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人間論および人間学コミュの『プロメテウス』疎外論特集号原稿募集

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疎外論特集号原稿募集

『プロメテウス第五号』は「疎外論復権の是非をめぐって」という特集号の予定です。

     近代の産業の果ての温暖化、資源枯渇も疎外ならずや

 最近、若きマルクスの疎外論に対して、関心が高まっています。高校や大学での環境問題や資源問題なども人間が生み出した生産物が自立して人間に敵対的に立ち向かう例として説明すると、よく理解されるのです。意識的に生産したものだけでなく、無頓着に廃棄したものも広い意味で生産物に含めれば、人間の自己疎外の論理構造にぴたりとはまっているからです。 また金融危機に伴う経済危機なども人間が作り出したシステムや観念に取り込まれて、翻弄される自己疎外として理解されます。

 こういう疎外論の復権については、マルクスの労働疎外論を資本主義の労働過程に限定した議論と受け止めている人もいるようで、環境問題や資源問題にマルクス労働疎外論は無関係だろうという批判や、疎外と指摘しても解決にはならないという冷笑的な傍観者もいるようです。

しかし自分たちで自分たちの頸を絞めている事態だと自覚することで、自分たちの関係の仕方や情報の処理の仕方に問題点を見出し、改善するきっかけを生むこともあるのではないでしょうか。また自分たちとは別物や全くの他者のことではなく、自分自身の問題だと主体的に捉え返すことが出来て初めて、解決の緒口が見えてくるものではないでしょうか。

 元々マルクスはヘーゲル哲学の自己疎外論とそれに対するフォイエルバッハの人間学的な批判を踏まえて、人間存在の自己疎外的構造を論じているのです。その際に人間的自然として対象的自然を捉えたり、人間の非有機的身体として自然を捉えるなど、貫徹されたナチュラリズムと貫徹されたヒューマニズムの統合という問題意識を踏まえていました。人間を単なる個体的身体に限定するのではなく、環境的自然や社会的諸事物を包括するような人間観を提起していたとも受け取れます。そうした人間的自然として人間環境から諸個人が断絶し、疎遠になり、その結果、人間環境が崩壊していく事態に直面しているのが現在の環境危機ではないのかとも言われています。

□したがって問題を賃金労働者の労働における人間性喪失の問題に還元するような疎外論の捉え方はマルクス解釈としても貧弱すぎるでしょう。もちろん最近の経済のグローバル化の影響もあり、労働市場の流動化にともない、サービス残業や過労死だけでなく、『蟹工船』がよく読まれるような前近代的な労働現場の無権利状態や差別構造があり、不安定で悲惨な労働疎外の現実からも労働疎外論の再評価は当然必要でしょう。

□あるいは経済のグローバル化に伴う経済危機自体が科学技術と生産力の発展が、資本主義市場の発展と結合して必然的にもたらす事態であると言う意味ではグローバルな人間疎外が深刻化しているとも言えます。

 もっとも1960年代には実存主義やフランクフルト学派やアメリカ社会学を含む現代ヒューマニズムが疎外論を大いに論じ、ジャーナリズムも社会を鋭く抉り、巨大な物象化されたシステムから人間性を取り戻そうと叫ぶ際、常に「疎外論的現実」が問題にされていました。にもかかわらず、「五月革命」の挫折に象徴されるスチューデント・パワーの衰退によって、「人間の死」「主体の死」が語られるようになると、疎外論は衰退していったのです。

□それはマルクスの中で疎外概念が『フォイエルバッハ・テーゼ』以降、唯物史観や物象化論あるいはヒューマニズムの清算によって捨てられたものであるかの論調が一部で強く主張されたことによっても拍車をかけられたわけです。かならずしも「疎外概念」をマルクスが払拭したということは、マルクス研究者の間で認められていたわけではないのですが、1970年代以降のマルクス主義自体の退潮が疎外論を時代遅れとしていったのでした。

 ともかく、20世紀の疎外論が時代遅れになった理由の再検証はもちろん必要です。そういう論稿も大いに投稿してください。しかしそれに終始するのではなく、21世紀の思想として自己疎外論の新展開を試みることは急務ではないでしょうか。

□もちろん疎外論の有効性に疑問や批判を持つ議論も歓迎します。大いに疎外論批判を展開していただきたいのです。ただしその場合、この人類が自分で自分の頸を絞めつつあるような状況をいかなる概念で抉るべきか、「疎外」以上に適当な概念を対置すべきでしょう。

□さてどれだけの論客がこの疎外論ルネサンス、あるいは再検証に集結してくれるか、また笛吹けど踊らずということにならなければいいのですが。

 私は1993年ごろにも「疎外論再考ノート」で疎外論の復活を呼びかけたのですが、そのときには反応はさびしいものでした。今度はかなり学生や労働者にも理解されやすくなっているので、かなり期待できるのではないだろうかと思っています。

□人間論および人間学にかんするweb雑誌である『プロメテウス』なので、疎外論を経済学や社会学あるいは時事的な問題として扱うのではなく、もっと哲学的な人間論の枠内で論じなければならないというように狭く捉えなくても結構です。

□むしろ人間存在の危機を包括的に捉えるためには、家庭や職場や学校や地域の身近な問題や経済危機、環境危機や秋葉原事件の背景にある市民社会からの疎外感などを論じていただければ、この特集に相応しいといえるでしょう。


☆今回の特集号の内容にふさわしい意義のあるものであれば、既に発表されたものであっても歓迎いたします。
☆原稿料はありません。
☆特別号につき締め切りを設定せず順次掲載します。論稿の形で批判や反論も可能です。
☆字数制限なし、写真掲載は可能です。

コメント(2)

やっと2010年8月発行のめどになりました。
なお今からでも投稿は可能です。
発行後も掲載論文を受けての批判論文やコメントを追加掲載して、疎外論の議論を活発化させていく予定です。
以下のアドレスにワード原稿を送信してください。

縦書き2段組の雑誌スタイルのPDF版にする予定です。
qhmx56715@iris.eonet.ne.jp (アドレスが変わりました)

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