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孫崎亨・広原盛明・色平哲郎達見コミュの【色平哲郎氏からのご紹介】 末期がん公表 石巻の長純一医師が記者に語った「託したい思い」

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【色平哲郎氏からのご紹介】

石巻の地域医療支えた医師 死去 復興を 患者を 見つめて
末期がん公表 石巻の長純一医師が記者に語った「託したい思い」
朝日新聞 編集委員 辻外記子 2022年6月29日 16時


東日本大震災の後、宮城県石巻市に移住し、地域医療に貢献してきた医師の長純一さんが28日、多臓器不全で亡くなった。56歳だった。
末期の膵臓(すいぞう)がんを21日に公表し、「石巻がこの先、光り輝く町として復興する姿をみられないのは残念。少しでも思いを引き継いでもらえれば」。伝えたいことを整理する中、容体が急変した。


ちょう・じゅんいち 
1966年、東京都生まれ。信州大学医学部卒。
2012年、宮城県石巻市立病院開成仮診療所長に。
石巻市包括ケアセンター所長などを務め、22年1月、あゆみ野クリニック院長。

 
仮設で診療所長

長野県の佐久総合病院に勤めていた長さんは2011年、石巻市を訪れた。

5千人近い被災者が暮らす仮設住宅に付属の医療施設がないと知り、12年に仮診療所の所長に就いた。その後、市包括ケアセンター所長を務め、高齢者や病気のある人も住み慣れた地域で暮らせる「地域包括ケア」を根付かせようと尽力してきた。

異変を感じたのは、この春。おなかの違和感や便秘がひどくなった。5月下旬、近くの医療機関で診てもらうと、腹水がたまっていた。
6月2日に石巻市立病院でCTを撮ると、進行した膵臓がんで、肝臓や腹部リンパ節に転移していた。

「画像を見た瞬間、うすうすは疑っていた、進行膵臓がんだと悟りました。
予測した最悪のシナリオです。治癒は難しいと」

誕生日だった6月21日、自宅から動画投稿サイトでライブ配信し、病状を明かした。
腸閉塞(へいそく)に近い状態で食べられない。
嘔吐(おうと)を繰り返すため、鼻から胃に管を入れて体液を外に出した。
おなかが張り、眠るのも難しかった。


仲間が闘病支え

それでも、自宅療養を基本とした。市立病院在宅部門の後輩ら、仲間たちが24時間態勢で支えた。「僕は日本で最も幸せな患者です」と感謝していた。

在宅医療やケアの力を信じ、10年前の朝日新聞の取材で死について、こう答えていた。
「自宅で自然に近いかたちで家族にみとられる選択肢もあっていい」

亡くなる2日前、26日の取材に
「死ぬのは全然、怖くない。ただ、やり残したことが多くある。発信する時間が稼げるなら」。
外来で3週間、抗がん剤治療を受けた理由を語った。

最期については
「基本は自然に近いかたちで。石巻で過ごしたい」。言葉の通り、28日午後3時38分、自宅で逝った。

石巻に移り、10年。
被災者の不安の声に耳を傾け、寄り添う医療をめざしてきた。「十分ではなかったけれど一定(程度)は、がんばれたんじゃないか。心がけ、若い人に教えてきたことが根付いてくれれば」


後進に託す願い

掲げてきた目標「石巻を在宅医療日本一の自治体に」は後進に託す。

医療の今後については、「単に病気を治すだけでなく、幸福とは何かといった幅広い見方をし、患者さん中心の医療を広めてほしい」と願った。

3歳の娘がいる。
父になり、改めて子育てしやすい社会にしたいと思うようになった。
「成長を見届けられず、申し訳ない。子どもや命を守る社会をめざして闘っていたんだと知ってほしい」


・26日午後、自宅で取材に応じた長純一さん。口から食べることはできず、中心静脈から入れる輸液で栄養をとっていた
・自宅療養する患者を診る、石巻市立病院開成仮診療所長だった長純一さん
=2012年10月、いずれも宮城県石巻市

https://www.asahi.com/articles/ASQ6X4FX9Q6XUTFL013.html

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コメント(1)

惜しいね。立派な人を亡くしました。
ご冥福をお祈りします!
すい臓がんは怖い、私の従妹も去年、73才ですい臓がんで亡くなりました。

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