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武田二十四将コミュの跡部伊賀守信秋

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跡部伊賀守信秋について語り合いましょう。
跡部伊賀守信秋についての情報ありましたらご紹介ください。

以下は、ホームページ
小助官兵衛の戦国史/滋野一党/武将録(http://koskan.nobody.jp/)から抜粋




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跡部伊賀守信秋 1500〜1560年

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跡部祐慶、祖慶ともいう。
跡部信長の長男。跡部氏は、小笠原長秀の次男跡部駿河守政家(跡部入道明海)が跡部清家を嗣ぎ、甲斐守護代に君臨。寛正6年(1465年)6月に、跡部政家の長男跡部上野介景家(跡部守隆)が武田信守の死をきっかけに謀反し、武田氏は諏訪氏の力をかりてなんとか跡部氏を鎮圧している。その後跡部氏は、小笠原持長の五男跡部左馬宗長(跡部政豊)が嗣ぎ、甲斐跡部氏の祖となる。 跡部宗長、跡部上野介宗勝、跡部上野介信長、跡部信秋へとつづく。 跡部信秋には、長男跡部信業、次男跡部大炊助勝資(跡部尾張守)がいる。 跡部勝資は武田晴信、武田勝頼に仕える。武田家朱印状の奉者をつとめたほどの重臣。武田勝頼の近侍をつとめていたこともあり、佞臣と評される。織田信長の信濃侵攻戦では、300騎持の譜代家老として織田軍、徳川軍を相手に奮戦。武田氏滅亡の際は武田勝頼に殉じ、諏訪で討死した。『甲陽軍鑑』では悪人に描かれているが、忠臣であった。 跡部信業には長男跡部業保がいる。 跡部信業は和田業繁が武田家に仕えたときに養子に入ったとされ、和田業繁を嗣ぎ和田信業と称した。 跡部勝資には長男跡部又七郎昌勝(跡部昌出)、次男跡部信濃守源昌がいる。 跡部信長には次男跡部越中守行忠(跡部泰忠)がおり、跡部行忠には長男跡部九郎右衛門勝忠(跡部美作守)、次男跡部行次(跡部幸次)がいる。 跡部勝忠には長男跡部藤五郎昌忠、次男跡部藤次郎昌秀(跡部民部)、三男跡部又次郎昌長(跡部雅楽)がいる。 跡部宗長には次男跡部次郎右衛門長与がおり、跡部長与には長男跡部次郎右衛門昌副、次男跡部越中守昌之(跡部正之)がいる。 跡部宗長の三男跡部惣左衛門利勝には長男跡部管次郎昌虎がおり、武田信虎の重臣として仕えた。 跡部昌虎には長男跡部昌直、次男跡部昌辰がいる。
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