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幕末総合[倒幕/佐幕/女達男達]コミュの文久元年(万延二年)

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「文久元年(万延二年・1861年)」

一応、幕末に関する何でもありな総合コミュを目指す、
ということで、人物や団体、事件など以外でも、「年」で
くくったトピックがあってもいいかな、と思ったので、
試してみますね。

文久元年に起きた事で、皆さんの思いついたことを何でも
書き込みいただければ幸いです。
本当に何でも。前後の文章の流れと関係なくてもいいですし、
箇条書きみたいな感じでもかまいません。
思い入れのある人物だと、この年なにがあった、とか
けっこう覚えているものですよね。

文久三年や慶応四年(明治元年)などもどなたか作って
いただければ幸いです。
「慶応三年11月」のように、幕末好き的に話題に事欠かない
期間は、「月」でくくっても面白いかもしれませんね。

コミュinコミュもそうですが、時々こうやってふと思いついた
ことをやっちゃう方です。
皆様もどんどんお試しで新規トピックを御作成ください。

コメント(8)

なぜ最初に文久元年かと言えば、昨年後半くらいから、
自分の頭の中で、小説のような漫画のような、物語というか
絵日記というか、そのどれでもないのですが、
幕末に生きた人々の日常を、日時と場所を設定して思い描くように
なりました。

それが文久元年の江戸の下谷、御成道あたりです(現在の秋葉原付近)。
ここには、本由と呼ばれる情報屋さんが古本屋さんをやっていて、
伊庭道場や昌平坂にも近く、この町を通る若い幕臣たちが
どんな話をしていたのかな、とか、そんなことばかり考えて
いました。

私は小説家でも漫画家でもないですが、幕末の物語の創作
をされる方には、自分の興味がある人物や事象以外で、
その「年」に起きたことがまとめて書かれていたら、なにか
参考になるかもな、って思いました。

どんなことでもいいので、「文久元年」、よろしくお願いいたします。
すぐ思いついたのは、近藤勇が天然理心流の宗家を継いだのが
この年みたいですね。例の野試合も。
結婚も同じ年かと思ったら、それは前年の万延元年だそうで。

まいど彼女のことを書きますが、稲本楼の四代目小稲は、
まだ「左近」という名前です。
姉遊女の右近が三代目小稲を継いだのが、この年。

この前、古書店で買った
『近世の流行神』(宮田登 著・評論社 発行)という本の
最後に、江戸時代の年表があって、それによると、

1月 江戸大火
 春より物価高騰
5月 異星現わる
5〜6月 炎旱続く
12月 和宮降嫁
浮浪の者関東を横行す。


「異星現わる」にはちょっと惹かれちゃいます。
いったいどんな星だったのでしょうか?

そうそう、和宮と家茂の結婚もこの年のメジャーな事件ですね。
「浮浪の者」も増えて、治安も悪くなっていたみたいです。
・文久元年の清河八郎・

昨年、早稲田の古書市で、

『続 江戸ルポルタージュ -異説と実説-』綿谷雪 昭和36年 人物往来社

という本を買いました。

その中に「清河八郎の多忙人生」という項があり、筆者は清河を
追っていた密偵の日記を引用しています。
潜行遊説をしていた清河を越後から鶴岡までつけ回していたそうです。

『文久元年酉七月、越後新潟より羽州鶴ケ岡出役書留、清河八郎事跡』
より、清河の人相書部分

***

清河八郎
一、出羽国清川村出生
一、歳三十二、若き方に相見候
一、中丈中肉
一、顔長き方
一、色白く
一、月代濃く
   但し、逃去之節惣髪を半髪にいたし候

***

この後に、八郎所持品を記しています(脇差や鉄扇などの詳細)
基本的には「悪人」の人相書きですから、「美男」などの誉め言葉は
無いですが、若き方に相見候、顔長き方、色白く、などは、当時の
美醜感から考えると、イイ、と思われる表現です。
八郎の同道者の安積五郎の人相書きがこの後に続くのですが、
彼は、と言えば、
一、歳三十一
   但、三十五六位相見候
一、丈高く中肉
一、顔角そり候方
一、色黒く
一、あわた有之
一、右の方片目

と、かなり解りやすい特徴のお顔をしていたようです。

八郎の人相に戻りますが、
「一、月代濃く
   但し、逃去之節惣髪を半髪にいたし候」
の月代が濃い、は月代の剃り跡が濃い、という事だと思うのですが、
髪が濃いという事も意味しているのかもしれません。
下は、適当に訳せば
「ただし、逃げ去る時に総髪を半髪にした」
だと思いますが、総髪から月代を剃って、普通の髷を結った、
という事かもしれません。


出版社の「人物往来社」は、新人物往来社の間違いではなく、
本当に「新」がありません。

昭和40年代以降は、幕末関係の研究本もずいぶん出版されますが、
30年代になると、グッと少なくなりますね。
初カキコミです。よろしくお願いします。

平野太一さん、面白いトピ立てありがとうございます。

私は岡田以蔵が好きなのですが、
彼が主に活躍(?)したのは文久2年下半期。
文久元年になると、あれれ? となってしまいました。

また、万延元年なら、
岡田以蔵は、武市瑞山とともに、
九州を剣術遊歴(同乗破り?)をしているのですが、
その後、どこで、どうしてたんだろう。
いろいろなことが、まだまだ断片としてあるだけで、
全然つながらないのが、もどかしかったりします。

それから、先月、仕事で湯島天神のあたりへ行ったんです。
以蔵たちも、剣術修業で江戸へ来ています。
ビルが林立し、往来の激しい道路を眺めながら、
「当時は、どんなだっただろう。
 以蔵たちもこのあたりを歩いたりしたのかな」
なんて考えたりしました。。。

文久元年の話でなくて、ごめんなさい。
香雪さん、はじめまして。
カキコミありがとうございます。

>文久元年になると、あれれ? となってしまいました。

幕末に生きた個人の歴史を調べていると、なんだかスッポリと
活躍の話題の無い年があったりしますよね。

>湯島天神

土佐からも幕府の学問所に何人か学びにきていたと思いますので
以蔵や武市の知りあいもいたかもしませんね。

TVや映画で時代劇を見ると、基本的には江戸の街のシーンは
セットの中なので、平坦な場所ばかりですが、上野や湯島天神の
あたりや市ケ谷の試衛館の周辺など、実際はかなり坂が多いですよね。

今みたいにバイクや自転車もなく、ほとんどの人が「徒歩」だけで
江戸の中を移動していたでしょうから、きっとあちこちを
剣術修業中の以蔵や龍馬や武市も、実際に歩いたのだと思います。
今やすっかりアスファルトで固められていますが、神社や御寺に
行くと、地面が残っていることもあるのでいいですね。
武市瑞山が土佐勤皇党を結成したのが、文久元年8月なのですね。
香雪さん、御情報ありがとうございます。
遅くなりまして、申し訳ありません。

>武市瑞山が土佐勤皇党を結成

あの大河『新選組!』でも出ていた、血判をみんなで押していた
やつですね。
もう少し前の年の結成だと思っていました。
「土佐勤皇党」として活動した時期は、意外と短いのですね。

年齢的に龍馬や桂よりも少し上だったこともあると思いますが
武市は本当に「少し早かった」感じがしますね。
もう少しローペースだったら明治に活躍しただろうに、と
勿体ない人な印象があります。

そういう感じが「月形半平太」のモデルとされる所以かもしれまえんね。
金沢の肝煎日記の文久元年の欄に書いてあるものを二つほど紹介します。

月日は覚えず    和宮様将軍家茂公へ御簾中に立たる

五月二十八日夜   江戸高輪東禅寺外国人旅宿へ乱入斬殺シタル常州浪人有賀平弥 岡見留次郎 前木新八郎 森平蔵 矢澤金之助 渡邊剛蔵 黒澤五郎と申ものにて潜伏したるを見付次第取留め申べき旨公辺より六月お触れ

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