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石川啄木〜釧路時代の輝きコミュの銘酒屋について

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「近代デジタルライブラリー」の資料には、このような資料もあります。

明治43年の「浅草繁昌記」です。

啄木が東京で彷徨した場所です。

啄木のメモの「One night of a hotel , near Ueno station.」のことでしょうか。

マサや花を探す資料です。「石川さく」は見つかりませんでした。でも、五区に「松藤さく」という名前がありました。この人なのかもしれません。現在のところ、他に見つからないので、その人ではないかと仮定しています。

啄木が魔窟に耽溺していく様を、自身で記述されています。


啄木日記より

明治41年
八月廿一日
 夜。金田一君と共に浅草に遊ぶ。蓋し同君嘗て凌雲閣に登り、閣下の伏魔殿の在る所を知りしを以てなり。
 キネオラマなるものを見る。ナイヤガラの大瀑布、水勢鞺鞳として涼気起る。既にして雷雨あり、晴れて夕となり、殷江の雲瀑上に懸る。月出でて河上の層楼窓毎に燈火を点ず。児戯に似て然も猶快を覚ゆ。
 凌雲閣の北、細路紛糾、広大なる迷宮あり、此処に住むものは皆女なり、若き女なり、家々御神燈を掲げ、行人を見て、頻に挑む。或は簾の中より鼠泣するあり、声をかくるあり、最も甚だしきに至つては、路上に客を擁して無理無体に屋内に拉し去る。歩一歩、“チヨイト”“様子の好い方”“チヨイト、チヨイト、学生さん”“寄つてらつしやいな”
 塔下苑と名づく。蓋しくはこれ地上の仙境なり。
 十時過ぐるまで艶声の間に杖をひきて帰り来る。

八月廿二日
 人は時として、否、常に、その生活の平凡単調に倦んで、何かしら刺戟――可成強烈な刺戟を欲する。今日の一日は、その刺戟を欲する心に終始した。そして殆んど一日金田一君とそんな事を語り合つた。
 如何なる刺戟も、遂に人間の無限なる慾望を満足させうるものでないといふ事は解つてゐる。解つてゐて、猶且吾ら日夕の単調に倦んだ者は、何らかの刺戟を需めて止まぬ。
 昨夜歩いた境地――生れて初めて見た境地――の事が、終始胸に往来した。
 結婚といふ事は、女にとつて生活の方法たる意味がある。一人の女が一人の男に身をまかして、そして生活することを結婚といふのだ。世の中ではこれを何とも思はぬ、あたり前な事としてゐる。否、必ずあらねばならぬこととしてゐる。然るに“彼等”に対しては非常な侮蔑と汚辱の念を有つてゐる。
 少し変だ。彼等も亦畢竟同じ事をしてゐるのだ。唯違ふのは普通の女は一人の男を択んでその身をまかせ、彼らは誰と限らず男全体を合手に身をまかせて生活してるだけだ。
 今の社会道徳といふものは、総じて皆這麼不合理な事を信条としてゐる。
 午後宮崎君の父上へ礼状、岩崎宮崎並木三君へ近況を報ずるの書とをかいた。
 この日の朝筑紫の人から長い長い手紙が来た。“遠き兄君啄木様”!!
 夜、また行かうか行くまいかと二人で語り合つたが、遂々行かず了ひ。


明治41年11月1日
(略)足はいつしか塔下苑に進んだ。……… O-mi-tsu-san !………妙な気持であるいてゐると、一人の男が後から来て突当つた。後で気がついたが、此時予は、七十銭を引いて四十銭五厘と実印と入つてゐる財布をすられたのだ。
(略)
11月7日
(略)
Hitachiya. Masako ―――――― Tatsumiya mine. 856. Senzoku-cho 2 chome.

11月10日
(略)八時半頃に遂々出かけた。寒さに肌が粟立つ夜であつた。浅草にも遊び人が少なかつた。苑中は不景気、従つて随分乱暴に袖をひく。
 Kiyoko は金の入歯をした、笑くぼのある女であつた。Masako は風邪気味だと言つて、即効紙を額にはつてゐた。――
 妙に肌寒い心地で十二時に帰つた。
 モウ行かぬ。
(略)

明治42年1月19日
(略)十時頃に太田と春日町まで来て、予は一人電車をおりた。生温るい風はまだ吹いてゐた。生温い風は予をしてまた電車にのらしめた。そして本郷から上野、浅草行、街路はぬかつてゐた。
[摘要欄]太田北原と四谷に飲む。
[受信欄]Masa齋藤佐蔵より賀状、

3月14日
(略)そして四時頃から二人で散歩に出かけ、浅草に行つて活動写真を見、それから塔下苑をどこといふこともなくあるいた。三軒許り入つて茶をのんで出た。友はしきりに或る昂奮の状態を示してゐた。帰つたのはモウ十二時過ぎ、広小路の牛めし屋でいくたの自由思想家の酒をのんでるところで飯をくつて来た。
 日曜らしい日曜だつた。
4月10日
(略)いくらかの金のある時、予は何のためろうことなく、かの、みだらな声に満ちた、狭い、きたない町に行った。予は去年の秋から今までに、およそ十三、四回も行った。そして十人ばかりの淫売婦を買った。ミツ、マサ、キヨ、ミネ、ツユ、ハナ、アキ…名を忘れたのもある。予の求めたのは暖かい、柔らかい、真っ白な身体だ。身体も心もとろけるような楽しみ。
(略)

4月26日
(略)「今夜だけ遊ぼう!」
 そして二人は八時頃家を出て、どこへ行こうとも言わずに浅草へ行った。電気館の活動写真を見たが興がないので間もなく出て、そして塔下苑を歩いた。なぜか美しい女が沢山眼についた。とある所へ引っ張り込まれたが、そこからはすぐに逃げた。そしてまた別の所へ入ると、「ゼスチュア」に富んだ女がしきりに何か奢ってくれと言う。「弥助」を食った。
「新松緑!」それはいつか北原と入って酒を飲んだ所だ。二人は十時半頃にそこへ入った。たま子という女は予の顔に見覚えがあると言った。美しくて、そして品のある(言葉も)女だ。その女がしきりにその境遇についての不平と女将(おかみ)のひどいことと、自分の身の上とを語った。予は壁に掛けてある三味線の糸を爪ではじき、果てはそれを取りおろしておどけた真似をした。なぜそんな真似をしたか? 予は浮かれていたのか?
 否! 予は何ということもなく我が身の置き所が世界中になくなったような気持ちに襲われていた。「頭が痛いから今夜だけ遊ぼう!」それはウソに違いない。そんなら何を予は求めていたろう? 女の肉か? 酒か? 恐らくそうではない! そんなら何か? 自分にもわからぬ!
 自意識は予の心を深い深いところへ連れて行く。予はその恐ろしい深みへ沈んで行きたくなかった。ウチへは帰りたくない。何かいやなことが予を待ってるようだ。そして本郷がバカに遠い所のようで、帰って行くのがおっくうだ。そんならどうする? どうもしようがない。身の置き所のないという感じは、予をしていたずらにバカな真似をせしめた。
「わたし、来月の五日にここを出ますわ、」とたま子が悲しそうな顔をして言った。
「出るさ! 出ようと思ったらすぐ出るに限る。」
「でも借金がありますもの。」
「いくら?」
「入るとき四十円でしたが、それがあなた、段々積もって百円にもなってるんでございますわ。着物だって一枚もこしらえはしないんですけれど……」
 予はもう堪えられなくなるような気がした。泣くか、冗談を言うか、外に仕方がないような気持ちだ。しかし予はその時冗談も言えなかった。無論泣けなかった。
 帳場ではたまちゃんの悪口を言ってる女将の声。そとには下卑た浪花節とひょうきんなひやかし客の声と、空虚なところから出るような女芸人の歌の節!
「浮世小路! ね!」と予は金田一君に言った。
 酒を命じた。そして予は三杯グイグイ続けざまに飲んだ。酔いは忽ち発した。予の心は暗い淵へ落ちて行くまいとして病める鳥の羽ばたきするようにもがいていた。
 イヤな女将が来た。予は二円出した。そして隣室に行っておえんという女と五分間ばかり寝た。たまちゃんが迎えに来て先の部屋に行った時は、金田一君は横になっていた。予はものを言いたくないような気持ちだった。……とうとう淵へ落ちたというような……
 出た。電車は車坂迄しかなかった。二人は池之端から歩いて帰った。予は友によりかかりながら言い難き悲しみの道を歩くような気持ち。酔ってもいた。
「酒を飲んで泣く人がある。僕は今夜その気持ちが分ったような気持ちがする。」

二十七日 火曜日
 ハッと驚いて眼をさますと枕元におきよが立っていた。泣きたい位眠いのを我慢してハネ起きた。
 曇った日。
 昨夜のことがつまびらかに思い出された。予がおえんという女と寝たのも事実だ。その時何の愉快をも感じなかったのも事実だ。再び予があの部屋に入って行った時、たまちゃんの頬に微かに紅を潮(ちょう)していたのも事実だ。そして金田一君が帰りの道すがら、ついにあの女と寝ず、ただ生まれて初めて女とキッスしただけだと言ったのも事実だ。その道すがら、予は非常に酔ったようなふりをして、襲い来る恐ろしい悲しみから逃げていたのも事実ならば、その心の底のなるべく手を触れずにそっとしておきたかった悲しみが、三円の金を空しく使ったということであったのも事実だ。
 そして今朝予は、今後決して女のために金と時間を費やすまいと思った。つまり仮面だ。
五月一日
(略) 尾張町から電車に乗った。それは浅草行きであった。
「お乗換は?」
「なし。」
 こう答えて予は「また行くのか?」と自分に言った。
 雷門で降りて、そこの牛屋へ上って夕飯を食った。それから活動写真へ入ったがちっとも面白くない。「スバル短歌号」を雑誌屋で買った。
「行くな! 行くな!」と思いながら足は千束町へ向かった。常陸屋の前をそっと過ぎて、金華亭という新しい角の家の前へ行くと、白い手が格子の間から出て予の袖を捕えた。フラフラとして入った。
 ああ! その女は! 名は花子。年は十七。一目見て予はすぐそう思った。
「ああ! 小奴だ! 小奴を二つ三つ若くした顔だ!」
 程なくして予は、お菓子売りのうす汚い婆さんとともに、そこを出た。
 そして方々引っ張り廻されての挙句、千束小学校の裏手の高い煉瓦塀の下へ出た。細い小路の両側は戸を閉めた裏長屋で、人通りは忘れてしまったように無い。月が照っている。
「浮世小路の裏へ来た!」と予は思った。
「ここに待ってて下さい。私は今戸をあけてくるから、」とばあさんが言った。何だかキョロキョロしている。巡査を恐れているのだ。
 死んだような一棟の長屋のとっつきの家の戸を静かに開けて、婆さんは少し戻って来て予を月影に小手招ぎした。
 婆さんは予をその気味悪い家の中へ入れると、「私はそこいらで張り番していますから、」と言って出て行った。
 花子は予よりも先に来ていて、予が上るが否や、いきなり予に抱きついた。
 狭い、汚い家だ。よくも見なかったが、壁は黒く、畳は腐れて、屋根裏が見えた。そのみすぼらしい有様を、長火鉢の猫板の上に乗っている豆ランプがおぼつかなげに照らしていた。古い時計がものうげになっている。
 煤びた隔ての障子の陰の二畳ばかりの狭い部屋に入ると、床が敷いてあった――少し笑っても障子がカタカタ鳴って動く。
 微かな明りにジッと女の顔を見ると、丸い、白い、小奴そのままの顔がうす暗い中にポッと浮かんで見える。予は眼も細くなるほどうっとりとした心地になってしまった。
「小奴に似た、実に似た!」と、幾度か同じことばかり予の心はささやいた。
「ああ、こんなに髪がこわれた。イヤよ、そんなに私の顔ばかり見ちゃ!」と女は言った。
 若い女の肌はとろけるばかり温かい。隣室の時計はカタッカタッと鳴っている。
「もう疲れて?」
 婆さんが静かに家に入った音がして、それなり音がしない。
「婆さんはどうした?」
「台所にかがんでるわ。きっと。」
「可哀そうだね。」
「かまわないわ。」
「だって可哀そうだ!」
「そりゃ可哀そうには可哀そうよ。本当の独り者なんですもの。」
「お前も年をとるとああなる。」
「イヤ、わたし!」
 そしてしばらく経つと、女はまた、
「いやよ、そんなにわたしの顔ばかり見ちゃ。」
「よく似てる」
「どなたに?」
「俺の妹に。」
「ま、うれしい?」と言って花子は予の胸に顔を埋めた。
 不思議な晩であった。予は今まで幾度か女と寝た。しかしながら予の心はいつも何物かに追っ立てられているようで、イライラしていた。自分で自分をあざ笑っていた。今夜のように眼も細くなるようなうっとりとした、縹渺とした気持ちのしたことはない。
 予は何ごとをも考えなかった。唯うっとりとして、女の肌の温かさに自分の身体まであったまってくるように覚えた。そしてまた、近ごろはいたずらに不愉快の感を残すに過ぎぬ○○○、この晩は○○○○○○のみ過ぎた。そして予は後までも何の厭な気持ちを残さなかった。
 一時間経った。夢の一時間が経った。予も女も起きて煙草を喫った。
「ね、ここから出て左へ曲って二つ目の横町の所で待ってらっしゃい!」と女はささやいた。
 シンとした浮世小路の奥、月影水のごとき水道のわきに立っていると、やがて女が小路の薄暗い片側を下駄の音かろく駆けて来た。二人は並んで歩いた。時々そばへ寄って来ては、「ほんとにまたいらっしゃい。ね!」
       ――――――――――――――
 宿に帰ったのは十二時であった。不思議に予は何の後悔の念をも起さなかった。「縹渺たる気持ち」がしていた。
 火もなく、床も敷いてない。そのまま寝てしまった。
六月一日 火曜日
 午後、岩本に手紙を持たしてやって、社から今月分二十五円を前借りした。但し五円は佐藤氏に払ったので手取り二十円。
 岩本の宿に行って、清水と二人分先月分の下宿料(六円だけ入れてあった)十三円ばかり払い、それから、二人で浅草に行き活動写真を見てから西洋料理を食った。そして小遣い一円くれて岩本に別れた。
 それから何とかいう若い子供らしい女と寝た。その次にはいつか行って寝た小奴に似た女――花――のとこへ行き、ヘンな家へおばあさんと行った。
 おばあさんはもう六十九だとか言った。やがて花が来た。寝た。何故かこの女と寝ると楽しい。
 十時頃帰った。雑誌を五六冊買ってきた。残るところ四十銭


啄木の書簡から
明治43年10月10日 岡山兄に宛てた手紙には、塔下苑をぶらついて、英語の名刺TAKASAGOYA MASAや「満め子」の名刺をもらう記載があります。

近代デジタルライブラリには「裏面の東京」という本の中に、ローマ字で印刷された名刺を渡されるくだりが描かれています。→http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/907649/114


浅草の塔下苑付近を題材にしたものに、最近のものとしては「ゆめまち観音」という映画があります。

それから、今東光「十二階崩壊」や江戸川乱歩も「押絵と旅する男」を書いてます。

ネットで、「浅草十二階」で検索すると当時のことがよくわかります。
こんなサイトもあります↓
http://www.12kai.com/12kai/literature.html

また、次のサイトには当時の簡単な地図があります。(http://www.12kai.com/12kai/12kaishita.html)
或いは、明治42年11月発行のものもあります。→http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1910819/7

啄木のメモ「啄木全集第六巻 308ページ」とほぼ同じです。

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