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映画レビューアーフォーラムコミュの【ネタバレ有り】『アデル、ブルーは熱い色』 [日本公開:2014年4月5日]

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●Introduction
 第66回カンヌ国際映画祭で史上初、パルムドールが主演女優2人にも贈られ話題を集めたラブストーリー。ジュリー・マロによるフランスの人気コミックを原作に、運命的に出会った女性同士の真っすぐな愛の行方を大胆なラブシーンを交えて繊細に描き出す。監督はこれまで数々の映画賞に輝いてきた俊英、アブデラティフ・ケシシュ。『マリー・アントワネットに別れをつげて』などのレア・セドゥと、『カレ・ブラン』のアデル・エグザルコプロスの体当たり演技が光る。

 教師を夢見る高校生アデル(アデル・エグザルコプロス)は、運命的に出会った青い髪の画家エマ(レア・セドゥ)の知性や独特の雰囲気に魅了され、二人は情熱的に愛し合うようになる。数年後、念願の教師になったアデルは自らをモデルに絵を描くエマと一緒に住み、幸せに満ちあふれた毎日を過ごしていた。しかしエマの作品披露パーティーをきっかけに、二人の気持ちは徐々に擦れ違っていき……。
[日本公開:2014年4月5日]

コメント(2)

 最長7分に及ぶフルヌードのレズシーンは圧巻!しかも長々と絡むシーンは3回はありました。ここまで激しく裸体をさらけ出して、互いを求め合う姿には、厭らしさを超えてパッションを感じました。まさに迸る情念の世界。でもタイトルに「ブルー」がつくのは、なんで?と疑問に思われることでしょう。作品のルックは、美しく繊細な描写ながらも決して根暗なブルーではありませんでした。なぜ「ブルーは熱い色」となるのか。これはラストシーンをご覧になれば納得されると思います。
 ラストで主人公のアデルが纏うコバルトブルーの艶やかな衣装が鮮烈でした。この衣装の色がすべてを物語っていると思います。この服を着て、アデルはかつて激しく愛し合ったエマと3年ぶりの再会を果たすのです。アデルにとってのブルーは、髪を青く染めていたエマを象徴する色であったのです。アデルのエマとの忘れがたい強い強い思いを凝縮したかのように、画面のブルーに「熱さ」を感じずにいられませんでした。本作に於いて、耽美だけど、ブルーは熱い色となり得たわけなのです。ブルーを纏うアデルを包み込むかのように、街の色までもがブルーが強調されていて、美しかったです。

 しかし、フランス映画の本作は、ご多分にもれず娯楽性を否定して、哲学しているだけに、半端な思いで鑑賞すると手痛いしっぺ返しを喰らうことになるでしょう。何しろ上映時間が長い!3時間もあるのです。その間にどうでもいいような日常生活の描写ややたら長回しで描く登場人物の心情描写が続くのです。またストーリーでも突っ込みどころ満載で、前半のヤマ場となるアデルとエマが出会いシーンは、まさかこんな偶然で出会うわけないだろうと、まさかまさかと目を凝らしていたらやっぱり出会ってしまったので愕然としました。そのシュチエーションが凄いのです。
 街角の交差点で髪を青く染めたエマとすれ違っただけなのに、アデルは一目惚れ。その後もエマの幻影を求めるのです。たまたまクラスメートに誘われて、ゲイバーにでかけたものの、ひょっとしたらあの多い髪の女性と出会えるかもと思いつきで店を出て、夜の歓楽街を彷徨い、たまたま入った別のゲイバーで虚ろに目を泳がせていたら、なんとエマがいて、彼女のほうから口説いてきたのです。こんな都合の良すぎる話なんて映画の世界ぐらいのものでしょう。

 まだまだあります。放課後になるとアデルの通っている高校の校門にエマが迎えにくるようになったのはいいのです。でもエマのボーイッシュな風貌から、一発でクラスメートたちは、これはレズの関係だと見抜き、アデルをいじめるのです。キリスト教社会では同性愛はタブーなので、異端視されても仕方ありません。乱闘騒ぎまで起こったのに、いつの間にかいじめはなくなってしまっていました。
 
 アデルとエマが別れるシーンも唐突です。さらに、チョットした嫉妬心から男に手を出してしまった過ちをエマは決して許さなかったです。

 こうしてストーリーを振り返った見るとき、割と監督はその場の思いつきで、ストーリーをハパッと決めているのではないかと感じました。それでストーリーが力業で強引に進んでしまったしても、それがオレの芸術なんだ、観客に媚びないのだと豪語されそうです。

 そんな傲慢さを感じる作品なのに、何故だか女性の心を掴んで強く揺すぶる作品でもあるというところが不思議です。何しろ一緒に試写会に同行した女性は、号泣したそうなのです。あの衝撃的な映像の奥には、心に空洞を抱えている女性のハートを直撃して揺すぶるものがあるのでしょうか。アデルとエマがすれ違い視線を交わした瞬間から、それを見つめる女性の観客にまで、何か穴のようなものに落ちたような気分に陥り、引き込まれてしまうのでしょう。

 ただし注意すべきはその心の空いた「穴のようなもの」の存在です。何が欠けているのかというと『真実の愛』なんです。『アナと雪の女王』で語られた『真実の愛』が満たされていないから、心にぽっかり穴が空き、吹雪のなかにいるように寒いのです。しかもエマは実存主義者で、キリスト教的価値感を否定して、『真実の愛』を拒絶。代わりに自分の個性を主張することで「心の穴」を塞いでしまおうとあがいていたのでした。エマにとって、タブーの同性愛にのめり込むのは、自らの個性の主張でもあったのです。しかし、真実の愛を拒絶し続ける限り、どんなに求め合っても「心の穴」という刹那は解消されないでしょう。渇愛というのは、まるで血の池地獄のように性愛に浸り続けないと、心が渇いて、虚ろで独りでいられないものです。
 アデルと別れたあと、エマの髪の色がブルーから普通に戻ったとき、その反社会規範的な考え方が家庭愛のほうへ変わったんじゃないかなと思えました。

 ただし、誰の心に奥にも「心の穴」は潜んでいます。ひょっとしたら、スクリーン上の“青い髪の女”と目と目が合っただけで、アデルのように虜になってしまうのかもしれません。たとえ刹那と知っていても、肉体の煩悩を忘れさせてくれる激しい快楽に浸ってみたいという渇望は否定しがたい感情です。なのでそんな未知なる感覚に取り込まれてしまうそうな、麻薬的な怖〜い作品なんだと付け加えておきます。

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