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人間論および人間学コミュの環境倫理学とネオ・ヒューマニズム

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------------------環境倫理学とネオ・ヒューマニズム-----------

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-----------廃液で汚れし魚を食べさせて狂いし猫見てなお流しけり-------

佐々木:「ネオ・ヒューマニズム宣言をめぐって」をネット雑誌『プロメテウス』に掲載したのですが、やはり環境倫理学との関連でネオ・ヒューマニズムを展開されている箇所が、一番説得力があるというか、現代的意義も感じられるところだと思います。今回は、そこのところに論点を絞って、対談を継続することにしましょう。 

やすい:それは望むところです。先日も岸和田高校で水俣病について人権学習の講演会があるというので、現代社会という科目を担当していまして、一時間だけ予備学習授業をしたのですが、そのときもネオ・ヒューマニズムの観点が重要だと感じましたね。 

佐々木:それはメチル水銀で汚染された魚を食べると、水俣病になるということで、人間を食物連鎖全体として捉え返しておく必要があるという意味ですか。 

やすい:ええ、それも重要ですね。蜂蜜にもいろんな種類があるでしよう。蜂がどの花の蜜を吸っているのかで蜂蜜の味も違ってきます。メチル水銀で汚染された魚を食べていた水俣湾周辺の猫は人間より先に水俣病で痙攣を起こして狂死していたのです。 

佐々木:チッソでは水俣湾の海草や魚、周辺の猫などで異変が起きていることに気付いていたのでしょう。 

やすい:ええ、それで現場のチッソ工場ではメチル水銀廃液で汚染された魚を実験的に猫を食べさせて、猫が狂死するのを確かめているのに、アセトアルデヒドを生産中は、それでも垂れ流しをやめなかったのです。 

佐々木:それじゃあ、水俣病になると分かっていて、毒を垂れ流したのだから、未必の故意ですね。 

やすい:フォイエルバッハは「人間は彼が食べるところのものである」と言ったそうですが、メチル水銀入りの魚を食べると手足がしびれ、痙攣を起こしてしまうのです。 

佐々木:米国産の牛肉輸入再開が決定されたそうですが、アメリカ政府の調査報告書というのはとても公表できるしろものではないので、黒塗りがたくさんあるようですね。これで輸入再開して狂牛病患者がでたら、水俣病から何を学んだのかと言うことですね。 

やすい:全くです。水俣湾とそこに棲む魚は周辺の猫たちや人々の命を構成していたのです。水俣湾にメチル水銀を垂れ流すということは、必然的に猫や人々の体内にメチル水銀を垂れ流すことになるわけです。その意味で猫や人の環境系が猫や人の生命であると言えます。 

佐々木:マルクスのいう「人間的自然」「非有機的身体」ですね。 

やすい:ええ、人間を身体として捉えるだけでは不十分なのです。身体と器官としてはつながっていなくても、水俣の自然を自己の身体として生命活動をしているわけですから、水俣の自然環境が人間の定在なんだということです。 

佐々木:水俣湾がチッソのメチル水銀垂れ流しの場になってきたのですが、国や市はメチル水銀のような有毒物質の排出規制をできなかったというのは不思議ですね。

コメント(3)

     原材料食べて製品作り出し廃棄物だす企業も人かは

やすい:公害というのは害が出てから問題になり取り締まるわけですね。それ自身きれいなものでないから海に棄てるなとは言えなかったのです。だって人間は生活汚水を川や海に流してきました。

 京の都のお公家さんたちの大便・小便・月経を淀川を下って大坂湾まで船で運んで棄てていたという話を聞いたことがあります。これを「三元」と言っていたのですが、私の育った大阪市大正区の「三軒家」という地名のもとになったという話です。これは地元史家の研究ですが。
 

佐々木:なるほど。海は無限に大きくて少々汚れたものでも広い海に流れ込めば、海が浄化してくれると考えていたでしょうからね。 

やすい:近代の大工業というのは、海や空は無限に大きくて、人間の営みなど包み込んでしまうというような、限度を突破してしまったということですね。

佐々木:古代だって森林の伐採がメソポタミアやインダス文明を砂漠化によって滅ぼしたと言われていますね。 

やすい:集落や都市の発達によって河川、湖、海洋への汚水の排出は激しくなります。家庭からの生活汚水、工場からの排水などで海岸部が油まみれになり、魚介類は生息できなくなります。

佐々木:やすいさんは、海岸部の工業地帯もそれぞれ人間として捉えるわけですか。
 
やすい:それぞれの工業地帯が人間としての有機的なまとまりを成していれば、それも考えられますね。地元自治体と一体化していたりすればいえるでしょう。 

佐々木:そういえばチッソの場合は水俣市の財政の大部分はチッソからの税収で得ていたそうですね。だから水俣市は、チッソに公害防止の指導ができなかったというわけです。水俣市の人々はチッソの責任を追及する患者たちの闘争を始めのうちは、水俣の敵として非難していたようですね。 

やすい:チッソという企業は、資本主義企業であり、利潤追求の主体であり、地元経済の要でもありましたから、簡単に責任を認めるわけにはいかないということで、患者たちの補償要求にゼロ回答を長期にわたって続けたのです。1968年になってやっとアセトアルデヒトの生産中止を決定しのしたのです。

佐々木:ネオ・ヒューマニズムの人間論ということでいえば、企業も組織体として一個の人間ですね。個人の身体が空気や水や食料を摂取し、体内でエネルギーに変えて、排出しているように、企業も原材料燃料や空気、水を取り入れて、生産活動を行って製品を作り出すと共に、産業廃棄物を排煙や廃液や廃材として大量に廃棄しているわけです。 

やすい:ええ、組織体が人間だということですね。法人としての企業の生命活動なのです。

佐々木:企業も人間であり、生命体だということですね。もちろん比喩としてなら分かるのですが、社会的概念と生物的概念を混同しているような気がしますね。企業が生産、流通、販売などの活動を行うことは、あくまでも組織の活動であって生命的活動ではないでしょう。

やすい:人間を個人としてだけでなく、企業や国家としても捉えようという発想です。これはホッブズの『リヴァイアサン』で国家を強大な人工機械人間として捉え返していたことの応用です。同じ理屈で企業も人間だと言うことになります。実際、国家有機体説や法人としての企業の捉え方は普通に行われています。

佐々木:しかし、国家は生きた人間のようなものであり、企業も人格を備えた責任主体として扱えますが、しかしだれもやすいさんのように国家を人間だ、企業を人間だと言う人はいません。それは「かのような存在」として捉えているからでしよう。 

やすい:というのは、個人は人間だけれど、会社や国家は人間ではなくて「人間のようなもの」だということでしょう。しかし国家や企業が戦争をしたり公害を起こしますと、人間が戦争をしたと捉えますし、人間が公害を惹き起こしたと捉えますね。
 
佐々木:それは国家や企業を構成しているのが人間ですから当然でしょう。別に国家が戦争していないとか、企業が公害を惹き起こしていないとかいうわけではありません。ただ国家や企業の起こす行為の当事者は、それらを構成している個々人なのです。国家や企業は諸個人の関係に過ぎません。だからこそ人間の行為として個人の主体的責任が問われるのです。
 
      毒液を流せし現場の責任者命じし者より罪の重しと

やすい:チッソの廃液処理の現場責任者は、廃液が水俣病を惹き起こすということを、予め猫で実験して知っていて、それを上司に報告していたけれど、企業は廃液を水俣湾に流すのを止めなかったけですね。

つまり自らの行為が殺人的な行為であるということを知っていたけれど、組織の決定に従わざるを得なかったということです。

でも裁判になれば、直接犯罪的な有毒廃液を流したのは現場責任者ですから、社長より現場責任者の方が重罰になります。

個人は組織人間として、組織に強いアイデンティティを持っており、上司の命令や組織の決定をたとえ犯罪的なものであっても受容してしまうところがあります。

つまり、個人が独立して、個人として主体的に考えるということは、企業内では大変難しいのです。ですから個々人の思考や判断の内容は、組織的なメカニズムや機構の中で生み出されている組織の思考が優勢なのです。 

佐々木:ということは、組織というのが個人と同じように実体的に存在して、個人の頭脳を通して物を考えているということですね。 

やすい:頭脳だけが考えるのではなく、企業には情報を集積し、処理する電脳装置や機構があります。そして集団的に検討し、決定する機構がありますね。そういう形で企業の身体の中枢神経があります。それに現場から衆智を集めることもでき、末端まで神経が行き届いているわけです。

それに個々の個人が企業の中で考えている内容がそのまま企業の意思となるわけではありませんから、企業の思考をその構成員の思考とは一応区別しなければなりません。 

佐々木:つまりネオ・ヒューマニズムの一つの構成要素ですが、個人だけでなく、組織体も理性や意思や感情を持つ人間として捉えるということですね。そういう発想は、グラムシにいわせれば組織体フェティシズムに陥っていることになりますが。 

やすい:組織体フェティシズムは、組織体を全く自己目的にしてしまって、その組織体が本来、人民の幸福のためや民主主義の実現のための手段であることを見忘れてしまうことがいけないわけです。

 とはいえ、組織体を人格を持つ人間だということになれば、組織体にも人権を認めるべきだという問題が生じますので、反発は強いでしょうね。 

佐々木:でも商法や会社法などがあって法人格が認められその権利が認められているわけで、それを人権に含めるかどうかは人間の定義の違いからくるわけでしょう。
      企業すら人と認めてよいのなら企業も有すや生き残り権

佐々木:たとえば企業にも人間だから生存権を認めると、市場における淘汰が経済法則が成立する前提になっていますから、経済が停滞や混乱に陥ることになります。

それに企業の売買だって、ネオ・ヒューマニズムでいくと、人身売買になってしまいます。

やすい:たしかに個人の人権と組織体や国家の人権はかなり次元が違いますね。

佐々木:組織体や国家の権利を人権なんて言いませんよ。そんな用法はネオ・ヒューマニストにしか通用しません。

やすい:憲法第九条の解釈改憲の立場は、国家の正当防衛権は自然権だから、自然法に立脚する『日本国憲法』は否定できないのだという立場に立っています。

佐々木:それは国家が侵略されると国民の生命や財産が根本的に危機に陥るという認識に基づいているわけです。

もし国家が侵略で滅んでも国民一人ひとりの生命や財産に支障がないというのだったら、国家の正当防衛権は必ずしも自然権とは言えないでしょう。

やすい:国家や組織体は、個人だけでは人間として生きることができないという、諸個人としての人間の限界を克服するために存在しているのです。

その意味では国家や組織体あっての個人です。ですから国家や組織体にも個人が自己保存で動いている以上、それに不可欠な国家や組織体の自己保存も真剣です。国民や従業員の生命・財産・生活がかかっているのですから。

佐々木:だから諸個人の場合は、国家に社会権で最低限度の生活を営む権利を保障されているのです。企業の場合は、潰れたり、造られたりでそういう保障はないわけです。人間としての尊厳などないですね。単に私的な利益追求のための組織に過ぎません。

やすい:組織体の場合の存在価値は、その目的と相関的ですから、目的が達成できなくなれば解体します。それが寿命ですね。

ただし一応目的が達成されて、自己組織化できていれば、その組織自体の論理でダイナミックな活動をします。

組織の維持、発展のためにはその構成員を大幅に入れ替えたり、他の組織体を吸収したり、合併したりします。

企業の場合は、企業自体が株式を通して商品化され、売買されることもありえます。話をチッソに戻しますと、環境や住民の犠牲にし、従業員を犯罪に巻き込んでまで組織の自己保存を優先させるのです。

佐々木:企業も人間だから生存権があるということですか。でもそういう非人間的なことをする企業を人間に含めなくてもいいでしょう。

やすい:もちろん個人と企業と国家はサバイバルの仕方が違いますし、企業は市場経済という生存環境に適合しなければ生き残れません。無理に国家が倒産すべき企業を生存権を認めて守れば、経済や国家が破綻します。

それに非人間的なことまでするから、だからこそ人間に含めるべきなのです。

佐々木:組織体を人間に含めてしまいますと、企業や国家の悪が人間の悪と混同されて、組織体による疎外が追及できなくなるのではないですか。

やすい:企業や国家など組織体に属しますと、その論理に適応するように思考回路や感性までもが改造されます。個人が自立して思考し、感じているようでいて、企業や国家の思考や感性になってしまいます。それでつい企業悪や国家悪に加担することになるのです。

佐々木:そのように組織体によって思考や感性が歪められるのが人間の弱さであって、それを歪める組織体は人間ではないでしょう。

やすい:そういう形で組織体は自己の目的あるいは利害や意思や感情をもち、自己保存や自己拡張のためになりふり構わず、行動します。ホッブズは人間をそのような存在と定義しなおしたので、国家や組織体も人間だと捉え返せるようになったのです。

 その組織体の行動こそが人間の行動の大きな部分を占めています。それを実際に行っているのが個人の場合でも、個人はあくまで組織体という人間の部品や細胞として活動しているにすぎないのです。

 しかし国家がする戦争や企業の行う環境破壊や人権無視の労務管理なども人間の行為なのです。

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