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千載和歌集コミュの慈円の歌  その(9)

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慈円の歌  その(9)


 千載集にある慈円の歌で、これまで取り上げた歌の最後である。


   月かげの入りぬる跡に思ふかな
     まよはんやみの行末の空  (雑歌上 1021 法印慈円)

「月が入ってしまった跡の闇の空によって、将来迷うであろう無明長夜の闇を思う」(久保田淳)

 これも日吉百首の一つ。「月かげ」と「闇」を対比させ、また「跡」と「行末」の対照が上の句と下の句とそれぞれに配置され、巧みな構造をもたせている。その対照語の中で、現在という時間軸で迷うであろう人間の性を点出する。

 この歌は他の類似化とどう異なるのだろうか。慈円の特色が出ているのだろうか。

   いづるより光ぞしるき秋の月
     くもらぬみよの行末のそら  (新拾遺集)

 この新拾遺集の歌では、秋の月がこれからも照り光ることを云うているが、慈円のそれは行く末に無明の闇があるという悲壮感漂う歌になっている。

   山の端に隠れな果てそ秋の月
     この世にだにもやみはまどはじ  (藤原範永)

 範永の歌は、より積極的な歌で、隠れなんとする月をそうはさせじというような力があり、また、闇には迷わないという決意さえある。慈円のそれは、漠然とした不安が前途に横たわる。

   この世だに月待つ程は苦しきに
     あはれいかなるやみにまよはん  (神祇伯顕仲の女)

 この歌は月を待つことさえ苦しいのに、更に闇にも迷う自分の悩みを訴える歌である。慈円の歌はここまでの苦しみは表現しようとはしていない。

   なかきよの闇にまよへるわれをおきて
     くもかくれぬる夜半の月かな  (小大君集)

 この小大君の歌は、迷いが絶えない自分を詠うが、すでに迷いの闇の中にいる。その迷いの中からの声である。慈円の歌は、なにかより大きな闇の到来を予感させるものである。


   よもすがら月を見顔にもてなして
     心の闇に迷ふころかな  (西行)

 西行のこの歌は少し趣向が異なるものである。月をみるのも、「見顔」という風に取りつくろって見る素振りだけで、実際は見てはいない。心の闇に迷うことも、ある意味、闇がどういうものか西行はわかっているようである。それでも、迷う自分をいうのであり、その闇は西行個人の特殊なものであることを伺わせる。一方、慈円の歌は、より一般的な闇のように思える。

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