ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

人間論および人間学コミュの人間論のファンタジー

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
ーーーーーーーーーーーーー幻想の森ーーーーーーーーーーーーー

□榊周次の人間論が次第に仕上がってきていた。しかし彼はもがき苦しんでいたのだ。「私の言葉は、神を侮辱し、人間を蔑ろにするものとしか受けとめられない。私は人間を愛しているのだ。私が人間を論じるのは、人間が自らの力に目覚め、自己実現の喜びを知るためだ。しかし、人々は私の言葉を、諧謔と皮肉で人間を弄び、人間の未来を絶望の暗闇に塗りつぶそうとしているかのように解釈してしまうのだ。」

□齢50にして、榊はある夜、幻想の世界で、霧の中を旅に出た。榊は二つの世界に属していた。一つは現実の世界だ。そしてもう一つは幻想の世界である。幻想の世界は榊が夢の中や白昼ふいに訪れる幻のようなものだが、それが次第に生々しくなってきていたのだ。現実の世界では彼は大都会の中に住んでいたが、幻想の世界では、彼は深い森の住人であった。そこにはあまり人影はなかったのである。最近森には深い紫色の霧が彼の家の近くまで迫っていた。

コメント(13)

□何時頃から幻想の世界が始まったか記憶は定かではない。子供の頃からの気もするし、つい最近からかもしれない。

□榊は過去の記憶に関してあまり自信がなくなってきていた。山道に迷ったときに2メートルぐらいもありそうな巨大な鳥を見たことがある。その鳥は何か榊に話し掛けたがっていたようだった。しかしその記憶もリアルなのか幻想なのか今ではどちらとも断定できない。

□「この怪しげな紫の霧は何だ。やがてこの霧に包まれて凡てが滅んでいくということなのか。いかにもこの霧のなかに一切の人間の秘密が隠されているかのように、この霧は俺を誘惑している。しかしこの霧に踏み込んだら、二度と生きては帰れないかもしれない。もう俺も若くない。人間の秘密を掴めないまま老いさらばえていくよりも、人間の秘密を知って死を迎えるほうがよっぽどましだ。

□時は満ちた。俺の言葉が俺自身の胸を打たなくなってしまっている。このままでは駄目だ。再び俺の言葉に俺自身が興奮し、それが人々の胸に届き、暗闇に閉ざされた人々の心に希望と情熱を呼び覚ますことができるようになるために、この幻想の霧の中に旅立とう。」

 
 絨毯のような苔の地面がへこんでいく。そこから土佐犬が出てきた。右目に大きな刀傷があるのだ。あの白土三平の忍者劇画に出てくる忍犬である。

□「勇者よ、ようこそ。この森を抜けるゲームは、恐ろしいぞ。登場する人物はすべておぞましき悪者あるいは妖怪、魑魅魍魎の類で、おまえを殺そうとする。おまえはこの草薙の剣で、そいつらを殺さなければならない。この剣は決して手放すな、よいか、でてくるキャラは全部悪者で、全員殺さなければ、この森はぬけられないぞ。」

□なんと犬がしゃべるではないか、榊の言語論では人が主語・述語構造をもつ本格的な言語を確立してから、一万年ほどしかまだ経っていない筈なのだ。

□虫けらですら殺せない性格の榊だから、逃げ出そうとしたが、もうサバイバルゲームは始まってしまっていて、方角は全くわからない。

□やがて周囲の木陰に人の気配がする。突然一人のいかにも伊賀の忍者にしか見えない男が、木の枝から飛び降りながら切りかかってきた。

□子供のころから運動神経ゼロとからかわれていた周次だが、瞬時にかわすときに、既に草薙の剣は、鞘から離れ、忍者の胴体を真っ二つに切り裂いていた。

□腸の一部が悪臭と共に榊の顔面にこびりついている。しばらく激しい吐き気がして、ゲボゲボと吐いた。

□周囲には数十人の伊賀忍者たちである。五・六人が束になって切りかかってくる。相手の剣も奪い、武蔵のような二刀流で敵を次々と両断していった。

□一時間ほど切り続けていただろうか、細い道を逃げながら、できるだけ一対一の対決にして敵を倒すのも、宮本武蔵の影響だ。やっと追手を振り払った。しかし「俺は強い」と榊は驚いた。でもこれはゲームなのだから、勘違いしてはいけない。すべて神刀草薙の剣の力なのだ。
□榊は、東映のチャンバラ映画が大好きだった十二・三歳の童心に戻ったようだ。そういえば映画が変わる度に見に行ったものだ。小遣いだけでは無理なので、普段から小銭を家のあちこちからくすねて溜め込み、こっそり出かけていた。

□不思議に水屋や箪笥の上などに小銭が置いてあるもので、それをドキドキしながら集めて回った。これはこそ泥ではないかと罪の意識に苛まされたが、どうしてもあの剣の舞がみたい、バタバタと悪者どもを切り殺す華麗な剣の舞が見たいという衝動が止められなかったのである。

□もちろんチャンバラ映画といっても。ずっと斬り合いばかりではない、先ず最初に発端になるトラブルで小規模な斬り合いがある。そして半ばに正義の側が悪者から追い詰められ、打撃を受ける斬り合いがあり、そしていよいよ終盤にクライマックスの大立ち回りがある。

□なんとヒーロー役が一人で悪者どもの本拠に単身乗り込み、数十人を斬って、斬って、斬りまくるのである。そんなことできっこないとは分かっていても、いつしか観客はヒーローと自己を同一視し、剣の舞に酔っているのである。

□幻想の森でついに周次は夢を果した。周次はあのヒーローのように数十人、斬って、斬って、斬りまくったのだ。

□正義の旗の下の大量殺人の快楽という抑圧された潜在的な願望を果したのである。

□「榊さん、榊さんじゃないの」と現れたのは、大学時代の何度か話したことがある後輩の女子学生で確か吉村咲とかいった。

□「吉村さんだね、あの時のままじゃないか」

□「榊さんもすこしも歳を取らないわね」なるほど三十年の歳月がなかったように、二人は若いままだ。

□「榊さん、私待ってたのよ。来てくれなかったわね。」そういえば、吉村とはデートの約束があったが、活動のことでトラブルがあり、連絡もとれずにすっぽかし、そのままになっていた。

□「私二時間待ったわ」

□「済まない、活動のことでトラブルがあり、抜けられなかったんだ。」

□「それっきり音沙汰もなかったじゃない。私があなたに憧れていたこと知っていたのでしょう。」

□「いやあ、悪かった。あのトラブルで、活動から身を引いて、三ヶ月ほど大学にも顔を出さなかったんだ。」

□「そのお陰で私は、落ち込んでしまい、つい悪い男に酒を飲まされて酔いつぶれ、挙句の果ては、輪姦されて自殺したのよ。」

□「なんだって!それは知らなかった。でも助かったのだろう。」

□「………、もう離さないわ」

□次の刹那には二人は肌を重ねあっていた。下半身から痺れて周次の意識は朦朧としてきた。その時、忍犬の言葉が脳裏をかすめた。

□「登場人物はみんな悪者で、おまえを殺そうとする」これはゲームなんだ、女に身を許すと殺されるのだ。ギリギリと締め付けられちぎられるような痛みが始まった。

□こいつは咲に化けた妖怪に違いない、周次は思い切り髪の毛を引っ張った。

□驚いて咲の秘部の締め付けが緩んだ瞬間、思い切り指で咽喉を突いた。

□「ギェー」と咲が悲鳴を挙げた刹那、身を離して、側の草薙の剣を引き抜き、心臓を串刺しにした。「女でも殺すのね」と恨みがましく言って咲は息絶えた。

□見ると死骸は変身して、色鮮やかな巨大なヤモリが横たわっている。それがピクピクと撥ねた。榊は驚いてあせった。剣を狂ったように振り回し、ヤモリを切り刻んだ。すると十個ほどにばらばらになった体がそれぞれ動いている。榊は恐ろしくなって走り去った。

□何と残酷なゲームだ。

□森だった筈の風景が急に草原になっていた。

□そこに柵に囲まれた二十軒ほどの農家がある。

□「榊様お待ちしておりました。野武士がもうすぐ攻めて参りますので、どうぞこの部落をまもってください。」

□伊賀忍者との壮絶な斬り合いを体験していただけに榊は武者震いした。今度は『七人の侍』仕立てだな。

□「他の浪人の六人はどこにいる」

□「野武士があまりに強いので恐れをなしてあなた様以外はだれも助けてくれません。」

□「では野武士は総勢何人で襲ってくるのだ。」

□「50人ほどでしょう。」

□「おまえたちも戦うのだろう」

□「滅相もありません、この村は年寄りばかりで戦える若者は残っていません。」

□「一人で50人相手とは。」

□「何を仰います。あなた様は50人でも百人でも俺一人で充分だと豪語されていましたよ。」

□「あ、襲来です。」仕方ない、まあ草薙の剣を信じて戦うしかない。

□柵の前で馬に乗っている野武士たちは農民と交渉していた。榊はその背後に回り、その内の一騎だけ離れたところにいた野武士を気づかれないように倒して、入れ替わった。そしてその頭目とおぼしき者に背後から近づいて、いきなりその首を刎ねてしまった。

□頭目の首を刎ねられたら、恐れをなして逃げ去ってくれるのではないかと密かに期待していたが、激高した野武士たちは一斉に、榊に襲い掛かってきた。驚いた馬が暴れたので、榊は振り落とされ、もんどりうって倒れた。

□しかし剣を支えに起き上がり、柵の中に逃げ込んだ。農民たちは恐れをなして裏木戸から柵の外に逃げ出し、柵の中での壮絶な斬り合いになった。榊は狭い路地や家の中などを利用して、できるだけ少人数を相手にするやり方で、一人残らず切り殺したのである。

□勝利の祝宴の美酒には眠り薬が仕込まれていた。目覚めたら、榊はなんと十字架に釘づけされているではないか。

「この村は隠れキリシタンの村です。あなたは紛れもない神の子イエズスに違いない。」

「私はイエズスではない、榊周次だ。それにどうして神の子を十字架に釘づけにするのだ。そんなことをすれば、地獄行きだぞ。」

「この村に匿われていたバテレンが、預言されたのです。『この村にやがて神の子である救い主が現れて、村を絶滅の危機から救ってくださるに違いない。そしてこの村人たちは、その救い主の血を飲み、肉を食べて、永遠の命を得ることができる』と、その救い主はあなた様なのです。」

「私の力ではない、剣のせいなのだ、あの剣こそ『草薙の剣』といって、天下無双の剣なのだ。私自身は運動神経ゼロなんだ。」

「そんな迷信はキリシタンには通じませぬ。」

「それに人の肉を食べたり、血を飲んだりするのキリスト教では、カニバリズムといって最も罪深いことなのだ。」

「それは人間の肉や血のことです。救い主は神の子ですから、神の子の肉と血を食べると。神の子の霊が我々の体内に入り、我々の命を守ってもらえるのです。」

「何を言う。キリスト教会ではミサと称して、イエズスの肉だといってはパンをかじり、イエズスの血だといっては赤いぶどう酒を飲んでいるではないか。」

「イエズスは天に昇っていて、イエズスの肉や血が食べられないから、その代わりにパンや赤ぶどう酒をイエズスの肉と血に見立てているのです。本当の肉や血があればそれに越したことはありません。あなたは再臨されたイエズスに違いない。今日こそほんものの神の子の肉を食べ、血を飲めるのだ。」

「それは輪廻転生と再臨をごちゃまぜにしているのだ。一度死んだ人間があの世に行って、別の人間になって生まれ変わってくるのが輪廻転生だ。イエズスの場合は、この世でイエズスのまま生き返った、これを復活という。そして天に昇って、神の側にいるという。いずれ地上に戻ってくるのを再臨といって、イエズスの姿のまま現れるのだ。」

「イエズスは、十字架にあって、エリ・エリ・レマ・サバクタニ(主よ、主よ、どうしてわたしをお見捨てになったのですか?)と叫ばれて、息絶えられました。」

□おいおい、何故江戸時代の隠れキリシタンがそこまで知っているのだ。

「それは絶望の言葉と受け取ってはならないのです。ダビデ王の詩篇第22章のはじめの文句です。それでその章をすべて神に祈ったことになるのです。それは実は魂が子孫になって生まれ変わってくることを祈っているのです。ですから、榊さまはイエズスの子孫であり、生まれ変わりなのです。」

「おまえは一体何者だ。隠れキリシタンがそこまでバイブルに詳しかった筈はない。それにイエズスに子はない。だから子孫もいない。それに私は日本人だ。早く釘を抜いてくれ。」

「滅相もない。これは預言されたことで、預言は成就されなければなりません。ほらこうして滴り落ちるあなたの血を溜めて、乾かないうちに回し飲みしています。一口ずつもう十人ほど飲みましたかな、ヘヘヘヘヘ。さあそろそろ神の子の肉を生きたままいただきましょうか、少しずつ腿のあたりから殺いで、刺身で戴くのがてっぺんグルメじゃから。」不気味な笑みを浮べている。

 やはり忍犬の言ったとおりで、こいつらも悪者、妖怪、魑魅魍魎の類なのだ。

□きっと吸血鬼の村なのだろう。みんな殺してしまわなければならない。なんと救いのないゲームではないか。

□しかしこのままではこちらが出血多量で死んでしまう。そこで榊は考えた。これはゲームだから、必ず助かる方法はある筈だ。このゲームでは草薙の剣が神なのだから、剣に祈れば、助けてもらえるかもしれない。この際、それは物神信仰で、迷信だとは言っていられない。実際、運動神経ゼロの自分が超人的に活動しているのは剣のお陰なのだから。
□榊は、迷信の極みと軽蔑していた念力で剣を呼ぼうとした。

□「霊験あらたかな剣様、これまで私を守ってくれてありがとうございます。この窮地をあなたの御力で救ってください。」

□剣は長老の側にあったが、突然大音響と共に稲妻が走った。屋根を破って雷が剣に落ちたのだ。長老は息絶えた。その瞬間、榊に打たれていた釘も吹き飛んでいた。しかし、榊には傷も痛みもない。さすがにゲームだ。こんなことは実際にはあり得ない。

□剣を手にして、村人たちを斬りまくった。村人は老人ばかりだ。武器も持っていない。しかしゲームだから皆殺しにしなければゴールにいけない。

□榊はただ目的の為に機械的に殺戮を重ねた。ゲームというシステムの中では、たとえどんな人倫に反する悪でも許されるのだ。

□ゴールに到達する事自体が目的で、そこで行われる行為はルールに従っていれば、最大限の効率性だけが評価される。巧みに見事に華麗にあっさりとやるのだ。

□斬り殺すという技も手馴れてくると、なかなかすごいナルシズムの快楽があるものだ。それにこれはゲームなのだから、それがどんなにリアリティがあっても、フィクションであり、仮の姿なのである。気にすることはない。

□しかしこのゲームには残酷なしかけがある。榊は、半分ぐらい殺してからやっと気がついた。老人たちの顔はみんな見覚えがあるのだ。五十年前の隣のおじさん。小学校の先生、懐かしい伯父さん、近所のお好み焼きやの叔母さん。駄菓子屋のお上さん。大学の恩師。

□ああ、親友や父や母までいるではないか。恩のある人々を全部殺せと言うのか。「師に会えば、師を殺せ、親に会えば親を殺せ」と禅の教えにもあった気がする。大切な人々を殺し尽くして、一体俺は何の為に生きるのか。榊は無性に空しくなりながら、殺し続けた。

□殺すことを止められなかった。生きることとは殺すことなのか。人間を愛している筈の榊は心の底では、人間をこれほどまでに憎んでいたのだろうか、それともこれはゲームだから感情的になる必要はないのだろうか。


□村人を全員殺したところで榊は気を失った。

□するとまた森の中だ。森の中を小川が静かに流れていて、榊は死んだように浮んで流れていた。

□このゲームが語っている人間観は一体何だったのだろう。フロイトは人間の抑圧された根源的な衝動は殺人と人喰いだといったが、榊自身が潜在的に、このような人間観を抱いていることになるのだろうか。

□榊が取り組んできた新しい人間観構築の試みは、このような恐ろしい人間観を否定する為に行ってきたのか、それとも新しい人間観と、この潜在的な人間観はどこかで通底しているのだろうか。流されながら、静かに瞑想を続けた。

□人生とゲームにはどこか共通しているところがある。人生は取り返しのつかないゲームのようなものだ。

□人生は生の現実だが、生の現実にはゲームのような空々しさがあり、いまいましいほどのすれ違いや勘違いの連続がある。

□ゲームでは脱線したら、ゲームオーバーでやり直せばよいが、人生は脱線してもやり直しが効かない。もうレールがないのにやぶれかぶれで走り続けるしかない。

□ゲームではルールに従っていれば。どんなことでもそれほど罪悪感なしにやれるが、人生だとルール通りにやれば何をやっても平気だと言うわけにはいかない。

□社会的責任を果しつつ、義理と人情に生きてこそ、その上で夢に挑戦できるのだ。榊はとても自分にはそれだけの器量がないことを痛感せざるを得なかった。しかし榊は夢を見続けている。それは現実からの逃避だと責められても、自分の夢を失ってはとても現実には耐えられそうにないのだ。

□たくさん人を殺して榊周次は何かを得たのか。幻想の森のゲームで得たものは森からのエクソダス(脱出)であった。
---------青春のわだつみ像-----------------

□森は消え、彼は千年の古都の母校の立生大学の構内にいた。今では四半世紀以上前に移転したはずの元の場所に、懐かしの青春の母校は立っていた。

□そして母校の唯一のシンボルとなっていた「わだつみ像」が立っていた。

□出陣学徒の苦悩を刻んだあの像である。ところが何と白いペンキが塗りたくられているではないか。それじゃあ今は、1969年5月だ。戦後の「平和と民主主義」の虚妄を暴くというヘルメットの集団がゲバ棒で武装して構内になだれこみ、示威行動の一環としてやったらしい。

 榊はあの時は傍観者だった。その年の3月まで大学院浪人をしていて紛争の当事者にはなれなかったのである。彼の学友たちは封鎖や封鎖解除をめぐり民青派・全共闘派・中間派の3派に分かれて抗争を繰り返した。

□紛争にはそれなりの経過があり、必然性がある。大学の管理体制それ自体がラジカルに問い直されなければならなかったのはもちろんだ。しかしその結末が出陣学徒の苦悩の像にペンキをぶっかけることとは、あまりに空疎ではないのか。

 その時、突然ヘルメットとゲバ棒で武装し、タオルを巻いて顔を隠した集団が5・60人で校門から迫ってきた。榊は咄嗟に洗心館に逃げ込んだ。彼も共産党に指導された青年同盟である民青の活動家だった経歴があり、活動をやめて既に2年近くになっていたが、全共闘の連中には敵だと思われているかもしれないからだ。

□覆面の連中は「わだつみ像」の頭をハンマーのようなもので殴りつけて穴をあけ、綱を引っ掛けて、引き倒した。いとも簡単に像は倒れた。彼らはほとんど無言のまま、それだけで引上げた。その間十分とはたっていないだろう。

 大学院の哲学専攻のクラス会が学外でもたれていた。学内に戻ると民青派の糾弾に合い、自己批判を迫られる院生がいるので、クラス会は学外だった。そこでも「わだつみ像破壊」は話題に上った。

□「『わだつみ像』などがあると、その像によって平和が守られていると錯覚して、学生たちは自ら平和の為に戦わなくなる。『わだつみ像』という平和の守り神などに頼っては駄目だということを示すために、『わだつみ像』は破壊されてむしろよかったんだ。本当に平和を守りたいのなら、『わだつみ像』をぶっ壊して立ち上がるべきなんだ。」

□「『平和と民主主義』をわだつみ像は守ってきたことになっているが、今の立生大には自由はない、だからあの像は一党支配の実態を隠してきた。あの像の破壊によって、そのごまかしが破壊されたのだから、破壊は正当だったんだ。」

□「破壊はいきすぎだ。戦没学徒の苦悩を像にしているのだから、立生民主主義の虚構を暴くために像にまでとばっちりを与えるのはよくない、しかしそれだけ彼らを追い詰めた大学側の責任の方が大きい。」

 破壊讃美かその責任は大学にあるとする意見が優勢だ。榊は彼らに反発した。

 「像が立生大にあったことで、立生大の体制を擁護する役割を果したとしても、それは像のせいだろうか。像はあくまで苦悩する出陣学徒の姿だ。それに白ペンキをかけたり、ハンマーで穴を開けたり、引き倒したり、そんな蛮行が許されるはずがない。」

□するとアジの得意な院生闘争委員会の髭面活動家が、皮肉たっぷりにこう言った。

「像にも責任がある。やつは学園が共産党の一党支配におかれ、学園新聞社まで乗っ取られようとしても、何も抗議しなかったばかりか、いつまでもアナクロニズムにも、昔の戦争の苦悩ばかり訴えていたんだ。そしてあくまで獄中で侵略戦争に反対していたという過去の遺産にあぐらをかく連中の飾り物にされても、すこしも抗議しなかった。だから破壊されても仕方なかったんだ。」

□教授は苦悩に額の皺を深くして語った。「一応教員としていわせてもらうが、追い出されて、怒りのあまりやったことだろう、その気持はわかる。だが一時の興奮で文化財を破壊するのは間違いだ。それを体制や大学の責任にするのも無責任。今後は、紛争自体は収束に向かうので、後で自ら責任を取れなくなるような行動は謹んでもらわなければ、大学に戻ったり、卒業したりはできなくなるということも現実として認識しておいてほしい。」

□再び「わだつみ像」前だ。

□幻想の世界では、どうしても場面の切り替わりが、断続的になってしまう。

□哀れにも頭や胴体に穴が開き汚れきった傷だらけの「わだつみ像」が元の場所に立っている。榊はその凄まじい迫力にたじろいていた。戦没学徒たちの生の姿にこれは最も近いかもしれない。

□「『わだつみ像』よ、その破壊された姿のままで、戦没学徒の苦悩を語れ」榊は自分の青春が深傷を負ったのを感じた、恐らく生涯癒されることはないほどの深傷である。

□「君には何か青春の思い出と結びついた思い入れがあるのかもしれないが、それほど重大な問題ではないんだ。

□わだつみ像にはちゃんと型があって複製がきくんだ。紛争のとばっちりで壊されたのだから、また作り直せばそれでいいんだ。人が殺されたわけではないのだから、たかがブロンズぐらいで、大騒ぎすることはない」

□榊には、院生クラス会での中間派学生のさとり済ました表情も気に入らなかった。

□果たして「わだつみ像」は取替えが効くのか。新品の「わだつみ像」はもはやキャンパスには立てられないだろう。いつまたペンキが塗られたり、引き倒されないとも限らないからだ。図書館や博物館のガラスケースの「わだつみ像」は、「わだつみ像」であって「わだつみ像」ではないのだ。
□「海ゆかば水漬く屍 山ゆかば草むす屍 大君の辺にこそ死なめ かへりみはせじ」

□なんと破壊された「わだつみ像」から大伴家持作詞、信時潔作曲「海ゆかば」の荘重で物悲しいメロディが聞こえてくるではないか。戦没学徒たちの多くはこの歌の通りに死のうとしたのだ。

□しかしこの物悲しさはなんだ。彼らの犠牲の上に戦後の平和と繁栄を享受している我々が、彼らの犠牲を忘れ、彼らを蔑ろにしていることへの怨念の調べなのだろうか。彼らのわだつみの犠牲を省みなくなったとき、再びわだつみの悲劇が迫ってくるということを警告しているのだろうか。

□戦没学徒たちはわだつみの沫と消えた。そして彼らの苦悩は「わだつみ像」として甦った。それが再び頭に穴を開けられ、引き倒されたのだ。戦没学徒は再び殺されたのだ。また新しい「わだつみ像」が来ても、それは同じ「わだつみ像」ではないだろう。

□1953年11月11日、「わだつみ像」が立生大に届いた日、それを歓迎しようと京大の学生たちが大勢で立生大に向かっていた、これを無届の不法デモとみなした警官隊が、荒神橋で襲い掛かり、老朽化した木の橋が壊れて多数の学生が大怪我をした。世にこれを「荒神橋事件」という。

□思えば立生大に着いた日から「わだつみ像」は学徒の血で血塗られていたのだ。そして1968年の立生大の学園闘争では封鎖解除をめぐり瀕死の重傷を負った学生も多かったのだ。そして「わだつみ像」自身が身代わりに殺されたのかもしれない。

□「学生の歌声に 若き友よ手をのべよ 輝く太陽 青空を 再び戦火で乱すな 我等の友情は 原爆あるもたたれず 闘志は火と燃え 平和のために 戦わん 団結かたく 我が行く手を 守れ」

□気のせいか「わだつみ像」から「国際学連の歌」が聞こえてくるようだった。しかしそれは弱弱しく、息も絶え絶えであった。
□榊周次は悔恨に打ちひしがれ、とめどなく泣いた。「俺は無力だ。俺は何もしなかった。どうすれば良いかも分らなかった。

□しかしそれは俺の責任だ。人間は行為をすべく生まれている。こうして時代が流れ、自分の力ではどうしようもない方向に流されていく。わだつみの御霊よ、俺に力を与えよ。そして智恵を与えよ。」

□榊は夕闇に包まれた「わだつみ像」を見上げようとして、驚いた。そこには「わだつみ像」は存在していないのだ。そして図書室に破壊された「わだつみ像」は陳列されていた。□またほんの数秒で、移転先の洛北の『平和祈念館』に新品の「わだつみ像」が黒光りで苦悩のポーズを見せている。

□榊にはそれは苦悩のポーズをとっているだけで、ほんものの出陣学徒の苦悩にはとても見えなかった。

 像は一個の物体として連続しているように見えている。だが、それを見る人、それが背負っている時代、それが置かれた場所によって、刹那、刹那に新たに作り上げられているのではないか。

□像は物体であると共に、それが置かれている関係の現われなのだ。刻々と現れる事としての像の状態によって我々は、像を巡る人間たちの関係を把握するのだ。

□見る人によっては戦没学徒の苦悩の表現には見えないかもしれない。

□欧米人が見ると、ロダンの「考える人」を連想しつつ、ロダンの弟子の作った「悩める人」だと想像するかもしれない。

□全共闘の学生からみれば、憎くき民青の学生にしかみえなかったのかもしれない。それはまさしく学園闘争時代の学内の勢力争いの縮図なのだ。
 榊は、沖縄戦に志願していた。いよいよゼロ戦で特攻攻撃である。榊は、この無謀な戦争には元々懐疑的だった。

□しかしこう考えたのだ。戦争は、始まった以上簡単にやめられるものではない。この戦争は日本にも非があるかもしれない。しかしだからといって、おめおめと日本が滅ぼされていくのを座視することは到底できない。

□私は日本人として生き、日本人として死ぬことを選ぶしかないのだ。物量で圧倒してくる連合国に日本は大和魂を示して、一矢報いておかなければならない。それにはゼロ式戦闘機で体当たり攻撃をかけるのが最も効果的である。

□それに榊は自分が志願しなければ、別の出陣学徒が犠牲にならなければならない。それはたまらないと思った。確かに死ぬのは恐ろしい。まだ二十歳そこそこで死を引き受けるのはあまりに理不尽だ。しかし自分は自分が生き延びるために、別の誰かを死なせるということはできない。

□誰かが自分の身代わりになるくらいなら、それは自分が引き受けるべきである、そうでないと卑怯者である。共同体にはそういう不文律がある。この不文律が無意識を支配していて、どうしても逆らえないのだ。しかし私はこんな犬死をするために生まれてきたのではない筈なのだ。死とはなにか、生とは何か、そして人間とは何か?

 死んだらまた生まれ変わるという話もあるが、それは迷信にすぎない。海の藻屑と消えるのみだ。そしたら世界は俺と共に消滅するのか、父よ母よもう一度産みなおしてください。平和な時代に、自分のやりたいことがやれる時代に。サヨウナラ、人生、サヨウナラ、榊周次よ。

 次の瞬間、榊は「わだつみ像」になっていた。何度か「国際学連の歌」を聴いた気がする。そして最近やけに騒々しいと思ったら、白いペンキを塗りたくられた。榊は怒りと恐怖に震えているところ、狂気と化したヘルメット軍団に引き倒されハンマーで頭蓋をぶっ壊されたのである。思いがけず、二度も死ななければならなかったのだ。

□何をとち狂っているのだ。「わだつみ像」は生きていたのか、ただの銅の塊にすぎなかったのではないか。人間が銅像に生まれ変わるなど天地がひっくりかえってもありえないぞ。何故、榊はよりによってアイドル(偶像)の死を死ななければならなかったのか。第一榊周次は榊周次であって「わだつみ像」ではない。それなのに何故、榊周次は戦没学徒であり、「わだつみ像」なのか。そんなことは幻想にすぎないのか。
            
 幻想の世界の榊周次は、現実の世界の榊周次とはまるで違っている。

□現実の世界に生きている榊は、輪廻転生など信じていない。幻想界でのもうひとりの自分の体験など、幻想にすぎないと思っている。

□しかし他方で幻想の世界では榊は輪廻転生をリアルに体験しているのである。その衝撃は現実界より激しいものである。何故、こんな幻想界での体験を自分はしなければならないのか、現実界の榊にとっては不可思議だった。おそらく榊の思想的格闘が幻想界での七転八倒を招いているのだろうということしか分らない。


(未完ーそのうち続きを書きます)

ログインすると、みんなのコメントがもっと見れるよ

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

人間論および人間学 更新情報

人間論および人間学のメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。