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浅田真央【スケート全て】コミュの真央悲痛…母急死 緊急帰国も最期に間に合わず

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真央悲痛…母急死 緊急帰国も最期に間に合わず
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http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=1842503&media_id=30
(デイリースポーツ - 12月10日 09:30)

 緊急帰国した浅田真央=成田空港(撮影・持木克友) Copyright(C) 2010 デイリースポーツ/神戸新聞社 All Rights Reserved.
 フィギュアスケート日本女子のエース、浅田真央(21)=中京大=が、内臓疾患で闘病していた母親の匡子(きょうこ)さん(48)の容体が急変したため、グランプリ(GP)ファイナル(ケベック=カナダ)を欠場して9日午後、緊急帰国した。匡子さんは同日早朝に肝硬変のため、名古屋市内の病院で死去していたとマネジメント会社が発表。浅田は匡子さんの最期に間に合わなかった。匡子さんは今夏から病状が悪化し、入退院を繰り返していたという。葬儀・告別式は近親者のみで行う。

 これまでずっと支えてくれていた最愛の母のもとへ、急ぎGPファイナル会場のカナダから帰国した浅田だが、最期には間に合わなかった。

 この日午後、成田空港に到着した浅田は、沈痛な様子で国内線への乗り継ぎを急いだ。黒のジャージー上下に、ニット帽、マスクをつけて伏し目がち。「日本の皆さんが心配していますが」との問い掛けには軽くお辞儀をし、無言で通り過ぎた。中部国際空港に着くと、一般乗客とは別の通路を使って病院へと急いだが…。

 浅田は6日にカナダ入り。7日の公式練習ではトリプルアクセルも着氷するなど、3年ぶりのファイナル制覇へ好調ぶりを見せていたが、ケベックの現地時間8日早朝に容体が急変したという連絡を受け、即座に欠場を決断した。

 現地のチームリーダーを務める小林芳子・日本スケート連盟フィギュア強化副部長によると浅田は「回復したという連絡があれば出たいと思っていたけど、かなわなかった。ご迷惑をお掛けします」と、気丈に振る舞っていたという。

 ともに帰国した佐藤信夫コーチは「朝、電話があって、顔も洗わずにホテルを出た。機内ではバラバラだったので、(浅田の)様子は分からない。練習では調子が良かったので残念だが、でも、仕方がない。『しっかり頑張って』と声を掛けました」と話していた。

 匡子さんは1990年に生まれた次女の浅田と、長女の舞の競技生活を支え、バレエの経験を生かした技術的なアドバイスを送った。

 浅田は同い年のキム・ヨナ(韓国)に敗れた昨年のバンクーバー冬季五輪で銀メダルを獲得。誰に見せたいかと問われると「お母さんです」と答え、匡子さんが一番の理解者だった。

コメント(2)

真央の母死去 緊急帰国も間に合わず
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=1842560&media_id=8
(日刊スポーツ - 12月10日 10:10)

09年10月、ロシア杯が行われるモスクワへ移動する浅田真央(左)と母匡子さん
 フィギュアスケート女子で、2度の世界女王に輝いた浅田真央(21=中京大)の母匡子(きょうこ)さんが9日早朝、肝硬変のため、名古屋市内の病院で亡くなった。48歳だった。葬儀・告別式は近親者のみで行う。GPファイナル(カナダ・ケベック)に出場予定だった浅田は、この日、成田空港に緊急帰国。国内線に乗り換え、自宅のある名古屋市に夜到着。しかし母最期の時には間に合わず、悲しみの中、無言での対面となった。関係者によると23日からの全日本選手権、来年3月の世界選手権欠場の可能性もあるという。

 間に合わなかった。悲しみを押し殺すような帰国となった。最愛の母匡子さん最期の時に立ち会えなかった心痛はいかばかりか。しかし気丈にも、前を見据えて空港内を歩いた。報道陣から「真央さん、日本の皆さんが心配していますが」と声をかけられると、軽く頭を下げながら沈痛な面持ちで無言を貫き通した。

 一刻も早く地元名古屋に帰るため、通常の到着出口とは違うVIP専用出口から退出。カメラマンのフラッシュを浴びる中、黒の上下に、黒のニット帽を目深にかぶり白いマスク。ピンクのキャリーバッグを転がしながら、国内線に乗り継ぐと、地元名古屋へ到着。母が入院していた市内の病院に直行した。

 病院で亡き母と無言の対面を果たすと、浅田を待っていた家族とともに自宅へ戻った。弔いのために自宅を訪れた住職は「真央さんは落胆されていました。お母さまが亡くなられたのですから、非常に寂しがられていました」と話した。

 この日、同行し、ともに帰国した佐藤信夫コーチ(69)も、浅田のことを気遣った。「何と言えばいいのか、言葉にならない。まだまだ動揺する年齢だから、それだけが心配でかわいそう」。3季ぶりのGPファイナルに向け、好調さをアピールしていた直後の出来事だった。

 匡子さんは自宅療養をしながら治療を続けてきた。体調が悪いと入院し、回復すると退院の繰り返しだったという。4月末から5月にかけての世界選手権で、浅田は通常よりも数キロ、体重が落ちていた。決して、その理由を明かさなかったが、激やせも母の病気が要因だったという。所属事務所によると、夏以降は状態がさらに悪化していた。

 浅田にとって、母はすべてだった。母は浅田が小さいころから、長女の舞さんとともに競技生活を支え、2人の娘が世界女王になることを夢見てきた。佐藤コーチも「親子二人三脚でここまで来たので、ショックは大きいと思う」と、その痛みをおもんばかった。

 23日から、来年3月の世界選手権代表選考を兼ねた全日本選手権(大阪・なみはやドーム)が幕を開ける。しかし日本スケート連盟の関係者によると「全日本にも影響が出るかもしれない。仮に世界選手権代表に選ばれても、どこまで彼女が続けられるか」と話す。

 皮肉にも母と浅田がともに情熱を傾けたフィギュアが母との最期の時を奪った形となった。しかし1日も早く立ち直り、匡子さんの願いだった五輪での金メダルを取ることが、最高の手向けとなるに違いない。
■母に近くで見守られている気がします…浅田真央
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=1844475&media_id=20
(読売新聞 - 12月12日 18:57)

 浅田真央の所属事務所は、浅田のコメントを発表した。

 応援してくださっている皆さん、スケート関係、及びマスコミの皆さんへ

 この度は、大変ご心配をおかけするとともに、試合直前の欠場となり、大変ご迷惑をおかけしました。

 最初ケベックで連絡を受けたときは、今すぐに帰りたい、という気持ちと、試合を欠場しても良いのか?という思いで複雑でしたが、すぐに帰国して良かったと思っています。

 帰る飛行機の中では、色々な事を考えましたが、きっとお母さんは自分が帰ってくるのを待っていてくれると信じて、ずっと祈っていました。

 しかし、成田空港に到着してすぐにメールを確認すると、「ママは頑張れなかった」というお父さんからのメールを見て、涙が止まりませんでした。それでも、もしかしたら、と思い、名古屋の病院に駆けつけ、何度も「真央だよ!」と叫びましたが、やすらかな顔をしたお母さんは、やはり目を開くことはありませんでした。

 でも、充分頑張ったし、もう、痛い思いをしないで済むんだ、と思うと、少しホッとする部分もあります。

 この半年、容態が良くない時が時々あり、名古屋を離れる時は、いつもこれが最期かも、と思いながら出発していました。まだ、信じられない気もしますが、お母さんに今までより近くで見守られている気がします。

 私たち姉妹にたくさんの愛を注いでくれたお母さんに、何度「ありがとう」と言っても足りません。

 生前、家族で約束した通り、今後も自分の夢に向かって、やるべき事をしっかりやることが、お母さんも喜んでくれる事だと思い、今まで通り練習に励みたいと思います。

 皆さん、今後とも応援よろしくお願いします。



      浅田 真央


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