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人間論および人間学コミュの『長篇哲学ファンタジー ヤマトタケルの大冒険』

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---------------------------まえがき-------------------------------------

□『長篇哲学ファンタジー 鉄腕アトムは人間か?』はお陰さまで大好評で、それを教材につかった『倫理学入門』の講義は受講者が多くて、計五コマの講義を担当させていただいています。

□しかし、一つの話だけで14回というのは飽きる人もいるようですし、もう一話作っておかなくてはということになりました。そこで『ヤマトタケルの大冒険』の長編化を試みることになったのです。ですから『長篇哲学ファンタジー 鉄腕アトムは人間か?』の続編という形で『長篇哲学ファンタジー ヤマトタケルの大冒険』を書いていくつもりです。

□『哲学入門』に関しましても、教材をやはりファンタジー化するか、推理小説化するかしたいのですが、なかなか哲学的な教材にも相応しい形にするのは難しくて、まだできていません。

ーーーーーーーーーーー序章 河内湖に白鳥が飛んだかーーーーーーーーーーー

ーーーーーーーーーーー1「上村陽一は十七歳で死ぬ運命だ!」ーーーーーーーー

□三月末の天気は変わり易い、つい半時間まえまでは空に雲ひとつなかったのに、急に曇り始め、風が冷たくなってきた、雨かなと思ったら、突然、天から雷鳴のように「上村陽一は十七歳で死ぬ運命だ!」という声が轟いたのである。

□それは春休み期間中は毎日大手門高校に通って、自習で受験勉強をしていたので、その帰りに大阪城公園で花見をしていた頃だった、桜はまだ三分咲き位で満開まで後一週間とテレビの天気予報では言われていた。

□陽一はかなり気合が入って、苦手の理数系科目を重点的に復習していたので、やはり初志貫徹して医学部受験の意志を固めようとしていたのである。その矢先の「十七歳」での死の宣告である。これは「天の声」だから、うろたえた。激しい衝撃である。

□陽一も幻聴だろうと思った。陽一自身の精神状態が追い詰められていて、それでそんな幻聴に襲われたのであろう?それにしても陽一はまだ十七歳である。この「天の声」によれば、次の誕生日の九月三十日までに死んでしまうということである。体調はいたって良好で健康には何の問題もない筈だ。死ぬとしたら、何かの事故か、殺されるか、自殺ぐらいである。

□「そんな馬鹿な、冗談はやめてくれ!」と言いたいが、なにしろ大音響が鳴り響いたので、とても冗談とは思えない。陽一は少し戸惑ったが、近くにいた六十歳位の年配の女性に「失礼ですが、今何か天から叫ぶ声が聴こえましたか?」と訊ねてみた。するとその女性は「いいえ、何にも。どうかなさったのですか?」と哀れむような微笑で訊き返してきたのである。

□ということは天が自分だけに告知したということなのか?もちろん誕生以来、こんなに明確に幻聴を聴いたことなどなかった。ということは、天に神がいて、自分に特別に告知されたのだろうか?この二十一世紀初頭の日本の高校生で、天に神がいるなどと本気で信仰している高校生はほとんどいないだろう。陽一もこの幻聴を聴く瞬間まで、天にいる神などというのは幻想にすぎないと考えていたのである。

□ではとうとう神が向こうからやってきたのか?倫理の授業で、榊周次という倫理の教師が言っていたが、キリスト教では神は信仰したくても信仰できるものではない、神から選ばれた者に神の方からやってくるものだから、信じたくなくても信じてしまうものなのだそうだ。

□それならこの天の声はまさしく神が現われたということなのか?しかしどうせ神に選ばれるのなら、もっといい話をしてくれても良さそうなものだ、神は自分が選んだのに、選ばれた者に相応しい英雄的なミッション(使命)を告げるのではなくて、もうすぐ死ぬなんて恐ろしい予告をするのは、どういう了見なのだろう。

□大正区三軒家の自宅に帰って、夕食時に家族に思い切って相談した。父は上村製作所を祖父から引き継いでいる。私学の立志館大学理工学部出身のエンジニアで、機械部品を大手の電気会社に納品している仕事らしい。バブル景気の頃はかなり忙しく、儲けもよかったらしいが、それで銀行の勧めて、設備拡大や不動産投資を行なったのが平成大不況で裏目に出た。数億円の負債を抱えてしまったのである。

□それでも不思議なもので、倒産にならない、倒産にすると、銀行の損失が確定してしまうので、銀行としてもなんとか潰さないで持たしているようである。それで資産を減らしながらも中高年ばかりの従業員五人を抱えて、息長くやっている。

□陽一は父上村隆一が三十三歳で、母上村芳江が三十二歳の時に生まれたので、父は五十歳の大台に乗り、母は四十九歳である。父の仕事を手伝って、経理をしている。保育士を志望している短大生の姉が一人いて、百恵という名前だ。両親とも山口百恵のファンだったらしい。

□先ず姉が口を開いた。「それって幻聴ね、一応精神科で診てもらった方がいいかも、このところ陽一は急に勉強を必死でし始めたから、きっと精神的なあせりで情緒不安定になって、幻聴とか聴こえたのでしょう」と一応もっともな診断を下した。

□母は頷いて、「陽一君は天才肌だから、神様が天国で人材が足らなくなって、今から引き抜こうとされているのかもね。でも人材が足らないのは地上の方が深刻なのよ。そう簡単に逝ってもらっちゃ困るわよ」と苦笑しながら言った。

□「神様もとんでもないことを仰るものだな」と父は呆れ顔で言った。「わしの大事な一人息子をそう簡単にとられちゃかなわないよ。先に逝ってる爺ちゃんにかけあってもらえないかな。まあ、まともに信じちゃ駄目だよ、その声が本当に神の声かどうか、悪魔が度胸試ししているのかもしれないし、ヘヘへ」と少し顔を引きつらせながら言った。親父さんも内心はショックらしい。

□姉は笑って言った。「そんな悪魔なんているわけないわ。陽一君は元々理系で迷信なんか信じない方だったのに、このごろ倫理の先生が気に入っちゃって、少し宗教づいたのかしら、ともかく精神科のお医者さんのケアを受けて、落ち着いた方がいいかも。あまり受験のことは焦らない事ね。現役合格なんて考えないで、医学部にどうしても進みたいなら三浪ぐらいの計画でやったらいいのよ」と助言した。

□「榊先生も超越的な神なんて信じられないと言ってたよ。ぼくも幻聴だと思うし、精神状態が不安定で聴こえたと思うけど、やっぱりあんなに大声で『上村陽一は十七歳で死ぬ運命だ』てはっきり宣告されちゃうと、ええ、もうすぐ死んじゃうのかなって思って、恐ろしくてたまらないんだ」と正直に言った。それで恐怖心を自覚したものだから、体がブルブル震えだしたのだ。

□母芳江はしっかり陽一を抱きしめていた。「大丈夫、大丈夫、第一陽一を死なせるなんて、そんなひどい神様なんでいるはずないわ。神は愛の神でしょう。陽一君はそう言えば、小さい頃から死ぬのが怖いと言ってたわね、そのたびに私がだっこして胸をさすってあげていたわ」は母そういいながら胸をさすり始め、父は背中をなぜていた。

□そうされていると何故か気分が収まってきた。「ありがとう、明日にでも榊先生に相談にいくよ、精神科の診断が必要かどうかはしばらく様子を見てからにする」と陽一はやっと冷静になれた。

□医学部に進むというのも、生きていたらの話で、死んだら大学もくそもない。何もかもおしまいである。どうせ死ぬのだったら、受験勉強などナンセンスなのである。それでももし天国があって、そこで人材が必要なら、勉強するのは意味があるかもしれない。もっとも地上での教養が天国でも通用するという保証はまったくないが。

□それに榊先生の話では、キリスト教でも死んだらすぐに天国に入るというのではないらしい。『バイブル』でもこれまで天に昇ったのはエリヤとイエスだけで、他の人間はみんな「塵だから塵に帰る」で土に帰っている。天国に入るというのは、実は歴史が終焉してからだという話なのである。だから何千年先か分からないし、それはユダヤ教徒やキリスト教徒の願望に過ぎないわけである。

□仏教の浄土信仰も似たようなもので、浄土真宗の僧侶にしても、死んで阿弥陀浄土に往生するとは信じていないということである。つまり浄土にしても地獄にしてもそれは生きている人間の心の有り様であり、煩悩を消し去った心静かな境地が浄土だということである。

コメント(62)

□おそらく物部氏は河内湖の周辺に住んでからも白鳥をトーテムにしていたのではないでしょうか。伝承では、物部氏は河内湖の周辺に来てから、天磐船に乗ってやってきた貴人(まろうど)の邇藝速日(ニギハヤヒ)命を太陽の化身として祭り上げ、ニギハヤヒ王国を形成していました。

□一時は三輪山まで版図にしていたようですが、イワレヒコつまり神武天皇の東征で敗れて、物部氏として大和朝廷に臣従するようになったのです。

□物部氏は農耕では絶対に必要な太陽神の祭祀を司っていましたので、宗教的に重要だったのです。そして軍事的にも重要で、熊襲や蝦夷さらには朝鮮半島への進出にも物部の兵士たちが出征しました。その多くが辺境の地で斃れて山では苔むす屍、海では漬く屍となったのです。

□それでその屍は白鳥になってまた故郷の河内湖に舞い戻ってくると信仰されていたのでしょう。物部氏の兵士たちが出征して長い間戻らないと、舞い戻ってくる白鳥を見て妻子や恋人たちは兵士が白鳥になって戻ってきたと感じたかもしれません。

□このイメージは『古事記』のヤマトタケルが巨大な白鳥になって河内湖に舞い戻るという説話になって結晶しました。

□『古事記』では能煩野で「国偲歌」を歌って「大和は国のまほろば」と大和への熱い望郷の思いを歌ったはずが、白鳥は海沿いに河内に向かうという矛盾があります。大和には屈折した想いがあって行けないのですが、何故河内かということですね、おそらく兄橘比売と縁があったのかもしれませんが、背景には物部の兵士たちが白鳥になって河内湖に舞い戻るという伝承が知られていたことがあったのではないでしょうか。

□問題は河内湖に白鳥が飛来していたかどうかですね。それを文献から実証したり、縄文時代や弥生時代の遺跡から化石として骨が出土したりはしていないようです。でもそれは白鳥を食べなかった証拠というべきで、白鳥が居なかった証拠ではないようです。

□河内湖は全国有数な大湿地帯を伴っていたようですから、おそらく様々な渡り鳥の宝庫だったと考えられ、白鳥も当然飛来していただろうと考えられます。昔は白鳥の南限は琉球だったそうなのです。

□藤井寺市の津堂城山古墳出土の水鳥形埴輪があります、それは頸が長いのでアヒルではなく、どう見ても白鳥と思われます。やはり白鳥の飛来を想像させる状況証拠にはなるでしょう。

□それから、戦士が斃れて白鳥になるというのは、そのコントラストが鮮やかですね、戦士と白鳥はそれぞれ戦争と平和を象徴している対極的な記号なのです。

□平和と言ったら鳩がシンボルのようにみられますが、鳩自体は雑食性でして、木の実やミミズを食べます。白鳥は藻だとか苔を食べているようです。糠とかを餌として与えて餌付けをしている人も居るようです。つまり一切肉食はしないわけです。その意味で動物同士として弱肉強食するわけではないわけです。だから、鳩よりもずっと平和的な鳥だといえますね。

□戦士ヤマトタケルは、父帝から疎んじられ、あるいは恐れられて、熊襲や蝦夷などの征伐を命じられました。しかし虐げられ、殺されるという意味では、ヤマトタケルも熊襲や蝦夷と同じ境遇なのです。

□ヤマトタケルは熊襲や蝦夷たちに接し、彼らの喜びや哀しみを知る中で、武力で押さえつけてもかえって争いの種をまくだけで、倭が熊襲や蝦夷に支えられていることをしり、共に栄えるために協力し合う和の精神こそが大切だということを学んだわけで、そういうメッセージもこの兵士から白鳥への変身説話には込められているのではないかということです。

□そういう隠されたメッセージを現代に伝えることが大切ではないかということですね。日本の近代史は戦前の軍国主義と戦後の平和主義に大きく二分されます。憲法第九条で日本は、まさしく戦士から白鳥に変身したのですね、そのことは大変重要です。また白鳥から戦士に変身するようなことは決してあってはならないのです。ヤマトタケル説話の秘められたメッセージをしっかり受け止めないといけません。」

□山田茂樹が手を挙げて質問した。「先生、話を憲法第九条を守ろうというところに持ってくるのは、強引すぎますよ。だってあれは、死んで霊が白鳥に変身するという話でしょう。白鳥は霊鳥なわけです。命の循環とか輪廻転生とかというような宗教的な生死観につなげるなら分かるけれど、古代の人々に武器を捨てて平和に暮そうなんてメッセージを期待するのは土台無理でしょう。」

□「いや、そういう反発が出るのはもっともですね、私が反論するのは、意見を押し付けるようにとられても困るので、どなたか山田君の鋭い批評に異議はないですか?」と逆に聴衆に意見を求めた。

□なかなか反論が出なかったので、三輪智子が立ち上がった。「主催者なので、発言は控えたいと思っていたのですが、意見がでないので、放っておけないので、発言してもいいですか」と皆に訊ねた。数人が拍手したのを受けて、三輪は語りはじめた。

□「人麿が『古事記』のヤマトタケル伝説の部分を書いたのではないかというお話が、この前の授業であったので、早速『古事記』を紐解いてみたのです。『古事記』には父帝との葛藤も描かれているのです。それで遠征ばかり強いられることへの反発や厭戦的な意識になったという解釈も判りますね。そしてそれが神通力のある草薙の剣をおいて伊吹山の山神のところへいくという行為につながったとも受け取れます。だから白鳥も霊というだけでなく、平和への意志をも象徴しているというような解釈にも余地はあると思います。

□………というより、そのように解釈してはじめてヤマトタケルが犠牲になることで、熊襲や蝦夷たちの武力で押さえつけられたことの怨みが昇華されるわけです。それで平和が築かれるということですね。その英雄の犠牲が平和につながることが白鳥に見事に象徴されているということでしょう。そう受け止めたらとてもロマンが感じられるのでいいのじゃないでしょうか。」

□そこで終わりのチャイムが鳴って、上村陽一が前に出た。「本日は榊先生ありがとうございました。本当はもう二、三時間ディスカッションでもしたいのですが、なかなかそういう企画では許可が出ないようなので、これで解散にします。受験で忙しいところ出てきてくれてありがとうございました。」と話し終わらないうちにあらかた教室は空になっていた。

□古文の古谷先生が残っていて、榊先生に語りかけた。「先生、なかなか興味深いお話で面白かったですよ。まあ先生は非常勤だから伸び伸び話したらいいかも知れないけれど、天皇論や憲法九条とか、日本の侵略とか政治向きのことは注意が必要ですよ。おそらくこの講演もテープに録られていますから。

□どうも噂では、吉永先生は生徒が録音した授業内容を問題にされて、体調不良で休職願いを書かかされたということですよ。」実は、本人から聞かされた話なのである。

□「イェー、ほ、本当ですか、そんなえげつない話、今時あるのですか。人権蹂躙の極致ですよ、よくそんなことで吉永先生も引き下がられたのですか。」つい声を荒げて、陽一君や智子さんたち生徒の前で叫んでしまった。

□「榊先生、生徒の前ですよ、聞かれたらまずいでしょう。」古谷先生はたしなめた。「これは失礼しました。君たち、急用が出来たから、今日はこれで失礼するよ、どうもありがとう。古谷先生、詳しく聞かせてください。」二人は会場の教室から出て行った。
------------------------------11心の友-----------------------------------

□陽一は古谷先生の話も地声が大きいからか聴こえていて、びっくりして智子に話した。「吉永先生の授業は録音されていて、それでどうも休まされたらしいよ」と言った。

□「そんな、そんなの不当労働行為でしょう。もしそれが本当だったら、あんなに権利意識の強い吉永先生がおとなしく引き下がるはずがないじゃない。」と智子は腑に落ちない様子だった。

□「それもそうだな、きっと噂だと思うよ。もし本当だったら、榊先生も睨まれちゃうかもね。榊先生が高校生の頃だったら、高校生の間で糾弾闘争が起こったかもしれないね。」

□「陽一君なら学生運動の先頭に立ったでしょうね、正義感が強いから。」と智子はこのところ元気のない陽一を励ますつもりで言った。

□「純粋に学園の問題で学校側と交渉したりするだけなら、活動すると思うけれど、政治的なセクトがらみで、学生同士ゲバ棒でなぐりあったり、学園封鎖して機動隊と衝突なんてあまり気が乗らないよ。

□榊先生が言われていたけれど、彼は丁度大学院入試で失敗して、浪人中に学園紛争が燃え上がったので、学友同士二手に分かれて殴りあうのに巻き込まれなくてほっとしたそうだよ。」

□「ハ、ハ、ハ、そりゃあ榊先生らしいわね。彼は若きマルクスの疎外論の復権の旗振りをしているでしょう。てっきり学生運動家上がりかと思っていたわ。」

□「日本史クラスの運営委員長をしたり、平和運動にも関わったことはあるそうだよ」と陽一はつけたした。

□「ところで陽一君、このごろ元気ないというか、思いつめたり、何かに怯えていたり、落ち着きなかったりしているような気がするのだけれど、受験で焦っているの?」

□「そんな風に見えるんだ、心配してくれてうれしいよ。それだけ大切に思ってくれているということだから。あと半年いや五ヶ月もすれば立ち直れると思うよ。」

□「ヘエーやっぱり何かあるんだ。私に相談してくれないのはどうして?全然頼りにはならないけれど、励ましたり、慰めたり、一緒に悩んだりはしてあげられると思うけど。」

□「そんな、そう言ってくれるだけで十分さ、大学受験を控えてるのに、君に迷惑をかけられないよ。」

□智子はその言葉に苛立ったようだった。
「へえー、そうなの、あなたって随分水臭い人なのね。それじゃあ私が苦しい時に、陽一君が受験だからって相談しちゃいけないのね。私たち本当の〈心の友〉じゃなかったのね。〈心の友〉なら、一緒に苦しんで、そのために受験に失敗してもいい筈よ。」

□「ホオー、それじゃあ言わせてもらうけれど、君だって苦しみを一人で抱え込んで、少しも僕には打ち明けてくれなかったじゃないか、そうだろう、君も胸が張り裂けそうなくらい苦しい思いをしているんだろう。」

□「何言ってるのよ、それはとても恥ずかしいことだから言えないことぐらい分かっているでしょ。そんな恥ずかしいこと私に告白させるつもりなの……」でも榊先生には告白して、それでかなり気持が楽になった、とはいえ陽一君にはとても言えない。

□「だから、俺は」その時、抑えていた死の恐怖が彼を発作のように襲った、また天の声がしたのだ「上村陽一は十七歳で死ぬ運命(さだめ)だ‼」

□ブルブルブルブル、陽一の体がまるで波打つように震えたのである。

□智子にはその天の声は聴こえなかった。震える陽一の体を思わず智子は抱きしめていた。「何があったの陽一君、私があなたを守ってあげるわ」

□陽一は天の声のことを告白し、智子も母に殺されそうになり、父に犯されそうになる夢を見る白雪姫コンプレックスを告白した。こうして初めて二人は本当の友達、心の友になれたのである。
-------------------------12入っちゃいけない天皇陵------------------------

□大手門高校の三年生春の遠足は三輪山周辺と決まった。古文の古谷先生の発案らしい。古谷先生は奈良時代までの記紀、万葉に詳しく、ヤマトタケル説話にも造詣が深かったのである。穴師坐兵主神社で古谷先生が説明した。

□「この桜井市穴師あたりが日代宮があったとされるところです。大帯日子(景行天皇)の宮ですね。ヤマトタケルがクマソ征伐、蝦夷征伐にでかけた起点です。」

□三輪山の西北の麓に当たる平地に三世紀に日本最初の古代都市といえる巻向の建造物の集落が出現したらしい。今や邪馬台国大和説では、この地が卑弥呼の都した土地だと専らの評判である。そこに大帯日子が宮を構えていたのはおそらくその一世紀後で、西暦四世紀半ばであると推測されている。

□穴師坐兵主神社でお弁当を食べて、後は四時まで自由に三輪山や巻向周辺を散策してよいというスケジュールである。陽一と智子は景行天皇陵に二人で出かけた。

□心の友を確認し合って、まだ一週間も経ってないが、陽一は随分心が落ち着いてきたし、智子も忌まわしい夢は見ないですんでいた。あの時智子は陽一を抱きしめたけれど、不思議と男性恐怖症的な嫌悪感はなかった。というより、陽一君が心配でそれどころではなかったからだろう。

□とはいえ、それですっかり二人が恋人気分になったというわけでもない。陽一も智子の白雪姫コンプレックスを気にして、友達以上の関係を迫る気にはなれなかったのである。

□「榊先生が来られないのが残念ね」と智子は言った。

□「今日は大学の講義らしいからね。先生は高校生の時以来、三輪山周辺には行ったことがないんだって、全く机上の空論だよと自嘲しておられたな。梅原猛先生は御歳でもこまめに足を運んで自分の眼で確かめて語られるから重みがあると盛んに梅原先生を仰ぐ感じなんだ、でも時々辛辣な梅原批判も飛び出すんだけれど」と話しているうちに意外とすぐに景行天皇陵についた。

□「天皇陵古墳はなかった」という吉永妙子先生の言葉を思い出して、無断立ち入り禁止という看板を見て二人で笑った。

□「智子ちゃんは、ここで待っててくれる。僕はちょっと探検してくるよ。」

□智子は慌てた。「あら、立ち入り禁止よ」

□「だから立ち入るんだよ、禁止されているものがどういう物か、見聞しておくのもいい体験だろう。」

□「じゃあ、私も行くわ」と智子も恐る恐る言った。

□「君は来たら駄目だよ、二人で禁止の場所に入ったりしたら、どんな下種の勘ぐりをされるか分からないからね、十五分で戻ってくるよ」と振り切って、柵の隙間から入って行った。

□祭壇の背後に堀を渡る道があり、後円部の中にある埋葬部に通じると思われる抜け道の扉があった。もちろん鍵がかかっていて開かない筈である。それにもし扉が開いても真っ暗で通れないだろうと思った。

□でも駄目で元々という気持で、扉を開けてみると何と開いたのである。確かに真っ暗だった。「そうだ‼」と携帯電話を取り出して、照明用の明かりをつけて、大胆にも行けるところまでいってみようとしたのである。

□二十メートルほど行くとまた扉になっていた。これが限界と帰ろうと思ったが、つい好奇心には勝てず、その扉を押したり引いたりしたが動かない、そこでこれが最後と思って体ごとぶつかると、なんと壁抜けみたいに、壁を通り抜けて中に吸い込まれたのである。その瞬間、彼は奈落を落ちていくような感覚が十秒ほど続いて気を失った。

□『鉄腕アトムは人間か?』では、電脳世界にパソコン画面から吸い込まれるという仕掛けだったが、今度は何しろ『ヤマトタケルの大冒険』なので、古墳の中から入るしかないでしょう。ちょっと安易かな。
-------------------第二部 クマソタケル討伐記--------------------------

     -------------1目覚めれば日代宮----------------

 目覚めれば何と、日代宮にいた。朝食の儀式が行なわれている部屋の前でぶっ倒れた格好で目覚めたのである。衛兵が驚いて声をかけた「小碓皇子ではありませんか、こんなところでぶっ倒れて、どうされたのですか、先ほどから帝がお待ちかねです。」

□「エ、俺が小碓皇子?そんなダサイ名前じゃないよ、俺様の名前は陽平じゃなかった、洋介でもなかった、ええと確か陽何とかだった気がする、小碓皇子なんて、そんなお釜みたいな名前は嫌だよ。」

□部屋の奥からオオタラシヒコ(大帯日子)の帝が叫んだ。彼はよく見ると誰かにそっくりなのだが、あらゆる以前の記憶は霧の中で、どうしても思い出せない。実は御木本渉校長なのである。「何をそんなところでブツブツ言ってるんだ、早く朝餉の儀式が始まるぞ、大碓皇子はどうした、また朝寝坊をしておるのか」

 え、小碓皇子と大碓皇子といえばヤマトタケル説話ではないか、それで俺様が小碓皇子となれば、ヤマトタケルとして大冒険をはじめなければならないのか。そういえば、俺はヤマトタケルを演じることになっていたような気がする。ヤマトタケルというのはどういう筋だったか、どうも思い出せないが、ともかく俺がヤマトタケルになるのなら、英雄として華々しい人生が待っているんだ。

 しかし、これからヤマトタケル説話の主人公を演じると分かっているというのも可笑しな話だな。人生が終わりになる時に、己の人生を一睡の夢と覚ったりするならまだしも、これから始まる芝居として人生を演じるというのは奇妙奇天烈ではないか、どうして俺様だけ自分の人生をフィクションだと分かっているのだろう。

 いや待てよ、自分の人生がフィクションではないかと疑ったりするのは、誰しも一度や二度はあるのかもしれない。そう思える時は、まだ余裕があるからで、リアルな感覚で次から次へと荒波に揉まれているうちに、マジでリアルで一度きりの人生として実感せざるを得なくなるのかもしれないな。

 「さあ手を合わせて、今日も命を与えてくださる神に感謝のごあいさつだ。命をいただきます。」帝がそう言うと、皆が「命をいただきます」と唱えた。陽一は「いただきます」としか言えなかった。しかしなるほど命をいただいているに違いない。

 「小碓よ、朝餉の儀式は大切なのだ。我々にとって命の源が、神なのだ、この米や雑穀、野菜や魚、獣たちは命である神の現われ、神そのものである。食事は神に感謝し、神の命をいただいて、我々が神々と合一する儀式である。しかるにこの大切な儀式をすっぽかして寝坊するとは何事か、そんな奴に帝の位を引き継ぐ謂れはない、小碓よ、お前の双子の兄大碓にしかと父帝に代わって教え諭しておけ、そしてお前の責任で、兄を朝餉の儀式に連れてまいれ、しかと申し伝えたぞ。」

「ハハー、しかと仰せつかりました。なんとしても兄上に神々しい朝餉の席にでるよう教え諭しましょう。」

□米も野菜も魚も獣の肉もみんな神だという捉え方は、神を天上に祭り上げる西洋の一神教よりも日本人には親しめる発想だ。その神を食べで、神である命をいただき、自らの命を輝かして、神として生きれば、生きることの大切さ、喜び、素晴らしさを感じられるし、大自然への感謝の気持を持ち、自然を大切にしようとする気持を養う事にもなる。ただ腹が減ったから食うでは駄目で、朝餉の儀式が大切だ、さすが父帝はいい事を言う。早速、兄大碓皇子に教え諭してやらなければ。

ーーーーーーーーーー2薦にくるんで捨ててしまったーーーーーーーーーーーー

□陽一は従者に兄の居所を尋ねて、どうして知らないのか怪訝な顔をされたが、ともかく兄の宮に行った。何とそこにもう一人陽一がいるではないか、そうか、双子という設定だったな。そして父帝の有難い伝言を伝えた。

□「ハ、ハ、ハ、父上らしいな。また素朴に感動するのも小碓らしい。命をいただいて生きるのはいいが、命をいただかれては、一巻の終わりだ。分かるか小碓、我々はまだ若い、まだ生まれてきて十五年しかたっていない、それなのに命をいただかれたら割りに合わないじゃないか。父帝はもうそろそろ百年近く生きられたのではないか、何時なくなられても惜しいということはない筈だ。

□命を大切だと言って神として祀りながら、我々の命は軽んじられていて、何時命を絶たれるか知れたものじゃない。」

□陽一は、兄は父に命を狙われていると怯えているように受け取れた。「父帝は兄上のことを心配されておられるのですよ。まさか父が息子の命を狙っているなんてことはないでしょう。それは被害妄想じゃないですか。」と諭した。

□「おいおい、随分甘いな、下々の家族関係なら、父が息子を殺すことは滅多にないだろうが、王の家系ともなるとそうもいかないんだ。息子たちは大きくなれば、父王が生きている限り王には成れない制度になっている。位を譲ると言う慣習はできていないんだ。

□それにもう三十も過ぎれば父親よりも先に死なないとは限らない。それで勢い父の死を願うようになる。息子に毒を盛られる王は数え切れないほどだ。だから父も殺される前に殺そうと、息子に密かに毒を盛って殺しているんだ。

□朝餉などにのこのこ出て行って毒を盛られたら一巻の終わりだからな、分かっているのか。また我々の母上が生きておられた頃は、父帝の愛情は信頼できたけれど、母上がなくなってその妹が皇后になってからは、すっかり、寵愛は新しい皇后とその子供たちに向かってしまった。皇后とその息子にとっては我々の存在は邪魔でしかなくなっているんだ。」

□そして大碓は皇后の実家の勢力が毒や矢や放火等で自分を殺そうとした事例を十例以上列挙して、これ以上放置していれば、我々兄弟は二人とも地上から消し去られてしまうに違いないと断言した。

□そのいくつかについては自分も心当たりがあったので、単純な被害妄想とは言い切れないと小碓も考えざるを得なかった。「それなら皇后の策略を帝に言いつけたらどうでしょう。」と注進した。

□「それこそ皇后に寵愛が移ってしまった今は、相手にされずかえって、皇后を罪に陥れようとしたとして、こちらが罪に問われるだろう」と大碓はにべもなく却下した。今となったら、父帝を討つしか方法がないという。皇后の実家の勢力と対立している豪族を手を結び、父帝を襲うと同時に皇后の実家の勢力を根絶やしにすればクーデターは成功すると断言し、この陰謀に加わるように求めて来たのである。

□小碓にすれば、父を殺してまで自己の権力欲に取り付かれている兄の行動に加担するわけには行かない、そういう修羅の道を選択すれば、次は兄弟で殺し合いということにならざるをえないのである。まあ父を殺すよりは父に殺される方がましだというところである。

□それに兄大碓は美濃の兄姫・弟姫を自分のものにして、父帝には贋者を差し出すなど、父に対して背信的な行為をしており、父に対する裏切りもただ追い詰められてやむを得ないとばかりは言えないところがある。

□弟が謀反への加担を拒否すれば、秘密を知られた以上、生かしておくわけにはいかないと、兄は弟を刃にかけようとした。どっこい、弟小碓は後に単身でも荒くれ者たちをひねり倒すぐらいの、スーパーヒーローになる素質があるのだから、大碓の手足を引きちぎって薦にくるんで捨ててしまったという。表現はオーバーにしても大碓ではとても小碓の相手にならないということである。

□陽一はもう一人の陽一である大碓が斬りかかってきたので手にした陶器を投げつけたら額に命中して、大碓はぶっ倒れたがそのときに床で額を激しく打ち付けたのが、そのまま死んでしまったのである。なんと人は簡単に死ぬものなのか、陽一はもう一人の陽一が死んだのをみて思わず片付けてしまいたくなり、薦にくるんで捨ててしまったのである。

ーーーーーーーーーー3クマソタケルを殺してまいれーーーーーーーーーーーー

□再び朝餉の席である。「大碓皇子よく来たな、随分久しぶりだ、朝餉に出られなかったぐらいだから、相当重い病だったのだろう、もう気分はよいのか?」陽一を大碓皇子と見間違えている。

□「これは父帝でも見分けられませんか、私は小碓ですよ」と苦笑した。

□「ワ、ハ、ハ、ハ、父に息子が見分けられぬわけがない、冗談にきまっておる。どうせ大碓は、朕に姫たちを掠めたのを見破られていると恐れて、顔を出せぬのだろう。お前はよく教え諭してくれたのか。」と訊ねた。
「よく五体に教え諭しましたとも、手足を引きちぎって薦にくるんで捨てたくらいですから」と自棄になって笑いながら叫んだ。同じ帝や皇后一族から命を狙われている身同士で殺し合ったのだから、自己嫌悪もあり、さながら鬼のような形相になっていた。

□「な、なんと」家来たちに指図して「この者をすぐに取り押さえよ。早速、兄殺しで頸を刎ねよ‼」と叫んだ。臣、連たちは帝をなだめ、小碓皇子の弁明を聞くように勧めた。

□陽一は兄大碓も殺される前に謀反に打って出ようとしただけに、大碓はもう一人の自分ではないか、ここで大碓の罪をあげつらうのは、自分自身に唾を吐くようなものだと考えて、謀反のことは明かすまいと思った。しかし、何も自己弁明しないでは、こちらが頸を刎ねられてしまう。「父帝の聖なる食事についての有難い話を、鼻で笑って真面目に聞かないものですから、ついかっと成りまして」と言い訳をした。

□「それはありそうなことだが、兄を殺して頸を刎ねないわけにもいかん、覚悟せよ」と帝は言い切った。

□その時、王の耳と呼ばれていた、諜報担当の臣下が進み出た。「帝に慎んで申し上げます。ただいま入りました情報では、大碓皇子の宮を訪れた小碓皇子に対して、大碓皇子は帝への謀反をすすめ、それを聞き入れないとみるやいきなり大碓皇子は小碓皇子に斬りかかり、いとも簡単に返り討ちに合ったということが真相のようです。ことの次第は大碓皇子宮につめております間諜の証言からで、それに大碓皇子のお側近くに仕えております者の内部告発もあり、確かではないかと思われます。」

□「ワアー」と思わず、歓声が上がった。大臣が進み出て「これは謀反を防いだヒーローではありませんか、小碓皇子は帝を護られたのです。身内の恥を隠されて真相をおっしゃらなかった。そのために自らの命をも犠牲にされようとされた態度もご立派です」と上申した。

□「そうか、なかなかの豪の者のようじゃな。あっぱれ、ほめてとらそう。それでは、たっての頼みがある。周知ように、朕は筑紫で荒ぶるクマソたち懲らしめ、平らげてまいった。それからまだ二、三年ほどしか経っていないのに、またクマソタケル(熊曾建)の兄弟が朕に背いて貢をよこさないのじゃ。そう何度も、朕自ら宮をあけて筑紫に出かけるわけにはいかぬ、その隙に蝦夷どもに暴れられては大変じゃからな。どうじゃ、そちが朕に代わって筑紫に行ってクマソタケル兄弟を殺してまいれ。」

□「それは素晴らしい、小碓皇子、万歳‼」全く有無も言わさず、宮中が歓呼の声に包まれた。こうしてクマソ征伐が決まったのだが、帝はお供をつけるのを許さず、単身で派遣されることになったのである。

ーーーーーーーーーーーー4大和撫子舞踊団ーーーーーーーーーーーーーーーー

□筑紫に行けとの命令には面食らった。当然多くの軍団をつけてくれるかと思ったが、蝦夷情勢も厳しく、とても軍団はつけられぬという。あくまでもクマソタケル兄弟の命さえ奪えばそれでよく、隠密裏に行動して、戦をせずに戻って来る様にというお達しなのである。そんなことを十五歳の少年が単身やれるはずがないではないか、きっと父帝は兄殺しは父殺しの前段と考えて、その予防のために小碓をクマソタケルに殺させるつもりなのだと、悲観し、父から殺されようとしている自分が惨めでたまらなかった。

□命令の下った三日後伊勢から叔母の倭姫が舞い戻り、小碓皇子を館に呼び寄せた。倭姫は吉永妙子先生にそっくりだったが、陽一はどこかで見た顔ぐらいにしか思えなかった。

 「この度は兄大碓皇子を殺さなければならなかったのはさぞかし、無念のことであろう。心中察します。その上、帝よりクマソタケルを成敗せよとの仰せ、しかも軍勢をつけずに単身でというのは、死ねというようなものとお考えでしょう。それは口下手の帝の性格なのです。その証拠に早速私を伊勢から呼び寄せて、あなたと引き合わせています。なにもおっしゃらなくても、私があなたに智恵を授けるようにとのお計らいなのです。」

 小碓皇子は父大帯日子とは同母の妹にあたる倭姫に憬れていたらしい。天照大神が憑依する御杖代(みつえしろ)だということで、美しく照り輝いていたのだ。伊勢国に天照大神の御社を設けたのも、倭姫に憑依された天照大神が伊勢に住みたいと言われたからだという評判である。

 太陽神が女神として信仰されたのは持統天皇以降ではないかという説もあり、御杖代となった斎宮(いつきのみや、さいぐう)が女性なのは、むしろ太陽神が男神で、その妻だからという解釈もあり得る。また太陽神の祭司は、この時期はまだ物部氏の職掌ではないかという疑いもあるが、しかしこのファンタジーでは一応『古事記』の物語世界の枠の中で展開していくことにしておこう。

 「倭姫が天照大神に掛け合っていただいて、味方につけてくださるということでしょうか。それぐらいしないと、単身クマソ世界に飛び込んで、無事生還するのは夢のまた夢ですよ。」と肩をすぼめた。

 倭姫は自信ありげに落ち着いて語った。「柔よく剛を制すというではありませんか、クマソの荒くれ共を制するのは、か弱い女子に限ります。伊勢から神々に舞を奉納する巫女たちを十名ほど連れてまいりました。これから一月ほど特訓をして新築祝いの時の舞を練習します。もちろん小碓皇子も女装していただいて舞を覚えていただきます。これから一月は大和撫子に成り切っていただきますからね。」

 「そんな、若い男が女子の集団に入って、一緒に旅をするなどすれば、持てすぎて困ります、とてもクマソタケルを討つ気など失せてしまいます」と陽一は断ろうとした。

□「オ、ホ、ホ」と笑ったかと思うと急に恐い顔になり、「そんな甘いものではありませぬぞ、お前はこれからは大事を為遂げるまでは女子に成り切るのじゃ、男女の営みなど滅相もない、巫女たちには互いに厳しく監視させて過ちがあれば即刻、相手をした女子は殺されることになっています、ゆめゆめ浮いたまねはなさらないように、しかと申し付けますぞ。」
「叔母上、冗談に決まっているでしょう、相分かりました。」

 『古事記』では倭姫から女性の舞着を借りたことになっているが、やはり一人だけで紛れ込むという設定は無理がある。それに舞いも舞えなければならず、女装しても相当訓練しなければ、すぐにばれてしまう。相当の訓練期間と、各地での実績を積んでいなければ成功しないだろう。それで女の踊り子集団が大和から巡業して筑紫にやってきて、評判に成り、クマソの地でクマソタケルの宮の新築祝いに招かれたことにするのが自然である。

 当時は広い意味の九州は筑紫と呼ばれていて、南九州は熊襲や隼人の居住区である。北部が狭い意味の筑紫で、畿内とも朝鮮半島も交易していた。その南部が高千穂宮を中心に大和朝廷のイワレヒコ達の出身地である。一応、記紀によればこの時期には、大和政権に総て服属しているのだが、元々南部は畿内との関わりは深くなく、貢も途絶えがちだったらしい。

 筑紫つまり九州全体でのまとまりが悪くなり、クマソや隼人が北・中部と対立していると、大和政権とも断絶することになる。北・中部はもともと倭の本拠地であり、大和政権はその東征地であった。大和政権の中枢が畿内に移ってからも親密に交易を行なってきたし、大陸情勢やクマソとの関係が緊張すれば、本拠地を北九州に戻すこともあったのである。

 クマソや隼人は特に未開だったというわけではないらしい。半島や大八島の各地とも交易を行なっており、独自の文化圏を形成していた。特に大和政権に無断で、各地と連携したり、貢を拒否されるなど、クマソや蝦夷が大和政権から離反しようとする動きをとることは、大八島の統合を進める上で、放置できないことだったのである。

--------------------------5クマソの館の新築祝い-------------------------

 クマソの館の新築は、クマソの離反の動きとして極めて象徴的だったにちがいない、だって大和政権に貢もしないで、建てているのだから。それは大和にもあるまいと思われるような巨大な城砦のごときものであったかもしれない。それだけに新築祝いには、豪華な出し物が期待されたから、洗練された大和の踊りは重宝されただろう。

 ただし、大和の踊りの場面自体は陽一では様にならないだろう。一月も特訓し、各地で巡演してきたという設定だが、実際に練習したわけではないので、踊れるようにはなっていない。バーチャル・リアリティの記憶として刷り込まれているだけである。だから踊り終わったところからだ。

 兄クマソタケルは大和の祝い踊りがすっかり気に入った様子だった。「さすが大八島随一の踊り子たちと噂されていただけのことはある。お陰でクマソの館まで、大八島随一の建造物に見えるわ。さあさ、出し物は終わったから皆に酌をしてやってくれ、さあ無礼講でどんどん飲ましてやってくれ。」熊本や鹿児島の強い焼酎をクマソの男たちは浴びるほど飲んだ。

 大和舞踊団は、密かに痺れ薬や眠り薬を混ぜて飲ませたのである。もっとも美しく化粧された小碓皇子はどう観ても十五歳の可憐な少女であった。兄タケルはぞっこん惚れ込んで小碓になっている陽一を放さない。そして盛んに飲まして酔わせようとする。何しろ飲酒経験のない陽一は少しでも飲んだら悪酔いして戻してしまいそうなので、飲んだフリをして振袖の袂に流し込んだ。そしてそこから流れ出てくるのを巧みに誤魔化しながら、それを杯に掬って兄タケルに飲ませたのである。袂に眠り薬と痺れ薬が仕込んであったのだ。

 さかんに飲み比べるクマソの荒くれ共は何時もよりも何倍も早く酔い潰れ、動けなくなって眠りこけて行った。大和の舞姫たちは盛んに陽一に合図してきた、今が時だと言うのである。

□しかし陽一はまだ人を殺した経験がなかったのだ。たしかにもう一人の陽一である兄大碓皇子を殺してしまったが、それは咄嗟に反応して、壷を投げつけたら死んでしまっただけである。こちらに殺意はなく正当防衛だった。しかし今度は違う、いかに帝の命令とは言え、自分の意思で殺すのである。

 もちろん殺さなければ、殺されることに違いはない、躊躇すれば命とりである。でも仕方なく殺すというより、このときをずっと心待ちにしてきた気がする。大和の帝の皇子としてクマソタケルを征伐する、なんとかっこいい凛々しい姿ではないか、俺は英雄だ、俺は人殺しだ、俺は殺人を快楽として求めていたのだ。

□その刹那罪悪感がはしったが、なあにこれはお芝居なんだ、リアルに思えるけれど、ほんとはバーチャルなんだよとせせら笑う自分を感じた。他の人殺しも皆そういって自分を納得させて殺すのだろうか、ひょっとしたら大虐殺を成し遂げた歴史上のヒーローはみんなそうなのかもしれない。

 そう考えているときに彼の体は隠し持った短刀で兄クマソタケルの胸を刺し貫いていた。血がまるで間欠泉のように噴出して陽一は全身血だらけになった。それを見ていた弟タケルは、眠気眼だったが、恐怖に駆られて逃げ出した。しかし痺れ薬も効いていて、足がもつれている。上り框(かまち)のところで転げてしまって、尻を上に突き出して醜態を晒した。陽一は兄タケルから奪った剣を弟タケルの尻に突き刺したのである。つまり女形(おやま)にお釜を掘られるというなんとも情けない勇者である。

 「とどめは待ってください」弟タケルは喘ぎながらいった。「西国一の勇者クマソタケルを征伐されたあなたの御名をお告げください」と名前を尋ねられた。「えーと?はて私はだれでしょう」、みんな一斉にずっこけた。

□「ここがいいところなのに、かっこよく決めなければ」と陽一は自分に言い聞かせた。「巻向の日代宮におられる大八島の大王、大帯日子は私の父だ。我こそは大和のイケメン皇子、名は倭男具那皇子(やまとおぐなのみこ)だ。おまえたち兄弟クマソタケルが朝廷に背いて、貢をよこさず、勝手に宮を新築するなど無礼極まりないので、殺して来いとのご命令で、遣わされたのだ。」

□「なるほど、そうだったのか、可憐な乙女の面差しをして、その正体は我にも優る勇者だったとは、また大倭(やまと)にだまされたわ。それにしてもクマソの館に紛れ込み、見事頭を討ち取るとは、なんと大胆不敵な振る舞いだ。西には我らに優る勇者はいない、あなたは西一番の勇者よりずっとずっと勇敢だ。どうか皇子よ、これからはヤマトタケル(倭建)の名を名乗ってください。そうすれば、あなたの中でクマソタケルは生き続け、あなたをお守りするでしょう。」

--------------------------------6記紀の神観念---------------------------------------

 名前はその人の記号に過ぎないとしたら、タケルの名を引き継いだとて、クマソタケルの魂が生き続けるなんてことはあり得ない、そんなことはただの迷信に過ぎないのだ。しかしクマソタケルは志半ばで斃れたのだ。もっともっと活躍したかった想いは未練として残っているのではないか、それでタケルの名を継いでもらえば、ヤマトタケルの中にまだ自分たちは居て、活躍できると思いたい、その気持は殺した陽一だからこそ、痛いほど分かった。クマソタケルの分まで俺はヒーローとして活躍しなければならない、陽一は気高く胸を張ったのである。

□その時、眠気と痺れに襲われながら、事態の驚愕の展開にさすが荒くれのクマソの兵士たちも震え上がっていた。単身で乗り込んで、二人の首領を成敗してしまった勇者はただの人間ではない、きっと神の化身に違いない、それも荒ぶる神、即ち速須佐之男(スサノオ)の化身に違いないと思った。「ヤマトタケルはスサノオの再来だ」彼らは口々にそう呟くと、恐怖に身を震わせ、地面にひれ伏して恭順を精一杯表現したのである。

□いかに豪の者とはいえ、男は小碓皇子ただ一人である。何千何万のクマソ軍団に叶うわけはない、たとえ首領の暗殺に成功しても、包囲網から容易には逃げ出すことはできなかった筈である。

□だが、彼がもし荒ぶる神スサノオの化身だとしたらどうだろう。スサノオは嵐をもたらし、山を崩し、森の木々を根こそぎに、大地を海中に沈めてしまう。スサノオが兵を動かせば、その過ぎ去ったところには夥しい屍骸の山が築かれるのである。たとえ単身でも数万の軍勢が蹴散らされるのだ。だからひたすらひれ伏すしかないのである。

□ 『古事記』や『日本書紀』(まとめて記紀と呼ぶ)の神観念と、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教のヘブライズム的神観念の違いを理解しておかなければならない。ヘブライズムでは神は唯一絶対の神であり、その唯一神がコスモス(宇宙、全世界)を創造されたことになっている。それに対して記紀の神は、驚くべきもの、恐るべきもの、大切なものが神である。でっかい古木などは神として祀られ、珍しい鳥も神とされる。恐ろしい嵐や疫病なども神であり、命を与えてくれる日々の食物も神なのである。人間が作った道具類も神である場合がある。鏡や剣や勾玉などがそれである。座敷や台所や便所にまで神がいるということで、八百万の神々と呼ばれている。

□ただし誤解され易いのが、神を目に見えない神霊とだけ同一視する傾向があるが、それは記紀の神観念を狭く見ているのである。古木が神という場合、木に宿っている精霊を神としているというより、古木自体が神なのである。東北や北海道でコロボックルという木の精霊信仰があるので、紛らわしいけれど、元々は事物それ自体が信仰の対象である。

精霊や神霊などの信仰もあるので、日本の古代はアニミズムとして捉えられやすいが、霊信仰の前に自然物それ自体を神とする信仰があり、これが元々の縄文時代からの信仰だったと考えていい。

□それから荒ぶる神スサノオを理解する時に、同一視という方法が必要である。荒ぶる神は大八島では温帯モンスーン地域なので、台風のような大嵐がイメージされる。大嵐がやってきたら、スサノオが来たと考えていい。また大嵐みたいに暴れまくる侵略者もスサノオである。高天原で暴れて、追放されたスサノオは、出雲にやってきて、たちまち剣で権力を打ち立てる。その場合に征服者がスサノオと見なされているのである。また彼が征服に使った天叢雲剣も、それを持つものを天下無敵にするのでスサノオの化身である。だから嵐と征服者と剣はそれぞれ事物・事象としては実体は異なるけれど、同じスサノオの神なのである。

□そして神の名は、神話的には固有名詞だけれど、その事に拘ってはならない。その時代、その時代に、その時代のスサノオが現われると考えていいのである。極端な話、産みの神である夫婦神、イザナギ・イザナミの命は、我々の夫婦の営みとして現れ、命を生み出しているし、様々な生命活動、生産活動を通して国産みを続けていると捉えるのが神道的な捉え方なのである。


-------------------第三部 凱旋と蝦夷討伐命令--------------------------

-------------------1 三輪智子もファンタジーへ---------------------

 約束の十五分が過ぎても陽一は戻らない。智子は携帯に電話したが、陽一は古墳の中にいて、携帯は通じない。智子はひょっとして管理人に捕まっているのではないか、あるいは堀に落ちたりして怪我をしていないか、さらには猪に襲われていないかなど、心配でたまらなくなった。呼びに入らなくてはと焦った。

□恐い気持が強かったが、見回したところ管理人らしい人影はなく、ひっそりとしていたので、思い切って柵の中に入ってしまったのである。そして堀を越えて、扉を開けた。すると横穴があり、中に入って携帯の明かりで照らしてみると人が三人ほど立って通れるぐらいのトンネルが続いていた。

□陽一は居そうになかったので出ようとしたが、扉の向こうに人の気配がしたので、まずいと思って、扉を閉めて隠れた。「誰か居るのか?」管理人らしい男の声がしたので、つい駆け出してしまって、二十メートルぐらい走って壁に体をぶつけてしまったのである。

 智子も陽一と同じようにファンタジーの世界に吸い込まれたのだ。目覚めれば朝餉の儀式の間の前に倒れていた。
「まあ弟橘姫じゃないの、どうしたのこんなところで倒れてしまって」と吉永先生にそっくりの倭姫が抱き起こしてくれた。

□「ああ、先生、来ていらしたのですか」倭姫は弟橘姫に舞を教えていたので、先生と言われても違和感はなかった。「帝の御前ですよ、気分はどう、あまり辛かったらお部屋に戻りますか。」
 「あの、訊ねていいですか?」と智子が言うと、優しそうに倭姫は頷いた。
 「あの、私はだれでしょう。」突然とんでもない台詞にみんなズッコケた。

□倭姫は真顔になり、こう言った。「可哀相に、気がふれたのかもしれないね。何しろこの娘は、帝のお世話をするところが大碓皇子に囲われて人目を遠ざけられてきた上に、小碓皇子と大碓皇子が殺しあうところを観てしまったというではないか、その恐ろしい光景が忘れられなくて、この半年の間ずっと籠もり切りだったというではないか、お日様に当たらないと体も心も病んでいくばかりだよ。」

□この設定は実は、梅原戯曲のアレンジを採用している。『古事記』大碓皇子に囲われた兄姫・弟姫の弟姫と弟橘姫は別人である。兄姫・弟姫は美濃の豪族の娘だが弟橘姫は三重県亀山市の豪族穂積氏の娘である。兄橘姫は記紀には出てこないのだ。梅原戯曲でこれを同一視することで見事にドラマにアレンジしている、この設定はここで明記して、借用させていただくことにしよう。

□「ということは私はひょっとして弟橘姫じゃないですか?」と智子は驚いたように叫んだ。

□倭姫はあきれたように言った。「じゃなかったらお前はだれなのだい」。
「ハイ、私の名前は、え、えーと分かりません。私は、いままでというかつい先ほどまで、弟橘姫とは全然違う誰かだったような気がしますが、今、この時の私は弟橘姫ですね。ええ、常にその瞬間、瞬間に私は自分が誰であるかを選び取っているということでしょう。」

□帝はたまげて言った。「弟橘姫はやっと元気になったと思ったら、心を病んでしまったのか?人は定めに生まれて定めに死ぬものじゃ。弟橘姫は弟橘姫しか選ぶことが出来ない、それが人生というものじゃ。もし朕が帝以外を選べるのなら、どんなに楽なことか?」

□その時に林田信夫教頭にそっくりの大臣が部下からなにやら報告されていた。そして驚いて「そうか、やったか!」と叫び、「大王に申し上げます。ただいま伝書鳩の伝えた二十日前の情報によりますと、小碓皇子は、見事、クマソタケル兄弟を討ち果たし、しかもクマソの兵士たちを帰順させ、大和への凱旋の帰路に就いたということでございます。」

□宮殿中に小碓皇子を褒め称える「いいぞ、いいぞ、小碓皇子!いいぞ、いいぞ、小碓皇子!」のシュピレヒコールが鳴り響いた。

□智子が陽一と別れてから、ファンタジーに入るまでまだ三十分も経っていなかったのになんと、ファンタジーの世界ではもう半年も過ぎ去っているのである。

□「大王に申し上げます。」また新しい伝書鳩情報が届いたらしい。「小碓皇子一行は、その後各地で歓迎され、豪族たちはみんな帝の恭順を大声で叫んだそうです。そして十日前に出雲に到着しました。大歓迎を受け、出雲タケルと親友の誓いの杯を交わしたそうです。この分ですと、後一月もしないうちに巻向に凱旋されるでしょう。」

□「待て、出雲国はこのところ貢を絶やしておる。それに大倭の皇子に対して、臣下の礼をとるのなら分かるが対等の友とは無礼千万ではないか?それに友にしろ君臣にしろ、大王の許可なしに誼(よしみ)を結べば、謀反の疑いをかけられても文句は言えぬものじゃ、小碓皇子まだ年端も行かぬ故、物事の道理が分かっておらぬようじゃ、戻ってまいったらしっかりした帝王学を学ばせねばならぬな。」

□「ハハーしかと承りました。いよいよ小碓皇子を次期大王にとの大御心が固まられたのでございますね。」と大臣は安堵したように言った。大臣は皇后の方に目を遣ったが、皇后は苦々しそうな表情をしていた。

□「馬鹿者!軽々しく世継ぎを口にするではない。世継ぎを決めてしまえば、後は大王に早く死んで欲しいと思われるだけじゃ。朕はまだまだ死にとうはない。殺されたくはないのじゃ。」と大臣を叱りつけた。
 -----------------------2凱旋を待つ巻向の宮------------------------

□夕餉の後、智子はまだ弟橘姫であるという実感が湧かなかった。だからと言って智子であったという記憶は消えていた。その夜、帝のお渡りがあるという。彼女の中で白雪姫コンプレックスのことは忘れていた。それでも本当の弟橘姫は大碓皇子の子を生んでいることになっているが、智子にはまだ異性との本格的な性交渉はない。

□一応大王の許に引き取られているので、大王が望めば体調がよほど優れない限り、性交渉は拒めないが、大王のビール太りみたいな腹を思い出すと、どうにも恐ろしい、弟橘姫もこれまで帝に引き取られてからずっと臥せっていたことにしており、帝には抱かれていなかったらしい。今日は精神的には病的にみえたかもしれないが、元気に振舞ったので、迫られるかもしれないと不安になってきた。

□もっとも年表などで年齢を推測すると百歳をこのときに超えていることになるので、もうすっかり枯れていたかもしれないが、何しろ二倍年暦という可能性もおおいにあるので、油断は禁物である。つまり百十歳も実質五十五歳ということである。

□帝が渡ってくる前に床に横になって、侍女に帝には体調がすぐれないので、ご遠慮申し上げると伝えさせた。すると帝は早速渡ってきて、心配なので見舞いに来たと言われたのである。

□床のすぐ側に迎えた大王は七十歳は超えているように思えた。性的に興奮して触ってくるような様子もないので、それほど警戒心は起こらなかった。ただ、智子がこれまで体験したことがなかったような加齢臭がしてくるのだ。これには正直うーとなったが、嫌な顔をすれば不敬にあたるとじっと耐えていた。

□「もう十歳も若ければ、朕の子を生んでもらいたいのじゃが、このところ急に老け込んでしまった。それで小碓皇子が戻ったら、兄橘姫と共に二人を小碓皇子の妃にすることにしたのじゃ。何しろ今回の働きはまさしく神業とも言うべきもので、とびきりの褒美を与えなければならぬ。皇位はまだまだ決められぬが、妃を取らせることはできよう。若者にはそれが一番の励みになるじゃろう。」

□智子は結婚が目前に迫ったことで驚き、恐れた。きっと自分の体は拒もうとするに違いないと思った。しかし昨日までの自分は誰か別人の気がするが、今の自分は弟橘姫で、小碓皇子と双子の大碓皇子の子を設けているのだから、何も心配することはない筈だとも思っていた。

□「大王、優しいお心遣い痛み入ります。小碓皇子に真心でお仕えさせていただきます」と笑顔を作って感謝の言葉を述べた。

□その時、大臣が訊ねてきて大王に新たな情報を伝えた。「五日前の情報では、既に出雲を立たれて、帰路を急いでおられます。何しろ出雲タケルを成敗し、出雲に臣属を誓わせたということです。なんでも友の盟約では、出雲が臣属していることにならないので認められないということです。小碓皇子はそれを認めるフリをして相手を油断させ、計略で刀交換をして、相手に木刀をつかませて、斬り殺したという見事な作戦だったそうであります。」

□「小碓皇子もそれなりにワルではないか。まあ相手が無礼なので非難も受けまい。これで大倭から西はひとまずはおさまったな。後は蝦夷征伐だ。」

□智子は素朴な疑問を帝にぶつけた。「畿内の『大倭(やまと)』は、大きいという意味の大と倭という字で〈やまと〉と読むと父に教わりましたが、倭は〈わ〉と読むのにどうして〈やまと〉と読めるのですか?」

大王は驚いた、まだこの時代は一般には文字を使っていない時代である。まさか地方貴族の娘が国名の字を知っているはずはないのである。

 「女子の分際で国名の文字に関心を持つとは、恐ろしいやつよのう。大は倭(やまと)の本家というつもりでつけている。大和政権は元々は筑紫の倭(やまと)が東進してきたものなのじゃ。何故「倭」で「ヤマト」と読むかというと、おそらく「倭人すむ山門」という慣用句から「倭」だけで「やまと」と読まれるようになったと考えてよいだろう。」

□倭が和に変わるのは、「倭」がチビを意味するような差別的な意味を含んでいたので、同音の「和」に変えて和やかな平和国家のイメージにしようとしたものだろう。それは仏教伝来で慈悲や不殺生が強調されたことによるのではないかと思われる。聖徳太子の和の精神である。七世紀初めである。

□西暦一世紀にイワレヒコが後に神武東征と呼ばれる畿内制覇を成し遂げて大倭政権をつくった。そのときあたかも筑紫の倭がまるごと東進したかに読まれているが、イワレヒコはどう観ても傍流であり、ニニギノミコトとの血縁関係はそれほど確かではなく、また高千穂の宮に住んでいた形跡もない。要する王統の血を引いているという矜持を持った一族が、東進して政権を樹立したに過ぎないのである。

□スサノオが高天原を追放されて、大八島に渡り、出雲政権を樹立した。これはニニギノミコトの高千穂政権樹立より古いと思われるので、出雲政権も正統意識が強く、畿内政権など辺境の新参政権と見なして低く見てきたと思われる。

□だから何時ごろ畿内政権の覇権を筑紫政権や出雲政権が認めるようになったのかということが大きな謎ではある。筑紫政権と畿内政権は同族の誼があるので人事交流や婚姻で結ばれていて、時に一体化し、本拠を畿内から筑紫に移したり、筑紫から畿内に移すこともあったかもしれない。ともかく大帯日子はクマソ征伐のために長期にわたって筑紫にいたわけである。

□出雲政権は大国主政権の時期には越・信濃・美濃・伊勢そして畿内、山陽・北四国を版図に収める大国に成長したが、筑紫勢力の奇襲に破れ臣属させられた。しかし筑紫勢力の畿内制覇はすぐに崩壊して、河内・明日香にかけては地元勢力が筑紫王家の傍流と思われるニギハヤヒを擁立してニギハヤヒ王国が形成されている。おそらく出雲からも筑紫政権の影響力は弱まっただろう。

□その後神武東征以降次第に畿内政権が膨張し、東の蝦夷を押さえ込みながら、他方で筑紫政権と合体しつつ、出雲政権、吉備政権を臣属させていったと思われる。だから出雲タケルがヤマトタケルにライバル心を燃やし、盟約のさいも対等を気取りたがったのは無理もないのである。
ーーーーーーーーーーー3つかの間の巻向滞在ーーーーーーーーーーーーーーー

□大碓皇子が帝に差し出さずに、兄橘姫と弟橘姫を密かに囲っていたが、帝は凱旋を祝して、思い切って小碓皇子に二人とも与えてしまった。それは帝の高齢のせいでもあるが、大碓皇子に先に唾をつけられ、穢されてしまったという謂われなき偏見もあったかもしれない。というのは大王は自ら現人神であって、神に差し出す捧げ物は新鮮な初物でなければならない。人々は現人神によって聖化されたお下がりを有難くいただけばいいのである。

□大碓皇子も兄姫・弟姫が欲しくてたまらなかったのなら、まず帝に差し出して、祝福し、聖化していただいた上で、お下がりを申し出れば、問題なかったかもしれない。帝が大碓皇子のお下がりをいただくなど順序が逆なので、抵抗感があるのである。

□いや誤解しないでもらいたいが、これは著者自身の感性ではなくて、帝というものはそういうように感じるものだということである。

□それに比べて、小碓皇子にはそれほど兄のお下がりだから嫌だというような抵抗感はなかっただろう。それより半年以上の大和撫子舞踊団の中での禁欲生活で、抑圧していたものが一気に噴出してくるので、二人の姉妹の姫をゲットということで小躍りしたことも考えられる。

□ただ陽一君だから智子への想いが潜在している筈だが、何しろ過去は一時的に忘却させられているので、まあ仕方ないではないか。

□陽一演じる小碓皇子の皇子は巻向で大歓迎を受け、その夜は早速新婚の甘い夜を過ごしたのだが、これはファンタジーなのでその場面を事細かに描写するわけではない。陽一と智子も小碓皇子と弟橘姫として結ばれたのだが、バーチャルリアリティの場面としてそれを演じるのではなくて、甘く激しく結ばれたという思い出をもたらされるのである。

□翌朝例によって朝餉の間である。「昨日は一日中小碓皇子の凱旋を祝ってお祭り騒ぎで盛り上がった。こんなに華やかな祭りは、朕の百年の記憶にもなかったほどじゃ。まあこの度の小碓皇子はそれに相応しい手柄じゃと言えよう。」

□「お褒めの言葉をいただき、とても幸せです。小碓皇子は父大王の威光を輝かせるために、これからも頑張りたいと存じます。」と小碓皇子は誇らしげにあいさつした。「それから見目麗しく気立ての良い姫たちと祝言をあげさせていただき、本当に夢の中に居るような気持です。」

□「それは余もうれしいぞ。本来なら朕の子を生んでもらいたいところじゃが、このところめっきり体力に自信がなくなった。そろそろ子作りの現役からは引退じゃ、ワ、ハ、ハ、ハ」と豪快に笑った。

□その時また大臣が入室してきて、緊急報告をする。「尾張の国造から、蝦夷に侵攻され、国造の館も火をかけられたりしているとのことです。一日も早く援軍の派遣を求めております。」

□「そうか、そうか、心配致すな、ヤマトタケルと呼び声も高い小碓皇子がおるではないか、軍団など率いていかなくても、その神のごとき智恵と剛腕で蝦夷などひとひねりではないか。現にクマソも出雲も単身乗り込んで片をつけておるではないか。朕の見るところ小碓皇子の働きは人間の限界を超えてもはや神の域に達しておる。クマソの荒くれ共もヤマトタケルはスサノオの再現だと恐れおののいたという。」

□皇后の八坂の入姫もそれに同調した。「まことに小碓皇子は心優しい上に、力が強く、智恵も神がかっている。まさかクマソの荒くれ共の根城にか弱い女子の姿で紛れ込み、みごと首級を二つを奪い、しかもかすり傷ひとつ負わずにクマソ共をすべて平服させるとは、スサノオをも超えているやもしれませぬ。このような皇子がおられるからは、兵士たちは都の守りを固めることが大切です。もしヤマトタケルも兵士もみんなで蝦夷征伐に出かけたら、都が空になり、いつ何時敵に襲われないとも限りません」と力説した。

□いつしか朝餉の間は、大本営に変わっていて、早速ヤマトタケルに蝦夷征伐に発ってもろうではないかということで、即決したのである。父帝は機嫌が良くなって諭すように息子に言った。

□「いいか、本来なら朕が乗り出して蝦夷を蹴散らすところじゃが、哀れな事に老いぼれてしまっておる。今や朕に代わって悪を討つのは小碓皇子、お前だ。お前はスサノオの化身となって蝦夷を懲らしめ、東国に乱が起こらぬように、宮を作って東国を統治すればよい。そうすれば畿内よりもずっと広い東国はお前の国同然になるのだ。そして東国支配の実力を発揮できれば、朕も安心して大八島の皇統をつがせることができるというものじゃ」そして頸を縦に何度も振ったのである。

□「大王に申し上げます。」小碓皇子は大声で叫んだ。「私は西国遠征を終え、やっと戻ったばかりでございます。それに私はただの十六歳の少年で戦のことは全く存じません。今回の手柄も倭姫から授かった策が功を奏したのです。おそらく倭姫も大王の戦振りから学ばれたものでしょう。

□神の如き智恵をお持ちなのは大王に他なりません。それにしても、今回の成功は万に一つの成功で、何万の軍に単身乗り込んで勝てるなど狂気の沙汰です。蝦夷征伐も単身のりこむとすれば、生き残って還ることは万に一つもないでしょう。

□クマソのもとにやって私を殺させるのに失敗したから、今度は蝦夷に殺させようとのおつもりですか。死んでしまえば、東国を支配しろといわれても出来る道理がありません。美辞麗句で飾られても、結局死地に行かされるということでしょう。」

□陽一は目に泪を一杯ためて父帝に訴えた。父帝は哀れんで小碓皇子に言った。「皇子よ、朕は汝の父である。どこに吾が子を敵に殺させる親がおろうか。朕とて吾が子を死地に追いやりとうはない。

□では誰が行く、老骨に鞭打って朕が蝦夷の地に出かけるのか、それこそ格好の餌食ではないか。今は帝が宮を空けられる状態ではないことは、皇子もよく知っている筈じゃ。それに今将軍を立て、大軍を動かせば、それでのうても貢が減っているのに、民に重税をかけねばならぬ。そうなれば、蝦夷だけではのうて畿内の民も敵に回すことになってしまう。」

□大臣は感動して胸を詰まらせながら言上した。「まことに大王は神にまします大御心をお持ちだ。吾が子が犠牲になるかも知れぬことを承知で、民草の暮らしを考え、戦を避けようとされる。むやみに武を振り回すと、武によって滅びるものです。蝦夷が叛いたと聞いても、軍を起こさず、皇子を巡察使として遣わし、なるべく平穏事に収めようとされている。

□皇子に申し上げます。蝦夷が背くと言っても、蝦夷の皆が叛くのではありませぬ。尾張から東はほとんど蝦夷の地ですが、その多くは大倭に恭順しているのです。ただ中に悪巧みをして、大倭の覇権に挑戦しようとするものがおり、これが騒ぎの元になっていますので、皇子が行って、蝦夷たちの多くを味方につけ、悪質分子を孤立させて倒せばいいのです。それは今や、スサノオの再現と呼び声の高い、ヤマトタケル様だからこそ成し得ることなのです。

□皇子は自分の為した事の奇蹟の意味がまだ分からずにおられる。倭姫の発案だとしても、その可能性を信じ、実行できたのは、それが皇子御自身の思想になっていたからでしょう。

□女子にばけてクマソの城砦に乗り込むなど皇子以外にだれができるものですか。皇子はすでにヤマトタケルというヒーローの道を選択され、歩まれてしまっているのです。それはこの時代が求め、この時代にロマンを求める未来の全人類が求めているのです。もうだれも英雄ヤマトタケルを止めることは出来ないのです。たとえ、あなたご自身でさえ止められないのです。」

 ----------------------------4天叢雲剣と火打石------------------------

□もちろん陽一はヤマトタケル説話について詳しく知っていた。でもバーチャルリアリティの世界に居る限り、それを思い出すことは出来ないようになっている。巻向に凱旋してすぐに東征に決まったとき、こうなることはうすうす感じていた。人生は一寸先は闇のリアルな世界だが、過ぎてみると初めからこうなるシナリオを演じさせられていた気もするものである。

□ヤマトタケルになってしまった陽一は、自分が小碓皇子を演じている陽一だと気付くことはできないが、小碓皇子という自分自身の存在が初めから定められた役柄だという気がしてならない、だから小碓皇子という役柄を受け入れ、ヤマトタケルになって活躍する以外にないのである。そのためにも倭姫に会わなければならない。伊勢へ急いだ。

「皆私をスサノオの再現だと褒めそやし、蝦夷の大軍の中に放り込んで、私を殺そうとしているのです。特に帝は私が予定通りクマソに殺されなかったので今度は蝦夷に殺させようというつもりです。」と陽一は倭姫に訴えた。その目には涙が一杯溜まっていた。

□倭姫は頷いた、そして静かに言った。「その気持がまったくないとは言えないでしょう。クマソ征伐が成功したあなたは、有力な皇位継承者ですから、帝が死んで、自分の番が回ってくるのを待っているわけです。でも帝よりあなたが先に死ぬかもしれません。この時代は三十歳を過ぎれば後は何時どんなことで死ぬかも分かりません。ですから自分の理想ややりたいことがあれば、帝に早く死んで欲しいと思うでしょう。」

□「そのことは大碓皇子も言ってましたよ。」と陽一は口を挟んだ。

□「だから帝は殺されたくなかったら皇位継承者を決めずに、有力な皇子は危険な仕事につけて葬っていかなければ長く皇位に居座り、生き続けることはできないのです。これはたとえ自覚していなくても、帝の心のどこかにはあるでしょうね。」

□「私は死にたくない、殺されたくないのです。殺されたくなかったら、やはり大碓皇子のように父帝を討つしかないのでしょうか。」ついにオイオイしゃっくりあげて泣き出した。

□「それもひとつの方策ね」と倭姫は相槌を打った、「どうしても父帝を殺したいのなら、尾張の尾張氏という豪族を味方につけなさい。そうすれば、彼は蝦夷にも顔が利くので、蝦夷の兵力も用いて巻向を攻めればいいのです。」

□「どうしてそんなことを仰るのですか、父帝は叔母さんの兄にあたるのでしょう。」と不思議そうに訊ねた。

□「それはあなたが父を殺すぐらいなら、殺された方かましだ思っているからよ。父帝だってあなたの力を恐れて、できれば蝦夷と戦って死んで欲しいと願っている気持は皆無ではないとしても、やはり自分の息子ですもの、生きていて欲しいわけよ。そして精一杯自分を輝かして生きて欲しいの、天照大神みたいにね。その道が今切り開かれつつあるの。それがあなたがヤマトタケルとしての定めに生きることなのよ。」

□陽一は思った。私は他の誰かではなく、小碓皇子でしかないのか、そして小碓皇子である以上、荒ぶる神スサノオとなってヤマトタケルという境涯を生きるしかないのか。その前に、私は、小碓皇子でもヤマトタケルでもない、本当の私でしかない私ではないのか、それは何者とも何物とも何事とも決め付けられない、鳥のように空を翔け花のように匂い立つ、ありのままの自由な自分ではないのか。

□しかし小碓皇子のありのまま、ヤマトタケルのありのままは、一体何なのか、それはやはりその定めを生きることでしかないのではないか、自由とはだからヘーゲルのいうように必然性の洞察なのかもしれない。

□「これを持って〈蝦夷征伐〉に行きなさい。」と一振りの剣と嚢を授けた。「この剣はスサノオが八岐大蛇から取り出したと伝承されている天叢雲の剣です。大八島(日本列島)は山脈が巨大な蛇のように連なっていてまるで八岐大蛇のようでしょう。だから八岐大蛇から取り出した剣は大八島自体の霊でもあるのよ。間違わないでね、剣に霊が宿っているのではなくて、この剣自体が大八島の霊なのだから。この剣を持つものは大八島では誰にも負けないので、大八島を武力で統合支配する象徴だと朝廷に伝えられているものなの。だから武力支配を意味するこの剣は、スサノオのご神体ともいえるのよ」と聖剣の説明をした。

□ただ一人の供となった御鉏友耳建日子(みすきともみみたけひこ)は、なかなかの知恵者のようである。まだ三十歳ぐらいの若さだが、榊先生に良く似ている。

□彼の説明によると、聖剣は、それを持つべき人を己に近づけ、その者の人格を支配して、その者を覇王にするのである。そして聖剣を手放す者には、覇権を与えないで破滅させるのである。だから聖剣自体が主人公として聖剣伝説が繰り広げられるという。だから建日子的に言えば、ヤマトタケル伝説も聖剣伝説の典型なのである。

□それから「急な事があればこの嚢の口を解きなさい」と倭姫は、火打石が入った嚢を小碓皇子を授けたのだ。火打石は発火装置であるとともに、守り神でもある。これも石自体が神なのであって、火打石に神霊が宿っているのではない。

□建日子は剣も嚢も含めてヤマトタケルがあるのだから、決して、この剣や嚢なしの自分に戻ろうとしてはなりません。そうすればヤマトタケルではなくなり、蝦夷の餌食になってしまうでしょうと忠告した。

----------------------第四部 燃ゆる火の火中に立ちて--------------------

---------------------------1 尾張氏の館にて----------------------------

□ヤマトタケルの東征が始まった。『古事記』では供として吉備の豪族、御鉏友耳建日子を伴っていたことになっている。そして比々羅木の八尋矛を帝から下賜されたようだ。しかしそれだけで巨大な幾万、幾十万、幾百万とも知れない蝦夷たちと戦うというのは非現実的すぎるというので、『日本書紀』では軍団を与えて征夷の将軍として小碓皇子を任じている。しかもクマソ征伐から十二年後である。

□歴史的事実としてどうだったか、いまさら当時の古文書はないので、小碓皇子の実在性すら大いに疑わしいとされている。だから、事実の確定が問題ではないのである。『日本書紀』では景行天皇は理想的な立派な大王として描かれており、息子が恐くて、蝦夷に殺させようとするような情けない人物ではない、親子の葛藤は小碓皇子との間ではなく、恐がって出征したがらない大碓皇子との間にあった。だから軍団を付け、将軍として出征させているし、皇子の死を悲しんで、皇子の東征した道を巡礼したりしている。

□景行天皇を理想的な天皇としてしまえば、親子の葛藤は描けない。だから親子の葛藤を軸にすることで、ヤマトタケルの悲劇が文学的にも倫理学的にも大いにドラマティックに展開されるので、ヤマトタケル説話に関する限り、文学的価値は『古事記』の方が『日本書紀』より格段に上である。人間ドラマは朝廷側をみんなご立派にしてしまい、クマソや蝦夷を野蛮で悪者みたいに型に嵌めてしまったら全く深みがなくなるのである。

□もちろん供がたった一人というのでは、その動静までつかめなくなるので、『古事記』には無理がある。巡察使のような役職にして最低十人ぐらいはお供に従えていただろう。そうでないと蝦夷の方でも皇子だとは信じ難くなり、詐欺師として殺されてしまうだろう。しかしこのファンタジーでは『古事記』に準じておくしかない。

□先ずは、蝦夷の事情に詳しい尾張氏の館を訪ねた。ここで蝦夷の動静について、朝廷に対して恭順派と中間派と叛乱派がどういうように分布しているかなど、できるかぎり地理的情報を含めていろいろ教えてもらはなければならなかったわけである。

□尾張氏にすれば、クマソ征伐で名を馳せた皇子と昵懇になっておけば、中央政治に関わるチャンスなのだ。できれば娘の美夜受(みやず)姫と婚礼を結ばせれば、皇子が皇位に就けば外戚として台頭できるきっかけにもなりうるわけである。

□陽一は、巻向で姉妹との新婚の夜を何日か過ごした余韻もあり、新しい女性に興味は湧いたものの、一応結婚の約束だけして、戻ってからにしようと引いたのである。もしここで結婚したら、戦で死んだら皇子の後家ということで、他の人と結婚しにくくなる。戦に死んだら他の人と幸せを探してくれということである。

□建日子に相談すると、こう忠告された。「それは触らぬ神に祟りなしですよ。帝は皇子を蝦夷に討たせようとしているという疑いは拭えないのでしょう。だったらひょっとして尾張氏に皇子を殺めるように依頼しているかもしれないではないですか。とすれば美夜受姫を抱こうとしたら、九の一か何かにブスリと刺し殺されないとも限らないでしょう。」

□それにこころなしか美夜受姫は姉百恵にそっくりだった。陽一は百恵のことはすっかり記憶から消えていたが、美夜受姫に強く惹かれ抱きたい気持が溢れるものの、何故か触れてはならないものに触れる気がしていたのである。
ーーーーーーーーーーー2 追いかけて、追いかけてーーーーーーーーーーーーー

□智子は陽一と結ばれたようだ。弟橘姫になった時、智子は智子であることを忘れて、一人の少女になった。十七歳の無垢な少女である。最近遣われなくなったが処女(バージン)と言ってよい。あの忌まわしい白雪姫コンプレックスも忘れている。祝言の夜は期待と不安でブルブル震えたに違いない。

□確かに、激しく燃え上がった思い出はあるのだが、バーチャルリアリティの世界だから、リアルにあった体験ではないし、それもその場面が飛ばされてしまうと、過去の思い出として、思い出がリアルに感じられるだけである。

□よく考えると、バーチャルリアリティの世界ではなくて、リアルな世界でも同じ事ではないか、過去のリアルな体験は、現に、今、この時においては既に記憶としてバーチャル化されている。確かに交わした接吻や狂おしいまぐわいも、体の芯が燃え尽きた感覚も、記憶という観念に変換されて、もはやリアルではあり得ないのである。だから過ぎてしまえば、どんなに波乱万丈のギンギラリンの人生だとしても、「下天の夢」と割り切られてしまうのだ。

□それでもたくさんの楽しい思い出があり、それを想い起こす事で、日常の空白を埋めることができればいいのだが、智子には、過去は一時的に消去されていて存在しない、小碓皇子に抱かれることで、今までの智子も、弟橘姫も死んで、新しい弟橘姫が生まれたのである。それは小碓皇子と共に生きる弟橘姫である。

□でも、その小碓皇子は行ってしまった。〈蝦夷征伐〉という、万に一つも生きては戻れないと小碓皇子が泣き喚いても拒もうとした修羅の世界へ、蝦夷に殺されるために出かけたのである。それなのに私はここ巻向の宮で、小碓皇子の帰りを待っている。おそらく待っていても何も戻ってはこないのだ。東国で骸となって苔むすだけである。

□生まれ変わった智子つまり〈新しい弟橘姫〉が巻向を発って、小碓皇子の後を追う決断までに三日とかからなかったかもしれない。実際の皇子の妃が一人で後を追うなど危険極まりなくてとてもありそうにないが、『古事記』も物語なのでそういう設定にしているのだ。

□ひょっとしたら、用意周到にしようとして尾張滞在が長引いて居る間に追いついたかもしれない。美夜受姫との祝言が流れたのも、弟橘姫が追いかけてきて、満身創痍の状態で瀕死だったりしたので、そういうハプニングもあっての事とも想像できるのである。

□「おやかた様、大変です。きれいな絹のべべを着た娘が傷だらけになって門の前に倒れていました。」と下男が娘を抱えて来た。尾張氏は「これは何かわけがありそうだ。これ娘、どうしたのじゃ」とたずねた。智子は「こちらに小碓皇子は訪ねてこられませんでしたか?私は皇子を追ってきたのです。」と正直に告白した。

□騒がしいので何事かと玄関に出ていた小碓皇子は物陰から見ていたが、すぐに弟橘姫と気付いて駆け寄り「オ、オトタチバナヒメではないか、どうして追って来たのじゃ、これからは修羅場の連続だというに、連れて行けるわけはあるまい。」と叱りつけた。

□「万に一つも生きて還れぬ蝦夷征伐なら、空しく待つことなどできましょうか。お側にいて、一緒に骸になりとうございます。」いとしさがこみ上げて、皇子は弟橘姫を抱きしめて、泣き出した。お供の建日子は「皇子、いいじゃないですか、女子(おなご)連れならまさか蝦夷をやっつけにきたとは気取られませんから、その方が道中は安全です。でも集団で襲われたりしたら、命はお守りできませんが」と助言してくれた。

□結局、小碓皇子と弟橘姫の熱々カップルにお供は吉備の御鉏友耳建日子ただ一人である。御供はあてられっぱなしで大変だっただろう。その方が蝦夷を挑発しなくてすむのである。ただ追剥の格好の標的にはなっただろう。そこは天下無敵の天叢雲の剣がものをいう。

□まあ現実的には十人ぐらいの巡察使の一行だったと受け止めておこう。ともかく、山河の荒ぶる神、伏(まつろ)人たちを「言向け平和(ことむけやは)」したのである。

□「ことむけやはすとはいいながら、実態は軍団を差し向けて、平定する場合が多いが、何しろ吾らの一団は三人だけだ。相手の事情をよく調べ、中に立てそうな人を使って、できるだけ優しい言葉をかけて帰順させるしかないのう。」と小碓皇子に成り切っている陽一は建日子に相談した。

□建日子は頷いた。「御意にございます。尾張氏も申しておりましたな。決して蝦夷を征伐しようなどと考えてはなりませんと。どうして貢が遅れているのか、その事情をよく聴いて、良く調べた上で、うまく行っているところの経験などを伝えたり、一緒になって改善策を考えてやり、決して無理な要求はしないで、もっぱら激励や励まし役に回るように、そして地域の協力の仲介やくになったり、地域の揉め事の調停役をして、蝦夷の敵ではなく、味方になれば、みんな朝廷に帰順するでしょう。」

□こうして小碓皇子である陽一は民の暮らしがどんなに大変か、よく分かったのである。その際に、どうしたら暮らしの建て直しが出来るのか、各地の取り組みなどを調べ、智恵を授けたり、地域同士で助け合ったりすることの仲立ちなどをしたのではないか、こうしてその地域が立ち直れるように骨を折れば、皇子の徳に惹かれ、朝廷にも帰順する者が増えるのである。

□もちろん中には頑強に抵抗し、テロを仕掛けてくる者いただろう。そういう連中は孤立させて、他の蝦夷の兵力で片をつけさせるのである。
-------------------------3 燃ゆる火の炎中に立ちて----------------------

□朝廷側から見れば、伏(まつろ)わない蝦夷共は、天に背く野蛮な連中であって、根絶やしにするのが正義であると考える。しかし蝦夷側からみれば、朝廷といっても外来の侵略者にすぎない。自分たちの平和な生活を脅かし、厳しく貢物を取り上げていく収奪者にすぎないのである。朝廷の力が強いとやむを得ず服属するが、朝廷の力が弱くなると、貢は出さないし、支配から脱却しようとして当然であり、それが正義なのである。

□一行は相模国に入った。それぞれの国には国造がいる。その国の支配を朝廷から任されている地方豪族である。蝦夷の国では当然、その国造も蝦夷の有力豪族である。だからその地方で大和朝廷に対する反発が強い時は、国造が蝦夷たちの総意をまとめて、叛乱の首領になることがある。国を挙げての叛乱となるとやはり大軍を率いてこないととても歯が立たないわけである。

□相模国の国造は、一行には恭順を装い、罠にはめて殺そうとした。何しろヤマトタケルはスサノオの再現と恐れられ、しかもその証拠に天叢雲剣だってもっているのだから、たとえ三人しかいなくても、しかもそのうち一人は女でも油断は禁物である。

□国造は、相模野には大きな沼があり、その沼には大変強くて凶暴な神が棲んでいるという。自分たちはふつうの人間だからとてもやっつけられない、やはり神がかりした力をもっている皇子でないとやっつけられないのでお願いできないしょうかというのだ。皇子は、では私に手に負えるかどうか見てみましょうということで、案内されたのだが、一行は迷子にされて火に囲まれてしまった。つまり騙されて火攻めに遭ったのである。

□火と煙に包まれ視界が悪くなって、三人はばらばらになってしまった。絶体絶命の大ピンチである。小碓皇子は命がけで追いかけて来てくれた弟橘姫だけはなんとしても助けたかったのである。

□万に一も生きて還れないと分かって、追いかけて来てくれたのだから、弟橘姫は一緒に死のうと思って追いかけてきたのである。つまりこれは弟橘姫にとっては道行心中の先駆けのつもりなのだ。こういう絶体絶命となれば、一緒に死ねるチャンスなのだから、絶対にはぐれてはいけないのである。互いに腹の底から名を呼び合おうとするが、煙が入って咳き込んでなかなか声が出ないだろう。でも必死で叫び合ったのである。

□死の直前に相手の事だけ思って名を呼び合う、これは愛の極致である。そこには少しの偽りもない、相手のためだけに今を愛に生き、愛に死んでいく命の叫びがあるだけである。

□それほどまでに愛を確認し合う事ができたのなら、他に何が要るのだろう。もう十分満たされたのである。この日のために、この愛の極致で死ぬためにこそ私は生まれてきたのであり、今まで生きてきたのである。たとえ姿は見えなくても、「弟橘姫!」と私を呼ぶ声を聴きながら息絶えても何も思い残す事はない。

□「火事場の馬鹿力」という言葉がある。本当に命がかかっているととんでもない力が出るというのである。自分の命に代えても姫を救いたいと思った陽一は無意識に周りの草を剣で薙ぎ始めていた。こうして自分に火が襲わないようにしてから、危急の際には嚢を開けるようにとの倭姫の言葉を思い出した。

□そこに何と火打石があった。こちらから逆に火を放てばどうなるか、ひょっとしたらと思って、陽一は火打石で火を熾した。すると激しく燃えている方が気圧が低くなるので、迎え火になって火は敵側に向かって燃え広がっていったのである。

□ここで倭姫から授かった剣と火打石が皇子の命を救っている。倭姫がいなければ、小碓皇子もまた存在できないということである。倭姫は母代わりで、母の愛によって息子は支えられていると言える。父帝は息子を蝦夷征伐の試練に晒すが、叔母は慈愛で危機を救うのである。だから父と叔母は補完し合っているのだ。父にも本当は、叔母が示したような慈愛は隠れているだけで存在しているのである。

□それに天叢雲剣や火打石も神なのだから、皇子をヒーローにする重要な役どころを演じているのである。それは小碓皇子の他者として小碓皇子を支えているというより、ヤマトタケルになった小碓皇子の人格を構成する重要な要素になっている。もはや小碓皇子の外部ではないのであるる。

□こうして一途な愛が敵のだまし討ち作戦を跳ね返した。蝦夷にすれば、騙まし討ちは卑怯と思われるかもしれないが、騙まし討ちは大倭政権から学んだ方法である。小碓皇子自身が出雲タケルを見事に罠に嵌めたではないか。考えてみれば他に方法がなかったとはいえ、クマソタケルも女に化けて騙まし討ちしたのである。

□ヤマトタケルの逆襲に追い詰められた相模の国造はこう叫んだ。

「我々蝦夷には、ヤマトの侵略者どもが大八島を支配する正統性をもっともらしく神話をでっちあげて主張するのが気に食わん。侵略して、武力で権力を維持しているだけなのに、この支配は高天原の神々の会議で、天照大神の孫であるニニギノミコトに与えられただと言い張るのだ。

□しかしそのことが事実だと、どうして言えるのか、自分たちの都合よく作った神話を勝手に信じているだけではないか。元々われわれ蝦夷は、ずっとずっと昔から、この大八島に自由に暮してきたのに、どうして外部の侵略者に支配権を与えるというような権限を高天原の会議が決定できることになっているのか、さっぱり分からない。

□同じ理窟で蝦夷が別の神々の会議をでっちあげて、蝦夷の首領に支配権を与えれば、蝦夷は畿内や筑紫まで支配していいということになるのだろうか。

□この独立の戦いは、隷従の鎖を解き放つ戦いだ。だから蝦夷にとって誇り高い戦いだ。たとえ、今は敗れても、何度でも蝦夷に生まれ代わり、必ず恨みを晴らしてやる。」

□こう叫んだ後、相模の国造は自分の頸を斬り付けて倒れこんだのだ、

□だから蝦夷の独立の戦いはその後も粘り強く続いていき、平安時代の後期には元々蝦夷である奥州藤原氏三代の支配が実現したのである。

□陽一は騙されたと分かったときには何と悪い連中だと想い、虫けらのように殺してやろうと思ったが、陽一自身が小碓皇子としては、クマソタケルや出雲タケルを騙まし討ちにしているのだ。

□元々ワルの本場はヤマトではないか、そして大和政権の正統性自体が神話という正統性をでっち上げるために作ったフィクションに依拠しているに過ぎない、こういう理窟を陽一は否定できなかったのである。ならば小碓皇子の蝦夷平定の正統性も主張できないということになってしまう。

□とはいえ、産業が発達し、交通・交易が盛んになれば、国家も広域化せざるを得ないし、小国分立では、強大な侵略者に備えることもできない。大和政権中心に、大八島の政治統合が進む事も必然性はあるのだ。

□だからといって、大和政権は蝦夷やクマソを圧政で苦しめてもいいことにはならないのだ。それだけ蝦夷やクマソなどの辺境によって、支えられている事を尊重し、蝦夷やクマソの人々の人々も幸せに暮せるように大八島全体の統治を行なう責任があるということである。陽一はクマソや蝦夷との命のやりとりの中で、彼らの征服者に対する怨念までも引き受けて、立派に政治統合を成し遂げる責任を痛感したのである。
-----------------------------4 弟橘姫の入水---------------------------

 ヤマトタケルの遠征を阻もうとするのは蝦夷たちだけではない。時には侵略者に自然も叛乱の牙を向く。ナポレオンはロシアに遠征して冬将軍という恐ろしい敵に敗北した。辺境の民はその地の自然と融合して暮しているので、厳しい自然の変調を予測し、災害を避けることが出来るが、異郷からの来訪者にはなかなか避けがたいものである。

 浦賀水道から千葉に渡る回路を走水の海と呼んでいたが、突然海の神が暴れだしたのである。大波が次々に押し寄せ船は梶が効かなくなって渦に巻かれるように回されていた。船乗りたちも為す術がなく、「この海の神は嫉みの神で、大切な人や宝が載っているとそれを欲しがるのだ。きっと海の神が皇子の成功を嫉み、皇子の一番大切なものを欲しがっているのだ。それを海に捧げるまではこの嵐はやむ事がない。このままでは船は壊れてしずんでしまう」と嘆いた。
 
□弟橘姫は激しい船酔いに襲われ、何度も戻して憔悴していた。しかし気丈にこういった。「皇子を嫉み、皇子の一番大切なものを欲しがっているということは、この弟橘を欲しがっているということですね。私さえ犠牲になれば皇子のお命はお助けできるのですね。それでしたら私はよろこんで人身御供にならせていただきます。」

□皇子は驚いて叫んだ。「何を言う、せっかく自分が自分の命よりも大切なものを見つけたのに、その命より大切なものを失うぐらいなら死んだ方がましだ。絶対に人身御供になってはだめだぞ。」

□「そのお気持はとてもうれしいです。私も蝦夷征伐では万が一にも皇子は生きては戻れぬものと想い、空しく訃報を待つよりは、一緒に辺境で苔むす屍を並べようと追いかけてまいりました。でも二人は立場が違います。あなたは戦って死ぬのは仕方ないけれど、恋のために死ぬことは許されていません。まつろはぬ蝦夷たちをたはむけやはして大和巻向に見事凱旋してください。それが英雄ヤマトタケルの使命なのですから。」と説得した。

□「そんな、惚れた女一人救えないのに、国を救ってなんになる。俺は英雄になんかなりたくない。好きな女のために死ぬ方がよっぽど意味があるんだ。」

□建日子が叫んだ。「それは我儘ですよ、この世にあなた方二人しか居ないのならともかく、皇子が恋に死んだら、私や舵取りだって道ずれじゃないですか。英雄ヤマトタケルのこれからの活躍で救われるはずの幾万の民も道ずれです。そしてあなたが見事凱旋して、新しい平和な大和国家を作ったら救われる筈の億千万の民が道ずれになるのです。」

□「そうです、それだけのお方だと信じているからこそ、私は喜んで我が身を捧げる事ができます。それにもう既に私は救っていただきました。この世に生を享けて、もう十分生まれてよかった、何時死んでも悔いはないという永遠の体験をあなたは与えてくれたではないですか。その人のために死ねる幸せを辞世の歌に託します。」そう言うと弟橘姫は次の歌を詠んで入水したのである。

さねさし相模の小野に燃ゆる火の火中に立ちて問ひし君はも

 この弟橘姫の辞世の歌は、二千年近い和歌の歴史の中でも最も琴線にふれる歌として人々に愛されている。

 七日経って弟橘姫の御櫛が海辺に打ち寄せた。陽一は肌身離さず持っていたいというと、建日子は、遺体を埋葬できていないので、代わりにその見つかった御櫛の墓をつくって供養するように勧めた。「髪は女の命と申しますが、その髪に挿した櫛も女の命なのです。そこには弟橘姫の御魂が宿っているので、御魂を鎮めるために墓を作って納めてあげましょう。」

□小物も含めて身を捉えている話がある。『古事記』の天照大神と須佐之男命の誓約(うけひ)の話である。誓約はどちらが偽りがないかを証明するために行なう儀礼である。天照大神は須佐之男命の身に着けていた十拳の剣を受け取って、これを細かく噛み砕いて吹き出して狭霧の中に宗像の三女神を生んだ。天照大神が生んだのだが、須佐之男命が身に着けたものから生まれたので、宗像の三女神は。天照大神の子ではなく、須佐之男命の子だとされる。

□今度は須佐之男命が天照大神の髺(みづら)につけていた八尺の勾玉を噛み砕いて、やはり吹き出して天忍穂耳命を生んだ。男を生んだ方が勝ちだということになっていたので、天忍穂耳命の正式名は正勝吾勝勝速日天忍穂耳命とよぶのである。この天忍穂耳命は須佐之男命が生んだのだが、須佐之男命の子ではなくて、天照大神の勾玉から生まれたから、天照大神の子だということになる。

□このように記紀の身体概念は装身具を含んでいたのである。だから弟橘姫の櫛を彼女の身体として墓に葬るのは象徴や記号的な意味に終わらないのである。
---------------------5 吾嬬(あづま)はや-------------------------------

------果てしなき修羅の道ゆく吾ならむ想いあふれて妻の名を呼ぶ-------------

□陽一は命に代えても護りたいと思った妻を亡くして、大きな空洞を胸に持ち、そこに冷たい風がヒューヒュー吹き込んでいた。それでもその哀しみに負けて打ちひしがれていたのでは、危険極まりない巡察使の任務は務まらない。哀しみは胸の奥にしまいこんで、がむしゃらに任務を果たそうとしたのである。

□小此木啓吾著『対象喪失―悲しむということ―』(中央公論新社[中公新書]、一九七九年)によれば、生きる支えになっていた愛する対象を喪うと、その哀しみのあまり、精神が壊れたり、本当に生きる気力が萎えて二、三年の内に重い病気にかかって死んでしまう人が多いという。

□でも生活に追われていると挫けてられないというので、これまで以上に根を詰めて働いて、哀しみを紛らしてしまおうとする人が居る。それは実は、無理をしているので反動が怖いのだ。ストレスが蓄積して、大病になったり、急におちこんで鬱病になってしまうことがある。だから本当は、一番いいのは、対象喪失の悲哀に静かにじっと耐えることである。古代では貴人(まろうど)の死に際して、遺体を棺に収めたままその死者の前で、復活、再生を祈りつつ、腐食し、白骨化していくのを確認してから、埋葬する殯(もがり)という儀礼が行なわれてきた。儒教では尊属に対しては三年の喪が義務化されていたので、たとえ重要な公職についていても三年は職を辞して喪に服さなければならなかったのである。

□ヤマトタケルは、東に進んで荒ぶる蝦夷を服従させ、山河の荒ぶる神どもをことむけやはしたのである。武蔵野のあたりまでいくと、まだ狩猟採集が中心で、水田や畑で農耕中心の人々は風俗もかなり異なっていただろう。なかなか話が通じないで、てこずったようだ。

□山河の荒ぶる神どもを平定するというのは、鹿や猪として荒ぶる神が表現されているので、山河を切り開いて道をつくり、野生動物が里を荒らさないようにするということを意味していたかもしれない。あるいは未開の部族が鹿や猪の皮の大きな頭巾のようなものを被っていたかもしれない。

□そういう人々にも朝廷を崇め、特産物などを貢者として差し出させ、その代り、産業の発展に必要な物資や技術を与えるようにしたのかもしれない。やたら戦の連続だったと考える必要はない。

□もちろん諍いや紛争は多々あって、命の危険も何度も体験しただろうが、『古事記』には具体的な戦闘場面はほとんど記されていない。ということは東国の蝦夷たちにしても、朝廷に逆らって戦ばかりするよりも、畿内や東海との交易を盛んにして、産業、文化の交流を盛んにした方が、豊かになれるからである。蝦夷の特色を活かした産業を興せば、貢として取られる以上に富が入ってくる事も考えられるわけである。

□蝦夷たちは、侵略者の支配を深く恨んでいたので、ヤマトタケルを襲って、その恨みを晴らそうとする。だから胸に愛する妻を喪った哀しみを抱えながら、いつも緊張し、身構えていなければならない。箱根の金時山から足柄峠のあたりで、坂の神が白鹿になってやってきて陽一の前に立った。それで陽一は食べ残しの蒜(ひる、にんにく、のびる)を片端を持って打ち付けると、目に当たって白鹿は死んでしまったという。

□この白鹿は群れを抱えていて、侵略者から群れを護ろうと陽一の前に立ちはだかったのかもしれない。それで敵意を感じ取って、ニンニクかノビルの片端を持って打ち付けると球根の堅い部分が、目に当たって死なれてしまったのかもしれない。あるいは坂の神というのだから、地元の未開の部族の頭が鹿の頭がついた大きな頭巾を被って、侵略者に立ち向かってきたのかもしれない。

□それでその白鹿を埋葬しようとしたのか、坂の上に上って行き、急に激しい哀しみに襲われて「吾嬬(あづま)はや」つまり「おお、わが妻よ」と嗚咽しながら叫んだのである。ひょっとしてこの白鹿は弟橘姫の生まれ変わりではないのか、せっかく生まれ変わって、私に会いに来てくれたのに、私がまた愛する妻を死なせたのではないのかと思ったのかもしれない。

 そういうことはないとしても、いつまで殺生を続ければ、治まるのか、自分は妻を亡くした哀しみがいつまでも消えないのに、こうして人や獣を殺し続け、哀しみを生みつづけなければならない、なんと哀しいことではないかという思いが溢れたのであろう。この「吾嬬はや」からこの地を「阿豆麻(あづま)」と呼ぶようになったらしい。

 戦で戦って死ぬのは男の兵士であるが、兵士には妻や子がいる、兵士が戦で死ねば妻子は取り残されてしまう。その悲しみや苦しみは果てしないものである。『古事記』のヤマトタケル説話は、その女の哀しみを漂わせているところが、深く魂に響くのかもしれない。
 ---------------------------6 東征の期間------------------------------

----------ひむがしの蝦夷の国に分け入りて心許すに幾夜かも寝む-----------

 クマソタケルを滅ぼした時、『日本書紀』ではまだ景行二十七年で十六歳だったが、ヤマトタケルが能煩野で戦病死したのが三十歳である。その時はだから景行四十一年だったことになる。ところが出征したのは景行四十年ということになっており、一年余りで終わっている計算になる。ところが『古事記』ではクマソを討って、巻向に戻るとすぐに蝦夷征伐ということになっているので、東征自体が十数年間になる。

 ところで『日本書紀』でも東征を命じられる際に、私はクマソを討ったばかりなので、今度は兄大碓皇子(書紀では殺されていない)の番だというと、大碓皇子は怖がって逃げてしまい、結局小碓皇子がまた行く事になる。だから間隔は狭かったはずで、書紀のように十数年開いているのも不自然である。

 これは歴史的事実というより、歴史物語であるから、物語の中身から考えてどれだけの年月がかかったか推察するしかない。とすると現地の事情をよく理解して、信頼を得て、乱の動きを鎮めるまではかなりの日数を要した筈である。草薙の剣などの神剣の威力を振りかざしても、所詮、軍勢をもたないのだから、容易には方はつくまい。蝦夷の中での公共的利益を象徴しているように思われるようになるには、そう簡単なことではないと思われる。やはり少なくても三年はかかる、いや五、六年は要したのではないか、と想像しておいて無理はない。

 それに、巻向の宮での権力闘争がどういう帰趨になっているのか、気にかかるところである。これが小碓皇子の帰還の時期を左右するだろう。父帝にすれば、ヤマトタケルの存在を脅威に感じて東征させたとしても、高齢ともなり、有力な補佐役が欲しいとなれば、小碓皇子の帰還を心待ちにするようになったかもしれない。また皇后とその一族がのさばるようなことがあれば、力の均衡を図るためにも小碓皇子の帰還が必要になる。

□なんとか蝦夷の動きも平穏になり、巻向の宮も小碓皇子の帰還を待ち望むようになって、常陸を経て甲斐国に入り、甲府の酒折の宮にしばらく滞在した。

 陽一は、着宮の夜、どれだけ日数がかかったか気になったので、

「新治 筑波を過ぎて 幾夜か寝つる」

と歌で問いかけてみた。すると、秉燭人(ひともしびと)が

「かがなべて 夜には九夜 日には十日を」

と唱和したのだ。これが連歌の始まりで、だから連歌のことを「筑波の道」というのである。途中山越えもあったので順調と思ったのか、うれしくなって「そうかありがとう、褒美に東の国の造(みやっこ)にしてやろう」と言った。まあそれぐらいうれしかったということだろう。もちろん関東一円の長官みたいな役職はないのだ。
ーーーーーーーーーーーー第五部 嬢子の床の辺にーーーーーーーーーーーーー

1 襲の裾に月立ちにけり………………………………71
2 嬢子(おとめ)の床の辺に…………………………… 74
3 伊吹山の戦い…………………………………………76
4 倭は国のまほろば……………………………………79

ーーーーーーーーーーーー1 襲の裾に月立ちにけりーーーーーーーーーーーー

ーーーー裳の裾に付きたる月の穢れをも山の端昇る月とぞ見えなむーーーーーー

 甲斐から信濃に入り、信濃の険しい山道を越えて尾張に入った。この険しい山道を越えることを『古事記』では、「坂の神を言向けて」と表現しているのかもしれない。もちろん「言向ける」は「服従させる」という意味である。坂の神と一戦交えて、打ち負かしたとも解釈できるが、文学的に険しい山道を踏み越えた事をそう表現したと解してもいいだろう。
 
 尾張からが東国だったので、東国の入り口に戻ったのである。早速、尾張一の豪族、尾張氏の元に首尾を報告し、巻向の情勢などを聞いておかなくてはならない。それより祝言の約束をした美夜受姫を待たしている。随分待たせてしまった、さぞかし心配していただろう。そんなことを考えながら小碓皇子である陽一の足取りは軽かった。

 尾張氏はどことなく古谷先生のような雰囲気があった。

□「これはこれはようご無事で、この度の東国平定の成功おめでとうございます。蝦夷たちの小碓皇子の評判はすこぶる良かったですよ。蝦夷たちの暮らしの中に入って、地域の揉め事を解決し、地域が抱えていた難題を一緒に考えて、その解決の一生懸命お骨折りいただいたと聴いております。それにスサノオの化身ということで、草薙の剣で蝦夷を有無を言わさず撫で斬りにして、抑え込もうとされるだけの恐ろしい方かと身構えていたが、こちらが戦いを挑まない限り、とても力強い味方になってくださると恐れ入り感服しておりました。」

 陽一は「それはひとえに尾張氏にお教えいただいた、蝦夷征伐の心得を実践させていただいたにすぎませぬ。朝廷の立場で上から逆らう奴はけしからん悪党だと決め付けて成敗してやろうという了見では、とても数百万の蝦夷を相手に生きて還れる道理はありません。蝦夷たちの身になって考え、一緒に彼らの喜び哀しみを共にし、彼らの抱えている問題に一緒に苦労して取り組んで始めて、朝廷に背くよりも、朝廷を一緒に支えようという気になってもらえるということが良く分かりました。本当に尾張氏には感謝致してりまする。」

 尾張氏は「ホーホー」と感心して、頷いた。

□「私の忠言など老婆心で申したまでのこと、小碓皇子にはクマソタケルを成敗した剛勇な性格と、相手の身になって考え、謙虚になって人の意見を聴くという誠実でお優しい性格を併せ持っておられます。私の申した事は分かっていてもできることではございません。仁愛という君主の徳をお持ちだからこそできたのです。正しく皇位を継がれる皇子に相応しい方だと敬愛させていただいております。」

 早速歓迎の宴が催された。それはまた美夜受姫との祝言を兼ねていたのである。美夜受姫はこころなしか緊張していた。そして杯を捧げて皇子に献じたとき、皇子は襲(おすひ、礼装の上衣)の裾に月のものがついているのに気付いたのだ。折角婚礼と思っていたのに、月のものがあっては仕方がない。誠に残念と落胆して、舞ながらこう歌った。

 「ひさかたの 天の香具山 利鎌(としかね)に さ渡る鵠(くぐひ) 弱細 手弱腕を まかむとは 我はすれど さ寝むとは 我は思へど 汝が著(はか)せる 襲の裾に 月立ちにけり(天の香具山に夕方に、とんでいる白鳥のくびのような、弱く細いおまえの腕、そのなよなよした腕と私の腕をくみ合わして、おまえを抱こうと思って帰ってきたのに、おまえとゆっくり寝たいと思ってきたのに、おまえの着ているはかまのすそに月が立っているよ)」

 これに対して美夜受姫も返歌を作って舞った。

 「高光る 日の御子 やすみしし 我が大君 あらたまの 年が来経れば あらたまの 月は来経往く うべなうべな 君待ち難に 我が著せる 襲の裾に 月立たなむよ(私は日のように輝いている命様のお帰りを今か今かとお待ちしていましたが、命様はお帰りにならず多くの年がたって行き、多くの月が立って行きました。多くの月が立って行きましたので、あなたを待って、私のはかまの裾に月が立つのも無理はありませんよ。)」

この問答歌はおそらく問答歌の最高傑作であろう。先に述べたように、弟橘姫の辞世の歌とこの問答歌を見れば、ヤマトタケル説話が当代随一の歌人の人麿の作であろうという推理には大いに説得力が出てくるというものだ。

 婚礼の席を月経の血で汚すというのは、かなり忌み嫌われていた行為である。確かに月経の血は卵が受精しなかったことによって、腐乱して排泄されるのに伴う血なので、新鮮な鮮血とは言い難い。また清潔とも言い難いかもしれない。

 とはいえ母胎が新鮮な卵と精子の結合の場となるためには、やむを得ない出血である。決して忌み嫌うべきものではない。ましてやこの出血があるために女性自体を穢らわしい存在のごとく扱うのは、言われなき差別の最たるものである。入山を女人禁制にしたり、相撲の土俵の上に女性が上がると神聖なものが穢されたごとくいうのは、神聖なる受胎の場としての母胎への冒涜として許しがたい事である。

 月経によって母胎が穢れの状態にあるならば、穢れた女性との性交も穢れるとして避けられるようになり、婚礼自体が成立しない恐れがある。特に妻問婚の時代には、尾張と巻向に隔たっていれば、次の機会があることすら確かではないのだ。

 ところがこの問答歌はそのいわれなき差別を見事に突き破った。それは実に偉大な歌の力である。歌にすることによって、たとえどんなに無粋で汚らしいようなものでも、雅で風流なものに変換することができるのである。

 穢らわしいものの最たるものとされている女性の月経の血が、「襲の裾に 月立ちにけり」と表現する事で、山際から月が昇ってくる風雅な情景が連想させる。歌の力で穢れが打ち消され、雅な、しかもセクシーなものに変換されたのである。

 歌に歌うことによって無粋なものを風流に変えるだけでなく、歌は極日常のささやかな悦びや楽しみを百倍も千倍もに増幅してくれるし、悲しみや嘆きも歌に対象化することで精神の浄化になる。同じような心境を歌った先人の歌を朗誦してもそういう効果があるし、自分で作歌することでさらに創造の喜びが加わるのである。

□近代になって文学の商業化が極端になり、庶民が歌を作れなくなってきたが、だれでも歌は作れるのである。職業歌人ではないのだから、優れた歌や気取った歌、凝った歌を作ろうとしなくていいのだ。素直に心を歌い上げれば人生は白黒から天然色に変わったように、色鮮やかに輝くのである。

 この嘆きの歌に対して、美夜受姫は素晴らしいウィット(機智)で返している。そうでしょうとも、月日が経っても皇子がなかなか戻ってこられないものだから、その待つ苦しみに耐えられなくて、血が滲んできたのです。だから月が立つのも当然ですよという主旨である。

 これは殺し文句のようなものである。「あなたを待つ苦しみは、血が滲むように苦しいものです。」と言われればそりゃあ、ぐっと来るだろう。だって小碓皇子は戦に出て、万が一にも戻れないような危険に晒されていたのだから、その人の帰りをひたすら待つのは想像を絶するほど苦しい切ないことに違いない。

 何故、そんな皇子を待とうとしたのか、それが美夜受姫の定めだったのである。尾張氏は東国の入口に位置し、巻向宮のある明日香からもそう遠くは離れていない。東国の兵を糾合して、畿内に攻め込めば朝廷を倒す事もあり得るのである。だから皇子にすれば、尾張氏との縁組によって、大きな後ろ盾を得る事になるのだ。また尾張氏にすれば、有力な皇子と盟約して、その皇子を次期大王に擁立すれば、中央政治に大きな力を振るう事も夢ではなくなるのだ。

 そのためには娘を皇子に縁づける必要があるのである。それで娘が勝手に近所の男たちに誘惑されたりしないように、何重にも垣を作って処女を護るのである。だから美夜受姫にとったら、女として生まれてきた幸せを掴むためには、皇子が訊ねてきてくれるという千載一遇のチャンスを逃してはならないということだ。このたった一度のチャンスに命をかけなければならないのである。

 だからこの問答歌は皇子も姫も自分たちの人生の総てをかけて、命がけで歌っているのである。
------------------2 嬢子(おとめ)の床の辺に--------------------------

-----------しどけなき嬢子の床の傍らに置きし剣に運命(さだめ)占ふ----------

 互いの熱い想いを歌で交わし合ったので、それだけで二人は心では結ばれたのだ。月の物に邪魔されてまぐわえなくても、そんなことはノープロブレムである。慣れない酒が回ったこともあって、すっかり陽一は上気して、美夜受姫の肩に凭れながら閨(ねや)に運ばれた。

 そのまましばらく陽一は寝てしまったのだが、そのそばで姉百恵にそっくりな美夜受姫はずっと、寝顔をみつめている様子だった。ほんの三十分か一時間ほどで、陽一は眠気まなこで目覚め、美夜受姫を見て驚いた。

「此処はどこ、君はだれ、そしてぼくはだれ」と陽一は訊ねた。

□すると美夜受姫は妖艶な笑みを浮かべ、「此処は嬢子(おとめ)の閨よ、私はあなたの夜を受け持つ美夜受姫、あなたは倭男具那皇子、小碓皇子よ、今夜は二人が結ばれる祝言の夜よ」と甘く切なくささやいた。

 「でも今夜は……」何故だか分からぬが、今夜は駄目な気がした。でも白鳥の頸のような細くしなやかな手足が絡みついて、蜂蜜が温められて匂い立つような香りがした。

 朝餉の間に集まると、古谷先生にそっくりの尾張氏は、言いにくそうに口を開いた。「実は父帝から手紙が私宛に参っております。今から三月ほど前に皇后が亡くなられまして、皇后の実家の勢いもすっかり凋落してしまったそうです。一刻も早く、皇子の強力な補佐が必要だとのことでございます。

□そして皇子には蝦夷平定、見事に成功と言う事で、大変喜んでいるが、最後に伊吹山により、凶暴な山神と鬼たちを鎮めてきてほしいとのことでした。

□近頃麓の村では女たちや子供たちがたくさんさらわれ、殺された村人もたくさんいるとのことで、難渋しております。どうかもう一頑張り出来ますものなら、私からもよろしくお願い申し上げます。」
 
 「なりません!」美夜受姫は、突然叫んだ。「この三年の年月毎日毎日皇子のことが心配でした。いかにスサノオの化身といわれ、天叢雲剣を持っていると言われても、ほとんど単身で蝦夷たちの数百万の海の中にいて、殺されない道理はない、もう今頃はしゃれこうべを野に晒されているのではないか、それを思うと胸が張り裂けそうでした。

□もう十分戦ったじゃないですか、何故皇子ばかり命の危険に晒されなくてはならないのですか。すでに皇子は私の夫です。私の命(いのち)です。もう危険な殺し合いはやめてください。伊吹山の山神は恐ろしい神です。それに従う鬼たちは人をとって喰うと言われています。皇子が鬼達に食べられるのはとても耐えられません。」

 「これこれ、わがまま言って皇子を困らせてはなりませぬぞ、なあに皇子は、これまでクマソや蝦夷という伊吹山の連中より何千倍、何万倍も多くの謀反を言向けやはされてこられた。心配無用じゃ」と尾張氏は姫をなだめた。

 「そうか分かった。戦は金輪際止めにする。だが父帝のご命令だから、伊吹山へ行って様子を窺ってこなければなるまい。どうしても謀反を止めないという事なら、別の将軍を征討にさしむけることにしよう。」とあっさり姫の言葉に従うふりをした。そして建日子にめくばせした。

□建日子は、ふいに振られたので戸惑いがちに、「そ、そうでございますなあ。皇子の体調が良くなかったことにして、伊吹山まで行って引き返す事に致しましょうか。仲介役を探して、交渉ができたら交渉するというのではどうでしょう。今回は危ない橋は渡らないということに致しましょう。」

 尾張氏も姫をなだめるための方便と気付いて、「それはそれは、そうでございますなあ、伊吹山は無理に攻めないで、当面は麓の農民たちの守りを固める事に致しましょう。こちらから救援の兵をとりあえず出しておきます。」と調子を合わせた。

 いよいよ出かけるという前に、ふたりだけで、美夜受姫の閨で少し語らった。

 「本当に戦をなさらないのですね。まさか口先だけではないのでしょうね。」と美夜受姫は念を押した。

 「その証拠に天叢雲剣を置いていくよ。これがなかったら戦をする気にはなれないから大丈夫だ。」と応えた。

 「そんなことをして大丈夫ですか、不意打ちをかけられたりしませんか。」美夜受姫は不安げに訊ねた。

 「なあにクマソや出雲の時にはこの剣はなかったのだ、それにこの剣には妖気がある。つい相手が憎らしくなったら、斬り殺して仕舞いたくなるから性質が悪い。もうこの太刀ともそろそろお別れしたいのじゃ」と陽一はしみじみと語った。
ーーーーーーーーーーーーー3 伊吹山の戦いーーーーーーーーーーーーーーーー

ーーーーー山籠り祖先の仇を討たむとて伊吹山神氷雨降らしむーーーーーーーー

□先ずは、伊吹山の麓で里人たちの話を聴いた。山の鬼たちが襲ってきて、せっかく収穫した雑穀やその他の干物類だけでなく、家財道具や大切な子供や嫁まで奪われるという。もちろん抵抗すれば男たちは皆殺しになってしまう。だから一刻も早く山神と手下の鬼たちを退治して欲しいと哀願されたのである。

 「ところで伊吹山に立て篭もっている連中は、そもそも何者なのだ、その正体が分からないと交渉のしようがない。」と建日子は里の長に尋ねた。

 「交渉など受け付ける手合いではございませぬ。彼らはなんでもニギハヤヒ王国のナガスネヒコの手下たちで、ニギハヤヒ様がイワレヒコに臣従されたのが不服で、伊吹山を砦にして立て篭もり、大和朝廷にずっと抵抗しているのです。しかし今ではその志など失せて、麓を荒らしまわって、食糧と人間を攫っていく山賊に過ぎません。しかも食糧が足らないと誘拐した子供や女子の肉を食らうこともあるようです。」

□建日子は里長に賊と連絡は取れないかと尋ねたが、みんな恐れて手紙を届ける役を引き受けるものはいなかった。それで建日子は「それでは私が砦まで忍んで行って矢文を届けてきます。なあに山中での戦いは吉備で訓練されておりますので、心配無用です。これ以上の乱暴狼藉を止め、攫った人々を返して、帰順すれば、開墾する土地を用意し、開墾までの暮らしを援助するなどの条件を提示しましょう。如何に鬼となっているとはいえ、人らしい生活を保障されれば刃向かうことはありますまい。」と言った。

□里長たちは、捕虜が還ってくるのは喜んだが、果たしていったん鬼と化した人が、まともな人に戻れるか、とても信じられないと言った。しかし小碓皇子は軍団を率いて来たのではないので、それでやってもらうしかないということになったのである。

□建日子は半日程で頂上近くの砦まで行って、矢文を放ち、その返事が三日後、期限ぎりぎりに麓の指定した大きな杉の木に矢文で届いた。

「この度は小碓皇子が直々にお出でになって、話し合いたいとの申し出、まことにありがたいことでございます。我々はニギハヤヒ王国の再建のために戦ってまいりましたが、それはひとえにニギハヤヒ様の徳を慕い、力づくで侵略して来た不正に抗議してきたからでございます。

□もとより大和朝廷がニギハヤヒ様のような徳で統治されるならば、我々も怨みにいつまでもしがみつき、鬼とみまごうような暮らしを続ける謂われはございません。大王の威に服するにやぶさかではございません。ただ、小碓皇子の言葉をそのまま信じて謀(はかりごと)に嵌められてしまわないとも限りませんので、伊吹山の中腹にある山小屋で、明日、日が真南に来たときに山神と小碓皇子が、武器を持たず、一対一で話し合うということにしていただけないでしょうか。」

□建日子は不安げに言った。「これは信用できません。山小屋も火攻めに遭うかもしれませぬ。一対一と言いながら、囲まれてしまうかもしれませぬ。」

□小碓皇子は腕組みして考えた。「ウームじゃが、行かぬわけには行くまい。彼らも二百年近い鬼の生活から脱け出すチャンスだから、そう簡単には一蹴できないだろう。話し合い次第では、謀をやめて乗ってくるかも知らぬではないか。」

□彼らは万一火攻めにあったときの用意に密かに小屋の状態を調べさせて、脱出しやすいように弱い箇所を作ったりした。水袋を密かに部屋のなかに忍ばせたりした。そして見張りをつけて相手が密かに集団で攻めてこないかどうか、警戒する体制を敷いた。その様子があればもちろん会談はキャンセルだ。

□正午に小屋の前で山神と小碓皇子は挨拶を交わした。どんなに恐ろしい形相の山神が現われるかと思うと、六十過ぎの大人しそうな老紳士の雰囲気すらあった。相手もスサノオの化身と恐れていたヤマトタケルが好青年の陽一君だったものだから、安堵の笑いを漏らしたぐらいだった。

□会談は延々と続いた。山上の砦の生活がいかに厳しいかという話とか、食糧が不足したら人を喰うというのは、ひどいデマだという事など、日ごろの思いを山神は語った。

□小碓皇子は関東には未墾地で地味が豊かなところがたくさんあり、山神やその手下たちのように厳しい自然と戦って来た人たちなら、きっと開拓に成功して豊かな暮らしができる事を説明し、当面の生活支援は皇子の名誉にかけて保障するから、是非関東の蝦夷たちと力を合わせて欲しいと励ました。

□さすがに山神は認識を革めたかのように感激して涙ぐんでいた、まさかその涙に偽りはあるまいと陽一は思った。そうしているうちに四時間は過ぎ、会談は成功裏に終わったかに見えた。ところが小屋の外に出て、分かれて二、三分行くと当たりは急に暗闇に包まれた。

□山の天候は変わり易い。激しい稲光と突風が吹き、急激に気温が下がり、ゴルフ球ぐらいの雹が降り注いだのである。したたかに雹に打たれて陽一は倒れ込んだ。そこに山神と手下たちが突進してきたのである。陽一は身をかわし切れず、深傷(ふかで)を負ってしまった。

「せっかく鬼と呼ばれたお前たちにも人としての幸せを感じさせてあげたかったのに、どうして吾を裏切るのか」と陽一は哀しみの声を上げた。

□山神はせせら笑った。「会談を長引かせたのは、雲の動き風の変化から夕方近くに激しい雹になるのを分かっていたからだ。たとえ一時の善政で幸せな暮らしとやらを与えられても、大和朝廷が続く限り、また暴君に踏み躙られることになる。

□今まで騙され続けて来たのに、だれが甘言に乗せられるものか。吾ら蝦夷やサンガにあるのはただ国を奪われ、土地を追われ、肉親を殺された怨みのみ。どんなパラダイスへの招待も吾等の心を動かしはせぬ。ただ求むるは大和の連中の血のみぞ、蝦夷を平定したヤマトタケルの犠牲の血こそが吾等に至福を与えるのだ、お前の犠牲の血を飲み、肉を喰らって、何度でも蝦夷や山神一族に生まれ変わり、何時の日か、大和の連中を追い出して見せるわ。そのために吾等は玉砕するとも悔いはないのだ。」

□しかしさすがはヤマトタケル。果敢に応戦して、山神や手下たちの屍の山を築いたのである。

□伊吹山の戦いがどんなものだったのか、その実態は分からないのだ。『古事記』では、この山神は素手で退治してやるといって出かけたが、途中白い猪に出会った。この白い猪は山神の使者だろう、今は殺さずに還りに殺してやろうと思ったが、実はそれが山神だった。その山神が大氷雨を降らせて皇子を打ち惑わしたという。

伊吹山の画像
二〇一一年三月四日朝日新聞夕刊より

□『日本書紀』では山神は大蛇の姿で現われる。やはり神の使いと思って、殺さなかったら雹を降らされた。そして霧の中を彷徨って、麓の泉で水を飲むとやっと酔ったような状態から目覚めたのでその泉を居醒井(いさめがい)と呼んだ。ここでヤマトタケルは始めて病気になったとしている。

□だから獣にあって、雹に打たれたというのが原因で、病気になっている。実際に直系五センチメートルの雹に当たると死者もでるようなので、頭部に巨大な雹の直撃を喰らったのなら、瀕死の重傷を負ったことも考えられる。とすると山神一族との戦闘ではなく、自然現象が原因だったとも考えられる。だからヤマトタケルは蝦夷の平定には成功したが、自然の征服はできなかったという話にも解釈できるかもしれない。

□歴史的事実はともあれ、蝦夷や山神などの被征服民が、大和政権からの解放を求めて戦ったが、ヤマトタケルという英雄の活躍で鎮められてしまった。しかし大和政権も皇子の死という犠牲を伴わなければ、叛乱者たちの気が収まらなかったのではないだろうか。抑圧された者たちの怨念が皇子を犠牲の血祭りにあげたことで、平和が実現するということだ。
-----------------------4 倭は国のまほろば-------------------------------

-------------囲みたる木々の緑よ辺境に暮す民草まほろば護れリ------------

 もし伊吹山で深傷を負ったり、氷雨で風邪をひいて肺炎を併発したりしたのなら、無理に大和を目指さずに、尾張の美夜受姫の元に一旦戻った筈である。どうも物語の設定に無理があるのだ。実際伊吹山の地元にはヤマトタケルは伊吹山で死んだという説話があるらしい。その方が設定に無理はない。病身を引きずってでも大和に帰ろうとする大和への熱い想いを伝えるために、その後の話を創作したのかもしれない。

□杖を衝いて登った坂を杖衝坂と呼び、脚が三重に折れたようになっていたく疲れたのでそこを三重と呼ぶなど、地名として語り継がれていると、その話がリアリティを持ってくる。地名に残っているからそれは歴史的事実だろうという解釈もあるが、先に英雄物語が作られて、その地名に当たる場所はここだということで、地元の人々がその地名で呼ぶようになったとも考えられる。

□神楽などの舞に英雄物語があると、舞に伝承されているから、それは歴史的事実だったと受け止める人も出てくるが、物語が先で、それに合う神楽を地元の人々が作った可能性の方が高いだろう。

□これはヤマトタケルのファンタジーなので、歴史的事実より、ヤマトタケルの想いを伝える文学的真実の方が大切だ。だから能煩野まで辿り着いて、そこで亡くなったことにしておこうではないか。

□実際、能煩野のすぐ近くの国立鈴鹿病院の小長谷正明院長は伊吹山の急勾配で脚をやられ、氷雨や霧で神経症になって正気を失ったりすることはあり得るとされ、急性腎不全やギラン・バレー症候群で感覚麻痺が起こったかもしれないと診断されている。それでも無理して静養せずに大和を目指すものだから死んでしまったということも十分考えられるのだ。

 建日子は皇子を支えながら言った。「やっと能煩野まで辿り着きました。あの山を越せば伊賀で、伊賀から大和青垣まではすぐ近くです。」

□ここで陽一は高校の古文で習い憶えていた国偲歌が自然に口をついて出た。

「倭(やまと)は国のまほろば たたなづく 青垣 山隠(ごも)れる 倭し 美(うるは)し」

 榊周次は建日子になっているのだが、先生の習性が出て自然に解説してしまう。「まことに、やまとは国で最もすばらしいところです。幾重にも森が青い垣になって囲んで隠して護っている倭はほんとうにうるわしいところですね、という意味でしょう。」

 陽一は改めて気付いたように言った。「倭を囲む青垣は笠置や伊賀や鈴鹿の山地だけではない。広い意味ではクマソや蝦夷だって倭を護っている青垣なんだ。クマソや蝦夷を大切にしないと結局は倭もだめになってしまう。まほろばじゃなくなってしまうのだ。」

 さらに陽一は万感を籠めて歌った。
「命の全(また)けむ人は、畳薦(たたみこも)平群(へぐり)の山の 熊白檮(くまがし)が葉を 髻華(うず)に挿せ。その子」

 榊も興に乗って解説する。
「命がまたけむ人というのは、命が充実してはちきれている人というような意味でしょう。そういう人は、自信に溢れていて樫の葉をうずらに挿していると体にいいという世間の人の教えを、迷信や呪いにすぎないと馬鹿にして、捨ててしまうものですね。でもうっそうと茂っている平群の山の大きな樫の葉は、大和の自然と人々の暮らしと健康を護ってくれているのだから、大切にし、うずらにさして祈りを籠めておきなさい。自分の若さや健康を過信して、それを護ってくれているものを忘れると、若死にしてしまうことになりますよという意味ですね。」

 陽一は小碓皇子の人生を振り返るように言った。
「人々とのつながり、水や空気や太陽や森の木々、産土の大地、こういう命のつながりに支えられ、大いなる命の一部として生きているのに、つい我々は己の意志や妄想によって、勝手に世界を作り上げ、自由に生きているつもりなって生きてしまう。そして自分を護り育て、支えてくれているものを、自分の我儘に従わないからと切り捨てたり、破壊したりしてしまうものだ。今命が尽きようとしているこの時になって、樫の葉が吾にとって命であり、神であることが分かったのだ。」

 建日子は皇子が、人生のクライマックスで大きな覚りに達せられたのを見て、感動のあまり声が出なかった。

 皇子はさらに倭の方角西の空に立ち上る雲を見て歌った。
「はしけやし 吾家(わぎへ)の方よ 雲居起ち来も。」

 この三つの歌を国偲歌という。実は『日本書紀』では父帝大帯日子が熊襲征伐の時に日向で歌った望郷の歌ということになっている。今となってはどちらの方が元の形なのか断定できないが、ヤマトタケルは人生の大円団の場面で万感籠めて歌っているから、そこから彼の深い思いや覚りのようなものまで伝わってくる。

 国偲歌を歌い終わって、小碓皇子の容態は急変し、いよいよ臨終が迫ったので、皇子は辞世の歌を作った。
「嬢子(おとめ)の 床の辺に 吾が置きし つるぎの太刀
その太刀はや」

 ああ、あの太刀さえ持っていれば、こんなことにはならなかったのにということであろう。これこそ後悔先に立たずだ。やはりヤマトタケルとして生きるためには神剣がなくてはならなかったのだ。神剣あってのヤマトタケルである。いやむしろヤマトタケルは神剣の方であって、神剣が小碓皇子を選び、吸い寄せヤマトタケルにしたのである。

 小碓皇子は神剣を持っている限り、修羅に生きるヤマトタケルでなければならなかったので、神剣を捨て、ヤマトタケルを辞めたかったのである。しかし小碓皇子はヤマトタケルに成れたからこそ、生き延びてこれたのである。

 小碓皇子は本当の自分に、〈タケル〉という名をもらう前の本当の自分を取り戻したかった、荒ぶる神として、剣の化身として生きるのではない本当の自分に戻ろうとしたのである。でもそれは命と引き換えでないと出来ないことだったのである。これが運命つまり、定めに生き、定めに死ぬということなのだろうか。この本当の自分に戻る願いは叶えられないのだろうか。リアルな世界ではそれはなかなか難しいけれど、物語の世界、ファンタジーでなら叶えられるのではないか。
---------------------第六部  兵士から白鳥へ-----------------------------

----------------1 骸はすべて白鳥になった。---------------------------

 この世界はリアルな世界だとみんな思い込んでいるけれど、実はバーチャル・リアルの世界だった。小碓皇子はバーチャル・リアリティの世界で死んでしまったけれど、それはバーチャル・リアルな現実に過ぎない、小碓皇子は陽一君の意識の中で死んだのであって、上村陽一は死んでいないのだ。

 だとすればもう後五ヶ月で死ぬ運命の上村陽一も、自分はリアルな世界に生きているつもりでも、実はバーチャル・リアルであって、別のだれかが上村陽一を演じていたなんてことはあり得ないのだろうか。上村陽一は死んでもそれはバーチャル・リアリティ劇を演じていた上村陽一が死んだだけであって、上村陽一に成りきっていただれかは死んでいないことにならないだろうか。

 我々は、つまりこのファンタジーの著者と読者は、上村陽一がこの物語の登場人物であり、上村陽一の意識を生きているのは実は我々、著者と読者だという事を知っているのだ。でも上村陽一はまさかそれを知る由もないのだ。

 このファンタジーの著者と読者だって、おなじことが言えるのではないか。だって我々だって意識の世界に生きているのであって、ギンギラギンの夏の陽射しだって、冬の凍てつく寒さだって、何億光年の昔から届く星雲の光だって、所詮は人間の意識にすぎないのだ。だとしたら、それを意識している私なりあなたというのは、それらを意識する主体として仮に設定されたバーチャルな存在ではないのか。

 そのように主体をバーチャル化してしまうのは、元々、バーチャル・リアリティという装置にファンタジーを設定したからに過ぎないとも言えよう。でもそうすることによって、我々の個々人の意識が、鎖のようにつながったり、大いなる生命や人類の意識や神の意識の現われでないかということが、なんとなく説得力を持ってくるという効果が期待できるのかもしれない。

 小碓皇子には六人の妃がいて、それぞれ皇子が一人づついたことになっている。その内、弟橘姫は先に亡くなっているので五人の妃が悲報を聞いて、能煩野に駆けつけた。そこに大きな帝並の御陵を作って、埋葬したのである。といっても殯(もがり)の間は妃や皇子たちは、皇子の骸が白骨化するまで、復活を祈って嘆きの日々を過ごさなければならない。

なづきの田の 稲幹(いながら)に 稲幹に 匍ひもとほろふ 薢蔓(ところづら)

 なづきの田の「なづき」は名が付いているという意味かもしれない。つまり御陵の周辺は小碓皇子の名がついた田で、その収穫は、御陵の維持に充てられるということかもしれない。その田の稲に薢蔓がからまるように、皇子を慕って、田に這い回って嘆き悲しんでいる様である。

 それぞれ妃たちは自分が一番皇子を想っていた、皇子との情愛が深かったことをアピールしたいということもあるのだろう。その後の妃と遺児の暮らしを考えれば、このアピールはおろそかにできないのである。宗教によれば、死は悲しむべき事ではないという宗教もある。キリスト教などでは神の許に召されたのだから、むしろ喜ぶべき事だという牧師もいるし、浄土教では阿弥陀浄土に往生すれば極楽だということになる。

□昨年友人の中村徹さんがなくなったときは、喪主の息子さんが、父は湿っぽいことは嫌いだったので、明るく送ってあげましょうと言われて、「中村徹の新しい旅立ちに乾杯!」と祝杯のような音頭をとられた。ここ四、五年体調を崩され、入退院の繰り返して、何度も死の淵を覗かれたようで、そういうこともあって、来るべきものが来たという感じだかららしい。

 
□もっとも聖職者のそういった死についての説明は、嘘も方便みたいなことがある。『聖書』のどこにも死後すぐに天に昇って、神の御許に行くとは書いていない。昇天はエレヤとイエスだけである。「塵だから塵に還る」とあるのだ。それだとあまりに虚しいので、歴史の終末がきたら、審判があって、地上が神の国つまり天国になり、義人は楽しく暮せるが、罪人はゲヘナの煮えたぎる血の池に投げ込まれるのではないかということが、夢想として語られているに過ぎないのである。

 キリスト教会では礼拝を「聖餐」と呼ぶが、それはイエスの肉を食べ、血を飲むことが終末に甦らせてもらう条件だからである。つまりパンをイエスの肉として食べ、ワインをイエスの血として飲んでいる。それは何時やってくるか分からない歴史の終末に復活させてもらうためなのである。
 
 浄土真宗のお坊さん、それも本願寺の教義の説明にあたる高僧の方に伺ったことだが、死後霊魂が極楽浄土に行くというのは、正しい理解ではないらしい。地獄も極楽も生きている人間の心のあり方なのである。だから実体として西方に極楽浄土があって、そこに死後迎えてもらえるというのは、迷信で、そういう霊魂を不滅の実体のように捉えるのは仏教ではないということである。

 個体は滅びても、大いなる生命である大自然や世界は続いていて、それもやはり人間の意識として現われている。だから個人の意識は全体の意識に還ったのではないかと捉える人も居る。そこで個体の身体には不滅の部分があって、その部分だけは肉体が朽ちても朽ちないで、鳥や蝶に変態して、異界へと飛び立つという信仰がある。

 だからその不滅の部分を「たま」と呼んだ。美しい丸みをもった石を玉というが、それは純粋な命の結晶のようなもので、元々は物質の対極の「霊」と見なされていたわけではないのだ。それはむしろ「もの」なのであって、物こそが現代人のいうスピュリチュアルなつまり霊性のある存在なのである。

 死はだから怪我や病や老いなどで変質し、生気を失った部分が崩れ去り、そこから核にある不滅の部分だけが肉体を離れて異界に向かうとされたのである。だから小碓皇子が死んで、白鳥に成って御陵から飛び立ったとされるが、それは魂(たま)の部分が遺体から脱け出して白鳥になった筈である。

 それだと肉体の極一部だから、白鳥は、それほど大きな姿ではない筈だ。しかし『古事記』では「八尋白智鳥」とされている。一尋は人間の身長にあたるので、巨大な白い智鳥ということになる。千鳥はちっちゃな鳥である。白鳥ではなく白い智鳥となっているのもひっかかるところだが、白鳥をそう呼んだと推測されている。

 『日本書紀』だと白鳥が飛び立った後、遺体はなく白い布だけが残っている。死体から甦る術を道教では尸解仙(しかいせん)という。遺体は尸解仙だと昆虫の抜け殻みたいなものだという。イエスの復活の際、墓には遺体をくるんだ布だけが残されていた。だから道教の尸解仙だという解釈もあるようだが、やはりそれぞれの信仰の中身を検討してから判断すべきである。

 日本古来の異界信仰だと魂の部分だけが脱け出してそれが鳥や蝶に変態するのだろう。それが異界に行って、異界でセックスで母胎に入り誕生するのだ。そこで生涯を終えると今度は鳥になってこの世に戻ってきて、セックスでまた誕生するのである。この世とあの世を往還するのである。

 だから遺体がまるごと白鳥になった小碓皇子は特別扱いされているということである。それは特別に貴いということであり、特別に偉大だということを表現しているのだろう。たとえ衰弱して死んでも、それは姿が変わるだけで、貴い肉体は少しも朽ち果ててはしまわないということなのだ。

この度は東日本大地震・大津波まことに凄まじい限りです。
被害に遭われた皆さんには心よりお見舞い申し上げます。

----------------2 何故戦士が白鳥になったのか。------------------------

--------戦いに斃れし戦士は白鳥に成りて故郷の湖(うみ)に還らむ-------------

 陽一は気がついたら白鳥になっていた。もう修羅の道は歩まなくてもいいのである。白鳥は最も平和な鳥である。肉食でも雑食でもない、苔や藻を食べて生きていけばよいのだ。剣を振り回し殺しあうことは一切ないのだ。戦士が正反対の平和の象徴白鳥に生まれ変わったのである。やっと願いが叶ったのである。死ななければ、戦士は白鳥には成れないというのは、なんとも哀しい話ではあるが。

 陽一は自分が小碓皇子であったことも、元々は陽一であったことも覚えてはいない。ただ海から潮の香りが懐かしく、海に向かって飛んで行った。自由に巨大な羽を広げて飛んでいったのである。

 すると妃と皇子たちが白鳥を追って、どこまでも駆けて来る。陽一が海の沖の方へ行こうとすると、なんと溺れそうになりながら、海に入ろうとするではないか。思わず陽一は沖から引き返し、海沿いを飛んだ。沖に行くと二度と戻れない気がしたのである。そうだ海岸沿いに飛んでみよう、陽一は本能に導かれるまま、海岸沿いに紀伊半島を飛んで、大阪湾に入り、現在の鳳という地名になっているところで羽を休めた。だからそこに大鳥神社がある。

 そこから河内湖は近かった。陽一は故郷の湖に戻れた気がしたのである。大きな湖で、百舌鳥やカササギや鴨などがたくさん群れていた。季節はずれのせいか白鳥はいなかった。仲間の白鳥を探して、周辺を飛び回ったのである。現在の八尾の近くに志幾という地名のところがあり、そこに物部氏が住んでいた。

 見たこともないような巨大な白鳥が飛んで来たということで、みんな総出で手を振り、盛んに降りるように陽一に呼び掛けている、とても愛おしいそうに歓迎してくれるようだったので、陽一はその地に降り立った。

 河内湖の周辺の物部氏は、多くの戦士を出し、クマソや蝦夷との戦いで斃れると、白鳥になって河内湖に舞い戻るとされていたのである。それはおそらく物部氏の祖先が白鳥であるというトーテム信仰の名残であろう。だから白鳥になった陽一は一族として迎えられたのであろう。

 そこで歓迎のお祭りがあり、人々が楽しそうに舞踊り幸せそうにしていた。白鳥は餌付けされ暫くその地に棲み付いた。やがてその白鳥はヤマトタケルの霊鳥に違いないと謂われ、妃たちと皇子たちが移り住んできた。そこには御陵までつくられたのである。

 白鳥は人々に親切にされ愛しそうにされるので、冬になって白鳥が来るとその群れと交わったりしたが、あまりに大きいので、馴染みきれず、志幾に棲みついていたが、自分を呼ぶ声がするような気がして二、三年後飛び立った。羽曳野の丘を越えて河内葛城に向かったのである。

 日本近代史も戦士から白鳥への転換を経験している。開国以来、ひたすら富国強兵につとめ、戦争で国威を発揚して、周辺諸国に領土や勢力圏を拡大し、アジア諸国に先駆けて列強の仲間入りをした。

 しかし何時までも戦争で力づくでアジアの人民を支配しようとすれば、世界から孤立するし、アジアの人民の粘り強い抵抗にあって、やがては泥沼の消耗戦となり、国力を使い果たして敗戦とならざるを得なかったのだ。

 そこで戦後は、ヤマトタケルが草薙の剣を嬢子の床の辺に置いたように、平和憲法を制定し、軍備を一切棄て、一切の戦争を放棄し、国の交戦権まで否認した。徹底した平和国家に生まれ変わると世界に誓約したのである。

 その言葉通りにはいかなかったが、戦後日本は平和で豊かな国づくりを進め、一九六〇年代は高度成長で世界の景気停滞を押しとどめ、それ以降は省エネ省資源の技術革新で技術大国化を成し遂げ、アジア諸国の工業国への離陸を牽引し、現在のグローバルな世界経済形成の基礎作りに大いに貢献したのである。

 その意味で、戦士から白鳥に変身するヤマトタケル説話は、日本民族の和の精神を見事に象徴する最も古典的なファンタジーなのである。

 惜しむらくは、この説話は、あれほど還りたかったはずの倭に白鳥は戻っていないという、もどかしい問題を残している。何故戻れなかったのか、それはやはり父帝との和解が本当にはできていなかったからであろう。伊吹山に行かせることによって、父帝は小碓皇子を死なせたかったのかもしれない。もう高齢だから、権力にしがみ付いてもしかたがないのだが、これまでも有力な皇子をそうして死なせてきた習性から逃れられなかったのかもしれない。

 ともかく大和政権は、小碓皇子を死なせたことによって、和の精神で辺境の民と融合し、自然と融合して、皆で協力し合って、国づくりを進めていくことはできなくなったのである。それで白鳥は倭に戻りづらかったのだ。

 白鳥はヤマトタケルの意志を引き継ぎ、真の大和国家を作り上げる後継者に生まれ変わる事を目指して、自分を呼ぶ声がするような気がする葛城の方を目指したのではないだろうか。

問 戦士が白鳥になったという説話が日本近代史を象徴しているということについて論じなさい。
------------3 それは夢なんかじゃなくバーチャルな体験--------------------

---------巻向の古墳に通じる異界より戻りてふたりリアルに向き合う----------

智子は、弟橘姫として海に入った。するとしばらくして自分の体が鯛になっているに気付いたのである。海で死ぬと魚に成って異界へ往くという話を思い出し、竜宮城のような異界へ往くのかなと思った。

 知らない間にたくさんの鯛が群れをなして、智子の後についてくるではないか、そして一時間程も泳いだら、そこに海底のモダンな建物があった。丸い透明な筒に吸い込まれて、意識を失うと、そこは海の神の御殿で、智子は弟橘姫に戻っていた。

 海神は何と、養父の三輪和夫だった。とても懐かしい気がしたが、だれだか分からなかった。

 「弟橘姫ようこそ海神の宮に参られた。さあ婚礼の用意は整っている。これからそなたは朕の妃として未来永劫海の国を治めるのじゃ。」

 「それはできませぬ。私は小碓皇子が燃ゆる火の火中に立って私の名を呼んでくれたその思い出に取り付かれていて、とても他の人を愛することなどできません。それに海神様のようないい男ぶりの方ならお妃は大勢いらっしゃるでしょう。どうか私には構わないでくださいまし。」と智子ははっきり断った。

 「お前も海の国に来た以上、もう地上には戻れぬ運命じゃ。それにこの時点で小碓皇子は既に過去の歴史上の人物にすぎぬ。おまえは実在もせぬ観念にあこがれているだけじゃ。まあ時間はたっぷりあるから、次第に小碓皇子への想いは薄れるだろう。

□それに朕には今は妃はおらぬのじゃ。お前を第二夫人にするというと先の妻が嫉妬してのう、密かにお前を毒殺しようと企んでおったが、侍女に告げ口をされて、追放処分に成ったら、哀れにも鮫に喰われてしもうたのじゃ。」

 その広間には海神の銅像とそのお妃の銅像があったが、そのお妃は、智子の母薫に瓜二つだった。「お妃さまはどことなく私に良く似ていらっしたのですね。未来永劫と言ってもお妃様の場合は、永劫ではなかった。結局、たとえ神でも寿命はあるのではないですか。」

□「面白い事をいうのう。いやそれはそうかもしれぬ。朕はずっと永劫の昔からここにいたと思うが、そう思っているだけかも知れぬ、ア、ハ、ハ、ハ」と笑った。その声が豪快過ぎて、智子は気分が悪くなり食べたばかりのご馳走を戻してしまった。

□「まだこの世界に来たばかりだから、体調がすぐれぬのも無理はあるまい、下がって休むがよい。」と海神が優しく言った。智子はその優しい声もかえって悪寒がした。やはり私はたとえ未来永劫逢えなくても小碓皇子を愛し続けるという運命なのかもしれない。

□それはまだ今はいいとしても何十年、何百年、何万年でも果たしていいのだろうか、そういう疑問がとても不純な気がして自己嫌悪に陥った。そしてこのまま眠ったら永遠に目覚めない方が浅ましい自分に出会わなくていいかもしれないとさえ思ったのである。

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 どれぐらい眠っただろうか、智子はだれかに突き飛ばされるような衝撃を覚えると、景行天皇の郭室に通じるトンネルに壁抜けする様な感覚で出てきた。そこは真っ暗なので携帯電話の明かりをつけた。すると、次に陽一が同じ様に突き飛ばされて壁抜けしてきたのである。

 「陽一君、急がなくちゃ、みんな心配してるわよ。」と智子が言うと、手を取り合ってトンネルを抜け外に出た。

 「今、何時だろ、腕時計だと四時五分前だちょっと遅刻だな」。

 今度は、二人がそれぞれ体験したバーチャル・リアリティ劇を二人が克明に覚えていて、全く矛盾がなかったので、榊先生に一緒に報告することにした。こうして、第二弾の『長篇哲学ファンタジー ヤマトタケルの大冒険』が出来上がった。

 なあんだ、今度も夢落ちじゃないか、とおっしゃるなかれ、二人は夢だとは思っていない、これこそがバーチャル・リアリティの体験だと思っているのである。

問 ファンタジーでは、ファンタジーの世界に入ったり、そこから抜け出す仕掛けが難しいところだが、この作品についてはどうか論じなさい。

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