったのが気になった。
図書館に必要な種類なんだろうかと。
いろいろ考えたら、あってもいいと思えた。
実際、個々の哲学書って読まなくていいとすら、もともと思ってた。
歴史的な流れを把握して、個々の概要を知って、さらに興味の湧く人物の主著 (これも解説書が優しい) や人物伝を探ると、人々が何をどう思考してきたか垣間観える気がする。
 
 ...人類史や心理学の辺りへ移って覧てたら、ケイタイのアラームが震えた。
やいやい寝逃したっ。
でも図書館って好きだな。
知識の宝庫で、みな息をひそめてて、適温で。
 
 
 
(あなたは好きですか?)
 
 
『ペルセウス座流星群』
 
 
 ほろ酔い加減、24時ころ、サンダルで外へ。
 
 流星どころか、星すら視えなかったけど、目を凝らしてるうち、星は観えてきました。
 
 月にかかる雲も観れました。
 
 
 
(2008/8/12)
 
『無神論の黄昏』
 


ゆうべは少しひんやりするくらいの夜でした。
あ、愛知です。
 
いつもならクーラーで眠るんですが、その夜は窓を開けて扇風機に。
そして扇風機もとめました。
 
夜が明けて日中も、風は渇いてて、ちょっと涼しいくらい。
奇麗な夕焼けも観れました。
 
...。
 
 
 
いやー、何だか気持ちいい。
このまま秋が来るのかな。
夏よりも冬が好きだけど、秋や春は、ほっと落ちつく。
 
我に返る。
 
いろんなこと、これまでにあった、ヤなことやイイことを思いだす。
 
それから。
これからも、そうしたことがやってくるんだな、で。
 
そうして、いつか死んでくんだなって感じる。


 
 


子供向け特撮ものTVドラマの終盤で悪者をやっつける採石場みたいな、だだっ広い駐車場。
アスファルトも、ラインもない。
山林に囲まれた郊外に位置しているので車で来た。
彼女と大学の学園祭を見物に。
イベントの内容は何も印象に残らなかった。
でも、学生時代への郷愁が重なって、
古びて刺激のあせた遊園地みたいな楽しさがあった。
 
さて。
帰ろうと車へ戻ると、車がない。
停めた場所を忘れて、車が見つからない。
ブルー フィルムのモザイクみたいに黒い車が散在し、自分のも紛れている。
駐車場係の大学生がいて、一緒に探してくれたけど、
どこにあるのかよくわからない。
 
駐車場に面した茂みが割れた所に道があった。
その道の次の駐車場に停めたんだったかな。
地面に刻まれたわだちを見ながら近づいてくと、水捌けが悪いらしく雨の水溜まりが広がってる。
水溜まりの先に広がるのは水面、湖だった。
 
祭にはハプニングが相応しい。
雲間に陽が漏れだし、水面下も青く照らしだされていた。
薄い水色のサングラスをかけているだけだと錯覚してしまう水面下。
雨水じゃなくて、どこかに湧き水があるのかもしれない。
湖底はなだらかに深まってゆく。
水銀製のクラゲを吐きだす。
 
車クルマと進んできたのに、いざひしめく車の群を見渡すのは絶景、としかいえない。
どの車にも藻も土もかかっていないのは、水流があるのか、車の存在が新しいのか ...。
いや新しいに決まってる、車を探しているんだった。
 
それにしても美しい。
 




ぼんやりTVを観てたら、
おかしな夢を観ていた。
あの子は誰だったんだろ。
 
我に返ってみると脚が冷えてて、喉が痛い。
何か引っかかってるみたいに呼吸しづらく、ヒュウヒュウと音も鳴る。
思いだした。
この数年、いつもこの時期に風邪を引くんだった。
インフルエンザや肺炎も起こした。
まったく運動してないわけでもないのに、こうした習慣がついたのは、やっぱり歳?
...。
 
でも、いつもの悪寒や関節痛がない。
もしかしたら、これまで縁のなかったアレルギーかも。
やだなあ。
 
まあ とりあえず借りてた映画を観なくては。
 






    食べろ
 
    俺は地獄行きだが
    あんたを助けたい
 

地獄へ行くのは神様が決める
 

    子供を殺した
 
    頭を壁に叩きつけた
 

なぜ?
 

    息子が死んだ
 
    殺された
 
    回教徒が殺した
 

地獄から抜けでる道がある
 
子供を拾うのだ
母親と父親を殺された子供を
これくらいの男の子がいいな
自分の子として育てるのだ
 
ただし回教徒の子だよ
回教徒として育てるのだ
 
行け
神のお恵みを
 




http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AC%E3%83%B3%E3%82%B8%E3%83%BC_%28%E6%98%A0%E7%94%BB%29
 


最近過去をよく振り返るもうやだ〜(悲しい顔)

唐突で瞬時に色々と。
その中の1つ、忘れられない想い出

小学校1年生だったか…

ほんの数ヵ月間だけクラスにいた外国人の女の子。

何処の国の子かもどの時期にいたのかも、もぅ覚えてなぃんだけど、小柄で肌の色は黒めのアフリカ系の子だった。(気がする)

外国人を物珍しく思う幼かった私達は、言葉も通じないその子にあまり近寄らなかった気がするあせあせ(飛び散る汗)

ある日の授業で、私は図書室に返却しなければいけなぃ本を自宅に忘れてしまい、泣いてたあせあせ(飛び散る汗)

それだけで?(白)って今考えるとバカバカしぃけどその時は重大なミスあせあせ(飛び散る汗)

クラスのみんながちゃんと返却していく中どぅしよぅかとただただ泣いていると、彼女がそっと私の肩をたたいた。

そして、自分の持っていた本を差し出し、私に返却するよぅに促した。

私は驚いたダッシュ(走り出す様)

言葉が通じなくても、私が何故泣いているのか、何をしたぃのかを解ってくれていたから。

あの子の事が未だに忘れられないわーい(嬉しい顔)


言葉なんて関係無い!
と気付かされた瞬間だった泣き顔ぴかぴか(新しい)ぴかぴか(新しい)

人の感じ方、表現は言語に関係無く共通だ

と幼いながらも実感したあの一瞬だった。

それからすぐ女の子は母国に帰ったんだけど、今何してるんだろ〜とか、覚えてるかなとか、働き出した今でもふと思い出すほっとした顔
会えるものなら会ってみたいなぁぴかぴか(新しい)
 






(『 『ありがとう』と言いたい』
 
 ある人の日記。
 承諾を得て転載しました。
 w a r m a r t :)
 

http://www.youtube.com/watch?v=Gu8XNnGp2gk&fmt=18↑)
 
予測可能な絶望にどう立ち向かう?
とりあえず、28 時間後には極めてクールでありたい
そう願う現在の自分。

考えてることを書くんじゃない。
書くから考えることができるんだ。

これって、誰の言葉だっけ?
俺は いったい 何を探していたのだろうか?

ふと 気がつけば 深い山中に一人立ちすくんでいた

上空を見上げれば 微かに木立の隙間から 黒い宇宙が見えた

目眩は 何時の頃からか…

やがて 霧が立ちこめ

その 微かな 隙間も消え失せた

霧は更に深くなり

己の足下も解らない

空気は肌寒かったが

やがて 俺は周りの霧等と同化してしまい 寒さも消えた

霧は このまま 深まって…

きっと 俺は 記号と存在を失う事だろう

20100709
 

夕食のあと、ベッドに寝転びながらラジオを聴くのが日課になっている。

美味しいお料理をいただき、満腹になり、満足し切ったおなかでほくほくと部屋へ向かう。

ベッドとは反対側にある灯りをともし、ごろんとベッドに寝転びおもむろにラジオのスイッチをぽちっとひねる。

このラジオは数年前、近所の量販店の家電コーナーで購入したものだ。

白いのでほこりが目立ちやすいのが難点だが、なかなか重宝している。

われながら役に立つものを購入した、と悦に入っている。

ラジオとCDとカセットが聴ける簡素な作りのもので、最低限の機能しかついていないが、機械に疎い私にはこれで充分である。

そのラジオから外国のテンポの良い音楽や、DJのいささかわざとらしいほど陽気な声が流れてくる。

顔が見えないのに、いや、顔が見えないからなのか、声の持ち主に何となく親しみを感じる。

DJの提供する陽気な話題とは逆に、ぼんやりと灯りのひとつだけついた部屋で私はしだいに落ち着きを取り戻してくる。

いかにも満足気にベッドから腕をだらんと垂らしてみたり、横向けになってみたり、仰向けになって思い切りのびをしてみたりを繰り返す。

体と心と、外界を取り巻く自然のリズムが調和してきて、とくとくと時を刻み始める。

この時間を愛している。
 






聴覚以外の感覚が自由に使え、想像力に委ねているせいか、ラジオはテレビより自由になれる気がする。

居間からはゴールデンタイムのテレビの、けたたましい笑い声が聴こえてくる。

テレビは時に疲れる。

もちろん観ていて楽しいものや感動するもの、ためになるものも多いが往々にしてそう感じる。

朝から晩までこちらが必要ともしていない情報を流し続ける。

少し前、「サザエさん症候群」という言葉がはやっていたが、日々暮らしていてその時間の特性や雰囲気を、時間ごとに区切られたテレビの番組によって決めつけられてしまうことが多いような気がする。

そして「この番組の時はこれをしなければならない」と、時に憂鬱になったり、慌しく過ぎ去ってしまう。

テレビを消して、時そのものをゆっくり味わってみると、自分が今この瞬間に本当にしたいこと、しなければならないことというのが、心の奥深くから自然と聴こえてくるような気がする。

時を味わい、人間の心と体と自然界との調和、リズムを一致させることによって、最高に心地良い状態が生まれ本来の時のリズムのなかに溶け込んでゆけるように思う。

如月、十六夜、水無月、夏至、立秋、寒露、立待月、霜降…

昔、テレビもラジオもまだ存在しなかった時代、人々は惑星の運行や時に美しい名前をつけた。

自然の時のリズムと人間本来のもつ体内時計のリズムが分断されず、美しく調和されていた時代。

人間は惑星の運行や季節の移り変わりの中に存在し、決してそれらのリズムから切り離されてはいけない。

テレビやラジオ、パソコン…、文明の利器の恩恵を十二分に享受しながら、時折それらの存在しなかった時代に想いを馳せてみる。

研ぎ澄まされた五感の自由な遊びと、それらで聴く宇宙のリズムはとても心地良さそうだ。
 






(『ラジオの時間 その1・その2』
 
 ある人の日記。
 承諾を得て転載しました。
 w a r m a r t :)
 

http://www.youtube.com/watch?v=YwxsWIYJI2A&fmt=18)
 
 

東京で作品を作っていた時の事を思い出した時、その時に出会った人の記憶が甦ってきた。
 
とある年、彼女が受け取った、とある年賀状の差出人が分からず少しの時間悩んだそうだ。
 
文面は以下。
 
「未来の私へ。
こんにちは。
ちゃんと生きていますか?
元気で生きていますか?
私は過去からあなたを見守っています。
元気でいますように。
幸せでありますように。」
 



それは、1985年の筑波科学万博の企画「ポストカプセル2001」で
2001年の元旦に届けるというものがあって
過去の自分が未来の自分に送った年賀状だった。
 
当時、彼女はまだ小学生ではあったが
未来の自分について考えた時、
病気でもう生きてはいないだろう・・・・と思いながらも
未来を心配しながら書いたという。
 
「まだ子供なのに随分未来を悲観してたんだなあ。
でも、それでも子供心に“幸せになって欲しい”と
強く願っていたんだなあ」と感じたという。
 
とは言え、その年賀状を見た時、子供の頃に悩んでいた事を思い出したという。
テストの点が悪かった。
お母さんに怒られた。
運動会でビリになった。
 
今となってはそんな事で人生が終わるわけではないのに
あの頃は真剣に悩んでいたよね・・・・。
と数人で言いあった。
 
きっと今、私達が真剣に悩んでいる事も
あと10年、20年すれば
「なぜこんな事で悩んでいたんだろう・・・」と
思う時が来るんだろうね・・・・。
いつか笑って「それがどうした」ってくらい
悩みをどんどん突き抜けて生きていくのかもね?
と言って我々は別れた。
 
彼女は編集者としてまだ頑張っているだろうか?
 

東京、私はその地へ行くたびに、その記憶が忘れられず
「何がなんでも生きなくちゃ!」と
思うのです。
 




(『過去からの手紙』
2010/08/14 19:22↑
 
added sentence & picture: w a r m a r t ;ID1098147↓ 
 
 ある人の日記。
 承諾を得て転載しました。
 

http://www.youtube.com/watch?v=h-KTsUMEoNM&fmt=18↑
http://www.youtube.com/watch?v=hAoyWYcNcIA&fmt=18
http://www.youtube.com/watch?v=I-03LjcEnqU&fmt=18)
 
 

“あいちトリエンナーレ2010”に先日、行ってきました。
各会場で展覧会が行なわれていたり・街頭に単体でオブジェが設置されたり・しています。
「トリエンナーレ」は3年祭みたいな意味で、3年に1度で繰り返し催される大規模な(この場合は)芸術祭のことです。
内外の著名な芸術家が招待されたり・新鋭の作家が紹介されたる場であったりします。
こうした芸術祭はもともと、欧米の芸術が盛んな街の美術館で開かれていたんだと思います。
しかし施設規模に作品数が収まらなかったり・作品規模としてインスタレーション(機材を使用する作品)など大規模化した空間作品が増えたり・などにより、有志で市内の倉庫や空店舗などを借りて同期間に展覧会を開いたりしてゆきました。
そうしたなかで開催地が美術館から街全体という規模に膨らみ、今あるような形式が作られたよう。
美術にあまり興味がない人には、例えば賑やかな祭りと・こうした芸術祭と・を比べると芸術祭が大規模化するのは難しいと感じるかもしれません。
しかし芸術祭はただの祭りだけでなく、骨董市とかモーターショウなどの「市場」ともいえる、新人発掘などの場でもあるのでしょう。
ただ、名古屋など日本の地方都市で開かれる場合は趣が少し違い、80〜90年代に流行った地方博のような、国際的な発信というよりは街興し公共事業といった風情なのかなと感じます。
「2年祭」のビエンナーレというものも。
cf.http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%8A%E3%83%BC%E3%83%AC
 
ということで名古屋駅に降りたつと、久しぶりに来たせいで街並みはかなり変わってました。
まず高層ビルがニョキニョキ増えていて、思わず見あげてしまった。
駅自体が巨大な総合ビルとして数年前に建てかえられ、このビルの高島屋に展覧会場があると聞いてたけれど、そこは8月末までの限定でした。
 
並んだりする混んだランチが嫌で、11時と少し早いけど店へ。
いわゆる飲食店街を避け、高島屋の各階に1つずつある飲食店から ハンバーガー レストランを選んで入ってみる。
といっても、そんなにお腹は空いていなく、サンドイッチとバドワイザーを頼むことに。
窓越しには「大名古屋ビルヂング」のビル ボードとビア ガーデンの眺め。
一昨年だったか、あそこでオフ会を開こうとしたら予約満席で入れなかった出来事が思いかえされました。
 
あいちトリエンナーレは芸術祭とはいえ、油絵・絵画などいわゆる古典的な美術は少なく、時間芸術(オペラやパフォーマンス)や現代美術(オブジェやインスタレーション)が中心で、そうした作品と次々に対面していると、何だかここがここではないような、..特別な時空や存在感が横たわっている気がしました。

 
comment=4
PC:http://mixi.jp/view_event.pl?&page=1&id=52807230
CP:http://mixi.jp/view_event.pl?&page=1&id=52807230&readmode=start
 
僕の管理するコミュニティに参加してくれている、あるマイミクさんから昨夜、このトリエンナーレを観に愛知へ来るので一緒に、という連絡がありました。
10/9(土)・10(日)にトリエンナーレを回りたいそうで、これには友人の女性も同行するそう。
また別のマイミクも来るかもしれないとのこと。
まあ現時点で最大4人ならオフ会として参加者を募集したらいいな、と。
 
来たる10/9(土)の昼・夜それぞれでこのトリエンナーレのオフ会を開きたいと思います。
昼は作品巡り・夜は夕食(酒宴)が主です。
詳しい時刻・場所は未定ですが、昼なり夜なりもし参加されたい方は、上記のトピックに登録するか・僕までメッセージをください。^_
 



http://www.youtube.com/watch?v=_TPevRb_SNk&fmt=18↑
 
 

Titolo: Raccolta delle arancie.
Data di realizzazione: 23/04/08
Dimensione: 80 x 100 cm
Quadro olio su tela

 
 


 はずかしながら。

 わたくしが、作詞・作曲をした歌が、この世に存在していたりします。

 存在しているだけです、流通はしていません。

 そんなこと言ったら、おれにだって、わたしにだってと仰るかたがいるでしょうか?

 一応、my song は、自分以外にその存在を知っている人がいちゃったりします。

 そういう意味で、この世に “存在して” います。“認識されて” いる、と言い換えてもいいかもしれません。

 なんとなく、こはずかしいものですね。いわゆる『真夜中に書いた手紙』でも読まれているようで...。

 存在するって、こっぱずかしいものなのでしょうか。認識されるって...。 生きるって...。(以下略)



 さて、先日、友人のライヴを観賞しに行きました。その友人のライヴを観るのは、かなり、ひさしぶりでした。

 なんとなく、なんにも言わないでいきなりライヴを観に訪ねて行って驚かせてみようと思ったのですが。

 わたしのほうが逆に驚かされました。

 その、わたしが作った歌をいきなりうたいはじめたからです。
 最初は、なんの曲か分かりませんでした。なぜなら、旋律が違っていたからです。
 けれど、詞は、わたしが書いた(存在させた・認識させた)そのままの、一字一句変わらないものでした。
 人は、予測もできないことが起こると言葉を失うものなのでしょうか。

 それまでノリノリでライヴを観ていたわたくしでしたが、思わず顔をそむけ、黙り込んでしまいました。
 で、そのまま何事もなく、次の曲へ行ってくれれば良いのに。友人ときたら、その歌の成り立ちを説明しはじめてしまいました。
「さっきの曲は、今そこにいる○○○○(私の名前)さんが書いた曲……の詞だけを頂戴して、勝手におれなりのメロディーをつけました。べつに○○さんの曲がだめってことじゃないんだけど。自分でうたう歌は、自分のメロディーでうたいたかったのでそうしました」
 とかなんとか。
 いやあ、あせりますね。なんの予告もなく、心の準備もなく、自分の隠された過去を暴かれたようで、ひさしぶりに冷や汗をかきました。しかも、びっくりさせようと思った相手に 100倍にして返されたようで。やられたという気持ちでいっぱいでございます...。
 ところで、一緒にそのライヴを観に行っていた女性の友人から、
「勝手に曲を変えられたりして。いいの?」
 と聞かれました。
 ふむ。たしかに、ちょっと考えると、失礼な ...ということなのですかね?
 でも、なんとも思いませんでした、いえ、むしろうれしく思いました。
 よく、メロディーだけもらって、詞は自分のオリジナルでうたう、というのは聞いたことがあるような気がします。が、その逆、というのは、めずらしいような気がします。
 曲じゃなくて、詞なんだ、というのが意外でもあり、また、だからこそうれしかったのかもしれません。
 わたくしの場合、特にその歌に関しては、一番伝えたいところは、詞です。その詞をうたいたいが為に曲をつけました。ええ、若かりしころ。ああ、はずかし。
 ですから、その歌に関しては、詞を伝える為に、メロディーが、あります。
 もし、詞が大切な荷物だとしたら、メロディーは、それを載せて運ぶ乗り物のようなものなのです。
(で、歌い手は、その乗り物を運転する運転手?)
 まあ、ですから、乗り物がなんであろうと、わたしの伝えたかったこと(=詞)が運ばれてゆけば、それで十分だ、と思うのです。
 伝達方法は違えども、詞は、運ばれてゆくのです。
 そして、日々は続いてゆくのです。
 そんな、秋晴れのある日の出来事でございました。
 # ほんとはね、詞と旋律とが一体となった、もう、それ以外の組み合わせも、それ以上の組み合わせも考えられない楽曲 ...というのが理想形なんでしょうか?
 
(『I'm Your Vehicle, Baby』
2010/10/01 19:51↑
 
 


彼女のことをよく考える。
どんな気持ちだろうと思ってみるけど、想像しきれない。

飛んでいきたい
違法トンネルをくぐってでも行きたい
ただ、会いたい・・。

そんな、言葉にも もうできないほどの切望、
そして毎日突きつけられる現実に絶望、
それでも家族との対話を欠かさず・・

ガザと日本とのギャップ。
日本社会にあって一人だけこころがガザにある孤独。
ガザの家族とともに生きているのに一人だけ日本にいる孤独。
日々は過ぎていく。葛藤、希望、絶望の繰り返し。


一度お会いしたことがある。おっとりとしているのにお茶目、とても可愛らしい声の人だった。側にいるだけで癒されるようで、もっとたくさん話が聞きたかった。

その後起こったあの2008年から9年にかけての「ガザ紛争」のとき
離れたままでいる家族の身に、いつ何が起こるか分からない状態で・・

いや、その時の話はいまは止めておこう。
私がいまここで話すべきではないような気がする。


それより、私がお伝えしたかったこと、いや彼女から下のニュースを通して受け取ったメッセージは、人生は続くということ。

どんな状況にあっても、どんな経験をしても、命のある限り人生は続く。

人生の続く限り人は生きる。

彼女が元気でいる姿を見ることができて嬉しかったのと、
着実に何かをやっていく実行力に感心感動感銘感服・・・なんて言ったらいいんだろう?

早速飛んでいってすごいねーがんばってるねーよかったねーえらいねーごめんねー

って言いたい。


http://www.nishinippon.co.jp/nnp/item/201865


彼女は例え一人の力でもパレスチナを占領から開放させようと努力するだろう。
ガザの封鎖を解けと一人でも訴え続けるだろう。

パレスチナに関する講演会や報告会がもっと手軽に開けるような場所が必要で、それを自分で作っちゃったんだろうと思う。

イベントのない時でもみんなが集まれるような、少しずつでも、一人ずつにでも何かを伝えられるような、そういう場所にしたいんだろう。
とっても彼女らしい。

カフェは彼女が仕事の休みの日にだけオープンするようだ。

前もって電話をするようになっているらしい。

彼女の健康と家族との再会と、パレスチナの解放、すべてうまく行きますように、祈るばかり。
 




(『飛んでいきたい』
2010/10/07 18:35↑
 
added sentence & picture: w a r m a r t ;ID1098147↓
 
エルサレム在住、ある友人の日記。
承諾を得て転載しました。
 
2010/10/06 西日本新聞朝刊
『パレスチナのブックカフェ開店へ 早良区の藤永さん』
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/item/201865↓
 
> 中東のパレスチナに関する書籍を中心にそろえたブックカフェ「ヤスミン・ライブラリー」が24日、福岡市早良区西新にオープンする。店を開くのは、パレスチナ人の夫(38)を持つ同区の会社員、藤永香織さん(39)。夫ら家族8人はパレスチナにいるが、イスラエルによる封鎖で会えない日々が続く。藤永さんは「パレスチナを幅広い視点で知ってほしい」と、個人で集めた約200冊を同店で公開する。
> 藤永さんは大学時代にイスラエルやパレスチナを訪問。卒業後の1997年から2年間、パレスチナ自治区のガザ地区にある障害者施設でボランティアをした。2001年に結婚したが、イスラエルから配偶者ビザが発給されず、観光ビザでガザに滞在していた。
> 反イスラエル闘争が激しくなるにつれ、イスラエルはガザ封鎖を強化。藤永さんはエジプトで夫と面会していたが、06年を最後に会えていない。家族と暮らしたのは通算でも8カ月ほどという。
> 藤永さんは、パレスチナの取材経験があるジャーナリストを福岡に招いて講演会を開催している。だが、「継続的にパレスチナのことを伝えることが必要」と考え、同店の開設を決めた。
> 店は西新4丁目のマンションの一室。店名は、パレスチナでの藤永さんの愛称で、アラビア語で「ジャスミン」の意味。
> 書籍はパレスチナだけでなく、イスラエルやイスラム教に関する専門書、滞在記など幅広い。また、現地のオリーブオイルやハーブを販売し、アラビア語教室も開く。
> 1日1回、夫と電話で話す藤永さん。夫はアラビア語教室の開講を喜んでくれたという。藤永さんは「気軽に店に立ち寄ってほしい。そして、パレスチナに行きたいと考える人が一人でも増えてくれたら」と期待する。
> 開店時間は土曜・日曜・祝日の午後1‐9時。
 

http://m.youtube.com/watch?v=XeoKpuc6WwI)
 
 


数年前、まだ体と心が調子良く元気だった頃は私もフルタイムで働いていた。

普通にお金ももらっていたので、毎日のように色々なものを購入していた。

洋服、化粧品、食べ物、雑貨、雑誌類…。そのどれもが私にはなくてはならないもので、なくなると急に不安を覚え常に絶やさないようにしていた。

今年に入って病状が悪くなり、今までのように働けなくなってしまった。

当然お給料も激減した。

当初私は途方に暮れ、これから一体どうやって生活していこうか悩みあぐねた。

不安で仕方なかった。しかし現状は変わらない。

何とか今できる簡単な仕事を見つけ、その中ですべてやりくりしていくしかなかった。

それから約7ヶ月が経ったが、当初感じていた不安はなくなりなかなか満足のいく生活をしている。

もし私の人生でこれだけは必要なものは何かと聞かれたら、お茶と本だと答えるだろう。

お茶を飲みながら本を読んでいる時、不思議と充足感で満たされ「私の人生、これさえあれば満足に過ごしてゆける」と思えるのである。

そしてお金があった時私は一体なぜあんなにたくさんの物を欲し、それがないと生きていけないとまで思い込み、なぜ目の色変えてそれらを保持しようとしていたのだろうと愕然とした。

私は一体何がしたかったのだろう。何にとらわれていたのだろう。

何もかも削ぎ落とす心地良さというものがある。

以前必要としていてそれがないと生きていけないとまで思い込んでいたものが、実は本当は必要でなかったということがある。

本当はたいして必要としていなかったものに対して、目の色を変えてそれらを死守していた私の心は、それに対する執着がびっしりとこびりついていた。

そしてそれがないと自分はだめになってしまうのではないかと、自分の存在価値が失われてしまうのではないかと思い詰めるまでに、自分自身に対して自信がなかった。

それらへの執着を放し、大量のものから心を自由にすることで、執着でがんじがらめになっていた心が自由になった。

「真我」と呼ばれるように、私が私を織り成す最も元の部分、私という存在の中核の部分、私が私たる所以の部分が剥き出しになって現れ、その素のままの自分でこの世に立たされている清々しさ、晴れやかさに驚いた。

何も持たない私を、周囲の人は前と全く変わらず受け入れてくれた。

ありのままの自分が他人から認められたようで心から嬉しかった。

心の健やかな発展を押さえ込んでしまう重い装飾、自分を飾り立てようとする我も執着とともに降ろすことができた気がした。




 
(『シンプル 〜その1』
2010/10/20 14:07↑
 
added sentence & picture: w a r m a r t ;ID1098147↓
 
ある人(8120264)の日記。
承諾を得て転載。
 

http://m.youtube.com/watch?v=u_3dYnTtO6Y↑)
 
 

“危機的状況の中の希望”
 
先週の金曜、港町・横浜にある我が家を出て、午後3時前、いつも行く新宿のホテルにチェックインした。
普段から私はここに週3〜4日滞在し執筆活動やその他の仕事をしている。
 
部屋に入ってすぐに地震が起きた。
瓦礫の下敷きになると判断し、とっさに水とクッキー、ブランデーのボトルをつかんで頑丈な机の下にもぐりこんだ。
今にして思えば、高層30階建てのビルの下敷きになったらブランデーを楽しむどころではないのだが。
だが、この行動によってパニックに陥らずにすんだ。
 
すぐに館内放送で地震警報が流れた。
「このホテルは最強度の耐震構造で建設されており、建物が損傷することはありません。
ホテルを出ないでください」という放送が、何度かにわたって流された。
最初は私も多少懐疑的だった。
ホテル側がゲストを安心させようとしているだけではないのかと。
 
だが、このとき私は直感的に、この地震に対する根本的なスタンスを決めた。
少なくとも今この時点では、私よりも状況に通じている人々や機関からの情報を信頼すべきだ。
だからこの建物も崩壊しないと信じる、と。
そして、建物は崩壊しなかった。
 
日本人は元来“集団”のルールを信頼し、逆境においては、速やかに協力体制を組織することに優れているといわれてきた。
それがいま証明されている。
勇猛果敢な復興および救助活動は休みなく続けられ、略奪も起きていない。
 
しかし集団の目の届かないところでは、我々は自己中心になる。
まるで体制に反逆するかのように。
そしてそれは実際に起こっている。
米やパン、水といった必需品がスーパーの棚から消えた。
ガソリンスタンドは枯渇状態だ。
品薄状態へのパニックが一時的な買いだめを引き起こしている。
集団への忠誠心は試練のときを迎えている。
 
現時点での最大の不安は福島の原発だ。
情報は混乱し、相違している。
スリーマイル島の事故より悪い状態だがチェルノブイリよりはましだという説もあれば、放射線ヨードを含んだ風が東京に飛んできているので屋内退避してヨウ素を含む海藻を食べれば放射能の吸収度が抑えられるという説もある。
そして、アメリカの友人は西へ逃げろと忠告してきた。
 
東京を離れる人も多いが、残る人も多い。
彼らは「仕事があるから」という。
「友達もいるし、ペットもいる」、他にも
「チェルノブイリのような壊滅的な状態になっても、福島は東京から170マイルも離れているから大丈夫だ」という人もいる。
 
私の両親は東京より西にある九州にいるが、私はそこに避難するつもりはない。
家族や友人、被災した人々とここに残りたい。
残って、彼らを勇気づけたい。
彼らが私に勇気をくれているように。
 
今この時点で、私は新宿のホテルの一室で決心したスタンスを守るつもりでいる。
私よりも専門知識の高いソースからの発表、特にインターネットで読んだ科学者や医者、技術者の情報を信じる。
彼らの意見や分析はニュースではあまり取り上げられないが、情報は冷静かつ客観的で、正確であり、なによりも信じるに値する。
 
私が10年前に書いた小説には、中学生が国会でスピーチする場面がある。
「この国には何でもある。
本当にいろいろなものがあります。
だが、希望だけがない」と。
 
今は逆のことが起きている。
避難所では食料、水、薬品不足が深刻化している。
東京も物や電力が不足している。
生活そのものが脅かされており、政府や電力会社は対応が遅れている。
 
だが、全てを失った日本が得たものは、希望だ。
大地震と津波は、私たちの仲間と資源を根こそぎ奪っていった。
だが、富に心を奪われていた我々のなかに希望の種を植え付けた。
だから私は信じていく。
 




(村上龍 タイムアウト東京編集部翻訳)
2011/03/17 NYタイムズ
http://www.nytimes.com/2011/03/17/opinion/17Murakami.html↑
2011/03/18 タイムアウト東京
http://www.timeout.jp/ja/tokyo/feature/2581/↑
 
2011年東北地方太平洋沖地震
PC:http://ja.wikipedia.org/wiki/2011%E5%B9%B4%E6%9D%B1%E5%8C%97%E5%9C%B0%E6%96%B9%E5%A4%AA%E5%B9%B3%E6%B4%8B%E6%B2%96%E5%9C%B0%E9%9C%87
CP:http://www.sjk.co.jp/c/t.exe?y=http://ja.wikipedia.org/wiki/2011%E5%B9%B4%E6%9D%B1%E5%8C%97%E5%9C%B0%E6%96%B9%E5%A4%AA%E5%B9%B3%E6%B4%8B%E6%B2%96%E5%9C%B0%E9%9C%87
 
http://m.youtube.com/watch?v=E9dcOaBkSWg
 
 

  “歴史は繰り返す”
 
偶然だが、私は地震の前日、数日後の朝日新聞の朝刊に掲載された記事を書いていた。
その記事は1954年のビキニ環礁における水爆実験で被爆した漁師に関する記事だった。
私が彼のことを聞いたのは19歳のときだった。
後に彼は核抑止力の神話とそれを支持する人々の高慢さを批難するのに生涯を捧げた。
あの大震災の前日にあの漁師を思い起こすことになったのは一種の悲しい予兆だろうか。
彼はまた原子力発電所とそれがもたらす危険性とも戦った。
私は日本の近年の歴史を次の3つのグループの人々の視点を通して見る方法について熟慮を重ねて来た。
つまり、広島や長崎の原子爆弾で亡くなった方々、ビキニ環礁の水爆実験で被爆した方々、そして核施設の事故で犠牲になった方々である。
日本の歴史をこうした事件を通して考えれば悲劇は自明である。
今日、原子炉の危険性は現実になったのを確信することができる。
今全貌が明らかになりつつあるこの災害がどのように終わろうと、私は克服しようとする人々の努力には全幅の敬意を払っているが、この災害の意義はどう考えてもあいまいではあり得ない。
日本の歴史は新たな段階に入った。
そしてもう一度我々は核の力の犠牲になった人々の目の視点に立たねばならない。
苦しみながらも勇敢さを見せた男性たち、女性たちの視点に。
現在の震災から何を学ぶかは、この震災を生き延びる人々が過ちを繰り返さないと決意するかどうかにかかっているのだ。
 
この震災は、劇的な方法で、2つの事象を結びつけている。
日本の地震に対する脆弱性と、核エネルギーに代表されるリスクに対する脆弱性である。
前者はこの国がもとより直面してこなければならなかった現実である。
後者は、地震や津波によりもさらに壊滅的であることがあきらかになるであろうが、人災である。
日本広島の悲劇から何を学ぶであろうか?
2008年に亡くなった現代の日本の偉大な思想家の一人、加藤周一は、原子爆弾と原子炉に言及して、千年前に清少納言という女性によって書かれた『枕草子』の一節を引き、「とても遠くにあると見えるものも、実際には、とても近い」ものだと言っている。
核の悲劇も、遠く非現実的な仮説に見えるかもしれないが、その可能性はしかし常に我々の身近にあるのである。
日本人は核エネルギーを工業的な生産性の文脈で考えるべきではない。
広島の悲劇から経済成長の「レシピ」など引き出すべきではない。
地震、津波、そしてその他の自然災害のように、広島の経験は人類の記憶に深く刻まれるべきである。
人の手で生み出されたからこそ自然災害よりもはるかに悲劇的なのである。
原子炉を建設することで人間の生活をあからさまに蔑視する過ちを繰り返すのは、広島の犠牲者の記憶に対する、可能な限りで最悪の裏切り行為である。
 
日本が戦争に負けた時私は10歳だった。
その翌年新しい憲法が公布された。
私はその後何年にもわたって、我々の憲法に明記された、戦力の不保持や後の非核三原則(もたず・作らず・持ち込ませず)を含む平和主義が、戦後日本の基本的な理念の正しい表象たり得ているかを自問し続けてきた。
実際には、日本は段階的に再軍備をし、1960年代の密約でアメリカ合衆国が核兵器を持ち込むことが可能になったため非核三原則は無意味になってしまったが、戦後の人間の尊厳の理念は完全に忘れられたわけではない。
亡くなられた方々は我々がそうした理念を尊重するよう監視しているし、亡くなられた人々の記憶があるから我々は政治的現実主義の名のもとで核兵器の破滅的な性質を過小評価するわけにはいかない。
我々は分裂している。
現在の日本があいまいに見えるのはそのためである。
アメリカの核の傘に守られた平和主義者の国なのだ。
福島原発の事故で、日本人が再度、広島や長崎の犠牲者と連帯し、核の危険性を認識して、核の賛成派が提唱する核抑止力の幻想を払拭することが望まれている。
 
成熟したと一般に見なされる年齢に至って、私は『我らの狂気を生き延びる道を教えよ』という小説を書いた。
今晩年に差し掛かって、私は『最後の小説』を書いている。
私がこの狂気を何とか生き延びることができれば、その本の冒頭でダンテの『神曲』の最後の一節、「そして我々はもう一度星々を見るために外に出た」を引くつもりである。
 


(大江健三郎 HISTORY REPEATS)
2011/03/23 ニューヨーカー
PC:http://www.newyorker.com/talk/2011/03/28/110328ta_talk_oe↑
CP:http://www.sjk.co.jp/c/t.exe?y=http://www.newyorker.com/talk/2011/03/28/110328ta_talk_oe↑
http://blog.livedoor.jp/itobun/↑
 
http://www.youtube.com/watch?v=dENGxFil-bQ
 
http://www.youtube.com/watch?v=QCbW7bUVNw4
 
http://www.youtube.com/watch?v=CGqFXRqdDwk
 
 


夫から「ボランティア便り」が届いた。
夫の了解なく公開(笑)

夫は一昨日から被災地の瓦礫処理などの手伝いをするために石巻へ行っている。
所属するなんちゃらいうスポーツ系組織で誘われたらしい。
総勢5人でワンボックスカーで出かけ
被災しなかった地区の民宿に泊まり(もちろん自腹で)
朝食と夕食は民宿で
昼食はボランティアのための食事作りボランティアが用意してくれるらしい。


 ・・・・・・・・・・・


ボランティア便り?

昨日の夜10時に松島の目の前にある宿舎の旅館に到着。
あまりに海の近くなのにビックリ。

今朝食後8時に旅館出発、石巻を目指すも渋滞して9時過ぎ到着。
石巻は全国屈指の魚の加工、輸入集積の基地だそうだ。
この石巻で当地ならではのハードなボランティアを10時より開始。
それは港近くにある中堅水産物会社の破壊された冷凍庫に放置された、
千五百トンにもなる魚(カキ、カレイ、鮭、穴子、ホッケ)などを
梱包材と中身に区分し廃棄する作業。

冷凍庫の破壊から一ヶ月たって
やっと在庫品の処理まで手が回るようになって
まず一番に手をつけたようだ。

物は溶けかかり始めたところで
かなり臭いが、まだ良いほう。
これから気温が上がればその悪臭は想像できないくらいだろう。

後10日もすると悲惨な状態になると思われる。
会社の人の説明によると後2,3ヶ月はかかるそうだ。
ちなみに今日の処理は十数人で25トンだった。

同じような会社が2百社。
だからおおよそ千トン×2百の廃棄水産物ということになる。
この会社だけで時価四億円の損害。

明日もおなじ作業の予定。
廃棄水産物は岸から百キロメートルぐらい運び海洋投棄するそうだ。


 ・・・・・・・・・・・


ううむ。
かなりすごいことになってるんだね。
あまり想像したくないような状況だけど
千トン×2百の廃棄水産物・・・
この会社だけで時価四億円の損害・・・
なんて聞くと気の毒で言葉もない。

復興支援しなくちゃね。

ボランティア便り?ってことは
その?も来るかな。
来たらまた公開するね。

夫は63歳だけれど、メンバーの中には70歳の人もいるとのこと。
スポーツで鍛えてるとはいえ
それはそれですごいね。




 
(『夫からのボランティア便り?』
2011/04/26 02:20↑
 
added sentence & picture: w a r m a r t ;ID1098147↓
 
ある人の日記。
承諾を得て転載。
 
http://www.youtube.com/watch?v=Hj58NpanX3g
 
PC:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%A4%A7%E9%9C%87%E7%81%BD
CP:http://bbgate.froute.jp/pc2m/?_ucb_u=http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%A4%A7%E9%9C%87%E7%81%BD
 
東日本大震災について多くの詳しい報道・逸話にふれて、涙を零しました。
ただ。
これまで世界の様々な過酷な報道・逸話にふれても、これほどには同情できなかった鈍さに、改めて恥ずかしくも感じています。
もし親近感が薄くても、自身に起こったように想像力をもっと鍛えなくては、この今の世界を認識してゆくことにならない。
 
http://www.youtube.com/watch?v=w3AdFjklR50)
 
ハイデガーを読んでいると、確かに日常の忙しくしていたり、あるいはボ〜ッとしたりしている自分があまり集中的に見たり考えたりしていない存在のレベル(実存という存在の帯域)に思考を引きつけられるような感じがする。
日常的思考の一枚下の部分を注意深くのぞき込むような感じだ。
だから、『存在と時間』を読むだけで味わえるこうした感覚はとても価値がある。
日常性に張り付いたまんまになっているぼくたちの思考を一段深い所へと導いてくれる。
この一つの突破があったからこそ、ハイデガーのこの著書を不可欠の出発点として、実存主義的な心理療法のいくつかが開花することになったのだと思います。
ハイデガーの著書は、間違いなく私たちの心の一つの大事な帯域に焦点を合わせ、そこの課題に向き合うことの価値を私たちに知らしめている。

ログインすると、残り6件のコメントが見れるよ

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

存在と時間 ハイデッガー ハイデガー  更新情報

存在と時間 ハイデッガー ハイデガー のメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。