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書道を愉しむ会コミュの臨書のお手本との付き合い方

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改めてトピックを立てるほどの質問ではないと思いますが、質問専用トピやそれに準ずるものがなかったので新設トピで失礼します。

当方、某書道会の書道教室に通っておりまして、年一度、段級試験があります。
その課題として漢字の臨書を提出しなければならず、教室の先生が、書道会の偉い先生にお手本を頼んでくださったのですが、臨書の原本(?)と異なる部分が散見され、どちらを手本としてよいか大変困っています。
本来ならば原本を手本とすべきとは思いますが、頼んでしまった手前、書いていただいた手本に倣わないわけにもいかないし、お手本を書いてくださった先生が試験の評価するかもしれず、書いていただいたお手本とどう付き合っていくべきか大変悩んでいます。

私自身、まだ臨書を始めたばかりなので、これから勉強する身であり、全く知識がないので質問するに値しないかもしれませんが、ご意見いただけたら大変助かります。
よろしくお願いします。

コメント(6)

おはようございます。さぞ、お困りのことと思います。迷うお気持ちもわかります。

原本を法帖などとよんでおりますが、これらは500年、1000年とその時代の鑑識眼に耐えてきました。そして、今日古典として多くの人が学んでいるものですね。

お偉い先生はまだほんの「うん十年」今はよくても100年後まで果たして評価されるか、、

私の先生は、いつもお手本くださるときは、法帖と比べてごらんとおっしゃいました。自信があるから言えるのではなく、弟子に誠実だったのだと思います。
もし、変な臨書だったら、、その先生どまり、つまり、それ以上に上達どころか方向性も危ぶまれますもの。

私も今、同じようにお手本を渡しますが、法帖と比べて「自分だったらこう見えるのにな、こう書くのにな」などと批判精神を持って取り組んでもらいたいと思うからです。

いつまでも先生よりうまくならないなんておかしいですものね。 教室に来てくれる方には、いずれ私より腕をあげる人が出てくることを願って、お互いに研鑽しています。

すでに、あなたが見る目をお持ちなので、気がついたのだと思います。ですから、両方お稽古なさってみてはいかがでしょうか。さらに気づくことがあるかもしれません。もしかすると、お偉い先生は「意臨」といってご自分の解釈でお書きになっているのかもしれませんね。お教室の先生の意見もお聞きになるのもよいかと思います。

でも、まず、素直に法帖に向き合うのが大事かと思います。

こんにちは。はじめましてです☆僕も教室通ってときどき臨書のお手本を書いてもらっています。
原本がどうゆう物かとか先生がどうゆう意図でお手本を書かれたのかとかで変わってくると思いますが、僕は基本原帖をみて線の質なんかをちょっとお手本を参考にさせてもらっている感じです(碑のときとかは特に)やっぱりもとの法帖がなによりのお手本だと思っているので。
書かれているようにそれとは別の周りのいろいろな状況があるんやろうとは思いますがもし始められたばかりならそんなに気にしなくてもだいじょぶでは?とも思います。もし方向が違っていれば近い先生が言ってくれはるのではないでしょうかー?
まずは、ご自分の先生に率直に質問されるのが良いかと思います。
「これから勉強する身であり、全く知識がないので」質問するべきです。

私の師匠は臨書をするときは、「お手本だけでなく
必ず、法帖を見るように」と指導されます。

私もまだまだ臨書を評価できるほどの身ではありませんが
臨書の作品は、書く人によってかなり印象の違うものがあるで
色々な書家の臨書を見るのも勉強になると思います。



こんにちわ

同じような疑問に私自身もぶつかったことがあります。
わが師もどちらかといえば意臨ですね
戸惑いながらも、法帖や字典とにらめっこして勉強しました。

私が思うに・・・法帖や手本がなくても、その雰囲気をつかんでいるかが大事ではないかと思います。

それから・・・やはり原本(本物)を目に出来る機会があれば絶対変わると思います。
私の中で一番変わったのは「鄭道昭」の作品です。
2度中国の山の中に見に行きましたが、拓本では感じ取れないものがひしひしと伝わってきました。
また、顔真卿や米フツなどもやはり本物でなければ真意は伝わってきません。
「本物を見なきゃわからない」との師の言葉が今やっと理解できるようになりました。
是非本物に触れてみてください。答えが出てくると思いますよ。
臨書は

形を真似る

書いた人(顔眞卿等)の
書く気持ち
姿勢
気迫
人間性を真似る


ふた通りある


だから
そのお手本も

その人がそう感じたから正解と思う。


私がしている方法は
拓本(印刷可)を見て書く

先生の手本見て書くと

拓本→先生→自分になるから私は

拓本→自分で最短距離で書く


この事も
私が通ってきた道の疑問のひとつだったウッシッシ

みんな同じ道通って悩んで大きくなるぴかぴか(新しい)

そういう私も
発展途上でありんすもうやだ〜(悲しい顔)


皆さんとても親切に、そして丁寧にコメントしてくださり、どうもありがとうございます。
お返事が大変遅くなりましてすみません。

>ひまわりさん
コメントどうもありがとうございます。
原本のことを法帖、臨書を自分の解釈で書くことを意臨というのですね、とても勉強になりました。
臨書とは、お手本をそっくりそのまま書くだけかと思っていましたので、書くかたの解釈がこのように違った形であらわれることもあるのだということを知ることができてよかったです。
教室の先生にも聞いてみましたが、やはり法帖を見たほうがよい、ということでその回は法帖を手本にして取り組みました。
「いつまでも先生よりうまくならないなんておかしいですものね。」という言葉にとても勇気付けられました。頑張らないとですね!

>お気楽極楽さん
コメントどうもありがとうございます。
お気楽極楽さんは臨書のお手本と上手に付き合っていらっしゃるのですね。とても参考になります。
周囲の状況はあまり気にしなくてもよいのでは?というお言葉でしたが、先生がお年を召しているため、生徒の私としてはとても焦ってしまうのです。
ただ、やはり段だけ上がっても自分の腕はごまかせないので、臨書についてもっと深く勉強する必要があると感じました、ありがとうございました!

>か!ずみさん
コメントどうもありがとうございます。
先述したとおり、教室の先生も、法帖を手本にしようと仰いました。
が、その先生は次の週にはもうそれを忘れてしまっていたらしく、実は、また、書いていただいたお手本を手本にして臨書をする、ということになってしまったんです。
それが、わざとなのか、それともその課題が臨書の課題であったこと自体を忘れてしまっていたのか真意はわかりませんが、もし後者だった場合は、問い詰めたりするのも嫌なので、難しいですが、ゆっくり先生と対話していきたいと思います。
いろいろな人の臨書を見る、という発想が自分にはなかったので、次回展覧会などに足を運んだ際は、注意して見てみたいと思います、ありがとうございます!

>玄・shinさん
コメントどうもありがとうございます。
臨書のお手本について戸惑われたのですね、自分と同じような方がいらっしゃってちょっと安心しました。
しかも、ホンモノを見たなんて!!!羨ましいです、というか、ホンモノを見るという発想がなかったので、あ〜、ホンモノってあるんだ…(拓本があるんだから当たり前ですが)という感じです。
機会があったら、是非見てみたいです。何千年前から遺されている文字ですもんね!!!

>ももりんこさん
コメントどうもありがとうございます。
やはり、臨書については皆さん疑問に思われることがあるのですね。
私は今はまだ形をまねることで精一杯ですが、いつか、手本から書いた人の気持ちや気迫が読み取れるようになりたいです。
そう思えば、確かにどちらのお手本も間違いではないのかもしれないけど、やはり最短距離が理に適ってるのかもしれないですね。
どうもありがとうございます!

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