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戦国時代/戦国武将コミュの武田勝頼について

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いろいろと武田勝頼公についてのトピックスがあると思うのですが・・・


質問が重複していたら申し訳ありませんあせあせ(飛び散る汗)

実際武田勝頼公の評価ってどうなんですかね・・・


実のところ500年近く昔のことで本当のところどうだったかは分からないと思うん
ですけど、ネットでもあまり芳しい話を聞かなくて、教科書でも信長に負けた武
将とか武田家最後の人っていう認識しか一般の人には無いように思えます。



因みに僕は、武田勝頼の実績は再評価してもいいと思うし勝頼の擁護派なんですけど、

皆様はどう思いますか?

コメント(167)

柴辻さんは勝頼に対して容赦ないですから(笑)
新府城についてのフォーラムで確か一人だけ
勝頼をボロカスに言っていたような記述がありましたし(^^ゞ
信玄の政策は信長を思わせる革新的なものがあり、勝頼は踏襲に過ぎないという御意見でした。
虎馬さんは上杉武田に精通というところですか?
勝頼は信玄の跡継ぎでしたが、息子の後見人止まりになり、苦慮していたが、長篠合戦で重臣がなくなったあとも七年位領国護ってますし、鉄砲など近代化を推し進めた。
信玄みたく二回の大敗があっても立て直せた時より大勢力に囲まれ切迫してたから大変だったでしょうね。
>みなみさん

とんでもない。
上杉でさえも精通しているとは言えないのに
武田なんてとてもとても・・・
「武田勝頼と新府城」という本だったと思うのですが
新府城についてのフォーラムで確か柴辻さんだけが
勝頼を容赦なくぶった切ってましたので(笑)
まあ信玄を評価し過ぎのような気もしないでもないですが
その反動で勝頼の評価を下げるのはちょっと可哀想かな、と。
勝頼は……良いとこを探すほうが難しいなあ。

まず内政、財政が下手。
戦は金がかかるので軍事費を信玄は金山開発で調達していたので甲斐の年貢は下がったのですが、勝頼の時代に度重なる戦さと新府城建築などで上がってしまっています。
御蔭で甲斐の民は、商業や貿易で儲けているため税が安くなる信長の統治を望む者が多くなった、と天目山の合戦直前の文献にあります。
なお、この新府城建築で木材の持ちだし(代金を払わない)を、木曽義昌に負担させたので義昌の造反を招く元となりました。

外交もダメ。
やはり御舘の乱で上杉と同盟して北条を敵に回したのは、文字通り命取りでした。
北条が背後についているうちは、長篠の戦いで大敗した後でも、織田も徳川も積極的に武田領に攻め込めなかったのですが、同盟が決裂して北条と対陣している間に、織田と徳川の侵攻が急加速します。

家臣の掌握が出来ない。
信虎が追放されたように、武田は譜代の家臣の力が非常に強い家なので、信玄は家臣に敬愛されように気を配っていましたが、勝頼は自分の力を誇示することで亡き信玄を慕う家臣団を従えようとしました。
結果、一枚岩だった武田軍団は崩壊しました。

ただみなさん仰っているように、すでに信玄が信長、家康に喧嘩売った後に、信勝の陣代という中途半端な形で跡を継いだので、本当に難しい局面だったと思います。
へりくだって織田と同盟するか家臣になっても、信長のことなので時期を見て滅ぼされたかもしれませんしね。
勝頼は軍事面では信玄に負けず劣らずのものだったと思います。信玄が落とせない高天神城を陥落させたりしている実績がありますし、但し残念ながら直属の家臣の能力面が信玄の直属の家臣の能力面に劣るという事がありました。
勝頼は、彼が指導者の時期における甲斐武田家の存亡に関わる諸問題を解決出来ずに、結果として滅亡時の君主になりましたが、その一事をもって彼の父や祖父に劣る能力の持ち主であった、と断言する事は出来ないと思います。

特に、彼が指導者となった時期、経緯、そして指導者としての立場、さらにはその時点における武田家の内部構造と対外事情は、父祖の代と比較して非常に困難な要素が積み上がっており、同列に評価出来ない部分が多いと思います。

しかし、その一方で「勝頼が指導者となった時点で、既に甲斐武田家が大名として生き残れる可能性はほぼ無かった」とは、わたしには思えません。

結局のところ、彼は「父が一代で築いた武名と版図」に拘り過ぎた、自分自身の野心に見合った力量が無かったのだと考えています。
領民をしっかり治めていた信玄に比べ、人を見る目に欠けたのは否めません。ただ、信繁が戦死した後は、勝頼ならずとも統治に苦労していたはずです。

信玄は名将でしたが、武田滅亡の伏線を張ってしまった部分は評価が下がりますね
> しんちゃんさん
包囲網を突破した信長にとって、武田は同盟相手としての価値はなかったと思います。それに、家康と戦ってる武田と組めば、家康の心証に響きます。

更に言うなら、武田は信玄が同盟をポンポン破っていたので外交上信用がなかったから、同盟は結べなかったのではないかと思います。

長篠については、やはり支配地の豪族統制の一環で、やらざるを得なかった戦いであるため、戦術的なミスがなければ武田もまだ何とかなったと思います。

信玄よりも戦術的な才能は上と評される勝頼が信玄はやらなかった戦術的なミスで滅亡したのは皮肉としか言い様がないですね。
家督相続後(陣代ともいわれる)の勝頼と家臣との関係・政治経済・外交、これらを勝頼が家督相続後もまだ実質トップは信玄だった頃とトップが勝頼になった後で考えた場合、トップが勝頼になってから急速に悪化したものって何がありましたっけ?
勝頼の時代、領土は拡大しているし、別段勝頼が愚将だったとは思えない。
甲陽軍鑑は、完全に信用にたる文書でもないですしね。

ただ、小名や豪族の集合体であった武田氏は、すでに時代の要請が違う方向に向かっていた以上、体制を変えられなければ生き残れなかったであろうことは明白な訳で、その中で変革しきれなかったのは、事実ではあります。

お館の乱の上杉加勢が間違いだったかどうかについては「結果論で判じる」のではなく、あの頃の情勢的にどうであったか?ということかと。

北条は基本的に「相手を利用するが、自分は積極的に助けない」というような性質を持っていて、信玄でさえ一度同盟を破棄しているのは事実ですしね。

また、勝頼のころには金山が枯渇し、再度年貢に頼らなければならない状況であったと指摘する学者もいますし。

この当時は中央集権に移行していかなければ、信長に対抗できない状況であったことは事実でしょう。

また、長篠の合戦は「鉄砲で破れた」ということは俗説であることは明らかであり、実際は別の要因であったと考えるべきかと思います。

考え方の一つとして「一門衆への統制力が弱かった」というものがあるかと思います。
穴山信君や信廉が撤退していたとする、新田次郎の「武田勝頼」は小説ながら信憑性の高い解釈であったのではないでしょうか?
>>[143]

武田ファンなら、せめて徳川をぶっ潰してから帰国して欲しかった、てとこかな?
>>[146]

あ、こちらも一般的な武田ファンの事を言っただけで。
義信が生きていたら…というのは、気になるifではあります。

器量然々はおいといて、少なくとも勝頼みたく、
信長との戦いにおいて家臣団が次々と裏切る、なんてことはなかったでしょうね。

穴山梅雪の寝返りも、妻(勝頼の異母姉)の勧めもあったらしいですが、腹違いの勝頼のことは嫌っていても義信とは同母兄弟ですし。
>>[149]

義信が謀反を成功させ信玄を殺害し当主に座った場合という事でしょうか?
>>[150]
謀反起こさず、信玄から当主の座を引き継いでいた場合、ということです。
穴山の場合は北条と徳川に挟まれやむを得ず裏切ったという事情を考慮してあげないと両人ともに可哀想です。
> 謀反起こさず、信玄から当主の座を引き継いでいた場合、ということです。

義信の可能性っていかほどだったのでしょうね。一応30歳まで生きています。この間、特に凄い事をした記録は残ってないようです。もちろん手柄は全て信玄のものにされた可能性もありますが。
>>[157]

勝頼が明知城を落としたとき1万以上の兵力が動いたらしいですし、武田家滅亡時にも織田軍が美濃から信濃に侵入しておりますので、事前に戦略拠点(勝頼にとっての岩村城・織田軍にとっての木曾氏の領地)を確保しておれば大軍の移動もさほど困難ではないと思われます。

信玄西上時、ほっとくとやっかいな障害物(=家康)を先に叩くのは戦略として正当ですし、長篠の場合は城主奥平氏が直前まで武田の傘下にいたのですから、長篠城を岐阜よりも先に落とさねば威信に傷がつきますし、三河・遠江戦線で不利になってしまいます。

最初のご質問に戻りますが、もしも義信が当主で美濃方面に野心があって木曾氏を軍門に下して今川家が健在なら史実の秋山・勝頼と同じルートで美濃に侵入することは可能であったと考察いたします。
史実で山県が飛騨の国人を傘下にしてますのでそこから別動隊派遣、という手もありますな。

あくまで、妄想です
う~ん片倉騎馬銃隊などという例外もあるが騎兵が火縄銃を撃つのが構造的に難しい時代、騎兵戦(実際は馬は貴重なので後方に繋いで槍で徒歩突撃)に拘った戦術上の致命的欠点。他所のトピに武田の通った後はペンペン草も生えない、みたいな投稿がありましたが略奪を是とする軍規も滅亡を後押ししたのでは?
15000程度の兵力で38000の織田徳川とぶつかろうと思うなよ!

大軍で寡兵に当たるのが兵法の基本中の基本。

信玄は生涯1度も寡兵で戦ってないよ。信濃、越後戦と常時兵力優性で戦っている。


武将としては優秀だけど相手が悪い。信長や家康はとびぬけてますからね。自分は信玄推しなので信玄が生きていればと思ってます。

 上杉家の跡目争いに介入したあげく
 北条氏政の弟を救えなかったのは悪手でしたな

本当なら義信が家督を継ぎ義信をサポートする役が彼にとってベストだったと思いますね。

また長篠戦後は何をやっても全てが悪い方向へ動きましたね。
御館の乱での判断ミスは決定的すぎる。

上野沼田の地を得るがために北条との絆を壊すとは見る目が無さすぎる。

もっとも、木曽義昌が裏切るとは思ってなかったろうけど、最悪の事態を考慮すべきだったでしょうに。

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