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石原莞爾平和思想研究会コミュの北方領土への侵攻

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1945年8月18日以後の2週間は北方領土にとってとても大切な決め事がありました。その前にエピソードにふれておくと、実は目に見えない形でスターリンとルーズベルトの話し合いで、日本に対抗するためドイツ降伏から三ヶ月以内にソ連は日本に開戦すること合意していました。

このときにスターリンは、自国民を納得させるために樺太の南半分とクリル諸島はソ連に返還されるべきだと申し出たのです。この申し出にルーズベルトはなんのためらいもなく、「終戦に際し樺太の南半分とクリル諸島がロシア側に引き渡されることはなんの問題もないであろうと思う」と答えています。あえていえば、ルーズベルトは誤解していた。

1875年に樺太千島交換条約によって、日本は千島列島をすべて手に入れていました。さらに1905年のポーツマス条約により日露戦争の戦果として樺太の南半分を得ていました。ところがルーズベルトは千島列島もまた樺太の南半分と同様に日露戦争によって日本が獲得していたと誤解していたのです。

千島列島のすべてを交換するとの条約以前に、日本は北方四島に関しては1875年にロシアとの間で協議を行い決めていたのです。もとよりルーズベルトはそのことを知らないのです。ルーズベルトが会談に出席する前にこうした問題にくわしい大学教授がレポートを国務省に託し、国務省のスタッフもルーズベルトのもとにその文書を届けていたという。

ルーズベルトはこのレポートにまったく目を通さずにソ連を対日戦線に引き込もうと、そればかりに意をそそいだのです。スターリンも極めてトリッキーな方法で北方四島を含めてのクリル諸島を手に入れてしまったが、この戦術が成功したことに喜び、さらにより強力に日本の領土獲得に乗り出したということがいえます。

スターリンは日本軍の武装解除など関係なしにクリル諸島の武力制圧、占領を考えたのです。クリル諸島の最北端にある占守島へのソ連軍の攻撃は8月18日から始まりました。占守島の日本軍守備隊はソ連軍との戦闘で自己防衛の観点からよく戦ったということになるでしょう。

逆説的な言い方になりますが、本来日本軍は8月15日以後、武装解除の方針であり、戦ってはならないというのが大本営の意思でした。その意思は第5方面軍司令部(札幌)から現地部隊に伝えられたのですが、その前に現地部隊は自己防衛のために戦い、つまりはソ連軍の日本侵出そのものを遅らせることにもなったのです。

双方に多数の死傷者がでていますが、あえていえばスターリンの作戦命令による犠牲者だということです。極東ソ連軍は占守島からウルップ島への8月31日までの間に兵力を進めています。これらの国土は日本領であったのですが、とにかくソ連軍に「日本の武装解除後に奪取された」との言い方ができます。

そのソ連軍が、北方四島に入ったのは8月28日です。択捉島には1万3千人余の日本兵が待機していたが、ソ連軍との戦闘はなしに降伏しています。これにはソ連軍は驚いた様子で、ここにはアメリカ軍がすでに進駐しているのではないかとしきりにそのような質問を日本軍の将校にぶつけているのです。

これだけの日本軍将兵をどのように扱うかについて、ソ連軍も困惑したようであったのですが、彼らはしかしすべてシベリアの抑留所に送られてしまったのです。こうしてソ連軍が国後島に入ったのは、昭和20年9月1日だったされています。

ソ連の共産党史や第二次世界大戦に関する著作物は、「クリル諸島の占領は、9月1日に完了したと記すことになった」と木村著の「新版 日露国境交渉史(北方領土返還への道)」には書かれています。

ところが、択捉、国後、色丹の3島へ上陸した後の時期となってはじめて、ソ連最高司令部は歯舞群島も占領する決定をくだした。9月2日に北太平洋艦隊司令官がその旨を命令し、9月3日ソ連部隊は歯舞群島を構成する島々への上陸を開始し、9月5日までに全島の占領を完了したのです。

極東軍事裁判法廷が山形県酒田市迄出張して、吹浦町西山で病床に服する石原莞爾を尋問すべく軍事法廷を開いた。石原莞爾平和思想研究会元出納長・仲條立一氏に聞くと昭和22年5月1〜2日酒田市臨時特設法廷で始まり、エリマ・ノースクロット判事の「尋問に先だって何か言う事はないか。」の発言に次のように記憶しています。

「米国の無差別爆撃や原子爆弾の使用は、全く非人道的な暴虐行為であり、国際法を完全に侵犯したものだ。私が総理大臣だったら米国に対して賠償を要求する。もう完全に参っていた日本に原爆をくらわせたのは、米国が日本を原爆の実験台にしたのではないか。」

「ソ連が不可侵条約を一方的に破って戦争を仕掛けたうえ、何十万の捕虜を連れて行って酷使したことは、非人道の極みである。これを見たマルクスが地下で泣いているだろう。今度の裁判なるものは、馬鹿げた猿芝居だ。ルーズベルトは死んだから仕方ないが、トルーマン、スターリン、チャーチルを集め日本からは及ばずながら私が出て、堂々と論戦したらよかろう。それが本当の戦争裁判だ。」石原莞爾は歯に衣着せず、酷評しました。

「トルーマンは政治家の落第生だ。彼はなぜ戦争の土壇場になってソ連を参戦させたか。ソ連の助けを借りなくとも日本はもう参っていた。鳶に油揚げをさらわれるようなものではないか。トルーマンのとった行動は、大笑話として後世の歴史に残るだろう。おかげで全世界諸国こそ、いい迷惑だ。ルーズベルトにしても、似たり寄ったりだ。」

以上のような証言が出張法廷の概要であったようだが、その夜は酒田の街に集った外人記者達が喜んで騒いでいたと。「敗戦後初めて堂々と自己主張した日本人が居た。」と。

北方領土、二島を追う者一島も得ず。(笑)

コメント(4)

今、沖縄の島々が 過疎化し、繁栄しているとは とても言えない状況を見ると 戦後 じわじわと 千島列島は中国、ソ連、アメリカ、カナダなどから 借款されたり、実効支配された可能性が高いかもしれません。開戦にバラ売りをするのも 面白かったかもです。千島列島にイタリア島、ドイツ島、カナダ島、ソ連島、ユダヤ島、アイルランド島、満州島、、、願ってもない飛び地ではないでしょうか。今ならきっと国際見本市列島です。そして お互いが牽制仕合い 極東を護る役目も 果たしてくれたかも。中国共産党は誕生しなかったかもです。
ソ連やロシアの大戦のやり口を聞いているだけで気分が 悪くなる、 本当に最低の国です。
>>[1] 侵略には触れた、反省もお詫びもしました。しかし、安倍談話には、あえて述べなかったこともあります。戦時国際法にも平時国際法にも反する形で、60万人がソ連領に強制連行され、そのうち6万人が死に追いやられたシベリア抑留。なおかつ、北方四島はいまだに不法占拠されたままです。

ロシアとの関係でいえば、日本は侵略された側なのですが、そのことには一言も触れていません。千島では、ポツダム宣言を受諾したにもかかわらず、武装解除を準備中だった日本軍が奇襲された「占守島の戦い」もありました。

そうやって日ソ中立条約が一方的に侵犯されたのも史実なのですが、外交官も関与した村山談話や小泉談話は条約侵犯という重要な史実を全然語らないのです。安倍談話でも対ロシアに関して日露戦争には触れているものの、この条約違反問題にはやはり言及しませんでした。ある意味、これはロシアに対するシグナルであるはずなのです。
>>[2] 終戦直後の昭和20年8月18日、千島列島の最北端占守島に、突如ソ連軍が上陸、攻撃してきました。終戦の詔勅に涙をぬぐい、武装解除の準備を始めていた日本兵は自衛のため再び銃をとり、ソ連軍と戦わなければならなかったのです。日本軍とソ連軍は入れ乱れて激烈な戦闘を続け、双方多数の犠牲者を出しながら、日本軍有利のうちにようやく停戦、武装解除にこぎつけたのは終戦の詔勅がくだされてから7日目の8月22日でした。

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