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人間論および人間学コミュの先端医療が投げかける問題〜人間はどこへ行こうとしているのか

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那須麻千子氏のエッセイ
以下のサイトより引用させていただきました。
げんげ田通信http://www006.upp.so-net.ne.jp/Bacchus/natural/iryou.htm

ーーーーーーーー理念なき時代の生命科学ーーーーーーーーー

 いま生命科学は注目の学問である。科学誌を開けば「生命科学が開く二十一世紀」などという見出しが躍り、輝かしい未来を約束するかのようなイメージが振り巻かれつつある。生命科学を容認した上で判断しているとしか思えないマスコミの断片的な報道。そうした中からは、生命科学が私たちの生活にどう結びつき、どのように変えていくのかは、容易には見えてこない。

□しかしトータルにその全体像を見渡すと、疾走する生命科学の発達が、私たちが長年育んできた「生」の形式を変え、その結果、サブカルチャーとしての医療文化が、全カルチャーに計り知れない影響力を持とうとしていることを見逃すわけにはいかない。技術は、生の内実までを変えていく強力な力を持っているのだ。

□神秘の世界といわれた人間誕生の現場で、いま何が起こっているのか。こうした先端技術を駆使して、人間はどこへ行こうとしているのだろうか。

 このようなテーマは、私などには大き過ぎるが、医療が現在のようにその範囲を拡げ、生まれる前から死まで直接私たちに係るようになってきたからには、一市民として手をこまねいているわけにはいかない。

□それに科学者や生命倫理学者が、どれほどの広い視野とフィールドを持ってことの核心に迫り、どれほどの思想や理念を持って人間の未来図を提示できているかは、大きな疑問だ。

 私が先端医療にこだわる理由は、ただ二つ。いくら隠しても透けて見える優生思想への脅威であり、生命の核心に人間の手を入れることへの慄きである。そこには、人間の「都合」で生命を操作し、一つまた一つと叶えていく人間の果てしない欲望が渦を巻く。

コメント(9)

ーーーーーーー暴走する生殖補助医療のいまーーーーーーーー

 現在、もっとも臨床に取り入れられている先端医療が、人工授精や体外受精に代表される生殖補助医療。この技術によって生まれた出生児数の累計はすでに五万人を超えたといわれる。

□このことは、戦後すぐに始まった生殖補助医療のパイオニアである人工授精はもとより、排卵誘発剤を使って女性の体から卵子を取り出し培養液の中で精子をかけて受精させ、それを子宮に戻して子供をつくる体外受精や、運動能力の劣る精子のために卵子に顕微鏡下で穴をあけ精子が通りやすくする顕微受精、ごくごく一般的な医療として定着したことを告げていよう。

 いまや、望んで二年子供ができない夫婦は「不妊」とされ治療の対象になるのだそうで、あっという間に不妊専門のクリニックも登場した。

□背景には、少子化時代、生き残りをかけた産婦人科医院の戦略が見え隠れするが、一方で、こうした医療を求める根強いニーズが技術を支え、推進力になっていることもまた事実であろう。

 世界初の体外受精児ルイーズ・ブラウンがイギリスで誕生したのは、一九七八年。その当時支配的だった「神への冒涜、自然への畏れを知らぬ行為」との否定的な意見は、今となってはすっかり影を潜めた。

□その後この技術は、受精卵を冷凍保存させておいて、都合のいい時に解凍して子宮に戻す技術や、男性の不妊治療として開発された顕微受精などさまざまなバリエーションを生み出しながら、たった二十年余りでここまで定着した。

 そしていま問題になっているのが、夫婦以外からの精子や卵子をもらって子供をつくる不妊治療だ。戦後すぐに行われるようになった生殖医療のパイオニアである人工授精では、もうとっくの昔から第三者の精子を使って子供がつくられていた。

□この技術は生まれた子供の遺伝的な父親が誰であるかの問題があるにもかかわらず、精子提供者は秘匿されるのが原則であり、これまでアンダーグラウンドの技術として社会問題にならないできたという事情がある。

 昨年のこと、北九州市のセントマザー産婦人科医院で、夫の父親からの精子提供を受けた子供がすでに五人生まれていたことがわかった。夫の父親の精子を用いた人工授精は、「“匿名が原則”に違反する」、「家族関係を複雑にする」、「不倫のようにもみえる」などと物議をかもしたが、実施した医師は「血のつながった人の精子を使いたい希望がある」と主張。また長野県の諏訪クリニックでも、妻の姉妹の卵子を用いた非配偶者間の体外受精で子供が誕生したことが明らかになった。実施した医師はいずれも“血のつながり”を強調している。

 そうした中、昨年十二月、これからの生殖補助医療のあり方を検討していた厚生労働省の「生殖補助医療技術に関する専門委員会」は、重要な報告書をまとめた。三年後をめどに法整備の検討に入る。

 国はこの報告書で、暴走する生殖医療に歯止めを掛けるどころか、夫婦以外の第三者のみならず、兄弟姉妹や親などの身内、もっと範囲を広げて友人からも精子や卵子、さらには胚(分割はじめた受精卵)までもらって子供をつくることを認めている。要するに、代理母出産以外は何でもあり。先行する既成事実を追認し、実施するために環境整備したとしか思えない内容になっている。

 第三者の精子や卵子を使って子供をつくるとは、どういうことか。その本質を議論することもなく、こうした生命操作を国が容認し、推進していくことに危機感を持つのは私だけではないだろう。

 「切実なニーズ」という大義名分のもと、国をあげてこうした生命操作を整然と行ってしまえるところが医療技術の持つ力なのだ。臓器移植技術が開発されたために、臓器提供者の脳死を“人の死”として死の定義を変えてしまったように、生殖医療技術がいま生の形式を変えつつある。

 ここから派生してくる問題の大きさは計り知れないが、ここではひとつだけ問題提起しておきたい。

□私には焼きついて離れないある映像がある。精子や卵子が売買されているアメリカで、IQ130以上の科学者たちの精子を集めた精子バンクから精子を買って生まれた子供の目だ。

□すでに成人に達したその男性は記憶力抜群、瞬時のうちに多くの記憶をその優秀な頭脳に修めることができるそうだが、自分はどこから来たのか自らのアイデンティテイを確立することができない。

□テレビに映し出された宙をさ迷うようなうつろな目。母子密着型の親子関係にも、その不安の影が投影されているように思えてならなかった。「こうした技術を否定しないけれど、自分が使おうとは思わない」。彼が語ったこの言葉は多くを語っているように思える。

□彼は“そこ”から生まれてきたのだから、技術を否定することは自らを否定すること。しかし彼は“選択”されて、“誰からか”、生まれてきたのであり、自らの中に広がる存在の不安に直面し続けねばならない。
------医療が「生まれてもいいいのち」を選んでいく時代-------

 こうした生命を生み出す生殖補助技術に追い討ちをかけるように開発されたのが、胎児に障害があるかないかをチェックする出生前診断技術である。

□出生前診断の代表的なものには、いまやハイリスクの妊婦には欠かせなくなっている羊水検査や絨毛検査があるが、最近になってこの分野にも新しい技術が登場した。

□究極の出生前診断といわれる受精卵診断や、母親からの血液だけでダウン症などの確率を調べる母体血清マーカー検査がそれだ。

 受精卵診断は、体外受精によって取り出した卵子を受精させた段階で、その受精卵を遺伝子診断するという技術。日本産科婦人科学会は「重篤な疾患に限る」との条件つきで、ついにこの技術にゴーサインを出した。

 次々と登場する技術は、ついに受精卵の段階で人間の素材を吟味する段階にまで至ってしまったのだ。技術が生まれるべきいのち、生まれてはならないいのちを選んでいく。そんな優生管理される時代に私たちは生きている。

 こうした出生前診断や生殖補助医療を支えるニーズには、さまざまな社会的要因が複雑に絡み合っていることは言うまでもない。女性なら子供を産んで一人前とされるジェンダーの呪縛や血のつながりを重視する家族制度、名ばかりの男女平等社会における女性の弱い立場、障害者を排除する優生思想…。先端技術を後押ししていくニーズの裏には、相も変らぬ固定化された古い制度や価値観が顔を覗ける。

 ニーズか先か、医療技術が先か、技術はさらなる人間の欲望を掻き立てながら疾走を続ける。遺伝子レベルでより優生なものを追求する遺伝子操作まで一歩も二歩も近づいている足音が聞こえてきそうだ。卵子や精子を体外に取り出す技術がこれほど危うい技術とは、初の体外受精児が生まれた二〇年前に予測できただろうか。
那須麻千子氏のエッセイ
以下のサイトより引用させていただいています。
げんげ田通信http://www006.upp.so-net.ne.jp/Bacchus/natural/iryou.htm

ーーーーーー臓器や医薬品を製造する動物工場に目処ーーーーーー

 一方、動物の世界に目を移すと、いま世界の耳目を集めているクローン技術がある。クローン羊「ドリー」が、イギリスで誕生したのは1997年2月。しかし実は受精卵によるクローン動物は、羊はもちろん、豚や牛、ウサギなどそれまでにすでに誕生していた。それなのになぜドリーの誕生があれほどの衝撃をもって迎えられたのか。


 それは乳腺という体細胞を用いた発生操作技術により、クローンを誕生させたことが画期的だったからにほかならない。これまで全能性(分化発生し、あらゆる体細胞になる能力)を持たないとされてきた哺乳類の体細胞にふたたび全能性が戻ることを証明したのがクローン技術だったのだ。


 このクローン技術で見逃せないのは、医薬品や臓器製造など産業に直結していることだ。クローン羊「ドリー」で、ロスリン研究所と共同研究したPPL・セラピューテクス社は同年七月、この技術を応用し、羊の体細胞の一部を人間の遺伝子に組換えたクローン羊を誕生させている。

□この人間の遺伝子を持った羊「ポリー」は、外見はごく普通の羊に見えるが、ただの羊ではない。「ポリー」が出す乳には血友病の治療に使うヒトの血液凝固因子が含まれているのだ。新聞はこのクローン技術で、「医薬品を大量に生産する『動物工場』づくりに技術的なめどがついた」と報じた。この技術を開発したPPL・セラピユーティクス社がさっそく特許権を申請したことは言うまでもない。


 さらにはこの技術を発展させて、今度は、ヒトの遺伝子を組み込んだ臓器移植用のブタも開発中だそうだし、「クローン技術が確立されたあかつきには、必要な臓器だけを持つ人間の胎児をつくることができる」と、研究にかかわった科学者は述べている。「移植用人間」としてこの世に生まれてくる無脳児の話である。

 このようにクローン技術は、ヒトの遺伝子を動物に組み込んで、種の境界をなし崩しに壊しながらさまざまなバリエーションを生みだしているのだ。

□最近になって、この「ドリー」は生まれた時から老化していることが報じられたが、研究者の考える究極の不妊治療が、このクローン技術であることを付け加えておこう。生殖技術は、そのほとんどが畜産技術としてスタートし、人間へ応用する経過をたどってきたこともまた事実である。
---------人の命が商品化され時代がはじまった-----------

 昨年11月、日本でもこのクローン技術を規制するための法律「ヒトに関するクローン技術等の規制に関する法律」が成立した。

□このクローン法は、体細胞クローン胚、人と動物の生殖細胞を受精させてできる交雑胚、人と動物の細胞を集合させたキメラ胚、人の核を動物除核卵に入れたクローン胚を人や動物の子宮に移植することを禁止、違反者には10年以下の懲役か1000万円以下の罰金を科した。

□しかし、ことはそう簡単ではない。このクローン法は、クローン人間の元になる人のクローン胚の研究を刑事罰の対象から外し、胚の作製や取り扱いは、今後、規制の緩いガイドラインで定めることとした。つまり、条件つきでクローン胚の作製や研究にゴーサインが出たということ。

□また胚をバラバラにして核を取り出し、別人の除核卵に入れてつくる受精卵クローン人間(動物によく使われている)や受精卵の核をとり別人の除核卵に入れて子供をつくる方法(アメリカで卵の若返り法として研究されている)、人の胚を分割して双子や3つ子をつくる、2人以上の人の胚を混ぜてつくるキメラ個体などは禁止されていない。

□「クローン類似研究促進法だ」と批判する専門家もいるほど、人の命の萌芽である胚を使うことの倫理的問題が広く議論されることもなく、体細胞クローン人間や動物と人のキメラ体をつくることを禁止しただけで、このクローン法はスピード成立した。

 ここまで書いて、頭がくらくらしてきましたが、もう少し先を続けます。読者の皆さんももう少しだけ我慢して読んでくださいね。

 同じく人の胚を使った研究で、最近脚光を浴びているのが、人のES細胞(胚性幹細胞)なるもの。ES細胞とは、「万能細胞」とも呼ばれ、あらゆる臓器や組織に分化する能力を持つと言われる。

□98年、アメリカの研究者がそのまま成長すれば胎児になりうる胚の中からES細胞を取り出した。これにより、人の胚が臓器や医薬品などをつくり出す無限大の資源になる可能性が広がったと言われる。新たな産業、商品化に結びつくとして熱い視線が集まっているのだ。

 ヒトゲノム解析で遅れを取った日本が巻き返しをねらうのがこの分野と指摘する声を裏付けるかのように、今年4月、文部科学省が「ヒトES細胞」研究を認める指針案を総合科学技術会議に諮問した。この指針案が策定されれば、これまで生殖医療に限られていたヒト胚の研究がES細胞の研究にまで広がる。

 政府は昨年度、ミレニアムプロジェクトの一環として110億円を投入して、受精卵(胚)や胎児の細胞をもとに臓器や皮膚、骨などをつくり出す再生医療研究に乗り出した。そのカギを握ると言われているのが、このES細胞の利用だ。つまりヒトES細胞の研究容認を前提とした体制が着々と整えられつつあるということなのだ。

 文部科学省や科学技術庁など5省庁が中心になるが、このうち文部科学省は、?東京大医科学研究所?京都大再生医科学研究所?熊本大発生医学研究センター?岡崎国立共同研究機構(愛知県)の4施設を研究拠点にして、?が臓器や組織を移植する際の免疫拒絶反応の抑制などの臨床応用、??がサルやヒトのES細胞の作製や臓器の再生方法をそれぞれ担当する。また科学技術庁は、所管する理化学研究所に「発生・再生科学総合研究センター」を設置する一方、30億円をかけて神戸市に拠点施設を建設中だ。

 このES細胞にしろクローン技術にしろ、「材料」になるのは体外受精で体外に取り出した受精卵や卵子。こうした再生医療を推し進めていけば、最終的には脳全体の再生にまで行き着く人間改造が可能だ。人の命が部品化され商品化されていく時代の到来である。

 アメリカではすでに現実化が始まろうとしている。この再生医療分野に参入するベンチャー企業は40社を越えると言われ、皮膚で3社、軟骨で1社がすでに市場に「商品」を出し始めているらしい。アメリカコンサルティング会社の試算によれば、2020年に世界で約48兆円規模の市場が見込まれているという。

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--------------ヒトゲノム解析と経済効果-----------------

 こうした先端技術の最大の推進力になっているのが、いま世界的な規模で進む「ヒトゲノム解析計画」だ。遺伝子の研究が本格的にスタートしたのは一九八八年。

 この年アメリカは国家的なプロジェクト「ヒトゲノム計画(ヒューマン・ゲノム・プロジュクト)」を打ち上げる一方、国際プロジェクトで作業を進めることを呼びかけ、その拠点としてヒトゲノム機構(HUGO)を設立した。

□各国の研究者たちはこのHUGOを拠点に、自国の行政を動かし国家予算でプロジェクトをつくりながらこの膨大な計画を推し進めてきたのである。日本でも九〇年初頭から文部省・科学技術庁・厚生省(当時)が研究を開始した。

 「ヒトゲノム解析計画」とは、病気や性格、体型、能力など人間に関するすべての情報を遺伝子レベルで解明しようというもので、三〇億あるヒトゲノムの塩基の配列がどうなっているのか、どの遺伝子が細胞内でどんな働きをしているのか、遺伝子同士の相互作用はどうか、こうしたすべてを洗い出す。

□現在、解析が終わったと報道されているのは、三〇億ある塩基配列がほぼ解読されたことを指す。

 遺伝子は、遺伝情報を担う塩基配列のうち99.9%までは人類共通だが、残り0.1%は人によって異なると言われる。どんな病気にかかるか、また顔つきや体形などの個人差を決めるのが0.1%のSNP(スニップ)と呼ばれる塩基の場所や数。SNPは、一人に300万から1000万カ所あると見積もられている。

 このように次の段階に入ったといわれる「ヒトゲノム解析」で注目を集めているのが、このSNPの特定。厚生労働省は昨年4月、ミレニアム・ゲノム・プロジェクト「遺伝子解析による疾病対策・創薬推進事業」を立ち上げ、産官学連携での研究をスタートさせた。

□SNPは解読された遺伝情報を産業化していくカギを握るといわれ、いましきりに喧伝されているオーダーメイド医療の一環。特許権が絡むこのSNP研究には製薬会社をはじめ多くの企業が参入し、オーダーメイドの新薬の開発に期待をかける。

 しかし私たちはこのSNP研究に対し、無防備ではいられない。厚生労働省が中心になり調べようとしているSNPは人口の1%以上の人が持つ遺伝子パターン。従って、より多くの人のSNPを調べ、既往症や環境、薬剤の反応性に関連する遺伝子を解析し、新薬の開発につなげなければならない。

 昨年2月、各新聞は、国立循環器病センター(以下国循)が集団検診で採取した約5000人の血液を無断で流用、共同研究している大阪大学医学部で高血圧や動脈硬化、アルツハイマー病など13種類の遺伝子について調べていたことを報じた。

 例えば、疾病に関連する遺伝子や薬の効き方に関係する遺伝子を調べようとすれば、性別、年齢、病歴、家族歴、生活習慣などの個人情報と解読の結果得られた遺伝情報を併せて検討する必要がある。

□この国循の集団検診は、疫学研究の一環として位置付けられており、受信者の住民検診などの個人情報がすでに蓄積される仕組みができあがっていた。

 いましきりに喧伝されているオーダーメイド医療は、こうした個人情報と遺伝情報の膨大な蓄積を前提にしてはじめて成り立つ医療。問題は山積している。

 中でも究極のプライバシーと言われる遺伝情報が大規模に収集、蓄積されることの危険性は大きく、誰が、どこで、どのような管理体制のもとに膨大なデータを管理するのか、また誰がどのような研究を行い、その成果が何に使われるのか、こういったことの情報公開がない中で民間企業も参入するゲノム解読研究が、データ漏洩による人権侵害に結びつかない保障はない。


 私たちの体の中にある遺伝情報は生涯変わることがなく、本人ばかりか家族や親族にも関連性を持つ。

□ましてや今回、問題になった国循のケースのように本人の知らないところで遺伝子検査が行われ、検体やデータがひとり歩きするようなケースの危険性は計り知れない。

□将来、発症する病気を予測できる遺伝子解析が与える社会的影響は大きく、アメリカですでに始まっているように保険加入拒否や結婚、就職差別など新たな人権侵害を引き起こす可能性も大きい。

 にもかかわらず、無断で遺伝子解読が行われていたケースは他にもある。横浜市立大学医学部では161例の患者の検体を無断採取、遺伝子解析を行ったほか、保管する患者の臓器の遺伝子解析を複数の医師が無断で行っていた。また岩手県大迫町や福岡県久山町では、集団検診で採取した血液が住民に知らされないまま遺伝子解析されていた例もある。

 こうした中、今年3月、文部科学省、厚生労働省、経済産業省は、遺伝子研究の倫理指針を策定、4月から施行に入った。

□しかしこの指針は、体細胞遺伝子解析研究やヒト遺伝子の発現に関する研究などを指針の対象外とするなど適用範囲を狭め、生前に拒否の意思を示していない死者や未成年者について代諾を認め、当該研究開始前なら研究利用への同意が得られていない試料でも各研究施設の倫理委員会が承認し、研究機関の長が認可すれば遺伝子解析研究に利用できる、個人識別情報の漏洩が起こった時の制裁措置が定められていない等々研究の推進を第一義に据えたガイドラインだ。

 このように、ざっとなぞっただけでもヒトゲノムをめぐる資源は、多岐にわたる。より簡便に、より早期に、より精度を求めて病気や障害を発見する一方、遺伝子組換え技術や発生操作技術、またその組み合わせや再生医療によって、医薬品や移植用臓器、移植用皮膚などをつくりだすのが現在の大きな流れといえよう。

□今後、ここに大きな市場が期待されているのだ。特許権の伴うヒトゲノムに関する研究の立ち遅れが、国家的損失といわれる所以である。

 またヒトゲノムに限らず、遺伝子を利用したバイオ産業にまで視野を広げるなら、農産物の遺伝子組換えからエネルギー生産、環境改善?へと産業の幅は広がり、先進国や企業、研究者がこぞってしのぎを削る構図が出来上がっている。

□利潤を求めてアメーバーのように増殖する資本の触手がここでも顔を覗けているのだ。科学誌を飾る「生命科学が拓く二十一世紀」とは、こうした未来を指すことを指摘しておきたい。

 ここに新しい科学の可能性を見るのか、それとも殺伐とした阿鼻叫喚の未来を見るのか。大河のように水量を増す流れは、しだいに速度を速めつつある。

 一九七〇年代、こうした先端医療の発展に伴い、倫理的な問題を考える学問としてアメリカでバイオエシックス(生命倫理学)が生まれた。

□このバイオエシックスは、八〇年頃に日本にも持ち込まれたが、この生命倫理学は、いまもっとも問わなければならない人間とはどうあるべきか、先端医療が社会にどのような影響力を持ち、人間をどう変えていくのか、といった根本問題に応えているだろうか。

 残念ながら、私には次々と登場する先端技術を追認し、どこで線引きするのかという基準づくりを行っているに過ぎないように思える。

□これまでの経緯を振り返れば、その「基準」は新しい技術の登場によって、容易に崩れていったことがわかる。結果として、技術が社会に混乱なく受け入れられていく潤滑油の役割を果たしており、暴走を食い止めるには至っていない。底流にあるのは、ニュートラルで無機的な倫理観とでも云えばいいのだろうか。
-------優生なるものを追求する生命科学の未来図-----------

 私はある障害を持つ女性の言葉に、大きな衝撃を受けた。彼女は、出生前診断のガイドラインを政府が検討することに対し、「私のいのちをまな板の上に乗せて、ああだこうだと値踏みする、そのこと自体が許せない」と異議を唱えたのだ。

 この圧倒的なまっとうさの前に、私は言葉を失う。改めて、この社会には健常者の論理しか存在していないのだと気づかされる。

□生まれようとしている「いのちの質」を、誰が、どんな基準で吟味し、線引きできるというのだろうか。その傲慢を傲慢と自覚することさえ忘れて「いのち」をまな板の上に乗せて、晩御飯でもつくるように淡々と料理していく。これが非合理なものを切り捨て、合理的なもの効率的なものを良しとしてきた人間が抱え持つ現代のほんとうの怖さではなかろうか。社会的適応力、社会的貢献度の高さが、すなわち「いのちの良し悪し」の基準であることを私たちは知っている。

 いま予感していることの前に、私はたじろぐ。

 我を忘れて、便利さを追い求める人間の欲望が、巨大化する資本の論理に則って、さらなる欲望を掻き立てられ、環境ホルモンの逆襲を受けるまでに環境破壊が進んだいま、自然の摂理を無視し、優生なるものを追求する生命操作技術が、三六億年のいのちの流れ、つまりDNA環境を破壊し、生命力を失っていく運命をたどらない保障は何もないと。

 私たちは、程度の差こそあれ、すべてが可能であることはあり得ず、それぞれが与えられた条件の中で、さまざまな色合いを醸し出しながら死に向かって行進していく隊列である。たとえ、辛すぎて目を閉じることがあっても、目先の利益に捉われることなく、そこから目をそむけることなく、向き合うことでしか、私たちは光と影が表裏一体となって輝くいのちの未だ見ぬ地平を夢見ることはできない。

 病気や障害を受精卵の段階で発見できるようになり、遺伝子操作や人間のコピーさえ作ることが可能になったいま、私たちはもう後戻りすることはできない。「パンドラの箱」は開かれたのであり、いま求められているのは、「いのち」にどう向き合うのか、どんな社会を目指すのか、その根幹になる思想であり理念である。その理念に基づいたシステムの構築である。思うに、それは複雑な論理を展開することではなく、極めてシンプルなものではなかろうか。

 人権と人間の尊厳を尊重し、病気や障害と共にある共生の社会をめざすのか、それとも人間を遺伝子レベルに還元し、より優位にレベルアップしていく方向を目指すのか。研究室の中で描かれる生命科学の未来図は、命のリアリティが消されていく軌跡であり、そこからどのような風景が立ち上がってくるのか、具体的な相貌は未知のままである

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